2019年10月20日 (日)

大学の寮の仲間の集まり

大学に入学したのは1962年4月、もう57年も前。

大学は神戸大学経済学部。

教養課程は姫路にあり、入学と共に姫路の寮に入った。

寮は昔の旧制高校の寮で古く汚く、1部屋6~8人、そこで1年半を過ごした。

寮費は朝夜食べて月3千円、当時お金のなかった我が家はオフクロが

幼稚園より安いと喜んでいたのを覚えている。

そこで1年半過ごし、教養課程を終えたあと、神戸の専門課程に移った。

18~19歳、まさに青春時代真っただ中を一緒に過ごした東京近郊在の

仲間が年に4回集まり、懇親会を行っている。

集まる場所は、東京有楽町帝国劇場ビル地下にある神戸大学 東京六甲クラブ。

ボクは万年幹事。

幹事と言っても、やることは、毎回例会の案内メールを出すことと食事の手配

くらい。

会の名称は、当時の寮歌の一節の「惜春の賦の流れきて・・」から取って「惜春会」

前置きが長くなったが、今年最後の惜春会を一昨日行った。

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出席したのは、1年先輩が5人、同期が4人の9名。

先輩で寮で同室だったTさんは遠路大阪から参加。

会をはじめたころはまだ皆、現役であったが、今はもちろん皆リタイアした身。

12時にはじまった会が終わったのは4時、飲み食い、だべり、今回も大いに

盛り上がった。

集まりでは毎回誰かが自ら決めたタイトルで話をすることにしている。

今回は1年先輩のTさんが「クラシックの聴きどころ」

というテーマで著名な音楽家にまつわる話、それに加えて持参して

いただいたたくさんの名曲をTさんの解説を聴きながら鑑賞した。

鑑賞した曲は、バッハ、モーツアルト、ベートーベン、ブラームス、

チャイコスフキー、プロコフィエフ、マリア・カラスの歌劇と

大変多岐にわたった。

平素、クラシック音楽を聴く機会は皆無のボクにとっては、心の洗われる思いで、

すばらしい時間を過ごさせていただいた。

今回が今年最後の惜春会であったため、来年の開催予定を決め、
部屋を予約し散会。

寮の思い出はまたどこかの機会で紹介したい。

2019年10月15日 (火)

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り ⑦

前回のブログの最後で「紀伊田辺駅でバスに乗り換え、紀州の山道を2時間半かけて

2泊目の宿、湯の峰温泉へ向かう」と書いた。

路線バスであったため、途中地元の人たちの乗車、降車を繰り返しながら

人家が少ない、杉が植林された山道を通り、17時前、湯の峰温泉のバス停に着いた。

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日本最古の温泉、湯の峰温泉のつぼ湯が紹介されていた。

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泊る宿は湯の峯荘。

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バスで2時間半、遠かったが、妹が選んでくれた宿は正解だった。

紀伊勝浦でもそうであったが、ここでも風呂で外国から来ていた人に出会った。

来年は外国からの訪日客、4000万人と予測。

すごい数である。

安全、安心、親切、心地良いもてなし、美味な日本食、日本に魅力を感じる外国の人は

これからますます増えることだろう。

2019年10月13日 (日)

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り ⑥

紀伊勝浦に泊まった朝、ホテルのバスで那智勝浦駅へ送ってもらった。

駅前の出店のおばあさんの店でお昼用にさんま寿司を買い、しばらくおしゃべり。

1時間足らずで串本へ。

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途中、車窓から、さすが太平洋。

我が家の裏の東京湾とは大違い。

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 電車に掲示されていた紀勢線の路線図。

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途中、太地駅に停車。

太地は捕鯨の町で、一時期日本の遠洋捕鯨漁が世界的に悪いイメージで

話題となり、太地が取り上げられ、話題になったことを思い出した。

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10時半、串本着。

駅前からコミュニティバスに乗り、潮岬へ。

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潮岬灯台へ。

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灯台を訪ねると必ず思い出すのは小学生のころ学校から観に行った

灯台守の家族が全国の灯台を守る映画「喜びも悲しみも幾年月」

「おいら岬の灯台守は妻とふたりで沖行く船の無事を祈って

灯をとーもす、灯をともすー」という歌詞が頭に浮かんできた。

台風が来たときよくテレビで放映される潮岬の海、その勇壮さに

しばらく見入った。

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バス停まで歩き、コミュニティバスに乗り、串本駅へ戻った。

