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2006年5月

2006年5月31日 (水)

沖縄の旅(その7:大好きになった竹富島②)

自転車を借りて、周囲9キロの小さな竹富島を回った。20065_261_2

コンビニは1軒もなかった。信号機もまったくなかった。                       

乗用車も1台も見かけなかった。

目についた店は、民宿、レンタル自転車ショップ、食事をする所

くらいだった。

島のあちこちに標識が立っていて、どの標識にも環境省の名前が

書いてあった。きっと島の財政ではとても無理なため、国から助成を受けて、観光整備を

行ったのであろう。

気にいった施設を紹介する。 20065_292_1 

わずかな数の人しか住んでいない島のためか、

昔から島民が結束していたことを感じさせられた。

氏神様なのだろう島民が崇める神様があちこちに

祀られていた。このやしろの前の柱には出征する

兵士の武運長久を祈願する文字が、出征した

兵隊さんの名前とともに刻まれていた。       20065_296     

『なごみの塔』と呼ばれる、言わば、竹富島の

ランドマークタワーのような建造物を目にした。

名前がとてもいい。命名した人の想いが

しのばれる。

50年以上前に近隣の人たちがお金を拠出して

造ったもので、建造した石工の名前が

刻まれていた。

古くから、この塔の下でさまざまな島民の催しが行われてきたようである。  

             20065_259 

小学校と中学校がとなり通しで、同じ敷地内に

建っていた。入り口に大きなガジュマルの木があり

とても雰囲気のいい学校だった。

校門の裏に、学校の行っている各種活動が

文部省や県、新聞社から表彰されたことが

紹介されていた。

きっといい教育がなされているんだと感じさせる雰囲気のある学校だった。

たけとみ民芸館に立ち寄り、織物を織る様子を見せてもらった。

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沖縄特有の織物である芭蕉布は最近はめっきり減ってきているようで、織られていた

帯も木綿糸だった。                       20065_294

水牛車に乗って説明を聞きながら島内を回る

ことが、竹富島の観光名物となっている。

サンシンを奏でながら唄う案内の人の声が

もの悲しくとても情緒があった。

のんびり過ごした竹富島の3日間だった。

仕事やプライベートで疲れた都会人が癒される保養の場としては、最高であると感じた

竹富島であった。

2006年5月30日 (火)

沖縄の旅(その6:大好きになった竹富島①)

モトブから車で那覇まで戻り、娘夫婦に空港まで送ってもらい、彼らとは空港で別れた。

我々は竹富島へ、娘夫婦は渡嘉敷島へ。

これからはカミサンとふたり旅。 道中、もめないようにしなきゃ。

先ず、那覇から石垣島まで飛行機。フライト時間は1時間弱。東京から大阪くらいか。

石垣島から竹富島までは船で10分。

竹富島に着いたときの印象は、『いやー、遠くに来たものだ』

東京から竹富島までは、ほぼ日本列島ひとつ分くらい。

その竹富島は、島の周囲9キロくらいの小さな島。住んでいる人は300人くらい。

昔のままの沖縄が残っている感じの島。

サンゴの殻でできた石垣、シーサのある赤瓦の家、白砂の道、1年中咲いている

ハイビスカス、ブーゲンビリア・・・・

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道のあちこちに標識が立っていた。

そのうちのひとつに、まさに、これが竹富島なんだという説明が書いてあった。

  20065_237_4 

曰く、竹富島憲章を制定し、竹富島の住民は、『売らない』、『汚さない』、『乱さない』、

『壊さない』、『生かす』を行動の基本とし、伝統行事を守り、独自の地域作りに励む。

今の時代、すばらしいモットーである。特に、『売らない』が気に入った。

島内を歩き、このモットーがしっかり守られていることを、あちこちで垣間見た。

もちろん、海もあるがままの姿。

白砂、沖までずっと続く遠浅のコバルトブルーの海

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泊まった宿は、民宿「小浜荘」            20065_272

親しみやすい雰囲気の宿だった。

2泊しただけだがお客さんの出入りが多く

顔ぶれが毎日変わっている感じがした。

それにしても民宿に泊まったのはいつ以来

だろうか。

2006年5月29日 (月)

沖縄の旅(その5:ジョージさんのこと④)

ジョージさん、ミカさんと我々家族5人で、ジョージさん行きつけの沖縄料理店に夜食事に

出かけた。

食事がスタートししばらくすると、男性がひとり輪に加わり、もう一度乾杯。

ジョージさんから紹介された。

『昔からの友だちでパパと呼んでる人。この人、ダパンプのイッサのパパ。パパもCD

出してる歌手。それにアメリカのプロゴルフ協会PGAのメンバー』

カミサン、娘のダンナと娘、全員、『えー、そうなの、スゴイ!』

私は、PGAはわかったが、ダパンプもイッサもチンプンカンプン。

となりに座っているカミサンに聞いた。

『ダパンプ(DA PUMP)は有名な沖縄出身のラップミュージシャンのグループ。

イッサ(ISSA)はグループの中でボーカル担当』とのこと。

パパの名前は辺土名さん、とにかくカッコウいい。えー、これでホントに団塊世代なの!

