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2009年11月

2009年11月29日 (日)

犯罪被害者週間全国大会2009

「犯罪被害者団体ネットワーク(通称:ハートバンド)」の事務局メンバーとして、活動の

お手伝いをしていることは何度かブログに書いた。

国の定める「犯罪被害者週間」(25日~12月1日)に合わせ、全国19の自助団体が

集まり、ハートバンドが主催し、土~日曜日晴海グランドホテルで全国大会を行った。

全国大会の模様は報道各社が新聞、テレビで取り上げた。

↓は今朝の朝日新聞記事。

http://www.asahi.com/national/update/1128/TKY200911280266.html

当大会は今年で7回目。ボクが事務局のお手伝いをはじめたのは今年の1月から。

土曜日の参加者は158名。椅子が足りなくなり、途中何度も追加を入れた。

また宿泊者も100名を超えた。

冒頭、鳩山総理と福島みずほ大臣から届いたメッセージが紹介された。

裏話をすれば、総理のメッセージは、もともと担当者が書いた原稿であったが、鳩山

さんが、自ら全面書き直して、作成されたとのこと。

土曜日のプログラムは2部構成。第1部は「新しい司法制度について」

1年前にスタートした刑事裁判に被害者が参加することについての意義や課題を

話し合った。

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発表者のひとりは、昨年2月熊谷市の飲酒運転事故で両親を亡くし、弟妹も重傷を

負わされ、9人が死傷した事件の遺族で、以前から知り合いの小沢さんご夫妻

(上写真右)。

実はたまたま、前日の27日に当事故の加害者の控訴審判決があり、東京高裁に

傍聴に行った。被告・原告双方の控訴は棄却され、言い渡された刑は懲役16年。

第一審の判決は求刑20年に対し懲役16年。検察は「量刑不当」(刑が軽すぎる)

という理由で控訴し、被告人は、「刑が重すぎる、危険運転には当たらない」として

双方控訴していた。

昨日の控訴審判決は、どちらの控訴も棄却し、第一審の判決を支持する内容だった。

第2部は「被害者からのメッセージ」で3名の方々から発表があった。

路上で突然暴漢に襲われご主人を亡くした強盗致死被害者遺族、飲酒ひき逃げ犯に

息子さんを殺された被害者遺族、息子さんを亡くした未解決事件被害者遺族。

初日のプログラムが終わり、18時から懇親会。ホテルのため家に帰る必要のない

気楽さから、2次会は延々と続き、終わって部屋に戻ったのは夜中の2時半だった。

今日は午前中4つの分科会。ボクは4つの分科会のひとつ、「語りの部屋」の

コーディネーター役。

8人の遺族が参加し、思いの丈を話した。8人中、6遺族は殺人または暴行死により

愛する家族を喪った人たち。

大変重い雰囲気の中、9時半から12時まで、皆さんそれぞれ思いを語られた。

押しつぶされるような気持ちで皆さんのお話を聞いた。

終わったあと片づけをすませ、みんなで近くの月島にもんじゃ焼きを食べに行った。

もんじゃをつつきながら、ここでもワイワイ。一緒に行った4人の女性のうち、ひとりは

宮崎に、もうひとりは豊田市にそれぞれ帰って行った。

心身ともにヘビーな2日間だった。

2009年11月28日 (土)

ニューヨークの旅(8:最終)

最後はやはりナイアガラ。

ボクは20年以上前に行ったことがある。当時カナダのトロントに住んでいた駐在員と

奥さんが連れて行ってくれた。

今回あらためて行って、滝の近くに20年前にはなかった建物が建っていることに

気がついた。

今回はツアーにのり参加した。待ち合わせ場所のホテルまで行って、そこから

ジョンFケネディ空港まではバス。

空港の待ち合いロビーでグーグルの宣伝を見た。日本にいたら感じないがマイクロ

ソフトとグーグルの熾烈な戦いを垣間見た感じがした。

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飛行機はjetblue航空。行き先はバッファロー。フライト時間は1時間半。

バッファローに着いて、待っていたバスへ乗っていよいよナイアガラへ。

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だんだんナイアガラが近づいてきた。アメリカからカナダに入国する手続きも終えた。

