2020年10月24日 (土)

熱海で2泊したあと ①

新幹線で大阪に移動。

大阪で知り合いの民事裁判傍聴。

交通事故でお嬢さんを亡くされたKさんの第1回控訴審。

Kさんの裁判は一審も傍聴したことがあり、Kさんは一審の判決を不服とし控訴。

新大阪から乗ったタクシーが渋滞にはまり、大阪高裁に着いて法廷に行ったら

控訴審裁判は終わっていた。

Kさんに会い、遅れたことを詫び、ご家族3人とお昼をご一緒した。

行ったお店は、以前Kさんの一審裁判を傍聴したあと食事した堂島川沿いの同じ店。

法廷での様子を聞いたあと、4人でワイワイおしゃべりしながら食事。

食事が終わったあと別れて、ボクは以前から大阪に来たら行きたいと思っていた

ところに行った。

行きたかったのは大阪の八尾市。

21歳のころだから、もう56年前、大学3~4年生のとき住んでいた町。

住んでいたのは西本化工というプラスティック成型の町工場の宿舎。

大学の掲示板で住み込み、家賃無料という掲示を見て、仲間のMくんを誘い

1年半くらい町工場の一角にあった6畳一間の部屋に住み込み。

タダだったには訳があった。

朝従業員が出勤する前に工場のボイラーに火をつけることが仕事だった。

6時、M君と交代で起きて、油に浸した軍手に火をつけ、ボイラーに投げ込み、ボイラーの

点灯を確認するのが仕事だった。

これで、ふたり、部屋はタダ。

だが、問題は大学までの通学時間。

八尾駅まで10分くらい歩き、電車に乗り、六甲道の駅からバスに乗り、大学までは

2時間以上かかった。

当然、大学に行く回数は減り、後半はゼミと試験のときくらいとなったが

何とかふたりとも4年で卒業できた。

そんな思い出多い、八尾、一度どうして行きたくて、この機会を逃してはと思い

裁判を傍聴したあと八尾まで電車に乗って行った。

あとは、西本化工があるかどうか。

55年前の記憶、唯一の頼みは西本化工のすぐ近くにあった八尾高校。

駅を降り、駅前、周辺は当然のことながらまったく様変わり。

交番に行き、八尾高校までの道を聞いた。

教えてもらった川沿いの道を八尾高校まで歩いた。

一帯はもちろんのこと、八尾高校も完全に様変わり。面影はまったくなし。

八尾高校のそばにあった西本化工らしき町工場も見当たらず。

事前に「八尾市 西本化工」でネット検索し、ヒットしなかったのでダメかなと

思ってはいたものの、やはり八尾高校の近くに西本化工はなく、八尾高校も

当時の面影はなかった。

「当然だろうなぁ」と納得し、八尾駅まで戻り、新大阪駅まで行き、この日泊る

岡山の妹宅に行くため新幹線に乗った。

「だめだろう」と思いながらも行った八尾、残念ではあったが、これで得心した。

2020年10月21日 (水)

