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2006年4月

2006年4月29日 (土)

いやー、うれしい!!

本日、My Blogのアクセス件数が5千件を超えた!!

毎日多くの皆さまにご愛読いただき、ホントにありがとうございます。

メモを見ると、ブログをはじめたのは、去年の9月9日、カウンターを付けたのは、

11月12日。ということは、5ヶ月半で5千件のアクセスがあったことになる。

これまでに書き込んだ日記は、169回。

『定年バンザイ \(^o^)/』の毎日、ブログは楽しみのひとつになっている。

もとはと言えば、先にブログを始めたカミサンに、『どうせヒマなんだから、ブログやったら

結構おもしろいよ』と、何度も勧められ、やり方を教わって、いくぶん渋々始めたブログで

あった。今では、毎日の生活の中にピッタリはまっている。

もともと、身近に起きたことをまわりの人たちに話すのが好きなことから、ブログは、

その延長で楽しんでいるという感じがする。

我が家は嫁いだ娘もブログをやっている。

カミサン、娘、それにわたし、3人3様、思ったこと感じたことを、それぞれ楽しみながら

書いている。

娘のブログから、孫娘の実咲の様子を知ることがしばしばあり、毎日楽しみに見ている。

ふたりのブログは、わたしのブログの右のMy listにある、『♪お茶しましょ♪』 と

『Yokohama sweets』

ブログをはじめてからは、『あっ、これはブログのネタになりそうだ。写真を撮っておこう。

ちょっとメモっておこう』と、ついつい思ってしまう。

カミサンと娘から、『お父さんのブログは長すぎる。そんなにたくさん書いたって、読む人は

イヤになって、適当に読み飛ばしているよ。それに報告調の文章が多すぎて、会社の

延長じゃないんだから。その点、お母さんのは軽くておもしろい』と、手厳しい。

たしかに思い当たるところはある。

うれしいなるご意見も時々いただく。

『まさに定年バンザイの毎日で最高ですネ』、『読んでいたら、わたしもブログやりたく

なりました』

先日、知り合いの若い女性から電話があって、『教えてもらったアドレスが間違って

いたのか、ずっとブログを見ることができなかったのですが、やっと見ることができました

とっても楽しく読ませていただきました。最初から一気に全部読んだので、夜中の1時に

なってしまいました』

とてもうれしかった。このような応援メッセージは、大いに励みになる。

先日、『定年バンザイ』で、GoogleとYahooを検索してみたら、両方とも上位に掲載されて

いて、これもうれしかった。

今後も楽しみながら書きますので、どうぞ引き続きご愛読ください。

2006年4月28日 (金)

横浜伊勢佐木町周辺(その2)

横浜ニューテアトルに最初に行ったのは、4時。

5時からの切符は完売。7時の最終回の整理券をもらった。

みなとみらいから伊勢佐木町に戻り、まだ開演時間の7時までに時間があったので、

スターバックスに入ってお茶した。

横浜ニューテアトルは大きくない映画館で、一般館が上映しない映画を観せてくれる。

以前にも1度来たことがある。

伊勢佐木町を舞台の中心とした映画を伊勢佐木町で観ることには、何か因縁を感じた。

   Yokohama_006_3    Yokohama_005_1 

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ヨコハマメリー』のあらすじ (パンフレットから引用)

 歌舞伎役者のように顔を白く塗り、貴族のようなドレスに身を包んだ老婆が、ひっそりと

 横浜の街角に立っていた。本名も年齢すらも明かさず、戦後50年間、娼婦としての

 生き方を貫いたひとりの女。

 かつて絶世の美人娼婦として名を馳せた、その気品ある立ち振る舞いは、いつしか

 横浜の街の風景の一部ともなっていた。

 ”ハマのメリーさん”、人々は彼女をそう呼んだ。

 1995年冬、メリーさんが忽然と姿を消した。

 自分からは何も語ろうとしなかった彼女を置き去りにして、膨らんでいく噂話。

 いつの間にか、メリーさんは都市伝説のヒロインとなっていった。

 そんなメリーさんを温かく見守り続けていた人たちもいた。病に冒され、余命いくばくも

 ないシャンソン歌手・永登元次郎さんもその一人だった。消えてしまったメリーさんとの

 想い出を語るうちに、元次郎さんはあるひとつの思いを募らせていく。

 もう一度、メリーさんに会いたい。そして彼女の前で歌いたい・・・・・

 本作に出演するのは、メリーさんと関係のあった人たちや思いいれのある人たち、

 そして昔の横浜を知る人たちである。それらの人たちのインタビューや取材により、

 『メリーさん』とは何だったのか、彼女が愛し離れなかった『横浜』とは何だったのかを

 検証し、浮き彫りにしていったドキュメンタリーである。

 監督は本作がデビューとなる、弱冠30歳の中村高寛。

 メリーさんが街から消え、彼はその影を追うように、様々な人々へのインタビューを

 始めた。そしてメリーさんを通して見えてきたものは、市井の普遍的な人の営み、感情、

 人生の機微であった。

 撮影開始から5年の歳月をかけ、地元・横浜への親しみがこもった、清々しい感動に

 溢れる作品を作り上げた。

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上映が終わったところで、珍しく客席から拍手が起きた。

お客は若い人から年輩まで、当然かもしれないが、女性客の方がずっと多かった。

最後は、メリーさんが入っている老人ホームへ、ガンで余命のない元次郎さんが

訪ねていき、お年寄りが集まって、元次郎さんのシャンソンを聞く。

コンサートが終わったあと、元次郎さんがメリーさんをエスコートしながら、老人ホームの

廊下を歩くところで映画は終わる。

その後、メリーさん、元次郎さんがどうなったのかは、映画ではわからない。

帰り際買ったパンフレットをあとで読んだ。

映画が撮られた翌年2004年、元次郎さんは亡くなり、メリーさんは2005年1月、

84歳で逝去されたそうである。

記憶に残る映画になることだろう。

横浜伊勢佐木町周辺(その1)

