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2006年7月

2006年7月31日 (月)

北陸の旅(4)

『能登の庄』でゆっくり温泉に入ったあと向かったのは、車で15分くらい走ったところに

ある千枚田。約3500坪の急斜面に、千枚の田んぼがある。小さいものは車椅子が

置けるくらいの広さとのこと。

 Hokuriku_160  Hokuriku_164

機械を使うことはできず、すべて手作業。維持していくご苦労は大変なもので、経済性

から言えば割りに合わないかもしれないが、祖先から引き継がれたすばらしい景観の

田んぼをぜひ残してもらいたいと思いながら、海に向かって広がる田んぼの風景を

楽しんだ。

千枚田のあと、前日の足湯で地元の皆さまから行くことを勧められた国の重要文化財

時国家』を訪れた。

能登半島の先端に近い辺鄙な場所にあり、平日だったせいか、訪問客は我々だけ

だった。そのため、じっくり説明を聞くことができた。

時国家の初代は、壇ノ浦の合戦で破れ、能登に流された平時忠。

裏庭に安徳天皇を祀った祠があった。

現在の当主は24代目。

茅葺き入母屋造りで13間の部屋があり、総面積は108坪。

邸宅とともに重要文化財の庭園は2000坪。椎の古木がうっそうと茂る回遊式庭園で

建物との調和が見事である。

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1尺5寸角の太い大黒柱や巨大な梁組のこれほど豪壮な邸宅が、この辺鄙な奥能登に

建てられたとは。 説明を聞きながら、しばし歴史と浪漫に浸った。

時国家を後にし、金沢の宿に向かった。

小松空港から奥能登、帰路金沢まで、2日間で350キロのドライブであった。

 

2006年7月30日 (日)

北陸の旅(3)

輪島での2日目もいろいろあった。

朝一番で、楽しみにしていた輪島名物の朝市に行った。

海のもの、山のもの、手作りの食べ物を並べ、生活力あふれる売り手のおばちゃんたち

の元気のいい掛け声、これこそまさに朝市という感じだった。

 Hokuriku_136  Hokuriku_135 

  Hokuriku_130  Hokuriku_138 

朝市のあと、街をブラブラ歩いた。

街の中心近くにある重蔵神社は地元の氏神様のようである。鎮守の森もよかった。

再開発された街の雰囲気をあちこちで感じた。

カミサンが漆黒の瓦に気付き、由緒を尋ねていたが、地元の人にとっては珍しいものでは

ないためか、期待した返事は得られなかったようである。

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ブラブラしたあと、能登の海の男たちの勇壮な祭りのシンボルであるキリコを展示した

キリコ会館』に行った。

大きさが違うキリコが並んでいたが、平均的な大きさのキリコは2トンあり、120人

くらいの男たちが担ぐそうである。5月に小泉首相が輪島を訪れたとき、キリコ会館にも

立ち寄ったことを、地元の新聞が大きな記事で紹介していた。

右の能登国というキリコは最も大きいキリコとのことである。

 Hokuriku_159      Hokuriku_158 

キリコ会館を出たあとは、カミサンのたっての希望で、ねぶた温泉『能登の庄』へ立ち

寄った。『能登の庄』は輪島では最高級の宿であるが、温泉だけであれば500円で

入れる。PH10.5の高質天然アルカリ性泉質がウリで、入ったら全身がスベスベした。

平日の昼間だったせいか、お客はひとりしかいなく、ゆっくり楽しんだ。

輪島の旅の続きは、次回で。

2006年7月29日 (土)

北陸の旅(2)

宿で紹介された居酒屋で食べた魚料理はすべて大変美味しかった。

もちろん宿から持って行ったカニとアワビも最高だった。

  Hokuriku_082  Hokuriku_081 

食事のあと、石川県の重要指定文化財の   Hokuriku_100_1

御陣乗太鼓のイベントが道の駅の前であると

宿で聞いていたので見に行った。

大変迫力ある伝統芸を堪能した。

メンバーは漁師さん、市役所の職員さん等

地元の御陣乗太鼓保存会の人たちとのこと。

海外含めあちこちから公演に呼ばれるそうである。

そのあと、これも宿で聞いた4月にできたばかりの足湯に行った。(写真は翌朝撮影)

