2020年8月 4日 (火)

犯罪被害者支援条例制定、こんどこそ

わが町横須賀で犯罪被害者支援条例を作りたいとの思いでさまざまな活動をしてきたことは、

これまでブログに何度も書いた。

思いの原点は、25年前無謀運転のトラックにやられ亡くなった23歳の息子の交通死亡事故。

是非とも人口40万人の横須賀市で犯罪被害者支援条例を作りたい、作るべきであるとの思いで、

これまでいろいろ動いてきた。

市議会の生活環境常任委員会で条例制定の必要性を訴えたのは5年前。

反応はイマイチだった。

3年前には市長に面談し、条例制定の必要性を直接訴えた。

昨日市議会の犯罪被害者協議会を傍聴し「もう大丈夫。後戻りすることはない」との

印象を強く持った。

協議会の委員長、10人の議員の発言を聴き、やっとここまできたかと感慨深かった。

昨日は協議会のメンバーがより一層理解を深めるために神奈川被害者支援センターの所長である

長島さんを招き、支援センターの活動を中心に、話を10人のメンバーが聴いた。

議員から、条例制定を目指しての思いからはじまり多くの質問が出て、彼らの条例づくりに大いに

参考になったと思う。

もうあとは、来年3月の条例制定に向けて進むだけ。

積年の思いの条例制定まであと半年。

感無量の思いで協議会を傍聴した。

傍聴者はボクひとりだけだったが、仕方ない。

条例ができ、救われる人がひとりでも多く出てくれば、ここまで遠かった道のりはどってことはない。

終わったあと、講演をしてくださった長島 豪さんのお話がすばらしかったので、お声掛けして

しばらく時間をいただいてお話した。

お会いしたら長島さんは開口一番「花房さんにはお会いしたこがありますよ。横浜市が行った

犯罪被害者支援協議会で」と。

えっ、と答えたがお顔が思い出せなかった。

77歳になり、最近珍しくなくなったこのような出来事に恥ずかしい思いがした。

長島さんの言われた犯罪被害者支援協議会には2度呼ばれ、会合には10数回、委員のひとりとして

参加した。

4年位前だった、たしかブログにも書いたはずだと思い、出てきたブログは

http://tak05.cocolog-nifty.com/banzai/2016/11/post-3fec.html

20分くらいだったが長島さんとは大変良いお話ができた。

長島さんが所長として活動されている神奈川被害者支援センターではボランティア不足で困っている

とのお話があった。

時間は十分にある身、お役に立てるものであれば活動に参加させていただきたいと思った。

条例が出来た暁には、もうひとつやりたいことがある。

それは、自分で勝手に名前をつけている「犯罪被害者条例推進協議会」の発足。

市の市民安全部が事務局になり、警察、市議会、弁護士会、検察、神奈川県の支援組織、

市内の福祉団体、犯罪被害者がメンバーが入った協議会つくりを目指したい。

犯罪被害者には、交通事犯だけでなく、凶悪犯罪被害者、数から言えば最も多い性犯罪被害者の

皆さまにも参加していただき、市全体で犯罪被害に向き合っていく活動に結びつけてゆきたい。

横須賀市が、犯罪被害者支援条例制定では先行している神奈川県の他2市、茅ヶ崎、横浜に続き

3番目の市になりそうな予感がし、充実した時間が過ごせた昨日の午後であった。

2020年8月 2日 (日)

