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2010年11月

2010年11月29日 (月)

犯罪被害者週間全国大会2010

犯罪被害者週間全国大会のことは、去年のこの時期にもブログに書いた。

「犯罪被害者団体ネットワーク(通称:ハートバンド)」の事務局メンバーとして、

活動のお手伝いをしていることも、何度かブログに書いたことがある。

今年も、国の定める「犯罪被害者週間」(25日~12月1日)に合わせ、全国19の

自助団体が集まり、ハートバンドが主催し、土~日曜日、晴海グランドホテルで

全国大会を行なった。

今年は例年と違い、被害者の集いを土曜日に行い、日曜日は一般の方々参加の

全国大会。

ボクは今年で4度目の参加で、参加者の中には顔なじみの人が多い。

土曜日午後行った被害者の集いでは19団体がそれぞれ団体の活動紹介を行った

あと、分科会に移った。

ボクは分科会、「弁護士に聞く」の進行役を務めた。

弁護士は古くからの知り合いのW先生。参加者は16名。

参加者それぞれに事件・事故のあらましと裁判ほか状況を話していただき、弁護士に

聞きたいことを質問し、W先生から意見をいただいた。

今回もまた悲惨な事故・事件に遭った被害者の話を聞き、理不尽極まりない卑劣な

加害者への憎しみがこみ上げてきた。

夜は懇親夕食会。そのあと、ホテルのロビーの一角を借りての二次会には30名

くらいが参加。1年ぶりに会う人、初めて会う人、二次会ではもうあまり重い話は

出ず、みんなでしゃべり、笑った。

最後まで残ったのは4人。滋賀から来た女性と熊本から来た男性。それに被害者

支援センターで活動しているよく知っている女性とボク。

滋賀の女性と会うのは3度目。息子さんを仲間の少年たちによる暴行で殺された。

熊本の男性は20歳のお嬢さんを50歳台の男に殺された。

犯罪被害者支援のあり方からはじまり、重い話以外に様々な話題で盛り上がった。

『もう寝よう』と言ったときは、1時半を過ぎていた。

日曜日は朝7時から実行委員ミーティング。

10時から全国大会。参加者は160名。

Taikai1 Taikai2

基調講演は、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の代表幹事で弁護士の

岡村 勲さんから、「犯罪被害者の権利を求めて」

岡村さんは日本弁護士連合会の副会長を務められた方で、97年に山一證券の

顧問弁護士をされていたとき、逆恨みした債権者に奥さんが殺害され、岡村さんは

犯罪被害者の遺族となられた。

『被害者のためのインフラをつくる。それではじめて支援ができる』の信念のもと、

活動を続けてこられている。

04年に成立した「犯罪被害者等基本法」、07年にスタートした刑事裁判への被害者

参加制度、今年成立した殺人などの公訴時効の廃止など、犯罪被害者の権利の

回復に関連した大きな変革に岡村さんは尽力されてきた。

講演には迫力と重みがあった。信念を貫き通し進んでいくすごい方である。

基調講演のあとは、「被害者の声」

殺人事件の被害者遺族と飲酒ひき逃げ交通事犯の遺族、おふたりが話された。

それぞれ、娘さんと母親の

立場からの話で、涙をさそわれた。Taikai3

最後は「つながるプログラム」

ハートバンドは全国の犯罪被害者

団体のゆるやかな連携を目指した

活動を続けている。

みんながつながるようにと願って、

折鶴をつないで部屋全体の壁に飾った。

2日間の大会が終わったあと、関係者でお昼を食べ、お互いの労をねぎらった。

2010年11月26日 (金)

