« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月

2008年9月29日 (月)

熱海マンション理事会

昨日日曜日、マンションの理事会に出席するため、ちょうど2か月ぶりにひとりで熱海に

来た。最近は理事会に出るときくらいしか熱海に来なくなった。

カミサンがつくってくれた料理と食材を買い込んできたので、数日間は買い物に行か

なくても大丈夫そうだ。

今回は10月19日にある英検準1級1次試験の勉強のためテキストを持ってきた。

1次試験と言えども合格率は15%、70点以上取らないとパスしない。

歳のせいにはしたくないが単語は忘れているし、結構難しい慣用表現や言い回しが

出る。現役の学生や仕事で英語を駆使している人でないと難しそうだ。

読もうと思い、もう1冊持ってきた本がある。高橋洋一著「霞ヶ関をぶっ壊せ!」

高橋洋一さんには興味がある。元大蔵省のキャリア官僚で「財政投融資改革」にからみ

小泉政権時代には竹中大臣の懐刀として郵政民営化に関わり、その後公務員制度

改革を経験した経歴の持ち主。まだ半分くらいしか読んでないが、予想通り面白い。

たまたま29日の朝日新聞の『”霞が関埋蔵金”当てにできるか』の記事に高橋さんは

論評している。『特別会計の不透明さに対する財務省主導のこれまでの改革は不十分

である。政治の判断で大胆に進めるべきである。”埋蔵金”は本来国民の財産であり、

実態を開示し、使い道を役人ではなく、国民が決められる仕組みに変える必要がある。

この問題に手をつけずに増税するのは順序が違う』。大蔵省でこの分野の中核にいた

人の言だから当然その通りなのだろう。

さて、今回来た主目的のマンション理事会だが、今回は11月に予定している定例総会

の準備作業を中心に行った。

メインの議題は決算状況と来年度予算の確認、それに懸案の地デジ対策。

地デジは居住者に2度アンケートを取り自前のアンテナを立てる方向でまとまってきた。

毎年この時期頭を悩ませる来年度の役員の選出も今回重要議題であった。

今年も理事長が苦労され、何とか6人候補が集まった。

ただ毎年同じ苦労をするのは何とかしたいと思い、ボクの方で「役員輪番制ルール」

私案を出し議論した。総会で決議議案でなく、「自由討論」議案にすることが決まった。

保守・維持管理費用がかさんできている機械式駐車場を今後どうするかについても

「自由討論」テーマとすることになった。

定例総会を11月23日に開催することを決め、10月に最終確認のため、もう一度

理事会を行うことにした。

今朝は、好都合にもたまたま開催されていた熱海市議会9月定例会の本会議最終日

であったため、傍聴に行った。

3月に開催される新年度に向けての定例会では市長の施政方針説明があり傍聴者も

多いが、今朝は記者席以外の一般傍聴席は5名だった。

冒頭、30年間熱海市議として活躍し、先日81歳で亡くなった加藤議員への弔辞が

述べられた。

4つの委員会の委員長より委員会の審査報告がなされ、反対意見が出たものの

全上程議案賛成多数で可決され、9月定例本会議はすべて終了した。

2008年9月28日 (日)

「瞳」が終わった

朝のNHK連続テレビ小説、「瞳」が昨日で終わった。

定年してからずっと朝の連続テレビ小説(通称朝ドラ)は観ている。

一番最初に観た朝ドラは、4年前の「わかば」。

「わかば」は定年した直後、会社から頼まれてJICAの仕事で2か月間行ったカンボジャ

のホテルで観た。

それ以来だから、「瞳」は8作目。

原作の多くが女性。そのためもあるだろう、ほとんどの作品のテーマは「家族」。

半年続くため、途中中だるみし、観るのをやめようかと思うものもあった。

8作の中で一番おもしろかったのは、同年配の夫婦が中心だった「芋たこなんきん」

朝ドラがはじまったのは昭和36年、もう半世紀近く続いていることになる。

「瞳」は78作目。やはり最高傑作は「おしん」だったのだろう。

「瞳」のテーマは、里親、それにヒップホップダンス。舞台は東京・月島。

主演の女優にいやみがなく全体ほんわかしたストーリーでスタンダードな朝ドラという

感じの作品だった。

ただ、関東地区の平均視聴率は15・2%で、歴代最低だったとのこと。

たしかに6ヶ月間、盛り上がりはあまりなかった。

朝ドラでは全国の市町が舞台となる。舞台となったご当地は地域振興が期待できる。

来年放映が予定されている80作目の「つばさ」の舞台には埼玉県の川越が選ばれ、

これでついに全国都道府県が一巡すると新聞に書いてあった。

明日からは、島根と京都が舞台の「だんだん」がはじまる。

どんな作品か楽しみだ。

2008年9月27日 (土)

@motteco本に掲載!

@motteco(モッテコ)本のことはブログに何度か書いたことがある。

フランチャイズパソコン教室”キュリオステーションのオーナーである石川社長が

パソコン教室事業とともに手がけられているネット書店事業である。

去年11月~12月、ニュージーランドに旅した旅行記を28回にわたりブログに書いた。

石川社長はずっと読んで下さっていて『面白いのでネット書店mottecoに掲載したい』

言われ、その話は4月17日のブログ、”motteco(モッテコ)本”に書いた。

3巻シリーズになるそうで、このたび、そのうち1巻2巻が出来上がりネットに掲載

された。大変うれしい!

画像にはさまざまなエフェクトが加えられ、すばらしい出来上がりである。

@mottecoはネットだけでなく、フリーペーパーを使って、出版された本の宣伝まで

やってくれる画期的な自費出版システムである。

紙媒体のフリーペーパー@mottecoは、首都圏のダイエー、ドンキホーテ、am pm、

ゆりかもめ全駅、都営地下鉄駅、横浜市営地下鉄駅などで60万部配布されている。

石川社長は『これからどんどん増えていく定年退職者への”定年バンザイ”メッセージ

という位置づけにしたい』と言われている。

是非とも商材として使っていただき@motteco書店が今後一層拡大発展していく

一助になれば大変うれしい。

シニア向けということでは、旅行会社を中心に、保険会社、金融機関など自らの持つ

シニアのお客さまで、自分の情報を発信したいと思っている方々にPRしてみたいと

考える企業は少なくないのではなかろうか。

2008年9月26日 (金)

沖縄の旅(13:娘一家とBBQ)