「21世紀スキル」

またまた週3回聴いている「実践ビジネス英語」から。

7月は去年6月のテキストをそのまま使った繰り返し講座だった。

テーマのひとつは去年も興味を持ってなるほどと思いながら聴いた「21世紀スキル」

以下、テキストのまとめに日本語で書かれているポイントをそのまま引用。

「ソフトスキル」とは可視化できる「ハードスキル」とは対照的に可視化、数量化することが

難しいスキルのこと。

それは、コミュニケーション力から批判的な思考力、自己管理力、チームワーク、

ユーモアのセンス、時間厳守、失敗や挫折から立ち直る力、問題解決力、説得力、交渉力など

幅広い概念を網羅している。

どんなに頭脳明晰で学校で優秀な成績を収めている人でも、ソフトスキルを持っていなければ

実社会において上司や同僚たちとうまくやっていくことはできないでしょう。

コミュニケーション能力は、21世紀スキルの根幹である。

コミュニケーション能力を向上させるためには毎日何かを書くことが役に立つ。

日記でも手紙でもSNSの投稿でも、自分の考えをまとめてそれをうまく文章にする能力は

一生の財産になる。

第2に心の持ち方ととして、フラストレーションや苦痛に対して高い耐性を養うことも大切。

そして、第3にネットワークを若い時から作っておくことが重要」

講座を聴いている多くの若い世代の人たちを意識したアドバイスだろうと思いながら読んだ。

2020年7月30日 (木)

鎌倉散策

しばらく前に書いてアップするのを忘れていたブログ。

カミサンが珍しく「鎌倉に行かない?」 

テニスコートで仲間が鎌倉のつるやのうなぎが美味しいと言ってたので、

即行こうと返事。 

ただ、カミサンは「うなぎより釜めしが食べたい」と言い、ネットで探し

「ここに行こう」 

鎌倉は我が家から、バスで20分、そのあと電車で20分。 

車で行ったら駐車場が大変そうなので、電車で行くことにした。

鎌倉駅に着き、駅の階段を降りていたら「鎌倉シャツ」の広告が目についた。 

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鎌倉シャツの創業者は、貞末良雄さん。 

全国に30店舗以上、ニューヨークにも2店舗あり、好調な業績ですばらしい会社。

会社のキィポジションにいるお嬢さんのNさんは昔息子と仲の良いお友だちだった。 

Nさんと我々夫婦で食事をしたことがあり、またフェイスブックのお友だちでもある。

久しぶりに鎌倉シャツの名前を見つけ、うれしかった。 

さて、鎌倉に着いて、先ず小町通りをぶらぶら。 

若い人が多いことに加えて、海外からの人も多かった。 

きっと観光ガイドブックで、鎌倉は東京近郊の観光地として箱根とともに紹介されて

いるのであろう。

若い人たちが入る店を見て、ふたりで「鎌倉、孫たちが来たときに連れてくれば、

きっと喜ぶね」

そのことを娘にメールしたら「あの子たちは歴女だから、歴史のある鎌倉は喜ぶよ」

と返事があった。 

お昼どきで、カミサンがスマフォの地図で先導し見つけた釜めし屋へ。

小町通りからちょっと脇道に入った店。 

庶民的な店で美味しかった。 

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カミサンは、ウニ、イクラ、シラス 

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ボクはカキ、ハモ、メンタイコ 

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食事が終わったあと鶴岡八幡宮へ。

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5年前、突風で倒壊した大銀杏はまだこんな感じ。 

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参拝したあと、社務所で記帳してもらった。 

我が家は夫婦、神社に行ったときはそれぞれの御朱印帳に記帳してもらっている。 

ボクの今の御朱印帳は3冊目。 

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鶴岡八幡宮のあと、どこか近くのお寺にお参りしようかと話したが、いくぶん疲れ、

喉もかわいていたため、コメダ珈琲に寄り、ひとやすみ。 

出されたお菓子が美味しく、まとめ買い。 

帰り道、カミサンが買いたいと言っていたお菓子屋さんに寄った。 

駅まで帰る途中、サーティワン アイスを見つけソフトバンクのスーパーフライデーの

アイスをゲット。 

帰って、スマフォで歩数を見たら、7500歩。 

気持ち良かったブラブラ鎌倉旅に満足。

2020年7月27日 (月)

「座席を倒す際のマナー」

定年直後から週3回聴いているNHKラジオ「実践ビジネス英語」の3月のテーマ。

興味ある話題がいろいろ出てきた。

以下、テキストを読み返して。

登場人物のひとりが西海岸から深夜便に乗ってニューヨークに戻る機中で乗客同士の

言い争いに遭遇し、一睡もできなかったところから会話ははじまった。

ことの発端は、後ろに座っている乗客に断らないで、座席を倒したことから、乗客同士の

けんかが起きた(ボクもやりそう)