地元の、特にお年寄りは、足湯で和むだけでなく、格好の社交の場になっている。

 Hokuriku_121  Hokuriku_128

 『横須賀から来ていて今夜泊まり、明日1日かけて輪島近郊を観光する予定ですが、

お勧めの場所はありますか?』と皆さんに聞いた。

皆さんから大いに参考になる意見やコメントがもらえ、翌日の旅程が足湯で決まった。

地元の方の中に、おひとり著名な輪島塗の作家がいらっしゃった。

輪島塗についていろいろ話を聞いていたら、『もしよかったら近くなので、これから

私の家へ来て作品を見られませんか』と、お誘そいを受け、お邪魔することになった。

小西さんと言われ、日展の審査員までされている方だった。

すばらしい輪島塗の作品をいろいろ見せていただいた。

左の写真は茶器の抹茶を入れるナツメ、右は、縦横2メートルくらいある屏風絵。

写真がうまく撮れていなく残念である。

屏風絵は、松の木の下で泳ぐ鯉が描かれていて、金色の鯉と地色の黒がすばらしい

コントラストで表現されていた。

 Hokuriku_108  Hokuriku_113

ナツメでも屏風絵でも使われている金箔は、金沢・能登で全国の95%以上が作られて

いるそうである。

うるしや金箔にまつわる話、作品のつくり方、日展の審査話などなど、興味深い話を

いろいろ聞かせていただいた。

歩いて宿に帰ったら11時近かった。

ひょんなことから今回の旅でも楽しい出会いがあった。

2006年7月28日 (金)

北陸の旅(1)

25日から3泊4日で、カミサンと能登、金沢へ旅行した。

行く数日前まで、石川県全域は観測史上はじまって以来の降雨だったそうだが、

滞在中の4日間は雨に降られることなく、大変ラッキーだった。

初日は小松空港でレンタカーを借り、一路、能登半島の突端に近い輪島へ。

中、千里浜(チリハマ)という波打ち際に     Hokuriku_038

車道が数キロつづく海岸に寄る。          

砂浜に制限速度表示等の道路標識が

立っていて奇異な感じがした 。

能登半島をどんどん北へ進み、松本清張の『ゼロの焦点』でその名が有名になった

能登金剛の名所、巌門に寄る。

巌門は、そのあと立ち寄ったヤセの断崖同様、身を投げる人が多い場所だそうだ。

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 Hokuriku_078  Hokuriku_080_1  

夕方、輪島の宿、『漁師のペンション ハトヤ』に着いた。

輪島は、金沢から車で2時間以上かかる能登半島のほぼ先端に位置する人口

3万5千人の田舎の小都市であるが、とてもステキな街である。

伝統の文化・工芸が伝承されていて、町おこしもよくできている。

ペンションに着くやいなや、奥さんから、Hokuriku_149

『実は主人が急に激しい下痢にやられ、時節柄   

何かあったら大変なので、大変申し訳ないですが、

今夜も明朝も食事が出せません。

代わりに用意していたカニとアワビをお渡し

しますので、これを持って知り合いの居酒屋に

行って料理してもらい、夕食はそちらで食べて

いただけますか』と言われた。

この宿はカミサンがネットで見つけ、料理が美味しいとの

宿泊者の書き込みを読んで決めたものであったため、少々ショックだった。

だが、このことがきっかけで、この日の夜はいろいろ面白いことを経験し、楽しい

出会いがあった。

これについては次回で。

2006年7月25日 (火)

洗濯1回3円

しばらく前の朝日新聞の日曜版に面白い記事が紹介されていた。

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省エネだ節電だといって、家中の電気を消しまくるだけでは家族の協力は得にくい。

製品ごとの効果を知って効率的に進めたいと考え、「エコワット」(エネルギー社製、

約3千円)という電力表示器を使って、生活をチェックした。

小さい表示器をコンセントと電化製品の間にセットすれば、使った電力量(kWh)と

電気代(kWh=23円で計算)が表示される。

知人にも頼んで試した。

炊飯器1回3円、100Wの照明は計算通り1時間2円、部屋の換気扇は7時間回しても

4~5円。洗濯は水道代別で1回3円。

モーターを回すのは思ったより安い。だが、熱に変えるととたんに高くなった。

洗濯1回分を乾燥機で乾かしたら37円だった。熱湯を使う食器洗い機は1回24円。

いまどき大画面ブラウン管テレビがあると自慢する同僚の家で調べたら、録画機も

含めて『1日で99円だった』と、ショックを受けていた。

冷蔵庫の冷却効率は、過去10年で6倍になった。

一方、冷蔵庫の中には小部屋が増え、その温度管理のためにヒーターや送風機が

増えた。自動製氷機に水を送る管には凍結を防ぐヒーターがある。便利になった分、

電気も食う。

いろんな冷蔵庫を「エコワット」で1週間計った。

 ① 約30年前の型(2ドア)=1150円

 ② 20年以上前(2ドア)  =433円

 ③ 14年前(3ドア)          =289円

 ④ 6年前(5ドア)            =504円

 ⑤ 3年前(5ドア)      =915円

驚いたのは、新型⑤の電気代の高さだ。

2回計った結果は同じ。真ん中に野菜室を置くなどの便利な構造が電気を食うようだ。

夏とはいえ、カタログの2~3倍だ。

家庭での実測では4大家電(エアコン、冷蔵庫、照明、テレビ)で3分の2を占める。

 

