2018年12月18日 (火)

月例会&忘年会

横須賀市民オンブズマン活動をはじめて3年。

毎月一回、第3日曜日の18時から、4人のメンバーのひとり、弁護士のHさんの事務所で

月例会をやっている。

平素の交流は、必要な都度、メーリングリストでのやりとり。

一昨日は6時に集まり議論をしたあと忘年会。

この日の議論のテーマは2つ。

ひとつは継続テーマ「ボクシング協会について」

ポイントは、9月市民オンブズマン事務局に市のボクシング協会の元関係者という方から

電話があり、「市がボクシング協会に出している補助金の助成に疑義がある」

補助金詐取もありうると考え、市の所轄部署の課長と係長に面談し、補助金支出について

質問と確認をした。

一昨夜は次のステップをどうするか議論。

結論は再度所轄部署と面談し、補助金支出の違法性を確認、そののち住民監査請求する

方向で動くことを決めた。

もうひとつのテーマはオンブズマンのホームページについて意見交換。

あまり更新していないホームページだが、ホームページの管理者情報で見みると、

一日平均70人前後の訪問者がある。

これだけの人たちに閲覧してもらっているのであれば、もっと新しい記事をアップして

いかねば、ということが議論のポイント。

世間で話題になっているコンセッション方式と呼ばれる水道事業の民営化問題、

及び議員定数削減問題を取り上げようということになった。

議員定数が1人削減できれば、議員報酬・政務活動費ほかで年間1300万円が浮く

勘定になる。

もうひとつ決まったのは、来年4月の統一地方選挙前に地域のミニコミ紙にオンブズマンの

意見広告を出すこと、及び集会を呼びかけること。お金がなくて厳しいのだが。

内容は、議員定数削減問題、定例議会でまったく質問しない議員問題ほかを中心に。

1時間くらい議論したあと、皆「今日はこれで終わり」と第2部の忘年会へ。

忘年会はメンバーのIさんのお宅で、彼が準備しふるまってくれた魚中心の料理を

「うまい!」と言いながら、皆で堪能した。

Iさんは知り合いをときどき呼んでいて、隠れ庵の雰囲気の場所。

もらったメニューには、

  ・カサゴ・アジ・タコのカルパッチョ

  ・刺身盛り合わせ

  ・焼き魚

  ・魚煮物

  ・揚げ物

  ・鍋

  ・おしたし

ビール、酒がついて、料理は普通の料理店を凌駕している。

出された魚のうち、マグロとアオリイカを除いては、店主であるIさんが観音崎沖で

乗合船に乗り釣ってきたもの。

メニューの中心はフグとカワハギ。

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真ん中の写真はIさんのメニューではキュウセンの煮物と書いてあったが、

瀬戸内海でも多く獲れる魚で、郷里の倉敷ではギザミと呼んでいた。ベラとも呼ぶ。

安い魚であったため、小さいころオフクロがよく買ってきて煮ていたのを思い出す。

ちょうどIさんの奥さんが外出していて、男4人猥雑な話含め、2時間以上盛り上がった。

この仲間4人、みんなよく意気が合い、いい仲間だ。

2018年12月17日 (月)

追想「我が家の変遷」(1)

今朝、近くを散策。 

あらためて思った。良い環境の街に家を求めてよかったと。 

この場所と家を選んだのはカミサン。そのことは後述。 

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散策しながら、結婚してこれまで50年近くの我が家の住み家の変遷を思い起こしてみた。 