背の高い人や高所恐怖症の人、心配性の人にとっては、空の旅は苦痛になりかねない。

酸素が取り込まれ、足元のスペースは狭く窮屈で、トイレの利用には制限のある狭い空間、

忍耐力が試される。

前後の席同士でトラブルになることは、そんなに珍しいことではないのでは。

このような飛行機の乗客による、航空会社の乗員やほかの乗客に対する暴言、暴行などを

"air rage"と呼ぶとのこと。

座席を倒すこと以外にも、飛行機の遅れや欠航などのトラブル、航空会社のスタッフの

対応の不手際といったささいなきっかけで激昂する人は増えてきている。

road rageという新語も出てきたそうだが、80年代から90年代にかけて、pedestrian rage

(歩行者の怒り)やtrolley rage(ショッピング・カートのぶつかり合いなどから生じる怒り)

checkout-line rage(レジで列への割り込みや長く待たされることの怒り)などもある。

これらは20世紀後期の都市生活のフラストレーションと、ほとんど抑制の効かない攻撃性の

反映とのこと。

このように言われると思い当たるフシがありそうだ。

2020年7月24日 (金)

お施餓鬼法要

多くの方に「えっ、それなに?」と言われそうなタイトル。

お施餓鬼とは7月のこの時期、浄土宗のお寺で執り行われる催事のこと。

10月に執り行われるお十夜とともに、言えばお寺にとってはお布施が入る恒例の催し。

我が家がお世話になっている浄林寺では、昨日お施餓鬼が行われた。

お寺まで20分少々歩いて行く道すがら、通称「赤い道」には、この時期盛夏の花が

競うように咲いていた。

白い可憐なムクゲが遊歩道のあちこちに。

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この花、なんだろう?

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ぶらぶら20分歩いて我が家の菩提寺、浄林寺へ。

いつもは本堂の中で行われる施餓鬼法要はコロナを避けて、今夏は寺の前庭で。

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本堂の中から聴こえてくる読経の声をみな前庭で聴いた。

読経が終わり、それぞれに新しい卒塔婆が渡され、それを受けとり施餓鬼法要は終わった。

受けとった卒塔婆を持って、寺の右奥の大きな林の下にある墓に参った。

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この墓は、ボクとカミさんが入れば終わりになる墓。

3人が入ったあと、娘家族、いずれは所帯を持つであろう孫たちの家族が参って

くれることを期待。

墓に参ったあと、寺から数分の場所にあるトンネルをふたつ抜けて海岸へ。

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ふたつ目のトンネルを出たあと左に曲がり、海岸遊歩道へ。

天候のせいか海岸通りは誰も歩いていなかった。

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我が家に着いて、スマフォの歩数をみると、8328歩。

2020年7月23日 (木)

数週間前の話のつながり

外出先から帰ってきたら家の前にYナンバー(米軍基地の住民)の車が停まっていた。

えっと思ったら、乗っていた女性がTakと声をかけてきた。

顔を見ても思いつかず。

彼女はすぐ「You remember me?」と「No,I don't」と返事。

続いて彼女「3週間くらい前、バスの中で会ったじゃない」と。

そうだ、そういえば、同じバス停で待っていて、女の子を連れて乗ってきて

ダンナは前の方の席に座り、彼女と女の子がボクの後の席に座った人だと思い出した。

あの日は買った自転車を取りにいくためスーパーに行った日だ。

彼女とバスを降りるまでおしゃべり。

「サンディエゴから来て1年ちょっと。バス停の近くの薬局がオーナーの家に住んでいる。

これから鎌倉の明月院にアジサイを観に行く。この子はこの幼稚園に通ってる」と

窓の外の我が家の子たちが通っていた幼稚園を指さして教えてくれた。

「日本が好きだ」ほか、バスを降りるまでいろいろ話してくれた。

顔を覚えていなかったが、その女性だったんだ。

最近、こういうことがめっきり多くなってきた。

ヤバイと思うものの仕方ないと諦めている。

そうか友だちが我が家の隣人なんだ。

「今度来たとき、うちにも寄ってよ」と言おうかと思ったが、カミさんにしかられ

そうなので、止めた。

寄ってくれれば、お茶飲みながら、ワイワイおしゃべりできるのに。

2020年7月19日 (日)

