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2010年2月

2010年2月28日 (日)

突然の帰省(2)

翌日はオフクロとカミサンの3人で、倉敷観光の中心である美観地区を散策した。

美観地区の名がついて、おそらくもう40年くらい経つのではなかろうか。

町興しということでは倉敷は早く手を付けた。当時の女性誌アンアンやノンノンが

火付け役のひとつになり、倉敷の知名度は上がった。

先ず、アイビースクエアと呼ばれる  Rimg0554 

場所に寄った。

元倉敷紡績の跡地を使って建てられ、

これも大ヒットであった。

名前もいい。中央がツタで覆われた

大きなスクエアになっている。

30分くらいこの広場でボーっとしていた。

そのあと美観地区を歩いた。小さい頃から見慣れた風景だが、とっても落ち着く

和める空間である。川沿いの家に立派な大きな松があった。

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Rimg0561 Rimg0567 

美観地区の中心は大原美術館。Rimg0581

大原美術館は80年前の1930年に 

地元の名士大原孫三郎氏が開設した。

大原家は倉敷では超名門で、

大原孫三郎氏は倉敷紡績社長はじめ、

中国電力、中国銀行、クラレを創設した。

倉敷には右の写真のような白壁にRimg0582 

囲まれた路地が多くある。

このような路地は昔のまま残っている。

美術館の裏にある新渓園でちょうど

お雛さまが展示されていて寄ってみた。

旧家に所蔵されている古いすばらしい

雛飾りが展示されていた。

右のお内裏様は100年前のものとのこと。

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小腹がすいてきたので、遅昼をすることにした。

たまたま見つけた香里園というお好み焼きの店に入った。

小・中学生のころ、お店の近くに友だちが多くいてよく遊んだところ。

お店のご夫婦も同年代のようだったので、声をかけたら話が弾んだ。

50年以上前の友だちの名前や住んでいた家の場所がすらすら出てきた。

カミサンから『昨日夜何を食べたか出てこないのに、不思議』と冷やかされた。

食事をしたあと、一度家に帰り、車で30分くらいのところにあるカミサンの実家に

墓参りに行った。

翌日、4泊5日の帰省を終え、横須賀に戻ってきた。

2010年2月26日 (金)

突然の帰省(1)

突然の訃報が届き、親戚の通夜と葬儀に出席するため、郷里の倉敷に急遽帰った。

20歳前半の男の子ふたりを遺し、逝ってしまったお母さんとの悲しい別れであった。

30年以上前から知っている仲で、とても心の優しい穏やかな女性だった。

葬儀がすべて終わったあと、2泊して90歳のオフクロ孝行をしてきた。

泊まったホテルは、夫婦で帰ったときの定宿のビジネスイン倉敷

倉敷駅から歩いて15分、美味しい朝食がついて、170台収容できる広い駐車場、

自転車無料貸出し、それにアットホームな雰囲気のお勧めのビジネスホテル。

葬儀の翌日、弟家族が2世帯住宅を建て同居してくれているオフクロを訪ねた。

帰省したら毎度のパターンで、岡山に住む妹に声をかけ、今回もオフクロも一緒に

妹に車であちこち連れて行ってもらった。

先ず、吉備路の道の駅へ。地元で採れた野菜や果物が安い。

弁当を買って、『きれいな梅を見に行こう』との妹の発案で、種松山の梅林へ。

ちょうど満開で快晴の青い空に映え、最高だった。

Rimg0534_2 

枝垂れ白梅は、残念ながら時期が少々早かった。

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梅園の帰り、道の駅で買った花を持って、墓参りに行った。

夜は弟夫婦と一緒に、倉敷の寿(ヒサ)という店で食事。

店のオリジナル料理、「とろけるとうふ」と「もちだんご」が出てきた。

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写真を撮るのを忘れた瀬戸内近海の刺身以外にも色々いただいた。

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2010年2月21日 (日)

確定申告

確定申告の時期になり、今年もパソコン教室事業の申告を税理士のFさんにやって

いただくため、金曜日、関係書類を持ってFさんの事務所を訪ねた。

今回が6回目の申告となる。これまで六本木にあった事務所は、神保町の近くに移り

新しい事務所に初めてお邪魔した。

6回目なので申告に必要な書類の準備、手順は問題ない。

この時期以外ほとんどお会いすることがないので聞きたかったふたつのことを聞いた。

1年のうち税理士が一番忙しいこの時期に、結局1時間半お付き合いいただいた。

金曜日は久しぶりに快晴のぱかぽか陽気だったので、事務所を出たあと、東京駅まで

歩くことにした。

途中、地区の地図が書かれた掲示板に、「帰宅困難者支援場所」の表示があった。

英語が併記されていて、”Shelter for people who can not go back home”