結婚したのは1970年。 

結婚前に住んでいたのは、2人一部屋、ただ寝るだけという感じの6畳の会社の寮。 

結婚を決めたあと、とにかく住む家を手当てしなければと思い、会社の厚生課に 

社宅に住みたいと相談に行った。

紹介されたのは、川崎市の西端にあった借り上げ社宅。

地元の農家の方が、なし園をやめて建てた1DKの2階建てアパート。

ダイニングを兼ねたキッチンと6畳一間。

家具を置くと布団を敷くスペースがあるだけの小さな部屋だったが新婚のふたりには十分。

そのうち子供ができ、もう1部屋あるところに移りたいと、公団住宅に何度か申込みし、

やっと当たって、板橋区にある超大型団地 高島平団地の最上階16階の部屋に移った。

1974年、オーストラリアのシドニーに出向することが決まり、3年の任期を終え帰って

きたとき、また家探しすることは大変だと思い、借りたままにしてシドニーへ。

いない間、家賃を払い続けることがイヤで、任期中1度一時帰国の機会があり

会社の知り合いに話し、帰国するまで住んでもらうことにした。

赴任したシドニーでは、高島平の団地に到底比べものにならない大きな庭付きの家に

住んだ。

「えっ、こんな家賃でこんな家に住めるの」と、ものすごくうれしかった。

週に60ドル(当時オーストラリアドルは300円くらい)の家賃もありがたかった。

しばらくして、南アフリカに赴任していた家のオーナーが帰国することになり、退去せざるを

得なく、別の家を見つけ転居した。

2軒目の家も庭付きで、1軒目より少し高かったが、十分満足できる値段だった。

当時はまだシドニーに住む日本人が少なかったこともあり、両方の家の隣人が親切に

面倒をみてくれた。

こうして1974年、31歳で赴任したシドニーに3年間いて、34歳のとき、ふたりの子供を

連れて帰国した。

帰国して住んだのは、1年半くらい会社の知り合いに住んでもらっていた高島平団地。

帰国してすぐ住んで生活できるように、3年離れている間、、冷蔵庫の電源は入れたままに

しておいた。

当然、庭付きの広い家に3年間住んだあと帰ってきて住んだ2DKの公団住宅の我が家は

とても狭く感じた。

こんな笑い話のような話もある。

そんな狭い団地ではあったが、帰国後何度かオーストラリアから出張してきた富士通

オーストラリアの仲間を我が家に招待したことがある。

そのうちのひとりが、狭い台所の一角で食事をしたあと、閉めていたふすまを指して、

「この奥がベッドルームか?」と尋ねてきたことがあった。

ふすまを開けてとなりの畳の部屋を見せて、みんなで笑ったのを思い出す。

この高島平の団地から、1978年、35歳のとき、ここ横須賀の家に越してきた。

そのいきさつは次の(2)で紹介。


2018年12月11日 (火)

毎日助けられてる、スマフォ

ガラケーからスマフォに替えたのは3年くらい前。  

ガラケーのころはメールが出せて、電話さえかけられればいいと思っていた。  

新しいことを覚えるのもイヤだった。  

我が家はボクより早くカミサンがガラケーからスマフォに移った。  

何がきっかけだったか覚えてないが、やっぱりスマフォかなぁ、と思いはじめた。  

持てば、スマフォってこんなこともできるのかと思うことばかりで、日々助けられている。  

日々当たり前のように使っているが、何に使っているだろう、とあらためて考えてみた。 

当然のことながら、先ずメールに電話、フェイスブック、それにカメラ。限られた人とのLINE  

あと重宝しているのは、歩数計、乗り換えナビ、ラジオ、電車でヒマなとき数独。  

助かっているのは、アラーム。

毎週観ているテレビ番組と新聞でみて観たいと思った番組、それにラジオ英語講座の

時間設定。  

特にラジオ英語講座は再放送も聴いているので、水木金土、時間も朝、昼、夜  

とても覚えられないので、大変重宝している。  

ただ、これだけアラームをセットしていたら、鳴ったとき、「さあ、何だったろう」と思う  

ことがしばしばある。  

あとは、夫婦でしょっちゅう使っているのは、音声で入れるグーグルの「教えて」のSiri  

Siriは孫たちが何かあったら、いつも使っていたのをみて知った。  

ボクがよくSiriを使うのは英語の単語を知りたいとき。  

音声認識力のスゴサに驚く。  

記録に残っている最近Siriに助けてもらったのは「平戸のふるさと納税」「オートノミーの  

意味は?」「コンセッションの意味は?」など。 

「英語でXXは何と言うの?」と尋ねれば、的確に答えてくれる。  

何より、言ったことばをしっかり認識して答えてくれる技術力のすごさに驚く。  

20年以上前、AIがもてはやされはじめたたころ、音声認識技術を各社が競い合ったのを 

思い出す。  

当時「特定話者」という言葉があった。  

話す人の声と話し方をコンピューターに覚えさせ、その人がしゃべった言葉を認識させる 

技術だった。  

それは今やはるか昔の話、小さなスマフォが話者が誰であろうと、話す言葉を的確に 

認識する技術のすごさに驚きと隔世の感を覚える。

2018年12月 8日 (土)