沖縄10日目。

娘一家が泊まっている貸別荘でRimg0602_2 

バーベキューをやることになり、

招待された。

山の中で道がうまく説明できない

ということで10時半に近くの居酒屋

の前で待ち合わせすることになった。

娘が姉孫のミサキと一緒に迎えに

来てくれた。この民謡居酒屋には前夜、妹孫のユナも連れて行き、子供たちが

大歓迎されたそうだ。

娘はすぐ今帰仁(ナキジン)そーれという近くの産地直売店に連れて行ってくれた。

Rimg0603_2 Rimg0606_2 

生産者が商品を運びこみ棚に並べていた。

マンゴ、パパイヤ、島ラッキョウ、シークアーサー・・・、とにかく何でも安い。

翌日横須賀に帰るので、持ち帰り用に買い込んだ。

Rimg0612_2 Rimg0607_2 

娘の車の後ろをついて、泊まっている貸別荘まで行った。

前日行った今帰仁城跡から車で10分くらいの場所。この家がこの値段。

Rimg0627_2 Rimg0620_2 

土地を販売している会社の責任者が

訪ねてきて、バーベキューをするのなら  Rimg0632_2 

ということで、テーブルと椅子、それに

沖縄のバーベキューの定番らしい島豆腐

とゴーヤを差し入れてくれ、歩いて数分の

ところにあるパークゴルフ場に招待された。

ユナを抱いてミルクを持って、みんなで

出かけ、パークゴルフに挑戦。

大きな木のボールを大きなヘッドのクラブで打つ。カミサン、娘はゴルフは初めて。

途中ユナにミルクを飲ませ、ワイワイ言いながら、結局2ホールでギブアップ。

Rimg0634_2 Rimg0635_2 

Rimg0639_2 Rimg0642_2 

Rimg0648_2 Rimg0651_2 

帰って庭でバーベキューの準備。

Rimg0621_2 Rimg0668  

.沖縄らしいバーベキューをしようと前日パパが買出しに行ってくれ、ソーキ肉にタマン

という魚を一匹、市場で調達。

パパが朝からタレを作ったり仕込みをガンバってくれたおかげで、みんなで美味しい

バーベキューを楽しむことができた。サシミは昆布じめ、タマンの中には沖縄野菜が

詰められていた。パパはこういう料理がとてもうまい。

Rimg0661_2 Rimg0669_2 

Rimg0670_2 Rimg0673_2 

最後は有名な今帰仁スイカで、ミサキが張り切ってスイカ割り。

Rimg0677_2 Rimg0689_2 

招待してもらったお礼を言い、5時半ころ別れ、ホテルに戻った。

2008年9月25日 (木)

GW入港

米軍の原子力空母ジョージワシントン(GW)が今朝横須賀の米軍基地に入港した。

初めての原子力空母ということで、一日中ニュースで取り上げられていた。

朝7時のニュースで三浦半島沖を進んでいるということだったので、我が家の2階の

ダイニングから見えるのではと思いしばらく観音崎方向を見ていたがそれらしき姿は

見えない。

9時になり、そろそろテニスに行こうかと思い海を見たら、右方向にGWと思われる

大きな船が見えはじめた。

裏の遊歩道に出てみた。見物の人たちが集まってきていた。

Rimg0010 Rimg0004

遠方なのでよくわからないが、思ったほどは大きくなさそうに見えた。

実際は5千人以上が乗っており、甲板には艦載機が70機収容できるというのだから

すごい大きさでのはずである。

横須賀の米軍基地を最初に拠点としたRimg0006

空母は1973年のミッドウエイだった。

ミッドウエイは5月にサンディエゴに

行ったとき見る機会があった。

GWはこのあと右の写真の米軍基地に

入港した。

隣に住む米軍基地に勤める若夫婦の

ダンナのジョーがGWで今日帰ってきたはずだ。

先日、奥さんのケリーが、『ジョーが来週4か月ぶりに帰ってくる。しばらく一緒に

いられるけど、来年の3月にはイラクに行くことが決まっている』と、寂しそうに

話していた。

去年の4月にケリーがアメリカから来た時、女児グレイシーはまだ3か月の赤ちゃん

だった。今では1歳8か月になり可愛くなった。

これから半年、親子3人、水入らずの毎日を過ごすことだろう。

   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~

昨日の横須賀のもうひとつのビッグニュースは、小泉さんの引退。

お宅が我が家から車で3分くらいのところにある小泉さんには昔から親近感を感じ、

その信条に惹かれ応援してきた。

総理を5年半務めたとあらためて聞き、1年しか続かず逃げ出した安倍、福田と比べ

そのすごさに感じ入った。

2008年9月24日 (水)

茶番劇が終わり。。。

自民党総裁に予定通り麻生が選出され、とりあえず茶番劇は終わり、話題は衆議院

解散の日程に移った。

正直、『自民党、もういいかげんにせい!』という感じ。

所詮は選挙管理内閣とは言え、またまた”お友だち内閣”風の新政権の閣僚人事

なんて、まったく興味がない。

ここまで政治を地に落とした直近のふたりの首相それに自民党の責任は極めて重大!

ご承知の通り、日本には首相公選制はない。

ただ、今回の衆議院選挙は実質的には”首相公選選挙”である。

有権者が総選挙を通し、直接首相をすげ替えることのできるという、明治以来の日本

憲政史上初めて訪れた絶好の機会である。

『民主党に政権を任して大丈夫だろうか』、『改革を掲げている政策を遂行するための

財源はどのように捻出するのか』・・・ マスメディアはかまびしく報道する。

ボクは、多くの人がそうであるように決して小沢が好きではない。

ただ、ここは、民主党の主張、『国・地方行政の根底からの改革』に賭けたい。

『官僚支配政治の打破』、『地方分権の推進』 民主党に託してみたい。

行政組織の無責任、無駄遣い、ていたらく、破廉恥が年がら年中話題になりはじめて

久しい。

1955年以来、50余年にわたり自民党が政権を独占してきた結果できあがった

慣習、癒着、なれ合い、安住、甘い蜜を生み出す構造が、まさに根っこに横たわる

問題である。

この構造下では、利権や金が生み出されるだけでなく、政治家は官僚にやらせる

だけで、自ら汗をかきやるべき仕事をやる必要がない。一方、官僚は組織の防衛、

自らの防衛のためのみに汗を流す。組織さえ守っていればクビになることはない。

政・官・財、いずれにとっても、これほどありがたい仕組みはない。

民主党が政権を取れば、もちろんこれらすべてが国民の望む方向に変わっていく

わけではない。ただ、腐りきった”55年体制の打破”を錦の御旗にすえて、政権を

運営をしていくことであろうから、今よりは良くなることは期待できるはずだ。

それより何より、一度政権が代われば、国民の信が得られなければいつでも交代

させられるという緊張感と危機感が生まれてくること、これが国民にとって何よりの

収穫である。

力の拮抗、切磋琢磨がない限り、腐ったぬるま湯はいつまでたっても腐ったままだ。

たとえ今回自民党が敗退し民主党が勝ったとしても、小沢にとっては”最後の戦い”

であったとしても、この国の政治にとっては最後どころか曙であり、政権交代をめぐる

終わりのない旅のはじまりであって欲しい。

2008年9月23日 (火)

