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2009年9月

2009年9月29日 (火)

沖縄にて(3)

娘宅の引越し荷物は日々片付いてきた。

横浜から送った荷物の個数は254個。  Rimg0404 

横須賀に帰るときには20数個になった。

片付け作業は、当然のことながら娘が

中心にやり、ボクの役目はふたりの孫を

風呂に入れること、ゴミの整理とゴミ出し、

それと片付け作業の邪魔にならないよう、

孫たちと遊んでいることだった。

駐車場の一角に大家さんの奥さんのやっているアロマセラピー教室があった。

孫たちはここで飼われている犬のゴンと仲良しになった。

大家さん夫婦には、見どころ、食べどころほか、地元の人たちが知るお勧めポイント、

お店をいろいろ教わった。

連休で幼稚園が休みだった日、娘がRimg0416 

子供たちが遊べるところへ行きたいと言い

家から車で10分少々のところにある

おきなわワールドに出かけた。

おきなわワールドのウリは玉泉洞という

鍾乳洞。

ハイビスカス(左)とブーゲンビリア(右)が

園内あちこちに咲いていた。

Rimg0418 Rimg0417 

おきなわワールドは玉泉洞のほか、沖縄の

歴史・文化・自然を盛り込んだテーマパーク。  Rimg0419 

ミサキは『これやりたい!』と言い、

紅型(びんがた)と呼ばれる、沖縄を

代表する伝統的な染色技法塗りに

挑戦した。

ぬり絵のおかげで線の中に色を

ぬっていくことは出来るようになった。

熱帯植物園もあり、さまざまな珍しい植物を楽しめた(左 アボカド、右 パパイヤ)

Rimg0434_2 Rimg0435

最後に玉泉洞を見に行った。

鍾乳洞を見るのは40年くらい前に秋芳洞を見て以来。

玉泉洞は全長4,500メートル。そのすばらしさに、ただただ感動!

1ミリ成長するのに3年かかるそうで、石灰岩からにじみ出てくる水滴が造りあげた

見事な作品。

上から落ちてきたしずくが下に落ち石筍となり、石筍が大変な年月をかけ上に伸びて

いき、下に落ちないで上部に残った水滴でできたものと合わさり、最終的に石柱に

なったものが鍾乳石。

写真を撮ったが、ボクのカメラとテクニックではとてもムリ。

リアルな写真こちらをどうぞ。

Rimg0431 Rimg0422 

結局、おきなわワールドには昼前から夕方まで6時間以上いた。

2009年9月28日 (月)

沖縄にて(2)

着いた翌日、娘が近くの市場に連れて行ってくれた。

「たまぐすく花野果村(はなやかむら)」、生産者が直接納めた野菜・果物が売られて

いて、値段も安い。

Rimg0367 Rimg0374 

珍しいものがいろいろ並んでいた。

上段左右はパパイヤ、ヘチマ、中段はトウガンとシークアーサー、下段はツルムラサキ

とドラゴンフルーツ。どれもいかにも健康に良さそうなものばかり。

買った野菜は後日食卓に並んだ。

Rimg0371 Rimg0369 

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Rimg0377 Rimg0379 

午後は幼稚園から帰ってきた姉孫のミサキを連れて、娘がスイミングスクールの

体験会に参加させるということで同行した。

横浜でもスイミングスクールには1年以上通っていた。このスクールもミサキは気に

入ったようで、早速入会手続きをとっていた。

Rimg0385 Rimg0388 

翌日、娘の横浜のママ友一家が連休の休みを利用して沖縄に旅行に来ていて、

ランチを一緒にするということで、我々も誘われた。

家から15分くらいのところにある、娘お勧めのレストラン”風樹”で合流した。

海の眺めがすばらしい店で、2家族がゆったり座れる大きなテーブルが空いていて

ラッキーだった。

Rimg0389 Rimg0391 

Rimg0393 Rimg0394 

初対面とは思えないくつろいだ雰囲気で食事をしたあと、みんなで近くの海に磯遊びに

行った。

ちょうど引き潮で岸から遠くまで歩け、カニや貝を見つけて遊んだ。

食事、磯遊び、3時間以上一緒にワイワイ楽しんで、ママ友一家とお別れした。

Rimg0400 Rimg0401 

2009年9月26日 (土)

