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2009年12月

2009年12月31日 (木)

沖縄の娘宅へ(6:パパ帰宅)

重い沖縄戦のあとは、軽い話題で今回の娘宅訪問を締めます。

我々が娘宅に着いたとき、娘のダンナはアメリカに出張中だった。

出張中は海外でも国内でも、ダンナが持参したパソコンと娘のパソコンで、スカイプを

使って、無料でテレビ電話ができ、孫たちは毎回、『パパ、パパ!』と、大興奮。

我が家もスカイプのカメラを買って、孫たちとワイワイやる予定。

パパはアメリカ出張から

お土産を持って帰ってきた。  Rimg0201

お風呂に入れる泡立ちソープ、

におい袋、ぶら下げ石鹸、

ドライフルーツなど、子供たちが

喜びそうなものばかり。

パパが帰ってくる日、娘は毎回

車で10分くらいのところにある

奥武(おう)島に魚を買い出しに行き、魚オンパレードのメニューを用意。

いる間、娘と何度も行った奥武島の魚屋は、魚がとりたてで安い上に、毎回たくさん

おまけしてくれる。この夜のメニューにはこれ以外に大きな煮魚がついた。

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せっかくパパが帰ってきたのだからと、カミサンとボクはアパートの前のバス停から

バスに乗り、一日那覇に出かけた。

田舎のためバスは1時間に1~2本。終点の那覇バスターミナルまでは50分くらい。

久しぶりに国際通りをブラブラし、牧志公設市場へ。

牧志公設市場はいつ行っても楽しい。娘宅と我が家用に沖縄らしい食材を買った。

そのあと陶器の街、壺屋やちむん通りをぶらぶらし、バスに乗って帰った。

ダンナは2泊したあと、また出張に出かけた。

我々が横須賀に戻った日に沖縄に帰ってきて、飛行場でバトンタッチ。

長い間、娘宅訪問記にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。

2009年12月30日 (水)

沖縄の娘宅へ(5:沖縄戦②)

横須賀に帰る前、どうしても行きたいところがあり、帰る前日、娘宅から歩いて20分の

ところにある「糸数アブチラガマ」にひとりで行った。

ガマは沖縄方言で洞窟のこと。沖縄本島中南部には隆起サンゴ礁でできたガマが

たくさんある。沖縄戦では、この自然な洞窟が住民の避難場所となり、戦争が激しく

なるとともに、日本軍の作戦陣地や野戦病院としても使われ、兵士と住民が同居した。

結果、米軍の攻撃の的となり、多くの命が失われた。

訪ねた「糸数アブチラガマ」は民家の集落の中にあった。

案内センターでざっと説明を聞き、懐中電灯とヘルメットを借りた。

壁に「アブチラガマ」の説明が書かれていた。

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ここにもアメリカ人が撮った悲惨な写真が数多く展示されていた。

『兵隊とともに41万人の県民も地下壕で砲弾を避けた。米軍は火炎放射器や爆弾、

ガソリンを投げ込んで、火攻めにし、壕内を焦熱地獄にした』

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『包帯などの衛生材料や手投げ弾の入ったカバンを持って走り抜けようとした

従軍看護婦が射殺された。ひめゆり部隊が全滅したのは、この1週間あとであった』

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「糸数アブチラガマ」の解説を読み、

凄惨な写真を見たあとRimg0298、壕の入り口

から入っていった。

先日訪ねた「旧海軍司令部壕」とは

違い、中は真っ暗で、しかも足元が

上から落ちてくる水滴で濡れていて

デコボコ道で何度も滑りそうになった。

懐中電灯を頼りにそろりそろりと

進んで行った。何よりも、前後に   Rimg0301 

誰もいない中、小さな懐中電灯の

明かりを頼りに進んで行くので、大変

怖かった。270mの壕を抜けやっと

出口にたどり着き、外に出たら、

「大東亜戦争沖縄戦 戦没者之墓」が

あり、英霊の御霊に衷心より哀悼の意を

捧げた。

ここでも平和の尊さに心から思いをいたし、絶対に愚行を繰り返してはならないと

心に念じた。

最近、佐藤内閣時代にアメリカと密約が交わされ、有事の際、沖縄へ核を持ち込む

ことを認めた密約文書の存在が明るみに出てきた。

これほど悲惨な戦争を経験した沖縄に再び核を持ち込む、、、歴史を直視し、二度と

絶対に同じ過ちを繰り返してはならないことを理解しようとしない為政者に、あらためて

激しい憤りをおぼえた。

2009年12月28日 (月)