あしなが育英会

あしなが育英会のことを知って、もう長い。 

育英会のホームページのトップには、こう書かれている。 

 「あしなが育英会は病気、災害、自死(自殺)など道路上の交通事故以外で保護者を 

 亡くしたり、保護者が著しい障害を負っている家庭の子どもたちへの奨学金制度を 

 実施しています。 

 高校、大学、専門学校などに進学を希望している、経済的に苦しい遺児たちに奨学金 

 (無利子貸与+給付)を交付しています」 

年に何度か届く機関紙「あしながファミリー」が昨日届き、じっくり読んだ。 

「あしながファミリー」に書かれた記事を読み、今回も深い思いに至った。 

一家の主である父親を亡くし、家計が苦境に陥っている中、母親を中心とした家族全員の

苦しい日々、遺児たちの進学に向けて頑張っている姿、頑張ってはいるものの苦しい

生活から抜けられないこと等が綴られた多くの投稿やインタビュー記事、実態調査結果を

読んだ。 

以下、その中いくつかを紹介。 

 ・夫は自死のため、生保がおりませんでした。子供3人と介護1の母がいます。 

  下がまだ小学校4年生なのでなかなか長時間の仕事ができません。 

 ・夜勤をしないと生活ができず身体的精神的に疲れてしまっていますが、息子が 

  やりたいこと、一生懸命がんばっていることをさせてあげたい。学校だけは行かせて 

  あげたい。 

 ・随分きりつめて、家計簿も1円単位でつけていますが赤字続きです。これから老後を 

  迎える私はとても不安です。 

 ・その日暮らしといわざるを得ない収入で、将来に向けて貯えることができないため 

  急な出費に対応できません。 

 ・主人が病気のため要介護状態で働くことが難しい中、できる仕事をしながら介護

  しているため、子供を大学に行かせてやれるかがとても心配です。 

 ・パートの仕事をWワークして8時から23時15分まで働いています。1週間のうち 

  1日しか休日はありません。自分が高齢なので仕事も雑務しかないのがつらいです。 

 ・ある人に「父親がいなくてかわいそう。不幸だね」と言われた。何も言い返せなかった。 

  「幸せだ」と言い返せなかった。 

 ・街頭であしなが募金をしていたとき「がんばって!教育こそあなたたちが持っている 

 一番の武器よ」と年配の女性が笑顔でそう励ましてくれた。私の心に深く響いた。  

あしなが育英会の奨学家庭2635件の実態調査では、 

 ・遺児家庭の収入は一般家庭の半分以下で、親の手取り月平均14万6380円。 

  一般世帯の45.5% 536家族が15万円未満 

 ・大学進学率 全国平均49.7% 遺児33.7% 

ボクは8年前から毎年12月に3万円づつ、郵便局からあしなが育英会の口座に

振り込みさせていただいている。 

あしなが育英会のホームページはこちら

2018年12月 3日 (月)