沖縄にて(1)

沖縄の娘宅から帰ってきた。

娘たちの住んだアパートは那覇の南東15キロくらいの玉城(タマグスク)地区。

隣町の南風原(ハエバル)は沖縄戦最後の激戦地のひとつ。ひめゆりの塔までは

10数キロ。

アパートは新築、5階建ての20戸。

アパートのベランダからは、目の前にざわわ、ざわわのサトウキビ畑、2キロくらい

先には海が見える。

Rimg0346 Rimg0412

アパートの前が広い駐車場になっていて、大家さんが20戸各戸1区画の家庭菜園を

用意してくれている。

裏には立派な自転車道があるが自転車の走っているのを見たことがない。

右の写真は近くの道路標識。

Rimg0356 Rimg0359

着いた日、12時、娘と一緒に家から車で数分の幼稚園に姉孫のミサキを迎えに

行った。海がきれいに見える高台にある園庭の広い公立の幼稚園。

この日が入園2日目。運動会の練習のかけっこをやったそうで、既に仲良しのお友達

ができたとのこと。横浜で通っていた幼稚園に比べのびのびやれるようである。

Rimg0350_2 Rimg0354 

夜は家から車で10分くらいのところに

ある奥武島の典型的な沖縄食堂に Rimg0334

食べに行った。

煮魚はたしかアオダイ。

焼き魚は名前を聞いたが失念。

たまたま食堂の子供さんが

ミサキの幼稚園のお友だちで

あることが判明。

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2009年9月19日 (土)

ケータイより

娘たちが沖縄に発ったのは一週間前の先週金曜日。

早速、『パパがしばらく出張になったので、来て引越し荷物の片付けと

子供たちの面倒をみて欲しい』とリクエストがあり、

カミサンと一緒に沖縄に来た。

借りた家は那覇空港から車で30分足らず。

住所に「字(アザ)」がつく田舎の新築アパート。

裏にさとうきび畑があり、遠くに海が見えるすばらしいビューの部屋。

姉孫ミサキは今週火曜日から幼稚園に入園。

幼稚園までは車で数分。公立の幼稚園で園は広く、良い先生に

恵まれたようで、ミサキは早速お友だちができたとのこと。

片付けは徐々に段ボール箱の山が崩れてきて、娘一家の着地は

先ずは無事できたよう。

近くに海ほか行きたいところがあちこちあり、おいしい沖縄料理が

食べられる店もいろいろあるようで楽しみ。

ただ、パソコンがまだ使えないため、ブログはケータイからアップしてます。

ブログは一週間ほど休みます。

2009年9月16日 (水)