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用意されたホテルの昼食をいただいた。

「霧の乙女号」という船に乗ってしぶきを

浴びながらの滝遊覧は、秋の終わりで、  0910_274 

何と運良くこの日が最後の運行だった。

とにかく迫力がある。乗船者はカッパを被る。

回る順序はアメリカ滝からカナダ滝へ。

幅が広く水量が多く、より迫力があったのは

カナダ滝。

先ずアメリカ滝から。

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次にカナダ滝。

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カナダ滝のすぐ脇に展望スペース「テーブルロック」があり、真下で滝が落ちていく

様子を見ることができた。

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このあとバスでバッファロー空港に戻り、18時のフライトでジョンFケネディ空港へ。

ホテルに着いたら20時過ぎていた。

休み休みでしたがこれでニューヨークの旅は終わります。ご付合い有難うございました

2009年11月25日 (水)

ニューヨークの旅(7)

ニューヨークに来たのだから、ボクは見たことがあるが、カミサンに自由の女神を

見せたいと思い、マンハッタンの一番南の港から出るフェリーに乗って自由の女神を

見に行こうと思っていた。ホテルのコンシェルジュに聞いたらマンハッタンを海から見る

クルーズツアーがあるのでそちらに乗ってはと勧められ、83波止場から出るサークル

ラインに乗ることにした。

途中まで地下鉄に乗り、その先0910_379

歩いた。

サークルラインはマンハッタンの

南半分を往復するクルージング。

シニア割引でふたりで52ドル。

席がいっぱいだったが、デッキ

フロアーに2席空きがあり

ラッキーだった。

説明した人は年配の男性。英語についていけないところも多かったが、年代・様々な

数字の説明、マンハッタンの歴史と発展過程など、2時間乗船中1時間半は説明して

くれていた。特に数字の記憶がすごかった。

席のとなりはスペインから観光に来ていた男性、そのとなりはオーストラリアから来て

いた女性だった。

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マンハッタンの南端を回るところで自由の女神が見えてきた。

像の大きさは右の写真の下に写っている人の大きさから推測できる。

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下の写真左の真ん中はエンパイアステートビル。80年前に建ったビルが依然として

マンハッタンのランドマークになっているのはスゴイ。

写真右の真ん中あたりが9・11廃墟のグランドゼロで、建設が進んでいるのが見えた。

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天気がよく、2時間しっかり楽しめた。

この日は夕方ひとりで行きたかったウオールストリートに行きニューヨーク証券取引所

を見てきた。正面に大きなアメリカ国旗が掲げられていたのが印象的。

街の感じ・雰囲気が他とは違い、特区であるとの印象を持った。

2009年11月23日 (月)

ご近所二題

3軒となりのIさんから写真展の案内をいただき、カミサンと一緒に鑑賞してきた。

ネイチャー フォト ヨコスカ展、20名ちょっとのメンバーのグループとのこと。

毎年展示会をやっていて、今年は9回目だそうだ。

題材はまさにネイチャー。撮影場所は箱根、北アルプス、立山、磐梯、尾瀬、上高地と

あちこちで撮られた写真が展示してあった。

中にいくつか横須賀の風景もあった。左の写真は我が家から車で10分くらいの場所で

見通しがいい日には富士山が臨める。「灯火」のタイトルで夕焼けの富士山が見事に

撮られていた。

右はIさんの作品。前のお宅に咲いた花を撮ったもの。ボクの撮影スキル不足のため

ちゃんと撮れていないが、花のバックはブラック。バックの撮り方をIさんから教わったが

ボクには難しそう。

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Iさんは1枚1枚の作品を1時間近くかけて、撮影の裏話、撮り方など丁寧に解説して

くださった。そのため一層興味を持って鑑賞できた。

来年は全員、撮影場所が鎌倉と決まったそうだ。

土曜日はカミサンと一緒に亡くなられた方のお参りに伺った。

息子が会社でお世話になったKさんから届いた喪中葉書で奥様が4月に亡くなられた

ことを知った。

Kさん宅は我が家から車で15分くらい。ご自宅にお邪魔したのは10数年ぶりだった。

奥様は65歳、ガンだったそうだ。ガンだとわかって2年、打てる手は全て尽くしたが

叶わなかったとのこと。

発病後受けた治療の過程、病状の変遷など細かく話してくださった。

印象に残ったのは、ある時期、遠方に住んでいるお嬢さんが子供さんを連れて転居

してきて、子供さんはしばらく地元の幼稚園に通い、その間奥様は大変喜んで日々を

過ごされたとのお話。残された時間の最良の過ごし方だと思った。

ガンに罹る人は2人にひとり、ガンで亡くなる人は3人にひとりと言われている。

これからは喪中葉書で亡くなったことを知る機会が年々増えてくることだろう。

2009年11月20日 (金)

