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2005年12月

2005年12月31日 (土)

いよいよ大晦日

定年2年目の2005年も今日で終わり。

気ままに過ごしたものの、充実した1年であった。

先ず、私とカミサン両方の家族全員が、元気で大過なく過ごせたことに感謝。

私の家族は85歳の母親、3兄弟妹の夫婦と子供たち6人、それに孫2人の総勢15人、

カミサンの方は、兄弟姉妹7人の夫婦と子供たち夫婦、それに孫を入れて、あらためて

数えてみると、59名

両家の家族全員が、元気で1年間過ごせたことは、何にもましてうれしいことである。

今年を振り返って、印象に残った我が家のニュースを取り上げてみたい。

結婚後初めて、夫婦で1週間を超える旅行をした。

10月末、知床を中心に道東を回った。

北海道は、秋の行楽シーズンが終わり、間もなく冬支度という時期の旅であった。

娘夫婦も同じ日に出発し、彼らは道央中心に回り、23日に帯広で合流。孫娘の1歳の

誕生日をみんなで帯広で祝った。今年最も記憶に残るできごとである。

すくすく育ってゆく孫娘は、我々夫婦にとっても、何物にも代えられない至宝である。

現役時代の仕事に関連した話では、7月に愛知万博会場の市民パビリオンを借りて

開催した「シニアITアドバイザ(SITA:サイタ)西日本交流会」が、最も記憶に残るできごと

である。(SITAについては、9月14日のブログ参照)

仕事とは言えないが、去年からはじめたフランチャイズ制のパソコン教室事業、

キュリオ・ステーションの関連でも、色々楽しいことがあった1年だった。

(キュリオステーションについては、9月23日のブログ参照)

最も悲しかったできごとは、16年間家族の一員として、我々を癒し楽しませてくれた

愛犬チェリーが、9月に亡くなったことである。

ガンを患い、5月から4ヶ月間苦しみ、痛ましい最期であった。

9月にブログをはじめたことも、今年の足跡となるできごとである。

今やブログつくりは毎日の楽しみのひとつになってきている。

初めて横須賀市の市民農園を借りて野菜作りをしたのも、今年だった。

あまり熱心にやらなかったため、収穫はイマイチだった。

そのほか、健康管理にも結構気配りをした。

11月には、初めて”教育入院”し、生活習慣病の検査を一通りやってもらった。

定期健診を通じて、いろいろ相談できる主治医ができたのは、今年の大きな収穫だった。

楽しみと体力維持で続けているテニスは、数えてみると今年1年間で80回やっていた。

最後に、今年のベストショットを3枚。

atami_026 hokkaido_084 20040425_rimg0174

     孫娘1歳        津別峠より見る屈斜路湖      愛犬チェリー

皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。

2005年12月29日 (木)

娘宅にて

昨日から横浜の娘宅に来ている。

今日は、孫娘を我々に預け、昼前から娘夫婦は出かけて行った。

孫娘に会ったのは1ヶ月足らずぶり。  misaki1228

1年2ヶ月の誕生日を過ぎ、この1ヶ月で一層成長した。

ものがよくわかるようになってきて、10個足らずのことばを発する

ようになり、面白くなってきた。

一番驚いたのは、1ヶ月前と違い表情が大変豊かになっている

ことだった。子供の成長のすごさを感じる。

昨夜も娘のダンナにもてなしてもらった。            

タラちり、ブリの照り焼き、コハダの酢の物など、盛り付け・味とも最高だった。

             dinner   

玄関には既にお正月の飾り付けがしてあった。

             genkan   

今日も孫娘を連れて、カミサンと一緒に近所を散歩した。

2005年12月27日 (火)