沖縄の娘宅へ(4:沖縄戦①)

「琉球の歴史」とともに、沖縄の根っこを感じる「沖縄戦」について。

今回「沖縄戦」に関連した場所2ヶ所を、ひとりで訪ねた。

娘宅から車で20分少々のところにある「旧海軍司令部壕」、それに娘宅から歩いて

20分のところにある「糸数アブチラガマ」。

沖縄南地区は激戦地が多く、これまで「ひめゆりの塔」「平和の礎(いしじ)」をそれぞれ

2度訪ねた。

「沖縄戦」は第2次世界大戦の最終段階、1945年3月から7月までの4ヶ月間の

戦い。第2次世界大戦で、沖縄は唯一の地上戦場となった。

米軍は1945年4月1日、沖縄本島の中部に上陸。物量で圧倒的に有利な米軍が

上陸時打ち込んできた砲弾は5千トンと言われている。4ヶ月間の戦闘で亡くなった

日本人は約19万人、そのうち4万人弱は一般の島民であった。

旧海軍司令部壕
は、450mあったと言われるカマボコ型に掘り抜いた横穴を

コンクリートと坑木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地

だった。

壕に入る手前の案内所には、米兵が撮ったたくさんの凄惨な写真が展示してあった。

左の写真は「米国の艦砲射撃により、廃墟と化した那覇市街」。右は「激しい砲撃に

怯える少年」

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壕入口から30mほどの階段を降りると通路が縦横に張りめぐらされている。

壕内には幕僚室、司令官室、下士官兵員室、作戦室、医療室などが、当時のまま

残されている。

左は壕内見取り図、右は深さ約30メートルの壕内通路。

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旧海軍司令部壕の司令官は大田 實少将。

米軍の猛攻に抗し切れず、大田少将Rimg0180

はじめ6名の幹部は45年6月13日、

自決を遂げた。

自決をはかったとき飛び散った

手榴弾の破片がそのまま壁に残って

いる。

大田少将が自決直前に海軍次官宛てに

送った沖縄県民の作戦協力を称えた電文が残っている。長い電文の中、特に末尾の

以下の一節が胸を打つ。

『沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』

県民の苦難と沖縄の将来を案じ、平和な社会の訪れを希求している。

最後は生き残った兵士全員が自決するという凄惨な結末を迎えることになる。

壕の案内所に貼ってあった悲惨な写真とともに住民の生存者が書いた次のふたつの

文章は特に深く心に残った。

『夜はみんな、杖を持って歩いた。死体を踏まないためだった』

『一番怖かったのは配食作業だった。壕を出るといつ米軍から撃たれるかもしれない。

実際、配食作業中、撃たれて亡くなった人は少なくない』

見学したあと、平和であることが、いかにすばらしいことであるかを今更ながら深く深く

心に刻んだ。

「沖縄の娘宅へ(5:沖縄戦②)」では、もう1ヶ所訪ねた「糸数アブチラガマ」を紹介。

2009年12月25日 (金)

沖縄の娘宅へ(3:クリスマス)

