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2011年8月

2011年8月31日 (水)

沖縄の娘宅へ(5)

家族不在の娘宅には、孫たちの作が飾ってあった。

3歳半の妹孫が幼稚園で描いた絵。

これまでの絵と違い、顔のイメージがとらえられるようになっていた。

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食卓テーブルには、お店屋さんごっこが大好きな、1年生の姉孫のお店のセールの

値段表がぶら下がっていた。イヤリングやハートの100円はわかるが、200円の

ぶたさん、よほど好きなブタさんなんだろう。!マークが3つついた10円のあかちゃん

きっと特価なんだろう。

お店屋さんごっこにつき合わされ、以前は『これいくら?』と聞くと、全部10円だった

ことを思うと、モノの相場がそれなりにわかってきたようだ。

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滞在中最後の作業、畑の草取りはやっと帰る前日に終わった。

足掛け1週間。かかった時間、おそらく6~7時間。毎日夕方やっていたので

アパートの1階の子どもたちと仲良しになった。沖縄は子沢山。4~5人の子持ちは

珍しくない。このお宅もたしか4人。夕方お母さんが保育園からだろう、連れて帰って

きたら、小さな車から次から次に降りてきて、どの子も『こんにちは!』と大きな声で

挨拶してくれた。

畑の仕上がりは、

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1週間前はこんな感じ。

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たった20㎡の草抜きをひーひー言いながらやって、荒れた未開の原野を開拓、

開墾した人たちのご苦労はいかばかりであったろうか、と思わざるを得なかった。

草取りの終わった翌日横須賀に帰ってきた。

娘の家の鍵、車の鍵の引渡しは予め話していた方法ですべて完了。

ひとつだけ、うっかりしていたことがあった。それは借りていた車を那覇空港まで

乗って行き、駐車場に車を預けるときになり、駐車券の引渡し方法を話して

いなかったことに気づいた。娘一家は翌日沖縄に帰ってくる予定。

すぐ娘のダンナに電話し相談。結局、ダンナが羽田まで駐車券を取りに来てくれる

ことで落着。

滞在中はずっと好天でラッキーだった。

真夏の沖縄、宿・レンタカー、タダでリゾート気分を楽しんだ10日間だった。

2011年8月29日 (月)

沖縄の娘宅へ(4)