熱海にて

今回も熱海にはひとりで行った。

カミサンとふたりでいると煮詰まることが珍しくない。そのため、しばらく別々にいる

ことは双方にとって悪くない。

4泊5日であったが、総会に参加した以外にいろいろあって退屈しない5日間だった。

マンションは住みはじめて今年で15年。1~2ヶ月に1度くらいのペースでしか行って

ないが、古くから知っている人が少なくない。

今回もお昼1回、夜1回旧知の人たちと食事に行った。

総会の話題が中心となったが、それ以外に平素の生活、年配の方からは老いの実感、

家族の話、旅行の話といろいろ盛り上がった。

火曜日には、4年来懇意にしている地元の民主党議員の橋本さんにお会いした。

橋本さんは熱海市議を3期務め、先月行われた静岡県議選に立候補し当選。

県議選当選のお祝いをかねて事務所にお邪魔した。

最近の民主党全般の話、地元の状況、来年4月の統一地方選など、40分くらい

話し込んだ。

誠実で人望の厚い橋本さんは、県議会議員としても間違いなく活躍されることだろう。

水曜日には、紅葉を観にひとりで箱根に行った。

マンションのそばを通る箱根行きのバスの時間を予め調べ、ネットで今の時期の

紅葉の見所をチェックしておいた。

9時過ぎのバスに乗り、途中十国峠を通り、富士山を臨みながら、元箱根までは

ちょうど1時間。

元箱根港の高台から見た富士山はすばらしかった。ケータイではなかなかうまく

撮れない写真が珍しくキレイに撮れた。箱根の山の奥の神々しい富士山、赤い鳥居、

それに青空に浮かぶ雲がドラマチック。

Mt_fuji 

ネットでモミジの紅葉の見所と紹介されていた「山のホテル」へ。

途中箱根神社にお参り。

Jinjya1 Jinjya2

箱根には以前もひとりでバスで来たことがあり、そのときは芦ノ湖の遊覧船に乗った。

遊覧船から見た「山のホテル」がすばらしく、ぜひ行ってみたいと思っていたこともあり

好都合だった。

Hotel Kouyo2

Kouyo1 

2時間くらい散策し、小旅行を楽しんだあと、バスに乗ってマンションに帰った。

食事し温泉に入り、夕方横須賀に戻ってきた。

2010年11月25日 (木)

マンション年次総会

熱海のマンションの総会が21日日曜日にあったため、土曜日の夜から熱海に行った。

今年の総会は出席しなければならない事情があった。

どうしてもと頼まれ、去年1年間マンションの管理組合の理事長を務めた。

去年のこの時期、ボクの後任となる今年の理事長候補を探さなければならなく、

1年間一緒に理事をやったOさんに無理を言い、後を引き受けていただいた。

Oさんにお願いした手前、今年の総会は欠席するわけにはいかなかった。

今年も去年同様課題が多く、まだ現役のOさんには作業負荷がかかり、大変申し訳

なかった。

最大の課題は管理会社を替えるかどうかであった。

現在の管理会社とは15年以上の付き合いがあるが、入居者からの不満が絶え

なかった。

議論伯仲の結果、賛成多数で候補に挙がった管理会社に変更することが決まった。

加えて、来年度マンション管理士と委託契約して、管理内容の見直し及び管理会社の

比較検討を継続して行い、候補に挙がった管理会社を正式に採用するかどうかを

決めることとなった。

他には、昨年決まらなかった機械式駐車場の扱いについて、理事会から新しい

出てきたものの賛成多数に至らず案は却下となり、来年度の継続テーマとなった。

5年前にやった大規模修繕は次回7年後くらいに実施することになりそうで、理事会

から出された修繕積立金を中心とした収支予測案が議論された。

あとは、昨年度定めた理事の輪番制に一部修正を加えたい旨の提案が理事会から

あり、賛成多数で可決した。

機械式駐車場の扱い以外に、規約違反者への対応、ペット飼育の細則制定、

支出削減策の継続検討、駐車場料金の見直しなど、来年度の理事会にいろいろ

課題が申し送られた。

最近、入退去者の出入りが多く、そのため質疑に多くの時間をとられ、10時から

はじまった総会が終わったのは1時半。

課題山積の中、新しい理事の皆さんにはまた1年務めていただくことになる。

2010年11月23日 (火)

