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2010年1月

2010年1月31日 (日)

またまた沖縄へ(1)

12月に続き、22日より沖縄の娘宅に来ている。

12月に来たとき、娘は忙しさにかまけて行ってなかった病院に検診に行き、診断結果、

入院、手術が必要ということとなり、25日に入院、26日に手術をした。

ダンナが海外含め出張続きのため、ふたりの孫の面倒をみて欲しいと頼まれ、再び

来ることになった。

手術は無事終わり、心配していた懸念は払拭され、『思い切って手術してホントに

よかった~』と、全員安堵した。

退院する日は明日、2月1日に決まった。

我々が沖縄に来た翌々日ダンナは出張に出かけ、その翌日娘は入院した。

それ以降、我々夫婦で孫たちの面倒をすべてみなければならなく、とにかく大変

だった。

予想通り最も大変だったのは、入院した当日の夜。

孫たちは『ママ、ママ』と言い、姉孫のミサキ(5歳3ヶ月)は1時間以上ふとんの中で

シクシク泣いて寝付かなく、困った。

3日目になりやっと落ち着いてきたものの、毎晩、『楽しいお話をして。寝るまで手を

つないでて』 生まれてこの方なかったママの不在は、小さなふたりには大変ショック

出来事であった。

入院4日目に初めて病院に連れて行った。ママに会ったらふたりとも大歓喜。

1歳10ヶ月になった妹孫のユナは、この1ヶ月でおしゃべりと感情表現が一層進んで

いた。

ボクの一番重要な仕事はミサキの幼稚園の送り迎え。幼稚園までは車で5分少々。

はじまりが朝8時と早い。朝食のほか出るまでにさせる準備が色々あり、6時40分に

起こし、幼稚園に着くのは毎日8時ぎりぎり。

何度も会っているN先生は優しい先生で、毎日娘の状況を聞いてくれ、我々夫婦へも

何度も激励の声をかけてくださった。

幼稚園はこれまで12時で終わるクラスであったが、入院の前後は「お預かり」という

夕方4時までのクラスに娘がかえていて、時間的にはずっと楽だった。

毎日朝から夜までやることがいっぱいあり、カミサンと手分けしてやっている。

3度の食事、買い物、掃除、幼稚園の送迎、夕方のお風呂、着替え、おむつ交換、

水曜日のお弁当つくり、洗濯と干して取り込んで仕分け、ユナのお昼寝、歯磨き、

寝る前の読み聞かせ・・・

育児、家事の大変さが身にしみてわかった。

日を追うごとに孫たちは落ち着き、数日前はニューヨークに出張中のパパとスカイプで

顔を見ながらパソコン電話ができ、『パパ、パパ』とふたりとも大興奮。

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2010年1月29日 (金)

野村證券新春セミナー

久しぶりに野村證券のセミナーに参加した。

講師は横須賀支店の支店長。演題は、「新しい世界の枠組みにおいて問われる

”真の実力”」

「新しい世界の枠組み」とは何だろうと思いながら話を聞いていくと、新興国BRIC's

(ブラジル、ロシア、インド、中国)が、今いかに力をつけてきているかという視点が

話の中心に置かれていた。とりわけ中国。先日、GDPで日本を抜き世界2位となると

報道された。中国の注目株含め、セミナーのいたるところで『中国は・・・』が出てきた。

特に産業の高度化が著しく、公共インフラ(鉄道、水関連など)への旺盛な投資には

目を見張るものがあるとのこと。

株式市場の売買代金も今や上海市場は東京、ロンドンを抜いた。順位はナスダック、

ニューヨーク、上海、ロンドン、東京。

そのような中、注目企業(かつては推奨企業)を挙げていた。

住友化学(石化プラント)、住友金属工業(シームレスパイプ、高速鉄道車輌)、

日揮(石油ガスプラント)、日本製鋼所(原子力発電)、コマツ(中国・東南アジア向け

建機)、荏原(環境・水処理)、東芝(原子力発電)

