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2010年10月

2010年10月31日 (日)

沖縄の娘宅へ(5:沖縄県立博物館)

去年9月、娘家族が沖縄に引越して以来、娘の入院手術もあり、

沖縄に来たのは、今回が5度目。

毎回観光にはほとんど無縁である。

今回は観光とは言えないが、前から行きたかった沖縄県立博物館に

ひとりで行ってきた。ボクは博物館が大好きで、海外に行った折にも、

時間があれば博物館に行くことにしている。

いろいろなことを断片的に見聞きしてきた沖縄なので、ぜひ体系

だって、特に歴史を知りたく、そういう意味でも沖縄県立博物館には

興味があった。

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貝塚のムラから、次第に実力者が現れ統一される様子が様々な

グスク(城)や出土品で紹介されていた。各地の勢力は、やがて

3つに収斂し、激しい抗争を繰り広げた。これらの3つの勢力は、

15世紀はじめ尚一族によって統一され、琉球王国が築かれた。

首里を拠点とする琉球王国は、500年の長きにわたり続いた。

琉球王国には以前から興味があり、詳しく勉強してみたい。

明治時代に入り、明治政府による琉球処分が行われ、最終的に

王国は消滅し、廃藩置県により沖縄県となった。

太平洋戦争末期、1945年、沖縄では住民を巻き込んだ日米両軍

による地上戦が行われ、数ヶ月で23万余りの尊い人命が失われた。

焦土と化した沖縄では、多くの貴重な文化財も焼失し、破壊された。

終戦に伴い、沖縄の施政権は日本からアメリカに移りアメリカにより

27年間統治が続いた。1972年に沖縄の施政権は日本へ返還

された多くの基地が残されるなど、未解決の問題が山積している。

2時間以上かけてゆっくり観て回った。

博物館に行った翌日、今回も沖縄戦の跡地を観に行った。

娘宅から車で20分くらいのところにあるヌマチガマという壕の跡を

遺した場所で、探すのに苦労した。

沖縄では防空壕をガマと呼び、硬い岩盤を切り崩して造ったものが

特に南部にはあちこちに残っている。

ヌマチガマは主に傷病兵用の壕だったのだろうか。

壕は立ち入り禁止で中に入ることはできなかった。

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壕の入り口近くに

白梅学徒看護隊之壕とScimg6752_2 

記された石碑が建っていた。

兵隊さんの看護をした

野戦病院の看護生たち

だったのだろうか。

石碑と壕の入り口で

手を合わせた。

2010年10月29日 (金)

沖縄の娘宅へ(4:孫たちの日々)

台風14号は昨夜から明け方にかけ沖縄を通過し、朝起きたとき

には雨は止み、強風も治まっていた。

朝のニュースで、娘宅のある当地、南城市の上を通過したと伝えて

いた。昨日夕方、南城市では最大瞬間風速が36メートル出たそうだ。

今朝、近くを車で走ったら、あちこちでサトウキビが風でなぎ倒されて

いた。

今朝は初めて孫たちを車で幼稚園に送った。

姉孫の幼稚園は歩いても10分少々で行ける距離だが、妹孫の

幼稚園は車で40分くらいかかる那覇の街中。

沖縄には電車がなく、ほとんどの人の足の便は車のため、特に朝は

通勤・通学の車で道が混む。

カーナビに助けてもらいながら、渋滞の中、なんとか8時45分の

開始時間に間に合った。

孫たちが帰ってくるのは3時ころ。

姉孫は大好きなお店屋さんごっこをはじめた。

以前よりずっとやり方が進んで、チラシをつくって配り、客寄せから

はじめていた。新規開店「しましまスーパー」でオープン記念売り出し。

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人の顔や手の描き方など絵の描き方も進歩した。きっと幼稚園で

お友だちの絵から刺激を受けているのだろう。

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お客への声かけ、おもちゃのお金の使い方、店先にならべるものなど

かなり変わってきた。

妹孫はお気に入りの4つのぬいぐるみをいつも連れている。

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娘はケーキやクッキー、焼き菓子を作って知り合いのお友だちの 

お店に置かしてもらっている。

週に2回納品するそうで、忙しい家事の合間をぬって、嬉々として

やっている。

お菓子つくりは自分のブログにも書いている。

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2010年10月28日 (木)

沖縄の娘宅へ(3:妹孫の運動会)

大型の台風14号は勢力を強めながら北上中。明日の明け方から

昼過ぎにかけて沖縄に最接近するとの予報。

夏模様から一転、昨日は一日雨。今日も強風と降り続く雨。

先ほど、地域のスピーカーで『暴風警報発令のため、学校と幼稚園は

午前中で終わりとします。子供たちの迎えをお願いします』との連絡が

あった。

今回沖縄へ来たのは、姉孫の誕生日祝いと、もうひとつ、妹孫の

幼稚園の運動会を見ることだった。

日曜日全員6時に起床。早く出すぎCimg6635

開始1時間前には会場の小学校に

着いた。

まだ数家族しか来ていなかった。

年少組の妹孫が参加する

プログラムはふたつ。

三輪車に乗ったあと、フラフープの輪にジャンプし、かけっこ、

そのあと、ぶらさがったお菓子袋を取って、ゴールイン。

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2歳代の子たちなので、泣いてばかりの子、参加しようとしない子・・・