娘の友だちから

ソーシャルネットワークサイトの名称で、最近急速に伸びているmixi(ミクシ)で、同じ

コミュニティ仲間の娘の友だち、てらってぃさんから、楽しいブログが届いたので紹介する。

mixiは、『健全で安心感のある居心地の良いコミュニティを醸成したいとの想いから

作られた、招待なしでの新規登録はできない「友だちの友だち」の交流を楽しむブログ』

mixiのユーザ数は200万人を突破、口コミのみ。127日間で100万人増えたとのこと。

Web of the year 2005を受賞。

ネットワークが、すざましい勢いで社会および日常生活へ浸透していることが、いまさら

ながら、よくわかる。

ブログには、娘のかつての会社の同期仲間が、ダンナと子供たちと一緒に集って、

てらってぃさん宅でやったクリスマス会の楽しかった様子が書かれている。

http://blog.goo.ne.jp/y---trd/

これまた、すごいシニア

昨日テニスコートで久しぶりにMさんに会った。

今年70歳、「野球のシーズンが終わったので10ヶ月ぶりにテニスに来た。感が鈍ってる

だろうなぁ」と言いながらも、とてもその歳に思えない軽快なフットワークでプレーしていた。

所属するシニアの野球チームについていろいろ話を聞いた。

以前から所属していた60歳以上のシニアチームと、それに今年から、70歳以上の古稀

チームに所属したとのこと。

60歳以上のチームは、神奈川県内の20チームが参加した神奈川県大会で優勝、10月

に久留米で行われた全国大会に出場し、8位だったとのこと。

今年結成された古稀チーム「横須賀シニアOB」は、選手全員70歳以上。

関東の古稀10チームが集って、10月に千葉で開催された千葉市長杯で、みごと優勝。

来年は、60歳以上のシニア全国大会と古稀全国大会のいずれにも選抜出場資格が

できたとのこと。

「2月から練習と試合がはじまる。全国制覇に向けて頑張る。野球がないときはテニスに

来るよ」と言われていた。

いやー、スゴイ!

Mさんと一緒に、チームのキャプテンのSさんも来た。Sさんも来年2月で70歳。

Mさん、Sさんとも、体の動き・やわらかさ、それに脚力がスゴイ。

前に落ちた小さなボールをすごいスピードで走って拾う。

Mさんは大変ネアカで、Mさんを見ていたら、歳を重ねても若さが保てる秘訣は、性格と

前向きなやる気だと、あらためて思った。

大いに見習いたい先輩たちである。

2005年12月25日 (日)

リバースモーゲージ

先月中ころ、ブログにカウンターを付けた。

今日1000件に達した。

カウンターにマウスポインターをあてれば簡単なグラフと数字が出てくる。

毎日25人前後の方々に見ていただいている。

ご覧いただいている皆さまに、あらためてお礼を申し上げたい。

さて、今日の話題は、「リバースモーゲージ」について。

「リバースモーゲージ」って、お聞きになったことがあるだろうか?

私が最初に聞いたのは、たぶんもう20年くらい前、オーストラリア人からだった。

当時は、定年退職や老後を自分のこととして考えることができず、「そうか、そんな制度が

世の中にはあるのか」という程度の受けとめであった。

先週土曜日、NHKの「暮らしと経済」でわかりやすく解説していたので紹介したい。

「リバース・モーゲージ」とは、シニアが居住する住宅や土地などの不動産を担保として、

一括または年金の形で定期的に融資を受け取り、受けた融資は、利用者の死亡、転居、

相続などによって契約が終了した時に担保不動産を処分することで、元利一括で返済する

制度のことである。

この制度のメリットは、持ち家などの不動産を担保にして、年金のような形で毎月の生活

資金の融資が受けられ、住み慣れた自宅を手放すことなく、住み続けながら、老後の生活

資金が受け取れることにある。

厚生労働省の定めるリバースモーゲージ制度では、

 ・対象は65歳以上の住民税非課税の世帯

 ・土地評価額の7割を上限に、毎月30万円以内の生活資金を援助する

 ・3年を区切りとし、その時点で貸付限度額の枠内に余裕がある場合は貸付を継続

   する

 ・居住用不動産に対し、根抵当権を設定するとともに、借受人の推定相続人から

   連帯保証人を選任する

「リバースモーゲージ」の普及は、まだまだこれからではあるものの、「子孫に遺産を遺す

だけでなく、自分たちの豊かな老後のために」との思いで、リバースモーゲージに興味を

持つシニアが、これから増えてゆくだろうとのことであった。

2005年12月23日 (金)