『もう若くないんで、アメリカPGAではムリだけど、今でも時々PGAメンバーとして

フィリッピンでプレーしている』とのこと。

食事が終わったあと、ジョージさんが、『10時からライブがあるので、聞きに行こう』と、

地元のバーへ連れて行ってくださった。               20065_181_2    

クリムソンというバンドのライブだった。

沖縄のメロディーがいっぱい出たあと、当然パパの出番。

『琉球(ウルマ)から息子へ』、ものすごくいい歌詞、それに

いいメロディーだった。 別れるときCDをいただいた。              20065_185_1              

実は娘のダンナもバンドをやっていて、そのことを           

みんなに言うと、『ゼッタイやってよ!』と何度も言われ、

ギターを爪弾きながらうたってくれた。

来ていたお客さん含め全員から大喝采。

最後はお決まりのカチャーシーをみんなで踊り、本部の夜は20065_189

1時過ぎに幕を閉じた。

大変な受難で、カワイソウだったのは1歳半のミサキ。             

はじめのころは、トロンとした眠そうな目で付き合ったいたが、

そのうち眠くて何度も泣き出し、外に連れ出し寝させた。

後半は回りの騒ぎをかまわうことなく、娘の膝の上でぐっすり寝ていた。

娘曰く、『ミサキはこの旅でかなり育脳されたはず』。 うん、それは間違いない。

翌日の朝食では、マツ子オバアのつくってくださった沖縄のおふくろの味をいただいた。

前の日にサウナから出た時いただいた、オバアお手製のアセドラドリンクとヨモギドリンク

も美味しく、飲んでいて血がきれいになってゆく感じがした。

オバアが、見せたいということで、海の見える畑に連れて行ってもらった。

ビニールハウスの中にマンゴーの木がたくさん植えられていて鈴なり。ゴーヤもいっぱい。

いまでは都会では見ることのないニワトリも飼われていた。

これらすべてを81歳のオバアが面倒みている。

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家に戻ってからもマツ子オバアから1時間以上20065_197いろんな話を

聞いた。いろいろご苦労もあったようだが、すべてをサラリと

話され、まさに世に評判の沖縄オバアを垣間見た。                      

別れがたかったが、ジョージさん、マツ子オバアに、お世話に

なったお礼を言い、ジョージさん宅をあとにし、家族5人、車で那覇に向かった。

2006年5月27日 (土)

沖縄の旅(その4:ジョージさんのこと③)

ジョージさん、ミカさんと一緒に、家族5人、6月2日にプレオープンするジョージさんの

新しいビジネス、『バニアンリゾート 今帰仁(ナキジン)』を見に行った。

バニアンは多幸をもたらす木といわれているガジュマルのこと。

バニアンリゾートの中心は、『トレーラハウス』。

トレーラーハウスとは、アメリカ生まれのタイヤのついた移動可能な移住居。

既に10台のトレーラーハウスが設置されていた。

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トレーラハウスは、長さ10~13m、幅は最大で4.5m。

インテリアとしては、アメリカからそのまま運ばれてきたダイニングキッチンシャワー

ルーム・リビングスペース・寝室が備わっていて、豪華な作り。

4~5名が泊まることができ、広さは別にして、雰囲気はホテルのスイートルーム。

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宿泊施設以外に、野外プールバー・レストラン・岩風呂・サウナ・エステが作られる。

すべてが揃って正式オープンするのは、9月。

バニアンリゾートの目の前は海、近くには、ちゅら海水族館・今帰仁城跡・伊江島・

瀬底島名護パイナップルパーク等があり、好ロケーション。

『バニアンリゾート 今帰仁』のあとは、車で15分くらいのジョージさんの実家へ。

大きな邸宅で、庭には真っ赤なブーゲンビリアが咲いていた。

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81歳のジョージさんのお母さん、マツ子さんに出迎えられた。

お母さんとは翌日午前中まで一緒であったが、元気イッパイのすばらしい沖縄の

オバア、マツ子さんが、家族全員大好きになった。

部屋がいっぱいある豪邸にマツ子さんはひとりで住んでいて、畑仕事、ニワトリの世話、

庭の草木の手入れ、ご近所のお友だちとよもやま話・・・ とても80歳を超えているとは

思えない、ホントにお元気なオバア。20065_177

お宅には部屋がいっぱいあるだけでなく、    

驚いたのは、屋上に海の見える

ジャグジーの浴槽、それにサウナが

あること。

海を見ながら入った風呂は、まさに

極楽だった。

風呂とサウナを楽しんだあとは、みんなで沖縄料理を食べに行った。

ここでもまた新しい出会いがあった。

このことは、次の、沖縄の旅(その5:ジョージさんのこと④)で紹介。

沖縄の旅(その3:ジョージさんのこと②)

本部(モトブ)での3泊目はジョージさんのお宅に、家族5人泊めていただいた。

ジョージさんと一緒にハワイで会って、今回の沖縄旅行でも色々お世話になった

ミカサンからケータイに連絡があり、本部の丘の上に建つ360度パノラマビューの

レストラン「風の丘」でお昼をご一緒することになった。

「風の丘」は有名なレストランのようで、娘のダンナも娘も以前行ったことがあるとのことで

場所を知っていた。                     20065_143_3                    

またレストランに行って知ったが、いま上映されている

沖縄を舞台にした青春音楽映画「チェケラッチョ」

撮影舞台となった場所でもある。

ジョージさんからいろいろ美味しい沖縄料理をご馳走になった。

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雨模様ではあったが、レストランを取り巻くベランダからは360度パノラマビューが臨め、

遠方に瀬底島、伊江島が見えた。

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このあと、ジョージさんが新しくはじめた事業で、6月2日にプレオープンする予定の

