2019年2月19日 (火)

熱海にて ②

何故、熱海に居を構えたかについて。

このマンションを購入したのは23年前、95年の12月。

95年は我が家にとって大変な年だった。

この年、3月に大学を卒業した息子は4月に就職。

これでやっとと思っていた矢先、就職した3か月後、息子は交通事故で亡くなった。

乗っていたバイクに前方不注視、無謀運転の2トン積みのトラックが突っ込んできて

起きた事故だった。

我が家は全員、茫然、自失、一瞬で悲しみのどん底に突き落とされた。

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ボクは昼間は会社に行けば、その間いくぶんかは心がまぎれた。

家で四六時中、亡き息子と向き合っている女房は最大のピンチ。

このままではヤバイ、何とかしなければという気持ちになった。

そのとき思い出したのが、ある新聞記事の広告だった。

4月に働きはじめた息子は、すぐ日経新聞の購読をしたいと言い、購読をはじめた。

新聞の広告を見て「うちもこんなの買わない?」と言い、見せてきたのが、今の熱海の

このマンションの販売広告。

こう答えたと記憶している。

「いや、うちには縁がないよ」と。とは言ったものの、この広告記事はとっておいた。

女房が大ピンチになったとき、この新聞の広告を思い出し、女房に話した。

「あの子が言ってた熱海のマンション見に行ってみない?」

販売していた住友不動産に電話して見学のアポを取った。

マンションと部屋を見て、まったく縁もゆかりもない、初めて来た熱海であったが

「決めよう」とふたりの意見は一致した。

帰りにマンションンの最寄り駅、来宮駅まで歩き、駅の前の高台から見た熱海の夜景は

今でもはっきり覚えている。

このようなことで縁ができた熱海、以来住んで24年。

ふたりで、”あの子の家”にしようとの合言葉で買うことを決めたあと、女房は家具ほかの

購入を手はじめに、家つくりに心をくだき、気持ちのはけ口となった。

この頃、毎週のように金曜日会社から帰宅したあと車を飛ばし、横須賀から熱海まで来て

2晩泊り、日曜日の夜、横須賀に帰るという日課がずっと続いた。

だが、20年以上経った最近、女房はほとんど熱海に来なくなった。

ボクは行くと言えば「どうぞ、しばらくいたら」と。

そんな経緯で居を構えた熱海、それ以来いろんな知り合いの輪が広がった。

リゾートマンションとして売り出した当初は、ほとんどの住民がリゾートとして購入し、

多くが東京、神奈川在住で、ここはセカンドハウスという人たちだった。

このような人たち多くと知り合いになった。

83戸のこのマンションの役員になった年が4度あり、1度は請われて理事長に。

また、マンションの外にも色々なきっかけで知り合いができた。

その中のひとりが市長の齊藤 栄さん。

齊藤さんは一度我が家でやったバーベキューにお招きしたこともあった。

熱海市の市会議員数人の方ともお近付きになった。

タイミングがあったとき、熱海市の市議会定例会を傍聴したことも何度もあった。

そのきっかけで、温泉旅館のオーナーで今は亡きMさんと知己になり、熱海に来る度に

旅館を訪ね、熱海の市政、議会、議員、熱海の最近の話をよく聞かせてもらった。

きっかけを作った女房は最近はほとんど熱海に来なくなった。

前回来たのは、1年前の年末年始。誘っても来ることはなくなった。

ボクも今年初めて。

大きな温泉があり冬はいいのだが、ひとりで来ると食事をつくるのが面倒で足が遠のく。

5分下れば、マックスバリューがあり、ショッピングにはまったく問題ないのだが。

食事作りが面倒なので、来たら必ずナベを作り、3度食べるのが半ば習慣になっている。

マンションのすぐそばのバス停から箱根行きのバスが出ているし、来宮駅まで行けば

伊東線に乗り伊豆半島巡りもでき、熱海まで行き東海道線に乗れば沼津方面に行き

海岸沿いからすばらしい富士山が望める。

という好条件のロケーションではあるが、横須賀でいろいろあり、なかなか「よし、熱海に

行こう」という気にならないのが実状である。

2019年2月17日 (日)