裁判傍聴

8月28日のブログで、息子さんを亡くした知り合いの交通事故の民事裁判を傍聴

したことを書いた。

怪しい目撃者の証言、加害者である被告の本人尋問、亡くなった息子さんのご両親の

原告本人尋問と続き、ずっと傍聴してきた裁判は、金曜日が結審だった。

結審にあたり原告の弁護士から意見が出されたあと、原告が『証拠に基づき判断を

下すよう裁判所に強く要請する』と最後の主張を行った。

血の滲むような長い闘いの最後を締めくくるにふさわしい見事な主張であった。

杜撰極まりない警察の初動捜査で作成された実況見分調書の内容を覆すことが

いかに難しいかを露呈した裁判だった。

両親は息子さんに過失のないことを信じて、長い時間と大変なエネルギーをかけて

自ら行った調査から警察の捜査がいかにいい加減であったか、また加害者の供述は

到底信用できないと、ずっと主張し続けた。

刑事処分では警察の杜撰な捜査で作成された実況見分調書をもとに、検察が加害者

を不起訴と決めた。

両親は不起訴処分に承服できず、検察審査会に異議申立てを行った。

申立てを受けた検察審査会は不起訴は不当であると議決した。不起訴不当議決を

もとに再捜査した検察は、再度不起訴が相当であるとの結論を出した。

その結果、この酷い加害者は刑事罰を一切問われることなく、刑事事件は終結した。

この日あった民事訴訟の判決は来年3月18日と決まった。

判決までに十分に時間があることに対し、弁護士の意見は『裁判長が重大な事件で

あるとの認識を持っていて、事件を再度十分に精査し自ら判決文を書くつもりである

ことから、時間をかけたいと考え判決日を決めたのではないだろうか』とのことだった。

06年4月にはじまった一審の裁判は5年かけて終結することになる。

『本当にお疲れさまでした。間隔があいたのでしばらく落ち着いた気持ちで過ごして

ください』と言葉をかけて別れた。

2010年11月20日 (土)

2年ぶり

ブログに何度も書いたパソコン教室キュリオステーション横須賀教室のオーナーに

なって間もなく7年。はじめたのは定年退職する半年前だった。勤めていた会社の

仲間が『面白いビジネスをはじめた人を紹介するから会ってみたら』と、紹介された

のがキュリオステーションのフランチャイズビジネスをはじめて間もなくの石川社長。

石川さんから”地域のデジタルステーション”構想の熱い想いを聞き、横須賀に店舗を

持つことを決めた。

以来、石川さんとはしばしば会い、構想の進捗状況を聞くのが毎回楽しみだった。

石川さんは、今では全国に130教室を超えるまでに成長したパソコン教室事業は

若い松本社長に任せ、自らは新たにはじめた電子書籍ビジネスmotteco書店

フリーペーパー事業に数年前から集中。

以来、石川さんと会う機会は以前より少なくなった。

東京に出かける機会に石川さんの事業の近況を聞きたく、2年ぶりに下北沢の

事務所でお会いした。

お互い最近の家族の状況を話し、ふたりともそれぞれの変化を確認。

ハワイに常住していた石川さんのご家族は今は横浜に戻ってこられている。

ふたりの子供さんたちは横浜のインターナショナルスクールに優秀な成績で合格し

日本の生活にもしっかり順応してきたとのこと。

モッテコビジネスでは石川構想が着実に実を結んでおり、全国を8つに分けた

各エリアで総代理店が増えてきており、そのもとに個人ベースの代理店ができ、

という多階層のビジネスモデルが出来上がってきている。

motteco書店の蔵書もジャンル毎に相当な数になっており、その中にはボクのブログを

紹介した「ニュージーランド紀行」も掲載されている。

モッテコ代理店では各種物販・サービスも扱っており、その中の例えば、光ネット関連

機器やサービスはキュリオステーションの教室でも販売をはじめている。

さまざまな企業と積極的に連携しながら、ビジネスのウイングは広がってきている。

キュリオステーションがパソコン教室事業にとどまることなく、まさに地域のデジタル

ステーションになるよう、仕組み・仕掛けが出来上がってきていることがよくわかった。

石川さんと会ったあと新橋に行った。

年2回やることにしている大学のゼミの仲間とのマージャンと会食に参加した。

1時からはじめたマージャンが終わったのは7時半。

終わったあとの飲み会も盛り上がり、家に帰ったら11時半過ぎていた。

2010年11月18日 (木)