中国を中心としたアジアの旺盛な消費拡大を取り込める企業として、携帯電話、

カード決済、衣料、ヘルスケア関連を挙げていた。

他には、IT関連で最近話題に上がることが多いクラウドコンピューティングに関連した

優秀な技術を持つ企業について触れていた。

東芝(フラッシュメモリー)、日本電産(ハードディスク)、トレンドマイクロ(セキュリティ

ソフト)、ソフトバンク。

締めくくりは、『11月27日、ドバイショックで日経平均は9076円まで下げ、為替も

1ドル84円をつけた。その後、12月中旬以降、株価は1万1千円近くまで戻し、

為替も円安に振れ、日本株の割安感から、外国人投資家が日本株を見直し始めて

いる。傾向としては悪くないと思われる』と、証券会社らしい結論で締めていた。

2010年1月27日 (水)

ミニノートパソコン購入

2年前、ミニノートパソコンを最初に売り出した台湾のASUS製の、画面が8インチの

ミニノートを5万円で衝動的に買った。

買ったあと、新しいものは出はじめを買ってはダメだとわかった。

メモリー、ディスク容量が小さく、ネットが途中で切れたり、さんざんだった。

今はミニノートの売り方としては完全に定着している「イーモバイル付、10円」の先鞭を

つけたのもASUSだった(最初は10円ではなかったが)

先日2台目のミニノートを買った。

台湾のエイサー製でXPバージョン。

画面は10インチ、メモリー2GB、ディスク150GB、無線LAN付で、3万8千円。

店頭展示の現品限りだったため、特にお買い得だったが、大手メーカー製含め、

全体的にミニノートは安くなった。

ASUSは5,500円で引き取ってくれた。

2インチ大きくなっただけで、ずっと快適に使える。

我が家の中はもちろんのこと、例えば、無線LANが通っている娘宅でも使える。

定年退職者には、イーモバイルは不要。

ネット検索とメール、それにブログが書ければ十分。

小さく軽く、旅行の持ち歩きも楽。

メモリーが2GB、ディスクも150GBだから、ASUSのようにメモリー、ディスクの容量を

気にすることなく使え、これが一番うれしい。MDカードの挿入口もあるのでデジカメで

撮った写真もそのままOK。

ボクは新しいことを覚えたくないので、OSはXPで十分。

いい買い物だった。これでまた数年は使える。

2010年1月25日 (月)

白陵惜春会

大学の寮の仲間の飲み会のことは何度かブログに書いた。

姫路で過ごした教養課程の2年間、かつての旧制高校の寮に住み、まさに同じ釜の

飯を食った仲間たち。

年に4回、有楽町の帝劇の下にある大学のクラブに集まっている。

会の名前は、「白陵惜春会」。

名前の由来は、当時の寮の名前が”白陵寮”で、寮歌に”惜春の賦の流れきて・・・”