防衛大学校ツアー

大学の同窓会のメーリングリストで、防衛大学校のツアーの案内があり参加した。

防大は我が家から車で10分ちょっとのところにあり、特に愛犬チェリーがいたころは

よく連れて行って、大学の周りの東京湾が臨める場所を散歩した。

また毎年11月には大学祭があり、勇壮な棒倒しを何度も見に行ったことがある。

そんな防大だが、学内を観て回ったことはなかったため、いい機会なので参加した。

12時大学の正門前に集合。参加者22名。大半がボクより年配の方々だった。

異色の参加者は小学校4年生の男の子。親戚の女性と一緒に参加していた。

飛行機や戦車が大好きで、将来防衛大学校に入りたいそうで、学校を休んで埼玉から

来たとのこと。

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正門横にあった学内案内板を見ると

人文・社会科学系、理工学系、さまざまな Rimg0064 

学科がある。

もちろん全寮制で、学・食・住、それに

グランドほかスポーツ設備が完備している。

東京湾を見下ろす高台の広大な敷地に

学校は建っている。

2千名の学生が学び、生活している。

衣食住無料の上に、月に十数万円の手当てが出るそうだ。

シンボルタワー、それに大学のモットー。

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2千人の学生の中、外国人学生が70名。さまざまな国から来ていて、卒業し帰国後は

それぞれの国で国防の幹部になっていくとのこと。

写真右は、”若人の城”のタイトルで同窓会が寄贈した陸・海・空を表したすばらしい

ステンドグラス。

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講堂は2700名収容でき、大変大きい。

椅子席は昇降し、大きな講堂は        Rimg0077 

3つに間仕切りできるそうだ。

卒業式は講堂で総理出席のもと行われ、

テレビで見る、式が終わった後の制帽の

放り投げ儀式はこの講堂で行われる

とのこと。

当日水曜日は1週間に1度の行進の

日だった。Rimg0082 

全学生が食べる大食堂でお昼を

済ませたあと、グループ毎に午後講義を

受ける教室まで行進を行う状況を見る

ことができた。女子学生が何人もいた。

規律を重んじる防衛大学校の校風を

体感した。

行進を見たあと、隊別の宿舎を見学した。宿舎の入り口にあった運動部の展示、

「爆闘」、「断郊競技」、断郊はクロスカントリーとのこと、いかにも防大らしい。

Rimg0083 Rimg0084 

見学が終わったあと、希望者で五百旗頭(いおきべ)校長を訪ね、面談した。

五百旗頭 真さんは防大の校長の前、ボクの母校の大学の元名誉教授で著名な

政治学者・歴史学者。

小渕、小泉、福田政権時、官邸に設置された有識者会議、私的懇談会の座長や

委員を歴任。小泉元首相のたっての希望で防衛大学校長に就任した。 

五百旗頭さんの話は面白かった。

大変興味のあるツアーだった。

天気が良い日は大学から富士山が臨め、房総半島の山々、眼下に東京湾を見下ろす

景勝地に大学はあり、ツアーは誰でも個人で参加できる。(月・水・金曜日午後実施)

小旅行気分で一度参加してみてはいかが。

ツアーの申し込みは防衛大学校 総務課 電話046-841-3810。 

2009年11月18日 (水)

ニューヨークの旅(6)