漢字クイズの回答

一昨日の「アメリカからのメール」で書いた小学生向け漢字クイズ、皆さん、挑戦され

ましたか。

お約束の回答はこちら ⇒ 「1.xls」をダウンロード 

ついでに、雑感とニュース。

ついに、日本の人口は、ピークを越えて下り坂に入ったとのこと。

今年生まれる赤ちゃんの数が、亡くなった人の数を下回り、日本の人口が初めて1万人の

自然減となった。

すごいこととは思うものの、実感としてあまりピントこない。

それより、出生率の著しい減に驚いた。

昨年の出生率は1.29で、この値はしばしば話題となる。

同じ出生率は、団塊の世代が誕生した1947~49年は4.4前後であったとのこと。

今は当時の1/3以下に下がっている。

この数字には驚いた。

遠い先のことでピントこないが、2100年には日本の人口は6400万人に半減する

そうである。

この先、ホントにどうなってゆくんだろう。

もうひとつ、以下はメーリングリストで流れてきたニュース。

毎年1月4日ころ、「りゅう座(イオタ)流星群」が活発に活動する。

来年のりゅう座流星群の観察は、8年ぶりの絶好の条件となり、多くの流星が眺められる

と期待されている。

流星が出現するのは、1月4日の午前1時ころから明け方まで。

流星群の放射点である北東の地平線から上がり、かなり明るい流星も見られそうで、

いままで流星を眺めたことのない人でも、簡単にその姿を見つけられ、また双眼鏡や

望遠鏡といった特別な装置も不要とのこと。

流星は放射点から流れ出るように見えるが、夜空のどこにでも現れるので、特に放射点を

見ている必要はなく、好きな方角を眺めていれば、流星を楽しむことができるとのこと。

光害のない夜空で晴天に恵まれれば、1時間に50個を超える流星が眺められるそうだ。

寒い中、真夜中ではあるが、ご興味のある方は、ぜひ。

2005年12月22日 (木)

和歌山からの来客

9月23日に書いたパソコン教室キュリオステーションの本部に行って、石川社長と

ミーティングを行った。

用件は、私が所属しているNPOシニアSOHO横浜・神奈川のメンバーのOさんの会社

キーライフがはじめた事業と、キュリオステーションの事業がうまく連携できないものかと

考え、双方を知っている私がミーティングをセットアップした。

キーライフは、和歌山県にある地元新聞社 紀伊民報が10月につくった会社で、IT活用

による商店街向けサービスが事業の中心である。

キュリオステーションも、全国40教室がすべて地元商店街の中にあることから、商店街の

ホームページつくりを事業として行っている。

どちらの会社も、ITを活用し、地域に密着し、地元へ貢献する事業を通し、ビジネスを拡大

してゆくということで、目指すところは同じである。

今日はお互いにやっていること、これからやろうとしていることを披露し合った。

組めるとしたら、このような形でどうだろうかという企画案をお互いが作って、1月中旬

もう一度打ち合わせすることになった。

キーライフが、和歌山発で今後全国に展開してゆくためには、急速な勢いで伸びつつある

キュリオステーションと連携することは、キーライフにとっては大いに魅力がある。

メーティングが終わったあと、食事をしながら、今日も石川社長の事業への熱い思いと

仕込み中の新しいビジネスの話をいろいろ聞いた。

全国100万部の配布を計画している、日本初のホームページ誘導型フリーペーパの話、

ハワイに作ろうとしているキャリアアップ スクールの話、それに本業のキュリオステーション

の拡大(来年は全国に100店舗、3年後300店舗)、いつものことながら、石川社長の

事業展開の話はエキサイティングである。

2005年12月21日 (水)

やっとできた!