「年賀状止めます」のお知らせ

昨日、年賀状止めますと書いたハガキを、毎年年賀状をやり取りしている人たち全員に

出した。書いた文面は、

  拝啓

  肌寒さが日々増してきている晩秋のこの時期、皆様ご健勝のことと拝察いたします。

  さて、私は年が改まりましたら、七十六歳となります。

  加齢とともに、諸事心許なさが増してきており、身辺の整理を徐々にやって

  いかなければとの心境になってまいりました。

  長きに渡り、新年のご挨拶を通し、ご交誼を続けさせていただきましたことに

  対しまして、改めて感謝申し上げます。

  誠に勝手ではございますが、本年をもちまして新年のご挨拶はご遠慮させて

  いただきたく、どうぞご了承いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

  末筆になりましたが、ご家族皆様のご健勝とご多幸を心より祈念申し上げます。
    
                                             敬具 

ポストに投函したら、ホッとしたという気持ちになった。   

考えてみると、ちゃんとした形で年賀状を出しはじめたのは、就職した50数年前。

その前も友だちには出していたことだろうが、あらたまった形の年賀状は就職が

機だったと思う。

我が家の年賀状の変遷を考えてみると、最初はもちろん手書き、それからプリントゴッコ。

プリントゴッコは刷りミスほか失敗が多く、おまけに刷り上がったものが完全に乾くまでの

プロセスも大変だった。

刷り上がったものを和室の畳の上に一晩並べておいていたことを思い出す。

だが、プリントゴッコは原版さえ作れば、あとは刷るだけ、手書きに比べれば画期的で

カッコウも良かった。

プリントゴッコの次はパソコン。

この10年近く使ってきたのは「筆ぐるめ」 その前に使っていたのは「筆まめ」

手書き、プリントゴッコから比べれば、格段に作業が楽になったが、使うのが1年に

1度のため、使い方を忘れ、毎年手探りでやってきた。

その間、印刷屋にお願いするという気には一度もならず、毎年年賀状は心を込めて

書いて、作って出さないとという気持ちに変わりはなかった。

パソコンになってからは写真がつけられるようになったのはうれしかった。

孫たちと家族の写真が何年も続いた。

今は亡くなられた富士通の秋草社長にも毎年出していて、こんな孫の写真付きの

年賀状でいいかなぁ、と毎年思いながら送った。

こんな歴史のある年賀状を止めると決めるには少々迷いもあったが、この先

ずっと続けることは難しく、どこかで失礼しなくては、とずっと思っていた。

長い間、やりとりを続けさせていただいた皆様には申し訳ないとの思いはあるものの

内心ホッとし、肩の荷が下りたが正直な心境。

あとは親族、家族には、我が家の出来事、孫たちの成長、夫婦の状況など近況を

1年に1度伝える手段として、しばらく年賀状は続けようと思っている。

2018年12月 2日 (日)

6人、今年も集まった

年末近くになると、昔の会社の仲間から日程調整のメールが届く。  

ほとんど年齢が同じ6人が、これも毎年同じ場所、横浜高島屋前で待ち合わせ。 

平素は1年間、やり取りすることはほとんどない。  

定年して14年、会社が終わったら、仲間とも終わりがボクの主義で、最後にいた職場の  

社長から、定年したあと退職者の集まりに入ってはと誘われたが断った。

会社が終われば仲間とは終わり新しい仲間と、ということを退職する前から決めていた。  

以来、会社のかつての仲間とは、飲み会に誘われない限り、集うことはほとんどない。  

一昨日集まったメンバーは6人とも、30年以上前の元システムエンジニアの仲間。  

きっかけは、7~8年前、たしか11月だった、電車の中でメンバーのひとりのUさんに会い  

「こういうメンバーで毎年年末に忘年会やってるんだけど来ない」と誘われ、即OKした。 

毎年事前にメールで日程調整するものの、年寄り6人それぞれ予定があって、なかなか  

決まらない。  

平日の昼なので、場所を予約するでもなく、毎年6人が横浜高島屋前で会い、ぶらぶら

歩いて適当な店を見つけてというのがパターン。  

今回はひとりSさんがいくぶん体調が完全でなく、二次会のお茶から合流。  

一次会は結局去年と同じ沖縄料理店。  

お互い近況をばらばら話し、夫婦や家族の話も。

もちろん共通の仲間の近況も諸々。  

Hさんからは老人大学で学んでいることが出た。テーマは失念。  

Uさんからは、毎年の恒例、今年もクリスマス前に神奈川県民ホールで第九を披露する  

合唱団の話。

定番の健康話は今年はあまり話題にならなかった。  

それだけ皆、それなりに健康なんだろう。  

終わったあと、横浜西口から東口に移動、前半参加しなかったSさんが海沿いのマックで

合流。話に聞いていたよりはるかに元気。  

このグループの仕上げは、毎年マック。  

Hさんがマクドナルドの株を持っていて、株主に届く優待券を毎年提供してくれる。  

フルメンバーの6人で、またわいわい。  

Hさんに、「マックの株上がっても売らないでね」  

海を見ながら、それぞれ好き勝手にまた1時間おしゃべり。  

15年たっても、こういう仲間は最高 coldsweats01

2018年11月28日 (水)