まったり過ごした沖縄の10日間だったが、意外なこともあった。

カミサンのネット仲間に、福山雅治ファンのTさんがいる。カミサンも福山雅治ファン。

Tさんは福山雅治のファンクラブのメンバーで、8月の終わりに沖縄で福山雅治の

ライブがあると、カミサンはTさんから聞いていた。

思いがけず、8月後半、急きょ我々が沖縄に来ることになり、この話はふたりの間で

俄然盛り上がった。

ライブ会場である西原ビーチは娘宅から車で30分弱。

カミサンが『こんな機会はないので、どうしても行きたい』と言い出し、『であれば、

チケットが残っているかどうか会場に行って聞いてみよう』と、出かけたのが火曜日。

ライブは27日(土)と28日(日)の2日間。

会場で聞くと、『前売り券は完売、当日は17時開演だが、12時ころ来れば当日券が

買えるかも』との返事。

ということで、土曜日、12時半ころ再度会場へ行った。

会場に着いたら即カミサンはチケットを買いに走った。

ボクはまったく興味がなく、車の中で持ってきたおにぎり食べながら、待つこと20分。

カミサンがニコニコしながら、『買えた!』と言い戻ってきた。

そのあと運良く駐車場がひとつ空いていて、そこに停めて食事を終わらせ、

しばらく車の中に。

横須賀に帰る前日だったので、 ボクはいろいろ片付けがあり、一度家に帰った方が

いいと思い、ライブが終わったあと

迎えに来るときの待ち合わせ場所をCimg7612

決めて、ひとりで家に帰ることにした。

ライブ会場の近くにはきれいな

ビーチがあり、帰る前、海で30分

くらい泳いだ。 

カミサンは海辺の近くで5時まで

待っていたようだ。

ボクは翌日横須賀に帰るとき持って帰る野菜ほか買うために公設市場へ。

そのあと帰って畑の最後の草取り。

7時半すぎ会場に戻り、『着いた。約束の場所で待ってる』とケータイにメール。

終演に近い時間で、大いに盛り上がっていたようで、メールには返事なし。

最後に花火が上がり、フィナーレ。

30分以上車の中で待ってたら、カミサンはご機嫌で戻ってきた。

『楽しかったぁ。終わって飲んだビールが美味しかったぁ』

『アンコールで4曲も歌ってくれた』

『席の近くの人たちと仲良くなった。若い子ばかり。みんな遠くから来てた。

九州や四国から。明日ももう1回来ると言ってた。みんなどこへ泊まって

るんだろうねぇ』

『初めてで、たぶん最後の経験になるだろう。最高だった!』

カミサンは、まあ、マイペースでユニーク。

もともと福山ファンとは言え、臆することなく、若い人たちと一緒に盛り上がり

楽しめるおばさんは大したものだ。

2日間の入場者数は3万2千人とのこと。

海辺の野外に設営した会場に、日本全国からこれだけの人を呼ぶことができる

福山雅治、ってスゴイ!

2011年8月27日 (土)

沖縄の娘宅へ(3:沖縄戦)

娘宅が沖縄に居を構えたのは、ちょうど2年前。

『上の子が小学校に上がる2年後に帰ってくる』と言い移り住み、2年が経ったが、

子育て、生活、友だち・・・、いずれも恵まれた環境にあり、しばらくは帰って

きそうにない。

2年の間、我々夫婦は6~7回訪ね、娘夫婦同様、沖縄にはまった。

ただ、一般の観光地に興味があったのは、はじめのころだけで、最近は無縁。

ボクは沖縄戦、それに琉球の歴史・文化に惹かれる。

特に悲惨極まりない沖縄戦への想いが強く、来るたびにひとりで戦跡や記念碑を

観て回っている。

娘たちが住む本島南部地区には、特に激戦地だった場所が多い。

以前から行きたかった陸軍病院南風原

(はえばる)壕を今回初めて訪ねた。Cimg7647 

壕は沖縄ではガマと言い、娘の家から

歩いて行けるところにもひとつある。

沖縄戦の戦いが激しくなってきたのは

終戦の半年前の1945年3月。

45年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島

南部西海岸に上陸し、これをきっかけに

戦闘は一層熾烈、悲惨なものになっていった。

日本軍の一方的敗退で、6月25日、沖縄本島における組織的な戦闘は終了した。

本土防衛の捨て石となった沖縄はわずか3ヶ月足らずで焦土と化し、犠牲者は

一般住民4万人を含め、戦死者数はほぼ19万人。

その激戦の主戦場だった場所、住民が逃げ隠れた壕、病院跡、軍の司令部跡が

娘の住む家の近くに多くある。

陸軍病院のあった南風原の村民の44%が命を落としたことを知り、愕然とした。

陸軍病院南風原壕を管理する南風原文化センターも、南風原の沖縄戦、戦後の

ゼロからの再建、移民、人々の暮らし、など幅広いジャンルで展示説明がしてあり

壕と文化センターに、2時から5時まで3時間いた。

陸軍病院南風原壕は、沖縄に来る人には是非訪ねてもらいたい場所である。

一昨日はほかの沖縄戦関連場所も訪ねた。

娘の家から8kmのところにある糸満市も沖縄戦の激戦地だった。

ひめゆりの塔、平和の礎、いずれも糸満市にある。

ひめゆりの塔を初めて訪れたときには涙が止まらなかった。

海を望む場所にひっそり建てられた沖縄戦犠牲者を祀る碑。

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師範学校生の英霊を祀る健児の塔。そばに建てられた石碑に書かれたことばは

『石塔にきざまれし名をまさぐりて泣き入る親の一人なり我も』

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帰り道、久しぶりに平和の礎(いしじ)を訪ねた。

夕方だったため、ほとんど人がいない中、時間をかけてゆっくり歩いた。

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月並みではあるが、心底、平和の大切さを想い、恒久平和を願い、訪ねた先

すべてで、そのことを祈念するとともに、犠牲になられた方々の御霊に真を捧げた。

2011年8月25日 (木)

沖縄の娘宅へ(2)

着いた翌日、カミサンが『お昼は奥武島(おおじま)に行ってテンプラ食べない』と言い、

娘宅から車で10分少々の奥武島に出かけた。

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陸続きになった島への橋を渡り、島に入ってすぐのところに、いかにも沖縄の店