串本駅で紀勢線に乗り、朝買ったさんま寿司を電車の中で食べ、

1時間20分、雄大な太平洋の海を楽しみながら、紀伊田辺駅へ。

バスに乗り換え、紀州の山道を2時間半かけて2泊目の宿、湯の峰温泉へ。

2019年10月 9日 (水)

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り ⑤

しばらく中断していた紀伊半島巡りを書こうと思ったら、いくぶん記憶があやふやに。

紀伊半島巡りをしたのは9月22日、23日、24日、もう2週間以上前のこと。

76歳の年寄り、思い出すのが少々厳しいが、同行してくれた妹の残したメモを見て

思い出しながら書いている。

9月22日の朝、この日も好天だった。

2泊した妹のマンションを7時半に出て、近くのバス停でバスに乗り、JR西宮駅へ。

西宮から新大阪。

新大阪9時32分発のくろしお号に乗り、那智勝浦へ。

途中、電車で和歌山駅を通ったとき、思い出したことがあった。

大学3年生のときだから、55年前のこと。

当時下宿していた神戸からひとりでヒッチハイクで紀伊半島を回ったことがあった。

まったく行き当たりばったりのひとり旅だった。

神戸を出て、何台かの車に乗せてもらい、最初の夜、和歌山市駅の駅のベンチに

寝たのを思い出した。

駅に寝たのはこのときだけで、そのあと泊った場所で思い出すのは、お寺、大学の寮、

ユースホステル。

最後までヒッチハイクして回ったのか、途中ギブアップしたのか、覚えていないが

たぶんイヤになって電車に乗って帰ったのだろう。

和歌山市駅は最初の夜だったため、そのときの情景はかなりはっきり覚えている。

話を戻して、那智勝浦へ。

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那智勝浦駅前からバスに乗って、念願の熊野古道歩きスタート地点の停留所で下車。

途中、この看板を見て、感激。

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オヤジはその昔、岡山で小さなゴム工場をやっていた。

毎年、従業員全員を連れて旅行に行っていた。

ある年に紀伊に行き、土産に那智黒の黑あめを買ってきてくれたことがあった。

この立て看板を見てオヤジを思い出し、那智黒をカミさんの土産に買った。

バスを降りたあと、小雨模様の中、熊野古道を歩きはじめた。

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熊野古道の最後、那智大社にお詣りしたあと見た那智の大瀧に感激。

妹が送ってくれた大瀧の写真見つからず、アップできなくて残念。

大瀧を見たあとバスに乗り、那智勝浦駅まで戻り、この夜泊まる宿に電話し

迎えにきてもらい、5時半ころ宿に着き、紀伊半島巡りの初日は終わった。

2019年10月 5日 (土)

コンサートで栃木へ

一晩どまりで栃木市文化会館にコンサートを聴きに行った。

聴いたコンサートは半崎美子さん。

きっかけは大阪に住むフェイスブックの仲間の女性Kさんの書き込みを見て

行きたくなった。

栃木市、もちろん行くのは初めて。

Kさんと何度かやり取りし、彼女がチケットを取ってくれた。

半崎美子さんの名前は知らなかった。

たまたま今週水曜日お昼のNHK1時間番組「ごごナマ」で半崎さんがフルに出演された。

番組のタイトルは「ショッピングモールの歌姫が熱唱」

17年間の下積み生活に耐え、ショッピンモールで歌うも人は集まらずという

番組紹介を聴き、この人の生歌が聴けるんだとの熱い思いで、栃木まで行った。

18時からはじまったコンサート、800人収容の会場は満席。

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先に会場に来て着席していたKさんに「何とかたどり着いた」と挨拶して