『バニアンリゾート 今帰仁(ナキジン)』に案内してもらった。

場所は「風の丘」から車で15分くらいの本部半島北部の今帰仁海岸。

『バニアンリゾート 今帰仁』については、次の沖縄の旅(その4:ジョージさんのこと③)で

紹介する。

2006年5月26日 (金)

沖縄の旅(その2:ジョージさんのこと①)

今回の沖縄旅行で、先ず紹介しておきたい人がいる。

3月にハワイに行ったときお世話になったジョージさんである。

ジョージさんの本名は、福地 常治さん。大阪に本社のあるアイエスシーという会社の

社長である。ジョージさんは本部(モトブ)の出身で、沖縄にもジョージハウスオキナワ

という会社を持っている。

アイエスシーは若い層の人たちを中心としたメンバー制のクラブを運営する会社。

会員は全国で7万人、沖縄だけで7千人と聞いている。

クラブメンバーになると、いろいろ会員向けの特典が受けられる。

そのひとつが、旅行するときに受けられる特典で、アイエスシーがあちこちに持つ

施設に廉価で宿泊できること。

私はアイエスシーの会員ではないが、ジョージさんの計らいで、3月にハワイに旅行した

ときに次いで、今回沖縄でもアイエスシーの施設に会員料金で泊めていただいた。

沖縄の施設は、中部の名護市郊外にあるカヌチャベイ・リゾート

カヌチャベイ・リゾートは、今まさにホットな話題となっている、沖縄の普天間米軍基地が

移転される辺野古崎・キャンプシュワブの対岸にある。 

  20065_020

部屋の広いベランダからは辺野古崎・キャンプ

シュワブがはっきり見えた。地図を見ると4キロ

くらいしか離れていないようである。ベランダの

目の前はゴルフ場。目の前のホールはとても

難しそうで、見ていたらフェアウエイを外す人が

多かった。

                               20065_086 

部屋は、広いベッドルームがふたつ、大きな

リビング、キッチン、ゴルフ場に面した大きな

バスルーム。

まさにホテルのスイートルーム。

これで、あの料金とは。

カヌチャベイ・リゾートはとにかく敷地が広い。   20065_110 

敷地内には巡回バスが通っていて、またレンタル

カートでも移動できる。

ゴルフ場以外にさまざまな施設がある。

幾種類もの宿泊棟、各種レストラン、プール、

スパ・リラクゼーション、マリンスポーツ・・・

まさにオールインワンのリゾート。

カヌッチャには娘夫婦と一緒に2泊したが、     20065_109 

ビーチサイドのプール以外は施設を利用する

ことなく、専らモトブ半島をあちこちドライブした。

孫娘のミサキはプールは初体験で、怖がら

ないかと心配したが、水に慣れてくるとご機嫌で

はしゃいでいた。

2006年5月25日 (木)

沖縄の旅(その1:感激の出会い)

1週間の沖縄の旅を終え、昨夜大雨の中を帰ってきた。

いろいろあったエキサイティングな1週間だった。

最初の3泊は、娘夫婦&孫娘ミサキと一緒に沖縄本島中部の本部(モトブ)へ。

後半の4泊は離島で、最初の2泊は竹富島、最後の2泊は石垣島。

娘夫婦とは4日目に那覇で別れ、彼らは渡嘉敷島へ行き、明日帰ってくるのでは。

撮ったたくさんの写真を整理しながら、おそらく10回シリーズくらいで、見聞きした

面白い話、感激・感動したこと、出会った人たち、美しい沖縄の海、美味しかった

沖縄料理などを書いていくつもり。

沖縄本島にはこれまで仕事で2回行ったことがある。

2回目はカミサンを連れて行き、仕事が終わったあと休暇を取り延泊し、車で本島を

広範囲に回った。

沖縄に旅した多くの人がそうであるように、私も沖縄が大好きになった。

離島へは今回が初めてであった。

沖縄のいたるところにある美しい海の中で、7年前2回目の旅で行った本部(モトブ)

半島から橋で渡る瀬底島の海の美しさには、ホントに感動した。

沖縄の旅(その1)では、今回再度行った瀬底島と島での感動的な出会いについて

紹介する。

      
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上の写真はモトブから瀬底島に渡る瀬底大橋の上から撮った写真。

7年前にその美しさに感動したのも、この位置から見えるこの海だった。

長年離島苦に耐えてきた約千人の20065_040_2

瀬底島の人たちにとって昭和60年       

に開通した瀬底大橋はまさに悲願が

叶った架け橋であった。

7年前に訪れたとき、瀬底大橋を渡り

車で島内を走った。

途中、かわいいシーサー(家の屋根

上に飾られた魔除け)のある家を見つけ、車を停めて写真を撮った。

そのとき、家の中からおじいさんが出てきて、カミサンと一緒にいろいろ話をした。

今回そのお宅を見つけたくてしばらく車で走っていたら、たしかこの家ではと思われる

家を見つけた。車を降りてシーサーの写真を撮っていたら、高齢の男性が買い物

から帰ってきた。7年前にお会いしたおじいさんだった。夫婦で大感激!