10日いた間、食べた食事について。

朝はホテルのメンバーラウンジに行けばコンチネンタル・ブレックファストが食べられた。

さまざまな種類のパン、シリアル、果物、コーヒー、ジュース・・・

ボクは圧倒的にゴハン派のため、このような朝食を食べたら昼・夜は米が食べたくなる。

どこの国に行っても必ずチャイナタウンがあるので、どうしてもそちらに足が向く。

NYにももちろんチャイナタウンがあり、エンパイアーステートビルに昇ったあと地下鉄で

チャイナタウンに行った。ただ、どの店が良いのかわからなかったため、たまたま通り

がかりのおばさんにお勧めの店を聞いた。

『カニの小籠包が美味しく、いつもにぎわって0910_156

いる店がある』と教えてくれた。

Joe's Shanghaiという店だった。

多くのチャイナタウンの店が

そうであるように、この店も

きれいではなかったが、味はよかった。

カニの小籠包はとろけるような感じで

旨かった。

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エビチリとカミサンの注文する定番の青菜炒めも文句なし。

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これで48ドル。質、値段ともに満足。

Joe's Shanghaiはホテルの近くにもあると聞き、別の日に行ったが、チャイナタウンの

店には敵わなかった。

別の日、エンパイアーステートビルの近くにあり、ハングルの看板が目立つコリアン

タウンに行き、韓国料理を食べた。キムチほか前菜がどさっと出てきた。

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カルビ、豆腐チゲなべ、野菜煮込み、どれも美味しかった。

ちょっとしたデザートがついて、ランチサービスで36ドル。

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食事のあとはカミサンと別行動。

ボクは行きたかった9・11の跡地のグランド・ゼロに行った。

どこに行けば何があるのかがよくわからず、中で工事をしている場所で写真を撮った

だけで終わった。

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ニューヨークに13年住んでいるカミサンの姪のダンナさんにお勧めのステーキ

レストランを教わったが、結局行かずじまい。その代わりに日本食を1回、韓国料理を

2回、チャイニーズを2回と、いつもの海外旅行中の食事のパターンになってしまった。

2009年11月16日 (月)

映画「沈まぬ太陽」

評判の映画、山崎豊子原作の「沈まぬ太陽」を観た。

長編作品の映画化のため、何と上映時間、3時間半の大作。途中10分間の休憩。

こんな長い映画をゆっくり観れるのは、定年退職者か子育ての終わった女性くらい。

案の定、平日の昼間、ほとんどそういう客層だった。

作品そのものは、3時間半の時間を感じさせなかった。

日本が高度経済成長を実現し、世界経済の頂点へと上りつめていく時代に、巨大組織

の中で翻弄されながらも、強い信念と不屈の精神をもってどんな過酷な状況をも克服

していく男の姿を描いた社会派ドラマ。

不遇に耐え、不条理に挑み続ける骨太な男の生きざまを見事に演じられる役者は、

渡辺 謙おいてないのではと思った。

「組織と個人」、「企業の社会的責任」がしっかり表現されていた。

85年8月に起きた日航ジャンボ機墜落事故が作品の中心にすえられている。

映画は、日本航空の企業としての内部体質の本質を鋭くえぐり出している。

最近連日のようにマスメディアが取り上げている「日本航空問題」を引き起こした

企業体質をまさに想起させた。

今年観た日本映画では、お勧めできるベストの作品。

Gooのポイントは71だが、ちょっと過小評価では。

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以下、余談。

日本航空123便墜落事故では、乗員乗客524名のうち520名が亡くなり、生存者は

4名であった。生存者のうちひとりは、当時12歳だった川上慶子さん。同乗していた

ご両親と妹さんは犠牲となった。

事故からしばらく経ったころ、会社の仲間がどこで手に入れたのか、『お守りになる』

と言って、川上慶子さんの航空券のコピーをくれた。

川上慶子さんをネットで検索してみた。

今は結婚し、会社員の夫と息子さんの3人で、幸せな生活を送っているそうだ。

2009年11月14日 (土)

ニューヨークの旅(5)

ニューヨークに行ったら、ここにもぜひ行きたかった。それはメトロポリタン美術館。

この日は小雨模様だったが、途中セントラルパークの紅葉を見たくて、傘をさして、

ホテルから美術館まで歩いた。セントラルパークの南口までは15分くらいだったが、

そこから美術館までは結構あった。

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世界最大級の美術館のひとつだけあり、そのスケールに圧倒された。

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メトロポリタンの特色は、そのコレクションの幅がきわめて広いことで、全館を一日で

回るのは難しいほどの規模。そして最大の特色は、これだけの規模の美術館が、

国立でも州立でも市立でもない、純然とした私立の美術館であること。また入館料が

美術館側の「希望額」として表示されていて、チケット売り場で「Two seniors,please」と

言ったら、「Recommended price is $30」と言われ、30ドル払った。30ドル以下でも

問題なく入れる。

ここでもフェルメール作品を見た。牛乳を注ぐ女(左)、少女(右)