久しぶりに熱海へ

昨夜から熱海のマンションに来ている。

熱海に来たのは7月以来。

ここにマンションを買ったのは95年12月。

買おうと思い立ったきっかけは、新聞の広告。

我が家はこの年95年3月に息子が大学を卒業し就職した。

就職し3か月後の7月、仕事中、無謀運転のトラックが息子の運転していたバイクに

突っ込んできて、息子は亡くなった。

我が家は、突然どん底に突き落とされた。

特にカミさんはもう立ち直れないのでないかと思うほど心身ともに大変な状態に陥った。

何とかしなければと思い、見つけたのが我が家にあったこのマンションの新聞広告。

息子が就職して間もないころ「うちもこんなの買わない」と言ったものの言下に

「縁がないよ、こんなマンション」と言ったが、新聞広告は引き出しに入れておいた。

毎日カミさんの厳しい状態を見ていて、何とかしなければと思い、この新聞広告を出してきて

「豪が言ってた、このマンション観に行ってみない」と話し、95年12月半ば過ぎていた時期に

ふたりとも縁もゆかりもなかった熱海に初めてきた。

今でもはっきり覚えている。

内覧し説明を聞き、最寄りの来宮駅まで歩き、駅の前から見た暮れなずむ熱海の夜景。

「思い切って買おうか」と切り出したボクに、その場でカミさんがどう反応したかは覚えていない。

今でも、来宮駅の前に行くと必ずその時見た夜景と短かい会話をしたことを思い出す。

「あの子が買おうよ」と言ったマンション、思い切って買おうよとふたりの思いが合うまで

そんなに時間はかからなかった。

このようなきっかけで購入したマンション。

あれから、25年になる。

もともとはリゾート用に建てられた85戸のマンションだが、入居したころ知り合った人たちも歳を重ね

売却した人もいて、そのあと地元の人たちも入り、入居者の雰囲気はいくぶん変わってきた気がする。

25年の間にいろいろあった。

定年退職したのは2004年。

退職する前は毎週のように金曜日会社から帰ったら、夜遅く車で家を出て、2時間かけて

夜中に熱海に来て、日曜日の夜、とんぼ返りで横須賀に戻るという週末が続いた。

が、今ではカミさんはほとんど来ることはない。年に1回くらいか。

ボクも数カ月に1度。

来れば、食事を作らないとダメだし、横須賀では日々それなりにやることがあるので

どうしても足が遠のく。

来れば、温泉は夜中まで入れるし、12.5mの短いプールや運動できる施設もいろいろあるし、

古くから知った仲間もいるし・・ではあるものの、2時間かけて来るとなると少々億劫。

居をかまえて25年の間にいろいろあった。

3年間マンションの理事をやったあと請われて1年理事長をやった。

今は亡くなったが、縁あって知り合った市内の旅館のオーナーであった方を通し熱海市の市会議員の

方々とも知り合いになり、一時期議会の定例会議の傍聴に合わせ来ていたこともあった。

また市長の齋藤さんともお近付きになり、我が家のベランダでやったバーベキューにも来ていただいた

ことがある。

そんな縁の深い熱海であるが最近は足が向くことが少なくなった。

今回は明日、知り合いの裁判を大阪で傍聴する予定があるため3カ月ぶりに来た次第。

2020年10月13日 (火)

