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2011年2月

2011年2月28日 (月)

飲酒運転撲滅(その2)

金曜日のブログに、大切な仲間を飲酒運転の加害者に殺された福岡の高校生たちが

はじめた飲酒運転撲滅のチェーンメールのことを紹介した。

今朝の朝日新聞に、亡くなった高校生のお父さんが昨日開催された東京マラソンの

車いすの部に出場され、傷心の中、みごと3位に入賞されたことが報じられていた。

http://www.asahi.com/national/update/0227/TKY201102270473.html

飲酒運転はゼッタイ撲滅しなければならないとの思いが一層つのった。

2011年2月27日 (日)

選挙事務所開き

火曜日夜から熱海に来ている。

カミサンを誘ったが、『行かない』と言い、今回もひとりで。

郵便受けに、静岡県議会議員の橋本一実さんの事務所開き案内のハガキが

入っていた。

5年くらい前から応援している橋本さんのことはブログに何度も書いたことがある。

もともと熱海の市議会議員だった橋本さんは、去年10月、静岡県議会議員に

初当選し、4月にある統一地方選挙で再選を目指している。

今朝行われた事務所の開所式に参加した。

10時から神事。このような儀式に参加するのは初めてで、まさに神事であった。

来宮神社の宮司さんのみことのあと参列者が玉串を捧げた。

神事が終わったあと、事務所の前で関係者の挨拶があり、最後に橋本さんから

お礼の挨拶と決意表明が行われ、参加者全員で再選を祈念した。

Pic1 Pic2 

橋本さんの強い信念、真面目さ、積極性、行動力には、初めてお会いしたとき以来

惹かれるものがあった。

今朝の挨拶でも、地元のこと、住民のことを思う気持ちがひしひしと伝わってきた。

国勢調査の速報で、熱海の人口が4万人を割り込んだと、昨日の地元の新聞が

伝えていた。1年間に生まれる赤ちゃんの数も200人だそうだ。高齢化率も

極めて高い。財政、観光、経済いずれも課題山積の熱海である。

橋本さんは県政の場で、熱海とのパイプ役として、必ずや市民の生活を守る活動に

尽力されるものと確信する。

齊藤市長にもお会いした。昨年9月の市長選挙以来である。

金曜日、熱海市議会3月定例会が開会し、齊藤市長が11年度の施政方針表明を

されたことを熱海新聞で知った。事前に知っていれば傍聴したのに、残念であった。

齊藤さんにはその旨話し、『4年半やってこられたことが着実に実を結び、当初から

言われていた熱海の魅力を全国に発信するシティプロモーションにいよいよ着手

できるようになりましたね』と話した。

2011年2月25日 (金)

飲酒運転撲滅

以下は、昨日知り合いから届いた飲酒運転撲滅を訴えるメール。

  2月9日の深夜に起きた福岡の高校1年生が飲酒運転の車にはねられ

  2人が亡くなった事件で、中学時代の同級生が飲酒運転撲滅に向けて

  何かしたいとの思いを伝える下記のチェーンメールを送り続けています。 

  悲惨な事件事故が多い中、ほんとに、心が暖かくなる事です。

  飲酒に限らず、交通犯罪に限らず、全ての理不尽な事件事故には必ず、

  被害者当人、被害者遺族以外にも悲しむ人が居る。

  たった一人の加害者の為に何十人、何百人、何千人の被害者が出る事を、

  これで認識してもらえるかと思います。

  お知り合いの方、あるいはブログ等で、亡くなった高校生の同級生の想いを

  伝えて頂ければ、うれしいです。

      ~~~~~~~   ~~~~~~~   ~~~~~~~     

飲酒運転撲滅チェーンメールです。是非読んで下さい

みなさんこんばんは。

私たちは多々良中央中学校の第35期生です。

私たちは大事な友達を大人の勝手なわがままで亡くしました。

ほんとに悔しいです。悲しいです。

寛大の命返せって言ってやりたいです。

でも今寛大の願いは私たちが元気に笑っていられることだと思います。

今日(2月12日)はお葬式でした。

地元が一緒だった全員が参加し、涙し、悔やみ…そんなお葬式でした。

できることならもう1度寛大に会いたい、そんな願いです。

電話してもメールしても寛大から返事はありません。

寛大は私たちの笑顔を見ることが何よりの支えになると思います。

今私たちができることは寛大のために飲酒運転撲滅を呼び掛けること。

それくらいです。

これで寛大の力になれるのかは分からないけど、このメールをできるだけ

たくさんの人に回していただけたら光栄です。

私たちの大好きな寛大の死を決して無駄にはさせません。

呼び掛けよろしくお願いします。

多々良中央35期生  高校1年生。一同。

2011年2月23日 (水)

えー、あのクライストチャーチで!

