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2008年8月

2008年8月31日 (日)

沖縄の旅(2:那覇②)

那覇初日の夜は、娘から勧められた牧志公設市場に行って食事をすることにした。

牧志はモノレールで2つ目の駅。もちろん買った3日間乗り放題チケットを使用。

牧志駅を降りたところは国際通り。那覇の中心街でお土産店、レストランがひしめき、

多くの中国人とおぼしき人たちの会話が歩きながら聞こえた。

石垣島から台湾はすぐそこ。那覇から中国本土も遠くない。

多くの中国の人たちがエキサイティングな沖縄に観光に来るのは至極当然。         

国際通りにある三越の前の平和通り商店街を200メートルくらい歩き、右に曲がった

先に牧志公設市場はある。途中、面白い看板の店を見つけた。(下左)

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公設市場の入口にある店ではウミヘビを売っていた。(イヤな方はこの部分読み

飛ばして)。大きい方がメスで小さい方がオス。大きさが全然違うため、値段も

7,300円と2,200円。煎じて飲めば病弱な人には効能があるそうだ。ウミヘビは

沖縄でも限られた場所でしか捕れず、中国人・韓国人が持ち帰りに便利なように

右のような長いままの形でも売っているとのこと。

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牧志公設市場の中はほとんどが肉や魚を売っている店。

カニ・エビのほか色が鮮やかな南国の魚ばかりで、右下の魚はハリセンボン。

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市場の外では南国のフルーツを売っていた。(ドラゴンフルーツとマンゴー)

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カミサンがガイドブックで探した市場のすぐそばの細い路地にあるテンプラ屋に行った。

このテンプラ屋はNHKの朝のテレビ小説ちゅらさんで、ちゅらさんの結婚式にこの店の

テンプラが出されたということで名前が知られ、何度もマスメディアで取り上げられた

とのこと。年配の女性がやっていて、お盆の2日間以外は年中無休。ひとつ50円。

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食事は、これも娘から勧められた市場のそばにある沖縄家庭料理の店”あかさたな

で食べた。どれも美味しく、これでビールを飲んで2,600円とはうれしい値段。

上のふたつ、左の島らっきょう、右のゴーヤの天ぷらは特においしかった。

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PS 8月27日に掲載したブログ「パソコン絵画作品展」は主催元のNPOから記事を

   削除して欲しいとの依頼があったため削除しました。悪しからず。

2008年8月30日 (土)

沖縄の旅(1:那覇①)

昨日からカミサンと沖縄に来ている。

1ヶ月くらい前に娘のダンナから、『夏休みを取って沖縄に行くことにしたが、一緒に

行かないか』と誘われた。

夏の終わりに行けば安いし、人が少ないのでということでこの時期に決めたようだ。

娘一家は先に出発した。彼らとは明後日の月曜日に那覇で合流し、一緒に北部の

本部(モトブ)今帰仁(ナキジン)に行き、近くのホテルに別々に1週間滞在する予定。

沖縄はたしか6度目。仕事で2度来て、プライベートでは今回が4度目。

前回来たのは2年前、石垣島と竹富島。

羽田12時発、那覇に着いたのは2時半。

飛行機はボーイング747-400。定員は600人近い。とにかく大きい。

後ろの方の座席だった。通路の先を見たら前方座席はずーっと先。だが、この時期

お客はガラガラ。ついつい、燃料費がもったいないなあと思った。

12時発で2時間半のフライトだから、ひょっとしたら軽食くらいは出るのではと思ったが

やっぱりサービスは飲み物だけ。客室乗務員に冗談で、『来週、稚内から沖縄にまた

行くんだけど、そのときは軽食出るかな?』と聞いたら、笑いながら『申し訳ありません

どんな長いフライトも今はサービスはお飲物だけです』

那覇空港に着いた。さすが沖縄、ムーっとしたじっとりした暑さ。出たときの横須賀と

違い抜けるような青空。

空港内はまだまだ夏色ムンムン。

ただ、夏休みはあと2日で終わり。旅を楽しんだ子供づれが多かった。

3泊するホテルは娘のダンナお勧めのホテルリブレガーデンホテル

ホテルまではモノレールで行くことにした。

これまで沖縄には交通機関はバスしかなかった。5年前にできたモノレールの

ゆいレールが沖縄にある唯一の鉄路。

電車がないために沖縄の人はいくぶん時間を気にしない傾向があり、”沖縄時間”は

そのためであるとよく言われる。

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3日間乗り放題のお得なチケットを買った(1400円)。

約20分でホテルのある、おもろまち駅に着いた。

リブレガーデンホテルは新しくきれいなビジネスホテル。

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荷物を解き、LANケーブルでパソコンをつないだら、すぐつながった。

しばらくまったりして、モノレールに乗って食事に出かけた。

つづきは、那覇②で。

2008年8月28日 (木)