マンション理事会

熱海のマンションの理事会に出席するため、金曜日の夜から3泊で熱海に行ってきた。

2ヶ月1回の理事会に出席するため、ひとりで行くのが最近の熱海行きのパターンと

なってきた。

今回メインのテーマは、「機械式駐車場の今後のあり方」、それに「次期役員候補の

選出」だった。

機械式駐車場は、現在の3段式24台収容の駐車場を、①14台収容の上下2段式に

変更するか、または、②地下部分を埋め、8台収容の平置き駐車場にするかに

絞られてきた。

①については、今回の理事会に業者を呼んで説明を受けた。②については2社より

見積りを取った。両者の間には相当の費用の差があり、①が圧倒的に費用がかかる。

85戸の居住者にアンケートを出し11月22日に予定している総会で決めることにした。

来期の役員選出については、今回初めての試みでルールを定めた輪番制で役員を

選ぶこととした。定住者:非定住者の割合が1:3のこともあり、役員のなり手がなく、

なる人が固定化してしまっている。加えて、居住者の高齢化が進んでいて、毎年役員

選びに苦労する。

そのため、多くの人が納得するであろうと思われるルールをつくり、それに基づいた

輪番制をはじめることとした。

今回はその第1回目だったため、いくぶん苦労はしたものの目標の4人の候補が

選ばれた。あとは現役員6人のうち2名が留任し、なんとか6人揃い、総会で諮る

こととなった。ボクは通算で5年間やったことになる。今年を最後にご奉公はおわり。

理事会が終わったあと、久しぶりに知り合いとお茶をした。

3年前の市長選挙で知り合った熱海の市会議員の橋本さん

橋本さんの議会質問は4~5回傍聴したことがある。

バランス感覚の取れた方で性格的にも穏やか、調整能力もあり、ずっと応援している。

3年前の市長選のときは、熱海市でたったひとりの民主党議員で、まさに孤軍奮闘

された。

最近の民主党の話、さきの選挙で落選した自民党候補に10万票以上の差をつけて

当選した地元選出民主党議員、渡辺周さんのこと、最近の熱海市政と山積する問題、

来年9月の市長選挙・・・、いろいろ話を聞き、意見交換をした。

1時間以上がアッという間に経った。 

『お忙しい中、長時間申し訳ありませんでした』とお礼を言い、別れた。

2009年9月13日 (日)

市長への質問傍聴

水曜日、知り合いの市会議員の藤野さんが、横須賀市の新任の吉田市長に質問する

ということで、市議会の傍聴に行った。

傍聴者は30名くらい。前週、吉田市長が行った所信表明に対する質問と答弁。

数十年の長きにわたり続いた官僚OBの天下り市長体制を打ち破り、誕生した若干

33歳の新市長を多くの市民が歓迎した。また、6年間務めた市議の経験を活かし、

きっと住みやすい街づくりをしてくれるであろうと多くの市民が期待し新市長を迎えた。

藤野市議は6月の市長選挙で先頭に立って、市長候補の吉田雄人さんを応援した。

市長とほぼ同年代の藤野さんは35歳。市長就任から2ヶ月が経ち、その間の市長の

動静に対し質問の中で厳しく追求した。(以下藤野さんのブログから原文のまま引用)