久しぶりに旧知の方とお会いしお昼

メールがあり、昨日中野駅で沖縄在住のKさんと久しぶりにお会いした。

中野駅で降りるのは初めて。

駅前でKさんにお会いし、近くのファミレスへ。

Kさんに初めて会ったのは9年くらい前。

当時、活動していたハートバンドという犯罪被害者団体の事務局メンバーをしていたとき

お聴きしたKさんのお話に衝撃を受けたことを覚えている。

3年前、当時住んでいた沖縄の娘宅に行った折にも、Kさんにお会いした

つのる話をいっぱいしていたら、初めてお会いするご主人が合流。

ご主人は東京と沖縄2カ所に事務所を持つ弁護士さん。

沖縄の事務所は娘の家の近くだそうでご縁を感じた。

3人でいろいろ盛り上がり、そろそろということで、ご主人に車で新宿駅まで

送っていただき「またどこかで」と言い、お別れした。

心地良い気持ちで過ごした2時間だった。

昨夕7時過ぎKさんから「雨上がりの夕暮れ」とのきれいな夕焼けの書込みが

フェイスブックにあった。

別れたあと羽田まで行き、沖縄に帰る飛行機がギリギリだったのではと

長くお引き止めしたことを反省。

2020年7月17日 (金)

なつかしい写真2枚

写真の整理をしていたら2枚の写真が出てきて、ボクの部屋に飾った。

Parent
40年くらい前、両親と弟、妹の3家族で会社の夏休み、郷里の倉敷に帰省したとき

オヤジが計画してくれ瀬戸内海の海の近くの施設に泊まったとき撮ったもの。

7歳違いの両親、おやじが60歳くらいだったころか。

この1泊の旅はおやじが全員の宿泊代を出してくれた。

このころ我が家の暮らし向きはやっと普通になってきていたが、その前20年さかのぼれば

貧しかった。

終戦後、どの家庭も楽ではなかった。

あらためて、両親のこと、そのころの暮らしぶりに思いを馳せた。

2020年7月16日 (木)

「迷惑電話と特殊詐欺」

週3回聴いているNHKラジオ「実践ビジネス英語」先月のテーマのひとつは

「迷惑電話と特殊詐欺」だった。

オレオレ詐欺にあたるものはアメリカでは"grandma scam"とか"grandparent scam”と

呼ばれるそう。

この詐欺は、北米はじめヨーロッパ、オセアニア、中国など世界中にまん延しているそうだ。

いずれも手口は日本とほぼ同じ。多くは高齢者が被害に遭っている。

詐欺師が多く使う手段はインターネット。

ネット詐欺の代表的なもののひとつは日本でも最近話題になっている「国際ロマンス詐欺」

インターネットの交流サイトなどで見知らぬ外国人から友達申請があり、それを承認すると

相手は数週間で恋人になったように振舞い、さまざまなストーリーで金銭を要求してくるもので

これも振り込み詐欺の一種。

アメリカでは2018年のロマンス詐欺の被害者の数、2万1千件、被害総額1億4300万ドル。

我が家にも迷惑電話はよくかかってきていたが、それとおぼしきときは「2度とかけるな」と言い

切っていたせいか、最近は減った。

まあ、かけてくる手合いは減ってはいないであろうから、たまたまだろうと思うが。

2020年7月 7日 (火)

また失態

今日1時からの打ち合わせ、また遅刻、トホホ

カミさんに「急がないと!」と言われたものの、モタモタしていて

4人の人たちを30分待たせた。

待ってもらった4人は横須賀市議員議員のおふたりと市の職員おふたり。

打ち合わせテーマは、横須賀市犯罪被害者支援条例。

積年の思いで、ボクが仕掛けてきたテーマなのに。。

ただ、打ち合わせでは5人全員の意見がまとまり、大きく前進することを予感。

横須賀市で犯罪被害者支援条例を作りたいとの思いで動きはじめて5年。

5年前に書いたブログ

市議会でも陳述した

3年前には市長に面談し直訴した

5年経ち、今度こそはとの思いを強くした今日の打ち合わせだった。

帰って皆さんを待たせたとカミさんに言ったら、しかられた。

ただ、今度こそはとの意を強くし、議論は尽くせた。

もうここまでくれば後戻りすることはない。

いろいろ決まった。

会議のリード役で条例制定の推進役は市会議員の青木哲正議員。

40人いる横須賀市議の中で最も信奉している人で、次の市長になって欲しいと

待望している人。

今日決まったことは、

 ・条例制定の目標は今年度中

 ・9月18日開催第5回「犯罪被害者等基本条例検討協議会」で外部委員としてボクが発言すること

 ・今月末までに第6回、第7回に発言する犯罪被害者の人選-花房担当

  (交通事故遺族と殺人事件遺族)