という一節があり、そのふたつを合わせ命名。

我々と1年先輩と1年後輩の41人がメンバーとなっているメーリングリストに、毎回

開催通知流す。ボクはメーリングリストの維持管理を担当。それに万年幹事役。

今年第1回目の東京惜春会が先週火曜日に開催された。

今年から大阪でも関西惜春会が行われることになった。

今回の参加者は11名。惜春会に合わせ、在住しているタイから一時帰国している

Tさんも参加。

加えて、東京凌霜クラブ設立40年史の編纂作業でちょうど凌霜クラブに来ていた

ふたりも飛び入り参加し、総勢13名で賑やかに行われた。

毎回、持ち回りでやっているスピーチは、この日は1年先輩で大手製鉄会社の副社長を

務めたMさん。

演題は、「田沼意次の時代と寛政の改革 ~民主党は何を学ぶか~」

冒頭、以下の説明からはじまった。

『寛政の改革は、御三家、御三卿の強い推薦の下、白河藩藩主としての治世を高く

評価された松平定信が、1787年に老中主座に任じられ、それまで20年以上にわたり

権勢を誇ってきた田沼意次の路線の多くを否定し、新しい政治を導入したもので、

その意味では、現在我々が日々耳目に接する民主党の政治改革と置かれた状況は

極めてよく似ている』

『約220年前の政治の激変を学ぶことから、我々は今に通じる多くのヒントを得ることが

出来るのではあるまいか』

Mさんは結びで、寛政の改革から学ぶものとして、①独善の危うさ ②経済音痴が

政治を取り仕切る危険さ、③言論、思想、学問の自由の確保の3点を挙げられた。

40分くらいのスピーチが終わったあと、多くの意見、質問が出た。

混沌としている現在の政治情勢にぴったりの時宜を得た話であった。

あとはいつもの通り、さまざまな話題が飛び交った。

気心が知れた仲間なので、毎回気兼ねなく、わいわい盛り上がる。

この日も我々のグループが最後まで残り、恒例となった写真撮影を行い、9時前に

お開きとなった。

2010年1月22日 (金)

タウンミーティング

「犯罪被害者団体ネットワーク」、それに団体の事務局長をしているSさんのことは

何度かブログに書いた。

Sさんの本業は日野市の市会議員。日野市では2月21日が市会議員選挙で、Sさんは

5期目を目指し、選挙に向けた活動をスタートさせている。

『何かお手伝いできることはないですか』とSさんに連絡したら、『日曜日、日野で東京

21区選出の民主党議員 長島昭久さんのタウンミーティングがあり、そのとき挨拶する

ことになっているので、来てもらえばうれしい』との返事があり、参加した。

以前もSさんに会いに日野に行ったことがあるが、横須賀からは遠い。2時間半以上

かかる。

長島さんに先立ち、Sさんから挨拶があった。

Sさんは7歳のときお父さんを交通事故で亡くされていて、先日ブログに書いた

「あしなが育英会」から支援を受け、高校、大学に行った経歴の持ち主。

あしなが育英会」を支援する人たちは「あしながさん」と呼ばれ、Sさんの政治信条は

『あしながさんの愛を政治に』

Sさんは25歳で日野市議会に立ち、4期、16年間、やってきたことを話された。

感動的な話であった。

7歳でお父さんを失くし、お母さんが内職の月収6万円で3人の子どもたちを育て、

貧困と失意のどん底の中、あしながさんの愛に支えられ、高校、大学に進学できた。

『社会に見捨てられなかった』という感謝を形にするために16年間走り続けてきた。

市議会で「被害者支援条例」を提唱し、4年間かけて、東京都で初めて条例制定を

実現した。

現在最も力を入れていることは、自殺対策。

『自殺は社会死、政治に責任』を掲げ、日本初の条例化を目指して活動している。

自殺遺児たちのサポートを20年間にわたり続けている。

自殺遺児たちが語ることは、『親が行ききれなかった社会に生きる自信がない』

『自分は親に捨てられた子どもだから生きる価値がない』

Sさんがかける言葉はただひとつ。『一緒に生きていこう』

Sさんの話のあと、民主党衆議院議員で防衛大臣政務官の長島昭久さんから

国会活動報告を中心に話があった。その職務から安全保障問題が話題の中心

だった。47歳、民主党中堅の外交・防衛に精通した議員。

話はわかりやすく、終わったあと、いろいろな質問が出て、ひとつひとつ丁寧に答え、

頼りになる議員であるとの印象を持った。

駅まで帰る途中、Sさんの事務所に寄り、初めて奥さんにお会いした。

これから始まる選挙活動を支援するメンバーである、あしなが育英会の卒業者

7~8人に会い、みんなで歓談した。

2010年1月19日 (火)

1000件目の記事

この記事はちょうど1000件目の記念すべき投稿。

投稿するにはID、パスワードを入れて管理ページより記事をアップする。

管理ページにはさまざまな情報が掲載されている。投稿した記事の数はそのひとつ。

それ以外にコメント数、トラックバック数、アクセス解析情報など多くのデータの参照が

でき、ブログ全体の管理ができる。

ブログをはじめたのは定年して1年3ヵ月後の05年9月9日。

第1号ブログはこちら

以来、4年4ヶ月、書きも書いたり、とうとう1000件!