映画「牛の鈴音」

8年に封切られ、韓国で観客動員数300万人を記録した感動のドキュメンタリー映画。

横須賀では今月3週間「ハートフル・シネマ2010」という催しがあり、世界各地で公開

された作品の中から大作や話題作の陰に埋もれがちな、心に響く9つの秀作を厳選し

上映している。一日1回の上映で誰もが千円で観ることができる。

先日ブログで紹介した「BOX袴田事件~命とは」もその一本だった。

牛の鈴音」は、牛とともに働き、農薬や農機を使わず、頑固に昔ながらのやり方で

畑を耕す老夫婦の日常を静かに見つめた作品。

韓国では「牛の鈴症候群」と呼ばれる社会現象にもなったそうだ。

79歳になる農夫のチェ爺さんには30年もともに働いてきた牛がいる。牛の寿命は

15年ほどなのに、この牛は40年も生きている。お爺さんには60年以上連れ添って

きた、不平不満のつきないお婆さんがいる。

大きな事件も起こらない。政治的メッセージもない。美しく格好いい若者も出てこない。

描かれているのは、腰の曲がった老人二人と一頭の牛のみ。よろよろとした足取りで

荷車をひく老いぼれ牛の動きのように、すべてはゆっくりとしている。

“なぜこの静かな映画がこれほどの大ヒットになったのか”と、韓国では数々の

メディアが取り上げたそうである。

今の世の中にないものを特別なものとして多くの人が求め、韓国の美しい四季を

通して、静かな時の流れを感じさせる作品であることが、大ヒットした理由だった

ようである。

全編を通して、チーン、チーンと鳴る「牛の鈴音」がとてももの悲しく聞こえた

2010年11月15日 (月)

「龍馬伝」、いよいよ終結へ

1年間楽しんだNHK大河ドラマ「龍馬伝」があと2回で終わる。

録画して観たことが何度かあったが、ほとんど全編観た。

昨夜の「土佐の大勝負」も面白かった。

ドラマ仕立てしてある部分はあるものの、もちろん史実に沿って話は展開している。

昨夜は、龍馬が土佐に戻り、土佐の藩主 山内容堂に大政奉還の建白書を書く

ことを懇願し、容堂は徳川家への恩を思いながら、涙ながらに建白書を書く決意を

する、という山場であった。龍馬の志を受け、龍馬が容堂に会う仲を取り持ったのが

容堂の家臣の後藤象二郎。

容堂、象二郎とも全編のかなりの部分に登場しており、演じた役者ははまり役だった。

大政奉還が建白される過程で、龍馬ら土佐の脱藩志士たちの仲介によって、

薩長同盟が成立した。そののち龍馬たちの仲立ちで、幕府排除と王政復古を目指し

土佐と薩摩が連携した薩土同盟が成立。これにより土佐藩全体が徐々に倒幕路線に

近づいていくことになる。結果、時代が明治維新へと大きく動き出した。

容堂の建白書は15代将軍・徳川慶喜に届き、慶喜は大政奉還を決意。慶応3年

1867年11月9日、慶喜は朝廷に大政奉還した。

次回の龍馬伝のタイトルは「大政奉還」。その過程が主題になることだろう。

「龍馬伝」は次々回で終わる。となると、龍馬伝は龍馬の暗殺で終わることになる。

暗殺ののちの話が1回はあるかと思っていたが。

京都の近江屋で龍馬が暗殺されたのは、11月15日とのこと。

何と今日は、奇しくも、その11月15日!

自らが仲立ちし成就した大政奉還の6日後であり、龍馬の切望した新しい日本、

明治維新をみることなく、龍馬は無念のうち、逝ったのである。

昨夜の「土佐の大勝負」の最後で、龍馬は姉の乙女に『大仕事を終えたら、お龍と

土佐に戻ってくる』と言い残し別れた。

国を思う龍馬の志をほんの少しでも持った政治家が今の世の中にいればと考える

人たちは、間違いなくたくさんいることだろう。

2010年11月12日 (金)