積年の思い、やっと思いが叶いそう

1ヵ月前に書いたブログ「今度こそ、思いを遂げたい」で横須賀市議会の

犯罪被害者基本条例検討協議会で意見を述べたことを書いた。

その後、進展があり、昨日、最後の協議会を傍聴した。

傍聴者はふたり。

まあ、一般の人たちにはほとんど興味のない話なので、しかたない。

昨日は4回目の協議会だった。

9月18日の協議会でボクが発言したあと、この1カ月の間に3人の被害者遺族が

日を替え発言された。

この3人の方々は、事務局から「適切な方を3名紹介していただけないか」との

要請があり、神奈川県在住の知り合いの3名の方々にご無理を言い、お願いした。

3名の内おふたりは交通事故で息子さんを亡くされたご遺族のお母さん。

おひとりは20年前、お嬢さんを暴漢による殺人事件で亡くされたお父さん。

ボクのあとKさん、Wさん、Hさんの順で今月3人が発言してくださった。

毎回、傍聴させていただいた。

3人の方々皆さん、ご自分の体験をお話になり、犯罪被害者支援条例に対する

思いを語って下さった。

条例制定という観点からは、先輩市である茅ヶ崎市役所から来られた方が茅ヶ崎市の

条例についてお話してくださった。

あらかじめ、参加議員10名に茅ヶ崎市の条例が配布されていて、各自読んでいて、

来年3月までに自らが条例を制定するのだとの意識でたくさん質問が出て、昨日の協議会は

議論が白熱した。

茅ヶ崎市には協議会の委員長を務めた青木議員と一緒に3年くらい前お邪魔し色々教えを

乞うたことがある。

横須賀市に条例ができた暁には、今後茅ヶ崎市ともいろいろ連携が取れることだろう。

次回は、強姦、殺人未遂の被害者の方、後日の協議会では市内の保険福祉大学から先生を招聘し

話していただくとも聞いている。

議会の関係者は被害者だけでなく幅広い層の方々から話を聴き、既に犯罪被害者支援条例つくりで

先行している他市に優るとも劣らない犯罪被害者の視点に立った条例が作られることを願っている。

ゼッタイに40万都市横須賀には犯罪被害者支援条例が必要であるとの強い信念のもと動きはじめて

5年が経った。

議会の生活環境常任委員会で条例制定の必要性を訴えたのは5年前の12月

これが出発点だった。議員、議会の反応はあまりなかった。

次にやったのは、3年前、17年10月、市長への直訴

昨日、帰宅する電車に乗ったとき、やっとここまで来たとの思いがわいてきた。

議員たちの掲げる条例制定の目標時期は来年3月。

横須賀市で条例が出来れば、神奈川県では茅ヶ崎市、横浜市に次いで3市目となる。

道は遠かったが、今度こそは何としても、との思いを一層強くした。

2020年10月10日 (土)

「友達は何のために」

これ、自分で考えたテーマじゃない。

定年退職直後から、もう16年、他の予定とぶつからない限り、週4日聴いている

NHKラジオの実践ビジネス英語の先月のテーマだった。

講座は冒頭、会話は「死ぬときに人が後悔することの上位5つは?」からスタートした。

ひとりが答えて「オフィスでもっと長い時間を過ごせばよかったは、きっと上位の5つには

入っていなかったでしょうね」との問いかけに「入っていません」

「古い友人たちともっと連絡を取っておけばよかった」と会話は続き、あとは親しい友人を

持つことの大切さをメンバー全員が語り合った。

自分のことを考えてみた。

先ず、小中高から今でも交流が続いている仲間は年賀状のやりとり以外でどれくらいるだろうか。

大学の仲間はどうか?会社の仲間は?退職してからの仲間は?

大学の仲間は寮で一緒に青春時代を過ごした仲間たち、こちらは今でも定期的に飲み会を

やっているし、メルアドもわかっているのでOK

郷里の倉敷で小中学校を過ごした仲間は疎遠になって久しい。

数年前に地元の仲間がやってくれた同窓会で会って以来、連絡を取ることはほとんどない。

高校時代の仲間は、時々東京で集まっているので、それなりにOK

職場が一緒だった仲間、今は集まる機会が少なくなったが、一番最近の仲間なので大丈夫。

あとはと考えてみると、テニスクラブの仲間、NPOやオンブズマン活動の仲間は、ちゃんと

つながっている。

他は会う機会はほとんどないネットでつながっている仲間。

ネットのおかげで昔と比べれば格段に恵まれている。

あらためて、こうして考えてみると、英語講座の主題だった「友達は何のため」については

それなりに恵まれている、と平素考えたことのないテーマに合点した。

2020年10月 4日 (日)

これが最後

定年直後に買った車、プリウスを買い換えた。

16年乗って、走行距離は3万キロ少々。

遠出するわけじゃない、スーパーへ買い物とテニスコートの往復くらい。

車の運転は、そもそもあまり好きじゃない。電車が楽。

さりとて、車がないと不便を感じる。

この車が間違いなく最後と言い、長い付き合いのあるトヨタのSさんから購入。

買った車はパッソ。

プリウスより一回り小さく、扱いやすく、年寄りには向いている。

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パッソを無事故、無違反で乗り、車は終わりにしようと思っている。

