沖縄の娘宅へ(5:沖縄県立博物館)
去年9月、娘家族が沖縄に引越して以来、娘の入院手術もあり、
沖縄に来たのは、今回が5度目。
毎回観光にはほとんど無縁である。
今回は観光とは言えないが、前から行きたかった沖縄県立博物館に
ひとりで行ってきた。ボクは博物館が大好きで、海外に行った折にも、
時間があれば博物館に行くことにしている。
いろいろなことを断片的に見聞きしてきた沖縄なので、ぜひ体系
だって、特に歴史を知りたく、そういう意味でも沖縄県立博物館には
興味があった。
貝塚のムラから、次第に実力者が現れ統一される様子が様々な
グスク(城)や出土品で紹介されていた。各地の勢力は、やがて
3つに収斂し、激しい抗争を繰り広げた。これらの3つの勢力は、
15世紀はじめ尚一族によって統一され、琉球王国が築かれた。
首里を拠点とする琉球王国は、500年の長きにわたり続いた。
琉球王国には以前から興味があり、詳しく勉強してみたい。
明治時代に入り、明治政府による琉球処分が行われ、最終的に
王国は消滅し、廃藩置県により沖縄県となった。
太平洋戦争末期、1945年、沖縄では住民を巻き込んだ日米両軍
による地上戦が行われ、数ヶ月で23万余りの尊い人命が失われた。
焦土と化した沖縄では、多くの貴重な文化財も焼失し、破壊された。
終戦に伴い、沖縄の施政権は日本からアメリカに移りアメリカにより
27年間統治が続いた。1972年に沖縄の施政権は日本へ返還
されたが多くの基地が残されるなど、未解決の問題が山積している。
2時間以上かけてゆっくり観て回った。
博物館に行った翌日、今回も沖縄戦の跡地を観に行った。
娘宅から車で20分くらいのところにあるヌマチガマという壕の跡を
遺した場所で、探すのに苦労した。
沖縄では防空壕をガマと呼び、硬い岩盤を切り崩して造ったものが
特に南部にはあちこちに残っている。
ヌマチガマは主に傷病兵用の壕だったのだろうか。
壕は立ち入り禁止で中に入ることはできなかった。
壕の入り口近くに
記された石碑が建っていた。
兵隊さんの看護をした
野戦病院の看護生たち
だったのだろうか。
石碑と壕の入り口で
手を合わせた。
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