熱海にて ①

昨夜から、今年になって初めて熱海のマンションに来ている。

何故、熱海に居を構えたかについては、熱海にて ②で。

さて久しぶりに熱海に来たのは、10年以上前から地元熱海の知り合いの市来さんから

メールが届き、「ATAMI2030会議」参加のお誘いがあったことから。

会議の会場は、今朝10時から熱海郊外のMOA美術館の能楽堂。

我が家から20分少々歩いて熱海駅に行き、駅からバスに乗り、遠方に海が見える

美術館まで行った。

会場の能舞台、何度か夫婦で能を鑑賞するため来たことがある。
会場では久しぶりに熱海市長の齊藤 栄さんに会い、立ち話。

主催者の市来 広一郎さんは10年以上前、勤めていたIBMを辞め、以来熱海の町おこしの

中心人物として関わっている。

テーマはふたつ。
 
  ① トークセッション~過去、現在、未来~ 熱海リノベーションまちづくり

    ② 5人の発表者による創業プログラムの実践

聴いていて思った。

10年ほど前、熱海は財政状況で大ピンチに襲われ、夕張の次は熱海が破綻かと

言われた時期があった。

齋藤市長陣頭指揮のもと、見事に危機を乗り越え、そのころはとても考えられなかった

将来に向けての熱海の姿、ありようを考え論議する催しを市来さんが仕掛け、

この10年余の熱海を見聞きしてきた者としては大感激であった。

全体を通してのテーマは「創業・起業ムーブメント~新しい視点に立って~」

まさに我が意を得たりとの思い。

過去に書いたブログを「熱海 街おこし」をキィワードに検索したら、2006年8月に

書いたブログ甦れ!熱海が出てきた。

当時ブログに書いたことは、今でも遅くない、市来さんが仕掛けた動きに乗れると思った。

会議が終わったあと、MOA美術館を観て回った。

毎年この時期の出し物、尾形光琳の国宝紅白梅図屏風

何度観ても感激する。

美術館は国内外多数観てきたがMOAはロケーション、館内の装い、企画、作品揃え、

訪問客への対応、どれをとってもピカイチ。

午後、美術館からマンションに帰ってきたら、受付けのコンシェルジュに声をかけられ

「今日の朝日新聞の夕刊トップ記事で熱海が大きく取り上げられています」

早速、コピーしてもらった。

夕刊1面、すべて熱海。

見出しは「熱海 再び 熱い」

副見出しは「旅館・ホテル開業ラッシュ」「脱団体客、訪日客にも期待」

齋藤市長が10年前に撒いた種が見事に開花したことに大感激。

2019年2月11日 (月)

著書「さよなら、田中さん」

近くの図書館から電話があり、「予約されていた本が届きました」とのことで、取りに行き

借りてきて読んだ。

本の名前は「さよなら、田中さん」

著者は15歳の鈴木るりかさん。

るりかさんは小学4年生、5年生、6年生のとき3年連続で小学館主催の12歳文学賞

大賞を受賞した経歴の持ち主。

以前、やはり図書館で借りてきて「14歳、明日の時間割」を読んだことがある。

とっても素晴らしい出来の本だったので、沖縄にいる娘に知らせ、中1、小4の孫娘

たちも読んだそうだ。

「さよなら、田中さん」も中学生でこれほど素晴らしいストリー展開、うまい文章が

書けるのかと感心。
特に最終章は素晴らしかった。
今回もメールで娘に知らせた。孫たち、きっと読むことだろう。
15歳、伸びしろはまだまだある。
鈴木るりかさん、これからますます楽しみ。

2019年2月10日 (日)