伊藤さんのペシャワール会志望書

『アフガニスタンの子供たちが食べ物に困らないように、砂漠化する農地を何とか

したい』。

現地の人たちの中にとけこみ汗を流してきたNGO職員伊藤さんの悲報は昨日・今日の

トップニュース。

テレビ、新聞で伊藤さんの熱い思いと行動を知り、涙が出た。

伊藤さんが危険な中、突貫工事でやり遂げようとしていた用水路工事、伊藤さんと

一緒にやってきたアフガニスタンの人達が必ずややり遂げてくれ、米やサツマイモ等の

作物がアフガニスタンの子供たちの飢えをしのいでくれる日がきっと来ることだろう。

伊藤さんのご冥福を心からお祈りしたい。

以下は、ペシャワール会が27日、公表した伊藤和也さんの志望書の全文。

     ~~~~~   ~~~~~   ~~~~~   ~~~~~     

               ワーカー志望の動機              

                                         伊藤和也

私がワーカーを志望した動機は、アフガニスタンに行き、私ができることをやりたい、

そう思ったからです。

私が、アフガニスタンという国を知ったのは、2001年の9・11同時多発テロに対する

アメリカの報復爆撃によってです。

その時まで、周辺国であるパキスタンやイランといった国は知っているのに、アフガ

ニスタンという国を全く知りませんでした。

「アフガニスタンは、忘れさられた国である」

この言葉は私がペシャワール会を知る前から入会している「カレーズの会」の理事長

であり、アフガニスタン人でもある医師のレシャード・カレッド先生が言われたことです。

今ならうなずけます。

私がなぜアフガニスタンに関心を持つようになったのか。

それは、アフガニスタンの復興に関係するニュースが流れている時に見た農業支援

という言葉からです。

このこと以降、アフガニスタンに対しての興味を持ち、「風の学校」の設立者である

中田正一先生の番組、偶然新聞で見つけたカレーズの会の活動、そして、カレーズの

会の活動に参加している時に見せてもらったペシャワール会の会報とその活動を

テーマにしたマンガ、それらを通して現地にいきたい気持ちが、強くなりました。

私は、関心がないことには、まったくと言っていいほど反応しない性格です。

反応したとしても、すぐに忘れてしまうか、流してしまいます。その反面、関心を持った

ことはとことんやってみたい、やらなければ気がすまないといった面があり、今回は、

後者です。

私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきりいってダメです。農業の分野に

関しても、経験・知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の

人たちと一緒に成長していきたいと考えています。

私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことを

お手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。

子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることが

できるよう、力になれればと考えています。

甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかも

わかりません。

しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。

そう考えて、今回、日本人ワーカーを希望しました。

2003・6・15

2008年8月25日 (月)

サザン ラストライブ

1日過ぎてちょっとピント外れだが、昨夜はサザンの30周年記念ラストライブだった。

何人かのミクシィ仲間からのメールで知ったが、我が家にはWOWOWがないので

感動が味わえなかった。 大画面TVで観たら最高だったろうなぁ。

我が家はサザンのライブには思い出がある。

この家に引っ越してきた年、78年はサザンがレビューした年。

78年のたしか7月だった、江ノ島の海岸でやったライブを当時まだ7歳と5歳の

子供たちを連れて見に行った。

ボクら夫婦も35歳とXX歳。 若かった。

初めて見るライブには燃えた。

子供を肩車して見たのを思い出す。

サザンでもうひとつ思い出すのは、桑田さんの奥さんの原ゆうこさんの実家の

関内駅前にある老舗天ぷら屋、「天吉」。

何度も行ったことがある。

目の前で天ぷらを揚げてくれるのがきっと受けるだろうと思い、外人を何度か連れて

行ったこともある。

15年くらい前、当時絶好調だったアメリカのソフト会社の会長を連れて行ったら

とても喜んでくれたことを思い出す。

サザンの曲が広く歌われはじめた時期とカラオケのはしりの時期とは重なるのでは。

サラリーマンの間でカラオケがどんどん広まりはじめたのは80年ころ。

”いとしのエリー”なんて、サラリーマンのカラオケ初期時代の定番曲のひとつだった。

ところでサザンのメンバー、これからどうするんだろう?

ボクがサザンだったら、面が割れている日本にはおさらばして、ゼッタイ海外に住んで

ゆっくり暮らすなぁ。それは”定年バンザイ”の考えることで、アーチストのサザンは

そんなこと思わないかな。

とにかく、サザン、30年間ホントにお疲れさま、ありがとう!

2008年8月24日 (日)

久しぶりに咲いたサルスベリ

数は少ないが25年くらい前に植えたRimg0578

庭のサルスベリ(百日紅)が

久しぶりに花をつけた。     

おそらく10年ぶりくらいであろう。

それにしても百日紅という漢字は

ステキだ。

我が家の百日紅には思い出がある。

勤めていた会社では当時45歳になった管理職には3ヶ月間強制的に現場を離れさせ、

FIMATと呼ぶ研修を受けさせた。

45歳と言えばまさに組織の中核。常識的には3ヶ月間現場を離れさせることなど

およそ考えられない。当時、FIMATは新聞・雑誌・テレビで何度も取り上げられた。

FIMATでネット検索してみたら、FIMATを紹介している会社の先輩のホームページ

見つかった。

ホームページには以下のように書かれている。

『FIMATをはじめた会社のねらいは、現在までの自己の専門分野を超えた総合的な

経営管理技術を身につけさせ、将来の経営幹部要員の育成、国内外の営業拠点

ならびに関係会社の経営が担当できる人材を育成すること

FIMATがスタートしたのは1979年。ボクが受講したのは88年。

もう20年前ではあるが結構いろいろ覚えている。

何と言っても、社内のさまざまな職場から集まってきた部長たちと一緒に3ヶ月間

過ごしたこと。クラスは20名くらいだったと思う。無理やり職場から離されるのだから

全員が一様に感じるのは、『俺がいなくて大丈夫だろうか』

研修がはじまってすぐは、心配で全員が職場に毎日電話していた。

ところが本人が心配することなく、どの職場も部長がいなくても問題なく動いていた。

それを知った部長たちはショックを感じるものの、そのうちだんだん電話しなくなった。

組織とはそんなものであるということを知らしめる、これがまさに会社のねらいだった。

研修の中身は多岐に及んだ。

マーケティング・国際経営・人事労務・財務会計・プロジェクト管理・・・

社長はじめ、役員との懇談は何度もあった。自由に質問ができてなかなか良かった。

経営管理講座ばかりでなく、教養講座もいろいろあった。

音楽・詩歌・宗教・歴史・・・

前置きが長くなったが、ここで我が家の百日紅の話になる。

教養講座のひとつに俳句があった。

講師は朝日新聞などの投稿俳句の選者として有名だった俳人の金子兜太さん。

金子先生の話は大好きな講座のひとつだった。講座はたぶん数回だったと思う。

研修を受けた時期は夏。夏模様を入れた句をつくる宿題が出た。

通勤の電車の中で考え、作った句を今でも覚えている。

『百日紅、今年の紅(あか)はいまひとつ』

自分ではよくできたと思ったが、金子先生の評はイマイチだったのを覚えている。

会社はFIMATには相当の金をかけた。FIMATは10数年続いた。

いろんな意味で余裕のある時期であり、かけた金に対しどれだけの効果があったかを

今ほど厳しく問われない時期でもあったのだろう。

久しぶりに咲いた百日紅の花を見て、古き良き時代を思い出した。

2008年8月23日 (土)