ミサキの幼稚園は、少子化の影響で来年度から南城市の他の2つの幼稚園と統合

されることになっていて、年明け早々から仮設の幼稚園に移ることになっている。

そのため、幼稚園に飾られていた

つくった作品を持って帰ってきた。 Rimg0264

上は運動会の絵、下はバスで

こどもの国に遠足に行った

ときのもの。

それに園庭でフラフープをして

いるときの様子を描いたもの。

数日前に幼稚園にサンタクロースが

来た。迎えに行ったとき、子供たちが口々にサンタクロースの話をしていた。

ミサキは会うやいなや興奮しながら、『今日本当のサンタクロースが来た!』

『英語をしゃべってた』、『サンタクロースの名前はニコラウス・サンタクロースで、

アイスランドから来たんだって』

あとから先生が話してくださった。『子供たちは園長先生がサンタクロースだと思って

いたら園長先生はサンタクロースのそばに立っていて、しかもサンタクロースは英語で

しゃべるので、子供たちは間違いなく本当のサンタクロースだと思ったようです。

実は小学校の教頭先生なんです』

とってもいい話だ。

昨日、幼稚園から帰ってきたクリスマスイブの午後、娘が買ってきたクリスマスの

クッキーのお菓子の家を、ミサキとカミサンが手伝い、娘が約4時間かけてつくった。

左上はオーブンで焼いた部品のクッキー。左下は完成したお菓子の家。

完成した家はデザートになり、一部崩壊した。

使用したキットは、1000円弱の無印良品の「クリスマスのヘクセンハウス」。

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ミサキから妹孫のユウにも

プレゼントがあった。Rimg0259 

前日、100円ショップで買ってきた

おもちゃのケータイ電話。

100円なのにスゴイ。

どのボタンを押しても声が出たり

音楽が流れる。

こんなものが100円で作れるとは。

昨夜、ミサキはサンタさんにRimg0287

手紙を書いてクリスマスツリーに

ぶら下げて『早く寝ないとサンタさんが

来ない』と言いながら、いつもより

早く寝た。

今朝起きたら枕元にふたりともサンタさん

からプレゼントが届いていて大興奮。

ミサキは欲しかったバトミントンセット、ユナはプーサンのぬいぐるみ。

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2009年12月24日 (木)

沖縄の娘宅へ(2:琉球の歴史探訪)

娘一家が住んでいるのは、那覇から車で30分の沖縄本島南部の東海岸に位置する

南城市。南城市は4年前に4町村が合併してできた、緑と海に恵まれた4万人の

のどかな地域。

近くには琉球の源流を知ることができる歴史散策に適した場所があちこちにある。

琉球王国ゆかりの深い清らかなスピツアルスポットをたどる聖地巡礼の道、

「東御廻り(あがりうまーい)」があることでも知られている。

沖縄には出張数回含め通算10回くらい来ている。来るたびに、これが沖縄の根っこ

だと感じるものがふたつある。ひとつは「琉球の歴史」、もうひとつは「沖縄戦」。

娘宅に滞在中、大半の時間を公園めぐり含め、孫たちの面倒見にとられ、観光とは

無縁だった。そのような中、娘宅の近くにある、神々と琉球王朝のロマンを感じさせる

スポット3ヶ所をひとりで訪ねた。

最初に行ったのは南城市北東の海岸沿い知念にある「斎場御嶽(せーふぁーうたき)

御嶽は琉球神話の神が存在、あるいは来訪する場所で、祖先神を祀る場所でもある。

沖縄本島だけでなく周辺の島々にもたくさんある御嶽の中、「斎場御嶽」は世界遺産に

認定された貴重な御嶽。たしかに、神々の存在を感じる神々しさがあった。

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翌日夕方、娘宅から歩いて40分くらいのところにある玉城(たまぐすく)城跡を見に

行った。まったく前知識なしで行ったが、信じられないくらい絶妙のタイミングだった。

行ったら玉城城跡の表示のある場所に5人くらいが集まって上を見上げていた。

聞いてみるくと、城跡のシンボルは目の前の山の上にある石積みの丸い穴で、

冬至と夏至の日の前後10日くらいは落日が丸い穴の部分にすっぽり重なって

見えるとのこと。まさに前日は冬至、しかも夕方の落日の時間。間もなくすっぽり

重なった。重なりが終わったあと、周りの人たちに勧められて丸い穴を見に、山の

上に登った。ここでも大いに神々しさを感じた。

周りにいた人のひとりは定年後ボランティアで琉球の歴史を教えていて、この人に

よれば、城が造られた時期は卑弥呼の時代で2千年くらい前ではとのことだった。

2千年前に礎を積み上げた石垣かと思うと、大感激!