カミサンに、映画『ヨコハマメリー』を観に行こうと誘われ出かけた。

『ヨコハマメリー』についてはその2で書くとして、伊勢佐木町周辺のブラブラ歩きから。

京浜急行線の黄金町駅で降り、伊勢佐木町商店街から  Yokohama_003_1   

伊勢佐木町モールへ。伊勢佐木町は『ザキ』と呼ばれ、かつて

青江三奈の『伊勢佐木町ブルース』で一躍有名になった。

そのころは、映画館、劇場、商店が並ぶ、横浜を代表する

日本有数の盛り場、娯楽街だった。

現在、当時の面影はなく、ありふれた商店街になっているものの

今でも、中には珍しい興味のある店が色々並んで いる。   Yokohama_008_1

モールにある松坂屋の前は、一昨年の夏、何度も何度も

聞いたあのアテネ・オリンピックの曲を唄った『ゆず』が

デビューする前、路上ライブをしていた場所として

有名である。

伊勢佐木町モールから、関内駅のそばを通り、馬車道をYokohama_010_1

抜け、みなとみらいまで歩いた。                 

開国橋の手前から、ランドマークタワー、クイーンズタワー

一望できる。

開国橋を渡り、右に曲がり、大桟橋を右に見て、赤レンガ

倉庫へ。

夕方であったせいもあり、赤レンガ倉庫周辺には、人がほとんどいなかった。

ゴールデンウイークには、きっと大変な賑わいになることだろう。

大桟橋には、どこの国の客船か(日本?)、ビーナスクルーズという船が停泊していた。

  Yokohama_015_1    Yokohama_011_1       

そのあと、ワールドポーターズに行き、少々買い物をし、歩き疲れたので、しばらく

ベンチで休み、7時にはじまる『ヨコハマメリー』を観るために伊勢佐木町に戻った。

『ヨコハマメリ-』については、伊勢佐木町周辺(その2)で。

2006年4月27日 (木)

『立ち上がれ!中越』プロジェクト

2月25日のブログ、『小千谷からのうれしい贈り物』で、息子の大学時代の友だちで、

新潟の小千谷に住む田村敦之君からうれしい贈り物が届いたことを書いた。

ご存知のとおり、小千谷は一昨年10月の新潟地震で大打撃を受け、今冬はまた豪雪で

苦しめられた。

田村君からの連絡で、小千谷青年会議所が主催している、『立ち上がれ!中越』

プロジェクトのことをホームページで知った。

1年半以上が経過し、新潟地震のことは人の記憶から薄れてきているが、まだ8千人の

方々が仮設住宅で生活されているそうである。

ホームページ『立ち上がれ!中越』を見て、震災以来1年間、田村くんが50回のコラムを

すべてひとりで書いてきたことを知った。

読んでいて、どの文章もジーンと胸に迫ってくる。

『自己主張の苦手な私にまかされたコラム』と、田村くんは書いている。

たしかに田村くんは自己主張はあまり得意でなく、朴訥で照れ屋のところがある。

どの文章も、心優しい田村くんを彷彿させる情感あふれる文章ばかりである。

ホームページの『スタッフ紹介』の項で、久しぶりに懐かしい田村くんの写真を見た。

田村くんには、もう5年くらい会っていない。

今年もらった年賀状に、『今年は久しぶりにそちらに行こうかと思っています』と書いて

あった。夏には会えるかもしれない。

ホームページでシール募金の紹介があったので、   Niigata 

募金と義捐金を小千谷青年会議所へ送った。

『復興シール』は、①経済復興 ②復興意欲の向上

(風化防止) ③義捐金の3つを目的に、シール1枚につき

1円の募金になる。

シール募金はまだ受け付けている。

ご興味のある方は、是非一度ホームページをのぞいていただきたい。

2006年4月26日 (水)

久しぶりに昔の職場に

昨日午後、1晩泊まりで娘と孫娘の実咲が我が家に遊びに来た。

今日も実咲と戯れていたかったのだが、一昨年6月まで勤めていた元の職場に、午後

行く約束があったため、止む無く昼前に家を出た。

何度かブログに書いたことがあるシニアITアドバイザ(SITA:サイタ)の交流会を、6月に

開催する予定にしており、その打ち合わせを行うためだった。

シニアITアドバイザ(サイタ)は、パソコン初心者を指導するシニアのスキルを審査し、

認定する試験制度である。

定年前の最後の仕事として、2000年11月に試験をはじめた。

これまでに累計6千名を超えるシニアの方々に取り組んでいただき、1級・2級の

有資格者は全国に約1500名。

有資格者の皆さんは、それぞれの地元でパソコン指導者として活躍されている。

毎年、東京と大阪で有資格者が集まって、交流・意見交換・懇親を目的に、サイタ交流会

を開催している。

今日の打ち合わせで、基調講演者、パネリストがほぼ確定し、プログラムのあらましは

決まった。

事務所を歩いていたら、今日も知った顔何人にも会った。

ちょうど17年度が終わったタイミングだったため、17年度の業績の説明を聞いた。

ここ数年で最も好業績だったようで、職場の雰囲気も心なしか明るかった。

最近のトピックスについても、いろいろ話を聞いた。

新しい試みがいろいろ奏功しているようで、全体的に調子が良さそうだとの印象を

受けた。

昔いた職場の良い話を聞くことは、とても心地よいものだ。

2006年4月25日 (火)

大いに注目したい

2月9日のブログ、『パソコン教室本部訪問』で、フランチャイズパソコン教室、『キュリオ

ステーション』の石川社長のことをいろいろ書いた。

その中で、石川社長が渾身の力を込めて進めている、100万部発行のホームページ

誘導型無料情報誌(フリーペーパ)『@motteco(アットマークモッテコ)』が、4月創刊を

目指し、準備が着々と進んでいることを書いた。

その『@motteco』が、いよいよ今日、4月25日創刊された!

すばらしい内容とすばらしい企画である。

http://www.motteco.com/

これが紙でもネットでもタダで読めるとは。

創刊号からいきなり、全国100万部配布!