久々の葛飾

2週間くらい前、葛飾にあるNPO法人ユニコムかつしかのIさんから突然ケータイに

電話があった。

IさんはシニアITアドバイザー(SITA:サイタ)の仲間。ユニコムかつしかの副代表で

女性のリーダー格として活躍されている。

『長い間葛飾に来てないでしょう。ぜひ様変わりしたユニコムかつしかを見にきて。

相談したいこともあるし』と言われ、何度もお宅にお邪魔しご馳走になったり、色々

お世話になったIさんに言われれば、もちろんノーとは言えない。

『土曜日だったら結城からHさんも講師で来るから土曜日がいい。来たときユニコムの

新しい事務所を見て』

前回お邪魔したのは、2年以上前ユニコムがNPOになったときの発足会だったから

本当に久しぶり。

待ち合わせした京成立石駅に着いたら、懐かしいIさんとHさんが待っていてくださった。

Iさんが『代表のOさんに話したら、Oさんも会いたいということで3人になったの』と。

駅のそばの予約してくださっていたお店に行って4人で食事。

Hさんは週に1~2回、電車を乗り継ぎ、茨城県の結城市から講師で呼ばれて来ている

そうだ。横須賀から葛飾は遠く1時間40分くらいかかるが、結城からは2時間半かかる

とのこと。Hさんのご主人はたまたまボクと同じ会社に勤めていた。

結局、食事はOさんにご馳走になり恐縮した。

そのあと、立石駅から歩いて3分くらいのところにあるユニコムの事務所へ。

ふたりの方が受講中だった。講師もふたり。

これだと初心者であってもじっくり教えてもらえる。

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ユニコムかつしかの最近の状況をみなさんが話してくださった。

すばらしい組織になっていることがよくわかった。

以前から思っていたことだが、人格者である代表のOさんだからこそ、ここまで

まとまりのある、すばらしい組織になったのだとあらためて感じた。

かつてボクも複数のNPOにさまざまな形で関わったことがある。

立ち上げに関わったこともあるし、運営にも携わった。

その経験を通して、NPOの成否を決めるキィは代表の人となりであると言い切っても

過言でないと痛感している。

Oさんを中心とした会員皆さんの地道な努力がさまざまな形で実を結んでいる。

葛飾区からの信頼、結果事業の受託、62名のメンバーの結束、他団体との連携・・・

最も驚いたのは現在の事務所を持つにあたり、必要な費用を組織でまかなえず、

会員に借入金(無利子)の拠出を求めたら260万円集まったとのこと。

今年度の事業収入が1500万円と聞き、これにもびっくりした。

また区の支援を受けて1年くらい前にスタートした地域SNS(ミクシィのような)の

”かちねっと広場”のメンバーが今や550人になり毎日活発な交流が行われている

ことにも感激した。

高齢者に加えて障害者にもパソコン指導を行っており、広い層の人たちから地元の

頼もしい組織として、ユニコムかつしかは認められている。

ボクにひとつ宿題が出た。

ユニコムかつしかにはサイタ1級有資格者が10数人いる。ユニコムがサイタの

対策講座・試験実施認定会場になれるよう富士通に働きかけて欲しいと依頼を受けた。

富士通に相談することを約束した。

1時から6時過ぎまで、有意義な楽しい時間を過ごした。

別れ際、Iさんから『遠いのはわかっているけど、連絡するからまた来てね』と何度も

念を押された。

2008年8月22日 (金)

フラグショップ店オープン

昨夜のソフトボールの決勝戦は興奮しどおしで、手に汗握る思いで観た。

7時半の試合開始から2時間ちょっと、何度もあったピンチをしのいだ末の勝利。

言いたい、『心からの感動をありがとうsign03』と。

多くの人たちが思っているはず。今回のオリンピックのヒーローは北島、ヒロインは

上野。

こういう感動を味わったら、プロ選手を並べた野球には興味が失せてきた。

その野球、今日もまた韓国のリベンジはならなかった。

こんなていたらくなプロ野球には、ファンはますますそっぽを向くこと間違いなし。

不祥事続きの国技の相撲、弱体プロ野球、国民の娯楽がどんどんすたれていくことが

寂しく、悲しい。

さて、フランチャイズパソコン教室キュリオステーションの石川社長からフラグショップ

オープン記念パーティーの招待を受け水曜日の夜、下北沢の新装店舗にお邪魔した。

石川社長と知り合ったのはちょうど5年前、まだ現役のころだった。

『全国に地域のデジタルステーションをつくりたい。スタートはパソコン教室からだが、

時代が変われば、人が望むものも変わっていく。時代の要請に合わせ、カセットを

入れ替え、いつの時代にも地域のデジタルステーションになれるようなものをつくって

いきたい』

この石川さんの想いに共感し話を聞いてすぐ横須賀にキュリオステーションを開くことを

決めた。04年1月だった。

その地域デジタルステーションの1号店    Curio1

であるフラグショップが下北沢に

オープンした。

キャラクターのデザインはハワイに

馴染みの深い石川さんの知り合いが

担当。

カウンターテーブルの上部には

数年前から石川さんに話を聞いていた          

サービスメニューが書かれていた。Curio2

パソコン教室はもちろんのこと、

大版・本格印刷はじめ各種印刷、           

デジタル用品の買い取り・販売、

パソコントラブルの出張レスキュー、

ホームページ作成請負、私書箱サービス。           Curio3

今まで下北沢の本部にあったパソコン

教室は一番奥に設けられていた。           

私書箱サービスはユニークで、

お客さまに何度も立ち寄ってもらうため

にも有効なサービスになることだろう。

表のガラス面に映し出されていた画面が変わる映像に興味を引かれた。

以前何度か石川さんに話を聞いたことのある映像システムだろうと思い、尋ねたら

やはりそうだった。

キュリオの宣伝だけでなく、近くのお店のPRビデオも請負って制作するそうである。

希望するお客さまには機材の販売もするとのこと。

プロジェクターはUSB経由でパソコンに接続されているそうで、これもまさにデジタル

ステーションビジネスである。

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店舗は外観が目立ち、興味を持って立ち寄る人が多いとのこと。とは言え、とにかく