2006年7月24日 (月)

あれから2年(8)

カンボジャシリーズの締めは、やはりアンコール・ワット遺跡。

アンコール・ワットは、カンボジャで唯一といえる観光の街、シェムリアップにある。

プノンペンからシェムリアップまでは飛行機で45分。カンボジャでただひとつの国内線。

アンコール・ワットは、クメール王国の全盛期、12世紀末から13世紀初頭にかけて

造営された巨大な建造物。

ジャングルの中には、まだ発見されていない遺跡があると言われている。

酸性雨のためか外壁の色が黒ずみ、傷みもかなり進んでいるとのことで、お金のない

カンボジャゆえ、大変心配である。

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最後に、もう一度ポルポトの話を。

報告書が完成し、帰国の5日前、発つ前にどうしても行っておきたい場所があった。

トゥール・スレン博物館である。

1975年4月から79年1月まで3年9ヶ月に及んだポルポト政権下では全土で

無謀な共産主義化改革が強行された。

反革命分子とみなされた人たちは全国に多数作られた刑務所に送られ、拷問の末

虐殺された。

トゥール・スレン博物館は、当時、『S21(Security Office21)』と呼ばれた刑務所で、

ポル・ポト政権以前は高校の校舎だった。

トゥール・スレン刑務所には、約2万人が収容され、生還者はたった6人だったと

言われている。

現在は、ポル・ポト派の残虐な行為を後世に伝える博物館として、一般に公開されて

いる。

2ヶ月間のカンボジャ生活、定年退職後の仕事としてはタフな仕事であったが、本当に

たくさんの貴重な経験をし、多くの出会いがあった。

日本に生まれ育った幸せを痛感しながら過ごした2ヶ月間でもあった。

『あれから2年シリーズ』に長い間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

2006年7月23日 (日)

あれから2年(7)

街中や田舎の店を撮った写真で、カンボジャの人たちの生活ぶりを紹介。

左はプノンペンの中心街にあった一般的な店。右は田舎に行ったとき、道沿いで

見た店。

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下は、さしずめカンボジャ版コンビニ。

90056 60040 

店舗ではないが、メコン川で獲った魚を川沿いの道端に並べて売っているところを

何度か見た。

2006年7月21日 (金)

あれから2年(6)

6人で手分けして、政府機関・地方自治体・行政機関・企業・学校・商店・家庭を

ヒアリングして回った。プノンペンだけでなく5ヶ所の地方都市含め、訪問先は80ヶ所を

超えた

訪問した学校では、パソコンを勉強している学生(写真上)、ソフトウエアの開発を

行っている学生に出会った(写真下)。

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当然のことながら、パソコンの普及率は極めて低い。

パソコンを使いたい人のために安くはないがInternet Cafeが各街にいくつかあった。

    60021_1     Pic00061_1 

カンボジャでは、そもそも電気の普及率がまだまだ低い。

田舎に行くとほとんど通電していない。

そのため、電気を買って発電機に充電し使っている。

一般の家庭を訪ね、その状況を見せてもらった。

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滞在中は、カンボジャ情報通信開発庁の人たちと一緒に仕事をした。

情報通信開発庁はカンボジャ政府が進める

電子政府システム構築の推進役である。  100115_2 

滞在中に電子政府システムの一部である

土地・不動産および車輌登録の第1次

システムが完成し、オープニング

セレモニーがフンセン首相(写真中央)

列席のもと情報通信開発庁で行われた。

2006年7月20日 (木)

この時期恒例

この時期、毎年恒例となっている三浦のメロンをお世話になっている方々に送った。

三浦のメロンは甘くて美味しく、皆さんからの評判がいい。

きっかけは覚えていないが、10年以上前メロンを栽培している農園の女性と知り合いに

なり、それ以来毎年お願いしている。

忙しかった年はファックスを送り配送をお願いしたこともあったが、1年に1度の出会いを

楽しみに、できるだけ訪ねることにしている。

場所は三浦半島突端の城ヶ島の近くの農園、我が家からは25キロ以上ある。

心地よい風を受けながら、バイクで海沿いを走ってゆくのが毎年の楽しみとなっている。

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メロン・スイカの出荷作業は今がまさにピークMelon2。                

『4月に植え付けしたメロンは、今年は低温だった

ため心配したものの、出来が良くてホッとしている』

とのことだった。

『これ今年初めてつくったスイカ。美味しくできた

ので食べていって』と、甘いスイカをいただいた。

『ファックスを送ってもらってもいいんだけど、1年に1度だから、来年も顔を出してね』と

言われ、皆さん作業が忙しそうだったので早々に引き上げた。

2006年7月18日 (火)