毎年この時期になると、やらなければ、やらなければと思いながら、先送りしてしまう

年賀状つくりに、今日やっと手をつけ、何とかできあがった。

最近は表も裏もパソコンなので、「書いた」でなく「できた」になる。

定年退職者なんだから、時間はふんだんにあるはずなのに、何故もっと早くやらないの

だろうかと、我ながら思う。

11月後半から、今年こそ早くやろうと思いながら、「まだまだ時間がある」→「来週は

是非やろう」、次は「明日中に必ずやろう」と決めてもやらず、今日はとうとう意を決して

やることにした。

筆ぐるめを使っているが、1年に1回しか使わないため毎年忘れてしまっていて、ついつい

余計な時間がかかる。印刷の失敗も必ず出てくる。

今日は夕方からずっとやって、表書きが全部でき、プリントし、裏のデザインを決め、

写真を選び、文章を作ったものの、それぞれの貼り付け方を見つけ出すまでに時間が

かかり、いいかげん疲れてしまった。

「もういい、あとは裏のプリントだけだ。今日はもう終わりにして明日やろう」

それにしても、もっと早く手をつけておけば、もっともっと余裕を持ってできたはずなのに。

写真だけは手回しよく、10月に娘夫婦と北海道へ旅行したとき、孫娘を入れて年賀状用

候補写真を撮っていたのに。

現役時代はたいてい28日前後に出来上がり、元旦に届かなかったこともあったはず。

プリントごっこでやっていた時代はパソコン以上に時間がかかった。

まあいい、これで明日は投函できる。

毎年年賀状の束をポストに入れたら、「やれやれ、これで大仕事が終わった!」という

気持ちになる。

来年こそは、もっと早くやろうと思うんだが・・・・

2005年12月20日 (火)

アメリカからのメール

大学の仲間のメーリングリストに、アメリカに住んでいる友だちのT君がメールを

送ってきた。

T君は在職中に11年間アメリカに駐在した。退職してからすぐ夫婦でアメリカに移り住み

4年弱、アメリカ生活は、通算15年近くになる。

退職し渡米後、ずっとシカゴの日本語補習校で小学生向け教師をしている。

日本人だけでなく、アメリカ人の子供たちにも日本語を教えている。

生徒の大脳を鍛えるため、余った時間を使って、教科書の内容を中心に色々なクイズを

作ってやらせているそうである。

クイズ作りには時間がかかるが、子供たちに好評で、熱心に考えてくれるとのこと。

メールに2つの問題が添付されていた。

なかなか面白い問題なので、挑戦してみてはいかがか。

「_21.xls」をダウンロード「1.xls」をダウンロード

回答は数日後に掲載する。

T君もいろんなことをやっている。

今年の10月には、またしてもシカゴマラソンを走り、T君にとっては10回目のマラソン

参加だったそうである。

永年やっているゴルフは、今年は少々安定度を欠き、80台から100の間を揺れ動き、

エイジシューターの道は険しいと書いていた。

10月でゴルフは終り、11月からは今年も月いちペースの麻雀を始めたとのこと。

我々仲間はみんな、麻雀は40年前大学の寮で覚えた。

先生は8年間やると、イリノイ州教職員共済の年金ももらえそうで、あと4年くらい続けて

やってみようかと思っているとのこと。

ここにも、自分のペースで充実した毎日を送っている”定年バンザイ”仲間がいる。

2005年12月19日 (月)

クリスマスムード

今週末はクリスマス。

夜近所をぶらぶら歩いた。

クリスマスのイルミネーションの飾りつけをした家が結構ある。飾りつけする家は年々

増えてきている。

  kinjyo1   kinjyo2 

  kinjyo3   kinjyo4 

イルミネーションの点いたり消えたりを表現できなくて残念である。

イルミネーションを見ていると、余裕と豊かさを感じる。

競い合っているなあと思える「イルミネーション通り」もあった。

15年くらい前、ちょうどクリスマス前のこの時期にカナダのトロントに出張したことがある。

その時見た各家のイルミネーションの飾りつけは、すばらしかった。

どの家も個性豊かに飾りつけていて、見ているだけで、その家族の幸せを感じ取れる

ような気がした。

会社の事務所の中にも、ポインセチアの花が所狭しと飾ってあり、「うん、まさにクリスマス」

という感じであった。

翻って、我が家はと言えば、イルミネーションはおろか、クリスマスツリーはパソコン教室に

持っていったし、リースすらまだ飾っていない。

以前は、山歩きし拾ってきた蔓でカミサンがリースをよく作っていた。

夫婦ふたりだけになった最近は、かつて家庭内で恒例であったことが、ついつい手抜き

されるようになってきている。 

2005年12月17日 (土)