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なじみの作品が多くあった。

ゴッホ、モネ、ゴーギャン、ルノワール、ターナー、グレコ・・・

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お昼は美術館の中のカフェテリアで食べ、結局5時間半くらいいた。

美術館に行ったらいつものことだが足が疲れ、体力が必要なことを感じる。

帰りは紅葉を楽しみながら、セントラルパークを横切り、地下鉄に乗って帰ってきた。

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ニューヨークに出発前ネットで調べていたら、ハドソン川を上ってロックフェラー邸で

見る紅葉が最高で、波止場からツアーが出ていると書いてあったので、ぜひ行こうと

思っていた。

ホテルのコンシェルジュに調べてもらったら、ロックフェラー邸は1日に15名しか

受け入れず、11月末までは予約がいっぱいとのことで諦めざるを得なかった。

ただ、セントラルパークで紅葉が十分に楽しめたので満足した。

2009年11月12日 (木)

事業仕分け

昨日からはじまった来年度予算要求のムダを洗い出す「事業仕分け」が連日トップ

ニュースで取り上げられている。

『よーし、やってくれている!』との、痛快な思いでニュースを見ている。

官僚の度重なる不祥事に辟易としている国民は、胸のすく思いで作業の進捗を注視

している。

夕刊に仕分け人の意見が出ていた。

『補助金を使って、地方のまちづくりに国が関与する必要はない。自治体にとっては

大きなお世話だ』

『こども未来財団は典型的な天下り財団の例。高額な役員報酬。(天下り理事長の

年間報酬は1635万円)。国が拠出する300億円の基金を全額国庫に返納すること。

基金は”無駄の温床”、”天下りの温床”』

『基金を全額返納した後、一部の公益法人については廃止を含めてあり方を見直す

べき』

あらためて知ったが、官僚にとって基金は、まさに美味しい”埋蔵金”!

衆人、マスメディア取材の面前で、仕分け人は各省庁の「聖域」に踏み込み、「廃止」を

連発。溜飲の下がる思いだ。

これだけでも民主党に替わった意義は十分にある。

ボクは97年から3年間、通産省の外郭団体に出向したことがある。

税金のムダづかいということで例に引くわけではない。

3年間の活動のテーマは、『ITを活用し、活力ある高齢社会の実現』

今でこそ目新しいテーマではないが、10数年前は斬新な社会的課題であり通産省も

結構力を入れていた。

3年間の在任中、国の予算の獲り方、使い方、これまで縁のなかった人たちとの付き

合い(役所の職員、自治体の職員、同業他社の人たち、大学の先生、団体職員・・・)