著作「14歳、明日の時間割」

著者は、2003年生まれ、中学3年生の鈴木るりかさん。

鈴木るりかさんは、小学生だった4年生、5年生、6年生のとき史上初3年連続で

小学館主催の「12歳の文学賞」の大賞を受賞。

「14歳、明日の時間割」のことを知ったのは、先月、姉孫の誕生日にプレゼントは

何にしようかと夫婦で話したとき、カミさんが同じ歳の鈴木るりかさんの本が

いいんじゃないと言い、プレゼントに選んだ。

本は沖縄の家の近くの本屋で買えばいいということで、バースデイカードの中に

カミさんがお祝いを入れて先月送った。

同時に我々夫婦も読みたくて、近くの図書館に行ったが、大変人気の本で、待ってる

人が36人とのことだった。

司書の方が「本は6冊ありますから、そんなに時間はかからないでしょう」

10日ほど前、図書館から「届きました」と連絡があった。

先ず、カミさんが読み、次にボク、きっと待っている人が多いだろうと思い、読んだあと

即返却。

小学館の大賞の栄誉を3年続けて受けただけあって、文章力、構成、ストーリー展開

どれも引き込まれていく、すばらしさ。

7章だてになっていて、「国語」「家庭科」「数学」「道徳」「昼休み」「体育」「放課後」

中でも、第2章の「家庭科」に書かれていた話にはジーンときた。

沖縄の娘にメールしたら、「早速買ってきて、ふたりとも読んでた」と返事があった。

図書館に返却に行ったとき、鈴木るりかさんの初の著作「さよなら、田中さん」のことを

聞いたら、やはり出払っていて、予約して帰った。

「さよなら、田中さん」は10万部のベストセラーとのこと。

鈴木るりかさんのこの先、大変楽しみ。

2018年11月26日 (月)

犯罪被害者週間 全国大会 

週末、毎年この時期開催される、1泊2日の催しに参加した。

主催は犯罪被害者団体ネットワーク(通称ハートバンド)

ハートバンドは全国の13の犯罪被害者団体が連携した組織。

ハートバンドでは毎年11月に全国大会を開催していて、今年が14回目。

ボクも5年間全国大会の運営事務局メンバーであったが、2年前運営メンバーを退いた。

全国大会の会場は昨年に引き続き、浅草のホテル。

今年も全国から100人近い人が集まった。

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初日のプログラムのメインは「犯罪被害者の声」

2名の方が経験された凄惨な事件について語られた。

お一人目は、ご家族が遭った残虐な強盗殺人事件について、お二人目は凶悪な

飲酒ひき逃げ事件でご家族を喪われたご遺族のお話。

どちらの事件も、どうしてこのような悪質極まりない事件を起こす人間がいるのだろうと

思うとともに、事件に遭われたご家族を思うと言葉がないと思いながらお話を

聴かせていただいた。

次いでプログラムは第2部 ハート・リレートーク 「一緒に考えよう みんなで話そう」

参加者全員が大きな車座になって、自分が経験したこと、辛い経験を通して思うこと、

他の参加者に意見を聞きたいこと、各分野の専門家からの意見など、2時間かけて

全員が参加し、考え、議論するセッションであった。

初日のプログラムの最後は、各テーブル7~8人で和気あいあいと懇親の会食。

2日目は9時スタートで分科会。

分科会のテーマは3つ。

「弁護士相談」「兄弟姉妹で語ろう」「いま求められる被害者支援」

ボクは毎年のことだが、「弁護士相談」のコーディネータ。

担当していただく弁護士は長年の知り合いのW先生。

今年は参加者6人だった。

それぞれ自分がかかえる問題を披露し、W先生がいろいろアドバイスして下さった。

最後に各分科会の報告、そのあと全員で写真撮影しすべてのプログラムは12時に終了。

遠方からの参加者はそれぞれ予定の帰宅便で、互いに「また来年ね」と言いながら

別れを惜しみつつ散会。

ボクは15年以上の懇意な仲である「命のメッセージ展」を発案され、主宰されている

鈴木共子さんとお昼をご一緒した。

1時間半くらいワイワイ話し、途中共子さんが「来年ホロコーストに行こうと思ってる」

という話が出て、「ボクも前から行きたいと思ってた。一緒に行きたい」と。

帰って、カミサンに「来年共子さんと一緒にホロコーストに行くことにした」と言うと

「えっ、ホロコーストに行くの!」と。

予想した反応であったが、言ってしまえば、既成事実になり、行くことが決まれば

反対はしないはず。

2日間いろんなことがあった週末だった。

2018年11月23日 (金)