今年94歳のおじいさん、上間さんは足元がおぼつかなく、耳も遠かった。

7年前のことを覚えているかどうか聞いたが、覚えてないとのことだった。

一緒に写真を撮らせてもらいたいとお願いしたら、快く応じてくださった。

20065_041 20065_043   

『子供たちは東京の方にいて、9年前に女房を亡くしてからはずっとひとり』とのこと。

『写真はぜひ送って欲しい』と言われた。

『帰ってから手紙と一緒に送ります。どうぞお元気にお過ごしください』と言い別れた。

7年ぶりの感動的な出会いであった。

2006年5月16日 (火)

明日から1週間ブログ休みます

娘のダンナが年に1度のまとまった休みが取れたので、娘夫婦と一緒に明日から1週間、

沖縄へ行くことになった。

前半は全員一緒に沖縄本島の本部(モトブ)周辺、後半は我々は石垣島と竹富島へ、

娘夫婦は慶良間諸島でダイビング。

沖縄はちょうど梅雨入り。天気は期待できそうにない。

あちこち回るとともに、今回のもう一つの目的は、3月にハワイに行った時お世話になった

『I.S.Cジョージハウス』のオーナのジョージさんが、来月本部にオープンするトレーラー

パークを見学すること。

トレーラパークは、本島中央に位置する本部半島の海を一望するベストローケーションに

アメリカ直輸入のトレーラーハウスが15台置かれ、ジャグジー・エステ・プール等が

完備している施設。

ジョージさんの実家は本部にあり、今回4人で一晩泊めてもらうことになっている。

こちらも大変楽しみ。

今回はパソコンを持っていかないことにした。

そのため、明日から1週間、ブログはお休みさせていただきます。

帰ってきたら、いろいろ見聞きした話をおいおい紹介します。

2006年5月15日 (月)

昨日届いた2通のうれしいメール

うれしいメールは、いずれもかつて一緒の職場で仕事をしていた人たちからだ。

1通目は、15年以上前、自費でアメリカ・ミシガン大学に留学し、MBAをとったK君から。

K君はその後アメリカの現地法人に出向したが、数年後会社を辞め、そのままアメリカに

移住し、3人の娘さんたちに恵まれ、今はサンディエゴに住んでいる。

可愛いアメリカ人の奥さんと子供さんを連れて一度訪ねてきてくれたことがある。

会社を辞めたあと、サンディエゴのホテルのマネージャーになり、『一度ご夫婦で来て

ください』と何度も連絡をもらったが、結局行かずじまいで終わった。

その後、K君はコンサルタント会社に移り、毎年、年の初めには家族の様子、仕事の

近況を細かく書いた長い手紙を送ってくれる。

そのK君からメールが届いた。

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お久しぶりですが、お元気でしょうか?

コンサルタントとして努力してまいりました米国の先端技術の日本導入の第一弾に、

漸くこぎつけました。 

『細菌のリアルタイム検知技術』です。

現在は細菌の検知には少なくとも数時間かかるのですが、今回の技術は即時に

何かおかしい細菌が入ってくるのが見えるんです。 

私のポテンシャルを評価していただいた山武(株)の技術者の方々と一緒になって

此処まで来ました。 

製薬業界での製造・研究施設の細菌汚染の早期検知が効能ですが、その用途は

上水道から食品、更には病院の衛生管理まで広くなると期待しています。

5月17日から19日まで東京ビックサイトの山武ブースにおりますのでお時間が

ありましたらご来館ください。

     展示会:   Pharma IT 2006: 
http://secure.shanon.co.jp/reedexpo/exhidir/IT/en/alpha/

    展示内容: 細菌のリアルタイム検知技術(製薬関係・開発・研究・製造過程での応用)

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2通目は、4年くらい前一緒に働いていた女性のAさんから。

Aさんもスゴイ人だ。

英語・フランス語が堪能で、なにより彼女の仕事への情熱とエネルギー、能力には

比類ないものを感じる。

3年くらい前に会社を辞めて、愛知万博で5ヶ国語のウエッブサイトの開発・維持管理

および5ヶ国語のメーリングリストの運営に携わった。

愛知万博終了後は、世界的に有名なスエーデンの家具メーカIKEA Japanに入った。

IKEAはゴールデンウイーク直前に、船橋に日本の第1号店をオープンした。

店舗つくり、商品および商品の売り方が大変注目を集めている。

AさんはIKEAの日本上陸に先立ち、アメリカで教育を受け、船橋店の立ち上げで活躍し、

現在は、秋にオープンする予定の横浜港北店の出店準備に携わっているようである。

そのAさんからメールが届いた。

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お元気そうで何よりです。

IKEAは現在社会現象になっており、沢山のお客様にいらしていただいており、

すごいことになっています・・・。品薄状態で・・・。既にワールドワイドでNo.1セールスに

なってしまいました!!

さて、私は将来、外国人向けのコンテンツビジネスをやりたいと思っています。

自分で会社を立ち上げたほうがいいんだろうな・・とか考えていますが・・・。

お時間のあるときに相談にのっていただきたいのですが・・・・。お時間いかがでしょうか?

横浜まで伺っても大丈夫です。

    ~~~~~~~~  ~~~~~~~~  ~~~~~~~~  ~~~~~~~~~  ~~~~~~~~  ~~~~~~~~  ~~~~~~~~
かつて一緒に仕事をしていた人たちが、このように大きく羽ばたいていることは、

とてもうれしい。

それとともに、定年した私にいろいろ声をかけてくれることも大変うれしい。

ふたり以外にも、かつて同じ職場で、今は上海で活躍している女性もいる。

若い人たちがこのようにグローバルに活躍していることは最高のよろこびである。         

2006年5月13日 (土)

ヤーコンについて

5月4日のブログで、ヤーコンについて書いた。

 ・ヤーコンはオリゴ糖が多く、肌や便通に効果があり、しゃきしゃきしていて、とても

  歯ごたえ・食感がいい野菜である。

 ・我が家の庭にこのまま植えておいたら、どんどん大きくなり、どなたか欲しい方に

  もらっていただかないと、庭がヤーコンに占領されてしまいそうである。

先日、タネイモのついた茎と株をテニスコートに持って行き、5人の仲間に引き取って

もらった。これで、我が家のヤーコンの分家ができた。

渡すにあたり、あらためていろいろ聞かれた。

 ・いつ植えて、どのように育てればいいの?