そうなれば、40年通っているテニスコート行きも終わり。たくさんの仲間ともバイバイ。

あとは自転車。

ボールを打ちたくなれば、自転車で10分少々のところに壁打ちができるところがある。

考えてみれば、初めて乗った車は、大学3年生のときオヤジが3万円で買ってくれた

ポンコツのダイハツ。

大学に入ってやりたかったことのトップは運転免許の取得だった。

買ってもらった車で、夏休み幼馴染のタケシさんとカッチャンを誘い、神戸の下宿まで

行ったのを思い出す。

倉敷の町を出た直後、百舌鳥が花の国道の坂道で停まり、動かず、2人が降りて押して

何とか動き出した。

その後も何度もエンコし、押しの連続で、最も大変だったのは姫路の町中の国道2号線で

停まったとき。

だましだまし、最後は神戸の下宿に何とかたどり着き、銭湯へ。

真っ赤に日焼けしていて風呂で「ぼっけい、はしるのー(岡山弁で激しくヒリヒリする)」と

大きな声で言ったのを今でも覚えている。

60年前、岡山県には自動車学校はここだけというころ、オヤジに頼み、お金を出してもらい

夏休みに通わせてもらった。

倉敷から汽車に乗り岡山駅まで行き、自動車学校のバスに1時間くらい乗り1カ月近く通った。

それ以前、岡山県には自動車学校はなかった。

その当時は通っていた中学校の校庭で、学校が休みの日に運転免許実技試験が行われていた。

校庭に車幅少々のロープを張った仮設の道を走り、ロープを踏まないで走ると免許がもらえた

良き時代だった。

道路を走る車は少なく、これで大丈夫だったのだろう。

あれから、60年。

まさに隔世の感。

2020年10月 2日 (金)

昨日の重大な事故

毎週金曜日午後、近くの市の施設でやってる25人くらいの高齢者が集まる運動に今日も参加。
1時から4時まで3時間、休むことなく、毎週楽しみに通っている。
 
同じテーブルの男女6人とも仲良くなった。
 
そのうちのひとり、となりの席の仲間が「富士通、大変でしたね」と。
 
もちろんすぐ、昨日起きた東京証券取引所のシステム傷害のことだとわかった。
 
昨日ニュースを聴いて即思ったのは、東証にシステムを納めて長い富士通の機器の不具合で
起きた事故ではないのだろうか。
抱いた悪い予感は的中。
 
昨日一緒にニュースを観ていたカミさん「あなた定年して何年になるの。いまだに富士通、
富士通と言ってるのはおかしいじゃないの」
いやー、そんなもんじゃないと思うものの、何も反論せず。
 
99年、東証が取引をシステム化して以降、初めて全銘柄の株式の売買が終日停止の大事件。
 
聞いたとき即思ったのは、運用システムの問題であればいいが・・・
ところが最悪、納入した機器の故障が原因。
ハードウエアの納入業者としては、まったく申立てがたたない。
 
幸い、今朝9時から取引は再開。
故障したハードウエア機器を取り替えたのだろう。
 
機器を納入し、機器の保守責任のある業者として、責任を取り、東証から遺失した損出の補償、
社会的責任を問われることは間違いない。
 
今日の株価下落が大いに気になったが、思ったほどの値下がりはなく、その点、少し安堵した。
 
会社にとって大変な教訓になったことだろう。
 
社会的責任を全社挙げて一層肝に銘じ、災い転じて、2度と同じことは起こさないとの強い覚悟で
臨んで欲しいと、退職し16年経った先輩のひとりとして、切に願ってやまない。

2020年9月27日 (日)