いつまで続くだろうと思いながら、軽い気持ちでスタートしたのが、こんな数になった。

その間にアクセクしていただいた件数は間もなく11万件。

定年退職者が日々を綴った日記に、よくぞ長い間こんなたくさんの方々にお付き合い

いただいたものだ、と感謝の気持ちでいっぱい。

投稿していただいたコメントは350件。コメントは直接の反応なのでうれしい。

4年4ヶ月の間、ひとりだった孫はふたりになり、成長記録が写真とともに残せた。

毎回丹念に書いた旅行記も思い出として残った。

ブログを通して新しい交友関係もできた。

どこでどのような方に見ていただいているのだろうか、と考えるのも楽しい。

検索フレーズランキングでは”定年”関連が多い。検索サイトで”定年”で検索し、

見つけていただいた方も少なくないのではなかろうか。

何度か紹介したが我が家はカミサン沖縄に住む娘もそれぞれブログを楽しんでいる。

いつまで続けられるかわかりませんが、今後もお付き合いよろしくお願いします。

2010年1月16日 (土)

新年会

今週は新年会が2回あった。

先ず、水曜日は高校の仲間、男10人が有楽町に集まった。

高校の友だちだから、およそ50年前一緒に学んだ仲間。学校は倉敷青陵高校。

10人のうち、2人は卒業後初めて会った仲間。名前は思い出すが顔はまったくダメ。

他の8人は、何度か飲み会や数度1泊旅行に行ったことがある連中。

『まだ働いているのは?』と聞くと、半分がフル勤務ではないが働いている。

うちひとりは公認会計士・税理士で、確定申告のはじまるこの時期は超多忙。

『3年生は何組だった?先生は誰だった?』と聞かれてもまったく記憶ない。

覚えている連中が結構いるのには驚いた。

ひとしきり、当時人気のあった女の子(当然、今はみんなおばあちゃん)の話題で

盛り上がった。

『お前が好きだったのは?』 当時みんなが憧れた女友達は共通していて、ボクが

好きだった子も含め、5~6人の名前があがった。

旅行の話も盛り上がった。みんないろんなところに行っている。アフリカ、エジプトを

勧める者、南米が良かったという者、生まれた地である中国の瀋陽に行き感激したと

話す者、通算ヨーロッパに10数年駐在していた者・・・

シニアが集まれば定番の政治の話、健康の話はもちろん出た。

健康の話では「健康年齢」という言葉を初めて聞いた。健康年齢とは健康で過ごせる

平均年齢。男は72歳、女は79歳とのこと。男の平均寿命が79歳ということは、平均で

言えば、男は7年間老い、病苦で苦しむということになる。

ボクのブログも何度か話題になった。

6時半からはじまり、絶え間なく盛り上がり、9時半ころお開きになった。

昨日金曜日はNPO法人アクティブSITA(シニアITアドバイザー)グループ恒例の新年会

が、5時から中央林間のカラオケ店を借り切って行われた。

参加者は男性18人、女性2人。会のメンバーは37名なので半分以上が参加した。

こちらは毎年決まった出し物がある。

先ず、隠し芸大会からスタート。何とバイオリンと尺八のコラボ。

合奏は春の海ほか。独奏曲の中には演歌もあった。すばらしい。

定番の出し物は「男の手料理」。昨日は6人が腕を振るって持ち込んでくれて、

みんなで美味しくいただいた。持ち寄られたメニューは、酢豚、筑前煮、肉じゃが、

キンカンの甘煮など。元会のメンバーで一昨年、長野県の安曇野に居を移したSさん

