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2007年12月

2007年12月31日 (月)

年の暮れの熱海

以前から一度行きたかった熱海で唯一の国の重要文化財 旧 日向別邸を

観に行ってきた。

熱海駅の近くで、我が家から歩いて30分足らず。

駅は年末の観光客で混雑していた。

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右の正月の飾り付けには『復活! 熱海元気ですよ!』と書いてあった。

たしかに数年前に比べ熱海は活気が戻ってきた感じがする。

一昨日の熱海新聞に『31日、1日、4日の宿泊予約は100%。他の日も

95%以上の予約率』と書かれていた。

とってもいいことだ、うれしい!

また今朝の熱海新聞トップにも、『熱海温泉、注目度全国3位』とのうれしい

記事が載っていた。

魅力的な国際競争力のある観光地づくりに取り組む国土交通省は、

「地域いきいき観光まちづくり」プロジェクトを推進中で、全国の100地域を

対象地域に選定したとのこと。

100地域は英語・韓国語・中国語でウエッブサイトを立ち上げている。

記事には100地域の中で熱海のアクセス数が3位になったと書かれている。

齋藤市長の頑張りが徐々に奏功してきているのは間違いない。

齋藤市長に代わってから駅構内に設けられた観光案内所コンセルジェも

混雑していた。それに駅前の足湯も人がいっぱい。

熱海復活の兆しを大いに感じた。

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駅から旧 日向別邸までは歩いて10分足らず。

急な坂道を上がり、正面に相模湾が大きく広がるすばらしい場所。

左に見えるのは初島、右は伊豆大島。

こんなにくっきり大島が見えるのは初めて。

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アジア貿易で財を成した日向利兵衛が70年前に建てた別邸。

敷地は海に面した急傾斜地で、土留めのかわりに鉄筋コンクリートで

地下室を造って屋上を庭園にした。上の右の写真の手前に見えるのは

その庭園。

日向利兵衛はその地下室を利用して離れを造りたく、当時世界的に活躍

していたドイツ人建築家ブルーノ・タウトにその設計を全面的に任せた。

当別邸は、数年間日本に滞在したタウトが日本に遺した唯一現存する建物。

タウトの感性がとらえた日本的なものと洋を独自の手法で表現したすばらしい

建築物。詳しくはこちらを。

今年もブログにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

どうぞ皆さま良いお年をお迎えください。

2007年12月30日 (日)

横須賀→横浜→熱海

娘から、『一晩泊まりで来てミサキの面倒みて欲しい』と頼まれ、カミサンと

横浜へ。

娘は毎週金曜日午前中、ミサキがプレ幼稚園に行っている間、ママ友と

一緒に横浜駅の近くのパン教室に通っている。 

一昨日の金曜日は幼稚園が休園のためミサキの面倒をみて欲しいという

ことになった。

朝一緒に車で横浜駅まで行き娘は教室へ。我々はミサキを連れて高島屋の

おもちゃ売り場へ。

このおもちゃ売り場は広く、遊べるおもちゃが多く、ミサキお気に入りの場所。

ひとりでいろんなおもちゃで遊んでいた。

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高島屋地下でお土産にCLUB HARIEのバームクーヘンを買った。

ここのバームクーヘンは美味しく人気があっていつも行列ができている。

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教室が終わったあと待ち合わせし、娘がママ友とよく行くという店で昼食を

すませ娘宅へ。

教室でつくったパンをおすそ分けしてくれた。

昔から女の子に人気のあるおもちゃ、シルバニアファミリーを高島屋でミサキに

買ってやった。家に帰ったら早速遊んでいた。

ただ、家を買ってやらなかったので家はダンボール箱。

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夕食を食べたあと熱海へ。

熱海へ来るのは40日ぶり。

このところ熱海での年越しが恒例となった。

ニュージーランドの旅(14:クライストチャーチ①)

7日目、朝7時に朝食をすませウイリーにタクシーを呼んでもらいフェリー

”インターアイランダー”の乗り場まで行った。

1000人乗りの大きなフェリーで、南島のピクトンまでは3時間。

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フェリーは定刻の8時半に出発した。

残念ながら天気がさえず肌寒かった。

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11時半、南島北端のピクトン港に

着いた。                  Rimg0390

ピクトンはフェリーだけでなく

鉄道、長距離バス、レンタカーの

南島の基点。

クライストチャーチ行きの鉄道に

乗るため駅まで歩いた。

TranzCoastal列車が出る前に

駅のそばにあったサブウエイで昼食を食べることにした。

サブウエイは日本でも食べたことがあるが中身を自分でチョイスしなければ

ならない。ここでも『パンは何にするか』からはじまって、チーズ・サラダ・

ペパー・・・、『いいよ、適当で』と言いたくなった。出来上がりは右。

日本食が食べたくなった。

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食事が終わり駅へ。窓口で『ネットで予約済みだけど、席の予約を』と

言ったらパソコンで調べてくれて、予約席を紙に書いて渡してくれた。

こんなのでいいのかなと思ったが問題なかった。

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混み具合は7割方。列車は1時に出発。

となりの席はブラジルのサンパウロから   Rimg0401     

旅行に来ていた21歳の若者。

既に9ヶ月NZを旅しているとのこと。

ヒッチハイクしながら気に入った街で

仕事を探し旅を続けているそうだ。

NZが好きになり、英語がもっとうまく

なりたいので、年末に一度サンパウロに

帰って、来年また来ると言っていた。

列車は5時間、海岸沿いと広大な野山を走った。

ただ天気があまりさえず残念だった。

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小腹がすいたので車内の売店でRimg0407

ミートパイとベークドポテトを    

買ってきて食べた。

またゴハンが食べたくなった。

途中列車はカイコウラという

ホエールウオッチで有名な街に

停まった。

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到着予定時間より40分遅れ、19時にクライストチャーチ駅に着いた。

1日上り下り各1本しか走らない列車が何故こんなに遅れるのだろうかと

不思議だった。

駅前からタクシーに乗り、3泊するB&B”Chestnuts On Holly”に行った。

宿ではスーと息子のマーシューが出迎えてくれた。

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2007年12月29日 (土)

ニュージーランドの旅(13:ウエリントン③)

6日目の朝、ウイリーにお勧めの場所を教えてもらいウエリントン観光に

出かけた。

午後レンタカーを返さなければならないので、午前中は車でなければ行けない

ところへ行った。

先ずウイリーお勧めの半島めぐり。一本道だから迷うことはなかった。

とにかく海がきれいだった。途中何度も停まってきれいさに見入った。

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車は早めに返した。オークランドからウエリントンまで6日間、走った距離

1072キロ。

カフェテリアでお昼を食べ、街中にあるケーブルカーの乗り場まで歩く。

ケーブルカーは1902年につくられたそうで、観光客だけでなく、高台の

住宅地に住む市民の足として親しまれている。クラシックな赤い車体が

急坂をゆっくりと進む姿がほほえましい。頂上までは約5分。

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ケーブルカーを降りたところにウエリントン植物園がある。

とにかく広い。ゆっくり見て回るには一日かかりそう。

同心円状に整備されたバラ園がちょうど時期ですばらしかった。

またNZにはたくさんの種類のシダがある。

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ケーブルカーで下まで降りて街をブラブラ歩いた。

国立博物館にも行きたかったが、時間が遅くなり止めた。

途中公園で歌って踊っていたストリートミュージシャンのグループがあまりにも

楽しそうで思わず引き込まれた。

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公園にはきっと孫娘のミサキが喜ぶだろうなぁと思う遊具がいろいろあった。