いずれも新鮮で貴重な経験だった。

翌年度の活動予算獲得のため様々なテーマを考え提案し、通産省の担当者としばしば

議論した。

話では聞いていたものの、実際にキャリアとノンキャリアの処遇の違いを知ったのも

驚きだった。

国家公務員試験Ⅰ種に合格したキャリアの人たちは、Ⅱ種試験合格者のノンキャリア

の人たちとは、ポジション、職責、権限、昇進に大きな違いがある。

当時、ノンキャリアで課長に昇進する人はいなかったのではないだろうか。

とにかく課長の権限は絶大であった。課長の下に、課長代理と課長補佐がいて、

課長代理はキャリアであった。

特徴的だったのは、キャリア官僚の異動の早さ。1~2年で異動し、しかも通産省内

だけでなく、他省庁との異動が全く珍しくなかった。いろいろな役所でいろいろな職種を

経験させることが狙いで、当時の課長は大蔵省、課長代理は警察庁の出身だった。

課長の上は局長。

さすがこれがキャリア官僚かと思うこともよくあった。例えば、たしか32歳だった課長

代理は着任早々出席した会議で、内容を十分に把握した上で見事に自分の意見を

述べる場面に何度か遭遇し、これはただ者ではないと思った。

キャリアは皆、自分たちが国を背負っているとの気概を持って仕事に取り組んでいる。

ただ、こういう姿勢裏腹に傲慢さを醸成する。

当の課長代理は1年ちょっとで東北の某市の税務署長に異動した。

キャリアは結束も強かった。毎週通産省全体のキャリアが集まり、たしか法令審査会

と呼ばれる会議が行われていた。官僚の重要な仕事である各局・各課の作る法律を

キャリア官僚全員で審議する場であったのだろう。

こういう”純粋培養”過程を経てキャリア官僚は強力な権限を持つようになり、それが

自省庁内に”聖域”を形成していくことになる。”基金、”天下り”はその発露と言える。

話を「事業仕分け」に戻す。

仕分け人の指摘に対し、防戦一方だった局長ほか官僚幹部は全員、これまでの権益、

聖域を守ることはもうできないと戦々恐々であろう。ただ、必死になって巻き返しを

図ってくることは間違いない。

民主党幹部が言っている「革命的改革」がまさに起きつつある。

このことは国民にとっては、目隠しされていた覆いがサッとはずされ、視界がパッと

開けた感じである。

ボクが選ぶ今年の流行語大賞は、文句なしに”事業仕分け”。

「事業仕分け」はまだまだ続く。ワクワクしながら成り行きを見守っていきたい。

2009年11月 9日 (月)

ニューヨークの旅(4)

ニューヨークに行けば、やはりブロードウエイでミュージカル。

行く前からカミサンは、『観るのはマンマ・ミア!』と言っていた。

劇場近くのtktsという格安当日券売り場に行けば安く買えるかもしれないと聞いたが

面倒なのでヒルトンホテルの中にあるJTBに行ってチケットを買った。

85ドルの席だったが当然JTBはコミッションを取る。

劇場はウインター・ガーデン。

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右は席から撮った写真。

出演者の顔がはっきり見える場所で0910_107

いい席だった。

英語はついていけなかったが

ストーリーはいたってシンプル。

ウリはABBAのヒット曲がふんだんに

歌われること。

「マネー・マネー・マネー」からはじまり

「チキチータ」、カーテンコールは「ダンシングクイーン」

上演時間は2時間半。時差が残っていて途中ウトウトしたものの、歌と踊りを十分に

楽しんだ。初回公演が01年10月ということで、既に8年のロングラン。

カーテンコール「ダンシングクイーン」では観客総立ちのスタンディング・オベーションで

大盛り上がり。

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帰りはタイムズスクエアーをちょっと

ブラブラして、マックでハンバーガーを

買ってホテルの部屋で食べた。

ブロードウエイの観劇はボクは2度目。

20年くらい前、出張でNYに行ったとき

駐在員が連れて行ってくれた。

出張前に『何を観たいですか』と連絡があり

『わからないので適当に』と答えた記憶がある。

取ってくれたチケットは「オー・カルカッタ」

オー・カルカッタは30年以上続いたロングランミュージカル。

最初から最後まで舞台の上で裸の男女がいろいろな動作やポーズで動き回り、

下ネタ系のショートコントを繰り返すことで有名な人気ミュージカルだった。

今でもはっきり覚えているのは、観客席の前の方に座っているのは、ボクのような

日本人の出張者とおぼしき男たちで多くが背広姿。後部座席はアメリカ人の男女。

舞台の会話に対して、前の方に座った日本人は誰ひとり笑うことなく、じっと舞台を

見ていた。一方、後部座席のアメリカ人は笑いが絶えなかった。

ブロードウエイの笑える思い出である。

2009年11月 8日 (日)