という雰囲気の人気のてんぷら屋がある。沖縄のてんぷらは揚げ物という感じ。

この店はガイドブックに紹介されているようで、いつも客が絶えない。

車の多くは”わ”ナンバーのレンタカー。

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野菜や魚、もずくのてんぷら、それに

おにぎりを買い、海沿いの漁師さんのCimg7594 

休憩所を貸してもらい食べた。

そばで小さいイカを干していて

美味しそうだったので、これも買い

夜あぶって食べた。

この日の夕方、集落のスピーカーで

翌日、市の文化センター(シュガー

ホール)でフリーマーケット(フリマ)があるとの告知があった。

ここでは主なる知らせは、すべてこの町内スピーカーで流される。

『明日の給食はお休みです。お弁当を持たせてください』との放送には笑えた。

翌日フリマを見に行ったが、残念ながらちょうど終わったところだった。

娘もフリマにはよく出店しているようで、最近姉孫が『いらっしゃい、いらっしゃい』

が言えるようになり、フリマでお金を覚えたと話していた。

シュガーホールには図書館があり、孫たちが本を借りるのに何度か連れてきた

ことがある。ホールの正面に見える、知念岬につながる山並みが好きだ。

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2011年8月23日 (火)

沖縄の娘宅へ(1)

娘一家は、息子の法要のあと、ダンナがこの時期毎年恒例にしている2週間休暇を

とって、家族で北海道旅行に出かけた。

娘が我が家に来たとき、『よかったら私たちがいないとき、沖縄に行かない。部屋の

風通しや、子供たちが病院通いだったためバタバタして出てきたので、冷蔵庫の中も

気になるし』と話し、カミサンと『それじゃ行こうか』と、急きょ沖縄行きを決めた。

来たのは、先週金曜日。何度も来ているので、特別やりたいこと、行きたいところも

なく、毎日まったり過ごしている。

娘の家は、那覇空港から車で南へ30分くらいの沖縄本島南部の南城市の高台に

あるアパート。

リーフになった海が遠望でき、家の前はさとうきび畑、5年くらい前までは大字のつく

村だったところで、和める田舎。

車で那覇方面に出かけ、近くに帰ってきたらホッとする。

ベランダから見える景色が大好きで、一日何度見ても飽きない。

海の上にかかる絶えず変化する雲も大好き。

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カメラを望遠にすると、リーフのあたりが望める。

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ここの家賃は格安。3LDKで2台分の駐車場がついて、各部屋に畑がついている。

娘家族からタダで部屋と車を借りているので、いる間に何か役に立つことをやりたいと

思い、畑の草取りをすることにした。

以前は娘たちがいろいろ野菜を植えて収穫を楽しんでいた、4mX5mの畑は今や

草ぼうぼう。

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一昨日と今日、2日間やったが、まだ半分しか終わらない。

暑いところなので、育つのが早いし、雑草魂が旺盛な気がする。

生えてこないよう、スコップで根っこから抜いているが、どうしても根が残るため、

根絶はムリ。

ベランダに置いてあった姉孫の夏休みの宿題(?)の朝顔に種がついていて、

カミサンが同じ植木鉢に植えたら3日で双葉が出たとビックリしていた。朝顔ですら

スゴイ成長スピード。

昼間は暑いので、草取りは夕方しかできない。

やっていたら、同じアパートに住んでいるという人が通りかかり『何か植えるんですか?

いくら草取りしても生えてくるので、ウチはあきらめました』

たしかに周りの区分畑にもほとんど何も植わっていない。

今週末までいる予定なので、草取りは全部終わると思うものの、この場所での植え付け

収穫は簡単ではなさそうだ。

2011年8月20日 (土)