昨日、今日、ニュージーランドのクライストチャーチで起きた激震の様子がテレビの

トップニュースで報じられている。

思い出深いクライストチャーチ、カミサンと心配しながらずっとニュースを観た。

ニュージーランドにカミサンと旅行したのは、3年少々前の07年11~12月、2週間。

ニュージーランドは定年前、退職したらゼッタイに行きたいと思っていたところ。

行くならツアーじゃなく、自分で旅程を立てて、しかも多くの人たちと出会える旅に

したいと考えていた。

そのため泊まるのは、日本の民宿にあたる、ベッド&ブレックファストにしようと

決めていた。

2週間の間、泊まったベッド&ブレックファスト(B&B)は10ヵ所。

ほとんどのB&Bは1泊だったが、ゆっくり観て歩きたいと思ったクライストチャーチ

では3泊した。

あの思い出の多いクライストチャーチ、しかも泊まったB&Bから毎日歩いて行った

街の中心が大変な被害にあったと知り、心が痛む。

カミサンは『あのB&Bのお母さんと息子は大丈夫だろうか?』と。

地震発生からまる一日以上が過ぎた。

先ほどのニュースでは、富山ほかの語学学校の生徒のうち、まだ23人と連絡が

取れないとのこと。

クライストチャーチのランドマークである大聖堂の尖塔が崩壊したとのニュースは

特にショックだった。

ガーデンシティと呼ばれるクライストチャーチを代表するすばらしい公園、ハグレー

公園には被災した人たちがたくさん集まっているとのこと。

同規模の直下型地震が東京を襲ったとしたら、どうなるだろうかと誰もが考える。

大変な時間がかかることと思うが、あの憧れの街、クライストチャーチが元の

クライストチャーチに戻ることを心から待ち望む。

旅行後、休み休みほぼ2ヶ月かけて書いた旅行記のブログのうち、以下は

クライストチャーチ関連。

http://tak05.cocolog-nifty.com/banzai/2007/12/post-aeb2.html

http://tak05.cocolog-nifty.com/banzai/2008/01/post_c214.html

http://tak05.cocolog-nifty.com/banzai/2008/01/post_b283.html

2011年2月18日 (金)

