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2009年8月

2009年8月31日 (月)

総選挙神奈川11区(31日0時→7時 書き直し)

先ず冒頭お詫びします。

横粂候補に大変申し訳ないことをしてしまいました。昨夜は最終得票数、それに

比例区での復活当選を確認することなく、1時過ぎに寝てしまいました。

朝刊で比例区復活当選を知り、恥ずかしながら今あらためて書いています。

民主党の党勢に乗ってとはいえ、徒手空拳で磐石の小泉王国に乗り込んできて、

戦いははじまりました。

愛知から縁もゆかりもない当地に飛び込んできて、ひとりで1日50キロ、自転車で

広い横須賀・三浦を駆け回り、自らの考えを訴え続けました。毎日朝晩の駅立ちでは

最初は話を聞いてくれる人はほとんどいなかったとのことでした。

選挙後半の街頭演説では、『まったく縁のなかった横須賀・三浦の皆さんに支えて

いただきここまできました』と何度も何度も声を大にして訴えていたのを覚えています。

この地の多くの人たちがあなたの行動、訴え、思いに共感・共鳴しました。

結果、10万人近い人たちが応援しました。このことは、駅頭でチラシを配っていて

身をもって体感しました。スゴイことです!

最近は批判噴出とは言え、一時期超人気の首相、それに三代続く政治家一党が

張り巡らせた網に果敢に挑戦し、結果得た勝利です。

本当によく頑張りました。心から『おめでとうございます』と申し上げます。

【横粂勝仁さんへ】

 あなたの信条で持ち味である『弱者の目線に立った行動』を今後国政の場で

 最大限に活かし、すばらしい政治家となり、それをこの地であなたを応援した

 多くの人たちへの恩返しとしてください。

【大敗した自民党へ】

 『ただただ、臥薪嘗胆。民主党は途中で投げ出すことなく4年間いっぱいかけて

 約束したマニュフェストの実現に向けて頑張ることでしょう。もう数の力を借りて

 強引にことを進める、あるいは得意技であった政官財が結託し、私利私欲でことを

 進めることはできなくなりました。議席を確保できた少数となった議員ひとりひとりが

 考えを根本から改め、真摯な姿勢で頑張り、立派な野党になれるよう大元から

 出直してください。お互いが拮抗できる健全な2大政党となることを心より願って

 います』

【大勝した民主党へ】

 『おごることなく、初心を忘れることなく、マニュフェストで約束したことに対し工程表

 をつくり、実行できたこと、できなかったことを見直し、総括しながら、とにかく約束

 したことに対し国民が納得できる成果を着実にあげてください。それと、もうこれ以上

 国と地方の借金はゼッタイ増やさないように!』

 『それともうひとつ。昨日の朝日新聞の天声人語で紹介されていた奈良県五條市の

 主婦三木栄子さんが書かれた意見、これがまさに大半の国民が望むことであると

 考え、紹介しておきます。

 ”国民は真に何を望んでいるのか。それは、働く意思を持つ者と家族が一定の

 水準で平穏に暮らせることに他ならない。大金は得られずとも仕事に誇りを持ち、

 やり抜くことで安定した生活が営める国であってほしい”』 

2009年8月30日 (日)

総選挙神奈川11区(30日20時)