外人は何のための場所と考えるだろうかと思いつつ見た。

丸紅本社ビルそばの平川門わきに

桜がきれいに咲いていた。               Sakura 

早咲きで知られる、かわづざくらが3本。

青空に映えきれいであったが、昼食に

向かうサラリーマンの中には、ほとんど

立ち止まって見る人はいなかった。

竹橋では久しぶりに毎日新聞本社

ビルに入ってみた。

昔何度か取材を受けたり、知り合いの記者に相談ごとを持って訪ねてきたことを

思い出した。

そのあとJICA、気象庁前を通り、大手町に。

1時過ぎていて、サラリーマンのランチタイムが終わった時間だったので大手町で

食事をした。

ちょうどテレビでオリンピックの男子フィギュアをやっていて、織田選手が滑走中

シューズのヒモが切れたところを報じていた。

食事後、日比谷通りに出て、勤務していた会社の本社が以前あった丸の内センター

ビルの前を通り、懐かしくて久しぶりに入ってみた。

そのあと、シートをかぶった改装中の東京駅から電車に乗って帰った。

一日に歩くノルマの距離は十分に歩いた。

2010年2月18日 (木)

映画「インビクタス/負けざる者たち」

映画評を見て、面白そうなので観に行った映画。「インビクタス/負けざる者たち」

クリント・イーストウッド監督作品。

定年後観たイーストウッド監督映画はこれが5作目。

硫黄島を舞台にした2部作、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」、それに

「チェンジリング」と「グラン・トリノ」

「インビクタス/負けざる者たち」はGooのポイントが87点だけあって、いい映画だった。

ただ、ボクの5作品の中のベストは「チェンジリング」

「インビクタス/負けざる者たち」の原題はInvictus. 辞書を引いてもInvictusは出て

こない。

1994年南アフリカ共和国初の黒人大統領に就任したネルソン・マンデラ氏が主人公。

南アでは白人と非白人の人種隔離政策(アパルトヘイト)が長い間続いてきた。

マンデラ氏は若いころからずっと反アパルトヘイト運動に取組み、1964年国家反逆罪

終身刑で、26年間の長きにわたり刑務所に収監された。マンデラ氏が収容されていた

ケープタウン郊外の刑務所の牢獄が作品の中で出てきた。

1990年に釈放されたあと、1994年に南ア史上初の全人種参加選挙が実施され、

大統領に選ばれた。

マンデラ氏は民族和解・協調を呼びかけ、アパルトヘイト体制下での白人・黒人との

対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済不況からの脱出に尽力した

ただ、新生国家の船出には多くの問題があった。ある日、ラグビー南ア代表の試合を

観戦したマンデラ氏の頭の中で何かが閃いた。南アではラグビーは白人が愛好する

スポーツで、黒人にとってはアパルトヘイトの象徴。しかし、1年後の1995年に南アで

開催されるラグビーのワールドカップで南アのチームが勝てば、それが人種間の和解に

つながるかもしれない…と。

マンデラ氏は、「黒人が白人に仕返しをするのではなく、共に新しい国家を造ろう」と

訴える。そして白人たちが愛していたものを取り上げるのは逆効果と考え、ほとんどが

白人というラグビーチームを応援する。

そして、95年に南アで開催されたワールドカップでは・・・

マンデラ大統領役の主演のモーガン・フリーマンは好演だった。風貌はマンデラ氏に

そっくり、それにきっとマンデラ氏の話し方もこうだっただろうと思わせるしゃべり方。

映画が終わったあと席を立つ人ははほとんどいなかった。エンディングで流れる曲が

すばらしかった。

映画の副題は『ひとつの願いがほんとうに世界を変えた物語』

マンデラ氏はまさにそのような人であったのだろう。

2010年2月15日 (月)