映画「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男」

評を見て、面白そうだと思い、観た作品。

gooポイントが83ということは、観た人の評価も高い。

太平洋戦争の激戦地サイパン島で、わずか47人の兵力で4万5,000人もの

アメリカ軍を翻弄し続け、敵軍から畏れられた実在の日本人兵士、大場栄大尉の

実話をもとにした戦争ドラマ。

その粘り強さと類まれな統率力から、アメリカ軍にフォックス”と恐れられた大尉が

みごとに描かれていた。

全編、タイとサイパン島で撮影されたそうで、戦闘シーンは鬼気迫るものがあった。

食料に困窮してくると民間人たち全員をアメリカ軍に投降させた。そして兵士たちは

その後も8ヶ月、森の中に潜んだ末、最後は生き残った兵士たちがきちんと並んで

アメリカ軍に投降した。投降した場面では思わず涙した。

沖縄や旧満州での戦争末期の戦いでは、日本軍は民間人の安全を図らず、軽んじた

ことが厳しく批判されてきた。サイパンでの敗残兵たちの行動は、こういう日本兵も

いたのだと安堵させる。

テーマからしてか、観客の大半はシニア。女性客が多かったのは意外。

極めて月並みなコメントではあるが、戦争がいかに愚かなものであるかを、最初から

最後までずっと考えさせられながら観た映画だった。

以下、ネットに掲載された作品のあらすじ。

  ~~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~

太平洋戦争末期。1944年6月。陸軍歩兵第18連隊、大場栄大尉(竹野内豊)は、

日本から2000キロ余り離れた北マリアナ諸島サイパン島へ送られる。

当時日本の統治下にあったこの島は軍司拠点としても重要な位置を占めており、

島を死守することが大場たち日本陸軍43師団守備隊に課せられた最大の使命

だった。

だが、この時点で既に日本の劣勢は明らかになりつつあり、サイパン島でも

圧倒的な兵器・兵力差のもと、日本軍はアメリカ軍の上陸を簡単に許してしまう。

サイパン守備隊幹部は日本軍玉砕命令の後自決。アメリカ軍の捕虜となることを

恐れた民間人が次々と崖から飛び降り自殺する悲惨な事態へと発展する。

そんな中、玉砕命令を受けた大場隊も突撃、次々と戦死を遂げていく。

しかし、アメリカ軍に囲まれた大場は玉砕を覚悟していたにも拘らず、思わず

死体の中にうずくまり隠れ、戦闘の中で自分の“生”への執着心を心ならずも

知ることになる。

そして、両親を殺され放り出されていた赤ん坊を救い、“生きる”ということを

強く実感、もともとは地理の教師でもあった彼の人望を慕い、上官を失った兵士や

民間人たちが次々と集ってくるのだった。

その後、軍から離れ戦うやくざ者の一等兵、堀内(唐沢寿明)と共同戦線を張り、

サイパン島中部にそびえる最高峰タッポーチョ山に潜み、アメリカ軍への抵抗を

続けていく。

一方、サイパン島占領宣言を行ったアメリカ海兵隊の中で、日本への留学経験の

あるハーマン・ルイス(ショーン・マクゴーウァン)は、一抹の不安を感じていた。

やがて彼らは、粘り強く戦い続けるたった一つの部隊に翻弄されていることを知り、

その神出鬼没の部隊を統率する仕官を畏敬の念を込めて“フォックス”と呼ぶように

なっていく。

大場隊とアメリカ軍の戦いは続き、フォックスの存在に業を煮やした上層部が遂に

大掃討作戦を敢行。アメリカ軍を翻弄し続けるフォックスに対し、ルイスは彼を

死なせたくないと焦燥する……。

2011年2月16日 (水)

キュリオステーション

久しぶりにパソコン教室、キュリオステーションの話を。

フランチャイズ・パソコンスクール”キュリオステーション”のオーナーと知り合ったのが

縁で、横須賀に教室を開いたのは、定年退職する半年前。もう7年前になる。

今ではキュリオステーションの教室は全国で130を超えているが、当時横須賀教室は

たしか6番目だった。

日々の教室運営は本部に委託し、本部から派遣された店長が行っている。

今の店長のUくんは7代目。歴代いい店長に恵まれている。

中でも、去年4月からやってくれているUくんは安心して任せられる。

Uくんは接客業の経験がなく、最初は戸惑い気味なところもあったが、じっくり真面目に

取り組むタイプで、徐々に自信をつけてきたようで、今ではまったく心配ない。

本部委託型の教室の中で、月次売上げトップになることがUくんの目標。

今年はきっと目標達成することと期待している。

Uくんに加えて、昨年秋からパートの女性アシスタントのOさんに入ってもらった。

Oさんは4年くらい通っていた元生徒さん。

Oさんに入ってもらってから教室の雰囲気が一層明るく和やかになってきた。

運営を任せているので、ボクが教室に行くのは月に数度。

教室は4時から5時までが休み時間で、Uくんに弁当を買って休み時間に行くことに

している。

昨日行ったら、ちょうど4時までの生徒さんが終わったところだった。長い間通って

きてくださっているシニアの男性4人組に久しぶりに会った。

会うといきなり、『久しぶりだなぁ、元気?カゼ引いてない?』と声をかけられた。

おひとりは今年86歳になるWさん。週に2~3度、ノートパソコンを持って元気に

通ってこられている。スゴイことだ!

『頭に入ったと思ったら、次にきたときは忘れてて、その繰り返しですよ』と、明るく

笑いながら話されていた。

教室の一角を使ってやっている、Photo06

生徒さんの創作物を展示し売買の

お手伝いをするレンタルボックスの

商品が入れ替わっていた。

プリザーブド・フラワーとペット

ボトルの布製保温ケースが新しく

並んでいた。

店長のUくんのお手伝いで、時々チラシのポスティングをしている。

ポスティングは、特に冬は暖まりいい運動になる。

ただ、ポスティングはほとんど反応がない。先週3日間、集合住宅を中心に合計

1100枚撒いたが、問い合わせはゼロ。

我が家もそうだが、ポストに入れられたチラシはほとんど見ることなく、多くの家で

そのまま捨てられているのだろう。

いずれにしても教室は近くに行ったときぶらりと寄れる、ボクにとっては心地よい場所。

2011年2月14日 (月)