横須賀の選挙区は神奈川11区。自民と民主の激突区として注目の選挙区である

ことは、先日のブログに書いた。

自民党は世襲問題のきっかけとなった小泉の息子に対し、民主党は弁護士の横粂で

ふたりとも20歳台後半の若い候補者であること、ならびに、この地で世襲4代目の

誕生は許し難く、横粂候補が決まった時から、横粂候補を応援していることもブログに

書いた。

猛暑の中の選挙戦は終った。間もなく開票速報がどんどん発表される。

選挙運動中、勝手連の活動に参加し、横粂候補を応援した。

駅頭でのビラまき5回、それに我が家の近所でチラシを200枚くらいポスティングした。

公職選挙法に抵触しては大変だと思い、これまでブログに書くことはひかえ、投票が

すべて終了した8時になったので、下書きをしていたブログをアップしている。

公職選挙法にはさまざまな活動規制があることを今回あらためて知った。

例えば、駅頭でチラシを配布でき、候補者の名前を連呼できる時間は、朝は8時から

夜は8時までと決められている。またチラシを配布し、候補者の名前を連呼するには

選挙管理委員会から事前に渡された腕章が必要である。

5回駅頭で活動し勝手連のメンバーは顔だけは馴染みになったものの、知り合いの

市会議員のFさんを除いては誰も名前を知らない。勝手連って、勝手に候補者を

応援するのだから、これでいいのだ。

候補者とは何度か短い会話をした。会話を通し、育ちも含めて考え、社会の弱者に

目線を合わせることができる人であると確信した。

かたや競合する候補は、いわゆる地盤、カンバン、カバンすべて完璧に揃っている。

     Yokokume2     Yokokume1  

ひとこと言いながらチラシを渡していたら、いろんな人がいろんな反応をしてきた。

うれしかったのは『もう入れてきたよ』、『応援してるよ』、『ゼッタイ勝ってね』、

『ご苦労さま』、『お疲れさま』・・・

中には『うるさい!』と言う人もいたし、そばに来て持論をとうとうとしゃべる人もいた。

20歳代、30歳代と思える人達はほとんどチラシを受け取らない。いわゆる無党派層

なのか面倒なのか、自分のことでそれどころではないのか、いずれかなんだろう。

昨夜、最後の駅頭でのチラシ配りに参加し、8時に選挙活動はすべて終了した。

昨夜のチラシ配りは、5回の中では一番反応が良かった。共感、激励の言葉をかけて

くださる人が結構いて、『これはいける!』という印象を持った。

最後、駅前広場は大変な盛り上がりとなった。

『よーこーくめー、よーこーくめー』と横粂コールが止まらなかった。

勝手連の人たちと『お疲れさまでした!』と言いながら別れた。

もちろん民主党の党勢に乗っているものの、数ヶ月前に落下傘で降りてきた27歳の

有望な政治家候補、ぜひとも国会に送り出したい。

今朝投票に行ったら、投票所の前と近くに競合候補が大きなポスターを貼っていた。

きっと全投票所に貼っていることだろう。公職選挙法は許しているのであろうか。

あと数時間で結果が判明する。

当選確実が出たら、事務所にお祝いに行こうと思っている。

2009年8月28日 (金)

久々の「笑える話」

※ 彼氏にふられた娘が、自分は器量が悪いからとふさいでいるのを見て

   不憫に思った父親がひとことなぐさめの言葉を。

  『おまえ、人間 顔じゃないぞ』」と言うところを、

  『おまえ、人間の顔じゃないぞ』と言ってしまった。

※ 犬を散歩させている女性に、ヒマそうな酔っ払いが、

  酔っ払い 『なにブタ連れてるんだ』

  女性 『ブタじゃないわよ ブルドッグよ』 

  酔っ払い 『俺は犬に話してるんだ』

※ 最近インフルエンザが流行っているらしく、総務から健康への注意をうながす

  メールが回ってきた。

  『○○部署でもインフルエンザ患者が出ました。皆さん、手荒いうがいをして

  各自対策をして下さい』

  インフルエンザも吹っ飛んでいくぐらいにうがいするのかと思った。

※ 父が入院することになって病院に予約を入れ自宅で待機していたら、思わぬ

  早さで連絡がきて、『明日から入院してください』

  突然のことで心の準備ができてなかった父は思わず『今ちょっと体の具合が

  悪いので、少し延ばしてもらえませんか』と返事してしまった。

  病院も何の疑問も持たず父の要望を受け入れた。

※ 結婚した教え子から年賀状がきた。

  『性が変わりました』と書いてあった。

※ 工場内の『おれがやらなきゃだれがやる』という掲示が、『だれが』の『が』の点が

  削られ、『おれがやらなきゃだれかやる』になっていた。

  この会社の将来は・・・

※ 英語の授業で、成績の良いことで知られる友人が、本読みにあてられた。

  彼は、「senior(シニア)」を、セニョールと読んでいた。

  「賢い奴はいうことが違うぜ」と思った。

※ ”JUNKO”というデザイナーのネーム入りトイレットマットを置いた日、夫は

  ”J”の文字を踏んでいたらしく、トイレを出るなり、『あのマットはなんだ』と

  のたもうた。

2009年8月25日 (火)