Kさんが取ってくれた席へ。

5列目のびんびん半崎さんの美声が聴ける席で1時間半、すばらしい歌声と語りを堪能。

全国のショッピングモールを回り歌い続け、出会った人々の人生に触れ、涙に触れて、

彼女が自ら作詞、作曲し、生まれてきた曲が歌われ続け、会場は歌のみならず雰囲気に

酔いしれた。

特に、自ら、それにお母さんの出身地の北海道の利尻島への思いを歌った「母へ」は

胸にずしりときた。

思わず、苦労して育ててくれたおふくろのことが心に浮かんできた。

先日のNHK番組でも聴いた「サクラ~卒業できなかった君へ」「明日を拓こう」

どれもどれも心に響く曲ばかり。

アンコールに応えて歌われたのは「明日への序奏」

会場と半崎さんが一体になった時間だった。

1時間半、大変すばらしい時間を過ごさせてもらった。

会場出口で販売されていたCDとVDVを買ったので、パソコンをやるときの

バックグラウンド ミュージックで聴こう。

3時間かけて、途中迷いながら何とか辿りつけたコンサート会場、行ってよかった。

暮れの紅白には是非とも出て欲しい。

ご興味がある方は、https://ja.wikipedia.org/wiki/半崎美子

2019年10月 3日 (木)

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り ④

大阪地裁で傍聴したあと、西宮へ。

西宮には妹の息子家族の家がある。近くには妹のマンションもある。

阪急線西宮北口に妹が迎えに来てくれて、妹宅へ2泊した。

翌日昼前、妹の息子家族と一緒に息子の長男の幼稚園へ迎えに行った。

幼稚園に行くのは沖縄に住むうちの娘の子どもたちを送り迎えしていた頃以来

だから、7~8年ぶり。

幼稚園はいい、大好き。

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家に帰って、この子はウルトラマンの本、おもちゃを見せてくれ、熱く語ってくれた。

この日の午後、西宮の近くの阪急電車の駅、夙川(しゅくがわ)まで車で送ってもらい

夙川をひとりで散策。

夙川には思い出がある。

高校2年生のときだから、もう60年も前の話。

小・中・高校時代、大変仲が良かったKくんのお兄さんの住んでいたところが夙川にあり

高校2年生のときKくんと一緒に訪ねたことがある。

生まれて初めて大阪に行ったのもこのときだった。

百貨店で初めてエスカレータを見て、乗って驚いたのをはっきり覚えている。

夙川はとても閑静で瀟洒な家が立ち並び、田舎者のボクは大変感動した。

60年経った夙川の家並は当然のことながら変わっていた。

お邪魔し泊めてもらったKくんのお兄さんは当時山一證券に勤めていて、泊めてもらった家は

山一証券の借り上げ社宅だったのだろう。立派な家だった。

夙川駅から歩き、家の場所はおぼろげながら覚えていたが通りや近くは変わり、マンションも

多く建っていた。

駅までの帰り道、図書館があったのでひょっとしたら当時のことをご存知の方がいらっしゃる

のではと思い訪ね、聞いてみたが「60年前とは大きく様変わりしているので」ということで

当然のことながら、手掛かりになる話は聞けなかった。

念願の夙川に行けたことに感動しながら、泊めてもらった妹宅に帰った。

2019年10月 2日 (水)

芭蕉講話会

9月3日から近くのコミュニティセンターでスタートした芭蕉講話会に参加している。

10日に1回くらいのペースで開催されていて、講師は元高校の国語教師だった方。

参加者は30人くらい。毎回楽しみに参加している。

これまで3回の講義では、俳句についてからはじまり、芭蕉の人となり、当時の

江戸の町の様子、「月日は百代の過客にして、行かう年も又旅人也」からの書き出しで

はじまる「奥の細道」の書かれた背景、交遊、旅立ちからはじまり、奥の細道の道程ほか

大変興味深い話の連続であった。

誰もが知っている句では、

 「古池や蛙飛びこむ水の音」

 「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」

4回目の昨日は遠出して、芭蕉の創作拠点であった深川、江東区の芭蕉記念館を訪ねた。

記念館の前には、ばしょうの樹が植えられていた。

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興味深い展示がたくさんあった。

ボクはダメだ、こういうのには、はまってしまい、カミさんと一緒だったら

「いい加減にしてよ!」と文句を言われる。

奥の細道の道程と足跡

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以下、講義で聴いた話。

 ・奥の細道の全工程はおよそ450里(約1800km)

 ・移動した日の平均行程7里半(約30km)ー横須賀から横浜までの距離

芭蕉は「奥の細道」のほか「野ざらし紀行」「更科紀行」と旅を重ね、51歳で死去。

ゆっくり観終わったあと、深川に来たのだから深川めしを食べようと思い食べ、満足。

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29日が講義最終回。

次回15日は芭蕉記念館見学の話で盛り上がることだろう。

これを機会に講義で紹介のあった岩波文庫の「芭蕉おくのほそ道」読んでみよう。

2019年9月29日 (日)