存在をアピールし、地元の人たちに認知してもらうことが、これからの最大の課題。

既に近隣にポスティングチラシを相当数まき、これからは新聞にチラシを折り込み、

同時に近くのさまざまなお店にPRの営業をかけていくそうだ。

既に全国にほぼ100店舗展開しているキュリオステーションに加えて、政令指定都市

中心に、このフラグショップを開設していくとのこと。

店舗を見せてもらい、顔なじみの店長から

じっくり話を聞いたころ石川社長がちょうど  Rimg0609 

店舗に来られ、一緒にオープン記念

パーティー会場に行った。

キュリオステーションのオーナーや

名前しか知らなかったミクシィ仲間の

人たちに会え、懇親を深めた。

2008年8月20日 (水)

またまた加勢を頼まれ

数週間前、娘から連絡があり、『パパの会社の先輩のYさんのお店のプレオープンが

決まり、ふたりで招待されたんだけど、ミサキたちの面倒をみるために来てくれない』。

Yさんの話は何度も聞いたことがある。

『定年退職したら、長い間の念願だった和食のお店を夫婦で出したい。店のしつらえ、

内装、料理、もてなし、すべて自分流にやりたい』と、言われていると聞いていた。

10月の正式オープンに先立ち、親しい人たちを呼んで土曜日6時からプレオープンの

お披露目会をやるということで、娘夫婦は招待された。

当日ダンナはニューヨーク出張で帰宅が夕方5時半の予定。

先にひとりで行く娘を東戸塚駅まで車で送った。帰ったらすぐダンナが帰宅。

娘がいろいろ悩んだ結果用意したお祝いを持って出かけるダンナをもう一度東戸塚

まで送った。

『ママに会いたい』と何度も泣きべそをかいていた姉孫のミサキは9時ころ寝た。

ふたりが帰ってきたのは12時前。

半年ぶりにパパとふたりで出かけ、お酒を飲んできた娘は最高に楽しかったようだ。

その日のことは娘がブログに書いている。

娘宅には金曜日と土曜日2泊した。             Rimg0577

最近、ミサキは会うたびに毎回つくった

”作品”をボクとカミサンにくれる。

ひらかなだけは大体読めるように

なったようである。”はれ”はすぐ

わかったが、上の方は文章を書いた

つもりであろうが、何だかわからない。

土曜日も暑かった。

娘がミサキの水浴び用にベランダに妹孫ユナの沐浴桶を置いて、ミサキは長い間

水遊びしていた。

そのうちミサキは幼稚園のお友だちのことを思い出し、幼稚園の雰囲気にひたりたく

なったらしく、『お弁当つくって』とママに頼み、ベランダで食べていた。

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お昼を食べたあとはカキ氷。

ミサキがかいてくれたイチゴ味のカキ氷をありがたくいただいた。

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あとはみんなでまったり。

右はユナの記念写真を撮ったとき写真館がサービスでつくってくれたカード。

ふたりのファンクラブメンバーのひとりとしてもらった。

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2008年8月19日 (火)

夏の洗たく 助けます

朝のNHKテレビニュースの中に「まちかど情報室」というコーナーがあり時々観ている。

先日、『夏の洗たく 助けます』というタイトルで、ユニークな商品を紹介していた。

定年後、数回に1回はボクが洗たくし、干しているので、いずれの商品も興味があった。

 ※ 雨が降りはじめたことを知らせてくれる 『雨降りセンサー

   水滴センサーのついた送信機を物干し竿につけておけば、雨を感知し、部屋に

   置いた受信機からアラーム音が鳴るというすぐれもの。(3,791円)

   ただ、テレビ放映の影響で注文が殺到し、次回入荷が10月~11月になる見通し

   とのこと。

 ※ ワンタッチで着脱できるハンガー 『フレキシハンガー』  

   ワンタッチで瞬間的に取り外しができ、装着も簡単。従来のハンガーのように

   洋服の襟元が伸びてしまうことなく、朝の忙しいときもワンタッチで簡単に外せ、

   洗濯物の取りこみも素早く簡単にできる。(1,995円)

   この商品を取り扱う大作商事という会社は、主に海外の面白い商品をいろいろ

   扱っている。

 ※ 洗濯機でも帽子が丸ごと洗えるネット 『キャップ専用洗濯ネット

   洗濯機に入れるだけで変形することなく洗え、いつも清潔なキャップをかぶる

   ことができる。

   この暑い中、週2回テニスに行って、帰ったあと毎回洗濯機にキャップを放り

   込んでいるボクにはぴったりだが、ちょっと高い。(2,415円)

2008年8月17日 (日)