友人との会食

大学の1年先輩のTさんと渋谷で会った。

Tさんは大学時代の寮の仲間のひとりで、40年来の仲である。

お互い定年退職し、それぞれ自分のスタイルとペースで毎日を過している。

Tさんはタイにも住まいがあり、最近はタイが中心で、日本には、来るという感じである。

色黒く日焼けし、ストレスがまったくないと言われるだけあって、元気そのもの。

ゆったり生活を楽しんでいる様子がよく伝わってくる。

お昼を食べ、お茶を飲みながら3時間以上お互いの近況からはじまり、いろいろ話した。

Tさんは現役時代、イギリス、ブラジル、チリに駐在され、海外経験が豊富である。

退職してからも、あちこち海外へ余裕のある旅をされている。

今年は北欧とニュージランドに行ったそうで、ニュージランド、特に南島が良かったと

言われていた。

ニュージランドは私も時間をかけて行ってみたい国である。

我が家は10月に結婚以来最長の1週間の北海道旅行をした。

2月には、娘が予約してくれて、娘と孫娘も一緒にハワイに行くことが決まっている。

Tさんからは、「時間があるんだから、もっともっとあちこち行った方がいいよ」と何度も

言われた。

旅行以外では、シニアの定番話題のひとつ、財テク、特に株投資について色々話した。

「持っている株にあまり執着するのではなく、場合によっては、損切りしてでも手放し、

より有望な株に乗り替えてゆくべきでは」とのTさんの意見、たしかにそうだなあと

思いながら聞いた。

「明日からはラスベガス。それじゃ、1月の寮の仲間の新年会でまた会おう」

Tさんもまさに、”定年バンザイ”組だなあと思いながら別れた。

2005年12月16日 (金)

今朝のテレビ番組から

「主人在宅ストレス症候群」についての特集番組を観た。

亭主の定年あるいはリストラによる退職で、奥さんがいかに深刻な状況に陥るかが

番組のポイントであった。

奥さんが「主人在宅ストレス症候群」になる予備軍熟年夫婦は、8割と聞いて驚いた。

主なる原因は、「亭主のこだわり」、「亭主が決めた頑固なルール」とのことであった。

代表的タイプは、①女房に始終文句を言い、威張り散らし指図ばかりする ②一日中

ゴロゴロし何ごとにも無関心で、夫婦の間に会話がない。

また「60歳過ぎた男は変えられない・変わらない」ことが根底にある問題だと言っていた。

「変えられない・変わらない」ということでは、思い当たるふしが色々ある。

結果、奥さんはストレスが山積し、神経性胃炎、不眠症からはじまり、うつ病、果ては

脳梗塞、心筋梗塞に至るケースもあるとのこと。

以前にもブログに書いたことがあるが、亭主が第2の勤めから引退し、いよいよ、毎日が

日曜日になった夫婦の奥さんの書いた以下のような投書を読んだことがある。

「ある程度覚悟はしていたが、これまで調子よく流れていた自分の”川”の中に、突然

”亭主岩”が出現した感じ。一日の流れが乱れ、勝手の違うこと甚だしい」

番組では何点か提案をしていた。

 ・最低週2日は夫婦別々に外出すること

 ・お互いに言いたいことを言うこと。そのためにはケンカも悪くない

 ・それぞれが自分の趣味を持つこと

これも以前ブログに書いたことがあるが、私が定年する前に考えていた「定年したあと

大切なこと」は、ふたつ。

ひとつは、できる限りカミサンと一緒にいる時間(接点)を減らし、お互いに干渉しない。

ふたつめ、料理ができるようになれば、間違いなく点数が稼げる。

いずれも満足できるレベルにはまだ程遠い。

番組の最後に、「大変な数の団塊の世代の男性が定年を迎え、家庭に入ってくる時期は

もうすぐである。多くの女性が夫の定年後が恐いと戦々恐々である」

家庭内の問題なので表には出てこないものの、潜在的な社会問題になることが予測

される難しいテーマと言えそうだ。

2005年12月15日 (木)