あれから2年(5)

カンボジャには市民の足となる交通機関がほとんどない。

首都のプノンペンですら、電車はおろかバスも走っていない。

富裕層は車またはバイク、一般の人たちの足はバイクタクシー。

運搬にはトラック。人がいっぱい乗ったトラックやさまざまなものを運ぶトラックを見た。

休みの日ブラブラ歩いた帰り、ホテルまでの道が遠かったので一度バイクタクシーに

乗った。バイクタクシーはいたるところにいて、乗らないかと声をかけてくる。

乗ったことをJICAの人に話したら、危険なので乗らないようにと言われた。

仕事には、JICAが用意してくれた運転手付きの車を2ヶ月間使った。

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2006年7月17日 (月)

あれから2年(4)

しばらく中断したが、あと数回カンボジャの話を。

仕事が結構大変だったことは、『あれから2年(3)』で書いた。

そういう中、6人でカンボジャの休日を楽しんだ。

6人の中でカンボジャに詳しい仲間の案内で、プノンペン市内から車で40分くらいの

メコン川岸のカンボジャ人の保養地のようなところに行った。

ビールを飲みながらお昼を食べて、メコン川を見ながらハンモックに揺られ、全員

一日ゆっくり過ごした。

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右の写真のような感じで、果物、野菜を  Img_0242

いろいろ売りにきた。         

ほとんどが子供で、買わなくても何度も

何度も同じカゴを頭にのせて売りにくる。

ひとつひとつは信じられないくらい安い。

カンボジャ人の若者グループも何組か

来ていた。 

 Img_0252 Img_0255   

2006年7月16日 (日)

夏の一日

数日間バタバタしたが、今日は1日ゆっくりした。

娘のダンナが出張で、しかも娘が2日続けて外出するので、孫娘のミサキの面倒をみて

欲しいとのことで、一昨日から我が家に来ている。

午後、カミサンと一緒にミサキを連れて近所をブラブラ。 

我が家のある街は、東京湾の埋立地に西武    Omatsuri_010  

不動産が30数年前に拓いた。

我が家は78年に引っ越してきたので、この街に

住んで28年になる。

30年経つと街並みは成熟する。

住んでいる人たちも当時働き盛りの世帯主の

多くがリタイアし、老夫婦世帯あるいは子供家族との同居世帯となっている。

公園に行っても、我が家同様、孫と一緒に来ているジイジ・バアバが珍しくない。

カミサンが、『最近新しいなった公園にいろいろ遊具が入ったので、ミサキを連れて行って

遊ばせよう』と言い、ブラブラ歩いて行ったものの、ミサキは途中でぐっすり寝てしまう。

      Omatsuri_002_3    Omatsuri_004 

公園のすぐそばに新しく橋脚が出来つつある。Omatsuri_006

横浜・横須賀有料道路が伸びて、新しい   

インターチェンジができることになっている。

そうなれば我が家から横浜の娘の家までは

30分少々で行けるようになる。

娘が帰ってきたので、町内会の夏祭りにミサキを連れて行った。

久しぶりに何人かの知り合いに会った。

中でも、5年ぶりくらいに息子の友だちのT君に会った。

娘さんのももちゃんは小学校1年生になったと聞いてビックリ。

   Omatsuri_002_1    Omatsuri_008_2

2006年7月15日 (土)

イベント ダブル参加

昨日午後ふたつのイベントに参加した。        Event1

先ず、昨日のブログで書いた東京ビッグサイトで    

開催されている”自治体総合フェア”へ。

フューチャーリンク社のブースで、”まいぷれ”の

デモを見せてもらい、マイクロソフトと

フューチャーリンク社の担当の人たちから

詳しく”まいぷれ”の説明を聞いた。

『ヤフーやグーグルでは検索できない、生活に必要な地元の身近な情報を求める人は

たくさんいらっしゃいます。子育てをしているお母さん、介護されている方、習い事を

したい人・・・。 ”まいぷれ”は、まさにそういう人たちにお役立ていただくための地域情報

ポータルサイトです』

『特に、出雲のまいぷれはよくできてます。また、行政が支援しながら作っている

川崎市宮前区のまいぷれは官と民の情報がうまく融合したポータルサイトになって

います。今回の”自治体総合フェア”では、官民情報を融合したサイトを皆さまに

見ていただいています』

このような地域情報ポータルサイトを制作し、維持してゆくには、大変な人手と労力が

必要である。

ぜひ頑張って、多くの地域でたくさんの人たちに役立つ情報を発信し続けて欲しい。

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東京ビッグサイトのあと、後楽園プリズムホールで開催されているリクルート主催の