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今朝は娘宅から歩いて20分くらいのところにある糸数城跡を見に行った。

いかにも城砦。築城は14世紀初めとのこと。

本土の城のように構造が複雑でなく、周りに住んでいる人も少ないため、時間が

経っても原形をとどめている。

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まだまだ近くには城(ぐすく)跡や御嶽(うたき)、水源となっていた樋川(ひーじゃ)が

ある。また娘宅に来る機会があれば、ぜひ琉球のロマンを感じさせるスポットを散策

してみたい。

2009年12月22日 (火)

沖縄の娘宅へ(1:姉孫の幼稚園)

沖縄の娘宅に来て6日目。あっという間に過ぎた。

娘たちが沖縄に引っ越してきて3ヶ月。

ダンナが出張が多く、娘が育児、家事で少々お手上げ気味、それに我々は孫たちに

会いたくて、3ヶ月ぶりに沖縄に来た。

姉孫のミサキは5歳2ヶ月で幼稚園の年中組、妹孫のユナは1年9ヶ月。

孫たちの面倒をみるだけで、一日があっという間に終わる。

8時にミサキを幼稚園に送り、12時には迎えに行き、園庭で1時間くらいお友だちと

遊ぶミサキに付き合い、帰って昼食が終わったら2時近く。4時過ぎには、ふたりを

お風呂に入れて、出したら夕食。8時過ぎには、絵本を読み聞かせながら寝させる

という感じの毎日。夜になったらこちらは、ぐったり。育児はつくづくタイヘンだと実感。

娘はこんな毎日で、パパが出張から帰ってきたときは、子供たちはパパにまとわり

ついて、『どこか行こう』になり、娘は自分の時間がほとんど持てていない。

そこで、今回カミサンと一緒に孫たちをみている間、娘は行きたかった病院の検診、

検査、それに念願の美容院に行ってきた。

幼稚園に毎日行くので、先生、お友だち、それにお母さんたちと顔なじみになった。

幼稚園は遠くに海の見える高台にある園庭の広い幼稚園。先生はとてもいい感じで

伸び伸びと指導をしてもらっているようだ。

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帰り道、通りすがりの家にブーゲンビリアとハイビスカスが咲いていた。

冬のこの時期にも咲くということは、1年中何度も咲くのだろう。

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着いた日、ミサキからプレゼントをもらった。

幼稚園の園庭で摘んだ花とビーズでつくったウエルカム フラワーとマッサージ券。

ふたつとも自分で考えたプレゼントだそうだ。

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3ヶ月前に比べ妹孫のユナがびっくりするくらい成長していた。短い文章がしゃべれる

ようになっていて、結構会話になる。お姉ちゃんの言う言葉をそのまましゃべっている。

下はびっくりするくらい早い。

「サザエさん」ほか歌も7~8曲は口ずさめるようになっていた。とにかくおもしろい。

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アパートのベランダは南向きで180度展望が開け、遠くに海が見え、とても和める

田舎の風景。特に右方向に沈む夕日は最高で天気の良い夕方は毎日ながめている。

20戸の各戸に一区画の菜園を大家さんが提供してくれていて、娘はトマト、タマネギ、

エンドウマメなど、いろいろ植えていた。

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裏の農道を散歩したら、3ヶ月前に来たときと比べいろいろ様変わりしていた。

ざわわざわわのサトウキビ畑ではススキのような穂が出ていて、パパイヤの木には

大きな実がついていた。

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2009年12月18日 (金)

