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2008年9月 5日 (金)

沖縄の旅(4:首里と琉球王国②)

琉球王国は1429年から1879年まで450年間続いた。

日本の年号で言えば、室町時代から明治まで。途中薩摩による侵入があったものの

琉球は長い間独立国であった。

琉球王国は450年間、王家である尚家が治めていた。

1879年、琉球王国は崩壊し、首里城を明け渡し、廃藩置県により沖縄県となった。

そのあと、戦後27年間アメリカ統治時代が続き、1972年に本土に復帰。

長い王制時代には華麗な王朝文化が花開き、日本・中国・朝鮮・南方諸国と大交易

時代が続いた。小さな島国ながら、日本が鎖国していた時代も今で言うグローバルな

国際交流が行われていて、政治・経済・文化の中枢は首里城であった。

このような歴史に思いをはせながら、沖縄の人たちの顔を見ていると、この人の

先祖は南方ではなかろうかと思われる人が少なくなかった。

これだけの長い歴史と大変なバックグラウンドを持つ琉球王国について、学校では

ほとんど学ばない。歴史の中でしっかり教えるべきであると思った。

首里城を見たあと歩いて10分くらいのところにある尚家の王と王妃、家族を埋葬した

玉陵(たまうどぅん)を見に行った。

玉陵は2000年に世界遺産に登録された。

初めて知ったが、沖縄には世界遺産が何と9つある。

そのうち5ヶ所は首里城をはじめとした城跡。

玉陵は広大な墓所で、墓室は3つに分かれている。

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玉陵のあと、散策ルートになっている道を歩いた。

先ず行ったのは、一中健児之塔。沖縄戦で犠牲となった沖縄県立第一中学校の

学徒兵の追慕記念碑。

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そのあと、10分くらい歩いて金城町の石畳道へ。

この石畳道は、尚家の王様が首里城から王家の別邸である識名園(翌日訪問)まで

カゴに乗って通った道。

左の写真の石畳道に建てられた”石敢當(いしがんとう)”という石板は沖縄のいたる

ところで見られる。

人々の平和な生活を乱しにやってくる魔物は、なぜか曲がるのが下手で、

T字路や三叉路の突き当たり、袋小路の奥などにおかれている「石敢當」の

石板に激突し、砕け散ってしまうという言い伝えで置かれた魔除け。

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石畳道の上からバスに乗り首里駅まで戻り、この日の夜も牧志市場で食事をした。

おきなわ食堂という店で、沖縄の黒豚、アグー豚の焼肉を食べた。

ブタの4種類の部位を4つの塩で食べる、いかにも沖縄料理という感じ。

脂がのった肉に舌づつみ。この夜の食事も満足した。

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