先生は大変だった。

年少組のプログラムはCimg6652 

11時前には終了した。

日差しが強く、妹孫は

へばり気味で、引き上げる

ことにした。

お昼はカミサンがテレビで

何度か観たという店に。Cimg6654

那覇の泊漁港にある「マグロ食堂

いかにも食堂という感じ。

人気の店のようで11時半には

いっぱい。

マグロのづけ丼、刺身付き焼き魚、

魚汁定食を注文。

ニンニクバター焼きは旨く、こんな→になった。

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「まぐろ食堂」のあと、こちらもカミサンがテレビで観たという、

近くにある冨士家ぜんざい」へ。

表は昔ながらの造りだが、中は沖縄によくあるカフェ風の内装。

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女性客、家族連れでこちらも賑わっていた。

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「富士家ぜんざい」のあと、娘夫婦の知り合いが出品している

開催中の沖縄産業まつり」へ。

たくさんの沖縄の物産が紹介されていた。

左はいかにも沖縄、山羊汁。右は沖縄民謡に欠かせない

三線(さんしん)

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娘夫婦の知り合いの出品した製品は、自ら育て蒸留した

ハーブを使い、ハーブの香りをそのまま詰めたティートゥリーと

ローズゼラニウムのオイル。

運動会からはじまり、盛りたくさんな一日だった。

2010年10月25日 (月)

沖縄の娘宅へ(2:姉孫の誕生日祝い)

沖縄に来て以来ずっと夏の

陽気。クーラーは毎日フルCimg6692

稼動。

北海道は雪の予報とのこと。

日本列島の南北の長さを実感。

娘宅から見える遠望の海は

キラキラ光っていた。

着いた翌日パパは出張から帰ってきた。

みんなで駐車場で姉孫、妹孫の自転車乗りを見る。

姉孫は押している手を放しても、しばらく乗れるようになった。

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姉孫が以前通っていた幼稚園は、今年初めよりやっていた建て替え

工事がやっと終わり、完成した新園舎に今月戻ってきた。

見違えるようになった園舎と広い園庭。子供たちは一層のびのび

成長していくことだろう。

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カミサンと一緒に、妹孫を連れて姉孫を迎えに行ったら、みんな園庭で

遊んでいた。

姉孫は雲梯(うんてい)ができるようになったのが自慢。妹孫も仲間に

入れてもらい遊んでいた。

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この広い園庭で今月初め運動会が行われた。

姉孫が跳び箱の4段が跳べた瞬間を写真に撮り、パパがフレームに

入れたものが姉孫の机の上に飾ってあった。

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夜は今回訪問のメインイベント、姉孫の6歳の誕生日祝い。

娘宅では家族の誕生日祝いは大切な家族行事となっている。

この日は姉孫のリクエストでハンバーグ。

娘がケチャップで「オメデトウ」、妹孫には「ユナ」。

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娘手作りのチーズケーキにローソクを灯し、みんなでHappy Birthday

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プレゼントは姉孫の欲しかったリカちゃん。

カタログを2ヶ月くらい眺め、トイザラスにも何度か見に行き、迷いに

迷った挙句、買ってもらったのは、「リカちゃん ペットショップ」

食事のあと、姉妹で組み立てていたが時間切れで完成せず。姉孫は

翌朝6時前に起きて、作り上げた。

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我々からはカミサンが作った

ランドセル券。Cimg6627

パパの両親からもバッグほか

プレゼントが届き、姉孫には

最高にハピーな一日となった。

2010年10月23日 (土)

沖縄の娘宅へ(1)

以前から娘夫婦より、『10月は姉孫の誕生日と妹孫の幼稚園の

運動会重なるので遊びに来ては』と、誘われていて、5ヶ月ぶりに

夫婦で沖縄に来た。

娘が幼稚園に迎えに行った帰り、空港まで車で出迎えに来てくれた。

家に着いたら、久しぶりのため、ふたりの孫たちが、『見て、見て!

聞いて、聞いて!』の連発。

まもなく6歳、来春から小学校に入学する姉孫からの話題が多い。

先ず、すぐ見せてくれたのは、じぃじからのお祝いで買ったランドセル。

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次に見せてくれたのは

買ってもらったばかりの机。Cimg6598

パパの机のとなりに並べて

もらっている。

パパの机より大きいと自慢。

食事のあと早速机に向かい

本を読んでいた。

まさに自分の”城”ができた感じ。

最近は姉妹で入るようになり、楽になったと娘が言っていた風呂は、

もうじぃじとは入らないのではと思っていたが、うれしいことに

ふたりとも、『じぃじと入りたい』。Cimg6596

夕食は娘が盛りだくさんに用意       

してくれた。

我々も何度も一緒に行った

近くの奥武島で買ってきて

くれていた、いかにも南国風の

お刺身が美味しかった。Cimg6594

2歳半になった妹孫も

よく食べるようになっていた。

食事のあと、姉孫は抜けた

歯を見せてくれ、抜けたときの

様子を細かく話してくれた。

姉孫はついこの間までは1~2回

しかできなかった縄跳びが20回できたこと、跳び箱の4段がクリア

できたこと、鉄棒がうまくできるようになったことなど、いっぱい

話してくれた。Cimg6597

寝る前に『見て、見て!』と言い、

柱昇りを見せてくれた。

もともと運動が得意でなかった

子だが、運動に力を入れている

幼稚園のおかげで、いろいろ

できるようになった。

沖縄で子育てしている大きな収穫のようである。

2010年10月19日 (火)