お通夜

今夜はテニスクラブのメンバーのお通夜だった。

ご夫婦が会員で奥さんがガンで亡くなられた。

ご夫婦揃って、これからずっとずっと長く楽しい日々が待っていたはずなのに。。。

最近年々、喪中につき年頭の挨拶欠礼の葉書が増えてきた。

これまでは、ほとんど両親が亡くなったことを報せる挨拶状だった。

今年はそうではない挨拶状を2枚いただいた。

1枚は、大学時代神戸で下宿していたお宅のご主人が、旅行中に高知で亡くなられた

ことを報せる挨拶状だった。

神戸のお宅は、阪神淡路大震災で激しい被害を受けたJR六甲道駅の近くにあった。

下宿していたのは昭和40年ころだから、今から40年前のこと。

数人で下宿し、食事の世話含め大変お世話になった。

震災後は、ご主人が地域の復興のために大変ご尽力されたと聞いている。

10年以上前、下宿のおばさんを訪ね、当時の下宿仲間と一緒に2度お邪魔した。

おばさんは大感激され、歓待してくださった。

もう1枚の葉書は、昭和42~44年ころ、同じ職場で一緒に仕事をした同じ歳の同僚が

3月に亡くなったことを報せる挨拶状だった。こちらも35年以上前のことである。

職場を離れてからは年賀状のやりとりだけで、結局会うことはなかった。

挨拶状は奥さんから届いた。

奥さんも当時同じ職場で、よく知った仲である。

早速、思い出される昔のことを色々書いて返事を出した。

おふたりのご冥福を心よりお祈りする。

2005年12月12日 (月)

大和ミュージアム

広島呉市に「大和ミュージアム」を見に行った。

戦後60年の今年、戦艦大和はあらためて見直されている。

映画「男たちの大和」も封切られた。

今年4月にオープンしたばかりの「大和ミュージアム」は、なかなか見ごたえのある博物館

である。

入り口中央に、10分の1の大きさ(26.3m)の戦艦「大和」が展示してあった。

         yamato1

戦時にこの模型の10倍のスケールの戦艦「大和」が、国内技術の粋を結集し、国の威信を

かけて建造されたのだ。

当時はもちろんコンピュータはなく、計算尺とソロバンを使い、机上計算で造られたと思うと

なんとスゴイことか! 信じられない「ものつくり」技術が当時の日本にはあったのだ。

終戦の4ヶ月前の昭和20年4月7日、「大和」は、沖縄特攻作戦に向かう途上、米艦載機の

攻撃を受け沈没。乗員3,332名のうち3,056名が「大和」と運命を共にした。

零式艦上戦闘機(ゼロ戦)と人間魚雷「回天」の実物も展示されていた。

 yamato2 kaiten  

2時間以上かけじっくり見て回った。

「大和」やゼロ戦で命を散らせた若い人たちの手紙や手記を読み、平和な今の時代に

生きていることの幸せをあらためて感じた博物館見学であった。 零式

時間以上艦上戦闘機62型、人間魚雷「回天」などの実物資料で戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えます。材料をつなぐ技術

2005年12月11日 (日)

実家に帰省

倉敷の実家に帰省している。

正月に中学校の同窓会に参加するため帰ってきたこと含め、今年4回目の帰省である。

オフクロ孝行と、オフクロの世話をしてくれている弟夫婦・妹夫婦をねぎらうため、毎年

3~4回帰省している。

今回は初めてマイレージを使い、昼前岡山空港へ着いた。

妹夫婦が飛行場に出迎えにきてくれ、食事をし、ドライブで吉備路を連れて回ってくれた。

倉敷には高校卒業までいた。当時は田舎町だった倉敷は、女性雑誌アンアンやノンノンが

取り上げてくれ、大原美術館を中心とした美観地区と呼ばれる地域が整備され、

「文化都市倉敷」と呼ばれる街となった。早い時期に街おこしに成功した都市と言える。

帰省したら、毎回美観地区を散策する。

  oharabijyutsukan bikanchiku   

         【大原美術館】                      【美観地区】

2005年12月 9日 (金)

またまた大変な事件

昨日・今日のトップニュースはみずほ証券の発注ミス事件。

ひとりの営業マンが起こした全くの人為的なミスとのこと。

きっと営業マンは、誤入力し、パソコン画面の”売り”のアイコンを押したのであろう。

アイコンひと押しで、300億円の損害。

とんでもない世界があるものだ。

東京証券取引所は、先月初めのシステムダウンに続き、この1ヶ月あまり受難続き。

ただ、みずほ証券事件による昨日の大幅な株価下落も、一夜明けたら何のその。

今日はまた活発な商いが戻り、株価は大きく反発して終わった。

この勢いは誰が見ても間違いなく本物である。

株の話のついでに。

最近、「黄金株」という聞き慣れない言葉を時々耳にする。

「株式買い占めなどの敵対的買収によって合併される事態に陥っても、その議案を

否決することのできる特別な株券」とのことで、改正会社法で制定された。

http://www.science-news.net/database/display.php?id=12041

M&A(合併・買収)という言葉が日本で使われはじめてまだ20年くらいではないだろうか。

今ではM&Aは日常茶飯事。昨年あたりから専らの話題は、敵対的買収。

米国を中心とした「はげたかファンド」が火付け役ではなかろうか。

弱肉強食、企業は自ら防衛しないと、誰も守ってはくれない。

いつなんどき、どこから手が伸びてくるかわからない時代になってきた。

2005年12月 8日 (木)