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空腹を感じはじめ、さあどこで食べようかということでガイドブックを見たら、

『あぶり焼きした肉の香ばしい香りが食欲をそそる』と紹介してあった

中近東のファーストフードのケバブの専門店を見つけ、歩いて行った。

味はまずまず。食べたあとタクシーに乗ってB&Bに帰った。

ウイリーは観に行ったベッカムの試合からまだ帰ってきてなかった。

2007年12月28日 (金)

株式会社設立祝賀パーティ

フランチャイズパソコン教室キュリオステーションはこれまで親会社の

インフォメーションバンクの事業部門のひとつであった。

一層の発展と飛躍を目指し、10月にキュリオステーションは親会社から

独立し株式会社組織となった。

石川社長から株式会社設立記念パーティに招待され参加した。

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参加者はインフォメーションバンクと取引きのある企業と若干のキュリオ

ステーションオーナー、合わせて30名くらいだった。

大半が30~40歳代と思われる人たち。

2003年秋スタートしたキュリオステーションフランチャイズ事業は12月現在

全国で契約店舗数が127店舗となり、『月々3150円習い放題のパソコン

教室』としてこれまでの業界の常識を打ち破り、生徒数は2万人を超えた

石川社長は、新生キュリオステーション事業を若干32歳の松本新社長に

託した。

松本社長は石川社長が事業をスタートしたときの想いである地域に密着した

『デジタルプラザ キュリオステーション』つくりを目指し、最終的には全国に

300店舗開設すると宣言した。

同じテーブルには石川社長の昔からの仲間やボクのような初期にオーナーに

なった者が座った。

たびたび聞く店舗の名前ばかりだが、各店のオーナーに会ったのは初めて。

福祉会社の社長、歯科医、不動産リース会社の経営者など皆さん多彩な

人たちばかり。

サラリーマン時代の飲み会の話題とは一味違う会話が飛び交い面白かった。

石川社長の夢がどんどん形になっていることをあらためて感じた。

株式会社昇格を機に、来年はきっと業容が拡大し、一層飛躍する年になる

ことであろう。

2007年12月27日 (木)

ニュージーランドの旅(15:クライストチャーチ②)

旅の8日目。クライストチャーチでの2日目。

クライストチャーチでは車がないため、街の中心から近そうなB&Bを選んだ。

他の場所で泊まったB&Bと比べ高かったがいろんな面で充実しており、また

造りや調度品もりっぱだった。

ゲスト用のパソコンが用意してあったのは10ヶ所のうちここだけだった。

ここにももちろんゲストが記帳するビジターブックが置いてあった。

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泊まったのは12月2日~4日だったが、室内はクリスマス一色。

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庭もすばらしく、ちょうどシーズンのバラやルピナスが見事だった。

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スーが用意してくれた朝食をいただいた。

スーはダンナのアンドリュー、息子のマーシューと一緒に南アフリカから

3年前にNZへ移住してきて、このB&Bをはじめたとのこと。

我々以外にもう一組ゲストがいた。シカゴから来た夫婦で、一緒にスーから

お勧め観光ルートを聞いた。

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ネットで予約したときは街の中心部から近いという感じであったが、中心部まで

歩いて30分近くかかった。

半分くらい歩いたところにカジノがあった。街を循環する無料のシャトルバスの

停留所があり、ここからシャトルバスに毎日乗ってシティセンターまで行った。

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街の中心には大聖堂がある。大聖堂はCathedral。このキャセドラルの発音が

難しく通じなかった。『え、なに?』という感じで話すたびに聞き返された。

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ここでも先ず行ったのは大聖堂のそばにあったi-SITE。

乗りたかった川下り(パンティング)のチケット、それにトラム(市電)乗り放題と

ゴンドラがセットになった割引チケットを買った。

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長くなるのでクライストチャーチ市内観光は、次のクライストチャーチ③で。

2007年12月26日 (水)

ニュージーランドの旅(12:ウエリントン②)

疲れていたためぐっすり寝て、朝は心地よく目覚めた。

朝食はウイリーがつくってくれたRimg0293

ベーコンエッグ付きの美味しい朝食を

いただいた。      

ウイリーから家族の話をいろいろ

聞いた。ウイリーはボクと同じ歳。

アイルランド生まれでちょうど

40年前にNZに移民してきたとのこと。

12人兄弟の7番目でアイルランドで

家族全員が生活していくのは厳しく、ウイリーが来たあとふたりの兄弟も

NZに移住したとのこと。

ウイリーは移住して以来ずっとウエリントンのオーケストラに所属し生活の

糧を得てきた。奥さんのキャサリンは学校の先生。子どもは1男3女。

泊まったB&Bのオーナーは大体我々夫婦と同じような年齢で、子どもが

独立したため部屋が空き、それに人と話すのが好きというのが大方の

パターンであった。

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女の子のうちふたりは弁護士、ひとりはアイリッシュダンス(リバーダンス)の

有名なダンサー。男の子の話も聞いたが失念した。

弁護士の女の子のひとりは前日夜一緒にサッカーを観に行って翌日カナダ

に発つとのことだった。カナダで約半年スキーボードをやって、来年中ころ

ロンドンに移り弁護士の仕事をはじめるとの。

アイリシュダンスの娘さんは超美人(写真一番前)

世界中を回りながら公演をしているそうでウイリーがポスターと彼女の出た

雑誌を見せてくれた。

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昨日ウイリーからメールが届き、『娘のアイリンがクリスマスに帰ってきて

今年は一層すばらしいクリスマスになった』と書いてあった。

ウイリーは『アイリンはアイリシュダンスはやめてウエリントンに戻り、大学に

行ってマオリ族と地震の勉強をしたいと言っている』と話していた。

たしかにマオリも地震もNZにはとても大切なテーマだ。

40年前に大家族の中から飛び出しNZへ移民したウイリーはキャサリンと

結婚し、すばらしい子どもたちに恵まれ、すばらしい家庭を築いた。

今の家は100年近く前に建てられた家だと言っていた。生活は質素である

ことが見て取れた。

子どもたちはこの先きっと世界のあちこちで新しい家庭を築いていくことで

あろう。ウイリーは子どもたちに、NZから出て行って好きなところに住んで

自分の道を切り拓けと言っていると話していた。

ウイリーの両親は孫が何人いるかわからないと言っていたそうだ。

ましてや孫たちがどこに住んでいるかはわからないだろう。

両親が生んだ12人の子どもたち、それに孫たち、ライアン一族はどんどん

大きく世界中に広がっている。すばらしいことだ。

今回の旅で出会った10家族、どこの家庭も家族の写真を飾り家族のことを

誇らしく話してくれた。

それに比べ最近の日本の家庭はどうなんだろうかと思わざるを得なかった。

食事のあとウイリーにお勧めのウエリントン観光コースを聞いた。

出かける前ウイリーが、『今晩もサッカーの試合を観に行くから遅くなる。

今ちょうどベッカムが来ていて今夜はベッカムの試合を観てくる』と話していた

ニュージーランドの旅(11:ウエリントン①)

5日目はネーピアから北島の一番南にある首都ウエリントンへ。

この日の走行キロ数は最長で、338キロ。

ネーピアを発ったのが10時前。ウエリントンの宿に着いたのは6時。

途中あまり見るところがなく、寄り道したりゆっくり休むことなく走った。

ネーピアを出て20キロくらいの

ところにヘースティングスというとても       Rimg0247

感じのいい街があり、ついつい停まり

i-SITEにも寄った。

オークランドやウエリントンのような

大きな街にはアジア系の観光客が

多くいたが地方の街に行けば、NZは

まさに白人の国という印象であった。

こんな↓感じの道がずっと続いた。

途中今回の旅で唯一小雨に遭った。

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ワイナワという小さな街を通り過ぎようとしたら博物館があり停まった。