映画「袴田事件 命とは」

先月12日のブログ、「取調べ可視化法実現を求める横須賀市民の会で記念講演を

聴きにいったことを書いた、冤罪事件として広く知られている袴田死刑囚をモデルに

した映画、BOX-袴田事件- 命とは観に行った。

一般館ではほとんど上映されていなく、市民の会の要請で上映されたそうである。

市民の会が先月、会の発足集会で行った記念講演で、死刑囚 袴田巌さんのお姉さん

袴田秀子さんと映画の脚本家の夏井辰徳さんから聴いた話が、一層納得できた。

昭和41年、清水市の味噌工場で専務一家4人が殺害され、従業員であった袴田巌

さんに死刑判決が下った袴田事件。

冤罪が叫ばれ、再審請求が続けられているこの実際の事件をもとに人が人を裁く

ということを、裁判官の苦悩を通して描いた作品。

死刑が確定し独居房に移されたあと、気違い状態になりながら45年近く勾留され

続けている、75歳の袴田さん。

無罪を確信していたにもかかわらず死刑判決を書かざるを得ない立場に置かれ、

苦悩の末、判決を書いたあと良心の呵責に耐え切れず、裁判官の職を辞し、

辞職したあと、3度の自殺未遂を繰り返した熊本元裁判官。

上映時間の2時間、ずっと重苦しい雰囲気でストーリーは展開した。

裁判員裁判、検察審査会、量刑、自白の強要、冤罪、死刑のあり方など、

いまほど一般市民が「人を裁く」ことを真剣に考えることはなかった。

時宜を得たテーマを取り上げた作品である。

   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~

以下、ネットから引用したストーリーのあらすじ。

昭和41年6月30日未明、清水市の橋口味噌工場が放火される。その焼け跡から、

一家4人が刺殺された焼死体が出てくる。立松刑事は、元プロボクサーで味噌工場

従業員の袴田巌に犯人の目星をつける。

理由は、工場の従業員のほとんどが親戚や友達なのに袴田だけよそ者であること、

殺された専務は柔道2段だったのでそれと渡り合える格闘技経験者であること、

袴田は妻に逃げられ借金があると噂されていたことである。

警察は袴田を逮捕するが、証拠不十分で釈放する。しかし袴田は、再び逮捕される。

当初、袴田は犯行を否認するが、勾留期限3日前に自白し、起訴される。

袴田と同じ昭和11年生まれの裁判官・熊本典道は、主任判事としてこの事件を

担当する。袴田は第1回公判で起訴事実を全面否認し、一貫して無実を主張する。

熊本は警察の取り調べに疑問を持ち、供述調書を調べる。すると、袴田と肉体関係を

持った橋口の妻に頼まれて犯行に及んだという自白が、幼い子供と老母と一緒に

暮らす金欲しさからと、犯行動機が日替わりで変わっていた。立松刑事ら関係者が

幾人も証言するが、決め手を欠いた裁判は長期化する。

事件から1年以上経った昭和42年9月13日、法廷に新証拠が提出される。

工場を再度捜査して見つけた、血染めの犯行着衣だった。裁判は袴田有罪に傾くが、

熊本は新証拠にも意図的なものを感じ、有罪判決に反対する。

しかし3人の裁判官のうち反対は熊本だけで、袴田は有罪となる。慣例により、主任

判事である熊本が死刑判決を言い渡す判決文を書くことになる。裁判後、熊本は

裁判官を辞職する。大学で刑事訴訟法の講義をしながら、警察による証拠を実証し、

袴田を無罪にするのに有効な実験の報告を弁護士に送る。しかし熊本の苦しみは

消えなかった。

昭和55年11月19日最高裁で上告が棄却され、12月12日袴田の死刑が確定する。

熊本は今も再審支援活動を続けている。

2010年11月 9日 (火)

沖縄から帰宅して

沖縄の娘宅から横須賀に戻り、1週間。

孫たちが真ん中にいて活気があった毎日から、いつものカミサンとふたりの生活へ。

娘宅では補助的ではあったが、毎日やることがいろいろあった。幼稚園の送り迎え、

洗濯物干し・取り込み、全員のふとんの上げ下ろし、掃除機かけ、食器洗い・・・

食事の準備を除いては、家事の一部の分担が日課になっていた。

それにエキサイティングなイベントもいろいろあった。

ところが横須賀に帰ってからは、食事はカミサンに頼り、他に日課になっている

家事の支援といえば、風呂掃除、洗濯、ゴミ出しくらいで、おまけにこの1週間外出の

予定もなく、足首を痛めて以来テニスにも行けず、という感じの1週間になった。

そういう中、気になっていた庭の月桂樹の剪定をやった。

前にもブログに書いたが、この月桂樹はこの家に住んで間もなく、カミサンの母親が

訪ねてきてくれたとき、新築祝いに贈ってもらったものだから、植えてもう30年位に

なる。植えたときは40センチくらいの苗木だったものが、今では3メートル近くに。

1年で伸びた枝を毎年この時期、剪定することにしている。今年は思い切って刈った。

刈った枝木はどっさり、月桂樹(左)はさっぱりした。

それと今年夏、たくさん花をつけ楽しませてくれた、さるすべりの木も、来年夏また

すばらしい花を咲かせてくれることを願って、思い切りばっさり剪定した。

  Cimg6848   Cimg6849 

あと中庭の草取りと剪定、家の裏の草取りが残っている。

まだやっていない衣類の夏物と冬物の入れ替えもやらないと。

今年もあと50日。

今年は我が家は身内に不幸があったため、12年ぶりの喪中の挨拶となる。

こちらもそろそろ準備しないと。

忘年会の案内もふたつもらっている。

リタイアし6年経った身なので、ことさらバタバタすることはないものの、こうして

今年もあっという間に終わっていく感じである。

2010年11月 6日 (土)