   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~

さきの市長選挙において僕は、吉田雄人候補を応援しました。そして吉田候補は

当選し、市長になりましたが、僕は「市長の与党」などにはなりません。

市民から選ばれた「市長」と「市議会」という2つの代表がより良い政策の実現を

めざして切磋琢磨しあうことこそが、在るべき姿です。ですから、当然、吉田市長に

対しても僕は、誰よりも厳しく常に「是々非々」で向き合ってまいります』

さて、市長就任からもう2カ月が経ちました。全国で3番目に若い市長の誕生という

話題でお祭り騒ぎをしたマスコミも消えていきました。市民のみなさまも市長交代直後

のお祝い気分はすでに消えて、誰もが終わりなき日常へと戻っていき、目の前の

厳しい現実に向き合って暮らしています。解決すべき課題は山積みです。

だからこそ、市民から負託されたマニフェストを実現していかねばならない。

そして、希望を感じることができる「新しい横須賀」を市民のみなさまと共に、一刻も

早く実現することこそが我々の最大の責務なのだと、強く信じています。

このスタンスに基づいて、これから市長へ質問を行なってまいります』

以下、藤野さんが質問したポイント。

1.市民が「吉田市長に望んでいること」と、市長自身の「市民から期待されている

  こと」の「認識」との「ズレ」について。

  ① 吉田市長に求められているのは「スピード感」をもって行動することでは

    ないのか。

  ② 式典への来賓出席などに市長は時間を割くべきではなく、「マニフェストの

    実現」にこそ全力を傾けるべきではないのか。

  ③ 市長は徹底して全ての情報を公開し、積極的にあらゆるメディアを使って

    自らの想いや行動の全てを市民のみなさまへ届くように発信していくべきでは

    ないか。

2.マニフェストの「完全なる実現」に向けて。

  ① マニフェストの進捗管理は「毎年」行なうべきだが、「自己評価」だけでなく、

    外部の「第三者評価」を受けるべきではないか。

  ② マニフェストで「ゼロ予算で実現可能」とした施策は、市職員に過大な負担が

    かかりすぎないよう、対応すべきではないか。

  ③ マニフェスト実現の為にも、意欲ある若手職員を年功序列にとらわれず抜擢

    するなどの人事政策を積極的に行なうべきではないか。

  ④ マニフェスト推進の為に「本物の現場」を毎週、市長みずから足を運んで必ず

    見るべきではないか。

3.財政危機の原因の1つであるハコモノの今後の在り方に対する方針を述べるべき

  ではないか。

4.米軍基地に対するスタンスに対して。

  市長は本市の「核兵器廃絶・平和都市宣言」も堅持して、政府へ本市の「市是」を

  強く主張していくべきではないか。

5.自殺の原因に対する吉田市長の認識について。

   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~

考え方、姿勢、内容とも立派な質問であった。

藤野さんの前に質問した議員の質問も同様にすばらしかった。

それに対し、吉田市長の答弁は気迫不足、パンチ不足を感じた。

市職員が準備した答弁書を読みあげるのは、通例なので仕方ない。

就任2ヶ月、多くを望むには早すぎる時期とは言え、周りはそれを許してはくれない。

33歳、会社で言えば入社10年、若いのだからは、もちろんもっと許されない。

市議時代に官僚OB市政と批判してきた前市長と『答弁内容が変わらない』と

指摘され、議場全体から苦笑が起きたことには、”チェンジ”をマニフェストの中心に

すえてきた本人はショックだったことだろう。

今年は市長選挙と先日の衆議院選挙、ふたつの選挙で勝手連活動に参加した。

考えてみると、選挙活動そのものは”お祭り”であり、候補者本人、支援者みんな

当然ハイになる。当選したあとのことを冷静に考えながら選挙活動を行う候補者は

極めて少ないことだろう。

ただ、”お祭り”が終われば即現実が待っている。約束したマニフェストは多くの

人たちが読み、手元に持っていて、実現されていくかどうかを注意深く見守っている。

職務に就いてはじめて、『これは大変だ』と多くの当選者が思うのではなかろうか。

2回の市議選で圧倒的トップで当選し、6年後に市長を目指し、思いを果たした

吉田市長には、何としても頑張って欲しい。

ただ、難題山積の中、よほど強い気持ち臨んでいかないと、プレッシャーに押し

潰されてしまいかねない。

今後の市長の動静を注視し見守っていきたい。

2009年9月11日 (金)

娘一家の転居(2)

娘とふたりの孫たちは、月曜日に横須賀に来て4泊した。

1歳5ヶ月の妹孫のユナが面白くなってきた。たえず何かしゃべっているが半分以上は

理解不能。使うことばのTPOがうまく合っているときには笑える。秀逸は『ガックリ』

歌もよく歌っている。「ぞうさん」、「歩こ、歩こ」、「きらきらお星さん」・・・

娘たちが来た翌日の火曜日、娘からRimg0313

『高校時代のお友だちの家に行って

きたいので、子供たちの面倒をみて

欲しい』と言われ、7月にも行った

ことのある「くりはま花の国」へ

カミサンと孫たちを連れて行った。

前回行ったときは姉孫のミサキが 

途中調子が悪くなり、公園内を走る電車に乗れず、それと楽しみにしていた

「冒険ランド」にも行けなかったので、再度行くことになった。

公園に入るやいなや、ミサキは『電車に乗りたい』と言い、念願の電車に乗った。

Rimg0300 Rimg0297 

くりはま花の国の売りはコスモス。残念ながら数週間早かった。

ミサキ待望の「冒険ランド」で下車。入園無料なのに、人はほとんどいない。

目の前には、45mの滑り台がある「わんぱくトリデ」と巨大なゴジラ像。

ゴジラが最初に上陸したのが近くの観音崎ということになっていて、寄付を募って

このゴジラのモニュメントが出来上がったそうだ。

Rimg0308 Rimg0309 

ミサキは以前に比べ遊具でしっかり遊べるようになっていた。長い滑り台にも

3回挑戦した。

Rimg0305 Rimg0306 

そして、娘たちは今朝昼前のフライトで沖縄に発った。

車で羽田まで送った。車で羽田に行くのははじめて。1時間足らずで着いた。

家を出る前、ラストショット。ミサキは買ってもらったばかりのキャリーバッグが

お気に入り。

Rimg0316 Rimg0317

ママ友と会社の同期だった友だちが忙しい中、遠くから子供を連れて見送りに来て

くれて、感激。

Rimg0322 Rimg0327

今回娘宅と横須賀で1週間孫たちと一緒に過ごした。いなくなって火が消えたような

感じである。  

予定は2年とのことだが、どうなることか。

孫たちには、当然これまでのような頻度では会えなくなるが、大好きな沖縄に遊びに

行けるチャンスができたと考え、早割りチケットを取って、ちょこちょこ遊びに行きたい

2009年9月 9日 (水)