NZ開拓時代の生活品がいろいろ展示された博物館だった。

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この日のお昼は昨日夜ネーピアの

チャイニーズレストランで持ち帰りし   Rimg0267_2

夜食べ切れなかった食事を途中

停まった食べた。

道沿いにはこのような休憩所が

数キロ毎にある。

もちろん眺めのいい場所にもある。

走っていて下のふたつもあちこちで

見かけた。

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左は橋を渡る一車線の道。上りか下りどちらかが優先になっていて

非優先側は橋の手前で待つことになる。どうせそんなに車が走るわけ

ではないので、二車線造るより費用が安い一車線にしている。

右は交差点にあるラウンドアバウト。これも経費節減で、交通量が少ない

交差点で信号に代わるもの。これに右側走行車優先ルールが適用される。

この右側優先には最初戸惑った。右方向からも来るし、右折する車が

ラウンドアバウトをぐるりと回り左方向からも来る。慣れれば運用費用ゼロで

大変合理的である。

4時半過ぎにウエリントンの街に着いた。先ずi-SITEに行きたかったが

中心街には入ったもののオークランド同様車が多く地図を見てもよくわから

ない。車を停めてタクシーの運転手に聞いたがウエリントンの街は入り組んで

いて大変わかりにくい。何とか5時前にi-SITEに着いた。

今夜の宿のB&Bの場所を聞いた。これまたかなり複雑。

案の定迷ってしまった。途中7~8人の人に聞いたがわからない。

結局最後にコンビニのような店で聞いて、たぶんあそこだろうと教えられ

6時近くになってやっとたどり着いた。

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日本から送ったメールには5時ころ着くと書いていたため1時間遅れた

ことになる。

家の前でB&Bのオーナーのウイリーが待っていてくれた。

着いてから知ったのだがウイリーはこの夜サッカーの試合を観に行くことに

なっていたため今か今かと表で我々を待っていたのだ。

やっと来てホットしたウイリーは、『サッカーを観に出かけるので必要なこと

だけを話しておく。帰りは10時ころになるだろう』と言い、30分くらい後に

出かけた。

ウイリーはとっても陽気なおじさんでB&Bの   Ricecook_2

オーナーにぴったりの人だった。

我々は疲れて、シャワーを浴びて、持ってきた

1.5合炊きの電気釜(これはゴハン大好きな

ボクのために娘が旅行前に買ってくれた)で

ゴハンを炊いて持ってきた日本食をオカズに

食べた。

ウイリーは奥さんのキャサリンと娘さんと

10時ころ帰ってきた。

2007年12月24日 (月)

いろいろあったクリスマスイブ

今夜はクリスマスイブ。

イブが振り替え休日とはイキなはからい。天皇陛下に感謝。

クリスマスイブだからといって夫婦ふたりだけなので毎年ことさらエキサイト

することはない。

ところが今年はいろいろあった。

昼前アメリカから荷物が届いた。

送り主はブログに何度か書いた元会社でボクのところにいて今はサンディエゴに

住む小林くんから。

四角な箱の中を開けると、奥さんのキャサリンお手製のクッキーの詰め合せが

入っていた。

箱に描かれたテディベアもかわいい。

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きっとキャサリンは毎年クリスマス前にクッキーを焼くのだろう。

それをわざわざ我が家まで送ってくれるとは大感激!

しかもクリスマスイブに届くとは。

早速お礼のメールを送った。『今夜ブログにも書くからね』と書いて。

娘からヘルプを頼まれていて木曜日に娘宅に行くことになっている。

おすそ分けを持って行ってやろう。Xmas_2

娘からは昼前に楽しいメールが

ケータイに届いた。

『ミサキとパパママ合作の粘土

ケーキが出来上がりました~

ミサキだけじゃなく、かなり私も

はまりました。

ステキなクリスマスを!』

たしかによく出来ている。

クリスマスカードも昨日今日オーストラリアから

2枚届いた。

こちらもNZ旅行の写真とミサキの写真を添付してお礼のメールを送った。

NZでお世話になったB&Bにも各お宅で撮らせてもらった写真を添付して

Merry Christmasメールを送った。(※ うち4軒から朝返事が届いていた)

我が家だけではない、隣のケリーの家は今夜はもっともっと楽しいクリスマス

イブ。

ダンナのジョーが4ヶ月ぶりくらいに演習航海から帰ってきた。

ケリーがいつも以上の笑顔でジョーと一緒に『ハーイ!』と声をかけてきた。

彼らにとっては1年で最も大切な1224xmas_006

クリスマス。            

今日はまた近所のSさんの奥さん

から柚子をいただいた。

冬至は2日前だったが、今夜は

柚子湯が楽しめそうだ。

2007年12月23日 (日)

ニュージーランドの旅(10:ネーピア②)

ロバーツの店の名前は”アール・デコ・ショップ”。

あとからガイドブックを見たら紹介されていた。

アール・デコ(Art Deco)は1920~30年代にフランスを中心に発展した

デザインスタイル。

1931年、ネーピアの街は大地震で完全に崩壊し、大地震後、当時流行して

いたアール・デコ様式を取り入れ建物を建て直し、街の復興をはかった。

ロバーツはアール・デコ・ショップ(写真左)のオーナーである。

ショップをはじめる前は、ネーピアにある博物館の館長を10年間やっていた

そうである。

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アール・デコ・トラストの目指すところは、アール・デコ様式を取り入れた建物の

保全維持であり、ショップの収益はその一助として使われると書かれていた。

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店を閉めたロバーツの車のあとについてロバーツの自宅のB&Bへ行った。

すばらしい場所にある花いっぱいの家だった。

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2階の部屋から見える景色はすばらしく、カミサンはしばらくベッドに寝転んで

眺めていた。

手前に見える鮮やかな黄緑色の葉っぱの木はいたるところで見た。

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ロバーツからアール・デコの話をいろいろ聞いた。

家の中にも アール・デコ様式でつくられたものが色々あった(カップと鏡)。

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右のカップを見せてくれた。

Made in Nipponと書かれていた。     Rimg0204

1900年台初めのものだそうだ。

ロバーツは奥さんを4年前に

亡くしたとのこと。

奥さんのヘレンの話が何度も出た、

B&Bをはじめたのもヘレンだそうだ。

ロバーツは会食に出かけるということで

我々もアール・デコの建物を見るため出かけた。

街の中心の通りにはアール・デコ調の建物がたくさんあった。約70あるそうだ。

普通は説明を聞きながら半日かけて歩くのを1時間足らずで見て回った。

商店・劇場・新聞社・保険会社・・・

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小さな街で、500メートルくらい歩くと海岸に出た。

ここにもi-SITEがあった。右の建物は街のシンボルのようである。

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海岸には誰もいない。

たしか夜8時過ぎていたと思う。この時期、9時過ぎても明るかった。

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食事をどうしようと言いながらしばらく店を探したが、結局チャイニーズ