沖縄の娘宅へ(7:ハローウイン)

先週日曜日、ハローウインの催しが妹孫の幼稚園であるということで、

それを見て横須賀に帰る予定にしていた。

ところが台風14号の余波で、幼稚園で準備ができず中止となった。

娘は子供たちにハローウインの魔女と黒猫のコスチュームを準備し、

お友だちから作り方を教わったTrick or Treatでキャンディをもらった時に

入れるカゴをカミサンと一緒に作っていたため、全員ガックリbearing

Shalloween_4 Scimg6845_2

どこか近くの街でイベントをやっているのではと、ネットで検索すると

見つかった。娘宅から車で30分くらいの街、沖縄市で"Halloween

Town in KOZA"のイベントをやっていて、おばけバスに乗りに行こうと

出かけた。

今は沖縄市だが、かつてはコザと呼ばれ、沖縄で最も米軍兵士が多く

いた街。今ではほとんど兵士を見かけることはなく、それとともにコザの

街は寂れてしまった。

おばけバスにどこから乗れるのかわからず、たまたまハローウインの

かっこうをして歩いていた女子高校生らしきグループを見つけ、教えて

もらった。

しばらく待っているとバスが到着。市内を30分くらいで循環する無料

バスで、この時期土・日曜だけハローウインの飾り付けがしてある

そうだ。

Scimg6838 Scimg6829

バスにはハローウイン衣装の

子たちが乗っており、孫たちもScimg6832

娘が用意した衣装を着た。

乗ったとき気がつかなかった

おばけは一番うしろの席に

座っていた。

バスがすいてきたら、姉孫は

おばけの座っている一番うしろの

席に移り、恐がることなく、おばけの隣に座った。妹孫は恐くてダメ。

Scimg6833 Scimg6836

バスを降りたあと以前も行ったことがあるインドレストラン クリシュナで

遅昼。美味しいナンとカレーを楽しんだ。

Scimg6840 Scimg6841

「沖縄の娘宅へ」では長い間、たわいもない孫たちとの話にお付き合い

いただきまして、ありがとうございました。

2010年11月 3日 (水)

沖縄の娘宅へ(6:アイディア料理コンテスト)

一昨日、娘宅から帰ってきた。

当たり前だが、TシャツでOKだった沖縄に比べれば、横須賀は肌寒く、

晩秋の陽気。

帰る前日と前々日、思いがけない出来事があったので、あと2回

沖縄の話を。

娘たちは、住んでいる南城市が主催する地元の産品を活かした

「アイディア料理コンテスト」に夫婦でそれぞれ応募した。

今年のコンテストで使う食材はサトウキビの黒みつ。

対象は惣菜、スイーツ、ドリンクのいずれでもいい。

ドリンクで応募したダンナは残念ながら一次審査をパスできず、得意の

スイーツで応募した娘は一次審査を通過。

最終審査が土曜日に行われ、みんなで参加した。

Scimg6764 Scimg6765

最終審査に残ったのは14料理。

娘の作品は、生ドラゴン(フルーツ)ショコラ。

部屋の真ん中には審査員が試食する14料理が並べられていた。

審査ポイントは「味覚」と「見栄え」とのこと。

Scimg6767 Scimg6777

会場はコバルトブルーの海のそばの市の施設がんじゅう駅・南城

審査には3時間以上かかるということで、孫たちを連れてすぐ近くの

知念岬公園へ。周りの海は最高にきれいだった。

広い原っぱで孫たちはバッタ捕り、ボクは草の上で30分近くぐっすり。

Schinen1 Schinen2 

Schinen3 Schinen4

審査結果の発表時間になったので、会場に戻った。

娘はなんと準グランプリ賞を獲得!

Scimg6807 Scimg6815

副賞は、商品券とさとうきび

シロップとさとうきび酢。Scimg6817

『今回のコンテストは商工会議所

のタイアップだったため、今後、

南城市の特産品としての展開を

視野に入れているようなので、

今後どこかで南城スイーツとして

紹介してもらえたりしたらいいなぁ』と、

娘が期待を込めて話していた。

沖縄に移り住んで1年ちょっと。地元にしっかりとけこんでいる姿を見聞きし、

我が娘ながら、『なかなかやるなぁ』と感心した。

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