大井川鉄道 日帰り旅

しばらく前テレビで、静岡県の大井川鉄道に乗って沿線を楽しみ、寸又峡温泉を訪ねる 

という番組を観て、野趣あふれる寸又峡に行きたくなった。 

一昨日、好天に誘われ、遠いのは覚悟の上で、ひとりで寸又峡に行くことにした。 

大井川鉄道は、沿線にある長島ダムを見たくて、数年前一度乗ったことがある。 

東海道線で大井川鉄道の始発駅の金谷まで行った。 

大井川鉄道の観光案内所が金谷駅にあることを覚えていて、寸又峡について尋ねる 

ため先ず案内所に寄った。 

このとき既に12時。 

案内所の係の人から「電車の本数が少ないので今から寸又峡に行き、観て回っていたら 

帰りの電車に乗れない可能性がある」とアドバイスされた。 

たまたま案内所にはボクより前にいろいろ尋ねていた女性がいて、ふたりの話を 

聞いていると、金谷と寸又峡の中間の塩郷というところにある塩郷の吊橋を観に行く 

とのこと。塩郷までは30分くらい。 

塩郷の吊橋もお勧めとの案内所の人の話。であれば、寸又峡行きは諦め、彼女に 

ついて行って、塩郷の吊橋を観に行きたいと思い「ご一緒していいですか?」と彼女に 

尋ねると「どうぞ、どうぞ」とのことで、ここから独り旅が同行旅になった。 

お昼どきで、案内所の人にお昼を食べられるところを聞くと「ここよりとなりの新金谷駅 

まで歩いて、新金谷で食べては」 

新金谷まで歩いて20分くらいということで、ふたりでぶらぶら歩いて新金谷駅まで。 

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駅前には、食事ができそうな店が見当たらず、近くにあったスーパーでおにぎりセットを

買って、駅前のベンチに座りお昼を。 

おしゃべりが弾んだ。 

彼女は浜松から来ていて、22歳、仕事はネイリストと自己紹介してくれた。 

爪を見せてと言うと見せてくれた。 

へー、こういう仕事があるんだ、じいさんはびっくり。 

将来は自分の店を持ちたい、と熱く語っていた。 

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電車を1時間近く待って、目指す塩郷まで。 

塩郷駅を降りて数分で吊橋へ。 

吊橋は川幅の広い大井川に架かっていて、高くて長く、ちょっと怖かった。 

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橋を渡ったあと、歩きながら、若い女の子だから付き合っている男の子の話が少々。 

吊橋を渡った近くにこんな場所があり、彼女は心を込めて鐘を鳴らしていた。 

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途中、農家が道の脇に置いていた野菜の即売があり、置いてあったポットに300円 

入れて、柿を5つ買った。 

吊橋を渡って戻り、暮れなづむ無人の塩郷駅のホームでパチリ。 

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帰りの電車ではふたりとも、ぐっすり。 

独り旅が、名前も聞かなかった彼女と一緒の楽しい旅になった。

2018年11月22日 (木)

スマホ依存症

先月聴いたNHKラジオの実践ビジネス英語講座のテーマは6回続けて「スマホ依存症」

以下、主なる会話(数字はアメリカのもの)

「スマホ依存症は薬物、アルコール、ニコチン依存ほど深刻ではないものの、非常に

大きな問題」

「多くの親は自分の子供はスマホ依存症かもしれないと心配していて、親にできることが

あれば、それは何かと思っている」

「親たちはスマホは子供と容易に連絡がとれる安全面での利点は認め、限りない

豊かな情報を備えたインターネットにアクセスでき、スマホがすばらしい学習ツールに

なりえることもわかっている」

「問題は、適切な使用と乱用の違いを判断することが子供たちには難しいこと。

それに取り残されることの恐怖から、通知メッセージに絶えず反応する循環に陥って

いること」

「スマホに費やす時間を増やすために、嘘をついたり、隠れたり、家庭内のルールを

守らなかったりするのも危険信号」

「調査によると、大人は1日平均80回余り、自分の携帯をチェックしている。

若いミレニアル世代はその倍近く」

「スマホ依存を絶つ1つの方法は、スマホの画面をモノクロだけで表現する

グレースケールに設定すること。色がついていなければ、あまり引き付けられない」

「電話やメッセージにはそんなにすぐには返事できないかもしれない」と友人、家族に

伝えておくのもいい考え」

「夜最後に見るものと、朝最初に見るものをスマホ以外にするよう気をつけている」

ボクは自分がスマホ依存とは考えたことがない。

とは言え、返事をしないとと思う手前、メールや電話があったのではないかということは

気になる。

皆さん、どうですか?

2018年11月14日 (水)

