2020年4月 9日 (木)

コロナ心得

以下、大学の1年先輩から届いたコロナ対策メール

慶應の先端研 遺伝子制御の佐谷秀行先生からの情報です

(佐谷先生は大学病院の副院長も務めています)

慶應でも院内感染が起こり、患者さんと知らぬうちに接触した医師や看護師にも

PCR陽性者が出たようです

またほとんどの感染患者さんは食事中に感染しているようです

佐谷先生がご自身でまとめられた感染防御マニュアルをイントラネットで公開されました

以下 注意事項

ウイルスが出てくるのは咳とか唾とか呼気

でも普通の呼気ではうつりません

これまでのほとんどの感染は

①感染者から咳やクシャミで散った飛沫を直接吸い込む

②飛沫が目に入る

③手指についたウイルスを食事と一緒に嚥下してしまう

という3つの経路で起こっています

感染にはウイルス粒子数として100万個ほど必要です

1回のくしゃみや咳や大声の会話で約200万個が飛び散ると考えられています

つまり感染者がマスクをしているとかなり防ぐことができます

なるべく鼻で息を吸いましょう

口呼吸で思い切りウイルスを肺の奥に吸い込むのはダメです

外出中は手で目を触らない 鼻を手でさわらない(鼻くそをほじるのはNG)

唇触るのもだめ 口に入れるのは論外

意外と難しいが 気にしていれば大丈夫です

人と集まって話をする時は マスク着用

食事は対面で食べない 話さない

食事に集中しましょう

会話は食事後にマスクして

家に帰ったら 即刻手を洗う

アルコールがあるなら 玄関ですぐに吹きかけて ドアノブを拭きましょう

咽頭からウイルスがなくなっても

便からはかなり長期間ウイルスが排出されるという報告があります

ノロウイルスの防御法と同じように対処を忘れずに。

感染防御のルールを再度整理します。

①マスクと眼鏡の着用

②手指の洗浄と消毒

③会食は対面ではせず1人で食事を短時間で済ませる

④外から帰宅時は先にシャワーを浴びてから食事

陽性患者さんの多くは 手指から口に入るか 食事の時に飛沫感染しているようです

以上を守って元気でいましょう

2020年4月 7日 (火)

懐かしい昔の仲間から届いた誕生日祝い

カナダのトロントに住む30年以上前からの知り合い、マイク シューから

昨日誕生日おめでとうの書込みがフェイスブックにあった。

ありがとうの返信を送るとともに

「30年くらい前、富士通オーストラリアの仲間と一緒にうちに来てくれたよね」と書いたら返事があり

「そう、あのとき一緒に行ったのは、たしかマーク、アリスター、カレンだった・・」

返事した「うん、たしかマーク、カレン・・だったかなあ、が他にもいた。お互い歳を重ねたから

仕方ない」

当時、日本の家にくることはないだろうと思い、海外から出張で来たたくさんの仲間を我が家に

招いた。

カミさんがよく許して、対応してくれたと思う。

娘は必死になって英語をしゃべっていたが、息子は「えっ、また外人来るの。出かけるんで

ご飯いらない」

一度メルボルンから来た女性、名前はたしかカレン プレスベリーだった、が訪ねて来たとき

「Tak、わたし、前もここ来たことある。今回2度目」と言われ驚くとともに、女性だったので

とっても恥ずかしかったことを覚えている。

「髪型変えたからわからなったのよ」と慰めてくれたが赤面の思いだった。

以来、ビジターノートを用意して、一言書いてもらい、全員の写真を撮って貼ることにした。

そのビジターノートも分厚くなり、時々懐かしくながめている。

泊っているホテルからの電車の乗り方、乗り換えを紙に書いて渡していたが、ほとんどのケース

途中でわからなくなり、電話がかかってきていた。

だが、訪ねて来てくれた人たちは皆、見たことのない日本人の家の中を見て、カミさん手作りの

料理を食べ、近くをぶらぶらみんなで歩き、ワイワイだべり、飲み、毎回楽しい時間を過ごした。

お返しに、と来てくれた人何人かが出張でオーストラリアに行った折に家に招いてくれた。

そのうちのひとりはメルボルンから来た富士通オーストラリアのお客さまだった。

夫婦で彼を箱根にも連れて行った。

すべてが今となれば、懐かしい楽しい思い出。

シドニーでは毎年富士通オーストラリアのOB会を開いているそうで、今年はカミサンの体調が

許せば、是非ふたりで行きたいと思っている。

2020年4月 6日 (月)