テレビを観て思い出した ①

東大駒場寮にまつわる番組をテレビでやっていて、大学に入学したあと1年半過ごした

寮生活を思い出した。

昨夜何を食べたか思い出せないのに、60年前のことを思い出せる人間の脳は不思議。

18歳、入った大学は神戸大学経済学部。

18歳の4月に入学、教養課程を1年半、姫路の寮で過ごした。

寮は2階建て、6寮まであり、一部屋1階は3人、2階は5~6人部屋だった。

名前のABC順に1階1室から割り振られ、Hのボクは最初は1階3室だった。

どういうわけか、しばらししたら2階の9室に移動させられた。

人が多い分、1階より2階は元気があり、これが寮生活を一層楽しいものにしてくれた。

前置きはこれくらいにして寮生活の話を。

寮は学校の敷地内にあった。

冬は部屋から歩いて数分の教室まで寝巻の上に丹前をはおって、つっかけ履きで行っていた。

良き時代であった。

寮費は寝て、朝、晩食べて月3千円。

貧しかった我が家はおふくろが「幼稚園より安い」と喜んでいたのを思い出す。

今でも当時の仲間たちと年4回、日比谷にある大学のクラブで旧交をあたためている。

当然、毎回当時の話で盛り上がり、80前になった皆、寮時代の話をよく覚えている。

「お前は、ああだった、こうだった」と本人が覚えていない話もしばしば出る。

寮は、旧制高校の寮をそのまま建替えることなく使い、汚かった。

特に風呂は湯を毎日代えないため、汚かったが、こんなものかと思い、毎日入っていた。

メシもまずかった。

覚えているのは、皆でぞうりと呼んでいた魚のフライ。

ぞうりはよく出てた。

まあ、家でもろくなもの食べてなかったので、文句はなかった。

2階の住人はトイレに行くのが面倒で窓からたれションしていて、2階に移ってよかったと思った。

トイレにはこんな話もあった。

トイレで首つり自殺した学生がいて、便意を催しても夜は怖くて行けなく我慢していたことを

思い出す。

長くなりそうなので、①はこのあたりで。

2020年9月25日 (金)

裁判傍聴、そのあと懐かしいところへ

昨日、民事裁判を傍聴するため、立川地裁に行った。

いやー、横須賀から立川遠い。2時間ちょいかかった。

幼い息子さんを交通事故で亡くした女性のSさん。Sさんはフェイスブックの仲間。

Sさんに初めて会ったのは去年秋。

桐生で開催された「生命のメッセージ展」で1泊した朝、ホテルの朝食が同じテーブルだったご縁。

お母さんが7月に急死され、悲しみの癒えないSさん。

昨日の息子さんの裁判は2回目。

裁判そのものは、大した進展はなかった。

前日、加害者側から届いた答弁書に対する言及もなし。

まあ、死亡交通事故の民事裁判の一般的な進行。

この先、被告本人尋問、それを受けて原告本人尋問がある予定。

次回はこのふたつの尋問に合わせ、立川地裁へ行く予定。

終わったあと、集まった人たちでわいわい言いながらファミレスでお昼を食べた。

食事をしたあと、南武線に乗って、帰る途中、寄りたいところがあり、中野島駅で下車。

中野島に住んでいたのは結婚直後。50年前。

当時の田舎の駅はモダンな駅に様変わりしていた。

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中野島駅で途中下車したのは、結婚当時住んでいた借り上げ社宅を見に行きたくて。

社宅までは歩いて10分足らず。

周りの風景はあまり変わっていなく、問題なく、かつての借り上げ社宅まで行けた。

建て替えはされたのであろうが、外から見た雰囲気は変わっていない。

写真を撮り忘れたことに電車に乗ってから気づき、残念。

2階建てのどこにでもあるようなアパート風な建屋。

懐かしい近くをブラブラ歩いた。

1DKだったが、新婚夫婦には新築の部屋で、文句はなかった。

キッチンの横にダイニングテーブルを置いて食事して、寝るのは一間の6畳。

風呂もついていたし、ボク、28歳、カミサン、24歳、若いふたりには文句なかった。

50年前、住んでいたところを外から見ることができ、感激。

ここに数年住んで、何度か申し込みして当たった東京板橋区の賃貸公団住宅の2DKに

住めたときには、1部屋増え、その広さに感激した。

この公団住宅に移ったのは72年。

74~77年まで駐在でシドニーに移り住み、その間は会社の仲間が借りてくれていた。

帰国した翌年、子供たちが小学校、幼稚園に入る歳になり、カミさんが新聞広告で見つけた

横須賀のこの家を購入し移り住み、42年が過ぎた。

1DKの借上げ社宅→2DKの賃貸公団住宅→3年間のシドニー駐在→賃貸公団住宅に戻り、

78年、カミさんが新聞で見つけた、横須賀のこの家に移り住んだ。

もう引越しは死ぬまでしない。

ここには墓があるし、たくさんの仲間がいる。

間違いなく、ここが終焉の地になる。

2020年9月21日 (月)