帰省(2)

一昨日朝は快晴でとっても気持ちよかったので、気持ち良さに誘われ、オフクロの

押し入れに入っていた布団を全部出して、一日中干した。

弟のカミサンに言われていた手順に従い、毎朝顔ふき、歯磨き、食事の準備と手伝い、

投薬、ベッドの上げ下げ・・・

弟のカミサンが頼んでくれていて、3日続けてヘルパーさんが来て下さった。

介護保険ありがたさを痛感。

オフクロは痴呆は進んできたものの、感謝の気持ちを表すことは忘れていなく、

ボクらにもヘルパーさんにも何度も何度も『ありがとう、ありがとう』と感謝の気持ちを

伝えていた。

一昨日はヘルパーさんが着替えさせてくれた洗濯物を洗濯機で洗い、食事を3食

食べさせ、ふたりでゆっくり一日を過ごした。

夕方、妹が用意した食事を持ってきてくれた。

食事のあと、倉敷の美観地区と呼ばれる場所でたまたまやっていた「屏風祭り」を

妹と一緒に見に行った。

時間が遅すぎて屏風を飾った旅館、町家は閉まっていたところが多く、残念だったが

昼間見る町並みには味わえない雰囲気がかもし出されていて、心地よく散策できた

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大原美術館のライトアップ、倉敷らしい白壁の小道、なかなか風情があった。

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昨夕、弟夫婦たちは旅行から帰ってきた。

ボクはお役ご免で、午後のフライトで横須賀に帰る予定。

2010年10月18日 (月)

帰省(1)

郷里の倉敷に住む90歳のオフクロが家の中で敷居につまずき、背骨の圧迫骨折を

したのは先月25日。ボクのくるぶしの骨折が28日だったので、恥ずかしいことに

同じタイミングで親子で骨折したことになる。

オフクロの面倒は、20年くらい前に2世帯住宅を建てた弟夫婦に看てもらっている。

オヤジの介護もしてもらったので、弟のカミサンには20年間両親の面倒をみてもらって

いることになる。感謝の気持ちを忘れることはない。

オフクロの骨折のあと、弟夫婦が楽しみにしていた津和野・萩旅行を止めようかと

聞いたため、『帰ってオフクロの世話はするので、ゼッタイ旅行に行って』と話し、

弟たちは予定通り行くことになり、ボクは旅行の前々日の木曜日に帰省した。

家に着いたら、ちょうど近所に住むCimg6564

お友だちのおばあちゃんふたりが

お見舞いに来てくださっていた。

91歳と89歳、それに90歳のオフクロ、

いやー、なかなかいい雰囲気だった。

91歳のおばあちゃんが自転車に乗って

帰るのを見て、ビックリ。

夕方、車で20分くらいのところに住む妹も来て、弟のカミサンと一緒にワイワイ言い

ながら食事の準備をしてくれた。

オフクロは自分で歩いてトイレに行けるようになっていて、世話はずっと楽になった

ようだ。

来る前、電話でオフクロから何度も催促されていた娘の家族の写真を持ってきたら、

『幸せそうで何より』と言いながら、何度も何度も見ていた。

夕方墓参りをし、この夜は初めて、オフクロのベッドの下にふとん敷いて寝た。

2010年10月16日 (土)

恒例の箱根旅行(2)

熱海から箱根の保養所までは1時間少々。

秋晴れの好天の中Cimg6542

気持ちよく車を走らせた。

途中十国峠で車を停めて

富士山を眺めた。

残念ながら、雲がかかっていて

大好きな富士山は見えず。

実はこの日、ほかのメンバーは

保養所に行く前、4時間くらいかけて、芦ノ湖尻から標高約千メートルの黒岳を

ハイキング。ボクは楽しみにしていたハイキングには、先日くるぶしを骨折したため、

残念ながら参加できず。ハイキングを楽しんだみんなとは保養所で合流。

温泉に入り、6時から懇親会。参加者24名。例年より参加者は多く大広間借り切り。

気心が知れた仲間ばかりなので、2時間の宴会は大いに盛り上がった。

終わったあとは大部屋に集まり二次会。

これも恒例になったパソコンとスライドを使い、メンバー提供のビデオ・写真鑑賞会。

さすがITに強い人ばかり。尾瀬ハイキングの風景・花の写真スライドショー、

ウイーン・シュテファン寺院での合唱団参加ビデオ、猛暑のエジプト旅行記など。

ボクも3年前に行ったニュージランドのBed&Breakfast旅行を披露した。

翌日は散策組とゴルフ組にわかれた。

ボクは散策組。といっても足痛のため仙石原の散策には参加できず。車で3人を

送り、ちょうど見ごろになり始めたすすき野原を散策入り口で楽しんだ。

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散策組が帰ってきたあと、近くの公園でメンバーの皆さんが持参したガスバーナーで

湯を沸かし、コーヒーをチョコレート・クッキーとともにいただいた。

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コーヒーとおしゃべりを愉しんだあとは、みんなでお昼を食べに、これも恒例になった

