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2009年5月

2009年5月31日 (日)

アメリカからのうれしい報せ

アムステルダムに着いた翌日、パソコンを開いたら昔一緒の職場にいた小林君から

大変うれしいメールが届いていた。

小林君それに彼の家族のことは何度かブログに書いた。在職中にアメリカの大学で

MBAを取得し、アメリカ人女性キャサリンと結婚。3女をもうけ、サンディエゴの近くの

カールスバッドに居を構え日米の企業連携を務めるコンサルタントとして活躍している。

ちょうど1年前夫婦でカールスバッドを訪ね、1週間近くフルアテンドしてもらい、大変

お世話になった。その小林君からのメールだった。

『5年間の努力が実り、昨日、正式に契約が完了した』との大変うれしい報せであった。

日米の企業連携の第1号が見事に実を結んだのである。

アリゾナにある細菌検知専門のベンチャー企業IMDの持つ技術力を、計測と制御が

専門山武が注目し、当ベンチャー企業の経営権を取得し、グローバル展開に乗り

出すことになったのである。小林君はまさに仕掛け人であり、彼がいなければ起こり

得なかった話である。

このニュースは日米で発表され、日本では「山武、ライフサイエンス市場での事業展開

米社の経営権を取得」とのタイトルで、5月8日の日経ネットで報じられている。

自分のことのようにうれしい報せである。

小林君は新しい組織のCFO(財務責任者)に就任したそうである。

1年前カールスバッドを訪ねた折に、ベンチャー企業IMDのあるアリゾナのツーソンに

ぜひ案内したいと小林君から強く勧められたがスケジュールの調整が難しく断った。

またアメリカ西海岸に行く機会があれば、今度こそぜひ彼の会社に連れて行って

もらおう思っている。

小林君の”American Dream”が大きく羽ばたいていくことを遠くから応援していきたい。

2009年5月30日 (土)

ヨーロッパの旅(3:出会い②)