駅やお店に置かれたり、宅配されるフリーペーパは、全国に4千以上あるそうだ。

その中で100万部以上配布しているフリーペーパは、10種類前後ではないかと

言われているそうだ。

ホームページ誘導型フリーペーパは、@mottecoが初めてとのこと。

ホームページ誘導型であること、また最初からいきなり100万部配布ということで

大手のIT関連会社、情報サービス会社等が大いに注目しているそうである。

そのうち、皆さんのお宅にも宅配されたり、街で@mottecoを目にする機会があるかも

しれない。

またまた久しぶりに

新橋近辺で2件所用があり、久しぶりに新橋、虎ノ門、神谷町、御成門方面を歩いた。

オーストラリアに出向する前、1972年ころから通算10年間くらい、慈恵医大病院の

そばのビルで勤務した。

新橋、虎ノ門で所用を済ませたあと、地下鉄神谷町駅から御成門までブラブラ歩いた。

15年ぶりくらいだったろうか。

一番行って見たかったのは愛宕山神社だった。

お昼をパットすませ、愛宕山神社に行って境内をよくブラブラした。

境内のそばにはNHK放送博物館がある。Shimbashi3_1

こちらにも興味ある展示がたくさんあった。        

愛宕山には男坂、女坂というふたつの階段がある。

男坂は大変急な階段で、その昔、間垣平九郎が馬で一気に

駆け下りたことで有名である。

男坂(右の写真)は、今やちょっと急すぎて躊躇し、となりの女坂

から上った。

神社にお参りしたあと、当時はもちろんなかった愛宕山の下のShimbashi2_1

交差点そばに建つふたつの大きなビルをのぞいてみた。             

両方とも森ビルで、手前が住居棟、奥が商業施設の入った

ビルである。

森ビルの所有するビルで一番有名なのは、もちろん今は

六本木ヒルズであるが、森ビルがもっとも数が多くあるのは

新橋・虎ノ門近辺である。Simbashi1_1

ばかでかい森ビルは建ったものの、愛宕山のトンネルや       

神谷町駅まで歩く道沿いの住宅街は、30年前とそんなに

変わりなく、ホットした。

30年前にいた日比谷通り沿いのビルは、いまは他社ビルに

なっていて、昔の名残をとどめていない。

昔を思い出しながら、ゆっくり散策を楽しんだ午後だった。

2006年4月23日 (日)

野毛大道芸

昨日夕方倉敷から横須賀に帰ってきた。

今朝、娘のブログを見たら、昨日家族で横浜野毛の大道芸に行ったと書いてあり、

開催が昨日と今日ということで、雨が気になったが、午後観に行った。

大道芸は大好きで何度か観たことがあるが、以前から行きたいと思っていた野毛は

今回が初めてである。

今年が31回目ということで、おそらく日本で一番歴史のある大道芸ではなかろうか。

そのため、きっとエントリーすることも難しく、出演者は選りすぐられた大道芸人ばかりの

はずである。

演目もバラエティに富んでいた。                   

大道芸の定番のジャグリングとパントマイムのほか、マジック、中国雑技、現代民謡、

コメディパフォーマンス・・・

  Noge1_1    Noge2

珍しいところでは、『みんなで楽しいヘボ将棋』と称し、Noge3_1

街頭将棋をやっていた。                 

街頭将棋を見たら昔を思い出した。

小学生のころ、よく街頭で詰将棋を見た。

簡単そうで引っ掛けのある詰将棋だからやってはダメだと

親から言われていた。勝ったら景品はタバコで、たしかピース

3箱だったとの記憶がある。

いくつか観たパフォーマンスの中で最も良かったのは   Noge4_1    

現代民謡のライブだった。

『津軽ジョンガラ節』 『ソーラン節』ほか、三味線、

ドラムに合わせた歌い手の声がスゴイよかった。

ただ、途中から心配した雨が降り出し、やってる人たちは

気の毒だった。

パンフレットに、『野毛大道芸は野毛だけが活動の場ではありません。あなたの街・会社・

学校・パーティなどにご希望の演目をお届けします』と書いてある。

たしかに、パーティなどでパフォーマンスをやってもらったら面白いだろうなあと思った。

犬の散歩に行っていた我が家の近くの公園で、ボーリングのピンのようなもので

ジャグリングの練習をしていた若いふたりの男の子によく会い、何度か話したことがある。

彼らは、『野毛大道芸に出ることが夢ですが、大道芸人だけでは食っていくのは

難しいです』と言っていた。

今日の野毛では、どの出演者もスキルのみならず話術も一流で、オヒネリにもかなり

千円札が入っていたが、小規模の大道芸会場ではそう甘くはないだろう。

ただ、自分をまさにアピールできる大道芸に憧れる若者は結構いるのでないかと思った。

2006年4月22日 (土)