久しぶりに東京へ

金曜日、運よく2件が重なり、久しぶりに東京へ出かけた。

先ず、朝9時、勝どきまで。

これまた久しぶりに7時過ぎの通勤ラッシュの電車に乗った。現役時代は6時半ころの

電車に乗っていて、冬は真っ暗の中、家を出ていた。

全国の犯罪被害者支援ネットワーク組織”ハートバンド”に所属し事務局のお手伝いを

していることは、何度かブログに書いた。

ハートバンドが主催し、今月28~29日に開催される、「犯罪被害者週間全国大会

2009」の準備状況を確認する打ち合わせに参加。

打ち合わせは、催しを行う晴海グランドホテルで、会場チェックを含め行った。

これまでに何度か運営委員会に参加し、2日間のプログラムの準備を進めてきた。

2日間の式次第、内容、講演者、懇親会、分科会、それに役割分担、すべて確定。

当日取材が予定されているマスメディア対応、それに今週金曜日、東京地裁の司法

記者クラブで行われる記者会見についても議論した。

開催前にあと2回、確認会議を行うことを決めて散会となった。

終わってすぐ、大学のゼミのメンバー3人との待ち合わせ場所、有楽町駅まで行った。

3人とは7月に会って以来。

7月に、『次回はマージャンをやったあと飲み会をしよう』ということが決まった。

1時に有楽町駅に集まり、先ずは雀荘へ。

昼間のマージャン屋なんてほとんど人がいない。結局7時ころまでやった。

久しぶりのマージャンだったが、調子がよく、最後はかなりの勝ちで終わった。

そのあと近くの店で、2時間くらいワイワイ。

かつてのゼミの仲間の話、夫婦の関係、ゴルフ・農園・競馬など趣味の話、かつての

仕事の話・・・

ニューヨークの話でも盛り上がった。ふたりがニューヨークに駐在していたことがある。

3年と、もうひとりは何と10年。

帰ったら10時半。久しぶりに現役時代と変わらない一日となった。

2009年11月 4日 (水)

ニューヨークの旅(3)

ニューヨークに出張で何度か行ったのは、もう20年以上前。

最もびっくりしたのは摩天楼。

当時東京には今のように高層ビルはなかったし、ましてや高層ビルが密集している

ところなんてもちろんなかった。そのため、初めて見た摩天楼には強烈なインパクトを

受けた。

見上げると隣も隣も、そのまた隣も超高層ビル。間に見える空が小さかったことが

ずっと鮮明に記憶に残っている。これがまさにニューヨークだと思った。

今回ニューヨーク行きを決め、最もカミサンに見せたかったのは、摩天楼。

そのためには、やはりエンパイヤーステートビルに行かなければと思った。

ニューヨーク市には5つの区がある。中心はもちろんマンハッタン。

そのマンハッタンのほぼ真ん中、しかも中心の通り、5番街にエンパイヤーステートビル

は建っている。ホテルから歩けない距離ではないが、地下鉄で行くことにした。

地下鉄・バス共通で、1週間乗り放題のメトロカードを25ドルで買い、有効活用した。

地下鉄は路線が多いため、乗るときは毎回地図に首っぴき。

エンパイヤーステートビルは約80年前、わずか2年足らずで建てられたそうだ。

床と壁はすべて大理石。

日本で言えば昭和のはじめ。そのビルが今でもニューヨークで最高層のランドマーク。

いまだにヒビ割れひとつ目につかないそうだ。

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86階の展望台から、南方向にはLower Manhattan地区が臨め、9・11で倒壊した

World Trade Centerビル方面、その先の島には自由の女神が見える(写真左)

写真右は北方向。真ん中の通りは5番街。

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鳩が何羽もいた。0910_127

きっとエサをやるので、ここまで  

上がってくるのだろう。

300m以上の高さである。

5番街を北に歩いて、グランド

セントラルターミナルに行った。

よく映画の舞台にも使われる

ドラマチックな雰囲気の駅。

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インフォメーションでいろいろ話を聞いた。

この駅も約100年前に造られ、10年前にリニューワルオープンしたとのこと。

ドームの高さは約40メートル。

100年前と言えば、大正初期。

あらためてアメリカのすごさを感じるとともに、こんな国と戦争して勝てるわけが

なかったと思った。

2009年11月 2日 (月)

ニューヨークの旅(2)

着いた日の夜は、当然のことながら、時差で何度も目が覚めた。

NYのお昼の12時が東京では夜の1時だから、体内時計が狂うのは当然。

ボクの場合、時差のリカバリーは東京からNYに行ったときより、NYから東京に戻った

ときの方が楽だった。きっと家で自分のベッドで寝られるという精神的なものが影響して

いるのではと思う。

ホテルのロケーションについてもう少々。Rimg0046_2

先ず、歩いて2分のところに

カーネギーホールがある。

セントラルパークの南側までは

10分かからない。

前回のブログでホテルのロケーションは、

West57th Street 6th Avenueと書いた。

6th Avenueをもうひとつ進めば、当然そこは5th Avenue、5番街である。

5th Avenueまでは歩いて3分。5th Avenueを境にStreetはWestとEastにわかれる。

5th Avenueには多くのブランド店が軒を連ねている。

ティファニーからはじまり、ルイビトン、PRADA、GUCCI・・・

我々夫婦にはまったく関心のない対象。

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これら超有名店以外にも近くにはきれいな店がたくさん並んでいる。

