2021年1月23日 (土)

山方面を歩いた ②

先日登った山は我が家の南方向、今回登った山は東方向。

この山も家の前に出ると、いつも目にする山だが登ったことはなかった。

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いつも散歩で通る、通称赤い道を端まで歩く。

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赤い道を抜けると、登る山が正面に近づいてきた。

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登り口はすぐわかり、頂上までは一本道。

頂上で写真を撮るのを忘れたが、眺望には満足。

しばらく眺め、下山。

下りたところには馴染みのトンネルがふたつある。

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トンネルの入り口には案内表示の掲示板。

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ふたつのトンネルを抜け、左に曲がれば、我が家の墓のある浄林寺。

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墓で息子に近況を話し、帰り道、マックで一休みし、カミさんに頼まれていたものを

西友で買い、この日の山歩きは終わり。

スマフォの歩数、1万歩超えていた。

週2回のテニス以外に気が向いたら、ふたつの山のどちらかを時々歩こう。

カミさんも一緒にと思うが、すぐうんとは言いそうにないので、面倒で

気が向いたとき、いつもひとりで気ままに。

2021年1月17日 (日)

カミさんに頼まれ

午後「歩いてくる」とカミさんに言ったら「だったらお願い」と買い物を頼まれた。

うちから海岸沿いを1キロ少々歩いた海沿いの集落にある店で買ってきてと

「アカモク2袋、海苔1帖、焼海苔1帖」と書いた紙を渡された。

この店に行く途中、住宅街の真ん中をまっすぐ通っている通称”赤い道”を通り

500mくらい先にある端まで、ラジオを聴きながら歩いた。

左に曲がり、海岸遊歩道に出て、そこから10分少々先の海岸沿いにある

「ながつか水産」へ。

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渡されていた紙を見せて「これください」

「アカモクはちょっと早いです。2月になれば」と言われ、海苔と焼海苔1帖づつ買った。

帰りは海岸遊歩道に沿ってゆっくり歩き、30分くらいで帰宅。

途中、海ガモの群れをしばらく見ていた。

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帰ってスマフォに表示された歩数を見ると11,528歩。

へー、あそこまで往復すれば、そんなにあるんだ。

帰ってすぐカミさんから「風呂つくって」

気持ちよく風呂に入って「今日は阪神・淡路大震災から26年だったんだ。

ノーテンキに一日を過ごしてしまった」と少々複雑な気持ちになった。

2021年1月15日 (金)

今日もいろいろあった

11時からNHKの英語講座を聴いたあとお昼を食べて、1時から毎週金曜日午後定番の

4時まで3時間、近くの通称リハビリセンターへ行って運動。

テーブルの前の席に座った人とおしゃべり。

防衛大学を卒業し自衛官として定年まで勤めたそうで、広島の呉の出身ということで

ボクは倉敷出身と話し、いろいろ話が盛り上がった。

週1回、この3時間はしっかり体を動かすことができ、顔なじみの仲間も多くいて楽しい。

帰ったあと、もらっている薬がなくなりそうなことに気づき、かかりつけ医へ。

前回撮ったレントゲンの結果、特に問題なしと言われ、ホッと。

カミさんが行く前に「先生に車の免許証返納することにしたこと伝えて」と言われていたので

それも話した。特段、反応なし。

そのあと、歩いて本屋に寄って、昨日発売のNHK実践ビジネス英語の2月号テキスト購入。

そうだ、カミさんからミカンとバナナ買ってきてと言われていたことを思い出し、西友へ。

帰って、風呂に入り、夕食。

夕食は、カミさんが横須賀唯一の百貨店さいか屋で買ってきていた広島の炙りアナゴ飯。

美味しかった。1回で食べるのもったいないので半分残し、明日朝の楽しみに。

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こうして、定年16年目の一日は終わった。

2021年1月14日 (木)