インターナショナルな結婚式

一昨日の日曜日、夫婦でお台場の日航ホテルで行われた結婚式に出席した。

新郎の父マニーと初めて会ったのは、1973年だからちょうど35年前。

以来、同じ職場で海外事業を一緒にやってきた仲にとどまらず、奥さんのミミ、

息子のジェフリー、娘のハナ、皆さんとは家族ぐるみでお付き合いしてきた仲である。

マニーはコンピューターと半導体両部門で海外事業を担当する部長として活躍した。

セリレス家はもともとはフィリピンの出身であるが、現在はオーストラリア国籍。

マニーとミミ、それに娘さんのハナはシドニーに住み、一昨日結婚した息子の

ジェフリーは今は日本に住んでいる。

ジェフリーは小さいときから大変優秀だった。アメリカのコーネル大学を卒業したあと

MITでMBAを取得し、現在は日産自動車に勤めている。

我が家の娘が高校生のとき、夏休み40日間、シドニーのマニ-のお宅でお世話に

なり、移民向けの英語学校にも通わせてもらった。

そのような経緯から、娘もどうしても皆さんにお会いしたいと言い、孫娘のミサキを

連れてチャペルで行われた結婚式にだけ出席させてもらった。

マニーとミミは別にしてジェフリーと

ハナに会うのは20年ぶりくらい。       Rimg0741     

先ず、新郎控え室で皆さんに会った。

ふたりの成長ぶりに感激。

娘がシドニーのマニー宅でお世話に

なった時、やはりお世話になった

アリス(写真左端)も現在住んでいる

イスラエルから駆けつけてきた。

長い間、富士通の海外事業の総帥で入社以来マニーの面倒をずっとみてこられた

元副会長のNさんにも久しぶりにお会いできた。

現在Nさんは、富士通の特命顧問のほか、トヨタIT開発センター会長、総務省・経済

産業省審議会委員、経団連の新産業新事業委員会部会長など、さまざまな要職を

歴任されている。

娘はセリレス家の皆さん、それにアリスに18年ぶりに会えて、大感激。

ミサキを連れて結婚式に列席。ミサキは興味津々。

Rimg0753 Rimg0756

式のあとロビーで写真撮影し、披露宴会場へ移動。

会場の入口にはミミとハナが作ったカリグラフィーボードが飾ってあった。

  Rimg0765  Rimg0768_2

披露宴ではダンナさんがオーストラリア人であるという女性の巧みな司会で、日本語

英語混在で進められた。

ジェフリーのコーネル大学時代の友だち、MITでの友だちがアメリカからも駆けつけ、

さすがスピーチもすばらしかった。

友だちは異口同音に『ジェフリーはいつ勉強していたのかわからなかったが、成績は

常にトップクラスだった』と話していた。

ジェフリーは現在担当している南アフリカ工場の立ち上げプロジェクトのため、来週

にはまた南アフリカに出張するそうだ。

マニー、ジェフリーの最後のお礼の挨拶もすばらしかった。

Rimg0776 Rimg0782

披露宴が終わった後、Nさんご夫妻、マニー・ミミ・ハナ、アリス、それにロサンジェルス

から駆けつけたミミのいとこ夫妻が集まり、ロビーでお茶を飲みながら1時間くらい

和やかに歓談した。

2008年9月20日 (土)

沖縄の旅(12:本部半島めぐり)

本部(モトブ)6日目は、前日回れなかった本部半島めぐり。

先ず行ったのは、バニアン・リゾート 今帰仁(ナキジン)

バニアン・リゾートのオーナー社長のジョージ福地さんの案内で、2年前の5月に一度

訪ねたことがある。

前回はオープンする前であったため、その後どうなっているか大変興味があった。

リゾートのシンボルツリー(写真右中央)のバニアン(ガジュマル)は大きく育っていた。

Rimg0523 Rimg0528

当時出来ていなかったプールもでき、2年前のブログと比べてもらえば、すばらしい

リゾート施設になっていることがよくわかる。

Rimg0531 Rimg0533

Rimg0534 Rimg0525

この日ジョージさんは大阪本社で、息子さんも来ていなく、残念だった。

ジョージさんに伝言を残し、バニアン・リゾートから車で5分くらいのところにある

今帰仁城跡に行った。

今帰仁城跡は本部に来たらどうしても行きたかった場所だった。

沖縄の世界遺産9か所の中には、城(グスク)跡が5か所入っている。

中でも今帰仁城跡は最も立派だと言われている。

Rimg0539 Rimg0540

1400年ころ琉球は3つの大きな勢力が争っていた。北山、中山、南山に分かれ、

今帰仁城は北山を支配する領主の居城であった。

600年前、小さな島国であった琉球でこれだけ豪壮な城を造ったのだからスゴイ。

城跡を巡ったあと歴史文化センターで見た今帰仁の歴史・文化には大変魅かれた。

大いなるロマンを感じた。

色がうまく出ていないが、右下の場所から見た海の色は最高だった。今回の旅の

ベスト3ポイントに入る。

Rimg0549 Rimg0565

Rimg0566 Rimg0574

今帰仁城跡のあと、カミサンがずっと行きたいと言っていた店に遅いお昼を食べに

行った。花人逢というピザを食べさせる店。

本部半島の伊豆味という地区には、山の中にあり、海がきれいに見えるカフェ

レストランがたくさんある。その中で花人逢は超人気店。

このときも、山の中の細い道を通りよくこんなところにこんなたくさんな人が来るなあと

思うくらい、にぎわっていた。

”和だんすに古伊万里、縁側。そんな空間で海を見ながら食べるピザ”と紹介されて

いた。当然のことながら女性客が多く、聞いてみるとお店の人もオーナーはじめ全員

女性とのこと。

Rimg0584 Rimg0588

ピザ、生アセロラジュース、マンゴーシャーベット、どれも満足した。

Rimg0595 Rimg0600

ホテルに戻りゆっくりしたあと、夕方、前日行った備瀬の海にシュノーケルをするため

出かけた。

浜からほんの5メートル位のところで潜れば(プカプカ浮いていれば)色とりどりの魚が

たくさん泳いでいるのが見え、感激した。

2008年9月19日 (金)

競合店現れる

横須賀でフランチャイズパソコン教室”キュリオステーション”をはじめて、今年暮れで

5年になる。

9月初め、これは強敵と思われるパソコン教室がオープンした。

やはりフランチャイズ方式で、全国でかなりの数の教室を持っている。

競合偵察のため、地域マネージャのIさんとボクで、別々の日に体験講座を受けに

行った。

何と言っても脅威なのは、駅のそばというロケーションの良さ。

家賃は相当高いだろうと思いながら教室に入った。

説明はオーナーであると紹介された男性。

20分くらい説明があり、体験講座を受けた。

講座はすべてビデオによる独習。

20分くらい受けたが、飽きてきて、これは根気が続かないとの印象を持った。

学習回数も冗長さを感じた。

受講料はパッと見は高くなさそうだが、受講したい講座を選んで、説明者と一緒に

計算してみたら、キュリオの方がずっと安い。

また毎回、前回学習したことの復習を勧めるということで、なかなか前に進まない

のではとの印象を持った。

ただ、ロケーション、それに新規オープンのフレッシュさを考えると、やはり強敵で

あることには変わりない。

体験講座受講後、地域マネジャーのIさん、店長のNくんと、『新規生徒さんの集客

(ポスティング、チラシ、広告)、それに在籍生徒さんへの働きかけを一層工夫し、

力を入れていこう』と話した。

2008年9月18日 (木)