孫たち来訪

10年間いた沖縄を引き払い、姉孫の高校入学を機に東京へ戻ってきた娘一家。

横須賀行くと連絡があり、昼前、娘と孫たち駅で待ち合わせし、そのまま食事に。

行った店は息子の友だちのYくん紹介の店で以前にも何度か行ったことがあるイタリアンの店。

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今春は孫たちは節目の年。

姉孫が東京の高校へ入学、妹孫が地元の中学校入学とふたりとも進級の春。

姉孫

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妹孫はじいじとナナちゃんに見せたいと言い、中学校の制服を着て来てくれた。

Img_2064

来る直前に家族で行った伊勢志摩で買ってきてくれたボクの誕生日祝いの

鳥羽のお土産持参できてくれた。

Img_2089

食事のあと、そのまま我が家へ。

妹孫が「じいじ、マスターマインドをやろうよ。わたしが応える人」と言い

来ると必ずやるマスターマインド ゲームに今回もはまった。

5時前になり「さあ帰ろう。その前に自転車」と言い、我が家ではほとんど乗ることのない

自転車を娘が「うちで使いたい」と言い、陸送会社に運搬の手配をし「さあ、これで

やりたかったことできた」と。

駅まで歩き、3人が乗る電車を見送り、途中図書館に寄って帰ってきた。

1時間少々で行き来できる場所に越してきたので、頻繁に会えることがとってもうれしい。

今週予定されている中学校、高校の入学式はコロナ騒ぎで開催されても参加できるのは

両親のみということで、こちらは大変残念。

2020年4月 3日 (金)