パソコン教室の移転

フランチャイズパソコン教室キュリオステーションを横須賀ではじめて5年半になる。

今の教室は駅から歩いて8分くらい。いくぶん坂道なこと、それにメインの道に面して

いない店舗である中、運営を任された店長がガンバってやってきてくれた。

駅に近い人通りの多い好条件の物件があれば移りたいとずっと思っていた。

格好の物件が見つかり、家賃の値下げほか要求した条件をオーナーが概ね受け

入れてくれたので、店舗改装の見積もりを近所の知り合いの建築業者に頼んだ。

見積もり金額が提示され、キュリオステーションの店舗出店責任者の方に来てもらい、

物件のオーナーと費用の分担を話し合い、ほぼ分担割り合いが決まった。

昨日キュリオステーションの本部を訪ね、社長の石川さんと新店舗の運営について

意見交換をしてきた。

ボクの方から提示したのは以下の3点。

 ・5年半ぶりに店舗を移る以上、心機一転、あらたな気持ちでやりたい。  

 ・新しい店舗は新しい試みで運営したい。

 ・店長には、これまで以上に企画力、行動力、目標達成への強い意欲を期待する。

特に強調したのは『今まで以上に女性の生徒さんに目線を合わせた趣向をこらして

いきたい。女性の生徒さんには女性の友だち、仲間を呼んでもらうことが期待できる。

新しい店舗は今より広くなるので、パソコンだけでなく、サロンや各種ミニ教室的な

試みができればと思っている』

この提案に対し、石川社長は全面的に賛成して下さって、創作コーナーを設けること、

本部として、女性が中心に習い事をやっている団体、組織にアプローチすることを

検討するとの発言があった。

キュリオステーションは契約ベースで、全国で150店舗になった。

単にパソコンを習うことだけでなく、このような付加サービスが提供できれば、同じ

手法は全国のほかの教室にも展開できる。

店舗移転を機に、新しい趣向のもと、文字通りリニューワルし、その運営に店長が

リーダーシップを発揮してくれることを期待する。

2009年8月24日 (月)

国際被害者学シンポジウム

昨日、日立市にある常盤大学で開催された「国際被害者学シンポジウム」に参加した。

シンポジウムに先立ち、一昨日、ブログで何度か書いた犯罪被害者団体ネットワーク

(通称ハートバンド)の実行委員会に出席した。

ハートバンドは全国にある19の犯罪被害者自助団体をゆるやかに横連携した組織

である。犯罪被害の中には、交通事故、殺人、いじめ・暴行・通り魔などが含まれる。

ハートバンドの実行委員会には、全国から20名を超す人たちが集まり、11月の犯罪

被害者週間に開催する全国大会を中心に議題した。

3時間近く討議し、2日間のプログラムは、広報など含め大体かたまった。

実行委員会が終わったあと15名くらいのメンバーが、翌日開催される「国際被害者学

シンポジウム」に参加するため、特急スーパーひたちで日立へ移動した。

上野から日立までは1時間半。持ち込んだ資料や本がじっくり読めた。

到着後ホテルにチェックインしたあと、懇親会。

初めて会う4名の人たちと同じテーブルになった。

交通事故で娘さんを亡くした人、殺人で奥さんを殺された人、暴行で高校生の男の子

を亡くした人、通り魔に24歳の息子さんを殺された人。

中でも22年前に奥さんを殺された方の事件は凄惨だった。犯人はほかにふたりの

女性を殺した。死刑だった求刑が一転無罪に。話を聞いていて信じられなかった。

これまでに死刑の求刑が無罪になった事件は6例あるそうで、そのうちのひとつ

とのこと。

翌日、「国際被害者学シンポジウム」に参加した。このシンポジウムは3年ごとに

各国持ち回りでやっているそうで、日本での開催は27年ぶりとのこと。

シンポジウムのパネルディスカッションでも二家族の殺人事件が取り上げられた。

弁護士がコーディネーターとなり、昨年12月からはじまった「刑事裁判への被害者

参加制度」を中心に議論が行われた。

2日間の会合、懇親会、パネルディスカッションを通し、いろいろな話を聞き、凄惨な

酷い事件の陰で泣いている人たち、それと極悪な加害者・・・、暗澹たる気持ちに

なった。

04年に制定された犯罪被害者等基本法、裁判員制度、刑事裁判への被害者参加

制度など犯罪をとりまく司法は大きく変わりつつあるものの、殺伐とした今の世の中、

罪を犯す者をどうすれば少しでも減らすことができるのだろうかと思いながら話を

聞いた2日間だった。

2009年8月22日 (土)