AIG保険

このところのトップニュースは、米国政府のリーマンブラザーズとAIGへの対応。

日本で事業を行っているAIG傘下の保険会社アリコジャパンのお客であるため、

『AIGにかかる報道とアリコジャパンについて』との表題のファックスが送られてきた。

アリコジャパンの親会社であるAIGの問題で迷惑をかけていることへのお詫び、

アリコジャパンの実質純資産額は法定の定める基準を十分に満たし、経営、財務

基盤には問題がないこと、国内の契約者に対する資産運用勘定は金融庁の監督下、

国内で管理されているため顧客への支払い等で迷惑をかけることはない旨が

書かれていた。

久しぶりにアリコジャパンの担当のKさんに電話した。

この数日たくさんの問い合わせあるようで、Kさんはファックスに書かれた趣旨のこと

を説明してくれた。

それに対し、ボクは『うがった見方をすればこういう考え方もあるのではなかろうか』

と、以下の趣旨のことをKさんに話した。

  『リーマンブラザーズを見放したFRBが、9兆円の公的資金を入れて救った

  AIGは2年間かけて9兆円を返すことが救済条件となっている。米国民は自分

  たちの税金の返済を注視している。新しい政権もそのことは十分にわかっている。

  そうであるとすると、返済に充てる原資の調達は、豊富な資金量を持つ傘下の

  企業に手が入るのではないだかろうか。好業績、好財務基盤を持つアリコ

  ジャパンは、売却・整理の格好の対象にはならないだろうか。

  リーマンが潰れ、AIGが国の管理下に置かれるような事態が起きたのだから、

  もう何でもありの状況になる。AIGの後きっともっと大きな案件が出てくるだろう。

  アングロサクソンはスパッとものを決めてしまう傾向にある。

  次から次に出てくると、AIGの問題は人の記憶から薄れていき、9兆円の返済だけ

  が残り、アリコジャパンを手放せ、売れということにならないだろうか。

  金融庁の監督下という話を錦の御旗にしていても、米国政府から圧力がかかれば

  金融庁なんて、なびいてしまう。

  そうなったとき、アリコジャパンは国内の契約者を死守するだろうか』

Kさんは、『考えもしなかったことですが、そういうシナリオだってないことはないでしょう

ねえ』と言っていた。

サブプライムローンの破たんがもちろん大きな元凶ではあろうが、情報通信の急速な

進展がもたらした、世界中が儲け至上主義にかぶれた結果の悲劇であり、また喜劇

でもあるとも言えるこの手の話は、この先まだまだあとを絶たないことだろう

2008年9月17日 (水)

沖縄の旅(11:思わぬ出会い)

本部5日目のこの日は、本部半島をRimg0413

一周しようと、朝11時ころ出かけた。            

先ず、最初の目的地は美ら海水族館の

先の備瀬のふく木並木

ふく木は熱帯の木で、原産はフィリピン。

いかにも沖縄を感じさせる風情の小さな

村落の中、自然な雰囲気の並木が続く。

Rimg0419 Rimg0422

老人会の人たちが豊年祭りの準備をしていた。

Rimg0424 Rimg0511

村内の道を歩きながら海の方を見ると、

きれいな海がちらりと見え、そちらに            Rimg0429

向かって歩いた。

道沿いにある長いすに座って見た海の

美しさ、周りの雰囲気、今回の旅の

ベストスポットであると夫婦で意見が

一致した。

海沿いをぶらぶら歩いていると、

自分で作った小さな小屋で寝転んでいたおじさんに出会い、声をかけいろいろ話した。

平日は海洋公園で働いていて、休みの日は仲間と漁に出るか、ここで一日中ごろごろ

しているとのこと。

『すばらしい海ですね』と言ったら、『生まれたときからずっと見ている景色だから何とも

思わない。昔はもっときれいだった』

近くでおしゃべりしていたおばあたちもみんな陽気だった。

Rimg0437 Rimg0510 

このあと思わぬ出会いがあった。

小さな船着場にボートが留っていたのでRimg0439

何が釣れているのだろうかと思い、 

見に行った。

『ちょうどこれから釣りに出ようと思って

いるので、もしよかったら一緒に

行きませんか』と誘われた。

好奇心旺盛な夫婦は『ぜひ連れて行って

下さい』と即答し、乗せてもらった。

思いもしなかった展開に夫婦で感激。

船は10分くらい沖に出たところで錨を下ろした。

正面に伊江島、左に瀬底島が見えた。

Rimg0441 Rimg0451 

途中、船長のOさんからいろいろ話を聞いた。

勤めていた仕事を辞め、生まれた地元の備瀬に戻り3年くらい前にこの船を買って

釣り船を始めたこと、備瀬に民宿を建てていること、備瀬の海のすばらしさ・・・

場所を移ったら釣れはじめた。一度に2匹上がったことも何度かあった。

Rimg0464 Rimg0467_3 

Rimg0474 Rimg0476 

入れたらすぐ引くの繰り返しが続いたが、エサのサンマの切り身がもろく、何度も

カワハギにエサを取られた。 

釣れた魚は、カワハギ、金目ダイの仲間、メバル、ベラ、オジサン(と呼ぶ魚)・・・

Rimg0505 Rimg0499 

岸に戻る途中、Oさんはお客さんをシュノーケルに連れていくポイントに案内して

下さった。

きれいなサンゴ礁の海、泳いでいる色鮮やかな魚たちに、しばしうっとり。

Rimg0490 Rimg0501 

結局、Oさんには3時間近く付き合っていただいた。

朝、本部半島を一周する予定で出かけたが最初に寄った備瀬で予期しなかった

ハプニングがあり、半島巡りは諦め、翌日に回しホテルに戻った。

Oさんは早速その日ホームページ”備瀬の海のブログで我々のことを紹介して

下さっていた。

夫婦で備瀬が好きになり、こういうところに住みたいなぁと話しながら帰った。

2008年9月15日 (月)

沖縄の旅(10:きれいな海に感激)