助けてもらった出会いもいろいろあった。

特急電車タリスでアムステルダムからブリュッセルに着いたとき、それに同じくタリスで

ブリュッセルからパリに着いたとき、どちらもたまたま会った人に助けてもらった。

いずれも着いた時間は夕方の7時過ぎ。ただこの時期、ヨーロッパはどの国も10時

近くまで明るい。

ブリュッセルに着いたときは雨が降っていた。あらかじめホテルに行き方をメールで

尋ねていて、タリスをブルッセル南駅で降り、メトロ(地下鉄)に乗って3番目の駅

ルイーズで降りて、トラム(路面電車)にひと駅乗るか歩くようにとの返事だった。

ホテルに行く前に何か食べるものを買っておいた方がいいと思い、カミサンにスーツ

ケースを預け、南駅構内にあったパン屋に寄った。パンを買っていたら日本人かなと

思える若い女性が一緒に買っていた。着いたばかりで様子がよくわからないため少々

モタモタしていたのを見ていたのか、店を出たら彼女が英語で声をかけてくれた。

さあパンは買ったもののこれからどこでメトロの切符を買えばよいのかわからないため

誰かに聞こうと思っていたのでありがたかった。聞いてみると韓国の人だった。

おかげでどのような切符を買えばよいかわかり(1時間自由に乗り降り可、3日使用可

など色々な種類の切符がある)、たまたま彼女も同じ方向に帰るということで好都合

だった。

雨の中大きなスーツケースを持った移動に付き合ってもらった。メトロの中で話を

聞くとベルギーに来て2年ちょっと、大学院生とのことだった。専攻を聞くと政治学。

Phd(博士号)の取得を目指しているとのことだった。思わず『すばらしい!』と言った。

我々は乗り換えたトラムをひと駅で降り、彼女にお礼と『ガンバって!夢が叶うように』

と言い別れた。別れたあとカミサンが、『誘って別の日どこかで食事をご馳走すれば

よかった』としきりに悔やんでいた。ボクもあとでそう思ったが、雨の中トラムをバタバタ

降り、気が回らなかった。

ブリッセルからパリまで乗ったタリスの中でも、4人がけの席でたまたま前に座った

40歳くらいの男性に助けてもらった。この人も日本人かと思わせる人だったが聞いて

みると中国から単身赴任で2年前からフランスに来ていて、フランステレコムに勤めて

いると言っていた。流暢に英語をしゃべりとても親切な人で、パリのことをいろいろ

教えてくださった。携帯に入れた4歳の息子さんの写真を見せてくれて、『会いたい。

秋には中国に帰れそう』と、うれしそうに話していた。

パリのホテルの行き方もあらかじめメールで聞いていて、どうも3ヶ所の中で一番

難しい感じだった。彼にホテルの場所を言うと、大きな荷物があるんだったら、メトロを

乗り継いで行くよりタクシーで行った方がいいと勧められた。着いたパリ北駅は混雑して

いて彼は我々をタクシー乗り場まで連れて行ってくれ、家の方向が同じなので一緒に

行くと言ってくださった。

ホテルに着いてタクシーを降りると『どうせ帰り道だからタクシー代は払わなくていい』と

受け取ろうとしなかったが、押し問答の末、タクシー代を渡しお礼を言い別れた。

旅ではいろんな出会いがあり、このように助けてもらった出会いはいつまでも記憶に

残る。

出会いについては、出会い③と④でもう少々紹介したい。

2009年5月29日 (金)

ヨーロッパの旅(2:出会い①)

今回もあちこちでいろいろな出会いがあった。

3ヶ所のホテルいずれでも朝食がついていて大変助かった。毎朝同じレストランに

行って朝食を食べるので、サーブしてくれる人とは自ずと顔なじみになる。

アムステルダムのホテルのレストランで毎朝面倒をみてもらったちょっと太めの陽気な

おばちゃんと仲良しになった。

ホテルの9階の部屋の広い窓    Rimg0097_5

からは運河越しに一帯のきれいな

住宅が臨めた。

遠方にあった四六時中白い煙を

出している煙突が妙に気になった。

高層の建物がまったくないため

この煙突と煙は奇異だった。

ある朝おばちゃんに何の煙突か聞いてみた。(写真真ん中の上)

おばちゃん曰く、『わたしはこのホテルに10年近く働いていて、あの煙突は何かと

何度も聞かれたが、そのたびにわかりませんと答えた。最近このレストランに勤め

はじめた仲間があの煙突の近くに住んでいるのでちょっと聞いてくる』と言い聞いて

きてくれた。『あの煙突は廃棄物を燃やしてエネルギーに換える工場の煙突だそうだ。

これでこれからお客さんから聞かれても答えられる』とホッとした顔をしていた。

別の日、朝食を食べていたレストランのとなりの席に我々と同年配と思われる夫婦が

座り、何かをきっかけに会話がはじまった。オランダの地方からアムステルダムに

来ていたカップルだった。行く予定がなかった所で、ここはお勧めという場所を教えて

もらったので、翌日早速出かけた。

ザーンセ・スカンスというなかなか覚えられない名前の場所でアムステルダム中央駅

から電車で20分、駅から歩いて15分のところにあった。

まさにオランダならでは、風車が4基あり、周りが自然豊かな良いところだった。

Rimg0163 Rimg0165 

この日はザーンセ・スカンスのあとアムステルダム中央駅に戻り、バスでもともと予定

していたところに出かけた。この小旅行の報告はまた後日。

2009年5月27日 (水)

ヨーロッパの旅(1:ことば)

今回の旅も書きたいことはいっぱいある。

ただ、旅程に沿って書いていくのはあまり面白そうにないので、トピックスを中心に取り

上げていきたい。

さて、それでは何からにしようかと考え、先ず動いていく基本のひとつであった”ことば”

