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2006年7月 7日 (金)

あれから2年 (2)

2004年8月31日、プノンペンへの直行便がないため先ずバンコクへ向けて出発した。

バンコクで1泊し、9月1日昼前にプノンペンへ到着。

JICAの迎えの車でホテルへ直行。2ヶ月間のホテル生活がはじまった。

先ず、カンボジャについて。

インドシナ半島にあり、東のベトナム、西のタイにはさまれた人口約1300万人の国。

ほとんどの日本人は、アンコールワット遺跡以外、カンボジャについての知識は持ち

合わせていないことだろう。 現に私もそうであった。

カンボジャは、まさに開発途上国で、アセアン10ヶ国中、CLMV(カンボジャ、ラオス、

ミヤンマー、ベトナム)と呼ばれる第2群の国の中でも、カンボジャの国力は、ほぼ

最下位に位置する。

1/3以上の国民が1日1ドル以下で生活している。

インフラ整備は近隣国に比べ大幅に遅れている。

例えば道路舗装率は同じCLMVのラオスの半分で10%程度、水道整備率はラオスの

約1/3、安全な水にアクセスできる人の割合は15%程度。

日本はこれまでほとんどのインフラ整備を無償資金協力で行ってきた。

また人的支援もさまざまな形で行っている。

現地で活動している日本のNGO団体は30以上、また、滞在中JICAから派遣され、

カンボジャの政府機関で働いている多くの専門家やシニア海外ボランティアに会った。

カンボジャが何故ここまで国力が低位で疲弊しているかは、偏に20年あまり続いた

内戦のためである。

とりわけ1975年から3年8ヶ月間続いたポルポト時代にカンボジャはめちゃめちゃに

破壊されてしまった。

道路や橋の破壊は言うに及ばず、「人材の破壊」、「制度の破壊」が、カンボジャに

壊滅的な打撃を与え、その状態が今なお国全体に残っている。

「人材の破壊」ということでは3年8ヶ月の間にポルポト派により170万人の人たちが

殺されたり、強制労働させられ病死した。その大部分が技術者や知識人であった。

国を担う人材がほとんど破壊され、抹殺されてしまった。その後、十分な教育ができる

状況になく、新しく国を担う知識人や技術者が育成できていない。

「制度の破壊」ということでは、法律や社会制度がポルポトによりことごとく破壊されて

しまった。特に1975年以降、ポルポト派はプノンペン市民を町から追い出し強制的に

地方に追いやってしまったので、土地や家屋の所有権はまったく崩れ法律なども全部

機能を失い、いまだに民法すら整備されていない状況にある。

ポルポト支配は、たった30年前のことである。

2ヶ月間ずっと一緒に働いた情報通信開発庁の若い人たちと何度も一緒に食事を

した。酒が入ると、小さかったころ、家族がポルポト派の兵士たちからどれほど酷い

悪事を受けたを話してくれた。

若い彼らは国のエリートである。カンボジャを何とか自分たちの手で良くしていきたい

との気概を誰からもひしひしと感じた。

熱っぽく語る彼らの話を聞くたびにカンボジャの立ち直りを願わずにはいられなかった。

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