本部での4日目。

この日の午前中はセンチメンタル ジャーニー。

本部には2年前の5月に来ている。そのとき、大好きな瀬底島を訪れた。

そのときのことは、06年5月25日のブログ、”感激の出会いに書いた。

ブログには、99年に初めて瀬底島に行ったときお会いしたおじいさん上間さんに再会

したことを書いている。

瀬底島のきれいな海を見たく、行けばもう一度上間さんにお会いできるかもしれないと

思い出かけた。

上間さんのお宅はすぐわかった。家の様子は変わっていない。白い屋根の上には

見覚えのあるシーサーがあった。

ただ、表札は上間さんではなく、家の雰囲気も2年前とは違っていた。

Rimg0378 Rimg0377

2年前ひとり住まいの上間さんは既に94歳だった。

お亡くなりになったのかもしれないと思い、お宅をあとにした。

もうひとつショックだったのは、瀬底島に開発の手が入っていることであった。

最高に美しい瀬底ビーチにホテルが建設されつつあり工事のトラックが行き来していた。

瀬底大橋が出来たことを記したRimg0381

記念碑の回りにも草が生い茂り    

橋の入口は工事のために

交通規制され、あの大好き

だった瀬底はもうダメだと

大変寂しい気持ちになった。

現在沖縄には年間620万人の

観光客が訪れる。これを1千万人にすることを目指していると聞いた。

それに伴い、景観だけでなく、沖縄のあらゆるすばらしさがどんどん壊れていくことが

とても悲しい。

この日の午後はホテルに申し込んでいたウオーキングツアーに参加した。

このツアーは6泊以上するロングステイの宿泊客へのサービスのようで費用はひとり

千円だった。

近くの山道を歩くのかと思っていたら、迎えに来た方が『山歩きか海のきれいな島の

どちらでもいいですよ』ということで自分たちで行こうかと思っていた古宇利島に連れて

行ってもらうことにした。参加者は我々ふたりだけだった。

古宇利島は本部半島の北東、ホテルからは車で40分くらいかかった。

この島にも3年半前に橋ができ、それまでは今帰仁から定期船しかなかったそうだ。

約2キロの古宇利大橋は無料で通行できる橋の中では、長さが日本一の橋とのこと。

古宇利島の海の美しさも最高だった。

右下の写真の海の中に立てられたものはモズクの養殖用。

先端の山影には小さな浜があり、シュノーケルを持ってくればよかったと後悔した。

ひとり千円で3時間付き合っていただき、申し訳なく思った。

Rimg0390 Rimg0402

Rimg0400 Rimg0396

 

2008年9月14日 (日)

沖縄の旅(9:姉孫連れて美ら海水族館)

3日朝、娘一家がホテルに遊びにきた。

娘が、『我々は何度か美ら海水族館に行ったことがあるので、申し訳ないけどミサキを

連れて水族館に行ってきてくれない』 一つ返事で、『ああ、いいよ』

結局、2日続けて海洋博公園に行くことになった。

入口近くに間欠的に水蒸気の出る場所があり、ミサキは喜び、しばらく遊んでいた。

Rimg0367 Rimg0368

1日何回でも乗れる公園内を循環するバスのチケットを買って、イルカのショーを見る

ため、オキちゃん劇場までバスに乗った。

オキちゃんショーがはじまるまでしばらく時間があり、そばの水族館に海ガメを見に

行った。

Rimg0295 Rimg0298

このあと、オキちゃんショーを見た。

絶好の天気で、伊江島を臨む海がきれいだった。

Rimg0285 Rimg0305

オキちゃんショーを見たあと、美ら海水族館へ。

水族館のメダマは何と言っても、世界一巨大なアクリルパネルの水槽の中を泳ぐ

魚たち。中でも巨大なジンベイザメ、ゆったりと泳ぐマンタはいくら見ていても飽きない。

人の大きさと比べてみると、ジンベイザメがいかに大きいかがよくわかる。

Rimg0336 Rimg0333

Rimg0330      Rimg0344

暑い中歩き疲れたミサキは、帰りたいと言いだし、巡回バスの中で寝てしまう。

起こすのがしのびなく、バスの運転手さんに、『起きるまで乗ってていいですか』と

聞くと、『どうぞ、どうぞ』ということで、結局3周くらい回った。

とても親切な運転手さんで、乗っている間、咲いている花の話がいろいろ聞けた。

花の話はまとめて別の記事で紹介したい。

目を覚ましたミサキは元気になり、駐車場に行く途中見つけた遊技場でしばらく遊び

帰ろうとしない。

Rimg0371 Rimg0372

ホテルに戻ったら、ふたりから『ありがとうございました。おかげで昼寝もでき、ゆっくり

休めました』

ミサキから、『ふたりで写して』と言われ、撮った写真。

このあと4人は山の向こうの家に帰って行った。

Rimg0375 Rimg0376

2008年9月12日 (金)

近所ぶらぶら

郵便局に行ったついでに近所をぶらぶら歩いた。

我が家は京浜急行の最寄駅まで7~8分。

駅のすぐ近くで長い間、ジミに商売していた本屋さんがなくなっていた。

ここに越してきたのは、オーストラリアの駐在から帰国した翌年の78年。

ちょうど30年前。そのとき既にこの本屋さんはあった。

閉店する旨を伝える丁寧な挨拶文が掲示してあった。

『当地で親子2代にわたり60年間商売を続けてきました。この度、店主療養のため

店を閉じることを決めました。長い間ごひいきにしていただきまして、心よりお礼を

申し上げます』 

そうか、そんなに長い間商売を続けてきていたんだと思い、店主のおばさんの顔を

思い出しながら挨拶文を読ませてもらった。

遅咲きなのかブーゲンビリアがまだこの時期咲いていた。このお宅のサルスベリは

我が家と違い多くの花がついていた。

Kinjyo1 Kinjyo2

我が家の近くに瀟洒な大きな家が建っているのに気が付いた。

Rimg02191 Rimg02171

東京湾を埋め立て、この街が造成されはじめたのは35年くらい前。

戸建て住宅と我が家が住むテラスハウスがほぼ同時期に造られた。

90%以上の戸建て住宅は既に建て替えをしている。

ブログでも何度か書いたが、連棟式のため建て替えが容易でないテラスハウスは

まったく建て替えができていない。(下の写真左はテラスハウスの表側、右は裏側)

今年4回行ったテラスハウスの勉強会で、居住者の意見をまとめることの難しさを

痛感したが、どこかで必ず建て替えに踏み切らないとダメだと思っている。

Rimg02101 Rimg02401

下はテラスハウスの裏の海沿いの遊歩道。右は街の中を通る遊歩道。

どちらもこの住宅街の特徴的な散歩道。

Rimg02411 Rimg02441

品川まで1時間。現役時代は通勤時間の長さに苦労したが、定年退職した今は

住むには快適な場所である。

2008年9月11日 (木)

沖縄の旅(8:休息日)