娘一家の転居(1)

今日9月9日はブログ開設4年目の記念日。

さて、ダンナの転勤で娘一家が沖縄に転居することになった。

横浜の家の引越しの手伝いと孫たちの面倒をみるため、娘宅に2泊した。

沖縄に転居したあと、家を売ることにしていて、今回が最後でとても感慨深かった。

引越し業者の人たちに日曜日、月曜日の2日間、4人づつ来てもらい、両日で通算

10時間以上かかった。

子供のものが多く、家具ほか含め最終的に荷物の数は254個になった。

結婚直後から住みはじめて7年目、子供ができて4年目。その間に何度訪ねて来た

ことだろう。

マンションの10階のベランダからはランドマークタワー他みなとみらい地区が見え、

反対側のベランダからは、天気と見通しがいい日は富士山がばっちり見える。

Rimg0275 Rimg0284

当然のことながら、最後部屋はがらんどう。

Rimg0283 Rimg0282

何もない部屋で孫たちふたりは、

Rimg0290 Rimg0288

引越し荷物が出たあと、出張のパパを除いて、全員横須賀に来て4泊することに

なった。マンションの1階を出たところで、幼稚園のお友だちのDくんとママが待って

いてくれた。プレゼントをいただき、ママ同士は涙が止まらず、カミサンももらい泣き。

Dくんは寂しくなるのがわかっていてか、姉孫のミサキに近づこうとしない。

結婚したばかりのころは、娘は新しい土地で馴染むのに結構苦労していたが、

子供ができてからは仲良しのママ友がたくさんでき、親子揃って多くの良いお友だちに

恵まれた。

親子でお別れ会を何度もやってCheeze_2

もらったそうで、幸せ者である。

ママ友のひとりがお別れの

メッセージを描いたチーズケーキを

焼いてくださった。

写真で見て感激。

親子ともども仲良しのお友だちと

一緒に過ごし楽しんだ数年間だった。

Dくんとママに車まで送ってもらい

悲しいお別れをして、横須賀に

戻ってきた。

2009年9月 7日 (月)

朝日歌壇

朝日新聞には毎週日曜日、選ばれた短歌と俳句が掲載される。

以前は読み飛ばしていたページだが、最近は見るようになった。

俳句より、情感が込められた短歌に興味がある。

先週の日曜日に掲載された短歌の中にはジーンとくるものが

多かったので紹介する。

時節柄、戦争に関連した心惹かれる歌が3首あった。

  □ ボランティアと英訳されし志願兵特攻隊の碑文哀しき

  □ 爆心地で死にたる父はアメリカに帰化せし我をゆるし給ふや

  □ 特攻にゆくことのなき整備兵を羨しとも見し夏のまた来る

次の2首は何度も読み返した。

  □ 夏座ぶとん裏返すなどし僧を待つ一人の家のひとりの法事

  □ われだけを残してみんな降りて行った二十三階新宿職安

次の2首は我が家でも身近な情景。

  □ 親だけの家となりしに子を連れて集えば椅子の足りぬ夕食

  □ 「初めて」は子らに突然訪れる例えば自分で蝉を捕れた日

もう2首。

  □ 今よりも厚い切符をポケットに初めて一人出た旅思う 

    (昔の国鉄の切符は分厚かった)

  □ 睡眠も化粧も食事もパソコンも部屋を飛び出た午後の地下鉄 (まさに!)