浦賀散策、大満足

先週、横須賀シティガイド協会が主催する浦賀の神社、寺を巡るツアーに参加し、浦賀の

すばらしさを再認識した。

シティガイド協会が主催するウオーキングツアーには何度か参加したが、その中で

今回がベストだった。

浦賀は横須賀市の東部に位置し、我が家からは電車で2つ目の駅。

江戸末期、ペリーが率いた「黒船来航」で知られ、一時期は造船所があった海沿いの町。

「浦賀湊を世界文化遺産にする会」が発足し、活動がはじまっている。

もちろん浦賀は何度も行ったことがあるが、町中を説明を聞きながら歩いたのは初めて。

当日は9時半、浦賀駅に集合。参加費300円払い、20人くらいの参加者が4組に分かれ

各組にひとりガイドがついて、興味深い説明を聞きながら散策した。

訪ねたお寺5~6カ所で鏝絵(こてえ)の飾りを観た。

鏝絵は伊豆半島の松崎で観たことがあり、説明員が多くの鏝絵が残っているのは、浦賀と

松崎だと話していた。いずれの鏝絵も見事だった。

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このようなお寺もあった。

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東浦賀を散策したあと、渡船で西浦賀へ。

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船を降りたところでお昼休憩。

グループで集まり、途中コンビニで買った弁当を食べながら、遠方に見える房総を眺め

ワイワイお昼を食べた。

近くの漁港でみんなでワカメやコンブを買った。

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お昼を食べた場所が終戦直後、浦賀に引揚船が着いた場所で記念碑が建っていた。

回ったお寺、神社、10数カ所の中の2つ。

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知り合いのお墓のあるお寺にも行った。

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何度かお参りしたことがあったが、住職のお話を聞き、あらためてすばらしいお寺である

ことを知った。

ここにも鏝絵が飾られていて、立派なお庭も見せていただいた後、お墓参りをした。

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御朱印帳を持って行っていたので、寄った神社で御朱印をいただいた。

訪ねたお寺の中、東浦賀、西浦賀の叶神社はいずれも素晴らしい神社だった。

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3時過ぎ、浦賀駅まで戻り、各自帰路に。

スマフォの歩数、1万9600歩。

横須賀シティガイド協会は4月に桜を観て歩くツアーを計画しているようで、またネットで

申込もう。

2019年2月 3日 (日)

倫理観

NHKのビジネス英語講座、時間があれば、週3回15分づつ、それに土曜日3回まとめた

再放送を聴いている。

先々週、先週2週続けての話題は「倫理観」

平素あまり考えたことのないテーマ。

登場人物のひとりの女性アリスが事務所の仲間との会話で取り上げた話からストーリーは

はじまった。

そのストーリーは、乗ったタクシーの後部座席でスマートフォンを見つけたことからはじまり

倫理的ジレンマについて、皆で意見を言い合っている。

アリスはスマフォの持ち主の連絡先リストに登録されていたひとりに事の次第を話し、

持ち主に連絡して欲しい旨頼んだ。

アリスは持ち主から電話をもらい、ふたりは会うことになり、会った持ち主はスマフォが

戻ってきたことを喜び、かなりの額の謝礼金を払うことを申し出た。

アリスは、ご厚意はうれしいが、お礼のお金はいりませんと言い、申入れを断った。

このあと、仲間みんなで各自意見を言い合うというストーリー。

お金を受け取るべきだったという人、お礼は固辞すべきだという人、ふさわしい金額を

慈善活動に寄付してはと働きかけてはどうかと言う人・・・

話題は倫理観に発展していく。

職場の仲間の中にひとり日本人役がいて、彼に「日本ではどう対応するだろうか」と問う。

彼は「日本では拾得物に対しては、その金銭的価値の5~20%を受け取る法的権利が

ある」と答えた。(ボクはこのことは知らなかった)

話は発展し、日本では取引先に贈り物をする習慣があること、便益のお返しに贈り物を

することがあることも話題となった。

そこからさらに話は発展し、日本に限ることなく起きる賄賂、汚職、腐敗が話題に。

すべて倫理観にもとずく話であり、大いに興味深いやりとりだった。

テキストには対訳が出ていて、上記は対訳を参考にし書いた。

2019年1月31日 (木)

テニスクラブ総会

日曜日、この時期恒例の所属するテニスクラブの年次総会があった。

横須賀の郊外にあるクラブの名前は仲山テニスクラブ

非営利の同好会クラブ。

今回が38期総会。ということは、クラブができて、はや40年近くになる。

かつて近所に住んでた人に誘われ、ボクが入会したのは、30数年前。

掃除、修理・修繕ほか、出来る人が出来るときにやる、という皆の思いでクラブは

運営されている。

当然、メンバーそれぞれテニスの腕には差があるが、それはそれとして、ということで

わきあいあいと皆がそれぞれ楽しんでいる。

週2回は行くことにしている。
古くからの仲間は全員歳を重ねた気心の知れた、楽しい仲間たち。
行けば、ワイワイ言いながら、なかなか腕は上がらないが、毎回心地良い汗をかく。
総会は、定例の次第で進んだ。
 ・37期事業報告、活動報告、決算報告
 ・38期計画と予算
 ・会員状況:会員 108名 ジュニア会員 2名
 ・37期入会者 7名
 ・活動諸々
   -クラブ内チーム対抗戦(春・秋)
 