レストランの持ち帰りにした。これがとても美味しかった。

ロバーツはまだ帰ってなくて、夕食は庭のテーブルで食べた。

そのうちロバーツが帰ってきて3人でコーヒを飲みながら1時間以上

いろんな話をした。

ロバーツは穏やかなまさにジェントルマンだった。

また家系McGregor家も由緒ある家柄のようである。

飾ってあった写真の1枚に母親が写っていて、1900年初めに撮られた

写真だそうで、当時母親は5~6歳だったとのこと。

子どもは男の子がひとりと女の子ふたり。3人ともロンドンに住んでいる

とのこと。息子は弁護士で彼だけはNZに帰ってくるかもしれないがふたりの

娘は帰ってこないだろうと寂しそうに話していた。

ただ、ロバーツはアール・デコ・トラストやショップでの仕事、講演、ツアー客

への説明などで毎日忙しいとのこと。

NZの社会問題、政治、経済など他のB&Bでは聞けなかった話をいろいろ

してくれた。

翌朝はロバーツの準備してくれた朝食をいただき、彼は一足先にショップに

出かけた。しばらくあと我々も鍵をかけて、昨日時間がなくて観ることができ

なかったビデオを観るためショップに行った。

となりの家のブーゲンビリアがきれいだった。ショップの前で孫ふたりを連れた

正装したオバアちゃんに会い、とても可愛かったので写真を撮らせてもらった。

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ショップでビデオを観せてもらい、英語はせいぜい半分くらいしかわから

なかったが、地震からのネーピアの復興、アール・デコが復興の支えになった

こと、それにアール・デコそのものについて詳しく説明したビデオであった。

ロバーツにお礼を言い、次の目的地ウエリントンに向けて出発した。

今回の旅でたくさんの街を訪れたが我々夫婦はネーピアが一番気に入った。

一晩だけの滞在で残念であった。

ニュージーランドの旅(9:ネーピア①)

4日目目指すはロトルアから220キロ南の海岸沿いの街ネーピア。

途中NZ最大の湖タウポに寄ることにしていた。

朝出発前にジルからタウポに行く途中、間欠泉や煮え立った泥が湧き上がる

マッドプールのある施設がお勧めと言われ、先ずそこに寄ってタウポ湖に行く

ことで、ジルにお礼を言ってロトルアを後にした。

ところが途中寄るはずの温泉施設を見逃し通り過ぎてしまったことをタウポの

街に入る手前で気がついた。お粗末な話である。ジルから聞いてとても興味が

ある場所だったのに。

タウポに入り、ここもガイドブックを見て行きたいと思っていたフカ滝に先ずは

行くことにした。

フカ滝の売店にいたオバアちゃんに『ここから温泉施設まで戻ったらどれ

くらいかかる』と聞いた。陽気なオバアちゃんは『40分くらいかな。注意して

運転していたら気がついたのにねえ。Naughty boy(どうしようもないねぇ)』と

笑いながらカミサンに言っていた。

引き返せすのが難しいのにはわけがあった。

この日の宿のオーナーにメールで5時までに行くと約束していたためである。

残念ながら温泉施設は諦め、フカ滝を見に行くことにした。

滝の落差は10メートルくらいでさほど大きくはなかったが、水量と真っ青な

水の色がすばらしかった。 

滝の大好きなボクはしばらくその圧巻さに見入ってしまった。

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フカ滝のあとはぜひ一度見たかったバンジージャンプを見に行くことにした。

NZはあちこちにバンジージャンプ施設があるが、タウポの施設は北島では

最も歴史があり最高の設備を持っているとガイドブックに書いてあった。

渓谷にせり出すように造られたジャンプ台から水面までの高さは47メートル。

ジャンプ料金は99ドル。

ジャンプのやり方を説明した掲示が   Rimg0146

あった。

ひとりでジャンプ、ふたりでジャンプ、

水に深く突っ込むジャンプ、

4番目はよくわからなかった。

ジャンプ台の手前から下をのぞいて

見た。とにかく高く、足がすくむ。

周りの人が死刑台みたいだと言っていた。うん、たしかに。

体重が100キロ以上、年齢が60歳以上はダメとのことでボクはやりたくても

できなかった(笑)。

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そのうち、キャーとかギャーと言いながら何人かがジャンプした。

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いつの間にか時間が経って2時近かった。

何か食べるものを買おうと思ってスーパーに入ったら日本人と思える

店員の若い女性がいたので、近くで簡単に食べられる店がないか聞いた。

コーヒーショップのような店があってそこに行けばのり巻きのようなものを

売っているとのことでその店でお昼をすませることにした。彼女にネーピア

までどれくらい時間がかかるか聞いたら3時間近くかかるのではとのこと。

ネーピアのB&Bのオーナーとの約束時間の5時が心配になってきた。

オーナーはB&Bだけでなくお店(後述)をやっていて店に行くことにしていて

店は5時に閉まる。何とかオーナーのロバーツに電話しなければと思い、

やっと公衆電話を見つけたがコインはダメでカードだけ。カードは持っておらず

思い余ってスーパーの日本人女性のところに行って事情を話したら、親切にも

店の電話を使っていいと言ってくださった。ロバーツには何とか連絡が取れた。

あとはできるだけ早く車を走らせ一路ネーピアに向かって行くだけ。

途中、1ヶ所だけ滝がのぞめる

見晴台に停まった。    Rimg0170

この滝は最も印象に残った滝。

大きなバイクに乗った女性が停まって

見ていた。

聞いてみるとスイスから旅行に来て

いるとのこと。自分はバックパッカー

(安価な料金で世界中を個人旅行する

人たち)で1日走って疲れたらバックパッカー向けの宿を探し、泊まりながら

旅してると話していた。

途中エゾギクをあちこちで見かけた。

    Rimg0172   Rimg0175_2

何とかネーピアには5時前に着き、ロバーツの店に行った。

この続きは、ニュージーランドの旅(9:ネーピア②)で。 

2007年12月21日 (金)