画期的な判決

知り合いのご家族が遭遇した、泥酔した運転者の車が計9人を死傷させた交通事故の

裁判員裁判を傍聴したことは先日のブログに書いた。

今朝、さいたま地裁で危険運転致死傷の幇助(ほうじょ)の罪に問われた同乗者2人に

対する判決が言い渡された。

どうしても傍聴したく、11時の裁判に間に合うよう8時半に家を出た。

きっと傍聴者が多く、抽選になるのでないかと思い、10時半過ぎには裁判所に着ける

よう早めに出た。

ところが電車が遅れ、裁判所に着いたら10時45分。抽選は10時40分に終わって

いて、残念ながら間に合わず、傍聴の機会を逸した。

法廷に入れず、やはり抽選に外れた知り合いの女性ふたりと閉廷まで待合所で

待機。マスメディアの関係者も多く来ていたが、彼らの中にも抽選に外れた人たちが

いて、一緒に裁判が終わるのを待った。

11時過ぎ傍聴していたマスメディア関係者が待合所に飛び込んできて、一報が入る。

『被告ふたり、懲役2年の実刑判決!』

第一印象は、検察の求刑が懲役8年だったため、少々失望。

しかし、泥酔運転を黙認した同乗者に実刑が下されるのは、極めて異例で画期的。

飲酒運転を承知し運転させた同乗者に重い刑事責任を科す重要な前例になることは

間違いない。

被告側は控訴するものと思われるが、市民感覚で裁いた裁判員裁判の判決を

高裁が覆すとは考えたくない。

「同乗者も同罪」が社会通念として定着することを切に願うとともに、もうこれ以上

類似の悲惨な飲酒運転死亡事故が起きないことを心から願う。

朝日新聞夕刊記事はこちら

2011年2月13日 (日)

娘と孫たち沖縄から

寒さ真っ盛りの中、娘と孫たちが3連休を利用して沖縄から来た。

土曜日、お昼を一緒にと娘から誘いがあり、雪の降る寒い中、久しぶりに孫たちに

会えるのを楽しみに、ルンルン気分で、待ち合わせ場所の川崎ラゾーナに出かけた。

川崎ラゾーナに行くのは初めて。川崎駅裏にあった東芝工場の跡地を再開発して

3年前くらい前にできたショッピング・エンタテイメントプラザ。

最近あちこちにできる類似の新しい施設はみんな聞きなれないカタカナのため、

覚えられない。

広い施設なので、娘とケータイで連絡を取り合いながら探す。

いた、いたsign03

孫たちに会うのは10月以来だから、3ヶ月半ぶり。

姉孫は6歳半、4月から小学生。妹孫は来月3歳に。

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『おなかがすいた~。ラーメン食べたい』との姉孫のリクエストで、中華のお店へ。

3連休で寒いためか、どこも子ども連れのファミリーでいっぱい。しばらく順番を待った。

3ヶ月半の間にふたりとも変わっていた。

姉孫は甘え上手に。『抱き抱きして、ぎゅーして』。こちらがメロメロになる勘所を

よくわきまえてきた。もうあと数年間は相手にしてくれるだろうか。。。

妹孫はママママ症候群で、ちょっと反抗期っぽい。しばらく前におむつがとれて、

お姉ちゃんパンツになったのが自慢。

食事のあとはゲームセンターへ。ここも子どもたちでごった返し。

Cimg6963_2 

買い物したレシートを見せれば無料で

アイスつかみ取りのマシンができ、       Cimg6964

姉孫はアイスを2個ゲットし、大喜び。

そのあと、キッズパークへ。

まあ、子どもたちは元気。

ボクは久しぶりの雑踏の中疲れて、

待合所の椅子に座り、うとうと。

昨夜は仕事が休みのパパの誘いで

昔からの彼の行きつけの店、横浜天王町の”とがし”で、みんなでワイワイ食事した。

久しぶりに行く我々のため、マスターがいろいろ準備してくれていて、美味しいものを

いっぱいいただいた。

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ちょうど4日後がカミサンの誕生日。

カミサンは孫たちからハッピーバースディカードをもらった。

妹孫は顔らしきものが描けるようになっていた。ななちゃんはカミサンの愛称。

Cimg6992_3 

ボクはバースディカードの代わりに

妹孫からチューをもらった。Cimg6986_3

娘夫婦の飲み仲間もいて、マスターと

奥さん含め、9時過ぎまでみんなで

盛り上がった。

孫たちとは横浜駅でバイバイ。

娘と孫たちは月曜日沖縄に帰る予定。

2011年2月 9日 (水)