   -テニススクール(春・秋)
       -クラブ外活動:他テニスクラブとの親善試合、市民大会ほか各種大会へ参加
    -AEDを使った救急法講習会の実施
  ・38期運営方針
   互譲と融和」の精神を運営の柱にすえ、会員相互の親睦を図り、フェアな
   競技を心がけるとともに、品位あるクラブ活動を目指していく
 ・7年間誠心誠意務めていただいたSさんが会長を退きMさんが跡を継ぐこと決定
 ・月1回の清掃活動の皆勤者、精勤者の表彰
13時半にはじまった総会は、厳しい意見が出ることなく、2時間で終了し、参加者
満足の中、散会。

2019年1月27日 (日)

大好きな吾妻山~三島へ

1月末とは思えない陽気に誘われ、西へ。

先ず、大磯のとなりの二宮町。

二宮駅から歩いて、町はずれの吾妻山へ。

吾妻山はこの時期花が楽しめ、何度も来たことがある。

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途中、水仙を楽しみながら、小高い吾妻山へ。
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標高136メートルの吾妻山はウオーキングに格好の高さ。

二宮町在住の知り合いの女性が毎日登っていると昔言っていたのを覚えている。

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頂上からは富士山が望める。

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この時期、吾妻山の一番のウリは見事に一面に咲いた菜の花。

その数、6万株とのこと。

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はるか遠方に横須賀のある三浦半島が望める。

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吾妻山のあと、三島へ。

三島へ行った目的は、三島大社へお参りし、美味しいウナギを食べること。

三島にも何度も行ったことがあり、町歩きは問題なし。

先ず、大好きな富士山の流水豊富な柿田川公園へ。

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三島名物のウナギを食べて、これまた大好きな富士山の疎水の流れる道を通り、

三島大社参拝。

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三島大社参拝のあと、遠方に富士山を見ながら、ぶらぶら散策し、三島駅まで戻った。

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とっても気持ちの良い一日旅だった。

2019年1月21日 (月)