本部(もとぶ)2日目は疲れて休息日、1日ゴロゴロ。

午前中昼寝したあとパソコンを開いたら、8月12日のブログで鎌倉を案内したことを

書いたブライアンから、『来年も自分たちはイギリスのウエールズに行くことになりそう

なので、行っている間にウエールズに来ないか。部屋が空いているので泊まっていい

から』とのお誘いのメールが届いていた。ウエールズのすばらしさが色々書いてあり、

行ってみたくなった。

この日は午後もゴロゴロし、夕方になって、どこか出かけようかということになり、車で

5分くらいのところにある海洋博公園に行った。

美ら海(ちゅらうみ)水族館は海洋博公園内にある。

夕方だったため人はほとんどいなかった。

海洋博公園に来るのは3度目。広大な敷地に余裕のある造りで、加えてロケーション

がすばらしい。正面に見える伊江島が公園のシンボルになっている。

沖縄が返還されたのは1972年。返還を記念し行われた博覧会を機に公園は75年に

オープンした。

Rimg0256 Rimg0262 

この夜の食事は、ホテルの部屋に置いてあったガイドファイルで見つけた大鷲という

店ですることにした。

案内には、『地元のネタの寿司とラーメンを出すことで地元の人たちに人気の店』と

紹介されていた。

カウンターに座り、マスターとゆっくりお喋りしながらいただいた。

寿司ネタの中には、沖縄特有のシャコ貝、海ブドウが入っていた。

寿司とラーメン両方で1,100円。これは地元の人たちに人気があるはずだ。

沖縄は食べ物が安く、どこで何を食べても美味しい。

Rimg0263 Rimg0267 

2008年9月 9日 (火)

ブログ3周年記念日

昨日夕方、沖縄から帰ってきた。

ずっと天気がよく、本当にラッキーだった。

さて、今日9月9日はブログをはじめてちょうど3年目の記念日。

『背中を押されて。。。』のタイトルで、3年前に初めて書いたブログは↓

    ~~~~~   ~~~~~   ~~~~~   ~~~~~

ついに、ブログはじめました!

我が家は、カミサンと老犬チェリリン、それに車で40分くらいのところに嫁いだ娘と

ダンナ、それに去年10月に生まれた孫娘のミーミの4人半と1匹。

今年の初めからブログをはじめたカミサンから、「あなた定年してヒマなんだから、

教えてあげるから、ブログはじめたら。おもしろいよ」と、ずっと言われてきました。

コンピュータの会社に勤め、20年以上システムエンジニアだった身としては、35年間

専業主婦してる女房から教わるなんて、コケンにかかわる!と、ずっと突っ張って

いましたが、カミサンのブログがなかなかオモシロク、とうとう女房の軍門にくだり、

教えを乞い、本日めでたく、”定年バンザイ\(^o^)/”がスタートしました。

我が家ではカミサンがブログで、娘がホームページ(ブログに移行中)で、わたしは

一番手軽な紙と鉛筆で、日記を書いています。

これでわたしも、やっと、デジタル・ダイアリー・グループに仲間入りできました (^_^)/~

ということで、2005年9月9日は、我が家の新しい記念日となりました。

    ~~~~~   ~~~~~   ~~~~~   ~~~~~

はじめたのは定年退職して1年3ヶ月後。

孫娘のミサキはまだ1歳になっていなかった。その子が間もなく4歳。

愛犬チェリーはこの直後の9月30日、16歳で亡くなった。

3年間でアクセス数は7万件を超えた。

メモを見ると、ブログをはじめて1年後の2年前の9月にアクセス数は1万件、

去年の9月に3万5千件、今年9月、7万件という推移である。

読んでいただいている方がこの3年間で徐々に増えてきていることがよくわかる。

この1年間に3万5千件のアクセスがあったということは、1日100件近い検索が

あったことになる。(毎日のアクセス数はトップの数字をクリックするとグラフが出る)

定年退職者が日々を綴っただけのブログをこれだけたくさんの方々に見ていただき、

身に余る光栄である。

以前に何度か書いたが、はじめたときボクのブログの存在を知っていたのは、

カミサンと娘と娘のダンナの3人だけ。

それが今や1日のアクセス数が100件を超えることも珍しくなくなった。

いつも思う。100人って数は、スゴイ数だと。

もし並んでいただいたとしたら、30メートル以上になることだろう。

初対面の人に名刺を渡すとき、『もしよかったらブログをのぞいてみてください』と

言えるのもうれしい。

またグーグル、ヤフーで”定年バンザイ”で検索すればトップに出てくるのも、うれしい。

今や生活の一部になったブログ、もうしばらくは続けますので、これからもおヒマな時に

のぞいてみてください。

2008年9月 8日 (月)

沖縄の旅(7:本部①)

1日午後、『ジイジの車で行く』と言う姉孫のミサキを借りたレンタカーに乗せて、

沖縄中部の本部(モトブ)に向けて、那覇を発った。

途中、スーパーに寄り食材を買った。

1時間半くらいで、本部半島北部の美ら海水族館近くのホテル マハイナに、5時ころ

着いた。マハイナは250室の大きなホテル。

宿泊客のほとんどは若い人たち。特に女性客が多かった。

沖縄は7~8月は家族連れが中心、9月になると大学生中心に女性客が多くなる

とのこと。

そう言えば、飛行機の客室乗務員の方が言っていた。『8月は600人近い定員の

この飛行機がいっぱいになり、家族連れの子供さんたちで幼稚園のようになります。

海外はサーチャージが高くなったため、沖縄の人気が一層上がったようです』

借りた車はレンタカーを示す”わ”ナンバー。ホテルに停まっていた車はほとんど

すべてが”わ”ナンバーだった。

Rimg0252 Rimg0250

窓から海と水納島という島が見え、ホテル内にはプールがあった。

部屋はキッチンと2つのベッドと6畳の和室。

Rimg0244 Rimg0247

Rimg0255 Rimg0272

ミサキをピックアップするため

パパが来た。               Rimg0249

娘夫婦の泊まっているところは山の

中の何もないところにある貸別荘。

ホテルの裏から見える向こうの山を

越えたところあたりのよう。

もともと娘のダンナが同じところへ

我々が泊まる部屋も予約して

くれることになっていたが、まだ

建物が1棟しか建ってなく、

やむなく我々は車で20分くらい離れたマハイナホテルに泊まることになった。

こうして沖縄の旅の後半の本部での7日間がはじまった。

2008年9月 7日 (日)

沖縄の旅(6:那覇から本部半島へ)