今年は早々に年賀状

定年したあと、当然時間があるので年賀状は早めに余裕を持って準備できると思って

いたが、毎年ぎりぎりになる。

ところが今年はどうしてもこの日までにはとのデッドラインがあったため、年賀状の受付

開始のタイミング直前に完了した。はじめてのことである。

3ヶ月ぶりに孫たちに会いに行く、沖縄行きがデッドラインになった。

とは言え、完了したのは出発の前日の真夜中。

年賀状をつくる時間は以前に比べ、ずっと短くなった。

7~8年前までは、若い人は聞いたことがないかもしれないが、毎年「プリントごっこ」で

作っていて時間がかかった。

「プリントごっこ」で印刷したあと、乾かすために一晩一部屋を占領し、並べたものだ。

今は、「プリントごっこ」は押入れの奥に入ったままで、年賀状は表・裏ともパソコンで

作成。所要時間は圧倒的に短縮された。

ただ、作成ソフト「筆ぐるめ」は1年に1度使うだけなので、『ここはどうするんだっけ?』

と迷うことが少なくない。

姉孫が生まれてからは、孫を入れた夫婦の写真を4年間続けて年賀状に入れた。

見る人たちがどう思うだろうか、と毎年いくぶん気にしながら送った。

今年は9月に娘一家が沖縄に引っ越したので、孫たちとの写真を撮る機会がなく、

5月に行ったベルギーのブリュージュという街で見たすばらしい光景を使うことにした。

この景色は今年見たベスト。木々が水面に映る光景は今でもはっきり目に浮かぶ。

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2009年12月11日 (金)

忘年会続き(2)

火曜日、町田市を中心に活動する、シニアITアドバイザー(SITA:サイタ)のグループ

NPO法人アクティブSITAの定例会と忘年会に参加した。

家が遠いことを言い訳に、平素の活動にはほとんど参加していなく、定例会も3ヶ月

ぶりの参加だった。

メンバーの皆さんは多士済々で、ITを活用しすばらしい活動を続けている。

驚くことに、6年前にNPO法人になって以来、毎月定例会と勉強会をずっと継続して

行っている。このようなNPO組織は極めて珍しい。

元いた会社で10数年前、一時期一緒に仕事をしたTさんが新しいメンバーとして参加

していて、ビックリした。Tさんの加入でメンバーは37名に。

理事会、経理、ワーキンググループの定例活動報告があったあと、ふたつの特別報告

があった。

最初は、6年間大手損保会社の地元の施設を借りて、地域に密着したIT支援活動の

一環として行ってきた「パソコン相談室」が、場所の閉鎖に伴い止めることとなり、

6年間の活動の総括報告が行われた。

週に1回午後、メンバーが交代で相談員となり、活動は続けられてきた。

相談者の中、最多の人は101回通ってきたとのこと。地元でしっかりお役に立って

いたことがあらためてよくわかった。

2番目の報告は、国税庁の進める電子確定申告e-Taxの利用支援を行う指導団体を

引き受ける申請をした。そのため希望者は講師試験を受け、2~3月、6日間指導

対応して欲しいとのことだった。

この日の勉強会のテーマは、NetCommons。初めて聞く言葉だった。

NetCommonsは国立情報学研究所が次世代情報共有基盤システムとして開発した

CMS(Contents Management System)で、NetCommonsの名前の由来はネット上で

共有財産・共有知(コモンズ)を築くこと。

CMSは、Webコンテンツを構成するテキストや画像、レイアウト情報などを一元的に

保存・管理し、サイトを構築したり編集したりするソフトウェア。

NetCommonsは高機能なCMSでありながら、初心者でも比較的簡単に使える利便性

評価され、急速に学校やNPO、自治体や中小企業などに広まっているそうである。

アクティブSITAでも受託しているホームページの作成にNetCommonsを使いはじめた

とのこと。

勉強会のあと、8時から忘年会。25名くらいが参加した。

平素の活動を通し顔なじみの仲なので、懇親会は毎回はじまったら即盛り上がる。

帰りは電車の乗り継ぎはよかったものの、家に着いたら12時過ぎていた。

2009年12月 8日 (火)