アニタ送別会

14日のブログ『19年間お疲れさま!』で年末にオーストラリアに帰るアニタの

ことを書いた。

30年前同じ時期にオーストラリアに駐在した仲間4人でアニタの送別会をやる

ことにした。

送別会の前アニタと一緒にフランチャイズパソコン教室『キュリオステーション

の石川社長に会うため下北沢の事務所を訪ねた。

アニタがシドニーに帰ったあと石川社長と連携し日本とオーストラリアで何か

ビジネスができないか意見交換することが目的であった。

結果的には大変いいディスカションができ、3人とも連携の可能性に大いに

期待を持った。

最初はシドニーに住む日本人向けにパソコン教室をやるという案が出たが、

いきなりパソコン教室ということではかなりの投資が必要でまたリスクも

ありそうだとの意見で石川社長がパソコン教室同様力を入れているウエッブ

ベースのmotteco(モッテコ)書店のオーストラリア版を中心に議論した。

ウエッブ本を集めた無料で読めるmotteco書店はさまざまな情報を発信したい

人たちの間に浸透しはじめ、新刊もどんどん発刊されている。

現在ブログに書いているボクのニュージーランド紀行もすべてを書き上げた後

motteco制作部で編集してmotteco本のひとつにしてくださるとのうれしい

お話が石川社長よりあった。

日本人に紹介したい・売りたい・知らせたい情報を持ったオーストラリア人は

少なくないはずである。

motteco本にはホームページにない魅力がある。ホームページはどのような

順番でどのページを見るかは見る人の意思に委ねられている。

motteco本は1ページ目から順にページをめくりながら制作者の意図した手順と

やり方で見せることができる。そのため、見る人に訴求ポイントを一層明確に

伝えることができる。また画像・文章が極めて鮮明である。

加えて2ヶ月に1度、紙媒体のフリーペーパー冊子@mottecoが作られていて

首都圏中心にコンビニのAM・PM、サンクスおよびゆりかもめの駅に60万部が

置かれている。

オーストラリア版motteco本の作成言語は日本語。もちろん紙媒体でも紹介。

アニタがオーストラリアで法人・個人のお客さんに営業をかけ英語の記事原稿を

日本語に翻訳し東京に送れば、あとはすべて東京が最終版までの工程を担当。

アニタはオーストラリア・ニュージーランド商工会議所の副議長だからその関係で

お客さんを見つけることもできそうである。

またこの形態だとアニタには初期投資が必要なく彼女のペースで作業が行える。

アニタはいわばmottecoオーストラリア代理店になる。

石川社長はハワイでも同じようなビジネスモデルを検討中で、韓国・中国でも

ぜひやりたいと話していた。

石川社長と話したあと、元駐在員    Photo 

仲間3人と合流し、新宿でアニタの

送別会をやった。

4人も久しぶりに会ったのでアニタを

交え昔の話で大いに盛り上がった。

気の置けない仲間なので30年経っても

変わることなく遠慮のない会話が飛び交った。

4人はほぼ同年齢。ボクを除いて3人とも現役。

自ら起業したIT関連会社の会長、翻訳・ドキュメント制作会社の社長、それに

IT関連会社の支店長。

アニタの息子のクリストファに何かプレゼントをしたいと思い色々考えたが

適当なものを思いつかず夏我が家に来たとき面白いと言いながら読んでいた

漫画「三丁目の夕日」を思い出し、結局長谷川町子の「いじわるばあさん」を

1セット4冊渡した。

翌日アニタから、『今朝クリストファはずっと読んでいた』とメールが届いた。

アニタには、日本で19年間頑張って築いた人脈、経験を活かして是非とも

オーストラリアで成功して欲しい。

2007年12月19日 (水)

ニュージーランドの旅(8:ロトルア②)

ロトルアに着いて、いつもの

パターンで先ずi-SITEへ。                     Rimg0097_2

ロトルアは湖を中心とした温泉の

街で北島ではオークランドに次ぐ

観光地。i-SITEも立派だった。

人口は7万人足らず。

宿泊したB&Bは10ヶ所の中では一番

わかりやすく、珍しく問題なく3日目の宿

"Innes Cottage"に3時ころ着いた。10ヶ所の中で最も早く着いた。

Rimg0125 Rimg0100

Rimg0127 Rimg0129

オーナーのジルが出迎えてくれた。ジルはB&Bのオーナーには打ってつけの

話好きで世話好きなおばちゃんだった。

どこもそうであったが、着いたら先ず『お茶を飲むか?』ではじまる。

ジルと一緒にお茶を飲みながらひとしきりInnes Cottage、ロトルアについて

話してくれた。

部屋の中に右のようなクオール              Rimg0135_3        

マークと呼ばれるNZ政府観光局が

認定した証明書が掲げてあった。

光客はクオールマークを参考に

宿泊場所や訪問する施設を決める

そうだ。

Innes Cottageは3つ★プラスだった。

ジルが『このあと時間があり、もし興味があれば夕方6時半からはじまるマオリの

ショーを観に行っては。行くのであれば電話すればバスがここまで迎えにきて

くれる』とのこと。即行くと返事。Rimg0101

その前に車で5分くらいとのことで   

ロトルア湖を見に行った。

水のきれいな湖だったがさすが

温泉地。湖の沖はいかにも鉱質

という感じの色だった。

バスは予定通り5時に迎えにきた。

バスは途中7~8ヶ所のホテルやモーテルでお客をピックアップ。

マオリのショーは当然とは言え何か観光客向けという感じでイマイチだった。

Rimg0108 Rimg0116

ショーが終わったあと他のバスの参加者も一緒に大きな食堂で食事をした。

全員で100人以上いたのでないかと思う。

同じテーブルに座ったのはオーストラリアのパース出身で今はイギリスに

住んでいるという若い男性。それにマレーシア人で今はオーストラリアに

住んでいる家族4人。20歳中ころの娘2人は父親とはほとんど口をきかず、

いずこも同じなんだと思った。

食事が終わった後バスで各自を宿に送ってくれた。陽気な運転手だった。

バスに乗るとき料金を払った際、どうしてかと思ったが居住国と名前を

聞かれた。そのお客のリストをバスの運転手は持っていて、帰りのバスの

中で居住国の歌を各自に歌わせた。

日本人は我々夫婦だけ。運転手の指名した歌は”スキヤキソング”。

バスに乗っていたのは30人くらい。7~8ヶ国の人たちがいた。

9時半ころ宿に帰ってきた。

ジルに加え、近くに住む娘夫婦それに隣の住人のアーサーが来ていた。

しばらくしてジルのダンナのクリスが帰ってきて仲間に入った。

Rimg0122 Rimg0123

ダンナのクリスもジルと同じように陽気な人だった。

歳はボクより2歳上。『仕事が大好き。ずっと自分で事業をやってきてこれまで

人に使われたことがない。今経営しているのはROTORUA LUXURY(贅沢

ロトルア)という旅行会社。お客さんの対応で毎日忙しい』と話していた。

立派な会社案内のパンフレットをくれた。釣り・ゴルフ・クルージング・スカイ

ダイビング・温泉・水上飛行機・・・遊びと宿泊施設が掲載されたすばらしい

パンフレット。

『東京に事務所をつくるときは所長になるよ』と冗談で言ったら、クリスは

『いいねぇ、日本人は金持っているからなぁ』と一瞬真面目に考えていた。

翌朝は早く目が覚めたので近所をブラブラ散歩した。

着いたときは気がつかなかったが、近所には宿泊施設が多くあった。

道の向こうには2004・05年にNZの観光業表彰された施設もあった。

Rimg0133 Rimg0130

ジルのつくってくれた朝食をいただき、

ビジターブックに記帳して4日目の     Rimg0134_2

目的地ネーピアに向けて出発した。

出発前にジルから途中に間欠泉や

煮え立った泥が湧き上がるマッド

プールのある施設があるので寄ると

いいよと勧められた。

ニュージーランドの旅(7:ロトルア①)