からはじめることにした。

ボクができるのは英語だけ。これまで主に経験したアメリカ、オーストラリア、ニュージー

ランドでは英語だけでよかった。ヨーロッパは英語だけではダメなことはもちろん承知

していた。フランスはもちろん、ベルギーも厳しかった。

最初に行ったオランダは街でもどこでも不思議なくらいほとんど問題なく英語が通じた。

オランダのアムステルダムからベルギーのブルッセルへの移動は特急電車のタリスを

利用した。たった2時間半の電車の中で見事に雰囲気は変わった。

車内放送は4カ国語。英語は最後でつけたしの感じで、オランダ語、フランス語、

ドイツ語の順とのことだった。車内の会話も英語はほとんど聞こえてこなくなった。

そのことをもっとも感じたのは、ベルギーに入り最初に停まった駅のアントワープを

知らせる車内放送だった。アントワープは英語の案内でしか聞き取れなかった。

アントワープは英語表現(Antwerp)なので当然であるが、そのときはそんなことは

知らなかった。各国語共通でアントワープはアントワープだと思っていた。

あとでブリュッセルのホテルのフロントで教えてもらって初めて知った。アントワープ

はオランダ語ではアントウェルペン(Antwerpen)、フランス語はもっと違っていて

アンヴェール(Anvers)。これじゃ車内放送を聞いても聞き取れるはずがない。

ついでにフロントの人にいろいろ聞いた。『こんな違いは珍しくないの?』に対して

『全然珍しいことじゃない』、『どうしてみんな間違えないの?』に対しては、『生まれた

ときからそうだから慣れていて、特に不便は感じない』

もうちょっと突っ込んで聞いてみた。『オランダの公用語はオランダ語、ベルギーは

北部はオランダ語、南部はフランス語と聞くが、初対面の人とはどういう感じで会話を

はじめるの?』と聞くと、『自分の主となる言葉ではじめて、多くの人がいろんな言葉が

話せるので臨機応変にやっている』とのことだった。

これはヨーロッパ全域そうなんだろう。

「いやー、すごい」と思ったものの、考えてみると、読み書き含めた日本語はもっと

複雑なはずである。ただ、島国の悲しさ、多言語対応ができない。

こんな経験もした。別の日にベルギーの国鉄でアントワープまで行き、ブルッセルに

帰る車中、車内放送が流れ電車は途中の駅で停まったまま動かない。ほとんどの

乗客は降りた。残ったのは我々ふたりとちょっと離れた席の親子連れ、それに隣の

車両のカップルだけ。残った2組に英語で聞いてみた。いずれもアメリカから来た

旅行客で我々同様何がどうなっているのかわかっていない。カップルの女性が車内を

調べに行ってくると言い出て行ったが帰ってこない。残った5人で『このまま車庫に

行くんじゃないの』、『本当にブリュッセルに帰れるのかなぁ』と冗談を言い合っていたら

20分ほどして電車は動き出し、女性も帰ってきた。『どこに行ってたの?』と聞くと、

『トイレに入っていて動きだしたので戻ってきた。何だったんだろう、このミステリー?』

で終わったが、6人誰も何が起きたのかわからないままだった。

いろいろ学習し、ベルギーでは尋ねるときには必ず「You speak English?」と聞くように

した。また年配の人で英語のしゃべれる人が少ないことを知り、できるだけ若い人に

尋ねるようにした。

フランスは当然のことながら英語の通じは悪かった。

ベルギー、フランスでは街で英語表記を見かけることはほとんどなかった。

オランダ→ベルギー→フランスと移動し、オランダは楽だったなぁと痛感した。

そんなこんなで、ことばでは手探りの旅だった。

2009年5月26日 (火)

ヨーロッパ旅行から無事帰国

昨夕、16日間の長いヨーロッパ旅行から帰ってきました。

シニアのふたりが大きく体調を崩すことなく長旅を続けられ、無事帰国できたことに、

先ずは大いに感謝。

ただ、ボクの手作りの旅程であったため、予想通り、道中、意見の違いからカミサンと

もめることが何度もあった。

ボクは毎回そうだが、行く以上できる限りあちこち見たい派、カミサンはムリはしないで

見ることができる範囲で見て、ホテルでゴロゴロしててもOK派。

当然、意見はぶつかる。結果、4日間は別行動となった。

カミサンは英語を話すことには物怖じしないので、ひとりでもあちこち行ったようだ。

そのような日は夜帰って、その日のそれぞれの行動、見聞きしたことを我先に披露し

合った。ボクの話に対しては『どうせブログに書くでしょうから、詳しくはブログ見るわ』と

何度か言われた。

現在EU加盟国は27ヶ国。今回行ったのはそのうちの3ヶ国だけだったが、さまざまな

場面で、国の間の壁のなさを実感した。

使うお金は同じユーロ、時刻も同じ(これはヨーロッパ全域)、電車は国内と同じ感覚で

国を超え、言葉は英語がほぼ通じ(フランス語が話せればこの地域だとどこに行っても

問題なさそう)。

当然なことではあるが、あらゆる場面で島国日本との違いを強く感じた。

今回の旅でもいろいろ出会いがあった。

出張では見ることが難しかったヨーロッパの重厚な歴史を多くの場所で見て感激した。

教えられたり探したりして、美味しいものもいろいろ食べた。

へー、そうなんだ』と思ったり、びっくりしたことも色々あった。

思い出しながら、時間をかけてゆっくり書いていくつもりなので、興味がある方は

お付き合いください。(カミサンも女性、それに女房の視点で書いていくことでしょう)