から自分で作ったたくさんの干し柿が届いた。

Ryori

心のこもった手料理はどれも好評で、みんなでどの料理も完食。

あとはビンゴで大盛り上がり。さすがパソコンの得意な仲間の集まり。ビンゴのソフトを

使って壁に経過を映し出す。

最後はカラオケ。

料理、お酒を持ち込んだおかげで、最後はお寿司も出て、アイスクリーム・カステラの

デザートが付き、しかも金曜日の夜、カラオケ店を借り切り、これで会費は3,500円。

5人の幹事団の皆さんに感謝の気持ちを込めて労をねぎらい、8時半お開きとなった。

2010年1月14日 (木)

シニアITアドバイザー

パソコン初心者を指導するシニアの技術スキル、指導スキルを認定する

シニアITアドバイザー」(SITAサイタ)試験制度については、ブログに何度も書いた。

定年直前にいた職場で、退職後何か会社に残るような仕事をして辞めたいと考え、

はじめた制度がSITA(サイタ)であった。

このあたりのことは昨年2月のブログSITAの思い出5回にわたり書いた。

最新の数字はわからないが、受験していただいた方は、累計の延べで(1~3級あり

例えば3つの級を受けていただいた方は3人と数えて)おそらく1万人にはなっている

ことと思う。

SITAの有資格者で三鷹を中心にすばらしい活動を続けている山根明さんに今日午後、

横浜でお会いした。

山根さんから『長年にわたって培ったシニアの豊かな経験や知識を活かし、ITを活用し、

NPOやボランティア活動を行う人材を育成する計画を練っている。案がまとまったら

相談に乗って欲しい』と以前から言われていた。

今日、山根さんから構想をお聞きし、意見交換をした。

ボクがSITAを立ち上げたのは、ちょうど今から10年前。在職中は立ち上げたSITAの

普及に注力した。退職し5年半経った今、SITAの主宰元である富士通のSITAへの想い

普及促進に対する意欲は明らかにトーンダウンしている。

山根さんとボクの意識がぴったり合ったのは『SITAを刷新し、新SITAを軸に山根さんの

構想である”シニアの地域デビュー支援”のツールに活用しよう』という点であった。

山根さんがこれまでに地域で実践活動されてきた過程で、様々な組織とコネクションが

できている。例えば、多摩地区の信用金庫、商工会、三鷹ネットワーク大学など。

メンバー12名の新しい推進組織も立ち上がってきている。この組織を山根さんは

「地域活動スタッフ育成会」と呼ぶ精鋭グループに発展させようとしている。メンバーの

皆さんは定年退職前後の人たちで、ITを活用して地元で何か新しい風を起こしたい、と

望んでいる人たちばかりである。

一方、富士通が主宰するSITAは明らかに時代の変化と求めについていけていない。

そこで、SITAを新たな形にし、それを山根構想と融合し、モデル地区を選んで

トライアルをはじめようということになった。

『教えるシニアも楽しい、学ぶシニアも楽しい』をモットーに、これまでのSITAの中心

テーマであったWod,EXcelに加え、例えば『撮り、書き、情報発信』という感じなどの

新しいカリキュラムを設け、資格を取った人たちが活躍できる場の一層の拡大など、

ふたりの議論を大いに盛り上がった。

我々の想い、考え、進め方をもっと深堀りしまとめ、近々富士通に行って意見交換を

しようということで、今日の議論はまとまった。

2010年1月12日 (火)