1日の午後、娘夫婦と合流し、3泊した那覇から中部の本部(モトブ)半島へ移動。

この日は午前中、夫婦別行動。四六時中一緒にいるので、意見の違いで何かと

ケンカになる。

ボクは焼物(やちむん)で有名な壺屋やちむん通りに出かけた。

ゆいレールで牧志まで行き、途中、魔除けの石敢當やシーサーを見ながら、駅から

20分くらい歩いた。

Rimg0203 Rimg0205 

400mくらいあるやちむん通りの両側には焼物屋が並ぶ。

入口にはやちむん通りの表示があった。

     Rimg0228_2    Rimg0230 

通りをぶらぶら歩いていると、あやしかった空模様が急変し、雨が降りはじめた。

近くに感じのいいお店があり、雨宿りさせてもらうことにした。

たまたま飛び込んだのは、壺屋焼窯元の”育陶園”というお店だった。

Rimg0210 Rimg0209 

お店の中を見せてもらい、

雨宿りのお礼に石敢當の             Rimg0521

小さな置物を買った。

『となりにシーサー工房があります。

よかったら見て行ってください』と

勧められ、見せてもらうことにした。

育陶園は大変歴史のある窯元で、

現在は6代目とのこと。

入口に座っていた店長と思われる方が、『自分は3男で、長男の6代目は坂の上に

ある工房の方にいます。既に7代目も決まっています』

壁には先代であるご両親の写真が飾ってあり、『これらのシーサーの型(下右)は

先代が作ったものです』と、先代のお父さんを敬服されている様子がよく伝わってきた。

Rimg0213 Rimg0215 

時間がなかったのでシーサー作りの体験はできなかったが、丁寧にシーサー作りの

過程を説明してくださった。(以下、いくぶん記憶に間違いがあるかもしれない)

使う土には、赤土と白土があり、白土は釉を塗りカラフルに仕上げる。赤土は釉を

かけることなく、地の色がほぼそのまま出る。

Rimg0218_2 Rimg0211 

工房の裏にある釜まで見せていただいた。

作業していた方は既に6年近くやっていて、『指が覚えている』と話されていた。

Rimg0220 Rimg0224 

『これから上の工房に行くんですが一緒に行きませんか』と誘われ、体験工房も

見せていただいた。

雨宿りでたまたま飛び込んだところであったが、親切にいろいろ教えてくださった。

感謝の気持ちとお礼を言い、育陶園をあとにした。

おもろまちまで戻り、お昼はそーきそばを食べ、1時半に娘のダンナと待ち合わせして

いたレンタカーショップに行った。

レンタカーショップは、おもろまち駅のそばにあるデューティーフリーショップ内にあった。

観光地沖縄で、レンタカーとブランド品を売るデューティーフリーショップの組み合わせ、

すごいいいビジネスモデルだ。

Rimg0235 Rimg0234 

レンタカーを借りたあとは、

いよいよホテルで待ってくれていた    Rimg0236 

姉孫のミサキと妹孫のユナとのご対面。

このあと、2台の車で中部の本部

半島に移動した。

うれしいことに、ミサキは『ジイジの

車で行く』

琉球、沖縄の歴史にどっぷり浸り、

いろいろな出会いがあり、地元の料理を楽しんだ那覇の4日間であった。

2008年9月 6日 (土)

沖縄の旅(5:首里と琉球王国③)

那覇の3日目は、琉球王国の王家である尚家の別邸だった識名園に行くことにした。

ネットでバスルートを調べると、

ホテルの近くにバス停があることを   Rimg0149

知り、バス停まで歩いた。

バス停は見つかったものの行く方向が

わからず、道のどちらで乗ればよいか

迷った。

バス停の前にスタバがあったので

お茶を飲んでいた女性たちに聞くと

親切に調べて、『大丈夫、こちら側で待っていれば』と教えてくれた。

おもろまちは右上の写真のような雰囲気で、新都心地区と呼ばれるだけあり、新しく

開発された街。道路が広く街の造りにも余裕がある。

5年前にモノレールができたとき、駅の名前を公募し、おもろまち駅になったとのこと。

古い那覇の家並みの曲がりくねった細い道を通り、識名園までは20分くらいかかった。

識名園は沖縄にある9つの世界遺産のひとつ。

Rimg0150 Rimg0151 

中に入ると入口近くに国王のカゴが入ってきていた通用門と守衛所の番屋があった。

Rimg0155 Rimg0152 

園の中は、中心に御殿(下左上)があり、御殿の前に池、池には六角堂のある築島

という造り。

Rimg0160 Rimg0157

Rimg0161 Rimg0164

ここでも案内の年配の男性に琉球王国、沖縄の歴史についてじっくり話を聞いた。

識名園は王家一家の保養と中国皇帝の使者の接待に使われたとのこと。池では舟を

浮かべ釣りや舟遊びに興じたそう。近くに水源のないこの場所にこれだけの量の水を

引いてきたのは大変なことであったろうとのこと。

カミサンはずっと御殿の縁側で風に吹かれながら庭をながめていた。

夫婦でこの場所が気に入り、結局ここで1時間以上ボーっとしていた。

お昼どきがだいぶ過ぎお腹がすいてきたので、ガイドブックで見つけた首里そば

という店に行くことにした。

識名園は足の便があまりよくないため、園の前でタクシーをつかまえた。

あいにく首里そばは休み。タクシーの運転手さんにお勧めのそば屋を聞くと、地元の

人たちに人気で自分たちも時々行く店を紹介された。

着いた店はちらー小という店。これで”ちらーぐわぁ”と呼ぶ。

さすが地元の人たちの行く店、当たりの店だった。

右上は野菜軟骨そば、左下はもずくぼろぼろじゅうしぃ(もずくのおじや)右下はもずく。

Rimg0190 Rimg0181 

Rimg0186 Rimg0183 

食事のあと、カミサンが琉球舞踊を見たいということで、バスに乗りこの日も首里城

公園に行った。この野外での舞踊には、結局2日間続けてカミサンに付き合った。

Rimg0101 Rimg0197 

2008年9月 5日 (金)

沖縄の旅(4:首里と琉球王国②)