アントレフェア(起業を目指す人向けフェア)』を見に行った。

フランチャイズパソコン教室キュリオステーションEvent2_1

石川社長から『キュリオステーションもブースを   

出します』とのご案内をいただいた。

着いたのは6時のクローズ真近であった。

多くのお客さんがブースに立ち寄り、成約確度の

高いお客さんも少なくなかったとのことだった。

茶を飲みながら石川社長から色々話を聞いた。

ブログでも何度か書いたホームページ誘導型フリーペーパ@motteco(アットマーク

モッテコ)の近況、パソコン教室キュリオステーションの最近のトピックス、5月に開校した

ハワイキャリアアップスクールについて・・・・・。いろいろ話を聞き、すべての事業が順調に

推移していることを大変うれしく思った。

2006年7月14日 (金)

マイクロソフトとの打ち合わせ

6月25日のブログ、『サイタ(シニアITアドバイザ)交流会』で、基調講演をマイクロソフトで

企業市民活動・社会貢献活動等を担当されている市場開発部のM部長にお願いし、

『地域コミュニティを元気にするシニアのICT活用』とのテーマで、大変興味深いお話を

していただいたことを書いた。

M部長が、講演の最後に、『地域でIT指導者として既にさまざまな活動をされている

サイタの人たちとは、きっとパートナーとして連携していくことができるであろう』との、

大変うれしい発言があり、参加者一同大いに喜んだ。

パートナー連携について具体的に意見交換をするため、サイタ交流会でパネリストを

お願いした方々と一緒に、昨日マイクロソフトを訪問した。

先日のサイタ交流会の印象からはじまり、和やかな雰囲気で打ち合わせはスタートした。

冒頭M部長から、『サイタの皆さまにご活躍いただくことで、多くの地域の課題解決に

つながると思いますし、弊社が本気で取り組んでまいります「デジタルデバイドの解消」

には、サイタをはじめとしたITが得意なシニアの方々の力が最も重要であろうと感じて

おります』との話があった。

具体的にいかなる連携が考えられるかということになり、M部長が準備された資料を

使って意見交換を行った。

先ず、以下のふたつを最初に取り組む候補テーマとして議論した。

 ・学校の”ネットデイ”支援

  ”ネットデイ”とは、先生・生徒・保護者・NPO/地元住民が一緒になって、学校の

  コンピュータ環境・ネット環境を構築していく協働作業。

  今年度は、例えば横浜市では130校で実施予定とのこと。

 ・”地域情報ポータルサイト”構築支援

  検索エンジンで探せば著名な施設やレストラン等は検索できても、住んでいる地域で

  欲しい・知りたい情報はネットではなかなか探せない。

  そのような情報の発信・蓄積を支援していくことが求められている。

  具体的にはマイクロソフトは、フューチャーリンクネットワーク社と連携し、

  ”まいぷれ”と呼ばれる地域ポータルサイトつくりを支援している。

  M部長から、『サイタグループも是非一緒に支援に協力して欲しい』。

大いに有意義な議論ができた。

打ち合わせで出た意見を盛り込んで、M部長に次回の打ち合わせまでに、より具体的に

アクションをまとめていただくことで、第1回の意見交換は終わった。

最後に、M部長から、『たまたま明日まで、東京ビッグサイトで開催されている

”自治体総合フェア”に、フューチャーリンク社とマイクロソフトが一緒にブースを出して

”マイプレ”のPRをしています。私も午後はそちらにいますので、もしお時間があれば

いらっしゃいませんか』とのお誘いをいただき、今日午後行くことにした。

  

2006年7月13日 (木)

初めてのランチ会

ブログのプロバイダのサーバメインテナンスが終わり、レスポンス時間はまだ満足でき

ないものの、10日にアップした記事に写真は掲載できた。

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パソコン教室キュリオステーション横須賀校で受講されている生徒さんから