朝日歌壇

以前にもブログに書いたが、月曜日の朝日新聞に掲載される「朝日歌壇」は毎週

読んでいる。

年明けということもあり、今回は09年の入選作から、4人の選者が各1首選び、4首が

紹介されていた。

  ※ 「煙草吸うヤツしか乗せない」はずだった車に置かれたチャイルドシート

  ※ うずくまる野手をなだむる野手がいて勝者は既に整列を終う

  ※ 白鳥が水浴びるごと噴水は降りしきる雨を受けてはばたく

  ※ 子ら起きる前のひとときひっそりと『1Q84』年に旅する

1年間の数多くの投稿の中から選者が選んだ4首、もちろんそれぞれ秀逸であるが、

ボクは昨日の新聞で紹介された以下の3首が印象に残り、何度も読み返した。

選者の評とともに紹介。

  ※ 自死防ぐ討論会は何一つ結論は出ず静かに終わる

    【評】 「自死」の問題への注目も結論なしの情景を「静かに終わる」ととらえて

        今日を生きる人々の深淵のような心の深みをのぞかせた。

  ※ 社員三人鬱病となしし社に勤め十六年をくたびれ果てぬ

    【評】 今日の世相そのものを体験にもった歌。作者も鬱情をまぬかれながら

        「くたびれ果てぬ」とうたう。

  ※ 中学を出て働きしご褒美にこの頃年金友より多し

    【評】 年金に関連した珍しく明るい作。暗い歌をたくさん読んできて、この歌に

        出会い、ほっとした気分を味わわせてもらった。

今週の入選作の1番目と2番目は「死」を連想させる歌である。

生計の主を失くした家庭の子供さんたちに手を差し伸べることを趣旨に活動している

あしなが育英会に支援をさせてもらっている。

定期的な寄付とともに、街で募金活動に出会ったときは必ず協力させてもらっている。

年に数回、ニュースレターの「あしながファミリー」が送られてくる。

年末号では、お父さんを亡くし、お母さんが家計を支えるため必死になって働いている

家庭の子供たちと母親の投書がいくつも紹介されていた。

『大学に合格したが、入学金が払えず、合格を取り消された』というケースが数例、

ほかには『子供たちを何とか高校にだけは行かせたい』と、切ない母親の投書も

いくつかあった。

今年度、あしなが育英会の奨学金を借りて高校に進学した遺児の母親729人の

平均勤労年収131万円。調査史上初めて一般家庭の3割を割り込んだとのこと。

特に読んで辛いのは父親が自死した家庭である。子供たちはお父さんが自殺した

とは言えないまま、辛い生活を強いられている。毎年3万人を超える自殺者、その

多くの家庭で起きている現実である。

そのような中、『超党派で子どもの貧困対策基本法を制定する取り組みが始まった』

との大変うれしいニュースが紹介されていた。

あしなが育英会の遺児学生と会が中心となり、提唱した結果とのこと。

「あしなが育英会」と遺族の宿願だった基本法が制定されれば、貧困家庭の子ども

たちや若者を取り巻く問題が、前に進む大きな一歩となることは間違いない。

2010年1月10日 (日)

アメリカから新年の挨拶

松の内も過ぎ、いまさら新年の挨拶はピント外れであるが、ブログに何度か書いたこと

ある南カルフォニアに住む小林君から、お正月に届いた「年頭挨拶」メールを紹介。

小林君は在職中にアメリカの大学でMBAを取得し、アメリカ人女性キャサリンと結婚。

3女をもうけ、サンディエゴの近くのカールスバッドに居を構え、日米の企業の連携を

務めるコンサルタントとして活躍している。

アメリカ社会への貢献が認められ、数年前アメリカの市民権も取得した。

1年半前、夫婦でカールスバッドを訪ね1週間近くフルアテンドしてもらい大変お世話に

なった。

届いたメールに添付された文書は英文のため内容がよくわからないところもあったが、

家族の写真が何枚もついていて、1年半前会ったときに比べ、18歳、15歳、12歳の

3人のお嬢さんたちが一層可愛くなっている様子がよくわかった。

長女のなおみは父親がMBAの勉強をしたミシガン大学に進学することを希望し、昨年

見事合格。

3人の娘さんそれぞれ自分のやりたいことを見つけ、元気に生き生きとやっている

様子が手紙から読み取れた。

もちろん奥さんのキャサリンのことも書かれていた。

数ヶ月前、小林君から『音声も入れて楽しんでください』とのコメント付きで、下記サイトを

紹介するメールをもらった。”Piano Stairs”、たしかに楽しいアイディアである。

http://www.youtube.com/watch?v=2lXh2n0aPyw

2010年1月 7日 (木)