市議選出陣式

3週間いた沖縄から横須賀へ帰ってきて、あの沖縄の暖かさが懐かしい。

帰ってきた日、沖縄は最高気温26度、こちらは6度。

薄い布団1枚でよかったものが、上下に毛布、大きな布団をしっかりかけて寝ている。

さて、昨日は先月22日のブログに書いた日野市の市会議員 菅原直志さんの市議選に

向けた事務所開きと出陣式に参加した。

選挙は21日。昨日公示され、1週間の選挙戦がスタートした。

菅原さんのことは何度かブログに書いた。

犯罪被害者団体ネットワークの事務局長で、このことがきっかけで1年前に知り合った。

25歳で挑んだ日野市の市議会議員に当選し、4期16年間地道に活動されてきて、

今回5期目の挑戦。

事務所開きは2時にスタートした。Pic1 

選対本部長ほかの挨拶のあと

菅原さんが5期目に臨む心境、

16年間やってきた実績、政治信条を

話した。今回も感動的な内容であった。

初めて市議を目指した16年前のことが

特に心に響いた。

お金も車も事務所も何もない中、支えてくれる仲間はたった5人。当時住んでいた

アパートの前で、実行したい政策を訴えたのが第一声。

菅原さんのバックグラウンドは、岩手の片田舎に住んでいた7歳のときお父さんを

交通事故で失くし、お母さんが内職の月収6万円で3人の子どもたちを育て、貧困と

失意のどん底の中、 ブログに何度か書いた「あしなが育英会」の支援を受け、高校

大学に進学した経歴の持ち主。

菅原さんの政治信条は、『あしながさんの愛を政治に』

昨日の挨拶でも、「社会に見捨てられなかった」という感謝を形にするために16年間

走り続けてきたこと、市議会で「被害者支援条例」を提唱し、4年間かけて、東京都で

初めて条例制定を実現したこと、現在最も力を入れていることは、自殺対策で、

『自殺は社会死、政治に責任』を掲げ、日本初の条例化を目指して活動していること

などが紹介された

4時から場所を移し、京王線高幡不動駅前で出陣式が行われた。

日野市長ほか応援演説があり、多くの道行く人たちが足を止め、菅原さんの演説に

聞き入った。応援弁士のひとりは、菅原さんの恩師である元NHKアナウンサーの

酒井広さん。

Pic2 Pic3 

出陣式が終わり、品川に帰られる酒井さんとご一緒した。 

酒井さんは今年84歳とのこと。30年近く前であろうか、テレビで拝見していた酒井

さんの面影が思い起こされた。

NHK、その後民放で活躍されたころの話、戦争・戦後の話、支援されているあしなが

育英会のこと、菅原さんのこと・・・

『お互い、道中退屈しませんでしたね』と挨拶を交わし、お別れした。

【追伸】

先日ブログ「市議選出陣式」で紹介した、日野市の市会議員 菅原直志さんの選挙結果について。

日曜日に投開票が行われ、当選者24名中5位、得票数3153、前回の1800票に大きく積み増し、

すばらしい結果となった。

平素の菅原さんの地道な活動が見事に実を結んだ。

当選の報告メールと電話をいただいた。

2010年2月10日 (水)

またまた沖縄へ(8)

思いのほか長逗留になったが、いよいよ明日横須賀へ帰ることになった。

約束をいくつかキャンセルし、結局3週間いたことになる。

このところ沖縄は天気がさえず、Rimg0443

小雨の日が多く、体がなまっている

気がして、近くを1時間半ほど歩いた。

何度も書いたが娘宅の近くは緑が

いっぱいの田舎。

アパートのすぐそばはバナナ畑。

来る前、土地勘のないところでやる

娘の手術を大いに心配したが、無事終わり、懸念を残すことなく元の生活に戻れており

ホッとした気持ちで帰れる。

近所を歩いていて、黄色いハイビスカスを見つけた。黄色は珍しく、初めて見た。

こちらはまったく珍しくないが、大きなガジュマルの樹が植えられた家があった。

Rimg0438 Rimg0418

途中大きな墓の前を通った。沖縄のお墓は琉球の流れで本土のお墓とは全く違う。

このお墓は1950年建立と書いてあったので、沖縄の本土復帰の20年以上前に

建てられたもの。沖縄では法事は親族がお墓の前に集まって行われるそうだ。

遠景に海が見えた。

Rimg0440 Rimg0442

帰ってきたら、姉孫がまだ幼稚園から帰ってきていなくて、妹孫は大好きなお人形の

プーサンとハナチャンと独り遊びをしていた。

孫たちは女の子のためか、料理をつくって、サーブするレストラン遊びが大好き。

夜は、妹が送ってきてくれた絵本を姉孫が妹孫に読み聞かせていた。

Rimg0444_2 Rimg0430

「またまた沖縄へ」シリーズは、まるでマゴマゴ日記になりました。

長い間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

2010年2月 8日 (月)