うれしいハガキ

テニスから帰り、ポストをのぞいたらハガキが1枚届いていた。

10年以上前まで近くに住んでいて東京に引っ越し、今は鎌倉に住むWさん。

近所で一番仲良し家族だったWさん宅の長女のKちゃんから我々夫婦に届いた

年はじめの挨拶状。

自作のステキな版画、雑貨屋風のお店が描かれた回りに近況が書かれていた。

「明けましておめでとうございます。冬になると東京湾からの北風に

吹かれてみたくなります。寒いですが・・・。外出もままならなかった昨年は

中央(横須賀中央のこと)行きたい!と叫ぶ日々でした。

やはり横須賀育ちなんだなあと思います。

どうぞ健康で新年をおすごし下さい。良い1年になりますように」

Kちゃん、我が家の娘より、たしか2つ上。

美術系が好きで芸術大学に行った。

いただいた版画、とってもステキ。

何度もながめながら、今これ書いている。

Kちゃん、ふたり姉妹のお姉さん。

我が家のテラスハウスの並びで7~8軒先だった。

だから2階の窓から見える海の景色、家の中や庭の感じはKちゃん、手に取るように

ばっちり頭に浮かんでくることだろう。

越してもう20年近くなるが、Kちゃん宅とは近隣で最も懇意にお付き合いしていた。

双方の家の往き来はもちろんのこと、小学校の運動会にはそれぞれが持って行った

お弁当を校庭で食べたり、釣り好きだったKちゃんのお父さんには何度も舟に乗って

海釣りに連れて行ってもらった。

Kちゃんに最後に会ったのは、たぶん10年近く前。

夫婦で出かけ、たしか逗子の店でお昼を3人で食べ、そのあと高台にある店でお茶した。

届いた1枚のハガキを見て、いろいろ思い出した。

絵葉書選んで「また会える機会があれば」と返事書いて出そう。

2021年1月12日 (火)

在宅勤務(Working From Home)

先月12月、6回放送されたNHKラジオ実践ビジネス英語講座のテーマは「在宅勤務」

WFHはコロナ禍で最も頻繁に目にすることになった「略語」のひとつとして紹介された。

I WFH four days a week,avoiding rush-hour traffic(ラッシュアワーを避けて

週4回在宅勤務)

在宅勤務WFHを初めて知ったのは74~76年駐在したオーストラリア。

タイムレコーダーがあるわけでなく、与えられた業務さえこなせばいいというという考えで

勤務には極めて融通があった。

まさにWFHが認められていて、結果が出ていれば、自由という感じだった。

ただ、駐在員にはWFHは無縁だった。

講座では、登場人物8人が様々な観点からWFHを論じていた。

「同僚と対面でやりとりする日、独りでいる日のバランスが好き」

「怠けていると思われたくないので、自宅ではオフィス勤務の時より懸命に働いた」

「自己隔離状態にあったとき、近くをサイクリングすることの楽しさを見つけた。

 コロナウイルスのことがなければ、近隣の興味深い場所を発見することはなく

 在宅勤務のいい側面のひとつだった」

2021年1月11日 (月)

山方面を歩いた ①

我が家を出てすぐ左の道から前方に小高い山が見える。

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以前にも何度か昇ったことがあるが、天気の良さに誘われ、昨日午後登った。

テニスシューズを履き、歩数を計測したくケータイを持ち、道中楽しむために

ラジオを持って、2時半スタート。

背中を伸ばし、姿勢正しく、出来るだけ大股で歩くことを意識しスタートしたものの

途中何度も出来てないことに気づき、ハッとするの連続だった。

道は勝手知ったる一本道。

一本道路を渡り、右に馴染みの公園を見て、古い県営住宅の横を通りどんどん登ってゆく。

道は右方向に曲がり、眼下に海、我が家が見える住宅街を下に見ながら登り、

少々行ったところの階段を上がれば、我が家の一帯より少々遅い時期に経った瀟洒な家が

立ち並ぶ住宅街。

少々進んだところに、下が展望できる馴染みの場所がある。

我が家の2階のダイニングの窓から毎日見ている東京湾唯一の猿島も遠方に見える。

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帰り道、我が家の子供たちが40年近く前に通っていた小学校に寄った。

小学校の名前は校庭から遠方に海が臨めることから、望洋小学校。

校庭では2つのソフトボールの子供チームが練習をしていて、しばらく見ていた。

この校庭には思い出がある。

近所に住んでいた娘と同級生だったWさんご家族と何度も一緒に運動会に来て

この校庭で持ってきたお弁当を一緒に食べたことを思い出す。

小学校を跡にし、坂道を下りて家まで戻った。

家までは20分以上かかる。

小学校の子どもたちには結構大変だったことだったろうと改めて思った。

4時半帰宅、スマフォの歩数計を見ると9,800歩超。

アップダウンもいっぱいあったし、とってもいい歩きになった。

都心までの通勤に1時間半かけ、25年間通い続けたが、今となれば

カミさんが新聞で見つけて決めたこの家は大成功だったと改めて思った。

2021年1月 9日 (土)