倉敷にて

一昨日から郷里の倉敷に来て、弟の家に泊まっている。

最近、帰省したら毎回、岡山に住む妹夫婦が、オフクロも一緒にあちこち車で連れて

行ってくれる。

これまでに数えてみたら6~7回、吉備路や呉の大和ミュージアムなどに連れて行って

くれた。

昨日は、岡山市の中心部から車で1時間弱、備前焼きで有名な備前市の近くの

岡山県自然保護センター』に行った。Tsuru

丹頂鶴が飼育されていることで知られた施設で、

湿生植物園、野草園、昆虫の森など自然をふんだんに 

取り込んだ、広くてとてもすばらしい施設である。

50羽位はいると思われる丹頂鶴がケージの中で

飼われ、一部園内に放されていた。

園内を散策中、無心に何かの写真を撮っている

人たちに出会った。                        

聞いてみると、ヤゴから羽化するトンボの写真を撮って

いるのである。朝9時に来たとのことだったので、6時間060421tombo

くらいヤゴを探して見つけ、羽化するのをじっと待って、

その様子を写真に撮っているのである。

右の写真は羽化をはじめて30分後くらいということで

あった。

ひとりの人は、20年くらいトンボの羽化の写真を撮り

続けているそうで、世の中いろんな趣味を持った人が

いるものだと、あらためて思った。                              

自然保護センターのあと、そんなに遠くないところに、    060421sakura

『宗堂桜』という、地元では著名な八重桜を観ることが

できる場所があるということで、そちらに行った。

よくわからなかったが、説明によると花びらが普通の

八重桜とは違ってユニークとのことである。

実は、この宗堂という地名には大変旧い記憶がある。

宗堂には、遠縁の親戚が住んでいて、50年くらい前、小学校の低学年のころ、毎年

夏休みに弟と妹3人で遊びに来ていた。

親戚は、桃の栽培をしていて美味しい桃を食べたり、近所の子どもたちと遊んだり、

花火をしたり、近くの池で泳いだり、断片的な記憶が残っている。

先ず、すぐ近くに池が見つかった。                421ike_1 

『泳いでいたのは、この池だったはずだ。だとすると親戚

の家はこの道を下ったあのあたりではなかろうか』と、

妹と話が合う。近くで農作業をしていた女性に聞いた。

50年前の話がピッタリ合う。

訪ねようかどうか迷っていたら、その女性が、『訪ねてあげれば間違いなく喜びますよ。

私が一緒に行ってあげますよ』ということでお邪魔することにする。

家には3人の小さい子供のお母さんがいた。訪ねてきた理由と簡単な家系図を書いて

説明する。

我々が夏休みに遊びに来ていた当時、新婚早々のアキラさんというお兄さんがいた。

会った小さい3人の子供のお母さんはアキラさんのお孫さんであること、アキラさんは

75歳になること、当時お世話になった親戚の皆さんは既に全員亡くなったこと等、

アキラさんのお孫さんからいろいろ話を聞いた。

大変残念なことに、アキラさんは外出中で会えなかった。

アキラさんのお孫さんが、『もしよかったら写真を撮らせてください。オジイチャン

帰ってきたら見せますので』ということで、近くの宗堂桜をバックに写真を撮ってもらった。

帰る際、オフクロの電話番号を書いて渡した。

早速、昨夜アキラさんからオフクロに『お会いできなくて残念でした』との電話があった。

今回の旅行では、40年ぶりに神戸の下宿の娘さんたちに会え、50年ぶりに遠縁の

親戚を訪ねる機会があり、すばらしい出会いがあった旅だった。

2006年4月20日 (木)

大学時代の寮の仲間の集まり(その3)

午後、宿泊した保養所を仲間4人と出て、六甲山の  Himeji5_2

ケーブルカーに乗り、六甲道駅まで戻った。

ケーブルカーは出来て74年目とのこと。

写真では傾斜がうまく撮れていないが、眼下に見える海上に

最近開港したばかりの神戸空港がかすんで見えた。

専門課程になってからは、姫路から神戸の学舎に移った。

神戸で最初に下宿していたのが、六甲道だった。

仲間4人と2部屋の1軒屋を借りて住んでいた。1軒となりが大家さんのYさん宅だった。

賄い付きの下宿で、朝晩食事をYさん宅に行って食べていた。

4人とも不規則な生活をしていて、おばさんにはホントにいろいろお世話になった。

六甲道駅周辺は、震災で大変な打撃を受けた。

Yさん宅も崩壊したが、幸いなことに、ご家族は全員無事だった。

震災から2年後にお見舞いに伺ったが、かつての建て込んでいた家並みは跡形もなく、

あちこちに更地ができていた。

Yさんから昨年末、賀状欠礼の挨拶状をいただいた。

ご主人が10月に旅行先の高知で亡くなったとのことであった。

そのため、今回どうしてもお線香をあげたく、下宿していた仲間ひとりと一緒に

お邪魔した。

ちょうど2人の娘さんが実家に帰って来ていて、ラッキーなことに娘さんたちにも会えた。

下宿していた当時、娘さんたちは、小学校低学年と幼稚園。

当たり前のことではあるが、今や50歳と48歳と聞き、ビックリ!

おふたりとも大学生の子供さんたちがいて、当時の我々とほぼ同じ年齢。

昔話に大いに盛り上がった。

ご主人は、震災の復興のため地元のリーダとして大変ご尽力された。

『神戸 風の郷公園』という公園を造ることが夢であったそうだ。

その『神戸 風の郷公園』は、4月2日に開園したとのことで、開園を見ることなく

亡くなられたとお話を聞き、胸が痛んだ。

名残を惜しみながらYさん宅を後にした。

『神戸 風の郷公園』を通って駅に行き、墓参りのために郷里の倉敷に帰ってきた。

今回の旅行は、仲間と旧交があたためられ、満開の桜があちこちで観られ、姫路では

書写山にも行け、下宿先のご家族にも会え、大変楽しい旅となった。

大学時代の寮の仲間の集まり(その2)

朝9時過ぎに熱海を出て、姫路へ。

姫路には1時前に着き、待ち合わせ場所の駅前のバスターミナルへ。

仲間がバラバラ集まってくる。

40年ぶりに会う仲間も何人かいて、『XX君だよね?』

姫路で集まる者、神戸で合流する者、宿泊場所に直接行く者、いろいろいて幹事は

大変だった。

集まったあとは、バスで姫路郊外の書写山へ。

姫路城を過ぎ、バスの窓からかつての大学が見えてくる。

講堂はそのまま残っているようだ。Himeji1_1

書写山には圓教寺という有名なお寺がある。

NHKの大河ドラマ『弁慶』や『ラストサムライ』のロケ地にも

なったそうだ。           

関東では散ってしまった桜が、関西では今まさに満開の

状態であちこちで咲いているのを観て、ビックリ。

圓教寺は立派なお寺であった。

造立以来約800年間開扉されなかった、秘仏如意輪観世音菩薩像が、幸運にもちょうど

公開されていた。次回の開扉は100年後ということだった。

   Himeji21    Himeji22

姫路から電車で神戸に移動。

神戸で待ち合わせ組と六甲道の駅で合流し、今回の幹事のN君がアレンジしてくれた

宿泊先の六甲山頂にある阪神電鉄の保養所にタクシーで行く。

風呂に入り、海外から参加の2人含め25人が集まり、宴会がはじまった。

最後に、みんなで白陵寮寮歌を久しぶりに歌った。  Himeji4_1

10時にお開き。 

あとは、飲みなおす者、マージャンする者、風呂に入り

寝る者。

マージャンが終わったら1時過ぎていた。

2006年4月19日 (水)

大学時代の寮の仲間の集まり(その1)