またまた沖縄へ(7)

土曜日、姉孫の幼稚園の生活発表会があった。

幼稚園にとっては、年1度、園児の活動の成果と成長振りを披露する大変重要な催し。

9月に引越してきてすぐ姉孫は幼稚園に

入り、入ってすぐ発表会の練習がRimg0451

はじまったそうだ。

発表会は、中央公民館で9時スタート。

8時半から「親子手作り絵本展示会」が

行われた。12月に来たとき姉孫と娘が

一緒に作っていた力作も展示されていた。

姉孫の絵本のタイトルは

「パパの魔法のポケット」。 Rimg0506 

ストーリーは姉孫のアイディア。

字も絵も本人が描いて、娘は仕上げと

体裁に手を加えたそうだ。

文字通り、パパの魔法のポケットから

いろんな楽しいものが飛び出してくる。

出てくるものも全て姉孫が考えたとのこと。

Rimg0504 Rimg0505 

絵本は両開き8ページ。ポケットから飛び出してきたのは、パソコン、スカート、ギターに

イチゴ。それぞれを両開きの絵本に描いていた。

クラスの32人全員が発表会の前々日、お友だちの前で披露したそうだ。

発表会は全員の挨拶でスタート。Rimg0468

挨拶は沖縄方言で、みんなよく覚えて  

いた。

帰って孫に聞いたら意味はぜんぜん

わからなかったけど覚えたとのこと。

次に全員で歌。Oh My Sun Shineと

沖縄方言の歌、それに手話の歌。

Rimg0469 Rimg0482 

姉孫たちのクラスは「大きなカブ」の劇をやった。役は、大きなカブ、おじい/おばあ、

孫、イヌ、ネコ、ネズミ、みんなで大きなカブを引き抜く。

姉孫は孫の役をやりたかったらしいが、じゃんけんで負けて一番最後に出てきて

引っ張るネズミ役。「ちゅー、ちゅー」を何度も何度も練習したそうだ。

Rimg0496 Rimg0498 

9時からはじまった発表会が終わったのは11時半。

充実した催しで、たくさんの出し物があり、長い間かけて子供たちを指導してくださった

先生方は、さぞかし大変だったことだろう。

帰り道、『楽しかった!』と言う姉孫のうれしそうな顔を見て、中途入園した孫を導いて

いただいたN先生ほか、先生方皆さんに大いに感謝した。

2010年2月 6日 (土)

またまた沖縄へ(6)

水曜日は節分だった。

姉孫は幼稚園で鬼のお面を作りみんなで豆まきをしたそうだ。作ったカラフルなお面を

持って帰ってきて、すぐ家でも豆まき。

Rimg0386 Rimg0392 

夜は翌日から出張のダンナ主催の

娘の快気祝い。                         Rimg0400 

家から車で5分の高台にある

レストラン”Vegetarica”

この夜は我々以外お客さんは

いなく、貸切り。

庭でつくった野菜をふんだんに

使った料理は美味しく、値段もリーゾナブル。

   ※ Vegetarica  南城市玉城字糸数15-6  Tel  098-949-1505

Rimg0401 Rimg0403 

Rimg0405 Rimg0407 

姉孫が『家族の中で誰が一番好き?』

姉孫は『(妹の)ユーチャン』、妹孫は『おねえちゃん』

姉孫に『2番目に好きなのは?』と聞くと『ママとパパ』。『3番目は?』には『ナナちゃん

(カミサン)』。じーじは最下位の4位。カミサンと同位かと思ったのに、ガックリ(笑)

妹孫を1位指名した姉孫は、早速一番好きだということを態度で示していた。

Cimg3315 Cimg3316

ダンナから、『明日から出張で、帰ってくるのは10日後』

娘が、『まだ傷口が完全でなく、重いものを持たないように言われているけど、抱っこ

しなきゃあダメで、しばらく自信がない』

ということで、8日に横須賀に帰る予定であったが、10日までいることにした。

翌日、姉孫を幼稚園に迎えに行ったときの話。

少子化のため、近隣の三つの幼稚園が統合されることが決まっている。

そのため通っていた幼稚園の建て替えが始まり、12月末から、体育館にマットと畳を

敷いた仮設の幼稚園ができた。

Rimg0420 Rimg0421 

迎えに行くと、姉孫は部屋の隅でひとりで毛糸で何かを編んでいた。既に出来上がって

いる子に見せてもらうと、5本の指を使って編んだ細いマフラー。

姉孫のものはほとんど出来ていなく、手元で毛糸がもつれていて、出来そうな雰囲気

はない。やり方を覚えるまで待とうと思い、顔なじみの先生に、その旨話した。

先生から、『やる気があるので待ってあげて』と言われ、じっくり待つことにした。

しばらく待っていると、先生に教わってやり方がわかったようでマフラーになりつつ

あった。

待つこと1時間。先生に助けてもらってマフラーは見事に出来上がった!