部屋の掃除

庭で鳴くセミがツクツクホウシに代わってきた。今年の夏は陽気がさえなかったせいか、

アブラゼミの鳴く時期が短かったような気がする。

8月もあと10日で終わり。飛んでいくように日々が流れていく。

6月の終わりころカミサンが庭にゴーヤの種を植えて、日よけになる支えをつくった。

2ヶ月足らずで種から育ったゴーヤは見事に日よけになり、実をいくつもつけはじめた。

しばらく楽しめそうだ。

    Rimg0267     Goya 

さて、本題の部屋の掃除。

娘が嫁にいったあと、ボクは娘の部屋を書斎として使い、娘のベッドで寝起きしている。

部屋は書類のヤマ。特にピアノの下がひどい。

ボクは片付け、整理がいたって苦手。どんどん積んでいくだけ。

いまだに定年退職した日、会社から送ったダンボール数箱がそのままになっている。

何度も何度もカミサンと娘から片付けてと言われてきた。そのたびに『涼しくなったら

やる。暖かくなったらやる』と、空返事しながら、やらずじまいのまま時間が過ぎた。

先日娘から引導を渡された。『9月10日までにきれいに整理整頓して!』

ここまで言われるとやらざるを得ない。昨日午後やっと重い腰を上げた。

やる前は、とにかく捨てればいいんだから、押入れの中の整理は別として、積んで

いる書類は数時間あれば片付くと思っていたが、甘かった。

資料、書類は出てくる、出てくる。興味があるものは中をゆっくり見るため作業が

捗らない。

中でも昭和34年の倉敷東中学校の卒業アルバム。ついついじっくり見てしまう。

当時は生徒数がとにかく多かった。各クラス50数名いて、学年で11クラスあった。

それでも多くの友だちの名前と顔を覚えている。最近は先週会った人の名前すら

出てこないことがあるのに。

次に作業の手が止まったのは昭和61年の年賀状。なぜかヤマの中にあった。

もう23年前、黄ばんでいるが、懐かしさはひとしお。

こんな調子だったため、ピアノの下に積まれた書類・資料のヤマはまだ1/3くらいしか

崩れていない。

押入れの中を整理し、不要なものを捨て、シュレッダーにかけ、残すものは箱につめ

空いた押入れに入れると考えると、9月10日までにすべての作業を終えることは

心もとない。

きれいに片付いた暁には写真を撮ってブログにアップしたいくらい。

実はこの部屋だけでなく息子の使っていた部屋の掃除、整理も11月までにと言われ

ている。

期限を決められた以上、やるっかない。

2009年8月20日 (木)

通院つづき

4月に突発性難聴で9日間入院したことはブログに書いた。

そのあと珍しく体のトラブルが続いた。

7月初め、突然尿が赤茶色になり2日間続いた。気持ちが悪くなり、市立病院の

泌尿器科に行った。尿に血が混じっているとのことで、CTを撮ったら腎臓に石がひとつ

見つかり、尿管結石との診断。

尿管結石は、20年以上前に2度経験したことがある。のたうちまわる激痛で救急車を

呼んだ。そのことを思い出し、痛み止めの座薬をもらった。

薬を飲み2週間後に再度レントゲン検査。CTと違いレントゲンでは細かくは見えない。

ただ依然尿に血が混じっているとのことで、もう2週間薬を続けるよう言われ2週間後

再度病院へ。

このときもレントゲンを撮ったが石は検出されず。血尿がなくなったので気がつかない

間に石は出たのかもしれないとの診断。様子を見ようということで終わった。

尿管結石と前後して、激しい便秘になった。

これまで便通はまったく問題がなかったため、これほどの便秘は初めての経験。

排便感があるのに出ないのは大変辛い。1度目は市販の座薬で何とか凌いだ。

2度目は1度目より辛く、夜中に救急病院に飛び込んだ。

このときの当直医は脳外科医だったため、応急処置として薬をもらい、とにかく翌日

専門の病院に必ず行くようにと言われ、帰宅した。

翌日病院の内科へ。便秘処置の薬をもらうとともに、大腸の内視鏡検査を受けるよう

勧められ、今月7日に検査を受けた。

大腸内視鏡検査は初めてだった。結構前処理が大変。前日は3食指定食を食べて

夜と翌朝下剤を飲んで、大腸の中を完全に空にして検査を受ける。

検査は40分くらいで終わった。検査中にポリープがひとつ見つかり切除したとのこと。

『5mmくらいで悪性ではなさそう。病理検査に出すがたぶん大丈夫だろう』との診断。

病理検査の結果を今日聞きに行った。

『大腸ポリープには良性と悪性と、その中間がある。切除したポリープは中間でガンに

なりやすいタイプのポリープだった。放置しておいたら大きくなって、その一部がガンに

なっていたかもしれない。切除したので心配はないが、1年後にまた内視鏡検査を

受けるように』と言われ診察は終わった。

考えてみれば便秘がきっかけで大腸内視鏡検査を受けた。ラッキーだった。

この齢になると何かが出てくると痛感したこの数ヶ月だった。

2009年8月19日 (水)