高校の教科書、変わってきている

大学の教養課程時代、姫路の寮で一緒に青春を謳歌した仲間と年4回、懇親会を

やっていることは何度かブログに書いた。

大学の教養課程時代ということは、はたち前、皆に初めて出会ったのは60年近く前。

その仲間たちが年4回、有楽町の帝劇となりの地下にある大学のクラブに集まり、

まさに旧交をあたためている。

毎回集まってくるのは10人足らず、集まるのは1年先輩と同期の我々。

ボクは万年幹事。毎年末にみんなで決めた日時の前にメーリングリストで告知し

弁当を予約するくらいが仕事で、あとは気心の知れた仲間なので、集まってワイワイ。

先週金曜日1時、今年初めての会合「惜春会」に8人が集まった。

会の名前「惜春会」は、寮歌の一節「惜春の賦の流れきて・・・」から取ったもの。

今回はいつものメンバーに、1年後輩の新しいメンバーがひとり加わった。

寮では、2年生と1年生が在住していて、2年生は9月の2学期から本校の神戸に

移っていく、翌年春、新1年生が入寮してくるということが毎年繰り返された。

寮は1部屋に6~7人、2年生と1年生が寝起きを共にした。

学校はすぐそば、歩いて1~2分で行けるところにあった。

旧制高校時代からの寮で、2階建ての木造建て、とにかく古く汚くガタガタ、食事は食堂で

食べられたが、当時でもまずいと皆が言っていた食事で、風呂は汚く、という感じだったが

1962~63年、皆文句を言うことなく、まさに青春を謳歌していた。

寮費は安く、朝夜食べて寝起きして月3千円、お金のなかった我が家では、オフクロが

幼稚園より安い」と喜んでいた。

そのような時代を一緒に過ごし、長いサラリーマン生活を送ってきた仲間たちなので、

60年近く経った今も結束は固い。

今回1年後輩のM君が初めて参加してくれた。

ボクが送ったメーリングリストで開催通知を見て参加してくれ、皆で大歓迎。

惜春会では毎回、誰かが自分の好きなテーマで話をすることにしている。

大変前置きが長くなったが、ここで今回のタイトル「高校の教科書、変わってきている」

話してくれたのは、1年先輩のMさん。

タイトルは「日本史再入門(古代、中世、近世)」-高校教科書に見る日本史常識の変化」

細かくは紹介しないが、50年以上前に受験勉強で学んだことに比べ、日本史の研究は

新たな遺跡や文書の発掘・発見等により、大きな進化を遂げ、最近では様々な時代に

ついて、新たな解釈を求める書籍の出版が相次いでいることが紹介され、Mさんが

読んだ書籍を通し、高校の教科書にいかなる変化が起きているかが説明された。

話の中では、はっと思うことや、えっそうだったのかと思うことが随所に出てきて、大変

興味深い話であった。

あわせて、参加した1年後輩のMくんから、同期の仲間の近況・消息、1995年から

毎年続けている同期の仲間の宿泊旅行紹介、3年前にみんなで訪ねた姫路の寮の跡の

様子ほか、大変興味深い話が色々聞けた。

皆から「ぜひ、同期のメンバーに惜春会のこと伝えて、参加してよ」に対して「自分たちも

メーリングリストでやりとりしているので、そちらに流します」ということで、旧知の仲間に

会え、一層輪が広まる可能性が出てきた。

会が終わったあと、カミさんから「帰りに生カキ買ってきて」と言われていたことを思い出し

銀座三越まで歩き、生とフライのカキを買って帰った。

2019年1月19日 (土)

一日に映画2本観た

定年退職してから観た映画の数は200本を超える。

それと近くのTSUTAYAでDVDを借りて観ていて、トータルすると相当の数になる。

ただ、その中で「期待通り良かったぁ」と思う映画はそんなに多くない。

1日に複数本観たことも何度かある。

さすが3本観たときは、こんがらがった。

こんなこと、定年退職者だから、出来ること。
現役の人は、きっと言うだろう、「もうちょっと有効な時間の使い方があるのでは」と。
それと、毎回ひとりで行くので、少々ストーリが込み入っている作品は、理解するのが

難しいことがあり、誰にも確認できないということが起きるのも珍しくない。

火曜日、横須賀では上映されていない映画を横浜の映画館 Jack & Bettyに観に行った。

Jack & Bettyに行けば、一般館では上映しない魅力的な作品を観ることができるため

新聞ほかで見て、観たいと思うものが横須賀でかからないときはJack & Bettyに行く。

今回観た1本「家(うち)に帰ろう」もその類。

Jack & Bettyに行く時は、横浜まで行くのだからとネットで調べ他の作品も一緒に観る

ことが多い。

ということで今回も2本観た。

1本目は邦画「人生、フルーツ」

90歳と87歳の老夫婦が助け合いながら、自然に囲まれた中、穏やかに送る日々を

見事に丁寧に描いた、とってもすばらしい作品。

ナレーションは昨年亡くなった樹木希林さん。

作品紹介はこちら

2本目に観た映画は「家(うち)に帰ろう」

2本の間には2時間近くの間隔があった。

そこで、これもいつものパターン。

映画館の近くにあるインドレストランに行き、カレーとナンを食べた。

まだ時間があるので、映画館に戻り、持ってきた新聞をじっくり読んだ。

2本目の作品、「家(うち)に帰ろう」、これが今回の本命作だった。

期待通りの映画で十分に満足。

作品紹介はこちら

ストーリーは、

 「アルゼンチンで過ごす88歳の仕立師が70年前ホロコーストで救ってもらった
 
 友との約束を果たすため、ポーランドまで人生最後の旅をする」

予想通り、感動的なストーリーだった。

映画とは外れる話だが、ホロコーストには一度行きたいとずっと思っている。

同じ思いを持った知り合いと話が盛り上がり、今年行けるかもしれない。

2019年1月14日 (月)