初めての訪問

娘のダンナのお父さんの体調が芳しくなく、月曜日、娘一家と一緒に義父のご機嫌

うかがいを兼ねて、義母のアレンジしてくれた食事会に出かけた。

待ち合わせ場所は、埼玉の越谷レイクタウン。

当日朝、娘は別件があり、一足早く出かけ、ボクが孫たちふたりを連れて越谷まで。

なじみのまったくない場所で、娘のダンナから聞いていたルートで電車を3回乗り換え

2時間半かけて、やっとたどりついた。

孫たちふたりには娘が用意していた本を持たせ、ずっと座れたこともあり、道中特に

問題はなかった。

久しぶりにお会いしたボクより10歳年上のお義父さんはやせていて、いくぶん元気が

なかった。食も細くなっていた。

最近の体調、受けている診療について細かく話してくださった。

会食が終わったあと、お宅を訪ねた。

娘たちは結婚して8年。会食の機会はあったものの、考えてみると、これまで

お互いの家を訪ねたことはなかった。

『嫁いだお宅を一度もお訪ねしたことがなくて』と言うと『今は家と家じゃないですから』

とお義父さんから返事があった。

お義父さんはかつて某省に勤めていて、要職にあったことはもちろん知っていた。

あわせて、2年前の春の叙勲で褒章を受けたことを新聞で知り、お祝いの電話を

したことがある。

お宅を訪ねる前、110815_1357391 

『ぜひ勲章を見せてください』

と話し、行くとすぐ見せていただいた。

瑞宝中綬章、かつての勲三等瑞宝章。

あらためてネットで検索すると、

『瑞宝中綬章は内部部局の長の職を

務め、多大な貢献をした者に与えられる』

と書かれていた。

自慢めいた話をする人ではなく

『受勲できたのはラッキーだったんですよ』

と言われた。

ただ、当時担当していた仕事の話をよくよく聞くと、技術屋として、国家の一大事の

一端を担っていたことがあったのだということが、うかがい知れた。

お義父さんの体調を考え、娘夫婦とともに早めにお宅をあとにした。

2011年8月17日 (水)

息子の十七回忌

当時23歳だった息子が亡くなり、今年は16年目。

6月に、墓のある郷里の倉敷で親族が集まり、十七回忌を行った。

それとともに、横須賀の自宅近くのお寺さんに小さな墓所を求め、十七回忌のあと

息子を横須賀に連れてきた。

幸い良いお寺さんにめぐり会え、Cimg7580 

我が家から歩いて20分少々の

ところで場所的にも恵まれていて

申し分ないところに墓を求める

ことができた。

お盆の日曜日、息子の仲間たちに

集まってもらい、開眼納骨法要を

執り行った。

集まってくれた仲間は、13人。

毎年、7月の命日近くに我が家に集まって、わいわいやってくれる子たち。

みんなアラフォー、もう子たちとは言えない歳。

女性のひとりは愛知の豊田からわざわざ来てくださった。

みんな仕事でも家庭でも中心となり、忙しい毎日を送っている。

今回、ふたつのグループが初めて顔を合わせた。ひとつは高校3年生の仲間たち、

もうひとつは、たった3ヶ月のお付き合いに終わった同期入社の仲間たち。

長い時間が経っているにもかかわらず、毎年我が家に寄ってくれて、我々家族に

とっては、何ごとにもかえがたいうれしいことである。

当日は4時半から本堂で法要。そのあと墓前で皆さんに線香を上げていただいた。

終わったあと、かに専門の店、甲羅へ移動し、会食。

2時間の制限時間をオーバーし、盛り上がった。

みんなに、それぞれの近況、それと『豪(息子の名前)と言えば、思い出すこと』を

話してもらった。破天荒だったあの子の、我々の知らない話がどんどん出てきた。

会食が終わったあと、我が家に

場所を移し、二次会。Cimg7577 

都合があるふたりが帰り、残った

11人プラス我が家の5人。

狭い中、車座になり、飲み直し。

2日前に高校の仲間の女性たちが

贈ってくださったお花、それに大学

時代の友だちで、今は家族で青森に

住む女性が贈ってくださったお酒。

『終電がヤバイ』、『来年も来ますから、よろしく』と言いながら、みんなが帰って

いったのは11時半近かった。

6月の倉敷での十七回忌、日曜日の開眼納骨法要、これでひとつの区切りが

ついたとの思いである。

息子も大好きだった横須賀に戻ってきて、きっと喜んでいることだろう。

2011年8月14日 (日)

姉孫復調

月曜日に帰省して以来、37度台の熱が続いていた姉孫が、

昨日から熱が下がり、蕁麻疹も引き、Cimg7565_2

復調した。

妹孫も、とびひと診断され、発疹が出ていたが、

こちらもほぼ治まった。

それとともに、ふたりの動きが活発に。

ボクの妹が送ってきてくれた

おそろいのTシャツが気に入ったよう。

孫たちはカミサンと一緒にゼリー作りに

チャレンジ。

美味しい出来上がりを、みんなで   Cimg7571

楽しんだ。

娘が長い間ケーキをつくり、パンを

焼いているので、それを見て育った

子どもたちの手つきは悪くない。

今日は娘が近くの市営プールに

ふたりを連れて行った。

3時間近く遊び、かなり疲れたようで、帰ってぐっすり昼寝をしていた。

   Cimg7572_2    Cimg7576

夜はお盆の迎え火を焚き、子どもたちは2日続けて花火に興じた。

2011年8月11日 (木)