こんなこと始めた

8月から日曜日の朝教会に通いはじめた。
きっかけは、4月に倉敷に帰省した折、妹の家に泊めてもらい、
車で墓参りほかあちこち連れて行ってくれた道中、彼女がいろいろ
最近やっていることを話してくれた。
そのうちのひとつが教会に通っていること。

「とってもいい。横須賀でも探してみたら」でそのとき話は終わった。
後日やりとりし、彼女が通っている教会の牧師さんに話をしてくれ、
牧師さんが知り合いの横須賀の教会の牧師さんに話をつないでくれた。

市内の中心街にある横須賀中央教会を訪ね、牧師さんのAさんに会った。
 
開口一番、Aさん「お待ちしてました。よく訪ねてきてくださいました」
以来、他の予定と重ならない限り、日曜日10時教会の日曜礼拝に通いはじめた。
1時間少々、聖書の朗読を聴き、賛美歌斉唱ほか、敬虔な気持ちで時が過ごせ、
長く通いたいと思っている。

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り ③

熱海で2泊し、三島駅前で署名活動に2日間参加したあと、翌日新幹線に乗り大阪へ。

新大阪で在来線に乗り換え、大阪駅まで行き地下鉄に乗り換え、淀屋橋駅下車。

徒歩10分で大阪地方裁判所へ。

フェイスブックのお友だちの女性のKさんの民事裁判を傍聴。

裁判所に到着したときは既に開廷した時間であった。

法廷番号がわからず、うろうろして法廷に着いたときは裁判が始まって30分経過。

被告本人尋問が既にはじまっていた。

Kさんは、飲酒運転の24歳の加害者の女に24歳のお嬢さんを殺された。

この日は加害者の被告本人尋問とKさんの原告本人尋問。

Kさんは大阪地検が下した処分に納得がいかず、大阪高検に控訴した。

大阪高検の出した処分にも承服できず、2年前、最高検察庁に上告した。

そのことを書いたブログ

この日傍聴したのは民事裁判での被告本人尋問と原告であるKさんの原告本人尋問。

時間が遅れて入廷したため、加害者の車の同乗者2人の被告尋問は終わっていて

被告の本人尋問から傍聴。

曖昧な答弁、ごまかしていることをうかがわせる答弁、のらりくらりと

はぐらかすような発言に終始し、法廷の最前列で傍聴していて、思わず

声を出したい衝動に駆られる答弁でイライラしっぱなし。

被告本人尋問のあと、お昼をはさんでKさんの原告本人尋問。

被告の女と比べ、はっきりした口調で問われたことにしっかり答え、

もちろん、最愛のお嬢さんを飲酒の無謀運転をした同じ歳の加害者に殺された

悔しさ、虚しさが切々と語られた。

原告、被告の話を聴いた3人の裁判官は事件の実相について、一層確たる思いを

強く持ったものと確信する。

最終弁論の日程が12月4日に決まった。

12月4日には双方が最終答弁書面を提出し、判決日が決まる。

判決言い渡しは年が明けてになることだろう。

判決申し渡し法廷は傍聴したいと思っている。

法廷終了後、テレビ局の取材に入り、裁判所の前でKさんは取材を受け、

夜のニュースでその模様が流れた。

終わったあと、傍聴したKさんの知り合いを入れて、3人でお茶して

感想を述べ合った。

2019年9月26日 (木)