小田原の食堂 谷へ。

今年もママとわいわい言いながら、Cimg6552

みんなで近くの早川漁港で上がった

金目鯛の煮つけを美味しくいただいた。

食堂 谷で別れ、それぞれ帰路についた。

今年も幹事の皆さんには微に入り

細に入りの心のもった準備をして

いただき、全員楽しく2日間を過ごした。

温泉に入り、夕・朝美味しい食事を飲み食いし、二次会、それにお土産までついて

費用は9千円。

お世話になった方々に感謝感謝である。

恒例の箱根旅行(1)

毎年この時期恒例となった、町田市を中心に活動しているシニアITアドバイザー

(SITA:サイタ)のグループNPOアクティブSITAの箱根一泊旅行に今年も参加した。

泊まる場所は、メンバーのTさんのコネで今年も快適な保養所にお世話になった。

ボクは前日の日曜日の夜、熱海に行き、1泊し、月曜日夕方箱根の保養所で合流。

箱根に行く前、熱海で、24日に投票予定の静岡県議会議員補欠選挙に立候補する

橋本一実さんの事務所にお邪魔した。

橋本さんは民主党熱海市議で、4年前の Jimusyo1

熱海市長選挙で知り合い、以来お付き

合いをしている。誠実で心のこもった

活動を続けていて、地元で多くの人たち

から慕われている方である。

補欠選挙の投票日は24日、告示日は

15日。

事務所内には、市議8年間の活動を評価された証左といえる、国会議員ほか

多くの方々から贈られた「為書き」がたくさん貼られていた。

Jimusyo2_2  Jimusyo3

事務所には、会社を休みボランティアで支援活動に参加していた女性のOさんがいて

久しぶりにお会いできた。

実は、告示日であった昨日15日17時までに、橋本さん以外補欠選挙に立候補する

人がいなく、橋本さんは無投票で、静岡県議会議員に当選が決まった。

橋本さんには昨夕お祝いの電話をした。

数期、県議会議員を務め、先々ぜひとも国政の場で活躍していただきたい方である。

月曜日午後、橋本事務所を出たあと、箱根に向かった。

続きは「恒例の箱根旅行(2)」で。

2010年10月14日 (木)

浦賀ドック見学

浦賀は幕末ペリーの黒船が来航したことで有名。その浦賀は横須賀市にある。

このところ横須賀の話題が続き、少々恐縮です。

市報に「ガイド付き浦賀ドック見学ツアー」が紹介されていて参加した。

ドックの前の道はたびたび通る道だが、中に入ることなど考えたこともなかった。

2時にスタートしたツアーには15人くらいが参加。

説明してくれた市役所の職員はよく勉強していて、何を聞いても答えてくれた。

浦賀ドックができたのは明治32年。110年も前のことである。

国が造ったのかと思ったら、浦賀ドックという私企業が造ったものだそうだ。

日本最古のドックはやはり横須賀にあって、米軍横須賀基地内にあるとのこと。

船の修理を行うドックは全国に22あるそうだ。

住友重機が長い間、造船とドック事業をやってきた浦賀ドックは造船不況のあおりで

平成15年に閉じられ、今後ミュージアムとして活用することが住友重機と横須賀市の

間で話し合われているそうだ。

写真左の一番奥に見えるのはゲートでその向こうは海。ゲートを開けて修理する船を

ドックに入れる。

右の写真はクレーン。終戦直前の昭和20年6月に造られたもので、家庭から拠出

された金物を使って造ったのではとのこと。

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下の写真2枚はゲート近くで撮ったもの。

写真左の真ん中にあるのは船を載せる台座。1万トンまでの船を修理していた。

右の写真の真ん中下方にゲートに海水を入れる穴が見える。左右ふたつあり大きな

ドックにふたつの穴から4~5時間かけて海水を入れて船を台座に載せて修理した。

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ゲートの向こうは浦賀湾。

遠くに見える湾の入り口の右方向からCimg6560

ペリーの黒船は入ってきたとのこと。

浦賀は古くから造船で知られていた

そうで、日本の近代化の過程の

大変興味深い話をいろいろ聞いた。

ドックのあとは修理工場跡を

見て回った。

往時の工場の様子、培われた技術、巧みの技の説明があった。

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1時間半足らずのツアーであったが、大変面白かった。

2010年10月12日 (火)