好きなNHKラジオ番組

ラジオを聴くという習慣は、亡くなったオヤジゆずり。

オヤジがよくNHKラジオ第1放送をベッドで聴いていたのを覚えている。

オヤジの真似をしてNHKの番組を朝晩聴きだして、もう何年になるだろう。

特に、土曜日朝8時のニュースのあとはじまる「石丸謙二郎の山カフェ」は大好き。

今朝は、新春のお客様・草刈民代を迎えての放送だった。

山登りは趣味とは言えないが、各回ゲストを迎えてのおしゃべり、心地良く聴いている。

今朝もふたりのおしゃべりを楽しんだ。

聴いたあと庭に出ると、となりの子どもがTakと声をかけてきて、フェンス越しにワイワイ。

遊んでいる車「サンタクロースにもらったの?」と聞いたら「そう」

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父親のカレンが出てきて、

「今年アメリカ帰るの?」と聞いたら

「6月の予定」

「帰るのサンディエゴ?」に対し「そう」

しばらく立ち話。

カレンはナイスガイ。

米軍横須賀基地に勤めるとなりの住人、何人目だろう。

間違いなく5家族以上。

最もよく覚えているのはシングルマザーだったケリー。

「ボスの家に呼ばれたので子供預かって」と頼まれ、預かったことがあった。

子どもの名前は覚えていないが4歳くらいの女の子。

眠くなり我が家で寝かせていたら、ケリーが10時ころ帰ってきて連れて帰った。

ケリーにはこんな思い出もある。

ピンポンしてきて「来てー!」と。

何ごとかと思い、飛んで行ったら、大きな蜘蛛が玄関に。

ひとりだったので、怖かったのだろう。

書きながら、我が家がシドニーに駐在していたころのことを思い出した。

75年ころのこと、子供たちが5歳と3歳ころだった。

お隣の奥さん、それと通っていた幼稚園の先生にはいろいろ助けていただいた。

プリスクールと呼ぶ幼稚園に息子が通っていたころ、先生のMiss Mayには

本当によくしていただいた。

車が1台しかなかったため、慣れなくて泣いてばかりの息子の幼稚園の送り迎えから

はじまり、幼稚園での面倒見ほかホントに助けていただいた。

そのころ経験したこと、苦労したことがたくさんあるので、ついついという気になるが

となりの彼らはそんなに気にする必要がないことはよくわかっている。

勤務先である横須賀米軍ベースに行けば何でも手に入るし、仲間がたくさんいて

情報交換できるし、助けてもらえるし、生活していて困ることはほとんどないのでは。

NHKのラジオ番組から話が飛んでしまった。

2021年1月 8日 (金)

いろいろあった一日

朝起きる直前、夢に小中高の仲間のNが出てきた。

Nとの付き合いは長い。

倉敷で小中高一緒、大学は違ったがふたりとも神戸の大学へ。

神戸でNの下宿にはよく遊びに行っていた。

下宿のお嬢さんが可愛くて。

Nは彼女と一緒になった。

大学時代は倉敷のNの家で夏休みはみんなでマージャンをよくやった。

大学卒業したあと、Nは代議士になることを目指し、議員秘書に。

政界の話をよくしてくれた。

秘書をやったあと、衆議院選に立候補したが、残念ながら落選。

オフクロが「よっちゃんをよろしく」と倉敷の多くの知り合いに頼んで回っていたことを思い出す。

いろいろの2つ目。

起きて朝食を食べるときカミさんが「席替えする」と言い、ボクは窓側の席に移り

カミさんの対面(といめん)になり、より近い場所で窓越しの海が見えるようになり、ハピー。

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1時からは、金曜日午後恒例の運動へ。

近くの施設に通いはじめて2年。

25人くらいシニア中心の男女が集まり、4時まで各種運動ができ、毎週の楽しみ。

運営責任者が「花房さん、永久会員だからね」

横須賀生まれのメンバーが多く、昔の横須賀の話を聴くのも楽しみ。

もうひとつの楽しみは、ボクのタイプの職員のSさんに会えて、おしゃべりできること。

4時までの3時間、毎週あっという間に経つ。

で、金曜日の夜は毎週爆睡。

今日も一日があっという間に終わった。

2021年1月 5日 (火)