やっとたどり着いた遠かった道のり

一昨日、横須賀市議会事務所に市議の青木哲正さんを訪ね、宿願の

「犯罪被害者支援条例」について今後の進め方を議論した。

青木さんは40人いる横須賀市議会で副議長を務め、市議の中で最も信頼する方。

横須賀市で何としても犯罪被害者支援条例を作りたいと思いで動き出して久しい。

発端は15年12月に行った市議会常任委員会での条例制定を求める陳情。

陳情は10人の委員全員の賛同が得られず審査終了となり、無念の思いで終わった。

その後もいろいろリベンジした。

17年10月には市長に直接面談し、条例制定の必要性を訴えた。

思いの端緒は、もちろん95年に起きた息子の交通死亡事故であった。

それをきっかけに、40万都市横須賀で交通事故犯罪のみならず多発する凶悪悪質犯罪、

性犯罪等に対処していくためには、何としても犯罪被害者支援条例は必須であるとの

確信のもと、これまで動いてきた。

その過程で、40人いる市議の中、最も信頼できる方だと思っている青木哲正さんに巡り合った。

一昨日、青木さんと話し合ったテーマは条例化に向けてのこれからの進め方。

以下、青木さんの発言と意向。

「私もそうであったが犯罪被害者についてこれまで知識がなかった。

これから議会で進めていく上で理解する議員を増やし、そのメンバーに条例制定の必要性を

理解してもらうことが必須である。犯罪被害者支援条例をつくる上で一番考えることは

実態に即した活きた条例、条文に作り上げていくことである。

活きた条文、条例にするためには辛い、悲しい経験をされた被害者の皆さんのお話を皆で直に

お聴きし、条文のすき間を埋め、その想いを織り込んだ活きた条文、条例にしたい。

そのために条例つくりに参加するメンバー議員が決まったら、数名の被害者、遺族の方々から

お話をお聴きしたいと思っている。ご協力いただけるようであれば、3~4人の方々に

お集まりいただき、数回会合を持ち、関与する議員が十分に理解した上で実情、実態に即した

条例、条文を作り上げていきたい。会合は6月を目途にスタートし条例は年末制定を目指したい」

まさに願ったり叶ったり。

全国の市町で犯罪被害者支援条例策定の動きがあるが、これほど被害者に寄り添った条例を

作った市町はないのではなかろうか。

この町で犯罪被害者支援条例の必要性を説きはじめて5年。

理解者を得て、やっとここまで辿りついたとの思い。

被害者の経験、思いを語る場に出てきて欲しいと思うふたりの方々に早速連絡を取り、

参加を要請し承諾していただいた。

是非とも、青木さんの考える今年末の条例制定に向けて一緒に動いていきたいとの思いを

一層強くした。

打ち合わせが終わったあと青木さんの部屋に飾ってある3枚の絵について話を聞いた。

絵は横須賀総合高校の生徒たちが描いた絵であること、たくさん応募のあった絵の中から

自らが審査委員長になり選んだ絵が廊下にも並んでいる。そのうちの3作品とのこと。

時々行く議会事務局、行けば必ず廊下に掲げられた絵を観るのが楽しみ。

今回も廊下に掲げられた生徒たちの絵をじっくり見せてもらった。

Img_2047-5

2020年4月 2日 (木)

どれも思い出いっぱい ①

ベッドの脇の壁に貼っている、いろいろ。

Bed-pic

それぞれについて説明する前に。

我が家はボクの部屋は1階の娘が使っていた部屋、カミさんは2階と住み分けが

はじまったのは、10年くらい前。

ボクは娘がかつて使っていたベッド、カミさんは2階のダブルベッド。

このダブルベッドは懸賞でもらったもの。

結婚する前だから50年くらい前、ある日カミさんが母親と一緒に倉敷に出てきて

いたとき、たしか蛇の目ミシンだったと思うが、街頭でミシンの宣伝PRをやっていて

応募用紙をもらってかえり後日投函したそう。

それが大当たり、何と100万円相当の家財道具一式が当たった。

50年前の100万円だから大変なもの。

電気製品から家財道具、その中のひとつがダブルベッドだった。

間もなく、我々は所帯を持った。

結婚する直前だったので、カミさんの実家は家財道具を買うことなく大成功。

だが、結婚後住むことになったのは、1DKの会社の借り上げ社宅。

当選で当たった家財道具は入るわけがない。

ダブルベッドなど、とんでもない。

そこで、大半の家財は田舎の大きな家のカミさんの実家に置くことになり

1DKに収まるものだけ、洋服ダンス、テレビ、冷蔵庫などが借り上げ社宅に送られてきた。

1DKのあと2DKの公団賃貸住宅に引越したが、2DKにも当然多くは収まらない。

1974年から77年まで3年間はシドニー駐在。

帰国したあと住む家に困ると思い、公団住宅はそのままにし、冷蔵庫の電気は3年間

入れっぱなしにしたまま、シドニーへ。

途中1度、一時帰国の機会があり、知り合いの独身者に住んでもらうことにした。

帰国後、公団住宅に戻ってきたものの、子供たちが幼稚園に通う歳になってきていて

家を何とかしないとと。

シドニーから帰ってきた翌78年にカミさんがたまたま新聞広告で見つけた今住むこの家を見に来て

「通勤遠いなぁ」と逡巡するボクに「ここに決めよう。あなたが我慢してくれれば、環境は良いし、

ここ最高」と言い、カミさんが持っていた1万円を内金で払い、結婚8年後にやっと住み家が決まった。

以来42年、定年退職し16年、すばらしい眺望に恵まれ、周りの環境にも大満足のこの家を

即断即決「決めよう」と言ってくれたカミさんには感謝しても、しきれない。

脇道にそれてしまい、壁紙の思い出は次回以降に。

2020年3月29日 (日)

沖縄から東京へ


娘一家、行きたい、行きたいと10年前に家族で移住した沖縄。
那覇から南へ車で30分の田舎に家を建て、
ふたりの子供たちは地元の幼稚園~小学校~中学校へ。

田舎でのびのび過ごし、家族全員、沖縄生活をめいっぱい楽しみ、お友だち、
仲間がたくさんできた。

の沖縄を長女の高校入学を機に、東京へ戻ってくることを決め、沖縄の家を
人に貸し、今日東京に戻ってくることになった。

きっと、親も子供たちも感慨深く、名残惜しく、たくさんできたお友だちや
仲間たちと涙涙の別れであったことだろう。

供たちにとっては、これもまた人生の大きなステップ、

きっと、また新しい出会いがあり、新たな楽しい日々が待っていることだろう。

とき、まさに新学期、新年度、家族全員にとって生涯忘れられない年になることだろう。

2020年3月23日 (月)