忘年会

毎週月・木曜日の午前、テニスコートに集まる定年退職者仲間で忘年会をやった。

一番若い人が昭和19年生まれのおじさんばかり11人が逗子に集まった。

5時半スタート。現役時代だと難しい開始時間。

余り大きくない部屋に11人、にぎやかにワイワイと3時間近く、他のお客さんに迷惑では

ないかと思われるくらい大いに盛り上がった。

複数の違った話題が、同時に数ヶ所で飛び交い、いやー、にぎやかだった。

昔の話も多く出た。

国語の教科書で、ちょうちょう(蝶々)が「テフテフ」だったとか、しましょうが「しませふ」

だったとかから始まり、高校の教科の話題でも盛り上がった。

社会科には、日本史・世界史に人文地理があったとのこと。人文地理ってどうも記憶に

ない。人文が付いていたかなぁ、単に地理じゃなかったかなぁ。社会科は他に教科が

なかったかな?

幾何・代数だったと言う人、数Ⅰ・数Ⅱだったと言う人、加えて数Ⅲがあったと言う人。

数Ⅰ・Ⅱ・Ⅲって代数のことだったのかなぁ?

戦争の記憶についても、はっきりある人、ない人。

数年の違いで経験したことに結構違いがある。

一番盛り上がった話題は、テニスコートの運営についてであった。

いろんな意見が出た。1月15日の年次総会で話し合おうということでおさまった。

終わって2次会、カラオケに行き、夜中の1時までカラオケをやっていて、今朝9時に

テニスコートに来ていた人もいた。

元気そのもので、すばらしいことだ。

2005年12月 7日 (水)

生命(いのち)のメッセージ展

10月の高崎に続いて開催された「生命のメッセージ展」を再度見に行った。

「生命のメッセージ展」は、交通事故や犯罪等により理不尽・不条理に命を絶たれた

人たちのかけがえのない大切な命の証をたどり、いのちの重さを訴えることを趣旨に、

全国各地で展示活動が行われている。 http://www.inochi-message.com/

活動は2001年にはじまり、今回は、学生が中心に企画・運営され、早稲大学で開催

されている。31ヶ所目の開催である。

プログラムには、以下のように書かれている。

”学生たちのいろんな『WANT』がメッセージ展を創り上げる原動力になりました。

なくしたい。なくしたくない…。知りたい。感じたい。見つめ直したい。

乗り越えたい。つながりたい。忘れたくない。・・・伝えたい。   

スタッフひとりひとりがそれぞれの『想い』を抱え、心を震わせながら、

『生命』や『生きること』と向き合っています”