ヨコスカをよくする会

先々週の日曜日開催された「ヨコスカをよくする会」の総会&交流集会に参加した。

当会の主宰は、2年前の横須賀市長選挙で応援し、残念ながら敗れた呉東正彦さん。

市長選挙をきっかけに出来た組織で、市民の目線に立った活動を行っている

グループである。

ただ、ボクは会員にはなっているものの、実質的な活動にはほとんど参加していない。

会合の中心議題は、昨年10月に行われた市の事業仕分けに対する評価と意見交換。

出された意見は、総じて酷評。

  ※ 行政サービスの利用者である市民が参加、介入する余地が全くなかった。

  ※ 仕分け人は市の実情に知識のない外部のシンクタンク。

  ※ 市の担当職員のプレゼン能力は稚拙であった。

  ※ 一番の不満は仕分け対象事業の選び出し過程が不明瞭であったこと。

  ※ 選ばれた事業には、市の財政を圧迫している”ハコモノ”が含まれていない。

  ※ 40事業の中には福祉と子供関連が16あり、これらの分野の切捨て、

    コストカットをすることが市の狙いだったのではないか。

    ※ 「大なた」を振るうべきであって(市の赤字の根源である事業への切り込み)、

     市民の日々の生活に直接影響を与える事業をカットする「小なた」振るいは

     やめるべき。  

  ※ 市民自治を重んじるべきであり、外部の人たちの関わりは必要ない。

  ※ 今回誰もが初めての経験であったため、その部分は割り引いて考える

    必要がある。今年やる場合は、昨年の経験と反省を活かし、現場の実情に

    即した市民参加のあり方を提案していく。

今年の年間活動予定が紹介された。

吉田現市政には是々非々で望み、7月には現市政2周年の市民評価をすることが

決まった。

会が発足し、ちょうど1年。活動が徐々に地についてきた感じである。

ただ、会の運営費用は会員および協力者のカンパに依存しているため、活動は

ボランティアに頼らざるを得ないのが実情である。

終了後、カンパさせていただき会場をあとにした。

2011年2月 5日 (土)