NPO定例会

町田市を中心に活動するシニアITアドバイザー(SITA:サイタ)のグループ、アクティブ

SITAの定例会に参加した。

アクティブSITAの会員は34名、  Rimg0497

お盆のためか当日参加者は22名。

今回は初めて定例会担当幹事だった。

最初の議題は各種報告。

7月度経理報告。毎月の経理報告が

行われるNPOは珍しい。

主たる取引先である町田商工会議所と

締結予定の業務委託契約、各種支払経費の内部規定の見直しなどの説明があった

あと、毎月定例会後行われている勉強会のテーマを9月より「ウェブ技術」シリーズと

することの提案があった。

そのあと、3つのワーキンググループ「地域協働WG」、「ホームページWG」、「技術

サポートWG」より最近の活動が紹介された。

毎年秋恒例の親睦旅行の準備状況について、担当幹事より報告があった。

最後は毎回行われている勉強会。

アクティブSITAの勉強会・研修会は会員が講師となり、03年1月からほぼ毎月

行われいる。すごいことである。

8月のテーマは、「これからの情報化社会~ネットワーク構築の必要性~」

講師は大学の先生である会員のSさん。

さすが大学の先生、わかりやすい話であった。

いまさらながら驚いたのは、教育現場でのコピー&ペースト学生の話。

提出するレポートに他からそのまま引用してきたコピー&ペーストが濫用されていると

聞き、もっと社会問題として取り上げるべきだと感じた。

大学でそうであるから、専門学校、高校はおろか、ひょっとしたら小学生まで似たことを

やっているのでないかと思った。

考える力、創造力はもちろんのこと、日本語能力、表現力、自分の意見を主張する力・・

次代を背負う若者のあらゆる能力が育成されず、これではとてもグローバルな競争は

戦えないと危惧する。

定例会終了後、暑気払いの懇親会を行い、こちらも大いに盛り上がった。

2008年8月15日 (金)

孫の夏休み(2)

姉孫のミサキは幼稚園の夏休みをしっかり楽しんでいる。

ママ友の家族たちとの旅行、プール、花火・・・

13日の夕方から、お盆で娘がミサキと妹孫のユナを連れて横須賀へ来た。

3ヶ月半になったユナは一層表情が豊かになり、あやすと声を出して笑いはじめた。

特に、ゲゲゲの鬼太郎に反応がいい。

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夜はみんなで迎え火を焚いた。

迎え火を焚きながら夜空の星を見ていると、息子が帰ってくるような気がする。

息子の追悼文集を読んでいただいたSさんより、お盆の前日にすばらしいお花が

届き、恐縮した。

翌朝は、ユナをカミサンに預けて、ミサキが来る前から楽しみにしていた近所の市営

プールに娘と3人で泳ぎに行った。

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このプールに来るのは何年ぶりだろう。

ミサキはだいぶ水を怖がらなくなっていた。

先月から通いはじめたスイミングスクールではまだ一番初歩のカエルさんクラス。

顔を水に3秒つけられ、ザブンと水に入れるようになったらカニさんクラスに上がれる

そうだ。        Rimg0548_2 

結局プールには3時間いた。

3人とも疲れて、炎天下の道の

日陰を通りながら歩いて帰ってきた。

帰ったらすぐ、頼んでいたお坊さんの

Hさんが予定より1時間近く早く

来られた。

Hさんには息子がいなくなったあとずっとお世話になっている。

ミサキはお経を聞くのははじめて。神妙に座っていた。

前夜の迎え火、お経、ミサキはもちろんまだ死は理解できないが、ぼんやりではあるが

何かを感じたようである。

お経が終わったあと毎年Hさんといろんな話をした。

昨日は初めてHさんが役人か医者になりたくて東大法学部と信州大学医学部を受験

したが失敗し、いろいろ事情があって仏教関係の大学と大学院に行ったこと、仏門に

入ったあと経験した100日間の荒行がいかに厳しいものであったかなど、初めて聞く

話がいろいろあった。

この夜は初めてミサキが『ジイジと一緒にお風呂に入る』と言い、感激!

2008年8月12日 (火)

鎌倉案内(2)

ブライアン夫婦を鎌倉に案内する話をカミサンにしたら、珍しく『私も一緒に行こうかな』

と言い、『それは奥さん喜ぶよ』ということで、カミサンも一緒に行くことになった。

カミサンとは12時半に鎌倉駅で合流することにした。

ガイルに会った時このことを話したら、予想通り喜んだ。

浅草から鎌倉に行く電車の中で3人でいろいろ話した。

ブライアンはボクより1歳下、ガイルはカミサンと同じ歳。

ガイルもオーストラリア統計局に勤めていたが、現在はリタイアしている。

ふたりはキャンベラに住んでいるが、ブライアンがイギリス統計局に請われて、

チーフコンサルタントを務めているため、現在はイギリスにも居を構えている。

今回は3年半イギリスにいて、オーストラリアに帰国の途中日本に立ち寄った。

ブライアンはボクが初めて会った25年くらい前からベトナム統計局の指導もやって

いて、今でも頼まれてハノイに指導に行っているとのこと。

イギリスに滞在中ブライアンが仕事をしている間、ガイルはパリにいる友だちと一緒に

フランスほかヨーロッパをあちこち旅行しているそうだ。

富士通が1980年に納めた大型コンピューターは一昨年まで26年間使われたそうで

今は大型機でやっていた処理は分散され、部門毎にサーバーとパソコンで処理して

いるとのこと。26年間の長きにわたって使っていただいたと聞き、大変感激した。

オーストラリアには3人の息子たちとふたりの女の子の孫がいて、ひとりは3歳、もう

ひとりは1歳ということで、我が家と同じような感じである。

鎌倉駅でカミサンと合流し、4人で鶴岡八幡宮に向かって歩いた。

若宮大路の中央の段蔓の由来をカミサンが一生懸命説明して何とか伝わったよう

だった。由来はボクも初めて知った。

お昼はカミサンが15年くらい前に行ったことがあるという、とうふ懐石の「ひさご亭

という店を予約していた。

夏のためかお客が少なかったようで、庭の見える大きな部屋でゆっくりくつろいだ。

ここでも好奇心旺盛なガイルから『これなに?これなに?』の質問攻め。

入口にあった狸の置物、店の名前のひさご(ヒョウタン)からはじまり、出された料理・・

どれも英語の言葉がわからない。

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途中ブライアンは横になったり、ガイルは座っていて立てなくなったり、4人それぞれ