お盆休み

お盆の前、娘から『パパが出張で子供たちが退屈しているので、熱海に行かない』

と連絡があった。即、『OK、行こう』と返事。

夜出た方が車がすいているだろういうことで、横浜に寄って3人をピックアップし、

そのまま熱海へ。孫たちは車の中でぐっすり。

翌朝、早く目を覚まし起こされた。   Rimg0264_2 

1歳4ヶ月の妹孫のユナが姉孫ミサキと

同じことをしたがる。お店屋さんごっこ、

お絵描き、シマジロウのビデオ・・・

おねえちゃんと一緒ではダメで、自分の

ものがないと納得しない。

いつものことながら、ミサキがみんなの顔と

お手紙を書いてくれた。

Rimg0262_2

Rimg0199

ミサキは楽しみにしていたプールに泳ぎに行った。

娘から聞いていた通り、ミサキは背面キックが10m以上泳げるようになっていた。

妹孫のユナは大胆。初めてのプールだったがまったく怖がらない。

顔に水がかかっても泣かないし、ミサキとは大違い。

Rimg0208 Rimg0220 

翌日は小田原に出かけた。

子供たちが遊べる遊園地が小田原城址公園にあり、連れていくことにした。

その前にお昼は、以前NPOの仲間の旅行で箱根に行ったとき、みんなで寄って 

気に入った小田原の早川漁港のそばの食堂「谷」へ行った。

漁師やタクシーの運転手がなじみの店。こういう人たちが馴染みの店に外れはない。

金目の煮付けに刺身がついて950円。ご飯も味噌汁も美味しい。デザートにコーヒー

までつく。

Tani_2 Rimg0233 

Rimg0224 Rimg0229 

食堂には奥さんの孫たちが夏休みで遊びにきていた。

ベーゴマ回しやお絵かきなどで遊んでもらい、ふたりは大喜び。別れるとき、ミサキも

ユナも何度も何度も『バイバイ、バイバイ』と言っていた。よほど楽しかったのだろう。

Rimg0241 Rimg0236 

2時間くらい食堂「谷」で食べて遊んだあと、車で10分くらいのところにある小田原

城址公園へ行った。

ここは以前来たことがあり、様子がわかっていて、すぐ子供遊園地へ。

乗り物券を買って早速乗り物へ。ユナが気に入ったのは電動のふね。

いつも乗っている公園にある動かない乗り物と違うため、大よろこび。

Rimg0257 Rimg0258 

ミサキが『じぃじと一緒に乗りたい』と言い、つきあう。

   Rimg0246_2     Rimg0253

このあとゴーカートに乗り、全乗り物制覇。

ここは市が援助しているのか、乗り物料金が30円、80円と安くていい。

Rimg0254 Rimg0243

帰り、城址公園の名物の象のウメコを見た。62歳、インド象としては国内最高齢。

『今度来るまで元気でね』と言いながら、ここでも『バイバイ』

ふたりは一日楽しみ、帰りの車の中でぐっすり。

2009年8月15日 (土)

ヨーロッパの旅(22:ベルギーの地方の街④)

休み休み続けてきたヨーロッパの旅は、今回が最終。

ベルギーは北部のフランドル地方(オランダ語圏)と南部のワロン地方(フランス語圏)

に分かれている。これまで紹介した3ヶ所はいずれもフランドル地方。南のワロン地方

の方が観光客には馴染みがうすい。

そのワロン地方の街で行ってみたかったディナンとナミュールに行った。カミサンは

疲れたと言って、この日もひとり旅。

ディナンまではブリュッセルから電車で1時間半。

ガイドブックの紹介では、『画家たちを魅了したミューズ川沿いの”絵のような街”』

下はディナン駅と乗ってきた電車。

Rimg0536 Rimg0533 

駅の近くを歩いている人はほとんどいなく、人口1万2千人の田舎の小さな街。

Rimg0542 Rimg0541 

駅から歩いて5分くらいのところにある橋の手前に観光案内所があり、寄って説明を

聞いて街の地図をもらった。

観光案内所の前の川で魚釣りをしている Rimg0544 

おじいさんに出会った。英語はまったく

ダメ。フランス語なのだろう、ペラペラ

話してくれ、釣った大きな魚の写真を

自慢げに見せてくれた。

橋を渡ったところに街のシンボルの城塞と

ノートルダム教会があった。

橋にはヨーロッパの国々の旗に交じって日の丸がはためいて、とても嬉しかった。

Rimg0543 Rimg0546 

ロープウエイで城塞に登った。

ツアーガイドが城塞内の説明をして Rimg0551 

いたが、英語でないためまったく

解らなく、残念だった。

興味を引く写真など展示されていて

説明が解れば面白いだろうなぁと

思った。

城塞から見た景色はすばらしかった。

Rimg0556 Rimg0557 

クルージングをしたくて、昼食に

サンドイッチを食べ、出発まで待った。Rimg0577 

出発時間になっても人が集まらない。

やっとフランスから来たという

お客ふたりが乗ってきて、船を

操舵するおじいさんは出発時間が

過ぎてもしばらく待っていた。

そのうち諦め、大きな船に3人の

お客を乗せ渋々出発した。お客のひとりが英語でいろいろ話してくれた。

クルージングが終わったあと駅まで歩き、ナミュール行きの電車をしばらく待った。

ナミュールは『”ミューズ川の真珠”と呼ばれる城塞と峡谷の景観』とガイドブックに

紹介されていた。ディナンからナミュールまでは30分。

ナミュールでも駅を降りてすぐ近くにある観光案内所に寄った。

Rimg0596 Rimg0597 

ナミュールはディナンよりずっと

大きな街だった。Rimg0598

駅前通りには商店街が続き

人の流れも多かった。

街としてはディナンの方がずっと

好感が持てた。

大きな城塞を見ながら遊歩道を

1時間近く歩いた。

この遊歩道はいい雰囲気だった。

Rimg0602 Rimg0608 

ヨーロッパ旅行記を書きはじめたのが5月27日。

休み休み、2ヶ月半かけて書いたことになる。

長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。

2009年8月12日 (水)

