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2006年10月 3日 (火)

韓国の今昔

10年来の知り合いの女性のNさんと久しぶりに会った。

ダンナさんの仕事の関係で1年間ソウルに行っていて、帰ってきたとのメールをもらい、

横浜中華街でお昼をご一緒した。

最近のソウルの状況を聞けることを楽しみに出かけた。

私はソウルには1978~9年頻繁に出張した。2年間でおそらく30回を超える回数

行ったと思う。

韓国唯一の電力会社の大型コンピュータシステムの構築にSEとして携わった。

30年近く前のことで、当時の韓国は北朝鮮と一触即発に近い状況にあった。

戒厳令下で夜中の12時以降の外出は許されなかった。月に何度か灯火管制が

敷かれ、民防衛と呼ばれる訓練が行われ、夕方5時になると国歌が流れ国旗を仰ぐ

等々、北朝鮮の脅威をあおるとともに、国の防衛に向けて国民を同じ方向に向かせ、

耐えさせることを徹底的に行った時代であった。

駐在員だった先輩から、政治の話は韓国人としないようにとアドバイスを受けた。

当時出張しても楽しめること、楽しめる場所はあまりなかった。

その韓国が30年足らずの間にスゴイ国になってきたことはもちろん知っていたが、

今日Nさんからいろいろ話を聞き、すばらしい国に発展した韓国をあらためて認識した。

あらゆるものが完備した外国人専用の長期滞在型ホテル、安い物価、礼節を重んじる

人たち、優秀な若者たち・・・ Nさんはすっかり韓国が好きになり、日本に帰りたく

なかったと話していた。

家族のあり様・考え方、子供のしつけ・教育は日本より優れていると、彼女は感じた

そうである。

儒教の教えが根強く残っていて、また韓国には教会、カトリック信者が多い。

韓国人は日本人より精神的な拠りどころがずっとしっかりしているのではと以前から

思っていた。

韓国の成長に大きな弾みがついたのは1988年のソウルオリンピックであった。

成長とともに韓国民が自信を持ってきて、そのことが好循環に結びついたと考える。

経済の成長、政治の安定、スポーツの振興(サッカー・ゴルフ・野球)・・・国を挙げての

頑張り、それが成長・飛躍・安定・自信に結びついていったのだと思う。

今や韓国は国際社会でも着々と地歩を固めている。今まさに話題になっている次期

国連事務総長に、潘外交通商相がほぼ間違いなく選出されるようである。

30年前に実体験したあの韓国と比べることは所詮ナンセンスであるが、Nさんの

話を聞き、久しぶりに韓国の今昔を思った。

それにしてもいろんな話で盛り上がり、4時間近くワイワイ話していた。

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