詐欺ハガキ

1週間くらい前、カミサン宛てに「総合消費料金未納分訴訟最終通知書」と書かれた

ハガキが届いた。

ハガキの書き出しは

 「貴方の未納されました総合消費料金について、契約会社及び、運営会社から

  訴状申し入れされたことを本状にて報告いたします」

以下、続けて、

 「下記に設けられた、裁判取り下げ最終期日までにご連絡無き場合、管轄裁判所から

  裁判日程を決定する呼び出し状が発行され、記載記述に指定の裁判所に出廷

  となります」

 「尚、裁判を欠席されると相手方の言い分通りの判決が出され、執行官立ち合いのもと

  あなたの給料、財産の差し押さえ等の恐れがございますので、十分ご注意ください」

締めくくりで、

 「民事訴訟及び、裁判取り下げ等のご相談に関しましては当センターにて承って

  おりますので、下記窓口へお問い合わせください」

最後に、

 「民事訴訟管理センター 東京都千代田区霞が関3丁目1番7号 消費者相談窓口

   電話03-XXXX-XXXX」

カミサンがハガキを見て、即アイパッドで住所と民事訴訟管理センターなるものを検索。

で、「住所もそんなセンターもない、ゼッタイ電話しないで、警察に届けて!」と。

ハガキを持って警察に行ったら「届きましたか。最近横須賀にたくさん送ってきています。

もちろん電話しないように。全国の学校の卒業名簿がヤミで売られており、それを使って

ハガキを送っているようです」

くれぐれもご注意あれ。

こんな悪党根絶はできないものの、無視し反応しないことで連中の実入りは抑えられる。 

2018年11月12日 (月)

工場見学

かつての日本鋼管と川崎製鉄が合併してできた大手製鉄会社JFEの株主向け

工場見学に参加した。

株主になったきっかけは、大学の寮の1年先輩が数年前までJFEの副社長をしていた

ことが縁であった。

毎年この時期、JFEから工場見学の案内が届き、多数の応募があり、抽選となる。

数年前には川崎の臨海地区にある製鉄所を見学し、高炉ほかを観て感激した。

今回見学したのは製鉄所の近くにあるリサイクル工場。

川崎駅の近くに集合、バスで工場まで連れて行ってもらった。

元川崎製鉄の工場だった敷地は大変広い。

かつて勤めていた富士通の本社工場の数倍はありそうだった。

大きな部屋で先ず、JFEの事業、業績、目指すところほか説明を受けた。

そのあと、ペットボトルリサイクル工場へ。

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先ず、リサイクルプロセスの説明を受けた。

リサイクル後、ペットボトルは思いもしない、さまざまな製品に生まれ変わる。

例えば、背広の生地へ。

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説明を聞き、そのあと処理工程を見学。

工場に持ち込まれる前、各家庭で決められたルールに従いペットボトルが処理される

ことの必要性をあらためて痛感した。

我が家、並びに近くの家のペットボトルごみの出し方は今では徹底してきている。

外部のラベルを外し、キャップを取り、分別することにより、プラスティックごみの

リサイクル工程がいかに効率化されるかを知った。

次に見学したのは電化製品のリサイクル工場。

冷蔵庫、洗濯機、クーラーの処理過程の説明を受けた。

人手と解体する機械の組み合わせで、再利用する部分、破棄される部分の処分が

効率よく行われ、95%がリサイクルされると聴き、その効率のすばらしさに驚いた。

大変興味深い見学が体験できたとともに、企業の技術、行政の指導、各家庭のゴミ処理に

対する規律、これらが一気通貫で実現される所産であると感じた工場見学であった。


2018年11月 9日 (金)