NPO定例会&暑気払い懇親会

町田市を中心に活動しているNPO法人アクティブSITAの定例会に参加した。

SITA(サイタ)はシニアITアドバイザーの略。パソコン初心者を指導するシニアを認定

する試験をパスした有資格者のこと。

昨日は年1度持ち回りの定例会の幹事を担当した。

定例会開催は18時から。昨日はお盆の時期だったためか、参加者は35名の会員中

21名。

このグループのすごいところは、6年間以上定例会を毎月開催し、定例会でほぼ毎回

勉強会・研修会を行っていること。

第1回目の勉強会は03年1月、以来数えてみると61回の勉強会・研修会が開催

されている。

また、ワーキンググループ活動が活発に行われていて、常設ワーキンググループ

5つ、それに同好会が4つある。

ボクは家が遠いことを言い訳に、定例会以外はほとんど活動に参加していない。

昨夜は各ワーキンググループ・同好会の最近の活動が紹介されたあと、勉強会が

開催された。

昨夜の勉強会のテーマは、定番のITから離れて、初の試みで病気体験談をふたりの

方から話していただいた。

テーマは、「喉頭癌を克服した経験から心掛けるようになったこと」、

「胃癌手術を回避した経験について」

それぞれ体験された話が生々しく語られ、話を聞いたあと質疑も活発に行われた。

定例会が終わったあと、場所を移し、暑気払い懇親会。

懇親会では、特番で今年古希を迎えた3人の方々に、「古希に思う」をユーモアを

交じえて話していただいた。

懇親会は毎回盛り上がり、昨夜はお開きになったのは10時半近く。

我が家に着いたら12時を回っていた。

2009年8月10日 (月)

孫台風

昨夜は地震、今日は台風。

それに我が家には、先週孫たちの豆台風が到来した。

よく言われる。『孫が来るのは2度うれしい。来たとき、それに帰ったとき』

孫たちの来訪は20日ぶりだったが、1歳4カ月の妹孫のユナが一層成長していた。

来るやいなや娘が、『ビッグニュースがふたつ! ユナがトイレでオシッコとウンチが

できた。それにミサキがスイミングスクールでエビクラスに上がれた』

我が家にいた間も何度かユナが『チッチ』と言い、トイレに連れて行ったらうまくいった。

うまくいったあと『チッチ、出た』と文にして言えるようになり、そのあと『チッチ、出たヨ』

と、もう一歩進んだ言い方ができるようになった。

トイレはどうも姉孫のミサキより少し早そうだ。

ミサキはスイミングスクールで、背面キックが5メートルできるようになったそうだ。

スクールに行く前は水を怖がって顔を水につけることもできなかったことを思うと、

大変な進歩である。

ミサキはひらがなを一文字づつ拾い読みでなく、続けて読めるようになっていて、

ユナに読んで聞かせていた。

Rimg0174 Rimg0182

ユナは自己主張が強そうだ。

お互い譲らないので、ちょこちょこ Rimg0180_2

バトルになる。

娘がふたりに夏らしい服を着せ、

カミサンが庭でトマトや大葉を

取らせていた。

我が家から歩いて10分くらいの

ところにある市営プールに、娘が

ミサキを2日続けて連れて行った。ミサキは夜はぐったり。

目いっぱい楽しんで、土曜日の午後、『また来るからね』と言いながら帰って行った。

まさに台風一過。もとの静かなカミサンとふたりの生活に戻った。

2009年8月 8日 (土)