2009年5月 7日 (木)

旅行のためしばらくブログ休みます

明日からカミサンとヨーロッパ旅行へ行ってきます。

ヨーロッパは気力・体力がある間に行かなければとずっと話していて、やっと念願が

叶った。ボクはヨーロッパは出張で何度も行ったことがあるが、カミサンは初めて。

行先はいろいろ考えた末、オランダとベルギーに決めた。

それぞれに6泊し、そのあとカミサンがどうしても寄りたいと言い、パリに4泊するという

長丁場のスケジュールになった。

現役の人には申し訳ないが、40年間働いたことに免じて大目に見てもらいたい。

ツアーで行けば楽なのに、毎度のことながら手作りの旅にしたく、今回も準備に相当

時間を費やした。

ガイドブックを読み、ネットで検索し、ベルギーについては東京にあるベルギー観光局を

訪ね質問し説明を聞きパンフレットをもらい、追加質問をメールで送り回答をもらった。

オランダについては、オランダ観光局に2度電話し質問と不明点を確認した。

結果、旅程がやっと一昨日出来あがった。2月ころから調べはじめたので、おそらく

通算すると20時間以上かけたことになる。定年退職者だからできることである。

航空券は燃料サーチャージが下がる前、高いサーチャージの分安くなったJALの

チケットをうまく見つけ、かなりお得な値段でチケットを買った。

ホテルはメンバーになっているヒルトンホテルの今年のポイントで泊まれるため

直接の持ち出しはなし。

フランスには6~7年前職場が一緒だった女性のAさんがフランス人と結婚し南仏に

住んでいる。彼女にメールを送り、パリのホテル、お勧めレストランほかいろいろ

アドバイスをもらった。

5日ほど前、Aさんからメールが届き、『ビザ取得のため日本に帰ることになりました。

そのため21日にパリに移動するので、時間があれば奥さんも一緒に食事しませんか』

とのお誘いがあった。『ぜひ会いたい』と即返事を出し夫婦でホテルに来てくれることに

なった。新婚のAさんの話を聞くのも、今回の旅行の楽しみのひとつになった。

新型インフルエンザが世界中で大変なニュースになっているが、気にすることなく

行ってこようと思っている。

帰国したあと、感激・感動したこと、ヨーロッパの重厚な歴史、美味しかった料理、

びっくりしたこと、不思議に思ったことなど、ゆっくり紹介したいと思います。

2009年5月 6日 (水)

GW中の来訪

ゴールデンウイークは今日で終わり。

娘とふたりの孫も昨夜横浜に帰り、まさに台風一過、カミサンとふたりの生活に戻った。

連休中、東京からわざわざフランチャイズパソコン教室キュリオステーションのオーナー

社長の石川さんが、車で横須賀まで訪ねてきてくださった。

同行してきた神奈川地区のエリアマネージャのSさんと店長のNくんの4人で食事に

行った。

石川社長が最近の会社の状況をいろいろ話してくださった。

08年度の決算は大変良かったそうで、このご時世、売上げは30%伸長とのこと。

家賃を払い続けるのはもったいないので自社ビルを建ててはとの話も出ているそう。

キュリオステーションは、03年フランチャイズ募集をはじめてわずか4年で、全国に

100店舗出店という業界の常識を破るスピードで事業を伸ばしてきた。

パソコン教室ビジネスとともに、石川社長が手掛けるもうひとつの柱となる事業は

@motteco(モッテコ)ビジネス。

@mottecoはアナログとデジタル2本立ての地域密着型の新しい広告・出版ビジネス。

フリーペーパー・タウン誌発行ウエッブ電子書籍mottecoTVなど事業の幅は広い。

この「地域密着型ピンポイント広告」を目指したビジネスモデルは広く受け入れられ

はじめている。リクルートが出版する起業を目指す人向けのNO1雑誌アントレ」に

@mottecoの代理店募集の記事を掲載したら1ヶ月で100件の問合せがあったとの

こと。既に地域総代理店、代理店が全国あちこちに誕生している。

石川社長が05年にビジネスの企画をスタートさせた@motteco事業は、いよいよ

花開き始めたとの感を強くした。

話を聞いて、今年はキュリオステーションビジネス、@mottecoビジネス、いずれも

一層飛躍する年になることを予感。

お休みの中、遠方から来ていただいた上に、この日もご馳走になり申し訳なかった。 

2009年5月 3日 (日)