 ・収穫時期は?

 ・どのようにして食べるの?

『我が家は去年の5月ころ植えて、時々水をやる以外、何もしないでずっとほっておいた。

今年の1月に掘り起こしたら結構イモがついていたので、そんなことでいいんじゃないの』

と答えたが、あまり納得してもらえず、『奥さんに聞いてブログに書いてよ』と言われた。

あらためてネットでも調べた。

ちょうど今が植え付けの時期なので、ブログをご覧になって興味を持たれる方もいる

のではないかと思い、ネットで調べたポイントを書く。

詳細は『ヤーコンとは?』というサイト(http://www.agrice.jp/yakon/index.htm)を見て

いただきたい。

 ・植え付け時期:4月~5月

 ・収穫時期:11月の半ば、茎・葉を刈り取り、乾燥させてお茶にする。
 
        地下部(サツマイモのような芋)はそのまま凍らないように保温して

        (稲わら等かぶせ、その上にビニールで覆って)必要分だけ堀りだす。

 ・調理方法:葉と茎は乾燥させてお茶に。芋(地下の部)はミキサーにかけて

        ジュースにしてもいいし、他の根菜類と一緒に油いためのきんぴらもいい。

        また、千切りにしてサラダにするのもいいし、根菜煮もなかなか美味しい。

2006年5月12日 (金)

裁判傍聴

昨日、近くに住む知り合いの交通事故の刑事裁判の傍聴に行った。

2年前、我が家の近所で交通事故があり、男性が亡くなった。

亡くなった男性は、結婚し1ヵ月後の新婚ホヤホヤであった。

その方の奥さんと事故後知り合った。

事故後、奥さんが事故現場に事故の目撃者探しの張り紙を張り、欠かさずお花を

手向けていることを、犬の散歩の途中知った。

事故の目撃者ではなかったが、張り紙に書かれた連絡先に電話し、カミサンと一緒に

奥さんに会った。

事故の模様、ならびに加害者がとんでもない人間であることを奥さんから聞いた。

加害者は35歳の女で、母親がやっているスナックから早朝自宅に帰っているとき

起こした事故だった。

酔っ払い・居眠り・対向車線はみ出し・スピード違反、なんと4悪が原因の事故であった。

昨日はこの加害者の初公判だった。

加害者は見るからにだらしなさそうな女であった。

最初に検察官から冒頭陳述があり、加害者本人について、事故態様について、被害者の

奥さんの心境について語られた。

事故を起こす前、夜中にスナックの客とさんざん酒を飲み、仮眠後、家で待っている

ふたりの子供の面倒をみるため、酔い気と眠気を押して車を運転し、帰宅途中

起こした事故だった。

検察官の陳述では、仮睡状態で80キロのスピードで対抗車線に飛び出し、被害者の

車に衝突。被害者はほぼ即死状態だったとのこと。

事故現場にいた人の話では、事故直後、加害者の女は酒がプンプン匂っていたそうだ。

加害者はふたりの子をかかえ離婚し、生活費を稼ぐため母親のスナックで働いていた

とのこと。

検察官から被害者の奥さんの書いた上申書が紹介された。

『事故後、加害者は1度も謝罪に来ないこと。いかにご主人を愛し、幸せであったか。

その幸せが、酔っ払いの居眠り運転の加害者により、一瞬で終わってしまったこと。

加害者に対し厳しい処罰を強く望むこと』などが読み上げられた。

検察官の冒頭陳述に対し、加害者および加害者の弁護人からは、まったく反論は

なかった。

そのあと、スナックを営む加害者の母親の証人尋問が行われた。

検察官から、『娘が車で帰ることがわかっていて、何故お客と一緒に酒を飲むことを

許したのか』、『娘は車の運転を3月から始めたそうだが、親としてどう考えるのか』、

『娘は3月に再婚し、入籍したそうだが、新婚早々の被害者を死亡させている娘の再婚を

何故認めたのか』と厳しく追求された。母親はのらりくらりと返答していた。

本来、母親の尋問のあと、加害者本人への尋問も予定されていたが、時間がずれ込んだ

ため、加害者本人への尋問は次回に持ち越された。

傍聴していて、この親にしてこの子ありと終始思った。

親子そろって、いい加減でだらしない生き方をしてきたため、このような取り返しが

つかないことを、子が起こしてしまったのだと痛切に感じた。

似たような家庭は、きっと最近そんなに珍しくないのであろう。

3年前の刑法改正で、特に悪質な運転が引き起こした事故は、業務上過失致死罪

ではなく、危険運転致死罪で裁かれることが決まった。

今回の事故は、酔っ払い・居眠り・対向車線はみ出し・スピード違反の4悪を重ねた結果

引き起こした事故である。

危険運転致死罪で裁かれてしかるべき事故だと考えるが、検察の処罰は業務上過失

致死罪である。納得できない。

次々回、被害者の奥さんの意見陳述が予定されている。

事故原因については、まったく争う余地がないため、おそらく次々回で結審し、その次の

には判決が言い渡されることであろう。

被害者の奥さんが納得できる、犯した罪に十分に見合った厳しい処分がなされることを

しっかり見届けたい。

2006年5月11日 (木)