琉球王国は1429年から1879年まで450年間続いた。

日本の年号で言えば、室町時代から明治まで。途中薩摩による侵入があったものの

琉球は長い間独立国であった。

琉球王国は450年間、王家である尚家が治めていた。

1879年、琉球王国は崩壊し、首里城を明け渡し、廃藩置県により沖縄県となった。

そのあと、戦後27年間アメリカ統治時代が続き、1972年に本土に復帰。

長い王制時代には華麗な王朝文化が花開き、日本・中国・朝鮮・南方諸国と大交易

時代が続いた。小さな島国ながら、日本が鎖国していた時代も今で言うグローバルな

国際交流が行われていて、政治・経済・文化の中枢は首里城であった。

このような歴史に思いをはせながら、沖縄の人たちの顔を見ていると、この人の

先祖は南方ではなかろうかと思われる人が少なくなかった。

これだけの長い歴史と大変なバックグラウンドを持つ琉球王国について、学校では

ほとんど学ばない。歴史の中でしっかり教えるべきであると思った。

首里城を見たあと歩いて10分くらいのところにある尚家の王と王妃、家族を埋葬した

玉陵(たまうどぅん)を見に行った。

玉陵は2000年に世界遺産に登録された。

初めて知ったが、沖縄には世界遺産が何と9つある。

そのうち5ヶ所は首里城をはじめとした城跡。

玉陵は広大な墓所で、墓室は3つに分かれている。

Rimg0126 Rimg0130 

玉陵のあと、散策ルートになっている道を歩いた。

先ず行ったのは、一中健児之塔。沖縄戦で犠牲となった沖縄県立第一中学校の

学徒兵の追慕記念碑。

Rimg0135 Rimg0134 

そのあと、10分くらい歩いて金城町の石畳道へ。

この石畳道は、尚家の王様が首里城から王家の別邸である識名園(翌日訪問)まで

カゴに乗って通った道。

左の写真の石畳道に建てられた”石敢當(いしがんとう)”という石板は沖縄のいたる

ところで見られる。

人々の平和な生活を乱しにやってくる魔物は、なぜか曲がるのが下手で、

T字路や三叉路の突き当たり、袋小路の奥などにおかれている「石敢當」の

石板に激突し、砕け散ってしまうという言い伝えで置かれた魔除け。

Rimg0139_2 Rimg0140

石畳道の上からバスに乗り首里駅まで戻り、この日の夜も牧志市場で食事をした。

おきなわ食堂という店で、沖縄の黒豚、アグー豚の焼肉を食べた。

ブタの4種類の部位を4つの塩で食べる、いかにも沖縄料理という感じ。

脂がのった肉に舌づつみ。この夜の食事も満足した。

Rimg0148 Rimg0144 

2008年9月 4日 (木)

沖縄の旅(3:首里と琉球王国①)

那覇には3日間いたが、そのうち2日、那覇の中心街から東へ数キロのところにある

首里に行った。

首里城は以前那覇に来たときも行ったが、今回あらためてじっくり見て、琉球王国の

歴史に大変興味を持った。

首里はモノレールの終点。ホテルのある、おもろまちから4つ目の駅。

首里駅を降りて首里城公園まで20分くらいの道をぶらぶら歩いた。

途中、首里公民館前でいかにも南国の花という感じの花を見つけた。名前を知りたく

公民館の人に聞いたら『ホウオウ木という名前で外来種』とのこと。

沖縄縣師範學校附屬小學校跡という戦前の建物の跡、今は沖縄県立芸術大学。

Rimg0058 Rimg0061 

守礼門を通り、首里城公園に入った。

入口に立っていた案内の人に聞いた。 Rimg0077

『沖縄戦で破壊され、門ほか建造物は

復元されたものですか?』

『その通りです。首里は壊滅状態でした。

唯一残ったのは、右の石垣の下の

ような感じの石積みだけです』

このあと首里城に入り、本殿である

正殿(下左)を見たが、すべて復元されたもの。

正殿で唯一残った土台(下右)が世界遺産に登録されている。

首里がここまで壊滅状態になったのは戦時中、軍が首里城に司令部を置いたため

とのこと。極めて残念である。

Rimg0106 Rimg0109 

琉球王国時代に建てられた正殿の中には国王の玉座があった。

玉座の上には明・清時代、中国の皇帝から贈られた書が漆で塗られ金箔を貼った

3つの額に飾られていた。

右の写真の立っている方に、琉球王国と沖縄の歴史についていろいろ話を聞いた。

Rimg0119 Rimg0121 

正殿の外にあった琉球王国の紹介Rimg0191_2

コーナーではビデオをじっくり観た。   

首里城を出たあと休んだ右のお店

でも30分近く、沖縄の歴史の話を

聞いた。

この先も道中会った年配の男性から

何度か話を聞く機会があった。

これまでまったく知らず関心のなかった琉球王国に俄然興味がわいてきた。

琉球王国については、次の首里と琉球王国②で。

2008年9月 1日 (月)

再び唐突な辞任、もううんざり!

今夜の福田首相の緊急記者会見で、去年の9月とまったく同じことが起きた。

去年9月のブログを見てみた。

9月20日に安倍逃亡というタイトルで、安倍辞任第2弾を書いている。

辞任当日の9月12日にも”激震が走ったあと、思ったこと”というタイトルで書いて

いるが、”安倍逃亡”の方が自分の思いの丈がずっとよくぶつけられている。

福田はいろいろ弁明していたが、会見を聞いたあと、とにかく空々しい思いしか残ら

なかった。こんなことが許されていいとは到底思えない。

ただ、感じた怒りは安倍のときの方が大きかった。

いわゆる衆参のねじれが根本原因だと、しゃあしゃあと言うが、2大政党の力が拮抗

している国では極めて当り前のことであり、それを打ち破っていく力が当然政党の

トップには求められる。

いわゆる55年体制で、50年以上政権にあぐらをかいてきた自民党は、逆境に追い

込まれた時の打たれ強さは持ち合わせていない。

加えて、安倍も福田も2世議員で所詮波風に当たっていない。

次はどうせ麻生だろうが、麻生もしかり。

ただ、麻生は投げ出し3人目になる前に開き直り、解散・総選挙に打って出ることは

間違いない。

福田は低い支持率の中で、もし解散・総選挙の道を選んだとしたら自民党が惨敗する

のはわかりきっていて、決行すれば自民党の歴史に大変な汚点を残す総理になる。

衆議院での惨敗は参議院の比ではない。

このことだけは絶対にできない、ということでマスコミ報道で出ているように、今にして

思えばバカのようなことだが、1ヶ月前に内閣改造を行い、麻生に禅譲する道をつけ

麻生と密約したのだろう。

密約は、『来年度の経済対策予算の骨格さえできれば自分は身を退く。そのあとは

よろしく頼む』ということを決めていたと思わざるを得ない。

麻生に引導を渡すため、福田にとってこの内閣改造は絶対必要だったのだ。

今後、麻生が解散・総選挙に動いていったとしても、自民党議員は大敗する可能性を

覚悟した上で『もう、やむなし』と受け入れざるを得ない状況に追い込まれることだろう。

むしろボロが出ない、麻生新総理のご祝儀が効く間にすばやく解散と、どの議員も考え

はじめることだろう。残る関心事は自分の当落だけ。

まったく哀しい!この国の低次元の政治は!

いずれにしても安倍同様、福田は”福田逃亡”で、間もなく過去の人となり、そうなれば

責任を問われることはなくなる。きっと今夜はホッとした気持ちで安眠することだろう。

北京五輪での『せいぜい頑張ってください』との激励に象徴されるように、人ごとに

終始した人間であった。

今夜質問に立った記者が『人ごとのようだ』と言ったことに対し、『私は自分自身を

客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです』と気色ばんで答えていたが。

誰が逃げ、誰があとを継ごうとも、国民の窮状は続く。

ここは解散・総選挙しかなく、その先は、小沢が好きとか嫌いとかはおいて、民主党に

政権を任せてみるしかないのではなかろうか。

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

最近のトラックバック

無料ブログはココログ
フォト