忘年会続き

第1回目は先週金曜日。横浜で会社のOB仲間5人が集まった。

みんなリタイアしていて、年1~2回のペースで会っている。

ボクは退職したとき、会社を辞めたあとは会社の仲間との付き合いは終わりにしようと

思い、最後に勤めた職場でOB会入会を勧められたが断った。

そのような中、ふたつのグループから年に4~5回飲み会の誘いがあり、いずれも

何の遠慮もない仲間なので、ほかの予定と重ならない限り毎回参加している。

定年退職者の集まりなので、今回も5時にスタート。

毎回参加のAさんが体調を崩し、今回は参加できなかった。

アレンジ役のSさんの話では、みんなそれぞれ忙しく、全員がOKだった日はこの日

だけだったとのこと。

会社の話からはじまり、共通に知っている仲間の近況、シニアの男が集まれば定番の

政治・経済中心の世評話・・・

亡くなった仲間の話が今年も出た。

昨夜何を食べたかを思い出すのによく苦労するが、数十年前の職場の話、仲間の名前

と当時の仕事ぶりについて、全員がしっかり覚えていて、見事に語れるのは不思議だ。

健康・病気の話はほとんど出なかった。みんな心身ともに健康なのだろう。

それぞれ、やっていることがどんどん出てきた。皆忙しくしている。

神奈川フィル合唱団のリーダーをしていて、12月だけで3回の演奏会の予定があり、

練習とリハーサルで多忙なUさん。

夏からはじめた俳句をNHK教育テレビに投稿して入選したHさん。

入選した句は、「千歳飴、石段毎に当てながら」。お孫さんと七五三でお宮参りしたとき

詠んだ句だろう。とてもほほえましい。

Tさんも昔詠んだ句を披露してくれた。「ビルを出て、はじめてしみる夜寒かな」

残業して駅まで歩く様子が目に浮かぶ。

最後に幹事のSさんから、『来年は12月2日5時。横浜高島屋前に集合』で、締めと

なった。

そのあと、これも恒例となったコーヒーを飲みながら、ここでもワイワイ盛り上がった。

2009年12月 6日 (日)

師走の一日

今日日曜日は一日中好天で、まさに小春日和。

小春日和って、スゴイ感じのいい響き。字を見ただけでホカホカ陽気を感じる。

そんな小春日和の我が家の一日、朝は近所の人たちと一緒にやる掃除から始まった。

ブロックのみんなで年に4回やっている。

我が家のブロックは13軒。31年前に引っ越して来て、13軒は大体同年代。

ほとんどがリタイアしている。

子供たちの小学校からはじまり、成長し就職、結婚し家を出て、という感じの家ばかり。

同じようなペースで家庭環境が変遷してきた13軒は仲がよい。

今日も掃除をしながら雑談。夫婦でトルコに旅行し帰ってきたばかりで、トルコの良さを

語ってくれたSさん。話を聞いたら行ってみたくなった。

糖尿病談義、同じ主治医にかかっているDさん。

我が家のとなりに住んでいた米軍横須賀基地で働いていたケリーが帰国したあと、

家の持ち主のYさんから、『次の借り手は黒人の独身女性で、基地の病院の勤務医

なので、よろしく』

掃除の方は、枯れた松葉がたくさん落ちていて、草取りした草と一緒に大きな袋三つ

いっぱいになった。年末なので、いくぶん錆びつつある物置もしっかり雑巾でふいた。

昼食後、疲れて1時間ほど午睡。

夜は第2回目の「坂の上の雲」を観た。実は我が家のテレビは4年くらい前に壊れ

修理することもなく、テレビはパソコンで観てきた。ボクが観るのはNHKのニュースと

大河ドラマとナイターくらいなので、特に不便は感じなかった。

2年後には地デジに以降だし、いよいよ地デジ対応のテレビを買う時期だと、夫婦の

意見がやっと合い、木曜日に近所のヤマダ電機に買いに行った。

カミサンがコジマ電気を既に見てきていて、ヤマダで一発で東芝のREGZAに決めた。

昨日の土曜日に届き、パソコンテレビから大画面テレビに大出世した。

「坂の上の雲」を大画面で観たかった願いが叶った。

面倒くさいと長い間買いに行かなかった大画面テレビ、画面の大きさ、映像のきれいさ

を体感し、もっと早く買うべきであったと反省。

2009年12月 5日 (土)