この時期になると思い出すKさんのこと

夕方底冷えがするこの時期、その場所を通ると必ずKさんのことを思い出す。

場所は我が家から歩いて5分、信号のある三差路。

7~8年前の寒い日の夕方、買い物に出かけたカミさんからケータイに電話があった。

「すぐ来て。おじいさんがバイクで転倒してるので。場所はうちの裏の海岸通りを歩いた

信号のとこ。来るとき熱いお茶をポットに入れて、アンコの入ったお饅頭がテーブルの上に

あるので、チンして一緒に持ってきて」

言われたものを持って、すぐ指定された場所へ。

信号の脇の歩道のそばの石垣にうずくまっているおじいさんがいた。

すぐ「救急車を呼びます」とおじいさんのKさんに話したら、Kさんは即「止めてください」

「息子が心配するし、病院に行けばお金がかかるから」と。

渋るKさんだったが、病院に行き治療を受けなければと説得し、救急車に電話した。

救急車が来る間、Kさんが色々話してくださった。

「家は20分くらい離れた市営住宅。買い物に行こうと思い、この先のスーパーに行く途中

バイクで転倒した。息子は山梨で働いているので、連絡したくなかった」

ボクから「バイクは我が家で預かっておきます。息子さんにはそのことを伝えておく必要が

あるので、息子さんの連絡先を教えてください」

間もなく救急車が来てKさんは運ばれて行った。

救急車の運転手に「病院はどこですか」と聞いたが「これから電話して決まるのでわかりません」

とのことだった。

家に帰ってすぐ、Kさんに教えられた息子さんの番号に電話し、ことの次第を伝え「バイクは

我が家で預かっておきますので、都合がつくときに取りに来てください」と言い、我が家の

住所を伝えた。

数日後息子さんが我が家に来てバイクを引き取り、息子さんからKさんが入院した病院名を聞いた。

その翌日、息子さんから聞いた市民病院にお見舞いに行った。

Kさんは元気になっていてホッとした。

数日後、再度病院にKさんを見舞った。

そのときご家族のことを色々話してくださった。

思い出すのは、奥さんが入水自殺で亡くなられたこと。今は市営住宅にひとりで住んでいる

ことなど。

事故直後Kさんと一緒に救急車を待っていたとき、Kさんの胸のあたりから赤ちゃんの声が聞こえる

のに気がついてKさんに「何の声ですか」と聞いたら、声を出すおもちゃを胸から出して聞かせて

下さった。

その後、半年位経ったころだったろうか、息子さんから電話があった。

「父が亡くなりました。その節は大変お世話になりました」

お墓の場所を聞いたら、市営墓地で場所はXXと教えていただき、後日お参りさせていただいた。

寒いこの時期、Kさんが倒れていた場所を通るたびにKさんのことを思い出す。

2020年3月22日 (日)

お彼岸墓参り

春のお彼岸中日の昨日、息子の墓参りに行ってきた。

墓参りは毎回ひとり。

カミサンは仏壇に「あの子はここにいる」と言い、ほとんど墓には行かない。

墓は我が家から歩いて20分。

途中、お花を買って墓へ。

お寺、浄林寺に小さな墓地を求めたのは2011年、ということは9年前。

墓ができたあと、それまで郷里の倉敷の墓にいた息子をこちらに連れてきた。

その年の夏、息子の仲間たちに集まってもらい、開眼納骨法要を営んだ。

遠くは豐田市をはじめ、20名近くの高校、大学、職場の仲間が集まってくれて

あの子を偲び、法要を執り行い、終わったあとの会食では明るく破天荒だった

あの子の話題がいろいろ飛び出した。

お世話になっているお寺、浄林寺。

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忙しい時間を使って、仲間たちが25年経った今も墓参りしてくれている。