熱海から横須賀へ

『もうしばらくいる』というカミサンを熱海に残し、昨夜ひとりで横須賀に帰ってきた。

毎年このパターンだ。ボクは1週間空けた家、それに届いた年賀状が気になり、毎年

この時期には横須賀に戻ってくるが、カミサンは『どちらかひとりが帰ればいいんじゃ

ない』と言い、帰るのは毎年ボクひとり。

それに月・木曜日、他に予定がなければ行っているテニスに久しぶりに行きたかった。

気温は熱海と横須賀ほとんど変わらないが、熱海はマンションなので部屋が密封

されていてずっと温かい。暖房は必要ないし、分厚いふとんはなくて大丈夫。

今日午後は年賀状の整理をした。いただいた方で送ってなかった人には電話、それに

メールお詫びを書いて送った。

帰る前日、三嶋大社に初詣に行った。Cimg3254

三島は熱海からふたつ目の駅。  

三島には現役時代しばしば行った。

工場があり、ソフトウエア開発部隊が

いて、三島駅北口から会社のシャトル

バスで30分弱のところ。

通った回数は50回をはるかに超える。Cimg3257

駅と工場の往復だけだったため南口に

ある三島の街はほとんど行ったことが

なかった。

一昨日は、先ず南口から歩いて15分の

三嶋大社へ。

三が日が過ぎているのに、Cimg3263

参拝者は絶えまなく、出店も多かった。

参拝したあと、三島市内から富士山が

よく見えるポイントを教えてもらい行った。

そのあと、以前にも行ったことがある

評判のうなぎ屋”桜家”に行き、おいしい

うなぎを堪能した。

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2010年1月 4日 (月)

仕事始め

暮れから正月、年末年始の日巡りが悪く、働く人たちには最悪の今日4日が月曜日。

役所、それに多くの企業は、今日が仕事始め。

と言っても、定年退職者には無縁の話。とは言え、やはり気になる。

今朝思った。『今ごろ全国のそこらじゅうで”明けましておめでとうございます。今年も

よろしくお願いします”の挨拶が交わされていることだろう』、と。

短い休みだったため、帰省した人たちはあわただしい往復で大変だったことだろう。

郷里のおじいちゃん、おばあちゃんも孫たちとの交流時間が短く、気の毒だった。

自分の現役時代を考えてみると、正月明けは休みが取りにくかった。

休暇を取ったあと出勤し、ピント外れのタイミングで「あけましておめでとうございます」

を言うのは、気まずかった。そのため、帰省しても、初出の日に合わせ家に戻り、出勤

したものだった。

20年以上前は、初出の日は着物姿の女性が多く、新年という感じがした。

仕事もお昼まで。午後は麻雀、これが初日のスタートだった。

そんな初出の日は今は昔。今は先ず、全員パソコンを立ち上げ、メールの処理から

仕事がスタートという初日であろう。

「あけましておめでとうございます」の挨拶と言えば、退職したら言う機会がなくなる

ということに気がついた。

今年元旦、「あけましておめでとうございます」を言った人は、数人。

朝起きたときカミサンに言い、あとは会ったマンションの知り合いに言っただけ。

考えてみると、新年の挨拶をしていたのは、ほとんど会社の人たちだったのだ。

ということで、リタイアしたら、お正月もいろいろ様変わりする。

2010年1月 3日 (日)