亡くなった方へのご家族の想いを読み、写真を見て、毎回涙する。

何故、今回早稲田大学で開催されているのか。

2001年にこの活動をはじめられたのは、座間市の鈴木共子さんという方である。

鈴木さんは、2000年4月、母ひとり子ひとりの中で育てられた最愛の息子零くんを

交通事故で亡くされた。

無免許・無車検の酔っ払い運転の加害者が起こした極めて悪質な事故であった。

零くんは1年浪人し、みごと早稲田大学に入学した。その直後の痛ましい事故だった。

悲しみのどん底の中、鈴木さんは立ち上がり、交通事故や犯罪等により理不尽・不条理に

命を絶たれた全国の被害者に呼びかけ、2001年、「生命のメッセージ展」を始められた。

活動の趣旨に賛同し、ともに活動に参加する人たちの輪が全国にどんどん広がり、

31回目の今回、早稲田大学での開催となった。

早稲田大学での開催は、零くんの在籍していた大学だからの理由だけではない。

実は、零くんが亡くなったあと、鈴木さんは零くんのために何かできないだろうかとの

思いで、零くんが頑張って入学した早稲田大学を受験することを決意された。

鈴木さんの受験勉強、特に英語がいかに大変だったかは、当時時々電話をいただき、

お話しを聞いていたのでよく知っている。

鈴木さんは猛勉強され、3年前見事に早稲田大学に合格された。

大学生になってからも、鈴木さんから、充実した大学生活のお話を聞く機会が時々あった。

そして今回、早稲田大学学生会館の広い会場での「生命のメッセージ展」の開催となった。

久しぶりに鈴木さんとじっくりお話しができた。

鈴木さんは興奮しながら、「聞いてください。実は、スゴイ話があるんですよ!」と言い

ながら話してくださったことがある。

それは、来年は早稲田大学創立125周年だそうで、その記念事業のひとつとして、

大企業数社協力のもと、「生命のメッセージ展」をテーマとした映画つくりの話が

進みつつあるとのことである。kyoukosan

零くんの事故から5年半。

その間、お付き合いさせていただきながら見てきた

鈴木さんの様子を知っている者のひとりとして、自分の

ことのようにうれしくなった。

2005年12月 5日 (月)

ALWAYS 三丁目の夕日

午後、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を観に行った。

シリーズの総発行部数が1400万部を記録する西岸良平のコミック、「三丁目の夕日」を

映画化した作品。

舞台は、建設中の東京タワーが少しずつ空へ伸びていく昭和33年。

昭和33年といえば、私は中学3年生。

夕日町三丁目で、慎ましくも笑顔の絶えない日々を送る人々の姿が、微笑ましく描かれて

いて、随所で「そう、そう、そうだった」と思いながら観た。

近所の人たちが押しかけて家に上がりこんで観ていたテレビ、舗装されていない生活道と

家並み、商店と看板、氷の冷蔵庫、富山の薬売り、走る車がまばらな道路、煙を吐き

ながら走る汽車、都電、オート三輪、力道山、集団就職・・・・

泥んこになって遊ぶ子供たち、子供たちを叱る近所の大人たち・・・、現代では見られない

風景のなかで、人々の心だけは、現代の日本人にも充分に訴えかける。

かつて日本に確かにあった時代を振り返り、優しい人たちの心に触れ、素直に感動できる

人情作品だった。

ポスターに、「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう」と

書いてあった。 たしかに、と思った。

今日は朝テニス、午後映画、こんな月曜日が過ごせるなんて、まさに「定年バンザイ」だと

思った一日だった。

2005年12月 3日 (土)

娘宅へ

娘のダンナに招待されて、カミサンと一緒に、横浜の娘宅に1泊とまりで行った。

マンションの10階で、ベランダから左にランドマークタワー(写真中央)、右に富士山

(夕日の右が富士山)が見える。

 RIMG2725 RIMG2740  

1歳1ヶ月の孫娘の実咲は一層成長していた。

これまではスプーンで食べさせてもらっていたが、自分で手づかみで食べはじめていた。

ことばも、「ちょうらい(頂戴)」や「いららい(いらない)」を言いはじめていた。

 RIMG2706 RIMG2699 

娘がちょうど断乳をはじめたところだった。

これまで毎晩3時間おき、ひどいときは30分や1時間おきに目を覚まし授乳させていた

ため、娘が始終寝不足でまいっていたが、断乳3日目の昨夜は9時半に寝て、8時間

ぐっすり寝てくれたと大喜びしていた。断乳はどうやらうまくいったようだ。

ちょうど誕生から400日目とのこと。

娘のダンナにはご馳走になった。

昨夜は行きつけの天王町の小料理屋「とがし」で、また、今朝はおいしい朝食をご馳走に

なった。感激の朝食だった。自分でもちゃんとつくれるようになりたいと思った。

          RIMG2717 

午後は天気に誘われて、実咲を連れてカミサンと近くを散歩した。

いちょうの紅葉がすばらしかった。

          RIMG2729 

夕方、横須賀に帰ってきた。

みんなで楽しく過ごした2日間だった。

2005年12月 1日 (木)

いよいよ師走

午後、クリスマスツリーとポインセチアを持ってパソコン教室に行き、インストラクターの

人たちと一緒に飾りつけをした。

         xmas_tree  

教室は一気にクリスマスの雰囲気になった。

インストラクターの女性が、「明日、家から電飾持ってきます」とのことで、一層雰囲気が

盛り上がることだろう。

受講している女性から、「私たち夫婦も教室をやりたいと思っているんですが、話を

聞かせてもらえませんか」と言われ、仕事が終わったご主人も合流し、3人でお茶を

飲みながら1時間くらい話した。

テニスコートで

       tennis_court

絶好の天気、紅葉を見ながらのテニス、最高!

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