昨日は車で2時間以上かかる遠路、相模原から大学の仲間のKくんが息子に会いに

お花を持って来てくれていた。

この墓は、息子、我々夫婦が入ったらお終いになる墓。

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Kくんが来てくれたことは供えてあったノンアルコールのビール缶でわかった。

Kくんは年に何回も来てくれるが、来てくれるときはいつも事前にメールが入り

墓参りしてくれたあと、ふたりで近くの喫茶店でワイワイしゃべるのがパターンに

なっている。

が、今回は事前に連絡がなかったのでおしゃべりは叶わず。

毎回話題は、彼の仕事のこと、仕事の悩みを聴き、ボクからかつて同じような経験をし、

悩んだことを話し「同じだよ、男の宿命だよ」と納得し合うのがパターンになっている。

墓参りのあと、この日も近くのトンネルをふたつ抜け、海岸遊歩道を歩いて帰ってきた。

スマフォの歩数、9326歩。

2020年3月20日 (金)

近くをぶらぶら

毎週金曜日の午後は近くのリハビリセンターで3時間運動ができるのが楽しみ。

介護保険の一環で横須賀市がやってくれる高齢者向けサービス。

少々費用を払って、1時から4時まで、指導者がついて器具も使いみっちり運動できる。

仲間もいろいろできた。

4時に帰ってきたあと一休みして、あまりにも裏の海がきれいで天気がいいので

近くを歩きたくなって出かけた。

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岩場には海鵜が。

何度も見た光景。

岩場で休んだあと近くを30秒以上潜り、時々魚をくわえ上がってくる。

Img_2030

海に向かってトランペットを吹いている人がいて、しばし聴きいった。

海岸遊歩道から道路を渡り住宅街へ。

市営プールの近くにこんな表示があった。

初めてじっくり読んだ。

Img_2022

住宅街に入り、桜はまだだろうなぁと思いながら、我が家の近くの公園へ。

2分咲きくらいか。

あと1週間すれば楽しめそう。

公園のそばの掲示板

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運動をしたあと、ぶらぶら散歩。

帰ってきてお風呂。

今夜は爆睡できそう。

2020年3月17日 (火)

オンブズマンで議論していること

横須賀市民オンブズマンで活動していることは何度かブログに書いた。

立ち上げは5年前。

メンバーの顔触れは立ち上げたときと変わらず男4名。

ボクが参加したきっかけは、会を立ち上げたIさんから「市会議員を辞めたら

オンブズマンをやるので一緒にやろう」と誘いがあったこと。

会では、毎月1回日曜日の6時、メンバーのひとり弁護士のHさんの事務所に集まり、

それ以外はメールでやり取り。

一昨日の6時、4人が集まった。

この日は、うれしいニュースでスタート。

Hさんが1700名メンバーがいる神奈川県弁護士会の副会長に4月から就任することが

決まり、「おめでとうございます」ではじまった。

さて、一昨日のメインテーマは「市の公共施設の活性化」

このところ話題にしているのは市立博物館。

ボクはここ半年くらいの間に博物館に2度行ったことがある。

行く前、博物館の場所を覚えていなくて、ネットで検索した。

おそらく多くの市民がそうであろう。

というか、この街に博物館があることを知る市民は少数派だろう。

小学校から生徒たちが学校で観に行くくらいで、街の中心から歩いて10分の高台にある

博物館は市民には縁遠い存在。

行って初めて気がついたことがいろいろあった。

先ず、広い館内には内覧者がほとんでいないこと。

だから仕方ないのであろうが、展示物は古く、入れ替えもほとんどないようである。

最近は市政だよりで催しの紹介や以前はときどき見ていた駅に貼られた催し物の

案内も見ることがなくなった。

オンブズマンで博物館の活性化を取り上げようということは、数カ月前に衆議一決。

オンブズマンのメンバーのひとりIさんは議員時代、博物館問題は取り上げたことがある。

オンブズマンと議会の両面作戦で臨もうということで意見は一致。

先ずは博物館、次に美術館、ということで、こちらも異論出ず。

最初にやることは、博物館、美術館の過去5年間の入場者数および収支を調べること。

オンブズマンでも情報請求すればできるが、市会議員からやった方が効率よくできる。

ということで、現職市議のIさんに連絡を取り、事の次第を話し、オンブズマンと市議会両方

から本件進めていくことが決まった。

2020年3月15日 (日)