サプライズ

毎日が日曜日の身には今日が休日かどうかは無縁。

「そうか、今日は敬老の日なんだ」と思ったことがふたつあった。

先ず、お昼前、ピンポン、誰だろうと思い出てみると、となりのトラムと子供たち。

「おめでとうございます」と渡されたのが↓

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それとうれしいのは、5歳の息子キーガン筆頭に書いてくれた家族からの敬老の日カード

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訪ねてきてくれたのは、そうだったのかと気づく。

カードの表は横須賀のベースの知り合いの日本人に頼んで書いてもらったのだろう。

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「よし、写真撮ろう!」と言い、撮ったキーガンとオースティン

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玄関で、もう1枚

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先日、箱根に家族旅行で行ったとき「TakとHisakoにお土産買って帰ろう」ということに

なったのだろう、うれしい!!

カミサンに「お返し、どうしよう」と言ったら、すかさず「来月31日、ハロウイーンだから

ちょうどいいんじゃないの」

となり、何代にも渡ってベースに勤めるアメリカ人家族が住み、それぞれの家族と交流してきたが

敬老の日にこんなすばらしい気配りをしてくれた家族は初めて。

午後は蒲田に住む娘と孫娘たちふたりがスマフォの家族メッセンジャーに電話してきてくれ

「敬老の日、おめでとう!」

孫たちからは、学校のこと、好きな男の子のことちょっと、娘からは、お隣に住むNさんのこと。

亡くなられたNさんは、かつての上司で、40数年前、課長試験を受けたときの上司でお世話になった。

いろいろあった一日だった。

2020年9月18日 (金)

今度こそ思いを遂げたい(その2)