3日目の朝、ピーターとマリータにお礼を言って次の目的地ロトルアに向けて

出発した。ロトルアまでは90キロくらい。移動距離が一番短い日だった。

タウランガを出て20キロくらいのところにあるテプケという小さな街で小休止。

i-SITEの場所を聞いたら図書館の中にあるということで図書館を訪ねた。

Rimg0076 Rimg0077 

ロトルアに行く途中でどこか見るところはないかと尋ねると、キウイの農園、

それにミツバチの生態を見ることができる場所がいいと勧められた。

 ※ NZではキウイはキウイフルーツだけでなくキウイという名のNZ独特の鳥

   それにニュージーランド人のこともキウイと呼ぶ。

10キロくらい走ったところにキウイの農園はあった。

Rimg0078 Rimg0079 

キウイ農園には風よけのため必ず背の高い垣根が植えてある。

ちょっと中を見せてと頼んだら『写真撮ってもいいよ』とおじさんが写真のモデルに

なってくれた。

Rimg0083 Rimg0082

キウイ農園から10キロ弱走ったところにミツバチの生態が観察できる

Comvitaという施設があった。

右の写真はミツバチが帰巣するとき通る管で、下のような巣がふたつあって

2種類いるミツバチは見事に自分の巣につながる管を通って自分の巣に

戻ってくるとのこと。いろいろ興味深い説明を聞いた。

Rimg0090 Rimg0085 

Rimg0084 Rimg0086 

蜂蜜や蜂蜜からできた化粧品を売っていたが人気があるのだろう化粧品は

ほとんど売り切れていた。

ロトルアの手前にとてもきれいな湖があり、湖を見渡せる眺望のすばらしい

ところに家が並んでいた。

多くの家がそうであったが、今まさにバラの時期でどこの家も大輪のバラが

きれいに咲いていた。

Rimg0096 Rimg0093 

このあと一路、間欠泉ほか地熱で名高いロトルアへ。

福岡飲酒運転3児死亡事故

昨年8月に起きた福岡飲酒運転3児死亡事故についてはブログでも何度か

書いた。

この事故を機に飲酒運転撲滅に向けて社会が大きく動いた。

今朝の新聞各紙が、事故を起こした男に対する処分について、これまで

検察が求めてきた懲役25年の危険運転致死傷罪の適用を福岡地裁が

福岡地検に見直すよう命じたと報じている。

裁判所は危険運転致死傷罪の適用が困難で、業務上過失致死傷罪と道交法

違反の併合罪適用(併合しても最高刑は7年6月)が適当と判断したとのこと。

飲酒・ひき逃げ・証拠隠滅をはかった23歳の男に対し、社会がこぞって厳罰を

求めた事犯であった。

悪質な事故を起こした者に対し厳罰を科すことを目的に設けられた危険運転

致死傷罪の適用要件が厳しく適用のハードルが高いことはマスコミでもたびたび

取り上げられてきた。

ただ、これほど悪質な福岡の事故の加害者に対し、もし危険運転致死傷罪が

適用されないとすれば、時代の流れ、正義のありよう、社会常識、社会秩序の

維持の重要性に思いを馳せない、ただただ六法全書の上だけの判断であると

断じる。

参加している交通事故問題を考えるサイトでも下記のような書き込みがあった。

 ※ 人間が人間を裁く。感情論ではダメな事は良く解っています。

   でも、当たり前の常識的な意識の無い人が、人を裁く。そのほうがよっぽど

   危険です。

 ※ この事故が、危険運転に値しないのなら、何が危険運転なのでしょう。

   飲酒・ひき逃げ・証拠隠滅。こんなに重なっているのに・・・・。

 ※ 危険運転致死傷罪の不備を証明、露呈をすることになりました。

   3人の幼い命の犠牲を無駄にしないためにも、この事件を契機に危険運転

   致死傷罪の適用要件の見直しを訴え、危険運転致死傷罪の大幅な改正が

   一刻も早く望まれます。

2007年12月18日 (火)

孫娘発表会

娘からメールが届き『ミサキが通っているアリス(プレ幼稚園)主催の演奏会と

発表会があるので、もしよければ来たら』と誘われ、もちろん即OKと返事。

ミサキに会うのは1ヶ月以上ぶり。一段と成長していた。

発表会の場所は横浜大倉山記念館

横浜市の有形文化財ということで格式を感じさせる立派な建物だった。

紅葉はほぼ終わり。落葉していたイチョウの葉っぱがとてもきれいだった。

我々はニュージランドに行っていたいたため今年紅葉を見るのは初めて。

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建物の中はクリスマスの飾り付け一色。

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先ずは芸大・音大の学生さんによる演奏。そのあとアリス幼稚園の卒業生による

バイオリン演奏。さまざまなパーカッション(打楽器)演奏は楽しかった。

特に初めて聞くマリンバ(鉄琴)の音色には魅了された。

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ミサキたち3歳クラスの発表は「おもちゃのチャチャチャ」

10人くらいの子どもたちがステージで踊ったが、ひとりが泣き出しミサキ含め

連鎖で泣きながらもみんな上手にできた。

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発表会が終わったあと娘宅に寄った。

クリスマスの飾り付けがしてあった。

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夜の食事は娘のダンナにご馳走になった。

魚屋でいろいろ買ってきてくれていて、持参したニュージランド土産の白ワインと

ピッタリ合った。ダンナは料理だけでなく盛り付けもうまい。

メニューはサラダ、刺身盛り合わせ(アジのタタキ、ブリ、ツブ貝)、石狩鍋、

北海道土産のホッケと盛りだくさん。

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食事のあとミサキが「おもちゃのチャチャチャ」を何度も歌って踊ってくれた。

泊まっていったらと言われたが、カミサンがどうしても帰りたいと言い10時前に

出て駅までブラブラ歩いて横須賀に戻ってきた。

2007年12月16日 (日)

ニュージーランドの旅(6:タウランガ)

2日目の朝、ヘザーとレイにお礼の挨拶をしてオークランドをあとにした。

この日は1号線から2号線を通り、オークランドから250キロくらい東にある

海岸沿いの街タウランガが目的地。

カミサンがNZ紹介のネットを見て是非行きたいということで、2日目の宿は

タウランガに決めた。

出発したのは9時半。オークランドの街を抜けたら車の数はぐっと減り、

ハイウエイを気持ち飛ばした。

タウランガまでのほぼ中間地点のナティアという小さな街でお昼を食べる

ことにした。

ナティアはNgateaと書き、どう読むかわからないため歩いている人に聞いた。

途中大体こんな感じの街がちょこちょこあり街を通り過ぎれば家はなくなる。

入ったスーパーで『この街の人口はどれくらいか』と聞いたら、『よくわからないが

千人くらいか』とのことだった。

お昼はイカ・カキ・魚などの揚げものとポテトチップスを食べた。

Rimg0033  Rimg0042

タウランガに着いたのは3時前。海のそばのとてもきれいな街だった。

たくさんの街を訪れたが、タウランガは夫婦でつけたランクではベスト3だった。

ここでも先ず、i-SITEへ。

Rimg0054 Rimg0056 

泊まるB&Bの場所と行き方を聞き地図をもらい、今夜お世話になる

"Littleheath Homestay "を目指す。ここでも道に迷い約束の3時をだいぶ

過ぎて到着。マリータとピーターがベランダで待っていてくれていた。

Rimg0047 Rimg0065 

一帯は新興住宅地で、3年前にそれまで住んでいた海岸近くの家からこちらに

引っ越してきたとのことで家は新しく中も大変きれいだった。

Rimg0045 Rimg0046 

ピーターはボクより2歳下だった。イギリスで勤めていた鉄鋼会社を7年前に

辞めリタイアし、タウランガに移り住んだとのこと。

ピーターは多くの欧米人同様、住居の造作に凝っていてベランダ(写真左)

は全部自分で作り、現在はもうひとつのベランダと裏の敷地に庭を作って

いた。ガレージには様々な工具があり、こういうことをするバックグラウンド

経験があるのか聞いたら、ないが面白いので勉強しながらやってると話して

いた。

Rimg0066  Rimg0070_2 

夕食を食べるため海岸通りに出かけて行った。

インドレストランがありカレーを食べたくなって入った。

オーナーらしきインド人とシンガポールから移住したという話好きのおばちゃんが

いる店だった。カレー以外にタンドリチッキンなどがついて多すぎて食べ切れ

なかった。

Rimg0058 Rimg0062 

食事から帰ったあと、お茶を飲みながらピーターとマリータと1時間以上

いろいろ話した。

翌朝は近くをブラブラ散歩。    Rimg0072_2

すべての宿でそうであったがビジター

ブックが用意してあり、名前と居住国、

それに一言書き添えるというのが

B&Bに泊まるときの常識のようだった。

朝食をいただき、ふたりにお礼を言い

3日目の目的地ロトルアに向けて出発した。

パソコン教室忘年会

パソコン教室『キュリオステーション』の忘年会をニュージランドから

帰ってきた翌日やった。

1ヶ月くらい前に講師のIさんと一緒に店の下見に行ったが決まらず、

そのあとIさんが見つけてきた店を借り切った。

とてもユニークですばらしい店だった。こんな店が横須賀にあったとは

5年くらい前まで映画館だったところで、店の名前もいい。

Music Live Restaurant Bar"Younger Than Yesterday"