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先生から『よく頑張りました』とほめてもらい、先生はそっと、『出来上がったら、

今来ているおばあちゃんにあげたい。おばあちゃんが帰るまでに、どうしても作り

たいと言ってました』

そうだったんだ、それでガンバってたんだ。

2010年2月 4日 (木)

またまた沖縄へ(5)

沖縄の桜の開花が日本一早いことはよく知られている。特に有名なのは名護の桜。

今回来て、娘宅の近くの八重瀬も地元では早咲き桜で知られていることを知った。

ダンナと娘が帰ってきたので、我々は自由に動けるようになり、八重瀬公園に桜を

見に行った。

公園の入り口には、沖縄戦の学徒病院壕跡があり、学徒病院で働いた女学生の話が

案内板に紹介されていた。

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桜はちょっと時期が早かった。ただ、その中でもきれいに咲いているものもあり、染井

吉野に比べ、咲き方にばらつきがあるようだ。

八重瀬の町の自慢を子供たちが絵に描いて紹介していた。町魚のとびうお、ピーマン・

オクラの沖縄主要産地。

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八重瀬公園のあと、先日のブログに

書いたアグリハウスこちんだへ寄りRimg0377

買い物して帰った。

この日買った色々な種類の魚の

刺身(発砲スチロールのトレイに

盛り放題で500円) と沖縄特産の

海ぶどう150円は翌日の昼食で

海鮮丼になった。

今朝は娘の焼いたパンをみんなで   Rimg0385

食べた。娘はパンつくりの腕を

相当上げていた。

入院中、パンつくりの素となる酵母の

面倒はずっとカミサンがみていた。

娘はケーキとパンのお店を作るのが

夢のようで、一時学校に通っていた。

毎週水曜日はミサキの幼稚園はRimg0376

給食がなく、弁当持参。

前日の夜、ミサキはママに

玉子焼きの作り方を教わって

初めて玉子焼きつくりに挑戦。

それとソーセージに切り目を入れて

カニとライオンをつくった弁当が完成。

弁当と言えば面白い話があった。

ここは田舎のため、集落の人たちへの告知手段として拡声器のスピーカーが頻繁に

使われている。

火曜日夕方の放送は、園児・児童のいる家庭向けに、『明日水曜日は給食があり

ません。お弁当を持って登園・登校してください』

近くには小中学校、幼稚園・保育園が集まっている。翌日弁当を持たないで登校、

登園したら大変。たしかに必要なアナウンスである。

2010年2月 2日 (火)

またまた沖縄へ(4)

昨日、娘は無事退院した。

退院前の最後の検診が終わる予定の10時過ぎ、病院に迎えに行った。

確認のため、1ヵ月後に再度検診を受けるようにとの指示があり、めでたく8日ぶりに

退院できた。

退院手続きを済ませたあと、ちょうど出張から帰ってくるダンナを出迎えに、そのまま

空港に行った。

久しぶりに帰ってきたパパとママに会い、妹孫のユナは大興奮。

あれだけ、『じーじ、ななちゃん(カミサンのこと)』と言ってたユナは、今や何でも

『ママがいい』。パパ、ママがいないので、この人たちにくっついていないと思い、

頼り切っていたユナは、じーじはもはや頼る相手ではないと判断し、一転して強気に

なった(笑)