娘たちの帰省

月曜日、娘がふたりの子どもたちを連れて、沖縄から1年ぶりに帰省した。

姉孫は今年から小学生で間もなく7歳。妹孫は幼稚園で3歳半。

これまで病気らしい病気をほとんどしたことのない姉孫が、先月中ころから調子が

悪くなり、3日間入院し、学校も5日間休み、やっと終業式に出られ、初めての

通信簿をもらったそうだ。

いぜんとして体調が完全に復調していない中での帰省。

蕁麻疹と診断されていて、帰ってきてずっと全身を掻き、熱が下がらなかったが

今日午後、やっと調子が戻ってきて、ホッとしている。

そんな中、1年ぶりの帰省なので、以前住んでいた横浜のママ友がみんなで集まって

くれて、帰ってきた翌日、娘は子どもたちを連れて、暑い中出かけていった。

その後も姉孫は元気がなく、本来であれば近くの市営プールに毎日のように泳ぎに

いくのに、まったくその雰囲気にならず、娘から『ビデオを借りてきてやって』と言われ

姉孫のリクエストでディズニーとどらえもんのビデオを借りてきて家でゆっくり。

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今日は、ずっと家にいていくぶんフラストレーション気味の妹孫を連れて、カミサンと

3人で出かけた。

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姉孫は午後やっと調子が戻ってきた。

娘たちの滞在はパパが出張から帰ってくるまでの1週間の予定。

既に半分が過ぎた。たぶん残りの数日も姉孫はムリをさせられないため、今年は

おとなしく過ごす帰省になりそうだ。

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2011年8月 9日 (火)

犯罪被害者団体ネットワーク

犯罪被害者団体ネットワークの事務局のお手伝いをしていることは何度かブログに

書いた。

全国の犯罪被害者自助組織がゆるやかな連携をとっていくことを目指し、8年前に

できたネットワークである。ボクは3年前から事務局メンバーとして参加している。

毎年11月に国が主導して行われる犯罪被害者週間に合わせ全国大会を行ってきた。

その準備のため、全国から中心メンバーが集まり、土曜日午後実行委員会を行った。

それぞれの団体は全国各地で被害者が、お金も場所も支援もない中、立ち上げた

自助組織であるため、ままならぬ状況の中で活動を続けている。

メンバーは、交通事故や殺人の遺族、性犯罪被害者、いじめによる殺人遺族など

さまざまである。

全国の自助組織はいずれも、同じような経験をした人たちが集まり、互いに支援して

いこうとの思いで立ち上げた組織である。

それら自助組織の横連携を目指した犯罪被害者団体ネットワークは、活動費用を

日本財団、救援基金など支援組織から助成を受け、これまで活動を続けてきた。

ところが今年度から支援組織からの助成がほとんど期待できなくなった。

そのような状況の中、11月の全国大会をどのような形で開催、運営するかが、

今回のメインテーマだった。

開催を続けていく上で、ポイントは限られている。

①会場費用、旅費、宿泊費のうち、まかなえないものは自己負担にしていくこと、

②それでも参加してもらえる催しにするには、2日間の大会の中身はどうあれば

 よいか。

③今後の犯罪被害者団体ネットワークのありようは、どう考えるか。

25名くらいの出席者の議論は伯仲した。

「全員参加型」の催しにすること、「寄り添う」意識を前面に出すこと、「思いを語る」

時間を十分にとること、「初めて参加する人」には手厚い配慮をすること、

「参加後のアンケート」にはストレートに意見を書いてもらうこと、など

1時から5時まで議論し、かなり焦点が絞られてきて、今後の準備活動の方向が

定まってきた。

終わったあと、10人くらいでやった懇親会も大いに盛り上がった。

2011年8月 8日 (月)