先日書いたブログで横須賀市議会の犯罪被害者基本条例検討協議会で意見を述べることを

求められていると書いた。

今日午後、協議会に出席し、意見を述べてきた。

ちょうど今日は午後東京から娘が横須賀に来る予定になっていて、朝カミさんに

「傍聴しない?」と声をかけたが「いいよ」と断られ、ひとりで市役所へ。

協議会は13時15分スタート。

議会事務局に行き、メールのやりとりをしていた職員に声をかけ、会議室に案内してもらった。

定刻開始。

議長は懇意な青木議員。協議会メンバー議員は7人、うち女性2人。4人は知っている議員。

提出し配布済みの1枚の資料は全議員既に読んでいて説明する必要はなく、補足で諸々

話すことからスタート。

95年に加害者の過失により起きた事故のあらましの説明からはじまり、23歳で無念の死を

遂げた息子のこと、結婚するだろうと思われていた女性がいたこと、家族が悲しみのどん底に

突き落とされたこと、

母親であった女房の悲嘆、そんな状況の中でも会社を休むことができなかったこと、

不誠実極まりない加害者、95年当時、交通死亡事故の多くを検察が不起訴処分にしたこと、

検察審査会に異議申し立てしたこと、当時不起訴処分が多発したことを久米宏の

報道ステーションが取り上げ、2度事故現場でやったトラックとバイクを使った事故検証実験を

テレビで放映してくれたこと、

「全国交通事故遺族の会」「犯罪被害者支援団体ハートバンド」に入り様々な活動をしてきた

ことなどを話した。

加えて、横須賀では5年前に市議会生活環境常任委員会で陳述、3年前には市長に面談し、

犯罪被害者支援条例の制定を直訴したことも話した。

そのあと、条例制定にあたり望むこととし、以下4点を挙げた。

 ・漏れ聴いている条例制定目標時期、来年3月は死守して欲しい

 ・神奈川県では茅ヶ崎市、横浜市に次いで条例制定市の3市目になるであろうが、先行2市の

  実情をヒアリング、精査し、学ぶところ、より良いものにするところをしっかり見極めて

  欲しい。

 ・条例がカバーする犯罪被害者の対象は凶悪犯罪、交通事故犯罪に加えて、数が最も多い

  性犯罪を視野に入れること。

 ・条例制定の暁には、以下の運営母体を作り、条例の運営、推進に当たって欲しい。

  【横須賀市犯罪被害者支援協議会(仮称)】

   構成メンバーは、弁護士、警察、検察、市役所、市議、福祉団体、犯罪被害者

  目指すところ:犯罪被害者にやさしい町づくり

話し終わったあと議員からさまざまな質問、問いかけ、提案があった。

1時半から4時近くまで充実した会合となり、条例制定が進むであろう、支援協議会も

作られるであろうと思わせる2時間半であった。

ボクがトップバッターで、市議会事務局から他の被害者の方からも話を聴きたい、紹介して

欲しいと言われていて、これはと思う3人の方々(殺人事件ご遺族と交通事故ご遺族2名)に

ご協力をお願いしている。

お願いした手前、今月、来月予定されている3名の方々のお話は傍聴させていただく

予定にしている。

あとは3月条例制定、そのあと犯罪被害者支援協議会の運営に向けて力を注いでいく。

これが実現すれば、5年超しの積年の思い「犯罪被害者支援条例」およびフォローアップの

仕組みは出来上がる。

2020年9月14日 (月)

今度こそ、思いを遂げたい


今週金曜日、横須賀市議会の犯罪被害者基本条例検討協議会で意見を述べることを求められていて、
やらなければと思いつつも手がつかず、午後やっと資料を作成し、市議会の議会事務局に
メールで送った。

40万人都市の横須賀、ゼッタイ必要との5年越しの思いで追っかけてきた積年のテーマ、
今度こそ結実させたい。

意見の中で、条例制定に終わることなく、フォローアップする仕組みを作ることも求めた。

10数名の議員が集まる18日金曜日午後の犯罪被害者基本条例検討協議会では思いの丈をぶつけ、
全体を思う方向に導いていけたらと思っている。

結果は後日報告します。

2020年9月13日 (日)

近所を散歩

定年退職して16年。

変化やエキサイティングなことは起きない。

まあ、それがハピーなんだろうけど。

連日のように、ラジオを聴きながら、家の近くを歩いている。

毎日歩いても飽きがこなく、いろいろ発見があり楽しい。

昨日も、うちから数分の中央公園からスタート。

40年経ち、木々は大きくなり、ホッとする景色。

いつ行っても、人はほとんどいない。

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通称 ”赤い道”

今や赤い道とは言えないくらい色あせた。

夏も終わり、あちこちにさるすべり。

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住宅街の中を通り抜けている赤い道は端から端まで500mくらい。

突き当りに公園があり、右に曲がって5分くらいで我が家の墓があるお寺、浄林寺。

海岸を歩こうと思い、左に曲がり、数分で海に。

海は荒れ気味、波が少々高かった。

天気が良ければ、左方向の羽田から飛び立つ飛行機が見える。

昨日は釣り人はいなく、歩いている人もほとんどいなかった。

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このまま、まっすぐ海岸遊歩道を進めば10分少々で我が家。

スマフォの歩数、8200歩。

だいたい、こんなもの。

毎日のように同じルートを歩いているが、飽きはこない。

歩きはいいと思い、カミさんを誘っていたこともあったが、乗ってこず、ひとりで気ままに。

2020年9月10日 (木)

娘と夫婦3人で

娘が久しぶりに東京から横須賀に来てくれた。

カミさん、約束の待ち合わせ時間のしばらく前に「先に行くね。遅れないで」と言い

出かけ、ボクはしばらくあと、待ち合わせしたショッピングセンターへ。

駅まで行く途中、ブーゲンビリアが真っ盛り。

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駅に着いたら駅前のショッピングセンターの名前が変わっていた。

COASKA Bayside Stories

格好つけすぎじゃないのと思った。

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娘とカミさんとレストラン フロアで会い、すぐフードコートへ。