囲碁愛好会

先日、ほとんど行かない近所の図書館に行った折、囲碁をやっている部屋の前を

通った。のぞいてみると年配の男性が4人でやっていた。話を聞くと、ひとりは地元の

囲碁愛好会のリーダーとのこと。

『毎週水曜日1時から別の場所でやっているので一度見に来ては』と勧められた。

囲碁は大学時代、少々やっていた。オヤジがまずまずの腕で、帰省した折に教わって

いた。カミサンの父親も強く、カミサン宅に行った時には何度も打ってもらった。

最近は囲碁をやる機会はまったくない。

ただ、先日ニューヨークへ行ったとき飛行機の座席の前のモニターで遊べるゲームの

中に囲碁があり、ヒマつぶしに行きも帰りもやった。ゲームの相手は6級程度とのこと。

行きも帰りも完勝した。そのため棋力は4級くらいかなぁと自分で思った。

囲碁ゲームをやり、また囲碁をはじめてみるかなぁと思っていた矢先、近所に囲碁

愛好会があることを知った。

水曜日に行ってみた。場所は我が家から歩いて5分少々の横須賀市立婦人会館

婦人会館があることは知っていたが、中に入ったことはなかった。古い建物であるが

庭がきれいで、2階建ての建物の中に多くの部屋があり、地元の各種文化活動に

使われている。菊池寛が一時期逗留したこともある場所とのこと。

行ってみると20名近くの人たちが熱戦を繰り広げていた。ほとんどの人がボクより

年輩のようで、女性はひとりだけ。

あらためてリーダーのMさんに挨拶したら『4級ということで打ってみたら』と言われ

お手合わせ願った。8級の人には3目置いてもらって完勝し、その後1級の人には

ボクが3目置いて打ってもらった。20目くらいの差で勝てた。

『まあ、4級は妥当じゃないかな』と言われた。

いつも使わない頭を集中的に使ったためか疲れた。

Mさんから『入会されますか?』と聞かれ、入会金千円、月会費500円を払い、

仲間に入れていただくことにし、皆さんに紹介していただいた。

帰り道、やる以上はちょっと勉強するかなぁという気持ちになった。

2009年12月 2日 (水)

映画「2012」

地殻変動による世界規模の災害を描いた近未来SF作品。(gooポイント 68点)

古代マヤ人が残した暦がそこで途切れていることから、「世界終末の日」だと囁かれて

きた2012年12月21日。

太陽の活動が活発化し、2012年にすべての文明を壊滅させる地殻変動が起きる、

と科学者が予測する。米大統領は各国首脳に諮り、選ばれた人々を乗せて人類の

滅亡を防ぐため、秘密裏に巨大な船を建造する。

地球上の大半の人々は危険を知らされないまま、ロサンゼルスに巨大地震が起こり、

カルフォルニア州が水没する。これをきっかけに各地で地殻変動が発生。数千メートル

級の津波が世界中を襲う・・・

巨大地震で無数の高層ビルが倒壊する場面、火山の大噴火で空全体が粉塵の雲に

覆われる場面、大津波にのみ込まれたヒマラヤ山脈から巨大な船が出港する場面・・・

映画の後半は、最先端のVFX(視覚効果)を駆使した映像が続く。VFX映像は天災の

恐ろしさを直接訴えかけてくる。

誰もが普段、大地の上で繁栄する文明を永続的なものと考えている。しかし、東京も

もちろんそうだが、みんな時限爆弾の上に乗っていて、大規模な地殻変動は地球の

歴史の中で実際に起こってきたことだと、作品は訴える。

VFX映像には驚きの連発であったが、多くの日本人が映画に求める、人の”情感”は

ほとんど描かれていなく、前評判のわりにgooポイントが68点というのは、そのためか

と思った。

ついでに、以下は今年観た映画と、ボクが独断でつけた順位。

一年間で観た映画は9作品(外国映画6本、日本映画3本)

ベストスリーは、「愛を読む人」、「チェンジリング」、「沈まぬ太陽(邦画)」

セカンドベストスリーは、「ワリキューレ」、「ベンジャミン・バトン数奇な人生」、

               「さまよう刃(邦画)」

サードベストスリーは、「2012」、「グラン・トリノ」、「剣岳 点の記(邦画)」

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