2日続けて歩いた

天気に誘われ、2日、4日と続けて、我が家の3駅先の横須賀中央まで歩いた。

うちの裏の海岸からスタート。

海岸で釣りしていた人ふたりが大物を釣りあげていた。

ひとりは大きなヒラメ、もうひとりはアジと大きなコチ。

見て思った。竿も道具もあるので、また釣りはじめようかと。

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10分ちょっと歩くと、右につり公園。

まだ正月休みなので、釣りする人の多くが家族連れ。

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右に大きなスーパふたつ見ながら10分少々歩くと公園。

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若い子たちが自転車飛びをやっていた。

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下のテニスの壁打ちにはよく来ていた。また来よう。

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そのあと20分くらい歩くと横須賀中央。

横浜銀行と三菱UFJ銀行に寄り記帳。

三菱UFJ銀行の横の道を渡ったところに最近はあまり見かけない

お乞食さんが箱を前に置いて座っていた。

いろいろ事情があってなんだろうと思い、100円を箱の中に入れた。

「ありがとうございます。助かります」と言われ、たった100円なのにと思った。

そのあと横須賀中央駅まで戻り、地下でカミさんから渡されていたメモに書いて

あったものを買い、電車に乗り帰宅。

スマフォの歩数、思った以上、1万7千歩を超えていた。

そうか、うちから横須賀中央まで歩き、ぶらぶらして、電車で帰れば

1万5千歩超えるんだ。

月に何回かはこのルート歩こう。

2021年1月 3日 (日)

今年も堪能し、感動した

正月恒例の箱根大学駅伝、2日間で8時間以上観て、今年もたくさんの感動をもらった。
特に印象に残ったのは出場4回目の創価大。
最後残念ながら、97回の歴史を誇る箱根駅伝の重みに耐えることができなかった。
9区が終わったところで、2位駒大と差を3分以上つけていた。
最終10区のアンカーに託したが、最後の最後、ゴール寸前で抜かれ、残り2キロから
キープした首位の座を明け渡し、駅伝名門の駒大に屈した。
来年も注目しよう、創価大。
箱根大学駅伝、今年が97回目。
あと3年で100回。
すごい歴史!!
今年も応援した神奈川大学、残念ながら13位に終わった。
10位以内に入らなければ、来年は予選会から勝ち上がらなければ、箱根への道はない。
厳しい!!
箱根大学駅伝は、夫婦で2度沿道で観たことがある。
熱海で年越しした年、小田原駅近くで1度、もう1度は我々夫婦の共通友だちである
小田原の近くの二宮町に住むOさん宅にお邪魔し、二宮の沿道で3人で観たことがある。
走る選手は、目前を一瞬で通り過ぎていくが、躍動と息遣いを直に感じることができる。
今年もテレビを通して、いっぱい感動をもらった。

2021年1月 2日 (土)

年が明けて

いろいろな方からメールやフェイスブックの書込みをいただく。

その中のおひとり、同郷の女性のYさんからフェイスブックで

ご無沙汰しております😌 今日は、花房さんとのお友達記念日なんですね🎶

そうなんだ、ふたりとも倉敷生まれ、関東に住み長い。

何度かお昼をご一緒したことがある。

郷里の話ができ、とても楽しい。

その昔、ふたりが倉敷で住んでいた家も歩いて20分くらいの距離。

当然会えば「あのあたりの道はこうだった。あそこにはXXの建物があったよね」

お互い、昔の情景、風景を思い浮かべながら話せるのがいい。

もうふたりとも出てきて長いので、倉敷弁は出てこない。

去年は会ってないかも。いや、会ったかな。

彼女は千葉なので、会うのは東京駅。

毎回、駅の近くの東京駅の見える上階のレストランでお昼。

きっと、双方1年間の近況ほかで盛り上がることだろう。

楽しみ!!