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9月まで店長をしていて家庭の事情で

江戸川の実家に帰った贄田くんの            2007decnz_517_2 

送別会も兼ねた忘年会だった。

35名くらいの生徒さんたちが集まって

くださった。

ステージには元映画の映写幕があり

映画を映す設備も残っている。

ジャズ、ポップス、カントリー他ほぼ2007decnz_519

毎日バンドが入っているようだ。              

我々はバンドなしのプライベートパーティ

として7時から9時まで2時間借りた。

値段はリーゾナブル。

教室に来る時間がそれぞれ違うため

顔を合わすことのない生徒さん同士

大いに盛り上がった。

その中で全体を盛り上げたのは講師のIさん。

彼女がリード役になり大盛り上がりした恒例のジャンケンゲーム。

講師としてだけでなく彼女はオールラウンドこなせる得がたい人材であり、

いつも助けられている。

皆さん名残惜しさを残して9時にお開きとなった。

2007年12月15日 (土)

ニュージーランドの旅(5:オークランド②)

やっとの思いで最初の宿Parnell Innに着いた。

入る道の脇にあった大きなヒマラヤ杉のような木が印象的だった。

Rimg0008 Rimg0011 

10ヶ所の宿に泊まったがParnell Inn

だけはB&Bでなく朝食なしのモーテルRimg0025s

という感じだった。 

ヘザーとレイ夫婦が出迎えて

くれた。どの宿でも記念にと言って

家族の写真を撮らせてもらった。

ヘザーとレイも、『あー、いいよ』と

快くOKしてくれた。

朝食が付いていないため泊まった宿の中でParnell Innは$95(NZ1ドルは

約90円)で一番安かった。

他は、朝食付きで$100~$160。クライスチャーチだけダントツに高く

$250だった。いずれも1部屋(2人分)の値段でホテルよりは格安。

小腹がすいたので、散歩もかねて食事に出かけた。

パーネル通りはガイドブックによれば、ブティックや雑貨店、しゃれた

レストランやオープンカフェなどが並んだ通りと書いてあったので表参道

みたいなイメージを持っていたが、120万人の街、それは難しい。

Parnell Innの近くにあったシーフードデリカテッセンのFishmongerという

店に寄った。

今年初めにブラジルのサンパウロから来たという陽気なおばちゃんの店だった。

カラスガイ、イカ、サラダどれも美味しかった。

Rimg0013 Rimg0012 

雑貨店に寄ってカミサンが何かお土産に買いたいというので、

『冗談じゃない、旅がはじまったばかりで、今買ったら道中ずっと持って

歩かなければダメなので』と言い制したが、『お友だちが頻繁にくる娘に』と

言って、紙ナプキンを買っていた。うん、これだと大丈夫。

宿に一度帰り、車でオークランド・ドメインという広大な敷地にある公園に行った。

一面芝生におおわれた園内には野鳥が泳ぐ池やウオーキングコースがあった。

左の写真の黄緑色の葉っぱをつけた木はあちこちで見かけた。

葉っぱの色がすばらしかった。

どうも我が家のカメラは鮮やかな色がそのまま完全には出ないようだ。

花や木、それに海や湖の色、ちょっと残念である。

Rimg0019 Rimg0021 

オークランド・ドメインのあと、湾にかかったハーバブリッジを渡り対岸の街に

行きたくて、橋は渡れたもののちょうど夕方の退社時間にぶつかり、ここでもまた

大変な数の車が高速で走っていて途中で諦めて帰った。

夜は飛行機での寝不足のためぐっすり眠れた。

ニュージーランドの旅(4:オークランド①)

26日の朝9時半にオークランドに着いた。

フライトは混んでいて4時間くらいしか眠れなかった。

着いてすぐ空港で持ってきた円のトラベラーズチェック5万円をNZドルに

換えた。その後足らなくなって街中の銀行で換金したが銀行の方がレートは

よかった。ただ、ほとんどの場所でクレジットカードが使えるので日本円は

最小限持ってくればよかったとあとで思った。

換金したあとi-SITEと呼ばれる ビジター・インフォメーションセンター

寄った。i-SITEは全国80ヶ所以上にあり今回の旅ではホントに助かった。

新しい街に着いたら先ず街の中心にあるi-SITEへ行き、地図をもらい

泊まるB&Bの行き方を聞き、見どころを教えてもらった。

i-SITEのあとはネットで予約していたRimg0026

レンタカーを借りるため空港内の  

Budgetへ行った。トラブルがあった

ときのためにと勧められて保険に

入った。

借りた車はトヨタのカムリ。

この車で北島を千キロ以上走った。

i-SITEで地図をもらったものの、市内の中心部へ行くには先ず空港から

どちらに向かって行けばいいのかよくわからない。

City Centreの標識を見つけ走り出したものの、周りの車はすべてすごい

高速。運転の巧くないボクはオドオドしながら一番左の車線を走った。

ただ、救いはアメリカなどと違い、右ハンドル・左車線通行で日本と同じ

感覚で運転できることだった。

案の定、途中道に迷ってしまった。停まって地図を見るが自分が今どこに

いるかすらわからない。降りて近くにいた2人組の男性に尋ねた。

行きたい場所は市内中心部に行く途中にあり山頂からオークランド市街が

360度パノラマで見渡せるとガイドブックに書いてあるMount Eden。

2人組の男性は親切だった。『ここから15分くらいかかる。自分たちの車の

後ろについてくれば曲がる場所で合図するから』とのこと。

合図があったので右に曲がった。登っていくが住宅街。おかしいなぁと思い

引き返そうとしたら、2人組の男性がわざわざ来てくれて、『曲がる道が

一本早かった。もう一度ついてくるように』

そのあと、やれやれなんとかMount Edenに着いた。

Mount Edenは死火山の跡で街が一望でき、すり鉢状になったクレーター

(写真右)があった。クレーターの立体感がうまく写真に写せなかった。

Rimg0003 Rimg0006 

このあとまたまた苦労して最初の宿であるParnell Innにたどり着いた。

大きな街であるオークランド、ウエリントンでの運転はホントに大変だった。

2007年12月14日 (金)

19年間お疲れさま!

