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2010年10月12日 (火)

取調べ可視化法実現を求める横須賀市民の会

「取調べ可視化法実現を求める横須賀市民の会」の発足集会の案内をもらい、

参加し、会員になったことは7月ブログに書いた。

会の記念講演の案内をもらい、日曜日に参加した。

折りしも、取調べの可視化はホットな話題になっていることからか、参加者は40名超。

講師は、冤罪被害者家族として、袴田事件で死刑囚として45年近く勾留されている

袴田巌さんのお姉さんの袴田秀子さん、もうひとりは袴田さんをモデルに作られた映画

「BOX 袴田事件 命とは」脚本家の夏井辰徳さん。

あらためて知ったが、「袴田事件」は1966年に清水市で起きた味噌製造会社家族

4人の殺人事件。住み込み従業員だった袴田巌さんの部屋から微量の血液らしき

ものが付着したパジャマを押収し、事件から1ヶ月半後、袴田さんは逮捕された。

逮捕後、激しい取調べを受けた袴田さんは勾留期限3日前に犯行を「自白」。

起訴2ヵ月後に行われた第1回公判以降、袴田さんは全面否認を続けた。

しかし、第1回公判から2年後、1968年に死刑判決が出た。

以来40数年間、袴田さんは控訴、上告、再審請求を繰り返してきたが、いずれも

棄却され、現在第2次の再審請求中。

77歳になるお姉さんはたんたんと話してくださった。

無念のまま、事件後3年の間に亡くなったご両親のこと、75歳になった弟巌さんの

こと、極悪人報道を見聞きせざるを得なかった家族のこと、獄中とやりとりしていた

巌さんとの手紙が91年で途絶えたこと、勾留されたころは面会した折には事件に

関連したこと・自分は絶対にやっていないことばかりを一方的にしゃべっていたが

死刑が確定し独居房に移されからは、頭がおかしくなったのではないかと思うほど

訳のわからないことを言いはじめたこと、面会したとき一度『昨日近くの房の人が

処刑された』と言ったこと・・・

いまだ獄に繋がれ、精神に異常をきたし会話も成立しない72才の弟さんのこと、

このような状況においた警察と検察、そして司法に対する家族の無念の思いを

お話しいただき、ずっしりと心に響いた。

映画の脚本家の夏井さんからの話にも思わず引き込まれる場面がたくさんあった。

夏井さんは先ず、膨大な量の裁判資料を読み込んだ。素人が読んでもおかしい

こと次から次に出てきた。冒頭陳述からおかしく、警察・検察のでっち上げであると

確信するに至った。

しかし、面会ができない死刑囚である袴田巌さんを映画の中心にすえることは

できなかった。そのため映画の主人公には判決文を書いた熊本典道裁判官をすえた。

熊本裁判官は最初からずっと袴田さんの無罪を確信していた。しかし死刑判決は

裁判官3人の合議制で決まる。他のふたりの裁判官は死刑を推した。結果は多数決。

しかしながら熊本裁判官は判決文を書かなければならず、無念極まりない思いで、

死刑判決文を書いた。

熊本裁判官は良心の呵責に耐え切れず、裁判官の職を辞した。辞めたあと、酒に

おぼれ家の中で暴れ、3度の自殺未遂を繰り返した。このような状況の中でも

熊本さんは、自分の苦悩は袴田さんに比べれば取るに足らないと思い続けた。

夏井さんは、取材で熊本元裁判官には何度も会い、熊本さんには自身に向かう

殺気を感じたとのこと。

『本来は真実は何か、正義は何かに向かうべき裁判官であるが、熊本さんは組織の

中で異をとなえることができず、事態は進んでしまった。これが冤罪を生む根源の

問題のひとつではなかろうか。ただ、もちろん取調べの可視化がすべての解では

ない』と夏井さんはむすんだ。

「取調べ可視化法実現を求める横須賀市民の会」の働きかけで映画、「BOX 袴田

事件 命とは」は来月、横須賀でも上映されることが決まった。ぜひ観に行きたい。

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