取調べ可視化法実現を求める横須賀市民の会

「取調べ可視化法実現を求める横須賀市民の会」の発足集会の案内をもらい、

参加し、会員になったことは7月ブログに書いた。

会の記念講演の案内をもらい、日曜日に参加した。

折りしも、取調べの可視化はホットな話題になっていることからか、参加者は40名超。

講師は、冤罪被害者家族として、袴田事件で死刑囚として45年近く勾留されている

袴田巌さんのお姉さんの袴田秀子さん、もうひとりは袴田さんをモデルに作られた映画

「BOX 袴田事件 命とは」脚本家の夏井辰徳さん。

あらためて知ったが、「袴田事件」は1966年に清水市で起きた味噌製造会社家族

4人の殺人事件。住み込み従業員だった袴田巌さんの部屋から微量の血液らしき

ものが付着したパジャマを押収し、事件から1ヶ月半後、袴田さんは逮捕された。

逮捕後、激しい取調べを受けた袴田さんは勾留期限3日前に犯行を「自白」。

起訴2ヵ月後に行われた第1回公判以降、袴田さんは全面否認を続けた。

しかし、第1回公判から2年後、1968年に死刑判決が出た。

以来40数年間、袴田さんは控訴、上告、再審請求を繰り返してきたが、いずれも

棄却され、現在第2次の再審請求中。

77歳になるお姉さんはたんたんと話してくださった。

無念のまま、事件後3年の間に亡くなったご両親のこと、75歳になった弟巌さんの

こと、極悪人報道を見聞きせざるを得なかった家族のこと、獄中とやりとりしていた

巌さんとの手紙が91年で途絶えたこと、勾留されたころは面会した折には事件に

関連したこと・自分は絶対にやっていないことばかりを一方的にしゃべっていたが

死刑が確定し独居房に移されからは、頭がおかしくなったのではないかと思うほど

訳のわからないことを言いはじめたこと、面会したとき一度『昨日近くの房の人が

処刑された』と言ったこと・・・

いまだ獄に繋がれ、精神に異常をきたし会話も成立しない72才の弟さんのこと、

このような状況においた警察と検察、そして司法に対する家族の無念の思いを

お話しいただき、ずっしりと心に響いた。

映画の脚本家の夏井さんからの話にも思わず引き込まれる場面がたくさんあった。

夏井さんは先ず、膨大な量の裁判資料を読み込んだ。素人が読んでもおかしい

こと次から次に出てきた。冒頭陳述からおかしく、警察・検察のでっち上げであると

確信するに至った。

しかし、面会ができない死刑囚である袴田巌さんを映画の中心にすえることは

できなかった。そのため映画の主人公には判決文を書いた熊本典道裁判官をすえた。

熊本裁判官は最初からずっと袴田さんの無罪を確信していた。しかし死刑判決は

裁判官3人の合議制で決まる。他のふたりの裁判官は死刑を推した。結果は多数決。

しかしながら熊本裁判官は判決文を書かなければならず、無念極まりない思いで、

死刑判決文を書いた。

熊本裁判官は良心の呵責に耐え切れず、裁判官の職を辞した。辞めたあと、酒に

おぼれ家の中で暴れ、3度の自殺未遂を繰り返した。このような状況の中でも

熊本さんは、自分の苦悩は袴田さんに比べれば取るに足らないと思い続けた。

夏井さんは、取材で熊本元裁判官には何度も会い、熊本さんには自身に向かう

殺気を感じたとのこと。

『本来は真実は何か、正義は何かに向かうべき裁判官であるが、熊本さんは組織の

中で異をとなえることができず、事態は進んでしまった。これが冤罪を生む根源の

問題のひとつではなかろうか。ただ、もちろん取調べの可視化がすべての解では

ない』と夏井さんはむすんだ。

「取調べ可視化法実現を求める横須賀市民の会」の働きかけで映画、「BOX 袴田

事件 命とは」は来月、横須賀でも上映されることが決まった。ぜひ観に行きたい。

2010年10月10日 (日)

坂本龍馬の妻おりょうさん

NHK大河ドラマ「龍馬伝」がいよいよ佳境に入ってきた。

龍馬の妻 お龍は横須賀で晩年を過ごし、おりょうさんの菩提寺である信誠寺

(しんぎょうじ)は、我が家から歩いて15分のところにある。

毎年この時期になると信誠寺でおりょうさんの墓前祭が行われる。

今年は折からの龍馬ブームで、最寄駅から信誠寺にかけては人の流れが例年と違う。

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信誠寺と寺のそばに建てられた案内板には、信誠寺のいわれとおりょうさんの紹介が

書かれている。

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お寺の本堂の一角には、木彫りの龍馬とおりょうさんの像が飾ってある。

お寺の墓地にはおりょうさんのお墓がある。

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お墓の脇におりょうさんを紹介した案内がある。

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1年間楽しんだ「龍馬伝」は11月末で終わる。

前回の内容は、龍馬が仲立ちし、薩長連合に土佐を加えることが合議された

「清風亭会談」が龍馬と土佐藩の後藤象二郎の間で持たれたことが中心であった。

この先は大政奉還、王政復古、江戸城無血明け渡しと続いていくのであろう。

2年前大人気だった篤姫のことも紹介されるかもしれない。

龍馬は「清風亭会談」の10ヶ月後、京都の近江屋で33歳の若さで斬殺された。

特に今年は感慨深い思いで、信誠寺にお参りした。

2010年10月 9日 (土)