お悔やみ

2週間くらい前テニスコートに仲間のSさんの訃報が掲示されているのを見てびっくり。

昨日自宅にお悔やみに行ってきた。

Sさんの奥さんも古くからのテニス仲間。

Sさんは、亡くなった7月14日の2日前もテニスに行っていたとのことで、長い間ガンを

患ってはいたものの、亡くなったのは突然だったとのこと。

Sさんはボクより4歳若い。もちろん、まだまだこれからご夫婦でいっぱい楽しめたはず。

大腸にガンが見つかったのは10年近く前で、最後は膵臓に転移したとのこと。

膵臓ガンは発見が極めて難しいガンで、見つかったときには手の施しようがない

ケースが珍しくない。Sさんは死期が近いことは悟っていたようで、奥さんが『これ見て

くれる』と言いながら、最期を覚悟した短い手記、それに延命処置を望まないと記した

ペーパーを見せてくださった。

Sさんはテニスが上手く、多くの回数対戦したが、勝った記憶はほとんどない。

いつも巧妙にやられていた。

コートでの会話の中で、Sさんはほとんど病気のことを話すことはなく、最近は子供さん

たちの様子、それにお墓のことを話していたのを思い出す。

ご夫婦仲は大変良かった。まさにおしどり夫婦だった。

それだけに遺された奥さんが心配だったが、『子どもたちも近くにいるし、介護の仕事を

一生懸命やって、仲間に助けてもらいながら頑張るよ』と聞き、ちょっとホッとした。

葬儀はご本人の希望で家族葬で執り行ったとのこと。

最近家族葬はまったく珍しくなくなった。

カミサンと『我々もゼッタイ家族葬にしよう』と話している。

結局、1時間半近くお邪魔していた。

2011年8月 5日 (金)

夏色の海

我が家の裏は、道を隔てて20メートル先は海。

津波がきたら、おしまい。

津波でなくても、埋立地なので液状化は免れそうにない。

そんな立地ではあるが、2階のダイニングからは海が見え、道沿いには

ヤシの木が植えられていて、特に夏は最高のロケーション。

車で5分走れば、海水浴場もある。

今朝は久しぶりに夏を感じる陽気だったので、裏の遊歩道をぶらぶら歩いた。

遊歩道は端から端まで1.6キロ。

往復すれば3キロを超え、歩くには格好の散歩コース。

今朝はこの時期にふさわしい日差しで、雲も夏の雲だった。

房総半島が遠望できる。

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下の写真の島は、東京湾唯一の島、猿島。

無人の島で、渡船で行き来する。夏は多くの人でにぎわう。

猿島の左は米軍横須賀基地。

原子力潜水艦ジョージワシントンの寄港地である。

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夕暮れの景色もよかった。

夕陽に映える空と雲の色がすばらしかった。

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2011年8月 1日 (月)

岩手から帰宅

昨夜8時半、4日間過ごした岩手から戻ってきた。

昨日も午前中、仮設住宅にお邪魔して、集まりをやった。

仮設住宅に行く途中、目にした光景。

土台だけ残った家の跡。建物はすべてがれきとして処理されてしまったのだ。

住んでいたご家族は、家族の大切な思い出を探し出すことができたのだろうか。

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たくさんの車がこのような形で放置されているのを、あちこちで目にした。見るたびに

乗っていた人はどうなったのだろうか、と思わざるを得なかった。

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午前中の集まりでお邪魔した仮設住宅の掲示板に、復興の誓いが書かれていた。

復興を心より祈念しながら読ませていただいた。

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ここでも参加者は全員シニアの女性。

この仮設住宅では初めて会合で  Cimg7527

あったが、12名の方々に参加して

いただいた。小さな集落なので

もちろん皆さん顔見知り。

和やかな雰囲気の中、アメリカン

フラワーの作品が出来上がった。

終わったあと、場所を移し、高台の

展望台に案内してもらった。3日間通った震災地、陸前高田の海岸線が臨める

場所。この地域は広田半島という半島にあり、前方は広田湾。静かなこの湾を

津波が襲ってきて町は壊滅した。手前に一部復旧したカキの養殖いかだが見える。

写真にうまく写っていなくて残念。

Cimg7529 

息子の友だちのMくんのおかげで、被災者の皆さんの厳しい状況を自らの目と耳で

体感でき、『現地に行って何かしたい』と、震災以来思っていた願いが叶った。

家に帰って、自分のふとんで寝、カミサンの作ってくれた食事を食べることができ、

被災地の人たちに申し訳ないと思う気持ちとともに、自らの幸せを心から感じる。

また機会があって行くとしたら冬にしたい。被災者の皆さんにとって、今年は格別

厳しい冬になることは目に見えているので。

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