盛り上がった

昨夜は元の会社の仲間と会食だった。

仲間と呼ぶには気が引ける人(前ニフティ社長のWさん)ふくめ6人が集まった。

毎回忘れたころ、『久しぶりに食事したいので』というメールが届き、それをきっかけに

集まるという仲間たちだ。

キィワードは海外、中でもオーストラリア事業に携わった人たち。

わたしを除いてまだみんな現役。

Wさんとの付き合いは長い。25年以上だろう。

今の立場はそれぞれ違うが、気のおけない仲間で、シェアできる話題もたくさんある。

出るわ、出るわ、昔の話がいっぱい!

当時のオーストラリアの顧客の話、お世話になった方の話、社内の組織・人の話・・・ 

人の話が出たら必ず、『いま彼どうしてる?』 誰かが知ってて答えてくれる。

今も5人全員、仕事はIT関連。

業界の話もいっぱい出た。

ニフティは今年がちょうど設立20年目。

ビジネス・人・技術・サービス、いろいろ話題になった。

あっという間の3時間だった。

『またやろう。幹事が意識してちゃんと声をかけてよね』で、10時前にお開きになった。

2006年5月 9日 (火)

いやー、とうとう

3月31日のブログ、『いらだつニュース』で、公認会計士の不正に対する憤りを書いた。

ポイントは、   

  ① 粉飾決算3社に監査証明を出した大手監査法人トーマツの公認会計士7人を

    金融庁が処分した。

   ② これらの会計士に対して、たった1~3ヶ月の業務停止処分はあまりにも     

         軽すぎる。

  ③ 社会的評価の高い資格(公認会計士・建築士・弁護士・医師等)を保有する者が  

   不正・不法行為を起こした場合、即刻資格を剥奪するとの厳しい規定を設ける   

    べきである。

このニュースを知ったとき、会計士個人の処分に終わるのでなく、所属する監査法人に

対しても、応分の処分があってしかるべきだと思った。

今日ついに、金融庁が動いた。

カネボウの粉飾決算事件にからみ、所属公認会計士が粉飾行為に加担した中央青山

監査法人に対し、業務停止命令を出す方向で最終調整に入った。

組織内に不正を防ぐ態勢が整っていなかったことを重く見て、厳しい処分を下すとのこと。

粉飾に直接関与した会計士3人については、会計士登録を抹消する。

中央青山監査法人は超大手の監査法人で、トヨタ・ソニー・新日鉄ほか5500の企業の

監査を受け持っているそうである。

ただ、今まさに企業は3月期決算の作成や株主総会の準備の真っ只中であり、顧客

企業にとってはとんでもないことである。

そのため、金融庁は7月以降に処分を行うとのこと。

監査法人が業務停止処分を受けると、企業決算を監査する法的な資格を失い、顧客

企業との契約がいったん途切れるそうである。

結果、中央青山にとっては大規模な顧客流失につながる可能性がある。

やっと、これで監査法人がかかえていた積年の膿が絞り出される。

しばらく前、大手建設会社が談合からの離別を宣言した。

長年の慣習・癒着・馴れ合いがあちこちで暴かれ、訴追され、真面目にこつこつやって

いる人たちが正当に報われる社会になることを切に願う。

2006年5月 8日 (月)

スタバで思ったこと

先日、時間待ちでスターバックスに行ったとき、ヒマだったのでいろいろ回りを観察した。

スタバのネットサイトを見てみると、3月末現在で日本では602店舗とのことである。

2004年12月、羽田空港第2ターミナルにライセンス店舗第1号店がオープンしたと

書いてあるので、大半がフランチャイズでなく、直営店なのだろうか。

言うまでもなく、ほとんどのスタバは街の一等地にあり、店舗の広さには余裕がある。

店の家賃は相当のものだろう。

飲み物以外ケーキ類も売っているが、多くのお客が注文するのは飲み物だけである。

平均客単価は、おそらく400円前後ではなかろうか。

平均して40人くらいのお客が常時いて、30回転(多過ぎ?)したとして、1日1200人、

客単価400円として、1日の売上げ、50万円。

根拠のない数字の積算ではあるが、こんなものでは。。。

お客を観ていると、ひとりでテーブルを占拠して読書に耽っている人、パソコンをやって

いる人、長い間おしゃべりしている女性2人組、ソファで居眠りしている男性・・・・。

スタバのサイトの『会社のスピリット』の項には、こう書かれている。

  ”おいしいコーヒーだけではなく、バリスタのもてなし、そして居心地のいい空間など、

   すべてが揃っているのです。それが「サードプレイス」です。家庭でも職場でも

   学校でもない3番目の場所として、ゆっくりと自分らしく過ごすことができる、まさに

   オアシスのような空間。あなたにとってのサードプレイス、スターバックス コーヒー

   での体験は、かけがえのない1日をより豊かなものにしてくれるはずです”