記者会見に同席

知り合いの女性Sさんから連絡があり「市役所で記者会見をしたい。その要請をするため

一緒に行って欲しい」と頼まれ、先日横須賀市役所の広報室へ。

市の広報室での記者会見の手続き、要領等はボクが市民オンブズマンで何度か経験した

ことを彼女は知っていて、そのため同行を依頼された。

テーマは彼女の当時5歳の娘さんの小児矯正歯科治療問題。

彼女は娘と同じ歳。

 

記者会見は一昨日11時から、市役所広報室の会議室で。

会見の3日前、市役所の広報室に行き、記者会見したい旨を話し、当番幹事社に会い

会見を開きたい趣旨他を伝え、各社に事前に読んでおいて欲しい資料を広報室前にある

各社のポストに入れておいた。

 

で、一昨日の記者会見に臨んだ。

会見で説明し対応するのはもちろんすべてSさん。

ボクは関係者としてSさんのとなりに座った。

 

集まったのは5社。

Sさんが作成し、事前に配布しておいた資料の内容を確認する形で記者会見は進められた。

Sさんは席上これまでの経緯を説明の上、相手側の不誠実極まりない対応を仔細に説明した。

加えて、同様の被害に苦しむ小児患者、被害家族が今後出ることのないよう注意喚起すべく

自らが経験したことをあえて公表し、広く知ってもらいとの思いで、取材し報道して欲しい

との自らの思いをはっきり表明した。

 

一昨日の夕刊、昨日の朝刊に記事が掲載されるいるかどうか確認するため、近くの図書館に

行って新聞をチェックした。

極めて残念ながらどの紙も記事に取り上げてくれていなかった。

2020年3月11日 (水)

あれから9年

今年も巡ってきた3月11日。

東日本大震災から9年。
毎年3月11日、地震発生の14時46分にはテレビの前で祈りを捧げる。

今日は外出するため叶わない。
去年の3月11日に書いたブログ 

忘れがちであるが、前日の昨日、3月10日は東京大空襲の日。
こちらも5年前に東京大空襲・戦災資料センターに行ったときのことを
ブログに書いている。

2020年3月 9日 (月)

町内会館で映画

先々週金曜日の話。

毎週金曜日1時からは我が家から歩いて10分足らずのところにある施設で

市の福祉サービスの一環で、高齢者向けに運動プログラムが行われ、

毎週楽しみに参加している。

先々週は初めて運動を休んだ。

カミサン「運動、行ってよ」と不機嫌。

ちょうど同じ時間帯に町内会館で上映する映画が観たかった。

我が街一丁目町内会では係の人がアレンジしてくれて、月1のペースで

町内会館で映画が上映される。

これまで、ヒッチコック、寅さんほか多くの外国映画を観た。

家から歩いて数分の町内会館、配られたお茶のペットボトルを飲みながら

大きな画面に映し出される映画を毎回楽しむ。

映画の開催は町内の数カ所にある掲示板で告知される。

ボクは常連のひとりなので、我が家のポストに映画会案内のチラシが入る。

今回の上映映画はこちら。

Img_2015-1

この日の映画は1989年製作のイタリア映画。

期待した通り、良い作品だった。

帰るとき、役をして下さっている顔見知りの人に「すばらしい映画だった」

と声をかけお礼を言うと「来月上映予定の映画もいいですよ」

若いころたくさん観たイタリア映画、あのころもほとんど外れはなかった。

カミサンに反旗を翻し(笑)、運動をさぼったのは、正解だった。

作品紹介はこちら<top>

 

2020年3月 8日 (日)