 ・被害者3人の発言時間は30分~1時間プラス質疑応答 制定される条例への要望発言可

 ・条例案が出来たら、一般の方々にパブリックコメントを求める

 ・来年3月の定例議会で審議し、条例制定目標日は来年4月1日

東京都含め「犯罪被害者支援条例」が制定され、制定の動きが全国の市町に広がりつつある。

おそらくそのほとんどが行政中心に定められたものだろう。

今回の当市のように犯罪被害を経験した人たちから意見、要望を聞き、それを制定される条例に

反映させる自治体は珍しいことだろう。

ボクの個人的な思いは、交通事故および凶悪犯罪に加え、是非とも発生件数から言えば数が多い

性犯罪をしっかりカバーする条例になることを切に願う。

2020年7月 3日 (金)

夕方の散歩

気持ちよい陽気に誘われ、このところほぼ毎夕、近くを散歩している。

ルートはだいたい決まっていて、先ず我が家から歩いて数分の公園からスタート。

一帯の住宅街ができて40年以上。

同時につくられた中央公園の樹々は大きくなり、和ませてくれる。

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公園を過ぎると住宅街の真ん中を通る、両側に家が立ち並ぶ、通称赤い道と呼ぶ

長い遊歩道が続く。

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500mくらいの赤い道を端まで歩き、ぶつかったところを右に曲がれば

5分くらいで、我が家の墓がある菩提寺の浄林寺。

赤い道を歩きながら、あらためて思った。

カミさんが40年前、この地と家を新聞で見つけ、当時住んでいた東京の板橋の

公団住宅から延々と、小さかった子供たちふたりを連れて、三菱ミニカで

夕方やっとたどり着き、残っていた最後の家を内覧して、カミさんはすぐ

「いい、ここに決めよう」

ボクは「通勤が大変。すぐ決めないで考えよう」と言ったものの「通勤するのは

あなただけ、我慢してくれれば我々は快適に過ごせる」に負けて、カミさんが

持っていた1万円を手付金と言い渡し、決まった。

定年した今となればカミさんの決断に感謝しても、しきれない。

あちこちに咲いたアジサイを見ながら、赤い道を抜けたあと、左に曲がり海岸通りへ。

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海岸遊歩道を家に向かいブラブラ。

暑くもなく最高の陽気。

ちょうど夕日が海の向こうに沈む時間だった。

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帰ってスマフォの歩数計を見たら、5400歩を超えていた。

2020年6月28日 (日)

思い出した、50年前のこと

昨日夕方、近くを散歩していたらカミさんからケータイにメールが入った。

帰りに「吉野家かマックで買ってきて。今夜はそのどちらか」

吉野家に行ったが財布を持ってきてないことに気づき「カードでいいですか?」と聞くが

「ダメ」とのことで、マックが近くのどこにあるか思いつかず、これだと文句を言わない

だろうと思い、近くのケンタッキー フライドチッキンへ。

帰って食べながら、50年前結婚間もないころ初めて行ったKFCの話で盛り上がった。

50年前はKFCが日本に上陸して間もない時期。

初めて行った店は、当時住んでいた借り上げ社宅からそれほど遠くない田園調布のKFC。

しゃれた店で食べたことのない美味しい味のKFCに感激。

当時、27歳、こういう店が出せないものかと思い、思わず聞いた。

「店を出すのにはどれくらいかかるんですか?」

返事はたしか「2000万くらい」だったと記憶する。

途方もないお金。もちろん即あきらめた。

あれから50年。

昨夜はケンタをことさら美味しくいただいた。

2020年6月21日 (日)