ちょっと心配なのは、顔覚えてるかな。

「顔、覚えているかな」とフェイスブックのメッセンジャーに書いたら

返事があった「😅 大丈夫です👌私は覚えておりますので😄

会ったとき、今年は言おうかなぁ

「倉敷弁で話そうや」

2020年12月31日 (木)

今日で終わった!

終わったのは、書いている5年連用日記帳。

明日からは買ってきている新しい5年連用日記帳へ。

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今の5年連用日記帳は5冊目。

その前は3年日記や1年日記を書いていた。

いま、77歳、たぶん日記を書きはじめたのは40年くらい前だろうから

30歳台後半ころか。

いま書いてる5年日記の5年前の今日書いているのは↓

「晴天続く大みそか。AM何やったか、パソコン以外に。FBにはいろいろコメントした。

ブログ”娘たちの帰省(2)”UPしよう。PM,H(カミサンのこと)と言い争いになり

イヤになって、散歩。1年が終わった。いい年だった」

今日の最後の日記には「大晦日、お墓にG(息子)に会いに行って、いろいろ話した」と書こう。

さあ、明日からはじめる5年日記。

最後まで書けるかなぁ。

最後まで書いたら、82か。

5年日記だから、毎日書くとき、前に書いているものを読んで、だったなぁと思いながら書く。

明日から新しい日記書くときも、そばに2016~2020年の日記を置いて、毎日読もう。

さあ、8時半過ぎた。2階に上がって年越しソバ食べて、紅白観よう。

それじゃ、皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。

2020年12月26日 (土)

今年も年賀状の時期

気になりながら、26日になってしまった、年賀状。
毎年同じパターン。
働いている人たちからは「時間がいっぱいあるんだろうに」と言われそうだけど。
やっと今日、賀状を買ってきた。

去年、年賀状は大リストラした。

年明け、長い間やり取りしてきた人の大半にハガキを出して
「長年にわたりご交誼を続けさせていただきました賀状の交換、
まことに勝手ではございますが、本年を最後とさせていただきたく、
よろしくお願い申し上げます」

ということで、今日買ってきた賀状の枚数は夫婦で60枚。
コンビニで印刷された絵入りの賀状を買ったので、添書して
宛名をパソコンで印刷すれば、明日には出せる。

これまで長い間、年賀状は1年間で撮った写真の中から選び
賀状に貼り、新年のあいさつ文を書いて作っていたので
毎年、結構時間がかかり、年末ぎりぎりの大仕事だった。

今年は一言添えて、宛名を印刷すれば出来上がり。

年が改まれば、70歳の中後半の老夫婦
来年からもこのスタイルにしよう。
それにパソコンでご挨拶、という手もあるし。
さあ、今夜宛名を印刷し、夫婦それぞれ添書すれば、
明日には投函でき、元旦には届きそう。

2020年12月18日 (金)

びっくり、古い仲間から

フェイスブックに友だち申請が届き、了解と返事。

送ってきた仲間はシドニーに住むPaul Reti

ポールに初めて会ったのは、忘れもしない、1974年7月21日。46年前。

何故、突然、しかもFBの友だちリクエストがポールから。

ボクがシドニーに3年間の駐在がはじまった初日、初めてポールに会った。

空港には駐在員が迎えに来てくれていて、そのまま当時出張者の定宿であった

モーテルまで連れて行ってくれた。

飛行機は夜行便、疲れて、シャワーを浴びたあと、ゆっくりしていたら

ドアのベルが鳴った。

送り込んでくれた駐在員が戻ってきたのかなと思い、出てみると見たことのない

大男が立っていた。

それが初めてのポールとの出会いだった。

いろいろ話すがよく理解できなかった。お茶を飲みに行こうと誘ってくれている

ということは解った。

ポールの車に乗り、飲み物が飲めるミルクバーに連れて行ってくれた。

何を話したかは、もちろん覚えていない。

が、ポールが言ったことで、唯一はっきり覚えているのは「この国では皆、

ファーストネームで呼び合う。お前のファーストネームは何?」と聞かれた。

Takanoriと答えたら「長すぎる」と言い、ポールが「TAKにしよう」と。

以来、ボクの名前はオーストラリアではTAKになった。

同じ歳のポールとの思い出はたくさんある。

富士通オーストラリア(FAL)で一緒に仕事したこと、彼がFALにいたころのこと、

FALを辞めてからのこと・・・

3年間の駐在が終わったあと、ボクはFALに何度となく出張した。

出張で行ったときは彼の家に泊めてもらい、ホテル代の半分をポールに渡し

ウインウインの仲だった(当時は精算時、ホテルの領収書を付ける必要がなかった)