気兼ねなくくつろいだ。

結局2時間以上いた。

『大仏を見に行く元気ある?』と聞いたら、ふたりとも『ある、ある』。

鎌倉駅まで歩く途中、もう一度鶴岡八幡宮の中を通った。

やぶさめ道で流鏑馬の説明をしたが、これは伝わったようだ。

途中、蓮の花が咲いている源氏池を通った。これもカミサンから聞いて初めて知った。

左の白い蓮の花は源氏、右の赤い蓮は平家。

鶴岡八幡宮は源頼朝が開いた神社なので、当然源氏の系統で、池も白い蓮池の方が

大きいそうだ。

Rimg0475 Rimg0478 

この由来をブライアンに話したら、ブライアンはイギリスにも同じ話があると、バラ戦争

の話をしてくれた。バラ戦争は赤バラを紋章とするランカスター家と白バラのヨーク家

の権力闘争。まさに白の源氏と赤の平家の争いと同じだ。

鶴岡八幡宮を出たあとは、鎌倉駅まで小町通りを歩いた。

あちこちの店でガイルが引っかかるだろうとブライアンと話していたら、案の定。

ブライアンが何度も『We lost Gail again』と言っていた。

鎌倉駅から江ノ電に乗って長谷駅まで

行き、大仏まで歩いた。            Rimg0493_3 

仕事の話やEUの話をするときの

ブライアンは大変饒舌であった。

浅草でも鎌倉でも街を歩いているときは

淡々としていたブライアンが大仏を見た時

はじめて、『スゴイ(impressive)』と言った。

大仏からはバスで鎌倉駅まで帰った。

そのあと一緒に横浜まで行き、品川で乗り換え浅草に行く電車の乗り方を教え、品川

行きの京浜急行線に乗せたところで別れた。

別れ際、『明日はホテルで自転車を借りて浅草巡りをして、100円ショップに行き、

台所用品を買いにカッパ橋にも行く』と言っていた。

Wさんが初日都内を案内し、翌日鎌倉、最後の3日目自転車で近くを回り、きっと

3日間の日本滞在に満足したことだろう。

2008年8月11日 (月)

鎌倉案内(1)

3週間くらい前、昔会社で一緒だったWさんからケータイに電話があった。

Wさんとはずっと海外ビジネスを一緒にやっていて、その後Wさんは4年間くらい

ニフティの社長を務めた。

電話の趣旨はオーストラリアで当時会社(富士通)の重要顧客であったオーストラリア

統計局でお世話になった方が夫婦で日本に来るので、一日付き合って欲しいという

ことだった。

オーストラリア統計局は、IBMと一騎打ちの激戦の末IBMを破り、富士通がオースト

ラリアで大型コンピュータビジネスに弾みをつけるきっかけとなったシンボリックで

重要なお客さまであった。

統計局にコンピューターを導入したのは1980年だから、もう28年も前のことだ。

来日したブライアンは富士通シンパで、統計業務ならびにコンピューターに精通した

技術屋さんだった。

Wさんから電話で話を聞いて『お世話になったブライアンです。もちろん付き合います』

と即答した。

土曜日夜泊まっていた浅草のホテル雷門に電話した。25年ぶりに聞くブライアンの声。

『明日朝10時にそちらに迎えに行って鎌倉を案内する』と伝えた。

昨日日曜日、10時にホテルに着くとブライアンはロビーで待っていた。

いやー、懐かしい! 風貌、体型、雰囲気、しゃべり方、まったく変わっていない。

日本が初めての奥さんは好奇心旺盛な人で旅館に泊まりたかったそうだが見つからず

ネットでホテル雷門を見つけた、とブライアンが電話で話していた。

まさに雷門のそば。

『興味があるので部屋を見せて』と言うと、『いいよ、どうぞ』

そこへ奥さんのガイルが来た。

ふとん2枚敷くとあまりスペースが残らないくらいの大きさの畳の部屋だった。

まさに日本が体感できる浅草。窓から雷門が見え、ガイルの希望に叶ったホテルの

ようであった。

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鎌倉に行く前、浅草をブラブラした。

ガイルは好奇心が大変旺盛。Rimg0474 

見るものすべてに興味を示す。

仲見世通りで売っている

人形焼き・センベイ、着物・浴衣・・・

近くに100円ショップの店があると

話したら、明日ぜひ行くと言っていた。

それにしても浅草は外人が驚くくらい多い。

欧米人だけでなく、アジアの人たちのしゃべる色々な言葉が耳に入った。

続きは鎌倉案内(2)で。

2008年8月 9日 (土)

突然呼び出されて

昨日朝、娘より電話があり『インターコンチのビュッフェに行くんだけど、パパが一緒に

行かないかと言ってて、暑い中だけど、みなとみらいに出てこない?』

即、『行く!』と返事。

1時、インターコンチネンタルホテルのロビーで待ち合わせ。暑い日の待ち合わせは

涼しいホテルのロビーは最高。

我々を見つけると、姉孫のミサキが大きな声で呼んだ。

会うとすぐ端切れを破いた1枚のRimg0470_2

紙をくれて、何を書いたのかを   

説明してくれた。

『これが子供のすべり台。これは

大人のすべり台。ここはパパが

お魚釣っているとこ。これは道』

そうかこれは地図なんだ!