総選挙神奈川11区

横須賀の選挙区は神奈川11区。自民と民主の激突区として注目の選挙区。

自民党は世襲問題のきっかけとなった小泉の息子に対し、民主党は弁護士の横粂。

ふたりとも20歳台後半の若い候補者。Morita_2

この地で世襲4代目の誕生は許し難く、 

横粂候補が決まった時から、横粂さんを

応援している。

知り合いの市会議員の方から案内を

いただいて木曜日の夜、政治評論家の

森田実さんの時局政談会を聞きに行った。

会合の案内には森田さんの言として、

こう書いてあった。

『もうこれ以上、日本の政治を麻生自公連立政権にまかせることはできません。

いまこそ「平和・自立・調和の日本」を創造するチャンスです。草の根レベルの

市民運動を起こしましょう。集会を開きましょう。行動を起こしましょう。考えましょう。

私も皆さんと一緒に行動します。時間が許す限り、どこへでもまいります』

森田さんがテレビに登場しなくなって久しい。森田さんは話の冒頭、そのことについて

触れられた。米国追従の郵政民営化など小泉元総理の本質を批判したことにより、

4年前の郵政選挙以降、関東圏の全地上波テレビ局から追放されたとのこと。

世論が民主党に傾いた大きなきっかけは、これまで自民党が地方議員含めて圧倒的

に強かった静岡県の知事選挙で、分裂したにもかかわらず民主党が勝ったこと、

それにもちろん都議選の大勝利。

特に都議選の投票率が55%で、平均を10%上回ったということは、プラス百万人の

人たちが投票に行ったことになる。加えて多くの区で民主党の若い新人議員から先に

当確が出たことを考えると、革命的な出来事が起きたと言っても決して過言ではない。

地方は本当に疲弊している。市町村合併で役所はなくなり、農協、国鉄の駅、電話局も

なくなり、最後に残った郵便局も郵政民営化により消えつつある。

”限界集落”という言葉が現実のものになってきている。

選挙戦がマニフェスト偏重の様相を呈しているが、マニフェストだけでなく、大局的な

観点に立って、この国をどうしていくのかをもっと論じ合うことが必要。

いずれにしても、長期自民党政権が生んだ歪みを見直す歴史の変わり目にきている。

森田さんの講演のあと、横粂さんが紹介され壇上に上がり、森田さんに質問し

アドバイスを求める形で対話が行われた。

森田さんは『神奈川11区は全国300の選挙区の100に匹敵する価値のある選挙区

である』と言われた。

森田さんの話は大変面白かった。

森田さんは今年77歳。以前テレビで観ていたときとまったく変わることなく、論理的で

説得力ある語り口に魅せられた。

今日、土曜日は横粂勝仁さんの事務所開きがあり、参加した。

お金がないのだろう、事務所も横須賀中心部からちょっと離れた賃料が高くなさそうな

事務所だった。

かたや対抗は、まさに地盤、カンバン、カバン、いずれにも問題がない。

ゼッタイ負けて欲しくない!

横粂さんは力強く徹底的に頑張ると決意表明をした。

今日初めて息子の応援に豊田市から駆けつけたお母さんが紹介された。

選挙まであと3週間。赤いシンボルカラーの自転車で選挙区を駆け巡り政策を訴え、

望む結果につながることを切に願う。

Rimg0187 Rimg0194

2009年8月 6日 (木)

お別れ会

今朝、帝国ホテルで行われたお別れ会に列席した。

亡くなられた方は富士通の副会長を務められた鳴戸道郎さん。

去年の9月のブログ「インターナショナルな結婚式に、お名前を出すのは憚ったため

Nさんの名前で鳴戸さんのことに触れた。

鳴戸さんは長い間、富士通の海外事業の総帥の立場にあり、直属の上司では

なかったものの長い間お世話になった。

去年9月のブログでは一切触れなかったが、鳴戸さんは悪性リンパ腫という血液癌を

闘病されたあとだった。このときご夫婦から闘病のお話をいろいろお聞きした。

亡くなられたのは7月14日。葬儀は密葬で行われ、今朝富士通ならびに取締役会長を

されていた(株)トヨタIT開発センター合同でお別れ会が行われた。

鳴戸さんは社外でも活躍され、総務省・経済産業省審議会委員、経団連の新産業

新事業委員会部会長などさまざまな要職を歴任された。

01年には、英国政府から名誉大英勲章を受けられた。

また、1980年台、富士通にとって大事件だった富士通とIBMの訴訟を陣頭指揮され

その秘話を日本経済新聞発刊の2冊の本「雲を掴め」「雲の果てに」に遺された。

お別れ会には帝国ホテルの大きな部屋を埋めつくすほどの多くの人たちが列席した。

大きな祭壇に在りし日の鳴戸さんのすばらしい遺影が飾られ、列席者全員、遺影に

献花した。

献花を終えたあと、久しぶりに多くの富士通の役員、先輩、後輩に会え、懐かしく

語りあった。

中でも会えてうれしかったのは、去年9月のブログで紹介したジェフリーと奥さん。

1時間近くいろんな人たちと話し、鳴戸さんのご冥福を祈りつつ会場をあとにした。

PS 鳴戸さんは「病の旅路~病床でつづる癌患者の報告~」との手記を書かれ、

   今年5月、埼玉新聞に連載された「Narutosan.pdf」をダウンロード 

2009年8月 5日 (水)

ヨーロッパの旅(21:ベルギーの地方の街③)