『教室に来ていても、みんなとなかなか話す機会がない。みんなとパソコンのことほか

いろいろ話してみたい。一度ランチ会をやってはどうか』と、以前から言われていた。

気になりながらもやらずじまいだったが、何度も督促され、昨日第1回目のランチ会を

行った。

16人の方々に参加していただき、        Curiolunch

第1回目にしては上出来であった。  

平日のお昼なので、当然のことながら、

参加者の大半はシニア。

男女比は約半々。

最高齢は83歳の男性のIさん。

『生徒じゃないですが、私も付いてきました』と奥さんが同伴。

Iさんは、社交ダンスもやっているとのことで、こういう歳のとり方がいいなあとつくづく

思った。

11時半からはじまり、1時間くらいで約半分の人たちは帰ったものの、そのあと

盛り上がった。

終わったら2時。 2時間半もいたことになる。

I先生の司会進行が抜群で、皆さん大いに楽しんだ。

いろんな生徒さんが、いろんなことを勉強していて、また既に出来るようになっていて

大変うれしかった。

ゼロからスタートし、1年3ヶ月でさまざまな使い方をマスターし、パソコンをやっていたら

時間があっという間に過ぎてしまうと言われた、年配の女性のHさん。

定年し、ついこの間キュリオに入り、今日帰りにパソコン買って帰ろうと言われていた

男性のSさん。

九州の娘さんがパソコンを送ってきて、孫もみんなパソコンができるので、

『お母さん勉強して!』と、娘さんにハッパをかけられている女性のUさん。

『入力も満足にできない1年前、院内感染問題についてパワーポイントにまとめて

発表するように婦長さんに言われ、徹夜して何とか発表資料をつくった。そのことが

きっかけで教室に通うようになった』と、言われていた看護師のKさん・・・・

多くの方から、『ランチ会はぜひ続けてほしい』と言われた。

『もっとゆっくりみんなと話せるような場所がいいなぁ』

『ほかの人たちがどんなことにパソコンを使っているのか知りたい。そのために、次回は

「わたしこんなことに使ってる』という風な話をみんなでしたい。きっと勉強になることが

いっぱいあるはず』などなど、色々な意見が出た。

『皆さん集まってくれるかなぁ、盛り上がるかなぁ』と、いくぶん不安を感じながらやった

ランチ会だったが、喜んでもらえてホットした。

今回出た意見を取り入れて、次回の企画をI先生と一緒に考えることにした。

2006年7月10日 (月)

あれから2年(3)

『アジアの中で最貧国であるカンボジャが、今後社会インフラを整備・構築してゆく上で、

情報通信技術をいかに活用していけばよいかを調査し2ヶ月間かけて提言を報告書に

まとめる』、これが6人のデレゲーションの役割であった。

日本側の窓口である総務省・JICA、それにカンボジャ政府、特に現地のパートナーで

あるカンボジャ情報通信開発庁の期待は大きかった。

期間はたった2ヶ月、容易な仕事ではなかった。

幸いチームリーダがJICA関連の海外支援・協力事業の経験が豊富でリーダシップの

取れる人であったため、彼を中心に全員で2ヶ月間頑張った。

何と言っても、先ずは現状を知る必要がある。

6人で手分けして、政府機関・地方自治体・行政機関・企業・学校・商店・家庭を

ヒアリングして回った。

JICAから政府機関に派遣されている多数のJICA専門家とも面談した。

プノンペンだけでなく、5ヶ所の地方都市も回った。

最終的に訪問した先は80ヶ所を超えた。

各自ヒアリングしたあとは情報通信開発庁が用意してくれた事務所に戻りレポートを

まとめ、6人で議論し、次の訪問先の準備をするという作業の繰り返しだった。

40日過ぎたあたりからどのように分担しどのようにまとめてゆくかの議論をはじめた。

最後の3週間は土曜・日曜も休むことなく、各自ホテルの部屋で缶詰め状態となり、

追い込み作業を行った。110148

まとめた報告書はパワーポイント

資料で202ページ。 

報告する日も決まった。

帰国の1週間前、場所はインター

コンチネンタルホテルのゲストルーム

プレゼンの相手は情報通信開発庁                         

長官のリーウッド氏(上の写真右中)    110001

リーウッド氏は大所高所からものを

見て判断できる立派な方だった。

長官とは何度かみんなで食事をした。

プレゼンに対しても、長官から色々

質問や指摘を受け、大変実のある

議論ができた。長官から『30分時間を

取るので、ソクアン副首相にもぜひ120105

説明して欲しい』と頼まれ、

帰国3日前、JICAの所長も同席し、

議員会館で副首相(写真右側)に 

説明を行った。

30分の予定が活発な質疑応答で、

結局1時間半かかった。                                                 

『大変良い提言をまとめていただいた。今後もぜひ継続して支援して欲しい』との

謝辞をいただいた。当日はテレビの取材も入った。     

すべてが終わり、10月29日にプノンペンを発って、バンコク経由で、30日朝成田に

着いた。

無事任務を終え、さわやかな気持ちで2ヶ月間寝食をともにした5人の仲間とお互い

の労をねぎらいながら別れた。

2006年7月 9日 (日)