この新聞記事、共感

今朝の朝日新聞1面トップ記事「女性役員ゼロ 自己責任?」に思わず、その通り!と。

記事の要旨は、

 「世界経済フォーラムの男女格差(ジェンダーギャップ)の最新報告書で日本は

  過去最低の世界121位に沈んだ。その大きな要因が、政治や経済のリーダー層に

  おける女性の少なさ。日本の上場企業の2019年の女性役員比率は5.2%にとどまる」

恥ずかしい実情に、あらためて唖然との思いで記事を読んだ。

記事には「女性役員ゼロ」の大企業と呼ばれる14社の名前が紹介されていた。

名指しされた14社は、明日月曜日朝一番で緊急に役員会を開き、遅ればせではあるが、

男たち役員が集まり、対応を検討することであろう。

また、6月に開かれる各社の株主総会では新任役員候補補に女性を入れることであろう。

それにしても、世界153か国の中121位とは情けないことこの上ない。

挽回するには、根っこから国を挙げて考えて意識、行動を変えていかない限り改まらない。

一番身近は家庭、次に学校、それに社会全体。

子育て、学校教育、根幹になる部分を変えていかない限り、それの派生した結果である

今回問われている企業の女性役員数や政治に携わる女性の数は増えていかない。

「男尊女卑」の言葉や意識は先進国と言われる国にはおよそない言葉だ。

今回、企業現場で端を発した「ジエンダーギャップ」問題、これをきっかけに家庭、教育現場での

意識改革につなげてゆき、孫の世代が社会の中心になる時代には、他国に比べて遜色のない

「ジェンダーフリー」の国になっていることを切に願う。

2020年3月 6日 (金)

市議会傍聴ー犯罪被害者支援条例ー

一昨日10時、横須賀市役所で政策検討会議を傍聴した。

コロナウイルスの関係で会議室には入れず、会議室前の控室で新聞を読みながら

会議が終わるのを待った。

政策検討会議は何度も傍聴したことがある。

定例本会議前、全会派代表が集まり、討議案件について意見交換をするのが主旨の会議。

これまで政策検討会議を傍聴した中で、ボク以外傍聴者がいた記憶はあまりない。

今回の3月議会では「犯罪被害者支援条例」が審議されることになっていることから

どうしても事前にどのような議論を各会派がするのかを確認したく、今回は傍聴した。

小雨の降る中、議会事務局に行き傍聴申込みをしたらコロナウイルスを理由に会議の傍聴を断られ

しばらく押し問答したが入室を許されず、やむなく新聞を読みながら時間をつぶし、終わったら

委員の一人のF議員に議論の結果を聞こうと思い1時間以上待った。

審議が終わり出てきたF議員から、政策立案の議論が5月にはじまること、それに来年12月を目標に

条例制定をすることで意見がまとまったとのうれしい報告があり「議会事務局の担当者から

このあと直接説明してもらいます」とのことで、議会事務局担当者が来て会議の配布資料を渡され

説明を受けた。

今回提案された条例は14あり、俎上に上がった14候補条例を委員の議員が事前に投票した結果

総得点、緊急度とも、犯罪被害者支援条例は、1位のこどもの権利条例に次いで順位2位、

総得点81、緊急度19と記されていた。

「やったー!」との思いで、資料を見ながら話を聞いた。

やっと長い間の念願だった「犯罪被害者等支援条例」がつくられることが承認された瞬間で

まさに感無量。

ここまでたどり着くまでの道のりは長かった。

端緒は15年12月に行った市議会常任委員会での陳情であった。

陳情は10人の委員全員の賛同が得られず審査終了となり、無念の思いで終わった。

http://tak05.cocolog-nifty.com/banzai/2016/07/post-c87a.html

その後もいろいろリベンジした。

17年10月には市長に面談し、直接条例制定の必要性を訴えた。

http://tak05.cocolog-nifty.com/banzai/2017/10/--743e.html

紆余曲折があり、ここまでたどり着くには長い時間がかかったが、やっとたどり着いた。

議員が条例制定に賛同した以上、もうあともどりすることはない。

あとは傍聴の機会があれば条例制定の過程を見守りながら、ターゲットに設定された

5月からはじまる政策立案の開始から、来年12月の条例制定までの間、市民として推移を

知ることができる機会には是非とも関わり合っていき、納得できる条例制定の過程を

見守っていきたい。

40万都市横須賀、多発する凶悪悪質犯罪、交通事故犯罪、性犯罪等にしっかり対処していく

ために、犯罪被害者支援条例は絶対に必要であると確信している。

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