10年ぶりに大学時代の寮の仲間の集まりが神戸であった。

寮のことは1月27日のブログで書いた。

1962年前後、教養課程時代を姫路の寮で過ごした。

旧き良き時代の旧制高校の寮で、バンカラな環境の中、青春時代を一緒に過ごし、

まさに同じカマのメシを食った仲間たちである。

大学のあった場所は、今は兵庫県立大学となり、『白陵寮』と呼ばれた寮は今はもちろん

残っていない。

当時、飲み会の度に歌った寮歌は、『嗚呼(ああ)白陵の春の宵、惜春の譜の流れ

きて・・・・・』ではじまる。

その歌詞の『惜春』から、会の名前は『白陵惜春会』と名づけられた。

関東と関西でそれぞれ年に数回づつ集まって旧交をあたためている。

今回は神戸在のN君が音頭を取ってくれて、10年ぶりに関東・関西、それに海外(タイ、

アメリカ)から25名の元寮生が、寮のあった姫路に集まることになった。

一昨夜は、タイからわざわざ来たTさんと一緒に熱海に前泊した。

考えてみると熱海には1ヶ月以上行っていなかった。

そのため、今年は熱海の桜は一度も観ることがなかった。

家の近所にはすばらしい枝垂桜があるのに。

3時過ぎに熱海に着いて、温泉に入り、夜は何度か行ったことのある葵という割烹

料理屋に行った。ここは何を食べても旨い。

40半ばの瓜二つの双子の兄弟がやっているお店である。

行ったら兄さんか弟さんか判らないが、ひとりしかいなかった。

聞いたら弟さんだった。右の前頭部に明らかに手術の痕と思われるキズがある。

『どうしたんですか?』と聞いたら、『いやー、動脈瘤が見つかって手術したんです』

とのこと。

『ところで、お兄さんは?』と聞いたら、『10月に動脈瘤が破裂し、伊豆の病院でリハビリ

してます。兄貴にそんなことがあったので、すぐ私も調べてもらったら、私も動脈瘤が

ふたつ見つかり、ひとつは兄貴とまったく同じ場所で、すぐ手術をしました。

兄貴のおかげで私は破裂には至らずラッキーでした』

兄弟は顔かたち、風貌、瓜二つ。

まったく同じ時期に、同じ位置に動脈瘤ができるとは、双子ってこんなものなのかと、

不思議な思いで話を聞いた。

弟さんの料理はいつもの通り大変美味しかった。

鯵のタタキを味噌などで味付けしたナメロウ、行者ニンニクの酢ミソ和え、笹カレイの

焼物、太刀魚の焼物、イカ刺、大きなキンキの煮付け、そして最後にオカカ雑炊。

すべて楽しめた。

お兄さんの早期回復を願いながらお店をあとにした。

2006年4月17日 (月)

ポスティング

今月に入って2週間で4回、パソコン教室のチラシのポスティングをした。

暖かく気持ちの良い日は、いい運動になるのでポスティングは結構楽しい。

4回で3地区、1100枚くらい配布した。

ポスティングは一戸建てと集合住宅では、当然のことながら、作業効率は相当違う。

集合住宅ばかりだと1時間で250枚くらい配布できるが、一戸建てだと2時間でせいぜい

300枚である。

横須賀は坂道が多く、一戸建ては結構大変ではあるが、とてもいい運動になる。

また、『へー、こんなところにこんな店があるんだ』と、地元の街の新しい発見もできる。

一昨年初めパソコン教室を開いて以来、これまでに累計すると、8千枚くらいは自分で

ポスティングしたことだろう。(ポスティングの大半は、教室の店長がやってくれている)

そのため、配布して効果が期待できそうな家、どうかなあと思われる家について、かなり

いろんなことを学習した。

①パソコンを勉強するのだから、単身の若い世代が中心に住んでいると思われる

集合住宅は見込み薄ではないだろうかとか、②明らかにシニアの世帯、あるいは

門札を見て、2世代所帯のお宅は、パソコンを新たに習いたい年配の方がいらっしゃる

のではないだろうかとか、③小さな子供さんがいる家庭は、パソコンの勉強どころでは

ないのではなかろうかとか、外から見ていろいろ想像できるようになってきた。

ただ、ポスティングされたチラシを見て、問合せがある確率は極めて低い。

当たりが極端に悪いことを『センミツ(千に三つの確率)』と言うが、最近のポスティングは

『センミツ』にも届かない。

今回4回で千枚を超えるチラシを配布したが、問合せはあってもせいぜい1~2件だろう。

我が家のポストにも毎日結構チラシが入る。また、毎朝、新聞には折込チラシがドサッと

入る。これらのチラシはほとんど目を通すことなく、紙資源の無駄遣いだなあと思いながら

資源ゴミ行きである。

一方的で、あまりにも過多な情報にうんざりというのが、多くの人たちの心境であろう。

今回ポスティングしていて、2人の年配の方々から初めて声を掛けられた。

ひとりの男性は、『この歳になってどうしてもパソコンを覚えたいと思い、近所の人に

教えてもらっているんだけど、お宅の教室はいつ行っても教えてもらえるのなら

いいなあ』

もうひとりの女性は、『孫がいる歳なんだけど、横浜の会社で経理の仕事を担当して

いて、社長から、”パソコンを勉強して欲しい。勉強するのであればその時間教室に

通ってもいいし、費用の一部は負担する”と言われているんだけど、時間がなくて。

お宅のチラシは新聞の折込で以前にも見て、興味があって取ってある。時間ができた時、

一度電話してみます』と、5分くらい立ち話をした。

パソコンを勉強したい人は、まだまだ世の中には多い。

そのような人たちに、ひとりでも多く教室に通っていただければと、あらためて思った。

2006年4月15日 (土)

ひかり開通!

3月24日のブログに、ニフティの光セミナーに参加し、セミナー終了後、その場で

光電話と光通信を申し込んだことを書いた。

その光が、12日(水)、我が家に開通した。

先ず、火曜日にNTTが来て工事をしてもらい、水曜日にニフティが来てネットワークの

設定をしてもらった。

ネットワークは今月末までは、これまでのADSLがそのままで、5月から光になる。

電話は既に光になった。

電話の音声はまったく問題ない。IP電話と違い、電話番号も変わらない。

通話料金は、どこへかけても3分、8.4円。(携帯は別)

電話の月額基本料は、これまでの1,785円が525円に。(いずれも税込み)