横須賀市の事業仕分け

昨年6月に行われた横須賀市長選挙で応援した呉東正彦さんのブログで知って、

昨夜、呉東さんが主宰する「ヨコスカをよくする会」が行った「事業仕分けを検証する」

会合に参加した。

先ず、呉東さんのブログ記事を紹介。

  『横須賀市の事業仕分けが、10月23・24日に行われることが先日発表され

  ましたが、その内容が市議会でも大問題となっています。

  その対象とされた40事業のうち、ハコモノ系の担当部の事業が僅かなのに健康

  福祉部関係が8事業(ねたきり高齢者出張理容、重度障害者当福祉手当や、

  こころの電話等)、こども育成部が8事業(学童クラブ助成、わいわいスクール運営、

  乳幼児健康支援ディサービスセンター等)も挙げられています。

  その反面、問題となっている美術館や、ハコモノ系の構造的に多額の削減可能な

  事業は挙げられていません。

  そのやり方も、市民が仕分けの対象事業をピックアップしたものではなく、市役所

  自身が選定をしたもので、仕分けの仕方も、市職員がまず説明し、構想日本という

  外部からきた仕分け人が質疑し、その限られた情報と全てコストカットは善とする

  論調のたった30分弱の議論を聞いた一般市民から選ばれた評価員が評価をする

  とのことである。

  それを実際に利用している市民、実際に問題に直面してどうしてもそれが必要と

  感じている利用者の声は、おそらく反映することができないでしょう。

  なぜ仕分け対象を市民からあげさせないのでしょうか。そしてなぜ利用者の声を

  聞いた時間をかけた議論をしないのでしょうか。

  そして上記各事業についての客観的情報提供を、事業仕分けの前に市民にしない

  のでしょうか。

  結局、市役所の既得権益は温存しつつ、弱者への支援事業から削減していくように

  ならないか、またそのやり方も上からの、官僚主導の、しかも当事者の意見が

  聞かれない、十分な情報提供や議論の行われない、強引なコストカットショーに

  ならないかの懸念がぬぐえません』

そのため、事業仕分けの内容を事前に知り、検証して、このような懸念が現実化する

ことがないよう、市の担当職員を呼んで、緊急に意見交換を行い、対応を議論する

との趣旨で会合は行われた。

参加者は20名くらい。問題意識を持った人たちが多く、本質を突く鋭い意見がたくさん

出て、市の職員からは満足のいく回答が得られない指摘が多くあった。

主な問題指摘は、

  ■市に直接関わりがなく、市の事情を深く知らない仕分け人(構想日本)を何故

   選んだのか。サービスの利用者である市民から選ぶのが筋ではないか。

  ■選んだ事業には、市の財政を圧迫している”ハコモノ”が含まれていない。

   40事業の中には福祉と子供関連が16あり、これらの分野のコストカットが

   狙いではないか。また、市が決めた基本計画とも整合が取れていない。

   そもそもこの時期になぜ事業仕分けを行う必要があるのか理解できない。

  ■事業選び、仕分け評価は、行政の視点だけでなく、行政サービスを受ける

   市民が参加して行われるべき。また市民にはそれを行う力は十分にある。

   市民自治を重んじるべきであり、外部の人たちの関わりは必要ない。

  ■「大なた」を振るう(市の赤字の根源である事業への切り込み)べきであって、

   市民の日々の生活に直接影響を与える事業をカットする「小なた」振るいは

   やめるべき。

ボクも何点か問題を指摘した。

昨年7月以降、事業仕分けを行った市は全国に16ある。よそがやっているから

乗り遅れてはとか、パフォーマンス意識からとか、住民の人気取りからとか・・・

結果、形つくりに走ることは論外であり、そのような意識でやるのであれば、まったく

金と人の無駄遣いである。

司法分野では裁判員制度、検察審査会と市民参加が進んできた。

地方行政が旧態依然では、もはや許されない。

会合は、「ヨコスカをよくする会」として取るべきアクションを決め散会した。

2010年10月 7日 (木)

とほほ・・・

先週火曜日だから、もうほぼ10日になるが、不注意でゴミ置き場の低い段を

踏みはずし、ころんで左足のくるぶし部分を骨折した。

ころんだ翌朝すぐ市立病院に行き、レントゲンを撮り骨折していることが判明した。

10日たったので、ころんだ直後に比べると痛みはだいぶ治まってきたが、まだ

腫れが残っており、歩行時少々痛い。

市立病院で診察を受けたあと、『今後は近くの整形外科に通院するように』と言われ、

月曜日近所の整形外科クリニックに行き、再度レントゲンを撮ってもらった。

その折に、一番に気になっていた来週月曜日から参加する予定の町田のNPO

グループの箱根一泊旅行へ行っていいものかどうか、医者にアドバイスを求めた。

医者曰く『運転では左足は使わないので車で箱根まで行くことはOK。ただハイキング

はダメ』ということで、予想通りの返事だった。

毎年この時期恒例の旅行で、幹事の皆さんが心のこもった準備をしてくださって、

中でもハイキングは楽しみな催し。大変残念である。今年は湖尻から黒岳を、昼食

休憩はさんで4時間のハイキング、とても歩けそうにない。

そのため、4時ころ宿舎の保養所に直接行くことで了解してもらった。

毎日シップ薬を貼り、痛み止めを飲んでいる。ただ、2階への階段の上がり降りは

不自由なくできるようになった。

カミサンに『インナーマッスルがなくなってきているんだから、筋肉をつけるよう心がけ

ないと。毎日スクワットや片足立ちするとか』と言われている。うん、たしかに。

医者には『これだけですんだのは、不幸中の幸い。ただ、完治までには6~8週間は

かかる』と言われた。ということは、来月中ころまでかぁ。。

他の予定とぶつからなければ週2回行っているテニスにしばらく行けないのが残念。

今回2ヶ所の医療機関で治療を受けて、初めて知ったことがある。

それは「特定療養費制度」。

「特定療養費制度」とは、地域医療と高度な専門医療を行う病院の規模等に応じた

機能分担を推進するため、ベット数が200床以上の病院を受診する際、他の医療

機関の紹介状がない場合には、特定療養費制度により、初診料とは別に、患者側が

負担金を支払う制度。金額は千円未満、5千円以上と医療機関によりさまざま。

ボクは今回2,800円くらい払った。

軽い風邪などは近くの開業医にみてもらい、開業医で手に負えないものは高度専門

医療対応のできる病院でみてもらえ、ということのよう。 

「特定療養費制度」は1994年の医療法改正により導入されており、知らなかった

だけで、もう15年以上前から常識のようである。ただ、まだ知らない人も多いのでは。

2010年10月 5日 (火)