裁判員裁判傍聴

月曜日、初めて裁判員裁判を傍聴した。

3年前、知り合いのご家族が遭遇した大変悲惨で酷い交通事故裁判。

ご両親が即死、ふたりの成人した兄妹は後遺障害の残る重症で、兄は車椅子。

飲酒運転の加害者は危険運転致死罪で、懲役16年の刑で服役中。

この日の裁判は一緒に酒を飲んだあと、加害者の飲酒運転を止めることなく、

同乗し運転させた男の刑事裁判。

朝10時にはじまった裁判が終わったのは、何と夕方5時。

これまで数知れず裁判を傍聴したが、これまで傍聴した裁判に比べ、すべてが異例。

当然のことながら広い法廷、中央に座る3人の裁判官の両側に6人の裁判員。

原告席にはふたりの検察官と原告ご家族。被告席には3人の弁護士団と被告。

被告の供述調書はポイント毎に書画カメラで映し出された。

検察側、弁護側、裁判員含む裁判官がそれぞれ別室で議論するため、7~8回

休廷時間が設けられた。これも初めての経験。

『まさにこれが裁判』、『裁判はこうあるべき』と、感激し感動した。

争点は、事故前に被告が取った言動が飲酒運転幇助であったかどうかの立証。

そのため先ず被告本人尋問。

弁護側の主張は、『検察官の厳しい取調べに恐怖心を持った被告は、検察官の

誘導に従い調書を取られ、本人が供述しなかったことが調書に記載されている』

法廷で被告は供述調書の内容をひるがえした。何故取り調べでは調書の内容を

認めたかが争点となった。

大問題となった大阪地検特捜部事件とまさに同様の展開。

ただ、当事件は一緒に酒を飲み、酩酊状態を承知の上で加害者に運転させた

のであるから、同乗者であった被告の言い逃れは到底認められない。

延々と続いた被告尋問のあと、原告である遺族への尋問。

遺された3人の兄弟と妹がそれぞれ発言の機会を与えられた。

両親への想い、遺された家族の厳しい苦しい状況、被告に対し厳罰を望む心境などが

述べられ、傍聴席からは何度もすすり泣きが聞こえた。

この事件では、既に加害者たちの飲酒運転を知っていて酒を出した飲食店の店主の

刑事罰が確定している。もうひとりの同乗者の刑事裁判も終了している。

あとを絶たない飲酒運転死亡事故。

運転手だけでなく、飲酒を承知の上で運転させた同乗者、飲酒運転を知って酒を

提供した飲食店主など関係した人間にも鉄槌が下される、という戒めになるよう

裁判官と裁判員には、是非とも納得できる裁定を下してもらいたい。

判決は2月14日(月)11時。

2011年2月 3日 (木)

4ヶ月ぶりのテニス

9月末、転んでくるぶしを骨折したことはブログに書いた。

それ以来、ほかの予定と重ならなければ、それまで週2回行っていたテニスに

行くのを止めた。

通院している整形外科の医者から、『もう大丈夫だから、やってみてその結果を

教えて欲しい』と言われていた。

寒いのと行かなくなると行くのが億劫になり、結局ずっと休んだまま。

天気予報で今日は好天で暖かということだったので、4ヶ月ぶりにコートに行った。

行くと仲間のみんなが、『久しぶりだなぁ。もう大丈夫なの』

打ちはじめたら、やはりタマ感が少々くるっていて、しっかり当たらない。

しばらく練習しゲームをはじめると、感じがつかめてきた。

4ヶ月のブランクを感じることなく、しっかりできた。

『休んでた方がいいんじゃないの』とか『やってても、やってなくても同じだ』と言われ

ながら、楽しく2ゲームできた。

やっているときは足の痛みを感じなかったが、夜は少々違和感があった。

平日はシニアばかりなので、転んで骨折だけでなく、4ヶ月の間に肺炎で入院した

とか、不整脈が出てきたとか、いろいろある。

テニスから帰宅して、カミサンが熱海に行ったままで帰ってこないので、庭の水撒き、

洗濯物の取り込み、ふとん干し…。

午後買い物に行き、夜は食事をつくった。食事はぶりあら大根煮と前の日の残りの

おでん。それにしても、家事って一日中いろいろあるものだ。

カミサンとの連絡は専らケータイメール。お互いの様子は相手のブログで確認。

お互い好き勝手に過ごせるのでいいのだが、食事つくりは少々ギブアップ気味。

そろそろ帰ってきて欲しい。

2011年2月 1日 (火)

おとなりさん

おとなりのSさんとはもう20年以上のお付き合い。

地元で建築関係の会社を経営されているオーナー。

誰もが好感を持つ人で、ボクも大好きで、いろいろ教えられるところが多い方である。

交友関係が大変幅広く、仕事の関係だけでなく、著名なゴルフクラブの会員歴が

長いため、その関係の人脈も幅広い。クラブメンバーの人たちの話題も会話の中で

よく出てくる。

ときどきお邪魔して雑談していたが、このところご無沙汰気味だった。

夕方電話があって、『久しくお話していませんねぇ。お時間があれば来られませんか』

とお誘いがあり、お邪魔した。

Sさんはボクより2歳上。会うたびにSさんから聞く言葉は、『残された時間は少ない』

先ず、年末年始、ご夫婦で行かれたモロッコの話を聞きたく、『なぜ10日間、モロッコ

だったんですか』からはじまった。

Sさんは博学で大変勉強家でもある。

オーナーであるから出来ることとは言え、5年くらい前、以前から行きたかったと

言われていたハワイ大学の特別コースに入学し2年半通われた。帰国後、若い学生

たちとのキャンパス生活の話をいろいろ聞いた。

今も会社に行く前、毎朝CNNニュースを観て、日本とは違ったとらえ方のニュース

報道を勉強されているそうだ。

一緒に会社経営している奥さんもすごい。スペイン語をかなり長い間勉強されていて

語学研修でスペインに行きたく、行き先を探していると言われていた。

インターネットのすごさについて、大いに盛り上がった。

話題が豊富で幅広く、話していて勉強になるだけでなく、面白い。

飾り気がなく、肩のこらないお付き合いのできるすばらしい方である。

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