初期費用/工事費は3,150円。

一方、プロバイダであるニフティに支払う@Nifty光フレッツ料金は、最初の8ヶ月は

キャンペーンサービスで月額5,145円、9ヶ月目以降は6,720円。

これまでのニフティADSL月額使用料が4,500円くらいだったので、電話代とネット料金

両方足して、月額1,000円くらいアップするかという感じ。

マンションと一戸建てを比較すると、電話代は変わらないが、プロバイダに支払うネット

料金は、マンションの方がかなり安い。ニフティだと2,500円/月くらい安いようだ。

光が敷設してあるマンションでADSLをお使いの方は、光に移行した方が有利なケースが

少なくないのではなかろうか。

あとは、高速の光を活用し、何をやるかがポイント。

我が家は、まだ確たるアイディアがない。

無料で観られる映画があるようなので映画を観るか、音楽を聴くか、カラオケも

できそうである。

NTTの光を決めて言うのもおかしいが、NTTという会社は節操がない。

ブロードバンドということでは、先ず最初はISDNを拡販した。そのあとISDNと比較し、

いかにADSLが良いかをPRし、ADSLを売った。そしてここにきて、これからは光と

言いながら、全社を挙げてフレッツ光を拡販している。

この流れに乗ってビジネスをやってきたネット事業者の中には、流れに乗り切れず、

立ち行かなくなった会社も少なくないはずだ。

今回ニフティの設定に来てくれたYさんは、横須賀の人だった。

ニフティの代理店に所属はしているものの、個人事業主である。

全国にいるYさんのような人は、所属する代理店から地元の企業や個人宅に派遣され、

ネットの設定ほかパソコントラブルの対応を生業としている。

Yさんは、我が家から車で30分くらいの海の近くに住んでいるそうだ。

我が家に来たときに、鼻をグスグスさせていたので、花粉症ですかと聞いたら、

『いや、今朝ウインドサーフィンをしてきたので』とのことだった。

海のそばに住んで、朝ウインドサーフィンをやって、遠方の会社へ通うことなく、好きな

パソコンを活かし、地元で仕事をしているわけで、すばらしい生活である。

いい人とお近づきになったので、これからパソコンで困ったときは、Yさんに助けてもらえ

そうである。

2006年4月14日 (金)

美術展

昨日、カミサンと一緒に六本木へ美術展を観に行った。

美術展の主催は富士ゼロックス、出展者は、我が家の近所の勝間嘉久さん。

勝間さんとは、もともと犬の散歩で知り合った。

絵やコンピュータグラフィックスをやられているということは知っていた。

先日案内状を持って訪ねてこられ、『もし時間があれば、来てください』と言われた。

帰りにどこかで食事をすることも楽しみに、夕方会場に行った。

勝間さんが見当たらないので、ゼロックスの人に聞いたら、『勝間さんは今日はお休み

です。遠方から来ていただいたのに申し訳ないですね。私が勝間さんからお聞きした

範囲でご説明します』。                    Roppongi_005

勝間さんから直接話が聞けなくて、大変残念だった。

というのも、作品が極めてユニークで、入り口に掲載して

あった美術評論家が書いた勝間さんの作品評を

読んだが、素人にはとても難解だった。

評論家のコメントは、『勝間嘉久の仕事は、デザインでもないし、抽象作品でもない。

”創作行為”を問題にするコンセプチュアルな仕事だと考えてよい』。

これでは、よくわからない。Roppongi_002

作品展の全体テーマは、『反転の美学』。            

すべての色が持つ『補色』を具現化した作品(右)が

今回の作品展の中心のひとつだった。

(となりの色同士が補色)

略歴によると、勝間さんは、35年以上創作活動を

続けられているようで、その間にイタリア、フランス、Roppongi_001

アメリカ、ドイツにも行かれたそうだ。           

右は、18歳のときの作品。

勝間さんは私より2歳上、住居とは別に近くの海のそばに

アトリエを持って、創作活動を続けられている。

        

Roppongi_007_1    Roppongi_004_2

作品展示会場は、ゼロックスのロビーやRoppongi_012応接室・

会議室だった。                              

勝間さんのような人たち向けに”アート工房”という部屋を

設け、富士ゼロックスは支援している。

部屋には作品の制作で使うことができる大きなカラー

コピー機が設置してあった。

富士ゼロックスの事務所は、いま話題の六本木ヒルズのすぐそばであった。                   

元麻布のお屋敷など周囲を歩き、初めて六本木ヒルズに入り、Roppongi_015

中をブラブラ見て回った。

首からID証をぶら下げたビルの中で働いている人たちは、

当然のことながら、ほとんど若い人ばかり。        

『ホリエモンもここで羽振りをきかせていたんだ。

いよいよ明日はライブドア株は上場廃止になるんだ』と

思いながら、六本木ヒルズのモリタワービルをながめた。

ブラブラしたあと、ウエスト5階の京都3条『名代とんかつ  かつくら』で食べたとんかつは、

なかなかの美味だった。

2006年4月12日 (水)

離れた家族を見守る

月曜日から金曜日、朝8時前後に3~5分間、NHKが『街で見つけたトレンド情報』という

番組をやっている。

今朝のテーマは、『離れた家族を見守る』ために役立つビジネスの紹介だった。

ふたつの事例が紹介された。

ひとつは、たしか多摩市だったと思うが、お年寄り世帯へのお弁当の宅配サービス。

お弁当の宅配サービスはまったく珍しくないが、紹介されたケースは、お宅を訪ねた折に

お弁当は必ず手で渡し、お年寄りと会話をすることを励行している。

その際、お年寄りの様子を観察し、その様子を毎日記録し、家族に伝え、もし問題を

感じたら、無料で看護師を派遣するという、一連のプロセスをお弁当宅配サービス

ビジネスに織り込んでいる。

同様のサービスを行っている事業者はきっと他にもいることであろうが、たしかに独居の

お年寄りには必要なケアである。

ふたつ目、これは結構知っている人が多い商品・サービスである。

湯沸しポットメーカが販売している、『見守りポット』。

家族から離れたところに住むお年寄り(特に独居)の安否を、湯沸しポットで知るという

サービス。

お年寄りがポットの電源を入れたり、給湯したら、その情報が遠隔地に住む人(多くの

場合は子供)の携帯かパソコンに知らされるという商品・サービスである。

遠隔地に住む子供は老親が規則正しい生活をしているかどうか、また何か異常な状態が

起きていないかどうかを、1日に2回、メールで確認できる。

月に50件以上販売されていると言っていたが、もっと普及してもおかしくない

象印のサイトを見たら、経済産業省の『ネットKADEN2005』で準大賞を受賞したと

紹介されている。http://www.zojirushi.co.jp/corp/news/2006/0626/index.html

番組で『65歳以上のひとり暮らしのお年寄り世帯は、全国で360万世帯』と言っていた。

今後ますます増えてゆくことであろう。

もっともっと、いろいろ新しい工夫・仕組み・制度・商品・サービスが生まれてくることを

期待したい。

2006年4月10日 (月)