ひきこもりの若者たちに向けて

8月29日のブログで、川口で富士通のパソコン教室とNPO活動をやっている

栗原昌子さんのことを書いた。

あわせて、栗原さんは6月から月1回、教室を開放してまったくのボランティアで、

ひきこもりの若者を支援する「FUUの塾」と呼ぶ活動をはじめたこと、それと10月の

「FUUの塾」の例会で講師をやって欲しいと頼まれたことを書いた。

一昨日の日曜日、「FUUの塾」の例会で講師をつとめた。

事前に栗原さんから届いたメールには『若い人たちが一人でも自信を持って社会へ

歩みだすことが私たちが残すべき何よりも、生きてきた証になるものと私は考えて

います。そしてそんな若者が、増えていくと信じてFUUの塾を開催しています。

私は個人的に相談を受けたりしていますが、とにかくまだまだ型にはまっていません。

これから先も、型にはまらないように柔軟に進めていこうと思います。ちょっとでも、

来る若い人たちが自信を持って仕事をするように』

講師を頼まれたとき、栗原さんの志と心意気に共感し、ひとつ返事でOKはしたものの

参加者はきっとボクより30~40歳は違う、これだけの年齢差、それに現役世代の

彼等と定年し6年たったボク、厳しい日々を悶々と過ごしている彼らとノーテンキに

過ごしているボク、本当に目線が合うだろうか、どのようなアプローチで話せばいい

だろうか、何か少しでも役に立てることが話せるだろうか・・・、話の筋立てに

いろいろ悩んだ。

出した結論は、年齢や今のポジションじゃない、目線合わせができればいいはずだ。

一昨日来た人は25~37歳までの3人。男性ふたり、女性ひとり。

栗原さんは若者自立支援センターで2年間くらいパソコン指導をしていて、これまで

教えた生徒は100人以上いるとのこと。その人たちに声をかけているそうだが、

毎回参加者の数は流動的で、なかなか出てこないとのこと。

出てこれる人は極端なひきこもりではなく、一昨日の3人もそれほど厳しい状況では

なかった。ただ、ちょっと変わっているなぁという感じはした。

あとは、シニアITアドバイザー(SITA:サイタ)のNPOグループの人たち3人が参加。

持ち時間は2時間だったが、そんなに長くは感じなかった。

目線をあわせた話になるよう、公私両面でこれまで自分がピンチだったこと、

逆境を乗り切ってきた人たちの話、交通事故被害者・犯罪被害者支援活動、

最貧国カンボジアで見聞きしたこと、沖縄で知った沖縄戦のことなど、かなり

ストレートに話した。

最後に「生きづらい今の世の中に思うこと」を話し、意見交換をした。

和気あいあいの雰囲気で進められ大変よかった。

『同年代の仲間とは議論できないし、こうして意見がもらえることはスゴイうれしい』

とのコメントが印象的だった。

それとみんなが日々苦悶している様子が大変よくわかった。

話したことが少しでも何かの役に立てばうれしい。

地道にこのような活動をボランティアでライフワークにしようとしている主宰者の

栗原さんはあらためてスゴイと思った。

ボクの関連が終わったあと、栗原さんがパソコンの資格を取るための動機付けを

見つけてくれたらとの思いで、サイタのNPOのメンバーでパソコンのことなら何でも

ござれのMさんに講師になってもらい、どんな質問をしてもいいという時間があり、

こちらも盛り上がった。

すべてが終わったのは6時。結局みんなと8時間近く一緒にいた。

駅までの道すがら、3人と話しながら帰った。

頑張っている3人に幸多からんことを祈る。

2010年10月 4日 (月)

起訴相当の議決が出た!