ポールはおしゃべりで夜更かし。

寝ようと思ったら「コーヒー飲みに行こう」と毎晩のように誘われ、彼の話を延々と聞かされた。

一度、こんなことがあった。

ポールの仲間のひとりが来たときのこと。

ポールが薬を飲む水差し(名前出てこず)を持ってきて、黒い塊を戸棚の奥から出してきて

ナイフで削りはじめた。

削ったものを水差しに入れて、水を加えて、回し飲みをはじめた。

ポールが「Tak,try」と言い、差し出してきたが、何だかわからないので聞くと「ハッシッシ」

「ハッシッシ」と言われても、その時はわからなかった。

「問題ないよ」とポールに言われ、何度か吸った。

あとからハッシッシで調べたら大麻だった。

ポールが日本に出張で来たとき何度か我が家に呼んだ。

一度、娘にリカちゃん人形をお土産に持ってきてくれたことがあった。

そんなポール、最近は思い出すこともなかった彼からフェイスブックの友だち申請。

きっとポールはフェイスブックでTakanori Hanafusaで検索してボクの名前を見つけ

友だち申請してきたのだろう。

もちろん、友だち申請了解と返事した。

あの話好き、書き好きのポールのこと、頻繁に書き込みしてくるのではと、少々恐ろしい。

理屈っぽいポールの書込みに英語で相対するのは面倒そう。

友だち申請了解したのだから、覚悟の上で、それなりに付き合っていこう。

人間の脳って、不思議。

さっき、夕食に何を食べたか覚えていないのに、44年前の記憶が鮮明に出てくるとは。

2020年12月13日 (日)

「中年の危機」

定年直後から、週3回15分づつ、繰り返しの放送を土曜日45分聴いている

NHKラジオの実践ビジネス英語講座、先々週、先週6回のテーマは「中年の危機」

自分の経験したこととも重ね合わせ、大変興味深いテーマだった。

講座のまとめに以下書いてあった。

「中年の危機」とは「青春が終わったと感じる人生半ばにして味わう継続的な

みじめな気分、自信喪失感など、通常は40歳ころ」と英語の言語、文化を書いた

辞書にも書かれている。

あった、あった、ボクも何度も。

アメリカには「老後」の意味のgolden yearsからできたgolden-agerという語も

あるそうだ。

日本語では「シルバー・エイジ」と言うが、英語では老後の色は「金色」のようだ。

前置きが長くなったが、6回の講座では「中年の危機」がさまざまな観点から論じられた。

「中年」はストレスの多い時期であり「老化」「人生における目的意識の模索」などに

もがき、その過程で不幸だと感じたり、焦燥感を覚えたりすることは珍しいことではないと

論じていた。まさに言い当てている。

ボクは定年退職して16年、今はノーテンキに毎日を過ごしているが、40代50代必死に働いて

家族を守っていた時期はもがきの連続だった。

会話の中で登場人物の男性が発言していた。

「中年というのは、親、仕事上の夢、細身のジーンズをはけることなど、失うものが

増え始める時期。健康上の問題がしばしば持ち上がり、時間は限られているとの認識が

高まってくる時期」

「新たな試練や重荷を引き受ける備えが、自分で思っているほどにはできていない。

中年の危機につきもののストレスや精神的緊張に備えている人はほとんどいない」

そのころの自分を振り返ってみて、その通りだと思った。

別の女性は「ほとんどの炭水化物と精糖の摂取をやめ、ランニングをはじめた。

そして、バケットリストを作成した。油絵教室に通う、ピュリツアー賞のフィクション部門の

受賞作品をすべて読む、ヨガをはじめた」

バケットリストにまつわるアメリカ映画は観たことがあるが、ブログには書かなかったようだ。

大変面白い映画だった。

邦題「最高の人生の見つけ方」TSUTAYAでDVD借りてこよう。

テーマ「中年の危機」、大変興味深く聴いた。

長い間聴いている英語講座のトップに位置するくらいのテーマだった。

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