へー、人の顔以外にこんなものが描けるようになったんだ。

家に帰ったあと言ったカミサンの意見は『この間家族みんなで観に行った”崖の上の

ポニョ”の影響じゃないの』。 

ボクもそんな気がする。  Rimg0444

出る前、娘が電話で『ミサキは

ちょっとオメカシして行くよ』と

言っていた。最近我を通そうと

することが多くなって、着ていく

服やアクセサリーはすべて

自分で選び、娘の言うことは

聞かないそうだ。そのため我を通すミサキとよくバトルになっているようだ。

食事をはじめて、娘が料理を取りに行ったところで、ダンナが話してくれた。

『夏休みになりミサキがずっと家にいて、それに(妹孫の)ユナの面倒をみているので、

イライラしてミサキとぶつかっているみたい。昨日もボクが仕事に行っている間、

バトルをやったみたい。それで今朝ビュッフェへ行こうと言ったらバッチリ乗ってきて、

大成功ということだったんですよ』。なるほど。それで突然の呼び出しだったのだ。

3週間ぶりに会うユナはほぼ      Rimg0446

首がすわり、一層反応するように

なってきていた。

生まれてちょうど4ヶ月半。

さすがインターコンチのビュッフェ。

料理は豊富で味のいいものが

多かった。ベイブリッジはじめ

海の眺めもすばらしく、ロケーションも抜群だった。

Rimg0456 Rimg0458

Rimg0461 Rimg0460

ただ、定年後何度も何度も食べているビュッフェはちょっと飽きてきたという感じ。

最初に食べたビュッフェ、横浜駅ビル下の「柿安」には感激したが。

食事が終わったあとパシフィコ内を

ぶらぶら。                    Rimg0463

ミサキがディズニーショップを見つけ

入って出てこない。

20分以上外で待たされた。

ねばってとうとうパパからハンディレジを

せしめた。我が家に遊びに来た時よく

レストランごっこに付き合わされる。

ぴったりのオモチャだ。 ビルの外のテラスでしばらく得意げに遊んでいた。

ミサキが『また遊びに行くからネ』。彼らは車、我々は電車で帰った。

そうだ、来週のお盆にはまた娘たちが横須賀に来るんだ。

2008年8月 8日 (金)

ますます暑くなり

横須賀でも一日中、蝉が庭でうるさく鳴いている。今の時期は大半がアブラ蝉。

息子がよく彼女を家に連れてきていた。夏のこの時期、一度ふたりが『今年もチェリー

(当時飼っていた犬)のカルシウムの補給時期がやってきた』と言ったのを、妙によく

覚えている。チェリーは庭でよく飛んでいる蝉に飛びつきパクリとやっていた。

あまりに暑かったので、近くの海に泳ぎに行った。

我が家の裏の海では泳げないが、バイクで10分圏内に海水浴場が4か所ある。

そのうちのひとつ、5分くらいのところにある走水海岸に、暑い日は毎年何度も

泳ぎに行く。

ここは200メートル足らずの小さい浜であまり知られてなく、人はほとんどいなく、

眺めがいい遠浅の浜で、この近くでは一番好きな場所である。

左の写真の先には房総半島が見え、右の写真の正面は東京。

Rimg0381 Rimg0383

左の写真中央にある岩場の向こうで、シュノーケルをつけて泳ぐ。

潜るといろんな魚がいる。

最も多いのはベラ。縞模様のきれいなベラがたくさんいる。

ただ、ベラは味がよくないためか魚屋で見かけることはほとんどない。

そのほかタナゴ、ときどきカサゴ、キス、フグ、カニ。

水がきれいなので、水深2メートル近くは見える。

疲れたら岩場で休みながら、1時間足らず泳いだ。

泳いで帰ったあとはシャワーを浴びて昼寝。

まさに”定年バンザイ”を実感する至福のときである。

2008年8月 6日 (水)

広島平和記念式典

今年も広島平和記念式典の中継を観た。定年後、欠かさず観ている。

8時15分、テレビの前で黙祷した。

今年も秋葉市長のメッセージには何度もジーンときた。

『核兵器は廃絶されることにだけ意義がある』 まったくその通りである。

保有するが使用しないなど、まやかしの言い訳を糾弾すべきは唯一の被爆国である

日本に課せられた大切な責務である。

小学6年生の男女による「平和への誓い」メッセージも胸に染み入った。

広島原爆により尊い命を亡くされた方は25万8千人。

加えて、この先10年間、ガンほか原爆が原因で亡くなられると考えられる被爆者の

数はピークに達すると予想されているとのこと。

また、被爆者の平均年齢は75歳を越えたそうだ。

今朝の式典には55の国の人たちが参加した。

広島市は核保有国と核実験を行なった国に式典への参加を呼びかけ続けている。

今年初めて、核保有国である中国が参加した。

極めて残念なのは、当事者である米国が一度も参加していないことである。

ブッシュ政権は核軍縮に冷ややかであるが、次期大統領候補のオバマ氏は

『核のない世界というビジョンを実現するために力を尽くすのは米国の責務である』と

語ったと聞く。

テレビを観ていて気になったのは、式典で秋葉市長ほかのメッセージを同時に英語で

聞くことができる機器の貸し出しがなされていないようであることだった。

領土・宗教・国益・・・、戦争の種は尽きず、また争うことは人間の本性なのであろう。

百歩譲って、そうであることは認めたとしても、未来永劫、核兵器だけには絶対に

手をつけないことを核保有国に誓って欲しい、もちろん最善は核廃絶、と願うのは

所詮は無理なのであろうかと、式典の中継を観ながら思った。

2008年8月 5日 (火)