どの店も賑わっている風はない。高い家賃を払い、お金がどのように回っているのか

不思議に思えた。”90% Discount”と広告を掲げた靴屋があり、カミサンが喜んで写真を

撮っていた。

5th Avenueを通り抜け、Streetを3つ   Rimg0035_2

下がったところにカミサンの姪一家が

住んでいて訪ねた。歩いて20分くらい

だった。娘も3回訪ねて泊めてもらった

ことがある。

ダンナさんは大手商社に勤めていて

NY支店には13年勤務。家族は通算

8年NYに住んでいる。

子供はふたり。13歳のお姉ちゃんとRimg0030

9歳の男の子。

この子供たちがスゴイという話は

聞いていた。

ふたりともチェスが強く、男の子は

ニューヨーク市全体の9歳の子供大会で

チャンピオンになったことがある。

入賞してもらったトロフィーがたくさん

部屋に飾ってあった。Rimg0031

また、男の子はアイスホッケーの  

クラブに所属していて、定期的に

練習に通っているそうだ。

姪から『アイスホッケーはアメリカ的で

面白い』と勧められたが、結局観に

行かなかった。

訪ねたときはダンナさんは日本に出張中で

帰ってきてからも連日接待、ワールドシリーズにはお客さんと一緒に2度行ったそうだ。

結婚式に出席して以来久しぶりに会えるのではと楽しみにしていたが、残念だった。

姪はNY生活が長いのでいろんなことを知っていて、彼女から教わったことがその後の

我々の行動に大いに役に立った。

2009年11月 1日 (日)

ニューヨークの旅(1)

一昨日、ニューヨークから帰ってきた。

最後の2日間を除き、天候に恵まれ、日本の小春日和にあたるインディアン・サマーの

おかげで、暖かく快適に過ごせ、ラッキーだった。

久しぶりにニューヨークヤンキースが  0910_377

ワールドシリーズに出場、ちょうど

ハローウイーンの時期、それに3日に

ニューヨーク市長選が予定されていて

テレビ報道が毎日流れ、賑やかな時期

だった。

JFK空港からホテルまではシャトルバスに

乗った。バスはシティの中心で降ろされ、その先は10人くらいで小さなバスに乗り換え

各自指定したホテルに運んでくれた。今月Grand Openしたばかりのホテルなので

大丈夫かなといくぶん思ったが、StreetとAvenueで碁盤に仕切られたニューヨークでは

住所を言えばまったく問題ない。

ヒルトンが建てたホテルで、あとで知ったが、所在のWest57th Street 6th Avenueは

マンハッタンの中でもベストロケーションのひとつのようだった。

予約するのに苦労したが、苦労した甲斐があった。

Rimg0042 Rimg0043

部屋は23階、予約したのはスタディオタイプの部屋だったので、シャワーだけで

バスタブはないだろうと思っていたら、バスタブもあり、思った以上の広さで快適。

持って行ったポータブルパソコンは問題なく即、無線LANにつながった。

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窓から目の前のビルの間にセントラル・パークが見えた。

着いたときは緑濃かった木々(左)は5日くらいたつと、黄色に紅葉しはじめた(右)。

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紅葉を見ることが今回の旅行の楽しみのひとつだったので、その意味からも

ベストのタイミングだった。

目の前のビルの屋上にはペントハウスが見えた。

ニューヨークに行ったらペントハウスを見たいと思っていたので念願かなった。

ペントハウスは建ったビルの屋上に個人が好みで建てるのだろう。興味深く、いろんな

タイプのペントハウスを見た。

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毎朝、朝食はメンバーラウンジで食べた。

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9泊していた間、日本人に会ったのは1度だけ。

東京で外資系の会社に勤めている女性で、モントリオールで仕事をしたあと、ボスに

OKをもらったので、ミュージカルを観るためニューヨークに来て、3泊し毎晩ブロード

ウエイにミュージカルを観に行ったと話していた。

ラウンジには、夜はオードブルとワインが並ぶ。

夜は1度しか行かなかったが、シニアの夫婦中心にみんな楽しんでいた。

きっとここで夕食をすませる人も多いのだろうなぁと思った。

こんな感じでニューヨークの旅ははじまった。

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