楽しい一日だった

3月に沖縄から東京蒲田に転居してきた娘と孫娘2人が、昼前、横須賀に来てくれた。

何にも増して、ウキウキ、楽しいひと時を過ごした。

11時半、娘たちと待ち合わせし、即スシローへ。

5人でワイワイ言いながらいっぱい食べた。

仕切るのは孫たち。

妹孫が自撮りでパチリ。

父親の主義で、4月に高校と中学校に入学した孫たちはケータイを持っていない。

iPadを使いこなしているので、撮った写真に手を加え、あっという間にこんな形に。

 Img_2311-7  

食べたあと、最近大きくリニューアルした上階へ。

映画館フロアーも一新。

これで横浜まで行かなくても横須賀で新作映画がまた観られるようになった。

そのあと本屋でしばらく時間をつぶした。

で、我が家に戻り、ワイワイ。

娘と孫たちが選んで持ってきてくれたシャツのプレゼント。

「いい、似合うじゃん」

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集まるといつもやるトランプのUNO。

顔色を見ながら、惑わせる言葉を発しながら、盛り上がり、結局姉孫が勝った。

そのあと、孫たちが掃除機をかけてくれて、風呂の掃除もしてくれた。

「明日から学校」と話しながら駅まで送り「バイバイ」、楽しい一日は終わった。

毎週金曜日午後の楽しみ

去年11月から、金曜日の1時から近くのリハビリセンターに通っている。

きっかけは我が家に時々来てくれるケアマネージャーのCさんに勧められて。

横須賀市がシニアの希望者向けに行っている運動サービス。

リハビリセンターはうちから歩いて5分くらいのところにあるが、決まりで

送迎に来てくれる車に乗らなければならない。

「歩いてくるから」と何度か言ったけど、ダメだと言われ、毎回近くの何人か一緒に車で。

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一昨日も行った。

座るのはいつもの仲間5人と一緒に同じテーブル。

サービスされるコーヒーを飲みながらおしゃべり。

準備体操のあと既定のメニューに従い、順次運動スタート。

まずはマットの上でストレッチ。

体系だっていて、なかなかいい。

覚えて家で寝る前にやろうと思うが、やっていない。

次にルームランナー、自転車漕ぎ。

いずれも毎回10分づつやる。

壁にはすばらしい、こんな書が掲げられている。

聞いてみると、かつて通所していた方が書いたもので数年前にこの方は

亡くなったとのこと。

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自転車漕ぎのあと、並んだ4台のマシンを使い、トレーナーの女性のガイドに従い

4台順番に。

そのあと、5人づつ正面に相対し、指導者の号令に従い、平行棒。

これもとてもいい運動になる。

終わったところで席に戻り、出されたコーヒーを飲み、4時に終了し車で送ってもらい帰宅。

おかげで夜は爆睡。

1年の予定だったが、もう1年延ばしてもらうことにした。

2020年6月17日 (水)

「増加する定年後も働く人たち ②」

講座を聴いたあと自分のケースをあらためて考えてみた。

退職したのは16年前、61歳のとき。

とにかく一刻も早く定年退職したかった。

最初は58歳になったとき。

カミさんに「辞めたい」と言ったが「会社って60までいけるんじゃないの」で終わり。

次に、60になったとき、もうこれで終わり「辞めます」と会社に言ったら、反対され、

1年前にはじめたシニアITアドバイザ(SITA)試験制度が定着するまであと1年いて

欲しいと言われ、結局辞めたのは61歳になった2004年6月20日だった。

この日の帰りの電車の中で感じた高揚感は一生忘れない。

「もうこの電車に朝晩乗る必要はない。この先好きなことを好きなようにやろう」

と思いながら、最後の通勤帰宅電車で帰った時のことがまざまざと頭に浮かんでくる。

3年前にこんなブログを書いていた。

以来16年、毎日まさに好きなことを好きなようにやってきた。

働かないかと誘われたこともあったが丁重にお断りした。

我が家は1階と2階の住み分けができているので、夫婦の過度な接触はなく、お互いが

自分のペースで好きなように過ごし、文句を言われることは珍しくないが、お互い相手の

行動に干渉することはほとんどない。

77歳と73歳、この先いつまで元気にいられるかわからないが、なるようにしかならないとの

心境で、これからも気ままに日々過ごしていきたい。

«「増加する退職後も働く人たち ①」

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