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り ②

熱海に着いた翌日、熱海市の9月市議会を傍聴。

この日はラッキーだった。

15年以上付き合いのあるふたりの熱海市議会議員が登壇し質問に立った。

今回は言葉は交わさなかったものの、やはり15年以上前から知っている

齊藤 栄市長の話も久しぶりに聴けた。

齊藤市長は異色の経歴の方で東京工業大学の工学部を卒業し国土庁に勤めたあと

2006年の市長選で初当選、以来4期熱海市長を務めている。

何度か市長選の応援をさせていただいたことがあるし、我が家でBBQをやったとき

我が家にも来ていただいたことがある。

この日登壇し質問に立ったおふたりの市会議員とも長いお付き合い。

おふたりとも今年4月に新しく結成された党派 熱海市民クラブのメンバー。

山田治雄さんと橋本一実さん。

山田さんは半年くらい前の新聞で紹介されていたが、全国で最年長91歳の市議会議員。

橋本さんは熱海市議会議員の中で最も懇意な方。

おふたりに会うのは久しぶり。

質問では、山田治雄さんは

 ① 第5次熱海市総合計画策定について

 ② 熱海市の教育の現状の更なる改善と発展に向けて

 ③ 公営住宅政策の今後について

 ④ 高齢者の皆さんのくらしに更に希望を

熱海市の将来への思いと願いがつまった質問、指摘ばかりであった。

次に登壇した橋本一実さんの発言テーマは

 ① 地域活動の担い手不足問題

 ② 振込み詐欺被害から市民を守るための対策

 ③ 2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックに関して

 ④ 動物の殺処分削減のための取り組み

 ⑤ 移動期日前投票の成果について

 ⑥ インターネット環境の未整備地域の問題について

平素の市民との交流を通し体感、実感したテーマ、課題ばかりであった。

熱海に来る機会が多かった時期は何度も市議会を傍聴した。

当時の議会会場の傍聴席は2階にあり、親近感を感じなかった。

新しく庁舎が建て替えられ、議場はいくぶん狭くなったものの

傍聴席は議場から近い場所に設けられ、臨場感、親近感が感じられる

ようになり、大きな改善である。

ふたりの発言、質疑が終わったあと休憩に入った。

熱海市民クラブの会派控室にお邪魔し、久しぶりにおふたりにお会いした。

橋本さんから3人で写真を撮ろうとの提案で撮った写真。

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山田治雄さん、以前から治さんと呼ばせてもらっている。

とても91歳には見えない。

目も耳も問題ないそうで、頭脳明晰、説得力ある話しぶり。

ボクより15歳上、これから先、治さん目指して、と目標ができた。 

橋本さんから「これからも議会傍聴に来てくださいよ」と言われた。

なかなか熱海に行こうという気にならないので、春・秋の議会開催日には

来て議会傍聴しようと思った。

2019年9月25日 (水)

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り ①

1週間家を離れ、掲題の場所を巡った。

1週間前の水曜日18日午後、横須賀を出発し、先ず、熱海へ。

熱海のマンションに荷物を置いて、すぐ三島駅へ。

18時から、フェイスブックで知り合った三島在で1月に交通事故でお父さんを

失くされたNさんの署名活動に参加。

署名活動は三島駅南口の前。

事故が起きたのは今年1月、仕事帰りのNさんのお父さんの運転していたバイクに

無謀運転の女の車が突っ込んできて起きた事故。

この事故のことは1ヵ月前にもブログに書いた。

しかも、加害者の女は自らの保身のため、事故直後虚偽の供述を行った。

到底許せない!!

事件の概要と加害者に厳罰を求める署名のため用意されたポスター。

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署名活動は、ご家族全員で6時から9時まで。

これまで何度となく参加した交通死亡事故の署名活動、

通行する方に注目していただき、署名にご協力いただくためには、立ち止まって

いただき、何を求めた署名であるかということを端的に手短にキィワードを織り込み

お話することが必須。

今回ボクが話したポイントは「酷い事故であること」「酷い加害者であること」

「厳罰を求めるために検察庁に提出するものであること」「検察庁に提出するためだけで

書いていただいたお名前、ご住所は絶対にどこにも流出することがないこと」

訴えを聞いていただいた方からかなりの数の署名をいただいた。

翌日の夜も同じ時間帯、同じ場所で署名活動が行われ、2夜続けて参加した。

亡くなった50歳のお父さんには子供さんが4人、お孫さんが2人いらっしゃる。

お元気であれば、間違いなく、これから先長い間、たくさんのご家族に囲まれ、

すばらしい人生をエンジョイされたことと思うと・・・

集めた署名は、明後日27日、Nさんが面談する予定の検察庁の副検事に提出され、

副検事に改めて強く加害者を起訴することを求めることになっている。

この面談にはNさんの事件を担当している弁護士のTさんが同行の予定。

T弁護士とは懇意な仲。

Tさんに「よろしくお願いします」とメールしたら「頑張ります」と返事をいただいた。

ということで、1週間の旅のスタートは署名活動への参加ではじまった。

2019年9月15日 (日)