送別会

昨日、テニスの仲間の送別会に参加した。

仲間といっても大先輩で、クラブの最高齢メンバー、80歳のNさん。

クラブができて今年で25年、Nさんは創立当初から参加したメンバーで、20数年の

お付き合いである。

大病を患われたこともあり、長い間コートに来られることがなかった。

数ヶ月前、久しぶりにコートに来られ80歳とは思えぬ姿でプレーされていたものの、

加齢には勝てず、また奥さんを亡くされた後ひとりでの生活が長く続いたこともあって、

親族のいる郷里の富山に引っ越すことを決められた。

昔からの親しい仲間が10人くらい集まった。

『富山ではこういうところに住むんだ』と言いながら、住居の写真とパンフレットのコピーを

見せてくださった。

富山の郊外にある高齢者向け優良賃貸住宅『さつきの里』という場所で、立山連峰が

臨めるところに建てられたきれいな施設である。

高齢者が安全に安定して居住できるよう、住宅のバリアフリー化はもちろんのこと、

緊急時対応サービスが備えられている。また、居住する高齢者の生活を支援するため、

生活援助員が派遣されるとのこと。

家賃は1LDKで52,000円、そのうち行政が2万円を補助。

希望者は有料で配食サービスも受けられるとのこと。

民間の事業会社の施設ではあるが、行政とうまく連携し運営しているようである。

首都圏ではあまり聞いたことがない。地方だからあるのだろうか。

高齢者の独居世帯は今後どんどん増えてくる。

行政と民間がタイアップしたこのような施設は、今後ますます必要になってくる。

『落ち着いたら知らせるので、黒部も近いし立山を見ながら温泉に入りに来ればいい』と

何度もお誘いをいただいた。

Nさん、どうぞ、いつまでもお元気で。

2006年4月 9日 (日)

またチャレンジしてみるかなぁ

今朝の朝日新聞のbe on Sundayに『六十の手習い 手ごわいぞ』との記事が載っている。

       ~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~~~

 英語の学習熱が60代以降にも広がっている。企業内の昇任試験や大学入試にも利用

 されている英語能力テストTOEICの受験者数も、全体では最近8年間で3.0倍なのに

 60代以上は4.7倍。

 絶対数はまだ、20代の300分の1にすぎないが、団塊の世代がこの1、2年でドッと

 この年代に入ってくるので、増加の勢いはさらに増しそうだ。

 驚くのはその成績。平均点を年代別にみると、なんと60代以上が最も高い。

 記憶も体力も衰えているはずなのに、なぜか。

 TOEICを実施している国際ビジネスコミュニケーション協会の斎藤一彦・広報渉外

 部長は、『60歳を超えても受ける人はそれなりの心づもりがあるからだ』という。

 たとえば、定年退職後に海外に移住したり、国際協力機構(JICA)のシニア海外

 ボランティアに参加したり。『モチベーションが違うんです』。

 六十の手習い、侮るべからず。

     ~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~~~

現役時代、長い間海外事業に携わっていたこともあって、定年後、海外に住むことを

考えた時期があった。

オーストラリアに出張したとき、現地の仲間に同行してもらい、不動産屋を訪ねたことも

あったし、大使館に話を聞きに行ったこともあった。

気ままに過ごしている今は、海外に移住しようという気にはとてもなりそうにない。

同じように、定年後JICAのシニア海外ボランティアも悪くないなあと考えた時期もあった。

定年直後、会社から頼まれてJICAの仕事でカンボジャに2ヶ月間行ったことがある。

そのとき色々見聞きし、シニア海外ボランティアにも以前のように魅力を感じなくなった。

ただ、今朝の新聞記事を見て、英語の試験にまたチャレンジしてみるかなという気持ちに

なってきた。

30歳代に英検1級を2度受け失敗した。その後できた準1級試験も不合格だった。

TOEICは、10年近く前、勤めていた会社が従業員全員に受験させた。

海外経験が幸いしてか、その時はかなりの点が取れた。

定年退職したらもうTOEICを受けることはなかろうと思い、退職直前に再度受験した。

新聞記事にも書いてあるように、TOEIC試験は並ではない集中力と、それに伴う体力が

必要である。

2度目の受験は、歳のせいもあったのだろう、疲労困憊し、点数も1回目より悪かった。

今朝の新聞記事を見て、受験本を買って勉強し、英検かTOEICを今年中にもう一度

受験してみようという気持ちになった。

 

2006年4月 7日 (金)

ぶーふーうー展

12月7日のブログで、『生命(いのち)のメッセージ展』のこと、それを主宰されている

鈴木共子さんのことを紹介した。(※鈴木共子さんのことは、新聞・テレビが何度も取り

上げているため、実名をあげて書かせていただく)