後日談

6月1日のブログで、4年くらい前に一緒に仕事をしていた女性のAさんのことを書いた。

彼女は、英語・フランス語が堪能で、3年くらい前に会社を辞めて、愛知万博で

5ヶ国語のウエッブサイトの開発・維持管理および5ヶ国語のメーリングリストの運営に

携わり、現在は、世界的に有名なスエーデンの家具メーカIKEA Japanで活躍している。

Aさんは近い将来、ITに関連した会社を自分で興し、現在数人で検討・準備を進めている

新しいビジネスに取り組みたいとの強い希望を持っている。

会社の興し方、ビジネスの進め方について相談に乗って欲しいと言われてきたが、

私だけではとても手の負えないので、パソコン教室事業の顧問税理士をお願いしている

F先生に会って相談することにした。

昨日午後、六本木に事務所を持つF先生をAさんと一緒に訪ねた。

Aさんの始めようとしているビジネスに対し、F先生も大いに興味を示し、いろいろ貴重な

アドバイス・意見をいただいた。

新会社法のもとでは、これまであった規制が緩和され、株式会社の設立は以前より

容易くできるようになったことをわかりやすく説明してくださった。

今後の進め方について、3人でいろいろ議論した。

Aさんが現業から、どのタイミングで新しい事業に移ってゆくか、そのためには、

それまでにどのような準備をどのような手順でやってゆけばよいかが、当然ポイントに

なった。

具体的な手順にまでは話は及ばなかったものの、やるべきことは大筋ではっきりした。

多忙なF先生に貴重な時間を2時間も割いていただき、Aさんともども大いに恐縮した。

終わったあと、Aさんと広尾までぶらぶら歩いた。

途中、お茶しようということで、THEOBROMA(テオブロマと読む)という南麻布の

チョコレートで有名な店で、F先生からいただいた意見・アドバイスを思い出しながら、

ゆっくり話した。

Aさんのことだから、きっと自分の夢の実現に向けて突き進んでいくことだろう。

2006年7月 7日 (金)

あれから2年 (2)

2004年8月31日、プノンペンへの直行便がないため先ずバンコクへ向けて出発した。

バンコクで1泊し、9月1日昼前にプノンペンへ到着。

JICAの迎えの車でホテルへ直行。2ヶ月間のホテル生活がはじまった。

先ず、カンボジャについて。

インドシナ半島にあり、東のベトナム、西のタイにはさまれた人口約1300万人の国。

ほとんどの日本人は、アンコールワット遺跡以外、カンボジャについての知識は持ち

合わせていないことだろう。 現に私もそうであった。

カンボジャは、まさに開発途上国で、アセアン10ヶ国中、CLMV(カンボジャ、ラオス、

ミヤンマー、ベトナム)と呼ばれる第2群の国の中でも、カンボジャの国力は、ほぼ

最下位に位置する。

1/3以上の国民が1日1ドル以下で生活している。

インフラ整備は近隣国に比べ大幅に遅れている。

例えば道路舗装率は同じCLMVのラオスの半分で10%程度、水道整備率はラオスの

約1/3、安全な水にアクセスできる人の割合は15%程度。

日本はこれまでほとんどのインフラ整備を無償資金協力で行ってきた。

また人的支援もさまざまな形で行っている。

現地で活動している日本のNGO団体は30以上、また、滞在中JICAから派遣され、

カンボジャの政府機関で働いている多くの専門家やシニア海外ボランティアに会った。

カンボジャが何故ここまで国力が低位で疲弊しているかは、偏に20年あまり続いた

内戦のためである。

とりわけ1975年から3年8ヶ月間続いたポルポト時代にカンボジャはめちゃめちゃに

破壊されてしまった。

道路や橋の破壊は言うに及ばず、「人材の破壊」、「制度の破壊」が、カンボジャに

壊滅的な打撃を与え、その状態が今なお国全体に残っている。

「人材の破壊」ということでは3年8ヶ月の間にポルポト派により170万人の人たちが

殺されたり、強制労働させられ病死した。その大部分が技術者や知識人であった。

国を担う人材がほとんど破壊され、抹殺されてしまった。その後、十分な教育ができる

状況になく、新しく国を担う知識人や技術者が育成できていない。

「制度の破壊」ということでは、法律や社会制度がポルポトによりことごとく破壊されて

しまった。特に1975年以降、ポルポト派はプノンペン市民を町から追い出し強制的に

地方に追いやってしまったので、土地や家屋の所有権はまったく崩れ法律なども全部

機能を失い、いまだに民法すら整備されていない状況にある。

ポルポト支配は、たった30年前のことである。

2ヶ月間ずっと一緒に働いた情報通信開発庁の若い人たちと何度も一緒に食事を

した。酒が入ると、小さかったころ、家族がポルポト派の兵士たちからどれほど酷い

悪事を受けたを話してくれた。

若い彼らは国のエリートである。カンボジャを何とか自分たちの手で良くしていきたい

との気概を誰からもひしひしと感じた。

熱っぽく語る彼らの話を聞くたびにカンボジャの立ち直りを願わずにはいられなかった。

2006年7月 6日 (木)

