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2009年12月30日 (水)

沖縄の娘宅へ(5:沖縄戦②)

横須賀に帰る前、どうしても行きたいところがあり、帰る前日、娘宅から歩いて20分の

ところにある「糸数アブチラガマ」にひとりで行った。

ガマは沖縄方言で洞窟のこと。沖縄本島中南部には隆起サンゴ礁でできたガマが

たくさんある。沖縄戦では、この自然な洞窟が住民の避難場所となり、戦争が激しく

なるとともに、日本軍の作戦陣地や野戦病院としても使われ、兵士と住民が同居した。

結果、米軍の攻撃の的となり、多くの命が失われた。

訪ねた「糸数アブチラガマ」は民家の集落の中にあった。

案内センターでざっと説明を聞き、懐中電灯とヘルメットを借りた。

壁に「アブチラガマ」の説明が書かれていた。

Rimg0294_2 

ここにもアメリカ人が撮った悲惨な写真が数多く展示されていた。

『兵隊とともに41万人の県民も地下壕で砲弾を避けた。米軍は火炎放射器や爆弾、

ガソリンを投げ込んで、火攻めにし、壕内を焦熱地獄にした』

Rimg0293 

『包帯などの衛生材料や手投げ弾の入ったカバンを持って走り抜けようとした

従軍看護婦が射殺された。ひめゆり部隊が全滅したのは、この1週間あとであった』

Rimg0290 

「糸数アブチラガマ」の解説を読み、

凄惨な写真を見たあとRimg0298、壕の入り口

から入っていった。

先日訪ねた「旧海軍司令部壕」とは

違い、中は真っ暗で、しかも足元が

上から落ちてくる水滴で濡れていて

デコボコ道で何度も滑りそうになった。

懐中電灯を頼りにそろりそろりと

進んで行った。何よりも、前後に   Rimg0301 

誰もいない中、小さな懐中電灯の

明かりを頼りに進んで行くので、大変

怖かった。270mの壕を抜けやっと

出口にたどり着き、外に出たら、

「大東亜戦争沖縄戦 戦没者之墓」が

あり、英霊の御霊に衷心より哀悼の意を

捧げた。

ここでも平和の尊さに心から思いをいたし、絶対に愚行を繰り返してはならないと

心に念じた。

最近、佐藤内閣時代にアメリカと密約が交わされ、有事の際、沖縄へ核を持ち込む

ことを認めた密約文書の存在が明るみに出てきた。

これほど悲惨な戦争を経験した沖縄に再び核を持ち込む、、、歴史を直視し、二度と

絶対に同じ過ちを繰り返してはならないことを理解しようとしない為政者に、あらためて

激しい憤りをおぼえた。

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