娘たちの来訪

ゴールデンウイークで幼稚園はお休み。

娘がふたりの孫を連れて、今年初めての里帰り。

昨日来る前に仕事に出かけるパパからケータイにメールが入った。

『いまから台風二号横須賀に向かいます。よろしくお願いします』

返事した。『台風二号出発、了解!4か月ぶりの台風到来に向けた当方準備は、

3人のフトン干し、好物買い物済み、イチゴ狩り用に庭のイチゴのキープ、準備万端

ぬかりなし!』

今年のゴールデンウイークの車の渋滞、観光地の混み方は尋常でないようだ。

我が家に孫たちが来てくれて、近くに出かけるのは最高のGWの過ごし方。

近所のお宅でも何軒もが孫を連れて息子さん、娘さんが里帰りし、じーじとばーばが

一緒に庭で遊んだり、ドライブに出かけていた。

姉孫のミサキから今回も来るや

いなや「作品」をもらった。      Rimg0279 

パパとママと自分と妹のユナを

描いた絵で、女の子らしい絵が

描けるようになってきた。

1歳1ヶ月のユナは初めて2階に

上がる階段にチャレンジ。

あっという間に登れるようになった。

五月晴れの気持ちいい陽気の中、ふたりとも庭で喜んで遊んでいた。

Rimg0270s Rimg0276

毎年この時期、庭にはカミサンの植えた花がいっぱい。特にテッセンの紫が鮮やか。

ミサキがイチゴを喜んで採って食べていた。ジャガイモも大きくなってきた。

梅と月桂樹の緑も濃くなってきた。

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今年初めて咲いたグラジオラスの仲間の花、それにかわいいベルフラワー。

Rimg0263 Rimg0225

カミサンに頼まれサザンカの剪定をやった。ばっさり切りさっぱりした。

日差しが強い中での庭仕事でぐったり。娘に孫たちと一緒に散歩をと誘われたが

疲れて昼寝してしまった。

2009年5月 1日 (金)

映画「グラン・トリノ」

公開前から期待していたクリント・イーストウッド監督・主演作品 (gooユーザー評価

86点)。キャッチコピーは、『人生に迷うすべての人へ ~老人は迷っていた、人生の

締めくくり方を。少年は迷っていた、人生の始め方を~』 

以下、あらすじと解説。(ネットから引用)

   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~ 

『朝鮮戦争の帰還兵ウォルト・コワルスキーはフォード社を退職し、妻も亡くなり

マンネリ化した生活を送っている。彼の妻はウォルトに懺悔することを望んでいたが

頑固な彼は牧師の勧めも断る。そんな時、近所のアジア系移民のギャングが

ウォルトの隣に住むおとなしい少年タオにウォルトの所有する1972年製グラン・

トリノを盗ませようとする。タオに銃を向けるウォルトだが、この出会いがこのふたりの

これからの人生を変えていく…』

『気難しい主人公が、近所に引っ越してきたアジア系移民一家との交流を通して、

自身の偏見に直面し葛藤する姿を描く。アメリカに暮らす少数民族を温かな

眼差しで見つめた物語が胸を打つ。西部劇や刑事ドラマで築き上げた、

“男イーストウッド”のヒロイズムが詰まった人間ドラマ』

   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~ 

この1年半くらいの間に観たイーストウッド監督作品は、硫黄島を舞台にした2部作

「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」と2月に観た「チェンジリング」、それに

「グラン・トリノ」の4作。

大変評価の高い2作品「チェンジリング」と「グラン・トリノ」をほとんど間を空けずに

世に出してきたイーストウッドは今年79歳。驚きである。

「チェンジリング」では尽きない母性を表現した。

「グラン・トリノ」では自らの死生観がそのまま表れていると感じた。

「グラン・トリノ」はイーストウッド最後の監督・主演作と噂されている。

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