喪中挨拶状

大学時代の仲間のKくんから奥様のSさんが6月に亡くなったとの喪中挨拶状が届いた。 

Kくんと初めて会ったのは、大学の教養課程時代に姫路の寮で同宿だった、57年前。 

姫路の寮で共に1年半過ごしたあと、寮生は全員、神戸の専門課程に進んだ。 

Kくんとは神戸でも同じ下宿に住んだ。 

この下宿は男4人で2間の一軒家を借りていた。 

Kくんと奥さんのSさんは学部は違ったが姫路の教養課程時代からのお付き合い。 

神戸に移ってからもSさんが時々我々の下宿に訪ねてきていた。 

男4人のところに訪ねてくるので、Sさんは毎回遠慮しながら来て、玄関の扉を開けて 

しばらく立ったまま、声を出さなかった。 

そのうち誰かが気づき、「おい、Sさんが来てるよ」とKくんに声をかけ、Kくんが玄関に 

出ていき、ふたりで出かけて行くということが続いた。 

電話がないので、Sさんにしてみれば、Kくんに会うためにはこれしか方法がなかった。 

卒業後、ふたりがいつ結婚したのかは覚えていない。 

そのようなご夫婦の奥さんのSさんが6月に亡くなられたとの報せ。 

Sさんは長い間難病のパーキンソン病を患われていた。 

パーキンソン病は難病であるだけでなく、四六時中見守り、面倒をみる必要があり 

介護者も大変な病である。 

Kくんはずっと献身的にSさんの介護を続けてきて、看護、介護がいかに大変か 

目が離せないか、何度かKくんから話を聞いたことがある。 

年に4回やっている大学の寮の仲間の懇親会にも出席できなくなって久しい。 

喪中の挨拶状は、そのKくんからSさんの訃報を知らせるものだった。 

たまたま今日見たネットニュースで「京都大学で、iPS細胞から神経の細胞を作り、 

パーキンソン病の患者の脳に移植する臨床試験が世界で初めて行われた。 

術後の患者は手術前と同様に会話や歩行ができるなど経過良好とのこと。 

京大では7人の患者への移植を計画しており、募集を続けている」とのこと。 

ニュースを見てすぐ思った。 

「Sさんがもうちょっと頑張っていることができていたなら、iPS細胞移植の恩恵に 

与れたのではないか」と。 

Sさんのご冥福を心からお祈りするとともに、Kくんの喪中挨拶状に、心を込めた 

返事を書かせていただこうと思っている。 

あわせて、「また懇親会に出てきてよ」と書いて。

2018年11月 6日 (火)

シンポジウム「ぼくたちが見た戦場のリアル」

ベテランズ・フォー・ピース(平和を求める元軍人の会)でベトナム・イラクからのアメリカ人 

帰還兵ふたりの話を聴きに行った。 

ふたりの元アメリカ兵は日本の何カ所かを回り、自ら戦場で経験したこと、戦争の非情さを

訴え続け、米海軍基地のある横須賀をそのツアーの最後に選んだ。 

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最初のスピーカーは72歳のベトナム戦争帰還兵、マイク・ヘイスティ。
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敵味方で殺し合う残虐な戦場で体験したことを通し、長い間積み重ねてきた価値観が

いかにもろく崩壊していったか、その様が如実に語られた。

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次いで、スピーカーはイラク戦争帰還兵、ネイサン・ルイス。

ネイサンはマイクよりずっと若く、40歳くらい。

マイクとは戦争を体験した時代、世界情勢、受けた教育、いろいろ違いがある中

「米国の軍国主義と帝国主義」の主題で、自分には異常と思えたアメリカの覇権主義が

学校で受けた教育含め語られた。

ふたりの話はそれぞれ30分くらい。

戦場での実体験ならびに自分の思いがしっかり語られた感動的な話だった。

ふたりの話の根底に流れるのは、戦争忌避に対する強い思い。

左の女性の通訳もすばらしかった。

定年後、さまざまなシンポジウムや講演を聴いてきたが、その中でもベストだった。

2018年11月 3日 (土)

灯台記念日

11月1日は灯台記念日であることをネットニュースで知って、一昨日夕方急に思い立って

久しぶりに近くにある観音埼灯台に行ってきた。

我が家から車で10分くらい、子供が小さかったころは何度も行ったことがある。

場所は三浦半島の先端、観音崎公園の一角にある。

海のそば、緑が深い公園を歩き、

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坂道の階段を登り、灯台へ。

入口の掲示板を見て、改めて観音埼灯台の由緒を。

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入場料100円を払い、しばらく受付けの女性とおしゃべり。

以前来ていたころは右に見える官舎に灯台守のご家族が居住されていた。

今は閉門したあとは誰もいなく、通勤しているとのこと。

話していて、映画「喜びも悲しみも幾年月」が話題になった。

若い人は知らないであろうが、木下恵介監督作品で佐田啓二と高峰秀子夫婦が

灯台守で全国あちこちの灯台を巡り、まさに「喜びも悲しみも幾年月」を描いた映画。

ネットで検索すると1957年の作品とのこと。

ボクが中学生だったころ。当時の我が家で家族で映画を観に行った記憶はほとんど

ないが、「喜びも悲しみも幾年月」は両親が子供たち3人を連れて観に行ったことを

覚えている。

映画の中で流れた歌詞は今でも口ずさむことができる。

今度、TSUTAYAに行ったときDVDを借りてこよう。

観音崎灯台の初めての点灯日は明治2年1月1日。

日本で最初にできた洋式灯台。

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灯台の中は急な螺旋階段で手すりをつかんで登らないと怖い。

階段の途中には全国の灯台のすべての写真が掲示されていた。

灯台の上からは浦賀水道をはさんだ対岸の房総半島が臨める。

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この時期は4時で閉館。最後の客になった。

あらためて思った。

観音崎公園は散策には最高の公園。

我が家の近くの歩きに飽きたときは観音崎公園に来ようと。

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