箱根大学駅伝&正月の菜の花

二宮町に住む夫婦共通の友だちOさんから、『箱根大学駅伝と吾妻山の菜の花を見に

行かない』と誘われ、以前から一度沿道で見たかった箱根駅伝を、昨日見に行った。

熱海から二宮までは電車で40分。二宮駅に降りたのは初めて。

二宮駅で連想するのは高木敏子さんの  Ninomiya_005

ガラスのうさぎ」。

戦争末期、お父さんが疎開途中の

二宮で敵機の機銃掃射に遭い、

敏子さんの目の前で命を落とす物語。

本を読んで涙が止まらなかった。

駅前に「ガラスのうさぎ」の記念碑が

あった。

駅伝が通る1号線は駅のすぐそば。着いたのは通過予想時間の40分位前の11時。

二宮は平塚から小田原までの4区。観衆は徐々に増え、雰囲気は盛り上がってきた。

Ninomiya_012 Ninomiya_013

トップで通過したのは明治大学、続いて山梨学院大学。その後続々ランナーが通過。

どのランナーも汗びっしょりで、息づかいが伝わってくる感じ。

Ninomiya_021 Ninomiya_025

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駅伝を見たあと駅から歩いて10分足らずの吾妻山登り口へ。展望台までは約20分。

昨日は最高の天気。Oさんから話を聞いていた通り、360度の大パノラマで富士山、

箱根、丹沢、相模湾、三浦半島が臨めるすばらしい眺望。

特に、この時期のウリは菜の花と富士山。左は金時山。

1年中さまざまな花が楽しめるそうだ。桜、つつじ、アジサイ、コスモス、スイセン。

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吾妻山を降りてOさん宅へ。ワイワイやって『来年もぜひ来て』と言われ、5時半ころ

失礼する。

今日は朝から駅伝の復路を観る。

今年も往路5区の箱根山登りを区間新の驚異的なスピードで制した東洋大学の

柏原がつけた弾みを、復路もそのまま維持し、東洋大学が2連覇。

10位までを競い合うシード権争いも例年のような激しさはなく、途中棄権したチームも

なく、今年は大きなドラマはなかった。

柏原くん含め、有望な1年、2年生がいる東洋大学が、来年も連覇する可能性は

ありそうだ。打倒東洋目指して、また1年間、他のチームは精進することだろう。

2010年1月 1日 (金)

恭賀新年

明けましておめでとうございます。

2010年、「2000年問題」で騒がれてから早や10年。

30日夜来て、今年も熱海で年を越した。

海岸まで降りて行けば、今朝はきっと初日の出が拝めたはずだったが、寒そうだった

ため行かず。

朝はカミサンとふたりでこじんまりと Shougatu_005 

お節とお雑煮。

先日那覇の牧志公設市場で買った

食材を使ったオードブル。

数の子入りのイカ、味噌漬けブタ肉、

カマボコに海ブドウ、ハスとビーツ。

午後、近くの来宮神社へ初詣に。

来宮神社は今や我が家の氏神様。

参拝の行列がいつもより長かった。不安定な世情のためだろうか。

世の中の安寧と家族・親族の健康を祈願した。

毎年見られる猿まわしが今年も出ていた。

Shougatu_009 Shougatu_008 

ぶらぶら歩いて海岸まで。天気がよく気持ちがよかった。

Shougatu_010 Shougatu_011 

海岸前に建設されていた大型マンション アデニウムは外観がほとんど出来上がって

いるが、マンションデベロッパーのジョイント・コーポレーションが昨年、会社更生法の

適用を申請したため、未完のまま放置されていた。

ジョイント・コーポレーションはこのところ急速に業績を伸ばしていたが、外資系ファンド

がマンション投資から手を引いたため、業績が急下降。

ジョイント・コーポレーションは、熱海に力を入れていて、熱海のランドマーク的存在の

ホテルだった西熱海ホテルの跡地にも大型マンションを建設していたが、こちらも

建設途中で工事は中断。

帰り道、前を通った倒産した老舗の玉の井旅館の更地になった跡地にも予定されて

いたマンションが建つ様子はない。

大好きな熱海、是非とも往時の熱海によみがえって欲しい。

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