夕方、娘と一緒に幼稚園に姉孫のミサキを迎えに行った。ミサキはママに飛びついて

きて、喜んだ。先生たちも『良かったですねぇ』と皆さん喜んでくださった。

夜はすき焼きで快気祝いをした。ミサキが、『これでやっと家族6人がそろったネ』

『手術することを勧める』と先生に言われ、即入院することを決めたことが、とにかく

良かった。

入院した病院は県立南部医療センター。きれいな病院で担当医、看護士さん、皆さん

いい感じの人たちばかりだった。

知らない土地なので心配で、入院前にチェックした入院経験者の口コミ情報も好感の

書き込みが多く、実体験と相違はなかった。

それに、ここ沖縄南部地区は病院、開業医など医療機関が大変多い。車で通って

いてもそこらじゅう目につく。きっと医療機関が切磋琢磨していることだろう。

これで我々の任務は終わった。

ただ、たまたま6日に、長い間練習してきたミサキの幼稚園の発表会が予定されて

いて、先生たちから、『観て帰ってあげたら。寒いところに急いで帰らなくてもいいの

では』と勧められ、また娘の術後のサポートもあり、もうしばらくいることにした。

2010年2月 1日 (月)

またまた沖縄へ(3)

食材を買う店は娘が何ヶ所もカーナビに登録してくれていたため、問題なく行けた。

そのひとつが「アグリハウスこちんだ」。野菜、魚ほかいろんなものがおいてあり、安くて

夫婦で気にいった店。

「こちんだ」は東風平と書く。南風原は「はえばる」。

とても読めない地名、人名は沖縄には珍しくない。これはボクの推測だが、もともとは

琉球語で、それを漢字にあてたんじゃないかと思う。

Rimg0310 Rimg0315

やることがいっぱいある中、カミサンは毎日子供たちに三食つくることに、当然だんだん

参ってきた。

一昨日夜初めて居酒屋風の店にRimg0351

食べに行った。ここは子連れでも

気楽に入れる店で、娘たちもよく利用

している。店の名前は遊味(ユウミ)。

何とふたりの孫の呼称と同じ。

姉孫は沖縄そばが食べたいといい、

妹孫にも食べられるよう、ジューシー

(炊き込みゴハン)がセットになったものを頼んだ。

昨日の日曜日は午前中降っていた雨が止んだため、昼過ぎ、娘から『海のそばに

いいカフェがある』と教えられていた店に行った。

家から車で20分少々の海沿いの町、知念にある「海日和」という店。

天気の良い日は知念の海はコバルトブルーに輝く。知念は大好きな場所。

Rimg0353_3

全席、目の前に海が見える。注文したピザ、カレーライスどちらもボリューム満点で、

孫たちも喜んで食べた。トロピカルフルーツのジュースとお菓子のサーターアンダギが

ついていた。

Rimg0357 Rimg0358

オーナーの女性といろいろ話した。

『オープンして5年になるが、毎日この景色を見る贅沢を楽しんでいる』とのこと。

海を眺めながら、結局2時間近くいた。お勧めのカフェ。

   海日和」  南城市知念久手堅265  TEL 098-949-1186

またまた沖縄へ(2)

沖縄はとにかく暖かい。来て以来、毎日20度を超えている。陽がさす日はTシャツでも

大丈夫。ふとんも薄手のもの1枚で寒くない。昼間は部屋の窓を開けていても大丈夫。

週末は姉孫ミサキの幼稚園が休みのため、完全に終日拘束される。自由な時間は

夜孫たちが寝たあとだけ。

平日昼間はミサキが幼稚園に行っていて、妹孫のユナが昼寝をしている間は自分の

時間が持てる。その時間を使って、近所を1時間以上歩いた。

アパートの各戸が大家さんから1区画畑を無償で貸してもらっていて、娘はネギ、

エンドウ、レタスなどを育てていて、12月に比べ成長していた。

収穫した野菜はそのまま食卓へ。

Rimg0343 Rimg0309_2

裏に植えられているパパイヤも1ヶ月前に比べ大きくたわわに実っていた。

サトウキビ畑はあちこちで刈り取りが進んでいて、ザワワザワワの音が聞こえなく

なっていた。刈り取られたサトウキビを山のように積んだトラックをあちこちで見かけた。

黒砂糖に精製する工場に運ばれて行っているのだろう。

トラックが路上に落として行ったサトウキビの落し物もちょこちょこ見かけた。

近くの道で、落し物を見つけ、1本もらって帰ってみんなで食べた。

おとな4人、『いやー、なつかしい味!』

Rimg0342 Rimg0335 

今回もあちこちの家に咲いているブーゲンビリア、ハイビスカス、ポインセチアを見た。

Rimg0333 Rimg0334 

12月に来たときにも思ったが、ベランダから遠くに見える海岸に行ってみたくなり

出かけてみた。車で10分少々、ブルーがかった海の色がきれいだった。

数人のお年寄りがのんびり釣りをしていた。

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