3週間くらい前に鈴木さんから『今年も子供たちの展覧会”ぶーふーうー展”を行います。

お時間があれば、会場に来て、子供たちのエネルギーを浴びて若返って下さい』との

お手紙をいただいた。

久しぶりに鈴木さんに会って色々お話が聞けることを楽しみに、昨日午後、展覧会が

開催されている座間市民会館に行った

鈴木さんは、2000年4月、母ひとり子ひとりの中育てられた最愛の息子零くんを

交通事故で亡くされた。

無免許・無車検の酔っ払い運転の加害者が起こした極めて悪質な事故であった。

零くんは1年浪人し、みごと早稲田大学に入学した。その直後の痛ましい事故だった。

悲しみのどん底の中、鈴木さんは立ち上がり、交通事故や犯罪により理不尽・不条理に

命を絶たれた全国の被害者に呼びかけ、2001年、『生命(いのち)のメッセージ』を

はじめられた。

活動の趣旨に賛同し、活動にともに参加する人たちの輪が全国にどんどん広がり、

『生命(いのち)のメッセージ展』は、2001年3月に第1回が開催されて以来、これまでに

全国34地区で開催された。

5月16~18日には、35回目が国会(衆議院議員会館)で開催される予定である。

昨年12月には早稲田大学で行われた。

早稲田大学で開催されたには訳があった。

零くんが亡くなったあと、鈴木さんは零くんのためにできることを何かやりたいとの思いで

零くんが頑張って入学した早稲田大学を受験することを決意された。

鈴木さんは猛勉強し、3度目の挑戦で、3年前見事に早稲田大学に合格された。

学生たちの全面的な協力のもと、親子で縁のある早稲田大学で『生命のメッセージ展』が

開催された。

鈴木共子さんはもともと造形作家である。

子供たちに造形美術を教えていて、『ぶーふーうー展』は子供たちの作品発表会である。

こういうことをやらせば子供の創造力は育つだろうなあ、と思わせる作品がたくさん展示

されていた。

体を4つのパートに分けて子供たちがダンボール紙に絵を描いて、それらをバラバラに

組み合わせる展示があった。

鈴木さんから『どれか選んでください。一緒に写真撮りましょうよ』と言われ、撮った写真が

右の写真である。

  Zamai1   Zama2_1

終わったあと、会場に来ていたもうひとりの知り合い女性を入れて3人で食事に行った。

いろんな話題が出た中、鈴木さんから、『来年は早稲田大学創立125周年で、その記念

事業のひとつとして、大企業数社協力のもと、”生命のメッセージ展”をテーマにした

映画つくりの話が進んでいます。シナリオができ、主人・息子・私の配役も決まり、

来年3月上映の予定で撮影が開始されました』というすばらしい話を聞いた。

『息子の事故後、絶望のどん底の日々でした。生命のメッセージ展をはじめたこと、

造形美術を子供たちに教える仕事を続けてきたこと、それに何と言っても、息子が

目指して合格した大学に入れたこと、この3つで生かされているって感じです』と、

鈴木さんは何度も話されていた。

零君を亡くされてちょうど6年。

絶望のどん底から立ち上がり、ここまで想いを遂げてこられた共子さんには、

会うたびに、人間としてのすばらしさと、すごさ、それに感動を与えてもらっている。

2006年4月 5日 (水)

娘夫婦の来訪

娘のダンナが休みが取れたということで、1泊とまりで我が家にやって来た。

我々はしばしば横浜の娘夫婦宅に行くが、彼らが揃って3人で来るのは4~5ヶ月ぶり

である。

昨日は我が家でお昼を食べたあと、桜を見に防衛大学周辺を4時間くらい散策した。

防衛大学は我が家から車で10分の距離。

大学周辺は緑がいっぱいで、海も見え、散策するにはとても良い場所である。

大学の正門を入った正面に、見たことがないくらい大きく立派な桜の木があった。

翌日が入学式ということで準備がいろいろ進んでいた。

 Niigata_001   Niigata_002_1

上空には、入学式のリハーサルであろう、ブルーインパルスが、何度も何度も飛行

していた。

 Niigata_005_2   Niigata_004

防衛大学には戦時中に作られたトーチカが   Niigata_003

残っている。

トーチカは東京湾に侵入してくる敵を見張り、

砲台を備えていたと聞く。

トーチカの上に登ると360度すばらしい眺望が

楽しめる。

夜は、近所に焼肉を食べに行った。          Niigata_008_1

翌日が私の誕生日ということで、娘夫婦から、   

観音崎ホテルのランチバイキング&スパ利用券を

カミサンとふたりプレゼントしてもらった。

2006年4月 3日 (月)

いやー、これは大変になる

今朝の朝日新聞に、『6月から、駐車違反の取り締まりが厳しくなり、わずかな時間でも

車を離れれば”違反”として摘発される』との記事が出ている。

『道路交通法の改正で、違法駐車を確認する業務を民間に委託する』 『違法駐車車両

の取り締まり強化は、7千万人を超すドライバーにとって、厳しい時代の到来と言える。

特に運送業界などが対応に追われている』とのこと。

記事のポイントは、

 ・取り締まりは、駐車監視員が『違法駐車状態の確認作業』にあたる。

  監視員は駐車禁止区域に止められた車をデジタルカメラで撮影、端末機で警察に

  送るとともに、車に違反のステッカーをはる。

 ・従来と違って、運転手が車を離れていれば、駐車時間の長短にかかわらず

  『違反』とされる。

 ・実際にどれぐらいの時間とめていれば摘発するかなどについては、これから

  駐車監視員に講習する。

 ・改正道交法には、新たに反則金の未払い対策が盛り込まれ、未納が続くと、

  車検拒否や財産差し押さえもできる。

 ・05年の取り締まり件数は、全国で約160万件。警察庁は、取り締まり件数は現在の

  2倍程度に増えるとみている。

記事は続く。

  道路を『仕事場』とする業界の悩みは深い。

  ヤマト運輸は、車を使わない集配システムに切り替え始めている。首都圏を中心に

  『サテライトセンター』を設け、半径400メートル圏内を台車やリヤカー付き自転車で

  配達する。

  日本通運も頭を痛めている。

  引越し業務では、地元の警察署から許可を得なければならなくなる。

  申請から4~5日はかかる。

6月と言えば、あと2ヵ月後である。

警察庁は、相当力を入れて新しい『駐車禁止取締り』を実施してきそうである。

バイクで走っていてイライラする主要道路の駐車は、これできっと一掃されることで

あろう。その意味で大変朗報である。

ただ、ちょっと路上駐車をしたい時できなくて困るケースが、しばしば起きてくるであろう。

この制度改正は、しばらく『国民的話題』になりそうである。

2006年4月 2日 (日)

NPOの月例会に参加

ここ2ヶ月欠席したNPOの月例会に参加した。

参加したのは、『ITを活用し、シニアが地域社会に貢献する』ことを目指し、町田市を

拠点に活動している『NPO法人 アクティブSITA』

SITAについては、ブログでも何度か紹介したことがある。

SITA(サイタ:シニアITアドバイザ)は、パソコン初心者を指導するシニアのスキルを

審査し、認定する試験制度である。

NPO法人 アクティブSITA』はSITA有資格者の組織する団体。

月例会に先立ち、キィマンの方々と、6月に開催予定の『第2回SITA交流会(東日本)』の

企画打ち合わせを行った。

SITA有資格者が全国で14のグループを作り、それぞれの地域で活動している。

交流会は、東日本地区のグループが一堂に会し、意見交換・交流・懇親を行うことを

目的に開催される。

基調講演及びパネルディスカッションの内容、基調講演者とパネリストの人選について

話し合った。

そのあと、月例会に参加した。

アクティブSITAの会員は33名、月例会参加者は今月は少なく14名だった。

          getsureikai 

アクティブSITAは事業型NPOを目指しており、会員のまとまりがよく、会員の意識も高い。

頻繁に勉強会を行いスキルアップに努め、大変レベルの高いグループである。

月例会では、17年度の収支予定報告、18年度の事業計画、9つのワーキング

グループの活動状況報告、先日参加した『町田NPOの集い』の結果報告等が

議論された。

月例会終了後は、場所をかえて、毎回恒例の懇親会で盛り上がった。

  

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