各自注文。カミさん、各自注文したもの覚えてた。

ハンバーグ、ローストビーフ丼、長崎チャンポン

食べながら、専ら聴く話は孫たちふたりの近況。

高1の姉孫の部活、吹奏楽の話、中1の妹孫の部活、チアダンスの話など。

スマフォに録画していたチアダンスを見せてくれて、夫婦それぞれのスマフォに

送ってくれたので、好きなときに観える。

お土産にと言い、先日ブックオフで買った、さくらももこ著「ひとりずもう」を渡し

「まだ読んでないので、4人で読み終わったら返してね」

2時間近くワイワイおしゃべりしたあと、我が家に寄った。

家では娘が西友のネットショッピングの登録をiPadでやってくれた。

これでボクは週2回の買い物から放免されて大成功。

娘はお茶を飲んだあと「帰らなきゃ」と言い、帰って行った。

毎日変化の乏しい老夫婦宅に久しぶりに笑い声が。

2020年9月 9日 (水)

昨日のこと

午後、カミさんが「今夜は牛丼にしよう。吉野家に行ってきて」

吉野家はうちから歩いて10分。

吉野家に行くのであればついでにと近くを歩いた。

先ず、吉野家で牛丼ふたつ買って、久しぶりに近くのTSUTAYAへ。

特に借りたいと思っていたDVDはなかったが店内をながめ、TSUTAYAの会員証を

持ってもう一度来て借りようと思うDVD何本か目星をつけた。

そのあと、これまた久しぶりに「そうだ、海釣り公園に行って見よう」と思い

海釣り公園の方向へ。

途中、道を渡ったところにあるブックオフ、こちらもしばらく行ってないなぁと思い

ブックオフに寄った。

興味のありそうな本を2冊見つけ、買った。

佐藤愛子著「老残のたしなみ 日々是上機嫌」、さくらももこ著「ひとりずもう」

前は夫婦で読める、後は読んだあと孫たちに渡そう。

どちらもきれいで110円。ありがたい。

ブックオフのあと近くの海釣り公園へ。

公園は、残念ながら閉鎖。

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公園のそばの樹の下でやっていた年配ふたりの将棋をしばらく見ていた。

好勝負で面白かった。

この散歩コースはなかなかいい。

コロナで結局孫たちは夏休みに来なかったが、今度来たときはお勧めコース。

帰り道にあるスシローに寄って帰れば夜も大丈夫。

是非いっしょに来よう。

2020年9月 6日 (日)

「ながら運転をしないで」

週3回聴いているNHKラジオ実践ビジネス英語のテーマは2週続けて

「ながら運転をしないで」だった。

興味ある話題がいろいろ出てきた。

日本では「ながら運転」が重大な事故につながるという警告はあまり話題にならない。

免許更新時の講習会でも「ながら運転」に対する警告は聴いた記憶がない。

アメリカでは「ながら運転」は飲酒運転の何倍も重大な事故につながる可能性が

大きいとの観点から、運転中のスマフォ操作などに対しては注意を呼びかける

啓発活動を行っている。

「ながら運転」防止のスローガンもいろいろあるようだ。

例えば、”Texting and Driving:A Grave mistake" 

Textingは多くの事故の原因になっている運転中のメール操作を指す。

形容詞の「重大な」と名詞の「墓場」2つの意味を持つGraveという語を使って

「ながら運転」は死に直結するとの強いメッセージを打ち出している。

このスローガンの背景には、運転中のスマフォ操作が事故に結びついたケースが

後を絶たないためである。

州によってはハンズフリーの機能を使って携帯電話で会話することも禁じている。

国家安全局は"Just Drive"と呼ぶキャンペーンも行っている。

カーナビ機器を使ったり、カーエアコンの温度調整をしたり、地図を見ながらの運転等が

運転者の注意を散漫にさせる原因になると警告している。

アメリカだけじゃない、日本ももっともっと啓発活動をしなければとの思いを強くした。

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