街のオアシスを提供してゆくことが、スタバの精神だとすれば、お客さんが安い単価で、

少々長い時間店に居座ったとしても、問題視はしないのであろう。

客単価が高くない一方、原価も低いはずだ。

食材はすべて本部から配送されてきて、店では、極端に言えば、それをブレンドする

だけ。そのため、従業員に難しい教育を施す必要はない。従業員は、経費が低く抑え

られるパート・アルバイトが、数から言えば、中心のことだろう。

ただ、お店でキィになる社員には、バリスタとしての教育をしっかり施しているのであろう。

 ※ バリスタとは、フードシーンを演出するコミュニケーション力を持ち、お客様に

   心地よいサービスを提供できる技量を持った人とのこと。

サイトに掲載されたスターバックス コーヒー ジャパンの業績を見ると、売上げ・利益ともに

順調に伸びている。

時間つぶししながら、何か客単価を上げる方法はないものだろうかと考えた。

思いついたのは、一角にフルーツサラダバーを設けることである。

オーストラリアにいたころ、忙しい日お昼はサンドイッチですませることが多かった。

サンドイッチを買った帰り、必ずフルーツサラダの店に寄り、フルーツサラダを買って

いた。フルーツサラダの店が日本で何故もっと増えないのかとずっと思っていた。

フルーツサラダは、材料が残ったとき処分しなければならないリスクはあるものの、

つくるのは簡単である。

オレンジ・リンゴ・イチゴ・パイナップルあたりをサイコロサイズに切って、生クリームか

ヨーグルトをかければ出来上がり。

スタバでコーヒと一緒におけば、結構受けるのではないかと思ったが、どうだろう・・・

最近多くのファミリーレストランにドリンクバーがある。

スターバックスで、コーヒ&フル-ツバーって悪くない気がするが・・・

2006年5月 6日 (土)

初めての静岡

以前からカミサンに『静岡に興味のある、とろろ汁を食べさせるお店があるので行こう』と

誘われていた。『とろろ汁を食べにわざわざ静岡まで、なぜ?』と思っていたため、ずっと

生返事をしていた。

『今回どうしても行きたい』ということで、行ったことのない静岡でもあるし、それじゃと

観念し、とろろ汁のお店、『丁子屋(チョウジヤ)』に行くことになった。

初めての路線なので、ゆっくり東海道線の在来線で行くことにした。

熱海から静岡まで、1時間20分。

車内の路線図を見たら、東海道五十三次の宿でなじみの地名がいろいろある。

吉原、蒲原、由比(旧 由井)、興津、藤枝、金谷・・・・

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そういえば、藤枝から東京 丸の内まで新幹線で通っていた仲間がいた。藤枝は静岡より

もっと先なんだ。よく通ってきていたものだ。定期券をなくしたら大変なことになると

よく言っていたが、そのとおりだ。

曇り空で富士山がまったく見えなかったのがとても残念だった。天気が良ければ、

吉原から興津あたりは冠雪した大きな富士山がバッチリ見えて、最高だったろうに。

静岡駅に着いたら、12時半をまわっていた。

駅の案内所で丁子屋を聞く。有名のようでチラシが用意してあった。

バスで20分。降りて店に入るとスゴイ行列。

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朝掘りの筍を売っていた。車だったら買っただろうが、

道中とても持って歩けないので諦める。

このあたりは、五十三次の鞠子の宿だったそうだ。

由緒あるお寺や散策道があるようだ。

行列に並び30分以上、やっと膳が運ばれてきた。

麦ゴハンと自然薯(山芋)の味の方は、まずまずだった。

カミサンの勧めで、むかご(山芋の芽)揚げをいただく。(写真右)

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食事のあと、今まさに旬の新茶を買って、バスで静岡駅へ戻る。

駅でバスを乗り換え、20分くらいのところにある登呂遺跡へ行く。

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昔歴史で習った弥生時代の遺跡、復元なのは当たり前だが、重々しさがなく、少々

興ざめした。公園の一角にあり、そばでは子供たちが野球をしていた。

その点、公園の奥にあった『芹沢銈介美術館』は  0505shizuoka_025 

なかなか良かった。カミサンは知っていたが

私は、芹沢銈介という名前は初めて聞いた。

昭和30~50年代に活躍した静岡生まれの

型染という染色の専門家で、人間国宝の方で

ある。すばらしい色づかいと絵模様の作品が

たくさん展示されていた。

我が家の座布団の図柄で見覚えのある作品もあった。

駅まで戻り、食事をし、帰宅したら9時半。

心地よいぶらぶら旅だった。

2006年5月 5日 (金)

ガンバレ!熱海

3日の午後熱海に来て、ゴールデンウイークの終わる7日までいる予定。

定年退職者は毎日が連休なのに、しかも月に1回来るかどうかの熱海なのに、

選りによって、なぜゴールデンウイークに合わせて、と自分でも?

熱海では、一昨日・昨日とサンビーチのそばの親水公園で、『熱海ふれあい産業まつり』

というイベントをやっていた。

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『産業』と言われても、ほとんど産業らしき産業はない熱海なのに、と思いながら、

見て回った。

そうか、熱海だから、こういうのが産業になるのかと思うブースがいくつかあった。

『熱海コンパニオン協会』 『熱海社交業組合』

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にわか仕立ての仕掛けがいろいろ作られていた。

遊歩道につくられた、足湯とミニ電車。

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熱海は往時の賑わいはなく、閉めた老舗旅館・ホテルが少なくない。

若い人は知らないであろうが、その昔、新婚旅行のメッカだった熱海は、いまや

箱根・伊豆に押されぱなしである。

華やかだった昔の熱海の幻影から脱しきれず、旧き良き時代の熱海にあぐらをかいて、

結果、街おこしが遅れたのではないかという気がする。

『ガンバレ!熱海』

2006年5月 4日 (木)