平均寿命

先週の新聞で、男女とも平均寿命が前年を上回り、過去最高になったとのニュースが

報じられていた。

  ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~~  

日本人の07年の平均寿命は男性が79.19歳、女性が85.99歳で、前年を

それぞれ0.19歳、0.18歳上回り、過去最高となった。

がん、心疾患、脳血管疾患の3大疾患による死亡率の低下が最も大きく寄与した。

厚生労働省が31日発表した「簡易生命表」で分かった。

厚労省が把握している海外の最新データによると、女性は23年連続世界で最も

長寿で、香港85.4歳、フランス84.1歳と続く。男性はアイスランド79.4歳、香港

79.3歳に続いて3位。

日本人が3大疾患で死亡する確率は07年時点で、男性55.57%、女性53.02%。

前年よりそれぞれ0.43ポイント、0.55ポイント下がった。

3大疾患が克服された場合、平均寿命は男性が87.44歳、女性が93.11歳まで

延びるという。

  ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~   ~~~~~~~

そもそも平均寿命とは「0歳児(今年誕生した子)の平均余命(何歳まで生きられるか)」

のこと。

さまざまなリスクを超え、ある年齢ボーダー(何歳かは?)に達した人間は平均寿命を

超えて生きられる可能性が高いと言われている。

ということは、ボクの場合もガンにさえつかまらなければ、まだ20年は大丈夫かな。。。

「昔と比べ、今は年齢の7掛け」と、よく言う。

たしかに付き合う仲間(NPO、テニス、大学・・・)、男も女もホントにみんな元気。

定年退職後3ヶ月に1度受けている定期検診で、血糖値の高さはずっと言われて

いるが、心疾患、脳血管疾患に関わる兆候・おそれは一度も指摘されたことがない。

ただ、定期検診は血液・尿検査だけのため、年に1度は夫婦で人間ドックを受診

しなければと思っているものの受けていない。

元いた会社の健保組合から年に一度、半日人間ドックの案内が届く。

費用は健保組合が補助してくれて、本人は無料、配偶者は3千円。

定年後、案内が送られてきたのは今年が3回目。

受診できる病院は横須賀にはないが横浜の娘の家の近くにはあるので、今度娘宅に

行ったとき、今年こそは受診しようとカミサンと話している。

以前ブログに書いた主治医になってもらえるクリニックも近所にできた。

「会社の定期検診でガンが見つかってラッキーだった」という話はこれまで何度も

聞いたことがある。

孫たちの成長を見続けられるためにも、長く元気でいられるよう少々意識しなければと

思いながら新聞記事を読んだ。

2008年8月 3日 (日)

花火大会

持って行った食料がなくなり、金曜日夕方横須賀に帰ってきた。

自分で食事をつくらなくても、カミサンのつくってくれたものが食べられるシアワセを

あらためて感じている。

昨夜は横須賀の花火大会だった。

我が家は2階のダイニングから見えるが、毎年裏の遊歩道に出て見ている。

昨日は珍しくカミサンが打ち上げ場所近くの三笠公園まで歩いて行って花火を見て、

帰りにどこかで食事しようと言いだし、ふたりともその気になった。

だが、我が家はいつもモタモタ。結局時間がなくなり家で食事し、裏に出たらちょうど

7時半。一発目が打ち上がったところだった。

これじゃとても打ち上げ場所までは行けないということで、近くの釣り船の漁港まで

行くことにした。

そのあともう少々歩いて打ち上げ場所が正面に見える場所に移動した。

途中デジカメで何枚か撮ったが、あとで見るとみんな手ぶれ。

とても載せるに値する写真じゃない。言い訳がましいが、花火の写真はホントに難しい。

Rimg0398 Rimg0422 

右の打ち上げ場所正面では、花火が下からスルスルと上がった時点から空に打ち

上がり、そのあとドーンと音が聞こえるまで大体7秒。音は秒速約340メートルだから、

打ち上げ場所までは距離にして2キロ半くらい。車で行くと6キロくらいだから直線距離

にするとそんなものだろうと思った。

そのほか、花火を見ていつも思うことは、花火一発上げるのに大体平均いくらかかる

のだろうか。

昨夜は1万発ということだから、大小それに複雑性を平均して、仮に一発5千円として

5千万円。いやもっと高いかも。

うたかたのような瞬間を楽しむ花火、夏だけで全国で大変な数の花火大会、下世話な

ことではあるが、大変な金である。

ほかに思ったのは、どの方角から見ても花火は同じに見えるのだろうか。

昨夜も普通の花火以外にハート形やアンパンマンの花火が上がった。90度違う角度で

見たらアンパンマンの花火はどう見えるのだろう?上から見たらどうなんだろう?

締めの仕掛け花火で40分の花火大会は終わった。

ブラブラ歩いて帰って、テレビのドラマを観た。

緒形 拳主演のNHKの「帽子」という1時間半のドラマ。

テレビのドラマを観ることはほとんどないが、新聞の評を見て面白そうだったので観た。

予想に違わず良かった。さすが緒形 拳。

2008年8月 1日 (金)

英検

今回もひとりで熱海に来た。このところずっとひとりで電車で来ており、カミサンはここ

しばらく来ていない。

横須賀と熱海で”別居”しながら、お互い好きなことをやっている。

暑い中買い物に行くのがイヤで今回は食材を買いこんできたので、しばらく籠城できる。

ベランダの前庭で鳴く蝉の声、それを聞きながらハダカでブログを書く。まさに盛夏 yacht

話は飛ぶが、10月に英検(実用英語技能検定)を受験することを決めた。

そのため今回は勉強しようと思い、昔買った対策テキストを持ってきた。

受験を決めたきっかけは、親戚の中学2年生の女の子が3級受験の勉強をはじめた

と聞いことであった。

実は英検はこれまで3度チャレンジしたことがあるが、3回とも落ちた。

30歳後半~40歳はじめに1級を2度受け、45歳ころ新設された準1級を受け、3回

とも1次試験であえなく敗退した。以来忘れていた英検だった。

ただ、英検を落ちたあとTOEIC試験を2度受けたことがある。

1度目は57歳のころ、当時会社が費用を負担し、全社員にTOEICを受験させた。

2度目は定年退職の直前、退職したらもう受ける機会はないだろうと思い再度会社で

受験した。

TOEICの結果は英検と違い悪くなかった。1度目はたしか830点で、2度目は780点

くらいだった。近くの部署には、満点の990点をとったすごいヤツがいた。

TOEICは英検以上に集中力と体力勝負。退職直前に受けたときは完全に体力負けを

感じた。同時に、当時仕事で英語を使う機会が全くなくなっていたことも大きかった。

秋の英検1次試験は10月19日。準1級に再挑戦しようと思っている。

今度こそ少なくとも1次試験はクリアしたい。

願書は既に書店でもらってきた。書店での願書受け付け締切は9月22日。

試験まで、まだ2か月半ある。

対策テキストもあるし、過去5年間くらいの英語のセンター試験問題と回答が掲載

された新聞もいつかやろうと思い残してある。

時間だけは十分にある身だから、ガンバってみるかという気にだんだんなってきた。

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