15年ぶりに旧交あっため

きっかけはフェイスブック仲間の女性のIさんの書き込み。

「Mさんも誘って、ぜひ我が家へ来て」

Mさんにメールし、時間を決め、Iさんへ連絡。

で、昨夕15年ぶり、3人の再会となった。

Mさんと知り合ったのは20年近く前。

当時、彼女はライターとして雑誌、新聞に色々記事を書いていた。

勤務していた事務所に取材で訪ねてきてくれたのが最初の出会い。

一方、Iさんはボクが定年前最後の仕事で手掛けたシニアITアドバイザ

(SITA:サイタ)試験を受験していただいたのがご縁。

Iさんはサイタ1級に見事合格。

当時ふたりとも葛飾に住んでいた。

昨夜訪ねたIさん宅にMさんと一緒に2度お邪魔したことがある。

その3人がフェイスブックの書き込みを機に、昨夜再会。

16時、最寄り駅で合流。

駅近くのIさん馴染みのお店へ。

「ブログに載せていい?」と許可を取り、パチリ。

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Iさん、84歳になったと聞き、びっくり。とともに、ふたりで「若い!」と。

Mさんも「今年、還暦」と聞き、えー、っと。

ふたりとも元気、元気。

Iさん「今でもパソコン教えてる。サイタ1級合格が活きてるよ。

前にも話したと思うけど、裏千家茶道、お花のほか、いろいろ認定されていて

活動してる」

Mさんとは一時期、よく会って食事をしていた仲。

葛飾から転居し、いまは千葉。

千葉のお宅にもお邪魔したことがある。

途中、となりに住むIさんの弟さんが合流。

弟さんは、日本に5人しかいない、大変珍しいお仕事。

出産時、めでたい、へそのを記念にとっておく桐箱つくり。

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昨夜、帰宅したあとカミさんに聞いた。

「うちの子たちのへそのを、どこにあるの?」

カミさん曰く「息子のは私が保管していて、私が逝ったときお棺に入れてもらう

ものの中に一緒に入れてる。娘のものはもらえなかった。病院により違うみたい」

3人の話は次から次へと、なかなか尽きない。

ただ、横須賀に帰るのに2時間以上かかるので、お開きに。

帰り、Iさんが炊いて、ふるまってくださったお赤飯をおもたせにしていただいた。

4時から9時まで、とっても楽しい時間を過ごし、心地良い気持ちで帰った。

2019年9月 7日 (土)

海岸通り散歩

夏の夕方の心地良さに誘われ、ラジオを聴きながら、裏の海岸遊歩道を歩いた。

大好きな入道雲を道中ずっと眺めていた。

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どうして入道雲の形はさまざまなんだろうとか、雲の中は外から