今度こそ・・・

肌寒い不順な陽気がやっと終わったようで、いよいよ今度こそ寒さから開放され、

心地よい五月晴れが期待できそうである。Flowers_001

庭には、てっせんが大きな紫色の花を咲かせている。 

ウキウキするような見事なムラサキである。         

カミサンがいろいろ花を植えていて、特にこの時期は

楽しめる。

右の写真の手前の小さな紫の花はムスカリである。    Flowers_003_2                  

この花は、15年くらい前にヨーロッパに出張したとき、 

アムステルダムの空港で買った球根が、いまだに

毎年この時期になると楽しませてくれる。

我が家は海の側で埋立地のため、庭の土が肥沃でなく、

草花や野菜の出来がイマイチである。

そのため、去年初めて野菜つくりのため横須賀市の市民農園を借りた。

5月ころ、ヤーコン(キクイモ)を植えた。

以前、テレビの『あるある大辞典』で紹介していたが、ヤーコンはオリゴ糖が多い野菜で、

肌や便通に効果があるそうだ。

ヤーコンは、しゃきしゃきして、とても歯ごたえ・食感がいい。

生命力のある野菜で、畑に植えたまま、時折水をやるくらいで放っておいた。

茎がどんどん伸び1メートル以上の高さになった。       Flowers_006

今年の2月に掘り起こしたら、イモとタネイモがたくさん

ついていて、持ち帰ってサラダほかで何度か食べた。

大半はビニール袋に入れ、庭にそのまま置いておいた。

昨日袋をあけて取り出したら、伸びてきた茎とともに、

大きくなったタネイモがゴロゴロ出てきた。

どなたか欲しい方にもらっていただかないと、このまま庭に植えておいたら、大きく

成長し、庭がヤーコンに占領されてしまいそうである。

2006年5月 2日 (火)

まさに紙一重!(北アルプス雪崩事故)

昨日夕方のニュースで、北アルプスの雪崩事故で3人が亡くなったと報じていた。

亡くなった方々と助かったふたりの方々のお名前がテロップに出て、アナウンサーが

言った。『助かったひとりは、横須賀の獣医師、久野 真由美さん』

『えー、あの久野先生では!』と思い、獣医の院長先生に電話した。

院長先生は、『そうなんです。奇跡的に助かったとの連絡があり、ケガの程度も軽い

ようです』とのことだった。

久野先生には、去年亡くなった我が家の愛犬チェリーがガンを患ったとき、治療で

大変お世話になった。

明快な診断と指示で、大変信頼でき、好感の持てる先生である。

同行したパーティ4人のうち、3人が女性、その中ふたりの女性は亡くなられた。

今朝の新聞によれば、助かり方は、まさに奇跡的であったようだ。

 ”久野さんは、発生から約5時間半後に救助された。大町署員によると、『固い雪と

  岩の間に空間ができ、ちょうどその場所に顔があったため呼吸が確保できた』と

  みられる。捜索中の雪崩発信機に反応があり、雪の中からとぎれがちに『助けて』と

  声が聞こえた。”

まさに奇跡的!

固い雪と岩の間に空間がなかったら、また雪が柔らかであったら、ダメだったことだろう。

久野さん、本当によかった!

ただ、パーティの仲間の女性ふたりを亡くした久野さんの今の心中を思うと。。。

2006年5月 1日 (月)

NPO法人設立準備会

NPO法人の設立準備会、『葛飾ITクラブの新組織移行についての説明会』に参加した。

葛飾ITクラブは3年近く前にできた。現在、会員は73名である。

設立当初から、相談役として参加させていただいているが、家から遠く、平素の活動には

ほとんど参加できていない。

葛飾ITクラブは、区内の高齢者・障害者にパソコンを指導することが主なる事業である。

任意団体である葛飾ITクラブが、NPO法人の認証をとることは、以前からずっと話題に

なっていた。

葛飾区は東京23区の中でも、高齢化率の高さではトップグループである。

何度か葛飾区役所に行って、高齢者とITの関わり合いについて議論したことがある。

葛飾ITクラブは、『行政との関わり合いを一層強固にすること』、『区内の他のNPO法人

と連携し、活動範囲をIT以外の分野に拡大すること』を目指し、NPO法人の認証を申請

することになった。

設立準備会で認証申請については、異論なく了承され、 Katsusika_npo

今月末を目標に法人申請が行われることになった。

NPO法人になることを機に、懸案の事務所の設置を

考えるべきではないかとの意見が出た。

4つのNPO法人に参加していて感じることは、NPOに

とって自前の事務所を持つことは大きな課題である。

事務所を持つためには、当然のことながら、事務所の経費を賄うだけの収入を確保

しなければならない。

新しいNPO法人の名前は、区内の他組織と連携を取りながら、子供から高齢者、

障害者、健常者、地域の誰もが参加できるコミュニティをつくってゆくとの想いから、

『ユニバーサル・コミュニティかつしか』と名付けられた。

NPOに関わってきたこれまでの経験から、組織のトップ及び幹部の人となりが、

NPO法人の活動の成否に大きく影響を及ぼすと考えている。

葛飾ITクラブの会長はじめ幹部の皆さまはすばらしい人たちばかりである。

新組織になることにより、活動がますます活発になり、間違いなく大きく飛躍するとの

予感がした

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