2009年9月 4日 (金)

横須賀市長所信表明

2ヶ月前、横須賀市では33歳の若い吉田市長が現職を破り当選し、話題となった。

昨日、吉田市長が初の議会で所信表明を行ったので傍聴に行った。

2時からのスタート。きっと傍聴者が

多いだろうと思い、1時40分に    Rimg0274

行ったら、100名を超える

傍聴席は既にいっぱい。

委員会室にモニターが設置

されていてモニターで視聴した。

『鳴り物入りで当選した市長は

何をやっているのかよくわからない』

との意見を数度聞いたことがあった。『公約であるマニフェストに沿って、市役所の

全部署のヒアリングをしているようである』とも聞いた。

冒頭そのことに触れ、『マニフェスト実現こそが使命。早く行動せよとおしかりも耳に

するが、今後羽ばたく助走期間とご理解いただきたい』

横須賀市の置かれた状況について、人口動態は減少傾向にあり、人口の24.1%

が高齢者、出生率は1.25前後で全国平均以下。加えて財政が危機的状況にある

ことが示された。一方で、横須賀にはさまざまな産業的ポテンシャルがあることが

具体例で説明された。

米軍基地対策については、マイナス面とプラス面を並列させた上で、市の返還方針の

堅持と情報共有体制の確立を挙げた。

マニフェストに掲げた街つくりの基本的考え方として、①水と緑に親しめるまち、

②命を大切にするまち、③人づくりはまちづくりの3点を推進していきたい旨、

それぞれについて説明がなされた。

全体印象としては、初舞台なのでやむ得ないとはいえ、総花的でいくぶん具体性に

欠けるきらいがあった。

40分間の所信表明の最後に述べた、『現場に目を向け、足を運び、何が問題になって

いるのか、その構造的要因は何か、解決に向けてどのような選択肢や資源があるのか

それを柔軟に、しなやかに、しがらみのない立場から考える』ことを行動の基本にすえ、

若さを最大限に活かし、市民の期待にぜひとも応えてもらいたい。

2009年9月 2日 (水)

アクセス件数、10万件突破!

ブログのアクセス件数が10万件に達した。

ブログの先頭にある数字がアクセス件数を示している。

5桁だったため10万を超したらどうなるのだろうかと思い、ブログのプロバイダーの

ニフティに問い合わせした。問い合わせはブログ利用者同士が教え合う仕組みに

なっていて、ボクの問い合わせに対しては3名の方が答えてくださった。

うちひとりの方は、ボクと同じカウンターを使っていて、桁がオーバーフローした時には

自動的に一桁増えたと回答して下さったので、桁増ししないでそのままにしておいたら

回答通り、自動的に一桁増えた。

カミサンに勧められてブログをはじめたのは、定年退職し1年3ヶ月後の05年9月。

アクセス件数が5万件になったのは08年2月。そして09年9月、スタートして4年で

10万件を突破した。

管理画面を見たら、4年間で投稿した記事の数は942件、コメント数は677件。

ボクよりいくぶん早くはじめたカミサン娘のブログは既に10万件は超えている。

これまでにいろんな人から何度も言われた。

『ブログの内容が硬すぎ、長すぎ。奥さんのブログはとても軽妙で楽しく、読みやすい』

と言われても、なかなか流儀やトーンを変えるのは難しい。。。

ただ、4年で10万件のアクセス、はじめたときは想像もしなかった数!

定年退職者が日々を綴るのだから、そもそもこんなに長く続くとは思っていなかった。

はじめた時は、当然のことながら、ボクのブログの存在を知っていたのはカミサンと

娘だけ。

それが今は平均すると1日およそ70~80人の方々に見ていただいていることになる。

(先頭の数字にカーソルを当てると日々のアクセス数がグラフで表示される)

うれしい限りである。それとともに、書くことに大いに励みとなる。

定年退職者が毎日身の回りで起きていること、日々感じたこと、感動・感激したことを

書いているブログをこんなに多くの方々に見ていただいていると考えただけで

感激である。

孫たちはブログの中で育っているし、旅行記は出来ているし、ブログネタを考えること

そのものが頭の体操になっているし、ブログの効用は大きい。

またブログをはじめたことにより得た収穫は、ブログを通してできた新しい交友である。

定年後は名刺に書く連絡先は当然自宅となる。それに加えてブログアドレスが書ける

ことはうれしいし、自己紹介の代わりにもなる。

これからも出来る限り長く続けたいと思っていますので、今後ともお付き合いよろしく

お願いいたします。

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