見えるのと同じなんだろうかとか、入道雲はどうして低いところに

出るんだろうとか、何がきっかけでどうやって消えていくんだろうとか

疑問は尽きない。

遊歩道をずっと歩いていくと雲がだんだん近くなってくる錯覚におちいる。

遊歩道の終端を右に曲がれば墓。

その途中、この時期毎年楽しませてくれる赤紫のさるすべりが続く道を通り墓へ。

夏は花がすぐダメになる。

何とかもう少々もちそうなので、次回買ってこようと思いながら、手を合わせた。

カミさんに頼まれていたものをスーパーで買って帰った。

スマフォをみたら、9千歩以上歩いていた。

「侵入者から学校を守る」

週3回、定年後、聴いているNHKラジオの実践ビジネス英語。

8月2週続けてのテーマは「侵入者から学校を守る」だった。 

アメリカの実態が細かく語られた。

冒頭、登場人物のひとりの6歳の甥が150ドルで防弾リュックを買った

ところから話はスタートし、アメリカの学校での銃による暴力が現実的な

大きな問題であることが今回のテーマ。

最近マスコミでしばしば取り上げられるのは、新学年の準備として、

コンピューターや教科書を揃え、授業計画を立てることのほかに、親は

防弾具で防護すること、銃から身を守ることを子供に教えている。

アメリカでは、今や人々が銃による暴力を受ける恐れがまったくない場所は

学校の中にも外にもほとんど残されていない。

メンバーのひとりの発言。

「銃の所持を規制する代わりに、政治家たちは学校の警備の強化や学校教育費の増額

といった対策の方に重点を置いている。安全教育とは、例えば、銃乱射事件を想定した訓練。

今では、公立学校の10校のうち9校が、生徒と教師に銃乱射事件への対処方法を

訓練している」

他のメンバーの発言。

「このような訓練では、教職員が銃撃犯の役割を演じ、教室の電気は消され、ドアには

鍵がかけられ、窓のブラインドは下げられる。その中で、子供たちは教室の隅か

クローゼットに集まり、ドアの取っ手が小刻みに動く中、子供たちは一切物音を立てない」

別のメンバーの発言。

「銃撃犯から身を守る訓練では、教室への侵入を防ぎ銃弾を食い止めるために、ドアの鍵を

かけるだけでなく、机やいすをドアの前に積み上げ、さらに生徒たちは窓から逃げる訓練を

しなければならない」

別のメンバーの発言。

「学校に通っている子供たちは、いつでもどこでも、誰かが自分たちを殺そうとしている

という現実とともに生きていかなければならない。教師は自分自身と生徒たちを守るために

銃を携帯すべきだと考える人もいる」

聞きしにまさるアメリカの銃犯罪の一端を見た思いで6回の講座を聴いた。

比較すれば、現状、日本は厳格に銃規制がされ、銃発砲事件は大きく取り上げられる。

今のこの状況は、何としても絶対に守られなければならないとの思いを一層強くした。

2019年9月 2日 (月)

久しぶりに市議会傍聴

全国各地の地方議会で9月定例議会が開催されていることだろう。

今日から開催された初日の横須賀市議会を傍聴した。

今日傍聴したのは、その発言を聴きたいと思っていた議員3人でラッキーだった。

発言を希望する議員の発言日は、議会の直前に行われる議会運営委員会で

くじ引きで決まる。

奇しくも聴きたかった3人の議員の発言日が同一日であったことは大変良かった。

10時の議会開始に合わせ、議場に行き、傍聴席へ。

傍聴者10人。午後は減って一桁。

最初の発言者は自民党の田辺議員。

発言・質問は、①就任3年目を迎えた上地市政の意気込み ②ホテル誘致に伴う

観光立市の実現に向けた環境づくり ③観光立市政策と横須賀新港の方向性について

④久里浜港のあるべき将来像 ⑤幹線道路網の整備

最初の20分壇上で発言し、後半20分は市長席の前に準備された席に移り、

市長に対峙する形で意見を闘わす。

これがしっかり出来ない議員は登壇し発言する資格はないと考える。

田辺議員の発言に対し、答弁した市長の発言で記憶に残ったのは、

 ・横須賀と北九州市をむすぶ定期航路フェリーの効果

 ・半島の街から、西と東をつなぐ街を目指す

 ・ホテルの誘致により期待される効果 --日帰りの街から宿泊する街へ

 ・持論の「誰も独りにさせない街づくり」

  これについては2年前、市長に面談し犯罪被害者支援条例を作ることを要請した。

  そのときのブログ

2番目に登壇したのは、日本共産党の井坂議員。

発言内容はまずまずだった。

3番目は、よこすか未来会議の小林伸行議員。

小林議員とは旧知の仲。

小林議員が取り上げたのは、これまでもしばしば取り上げた教育委員会に関わること

及び市が行っているガン検診の科学的実施。

体の各部のガン検診の現況と推奨及び提案。

教育長との議論は白熱、まさにこういう議論こそ市議会の要諦。

討議は10時にはじまり昼休憩をはさんで3時まで活発に行われた。

終わって帰ろうとしたら、H議員から声をかけられた。

3ヵ月くらい前、議員主導で行われた意見交換会で、H議員に提案したことがあり

それについて関係者で検討しているとの中間報告であった。

提案したのは「横須賀はユニークな特徴がある街。それは横須賀米軍基地があること。

基地で働くアメリカ人の中には、滞在している数年間の間に、日本人と交流したいと

考える人は少なくない。現に我が家のとなりは何代にもわたり、家族と仲良くなり、

滞在中交流を続けた。そのように考えるベースの家族は少なくないはず。

特に奥さん方から英語を教わる仕組みを作れば、双方にメリットがあるはず」

H議員から、進展があれば、報告しますとのことだった。

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