8月3日のブログ、『30年来の知り合い来訪』でオーストラリア人のアニタ・

バーンズと息子のクリストファが訪ねてきてくれたことを書いた。

アニタは1977年にAustralia National Universityを卒業し同じ年に富士通

オーストラリアに入社した。

ボクは同じ年に3年間の駐在を終え日本に帰ってきた。

彼女とはそれ以来の付き合いなのでもう30年になる。

クリストファは12歳、今年からインターナショナルスクールの中学1年生。

彼らは三田に住んでいる。

アニタは19年前に日本で構造計算関連ほか海外のソフトを販売・サポート

するDecision Japanという会社を興した。

オーストラリアとはさまざまな違いのある日本で20年間近くにわたり事業経営を

頑張ってきたアニタを心から敬服する。

彼女はクリストファのこれからを考え、今年いっぱいでシドニーに戻ることを

決めた。

そのため、現在の事業をそのまま継続・発展させることを条件に、彼女は

5月1日付けでDecision Japanの事業を他社に譲渡した。

アニタはオーストラリア・ニュージーランド商工会議所の副議長でもあり

その方面でも豊富な人脈を持つ。

アニタの送別会の案内がDecision Japanから届き一昨日出席した。

会場は青山一丁目のカナダ大使館の中にあるCity Club of Tokyo。

地下鉄青山一丁目で降りるのは初めて。

すばらしい会場だった。

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参加者は30名少々。

予想したことではあったが、ボクを除いて  2007decnz_536 

全員背広にネクタイ。

アニタの下でずっと働いてきたIさんを

除き知った人は皆無。

全員がDecision Japanの製品を扱う

IT会社の幹部とお客さまだった。

最初は違和感があったが、アニタとの

関係や会社の事業内容を聞くことをきっかけにいろんな人と話ができた。

皆さんアニタのすばらしさ、誠実さ、仕事に打ち込む情熱を賞賛していた。

6時半からはじまったパーティ、結局9時のお開きまでいた。

19年間、ユニークな商習慣の日本で、事務所を構え、従業員を雇い

経営者として頑張ってきたアニタには本当に頭が下がる。

日本で培った人脈、会社経営の経験とノウハウを活かし、間違いなく

オーストラリアでもすばらしい仕事をやっていくものと確信する。

帰国直前の忙しい時期ではあるが、昔のオーストラリア仲間と一緒に

月曜日に内輪の送別会をする予定にしている。

ニュージーランドの旅(3:NZ紹介)

旅程に入る前にNZそのものについて簡単に触れておきたい。

日本に比べNZの歴史は新しい。先住民であるマオリがNZに移住してきた

のは13世紀末で、人間が住みはじめてまだ800年程度の国。

キャプテン・クックが初めてニュージーランドに上陸したのは1769年。

たった200年ちょっと前である。

その後1800年代に入りヨーロッパからの移住が活発になった。

地名の多くにマオリの由来が残っているものの、大半の地名はヨーロッパ

主にイギリス系の名前がついている。

羊、馬、牛はヨーロッパ人が持ち込み、現在のNZの酪農のベースを作った。

動物ということでは、熊・狼・へびのような動物は一切いない島である。

この点オーストラリアとまったく違う。

クライスチャーチで見た博物館はNZの歴史がよくわかりすばらしい博物館

だった。

街中でマオリの人たちを見かけることはほとんどなかった。

また、オークランド・ウエリント・クライスチャーチのような都会ではアジア人

(特に観光客と思われる人たち)を多く見かけたが、地方の街や田舎では

住んでいるのはほとんどがいわゆる白人である。

先住権があるから当然とは思うものの、海や湖が一望できるすばらしい

場所には白人が住み、オーストラリアに駐在していたころしばしば思った

アンフェアさをNZでも感じた。

NZはエコロジーの徹底した国で、とにかくクリーン。また核とは無縁の国。

物価は一般的に高いと感じた。

GST(Goods&Services Tax)と言われる日本の消費税に相当する税金が

12.5%だからなのか。

それと産業があまりなく(中心は酪農業と観光)、この点も物価に影響を

与えているのだろう。

例えば、ガソリンは最近の高騰が物議をかもしている日本の値段よりも高い

くらいだった。バス代も高かった。車がなければ生活できないNZでは厳しい

だろうなあと思った。

社会福祉ということでは泊まったB&Bで一度年金の話をしたことがあった。

65歳にならないと年金はもらえず、もちろん個人個人で違うものの、大体

月20万くらいとのことだった。

お世話になったB&Bの夫婦は大体我々と同年代で、子どもたちが成長し

家を離れ部屋が空き、人と会うのが好きという夫婦ばかりだった。

彼らの生活ぶりは概して質素に思えたが、日本に比べいろんな意味で

ゆとりと豊かさを感じた。

2007年12月12日 (水)

ニュージーランドの旅(2:旅程)

少々わかりづらいが旅程を地図に

示すと右のような感じになる。      071120map_011_3     

25日の夕方6時半に成田を発って

翌朝9時半に北島のオークランドに

着いた。今はニュージランド(NZ)は

夏時間のため日本より4時間早い。

NZはトンガやフィジー等と同じく時刻は

世界で一番早い。                         ※ 地図はクリックで拡大                                    

従ってフライト時間は11時間。               

NZの首都は北島の一番南のウエリントン。

ただ、NZの最大都市はオークランドで国の人口約400万人の3分の1

以上が住んでいる。よく話題になる羊の数は人口の10倍の4千万頭。

旅程の概略は、先ずオークランドの飛行場でレンタカーを借りて、途中

5ヶ所に泊まり、ウエリントンまで1072キロを車で走った。

ウエリントンでレンタカーを返却し、フェリーで3時間かけ南島のピクトンに

渡った。ピクトンからは5時間半かけて、列車で南島の最大の街である

クライストチャーチまで行った。

クライストチャーチで3泊したあと、山岳列車に乗って南島西海岸の

グレイマウスまで移動。本来は4時間半すべて列車であるがたまたま当日

列車のメインテナンス日に当たったため途中のアーサーパスという街で

バスに乗り換えた。

グレイマウスでまたレンタカーを借りて、南島西海岸を下り、途中2泊して

クイーンズタウンへ。

クイーンズタウンでレンタカーを返却。南島での走行距離は681キロ。

クイーンズタウンで2泊したあと飛行機でオークランドに戻り1泊し、翌日朝の

フライトで日本に戻ってきた。

当初は、行けば何とかなるだろうと思い、到着した日のオークランドの宿だけ

ネットで予約しておこうと思っていた。

しかし、以前にも書いた今回の旅行全般についてアドバイスをもらった小林くん

から『夏シーズンに入る時期だからできるだけ事前に予約しておいた方がいい』

と言われ、結局事前にネットですべて(宿10ヶ所、2列車、フェリー、レンタカー、

ツアー)を予約した。

結果的には予約していてホントによかった。安心して旅が続けられた。

予約にあたり利用したサイトはニュージランド政府観光局

このサイトがなければお手上げだった。

ニュージーランドの旅(3)以降では旅程に沿って、見たもの、会った人たち、

感動・感激したことを中心に書いていきたい。

2007年12月11日 (火)

ニュージーランドの旅(1:はじめに)

11月25日に発ったニュージランド(NZ)の旅から昨日夜帰ってきた。

ホントにいろんなことがあった16日間だった。

見る風景すべてすばらしく感激の連続であったが、それにも増して感動的

だったのはベッド&ブレックファスト(民宿)の宿でお世話になった多くの

夫婦との出会い、それに道中出会ったさまざまな国の人たち。

カミサンと一緒に出会った人たちの国を思い出したら18ヶ国あった。

泊まった場所を数えてみたら10ヵ所。

特に最初の5日間は毎日泊まる宿が替わった。

レンタカーで走った距離は1753キロ。

ほぼ日本の半分の距離を走ったことになる。

我が家の車は3年半でまだ1万キロ少々。

ということはレンタカーを借りた9日間で1年間の半分以上走ったことになる。

元来運転が好きでないボクにとっては大変なことだった。

ただ、何のトラブルもなくホントによかった。

道中、見解の違いから夫婦でケンカになったことが何度もあったが、ふたりとも

体調を崩すことなく過ごせたことには大いに感謝している。

長い間の念願だったNZ旅行をとにかく楽しくつつがなく終え、ホッとしている。

今までのどの旅行よりも我々夫婦の記憶に末永く残る旅になることは

間違いない。

感激・感動したことがいっぱいあるので、ゆっくり書いていきたい。

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