あれから2年 (1)

6月18日のブログ、『2年前の今日は。。。』で、定年退職した日のことを書いた。

退職し10日くらい経ったころ会社から電話があった。

朝、厚生年金について問合せするため、社会保険事務所に行っていたときであった。

窓口でいろいろ説明を聞いていたとき携帯電話が鳴った。

海外事業を一緒にやっていた部長からだった。

『いま話せないので、あとからまたかけて』と、ひとまず電話を切った。

しばらくして電話はかかってきた。

『実はお願いがあって電話してます。唐突なお願いですが、2ヶ月間JICA(ジャイカ)の

仕事でカンボジャに行ってもらえないでしょうか』とのこと。

『退職してまだ10日だけど会社に行かなくていい快適さを満喫しながら毎日を過ごして

いるので、申し訳ないけどその気になれないなぁ。誰か社内の人を探して』と返事する。

断ったつもりなのに、その後何度か電話があった。

『予定していた者が急に病気になって、いろいろ当たったんですが、ほかに適当な人が

見つかりません。総務省・JICAへ仕掛けた手前、どうしても誰か行かねばならなく、

申し訳ないですが、よろしくお願いします』と口説かれて、カンボジャがどんな国かも

わからないまま、やむなくOKした。

決まったら話が早い。

詳細を説明したいのでということで会社に行った。

総務省・JICA(国際協力機構)プロジェクトであること、コンピュータメーカ3社から

6名が派遣されること、期間は2ヶ月間、立場はJICA技術協力専門家、勤務地は

カンボジャ首都プノンペン、勤務場所はカンボジャ情報通信開発庁、言葉は英語。

肝心の派遣目的は、『アジアの中で最貧国であるカンボジャが今後社会インフラを整備

構築してゆく上で、情報通信技術をいかに活用していけばよいかを調査し、2ヶ月間

かけて提言をまとめること』とのこと。

定年退職し、安穏な毎日に慣れはじめた者には、相当タフな仕事のようである。

しかし、引き受けた以上、もう後には引けない。

数日後、一緒に行く6人が集まり、顔合わせと意見交換の打ち合わせが行われた。

定年退職者は、私ひとり。

私ともう1人を除き4人はJICA関連の海外支援・協力事業を担務している人たちだった

6人は出発までに5~6回集まり、事前準備打ち合わせを行い、8月31日に出発した。

続きは、あれから2年 (2)以降で。

2006年7月 4日 (火)

娘来訪&来客

娘と孫娘のミサキが1ヶ月半ぶりに我が家に来た。

ミサキは1年8ヶ月を過ぎた。

話しかけることがだいぶ理解できるようになり、まだ単語だけではあるが、発する言葉も

増えてきた。

表情も豊かになり、成長していることがよくわかる。

 Misakiomote_008_2   Misakiomote_010_3 

日曜日夕方、毎年この時期恒例になっている

息子の友だちが7人(うちふたりは夫婦)      Misakisoh_002_2  

来てくれて、我が家の3人含め10人で

飲み会がはじまった。

年に1度のため話題にはこと欠かない。

5時からはじまり、盛り上がりぱなしだった。

缶ビールが30本以上、それに泡盛が

1本空いた。

子供ふたりも9時ころまで付き合い、         Misakisoh2_1

キャアキャア走り回っていた。

ふたりはアンパンマンのビデオを仲良く真剣に

観ていた。

翌日はみんな仕事のため、やむなく

11時に終わった。

あっという間に過ぎた6時間であった。

  

2006年7月 1日 (土)

いよいよ夏模様

今日から7月。

1年の半分が過ぎた。

定年後、1日、1週間、1ヶ月が経つのがホントに早い。

我が家の裏は、道を隔てて海である。            Urayuuhi_012 

先日窓から見た夕陽がとってもすばらしく、

思わずデジカメを持って裏の海岸に行った。

単純な疑問であるが、夕陽になったら陽光は

何故あのような美しいこがね色になるんだろう。

今年4月に完成した1500メートルの         

遊歩道を、時々ブラブラ散歩するが、Urayuuhi_015

とても気持ちがいい。

正面には東京湾で唯一の島、猿島が望める。

横須賀港から船で15分くらい、戦争中の要塞が

残る無人島である。

猿島の左は米軍横須賀基地。

下の写真の左は、我が家のすぐ裏、右は、海沿いの遊歩道である。

 Urayuuhi_002  Urayuuhi_008  

2階の窓から、朝は右方向に朝日、夕暮れは左方向に夕陽が見える。

夏の早朝は特に快適である。

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