言われていた予定より早く、今夕検察審査会が2度目の審査で小沢一郎に

起訴相当の議決を出した。これにより小沢は強制起訴されることになる。

審査会は相当高い確率で、再度起訴相当議決を出すだろうとは思っていたものの、

まさにわが意を得たりとの思いでニュースを観た。

強制起訴された小沢は法廷の場で、裁判所が選んだ弁護士が検察官となり、

裁かれることになる。

11人の市民で構成される検察審査会の今回のメンバーは男性5名、女性6名。

11人の平均年齢は30.9歳と大変若い。

女性が多く、しかも政治のていたらくが根底にあるこの厳しい世の中で、検察審査会

メンバーに選ばれた若く人たちに、「そもそも小沢は許せない」という気持ちが

なかったとは思えない。

国会ほか公の場で説明するよう誰もが求めてきたが、その声を無視し続けてきた

姿勢は、検察審査会メンバーの心証にきっとかなりの影響を与えたことだろう。

起訴された以上、小沢は刑事被告人である。刑事被告人が議員を続けることは

許されないし、もし仮にも議員を続けたとしても、本人は自らの無実の主張・立証に

奔走し、延々と裁判を続け、本来の政治活動なんてとてもやらないであろう。

であれば、小沢は潔く舞台から降りるべきである。

昨年5月に施行された「改正 検察審査会」の真骨頂がまさに具現化された。

裁判員制度同様、民意を反映させる司法改革のメダマで、改正の趣旨は、

検察官だけに認められてきた起訴の権限を市民も握ることにある。

その権限を行使することにより、検察が起訴しなくても国民の責任で、裁判所に

判断を委ねることができる。これがまさに改正 検察審査会の目指すところである。

小沢の強制起訴はこの新しい制度と考え方のもとで出された画期的な結論である。

あわせて、検察審査会の出した結論を裏返して考えれば、検察の捜査・再捜査が

不十分であったこととなり、小沢の強制起訴でも検察は面目をつぶしたことになる。

10年前、息子の事故の加害者の不起訴処分に対し異議申立てした検察審査会は

大きく様変わりした。当時、検察審査会は形骸化した組織であり、不起訴処分を

受けた者のガス抜きの場だと言われていた。

詮無きことではあるが、当時も今のようであったらとついつい考えてしまう。

2010年10月 2日 (土)

特捜検察が地に堕ちた

朝刊の「前特捜部長ら逮捕」の大きな見出しを見てびっくり。と同時に当然のなりゆきと

納得。最高検は『ふたりの認否は言えない』ということで、ふたりが供述した結果では

ないようである。

許せない検察!」のブログを書いた主任検事の逮捕から10日目、検察の膿が

白日のもとにあぶり出され、検察の解体的出直しが現実性をおびてきた。これも

至極当然。

大阪地検特捜部が組織ぐるみで客観証拠をゆがめ、村木元局長を逮捕し、5ヶ月間に

わたり拘留し、冤罪に落とし込んだ”検察の大罪”に対し、検察は組織を挙げて

”落としまい”をつけなければならない。

大罪の背景にあるのは、手柄をあげるために、正義より、自分たちの体面を取り繕う

ためには何でもやる悪辣な”検察体質”。

今週の週刊朝日が、”検察の大罪~現職検事逮捕は氷山の一角~”の特集記事を

組んでいたので、買ってきて読んだ。

先週土曜日参加した「いのちのミュージアム」開所式典で、10年以上前からの

知り合いのジャーナリストの柳原三佳さんに久しぶりに会った。柳原さんは交通事故、

司法問題等をテーマに執筆や講演活動を長い間続けている。帰り道、新宿まで

乗せてもらった車の中で、彼女がこれまで見聞きした”許せない検察”例をいろいろ

聞いた。

この機会に、我が家の”許せない検察”について紹介したい。

当時23歳だった息子の交通事故が起きたのは1995年7月。3月に大学を卒業し

就職し3ヵ月後、仕事中、運転していたバイクに前方不注視のトラックが一方的に

突っ込んできて起きた事故だった。

事故の現場検証を行った警察官が作成した実況見分調書は杜撰極まりなかった。

その杜撰な調書をもとに加害者の処分を決めたのは横浜地検横須賀支部の副検事。

副検事は司法試験に合格した者ではなく事務官あがり。多くの交通事故を副検事が

担当する。

加害者を厳しく処分するよう求め、この副検事と相当やりあい、支部長に嘆願書を

出したものの、彼らが下したのは加害者に刑事罰を問わない不起訴処分。

副検事がいみじくも言った。『希望される処分を出すためには、私は上司を説得する

必要がある。説得材料となる証拠を示して欲しい』。考えられる論証をいろいろ提示

したが、副検事は聞き入れようとしなかった。そのとき思ったのは、『検察官は

”正義”で裁くのではない。自分の都合で処理するのだ』と。

その後、時間をかけて事故原因を調べ、より論証を強固なものにし、最近話題になる

機会が多い検察審査会に異議申立てをした。

11人の民間人で構成される検察審査会の出した結論は”不起訴不当”。

検察審査会の議決書は通常より分厚いもので、『杜撰な警察の調書をそのまま

鵜呑みにし決めた検察の処分は容認できない』と詳細に記されており、加えて

横浜地検交通部長の対応にも問題があった、と指摘した内容であった。

横浜地検横須賀支部の検察審査会で不起訴不当の議決が出されたことはほとんど

例がなかったため、新聞4紙が地方版で大きく報道した。

それを受けて行った検察の再捜査は卑劣を極めた。再捜査担当検事には新たに

若い検事Kを充て、検事は証人ふたりを別々に呼んで面談し再捜査を行った。

その折、検事が作成した証人調書はまさに検察の都合のいいように(即ち、不起訴

相当に誘導するように)作られた。証人から話を聞いた検事が勝手に作成した調書を

面談した証人に読ませ、ふたりとも『こうじゃない、こうは言わなかった』と抗議したにも

かかわらず検事は強引に説得し署名・捺印させ、捜査報告書をつくりあげた。

このあたりのいきさつは、知り合いのふたりの証人の方々から再捜査を受けたあと

すぐ電話があり、卑劣な検事の取調べについての報告とともに、お詫びの連絡を

いただいた。

この過程は、新聞に報じられている通りである。即ち『真実は何か、ではなく、先ず

ストーリーを作り、それに沿った調書を強引に作りあげる検察の常套手段』通りに、

検事Kは処理したのである。

今回の特捜部の不祥事は、「正義に則って裁くのではなく、自らの都合と組織防衛、

態勢維持を第一義に考え処理する」との、検察の体質がまったくそのままあぶり

出された事件である。

検察には「解体的出直し」が絶対必要である。

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