ゲントに行った次の日、カミサンと一緒にアントワープへ行った。

アントワープはブリュッセルから電車で40分。

大きな街でブリュッセルより洗練された感じの街だった。

駅は外回りが工事中だった。鉄とガラスの巨大なドームに入ったような感覚に陥る

すばらしい駅。エントランスホールは高い天井にステンドグラスの窓が施されていた

Rimg0672 Rimg0627 

ここでも先ず駅の構内にあった

観光案内所へ行った。        Rimg0628 

わかりやすい街のようで、駅の前の

道を真っすぐ歩いて行けば、街の

中心部にたどり着けるとの説明

だった。

人の流れにそって歩き、途中

見どころはかたまっていた。

おしゃれな一角を歩く人たちの装い、しゃれたセンスの店・・・、楽しみながら歩いた。

H&MやESPRITなど著名な店もたくさん並んでいた。

Rimg0632 Rimg0635 

美術館・博物館巡りで書いた、

ベルギーで最も有名な画家Rimg0645 

ルーベンスの家を見た。

それに、パリで会う予定にしていた   

Aさんの結婚祝いを何か買いたいと

思っていたらINNOというデパートを

見つけ、格好のお祝いが買えた。

歩き疲れてひと休み。

ワッフルの店があり、ホイップクリームがトッピングされたワッフルを買った。

ちょうど子供たちの学校帰りの時間でワッフル店の前は子供たちがたむろしていた。

Rimg0649 Rimg0652 

散策を続けていると、ガイドブックにアントワープで最も美しい広場と紹介されている

グルン広場、それに物語フランダースの犬の舞台にもなった荘厳なノートルダム

大聖堂などが見えてきた。

さらに進むとグローテ・マルクトと呼ばれる大きな広場に出た。広場はさまざまな形の

美しいギルドハウスに取り囲まれ、華麗な市庁舎も見えた。

Rimg0661_2 Rimg0669 

駅までの帰り道、ベルギーに来たら

必須のお土産であるチョコレートを買った。Rimg0673

店主の女性は秋に日本に旅行する予定

だと話していた。

ブリュッセルまで戻り、この日はホテルの

近くのデリカテッセンで夕食を買って

部屋で食べた。

2009年8月 4日 (火)

ヨーロッパの旅(20:ベルギーの地方の街②)

ブルージュに行った翌日、ブリュッセルとブルージュの中間の街、ゲントを訪ねた。

この日はカミサンと別行動。ブリュッセルからゲントまでは電車で40分。

ガイドブックのゲントの紹介は『ギルドハウスの立ち並ぶ川沿いの道は花々で彩られ

遊覧ボートが発着し、カフェが賑わい・・・』

ゲント駅は立派な駅だった。Rimg0481

ただ、駅から街の中心まではトラムで

10分。トラムを降りて、先ず観光

案内所の場所を知りたく、たまたま

聞いたおじいさんが英語がバッチリで

助かった。観光案内所に寄り、見どころを

聞き地図をもらった。観光案内所は

下の写真の左の、街のランドマーク的な建物である鐘楼の地下にあった。

右の写真は鐘楼の真向かいにあるゲントのシンボル、聖バーフ大聖堂。

14世紀ころ建てられたもので600年以上前の建造物。

ギルドによって建てられたこのような感じの建物がゲントには多くあった。

    Rimg0484_2    Rimg0482_2  

ランドマークの鐘楼と聖バーフ大聖堂は街のあちこちから見えた。

Rimg0486_2 Rimg0488   

ゲントの中心部は広くなく、2時間足らずで散策できた。

中世のヨーロッパがそのまま残っている歴史の重みを感じさせる街だった。

下の写真の左上はフランドル伯爵城。800年以上前の1180年に築かれたもの。

Rimg0499 Rimg0492

Rimg0512 Rimg0503

歩き疲れ、小腹がへったので

軽く食事をしたくなった。 Rimg0520

ひとりでカフェに入るのは気が

引け、マックを見つけたので

入った。

Happy Mealというメニューを見つけ

何だろうと思いオーダーしたら

オマケが色々ついたお子さまセットだった。

2009年8月 2日 (日)

ヨーロッパの旅(19:ベルギーの地方の街①)

しばらく中断していたヨーロッパの旅の続きを。

ベルギーは、日本の12分の1の小さな国。    

ブリュッセルに6泊したうち、4日は電車で地方の街に出かけた。

電車は平日であれば65歳以上のシニアRimg0429

は割引きがあり、どこまで行っても1日 

5ユーロ(700円足らず)。この割引きを

最大限に利用させてもらった。

ベルギーへ行った観光客のほとんどが

訪れる街、ブルージュに先ず行った。

ブリュッセルからブルージュまでは1時間。

ガイドブックでブルージュは”運河に囲まれ白鳥がたわむれる中世ハンザの街”と

紹介されていた。

たしかに、きれいな水の街だった。観光客用の馬車とボートを多く目にした。

Rimg0439 Rimg0450

Rimg0455 Rimg0457

この日のお昼は歩いていて途中

見つけた感じよさそうな店で食べた。  Rimg0448

デリカテッセン風な店でシーフード

レストランもやっていた。

最初、無口だった店主はそのうち

いろいろ話しはじめ、午前中は

すぐそばが魚市場になり、市場でも

店を出していると言っていた。

なかなか味がよく、あたりの店だった。

Rimg0442 Rimg0445

持ち帰りできるシーフードがいろいろあり、買って帰り、夜ホテルで食べた。

Rimg0446 Rimg0474

ブルージュ駅まで歩いて帰る途中

すばらしい景色に遭遇した。    Rimg04671

今回旅行中、あちこちできれいな

風景を見たが、ボクにはこの景色が

ベストだった。

水面に映る森と瀟洒な家、

最高の風景にしばし見とれていた。

年賀状に使えそうだ。

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