毎年年明けに届くハガキ

今年もハガキをいただいた。

送ってきた方は高校1年生の男子。

送られてきたのは「あしなが育英会」の事務局から。

あしなが育英会のこと、生計を支え家族の柱だった方がさまざまな理由で亡くなられ

遺されたご家族が苦しい生活を強いられていることは、「あしなが育英会」から届く会報で

知っていて、そのことはブログでも何度か紹介した。

「あしなが育英会」には平成21年から毎年年末、郵便局の口座から自動引き落としで

3万円づつ送金させていただいている。

歳を重ねた年金生活の夫婦ではあるものの、大変な生活を送られている方の一助に

なればとの思いで続けさせていただいている。

「あしなが育英会」の支援を受けている学生さんから、毎年年明けハガキが届く。

今年いただいたハガキに書かれていたのは、

 「あけましておめでとうございます。私は情報科に入学をして、ITの勉強をがんばって
 
  います。PC検定に挑戦しています。
 
  部活動は、ITサイエンス部に入部して、プログラミングをがんばっています。

  あしながさんへの感謝を忘れず、今年も努力していきます」

    返事を送った。

 「新年のご挨拶をいただきました。ITの勉強を頑張り、PC検定に挑戦しているとのこと

  大変うれしくお葉書読ませていただきました。部活動もITサイエンス部でプログラミングを
 
  頑張っているとのこと、目標に向かって進んでいっている姿勢を大変うれしく思います。

  これから、世の中はますますIT化が進展していきます。是非とも初志を貫徹し、目指す

  目標に向かって邁進されますことを心より願っています」

ハガキには名前と学年が書いてあるだけで、返事を送るときは「あしなが育英会」の

事務局気付で送り、事務局が本人に転送してくれるルールになっている。

どこに住んでいる人ほか個人情報は知ることはできないし、この先本人とのやりとりも

できない。

Nさんが今後思い描いている方向に進め、希望が叶い、幸多かれと願うばかり。

2019年1月13日 (日)

一瞬、誰だかわからなかった

「えっ、誰だろう?名前に記憶がない、しかも香川県から、寒中見舞いが届くなんて」
文面を読んだら、何故、この方からお便りが、と理解できた。
  12月初め「年賀状止めます」宣言をしたハガキを100人を超す人に送った。  
そのうちの1枚を45年近く前、同じ職場にいて、毎年年賀状のやりとりをしているYさん にも出した。
届いたハガキは香川県に住むYさんの息子さんからだった。 文面には、   「昨年1月25日、父YKが70歳で亡くなりました。永年にわたるご厚情に改めて心から     御礼申し上げます」 午後、返信を書いて投函した。   「貴信拝読いたしました。お父上YK様が昨年の1月にご逝去されましたことを知りました。     お父様とは45年以上前、職場が一緒で親しくさせていただいた者です。     私より5歳下、まだまだお若く、大変残念であります。   衷心よりお悔やみを申し上げます。   ご丁重なるお知らせをいただきまして、深くお礼を申し上げます。   寒さが一層深まります折柄、ご自愛の上お過ごしください」 Yさんの顔は45年経ってもバッチリ浮かんでくる。 穏やかな性格で優秀な方だった。出身大学まで覚えている。 どなたかが届いたハガキを香川県に住む息子さんに転送してくださったのか、お母さんも 昨年3月亡くなられたと書いてあり、息子さんがご両親が住んでいた東京に出てこられた 折に、12月に送ったボクのハガキをご覧になり、寒中見舞いを送ってこられたのか・・・ こうして、かつての仲間が櫛の歯が欠けていくように、自分含めて、徐々に鬼籍に入って いくのであろうと、ハガキを読んで思った。 

2019年1月10日 (木)

盛り上がった新年会

一昨日、新年会に参加した。
参加したのは町田市を中心に活動するシニアのIT指導者グループ NPO法人アクティブ
SITA(シニアITアドバイザ:サイタ)の新年初顔合わせ。

定年退職したのは、15年前の2004年。  

退職する前、辞めたあと会社に残る仕事を是非やって辞めたいと思っていた。   

そこで2001年、最後の職場ではじめたのがシニアITアドバイザ(SITA:サイタ)

試験制度。

当時、国が先導して国民のITリテラシーを向上させる機運が盛り上がっていた。

全国でIT講習会が行われたのも2000年前後。

その動きに伴い、指導する人たちが全国で求められた。

シニア並びに家庭の主婦の皆さんに指導者になっていただければと思い、そのために

指導者資格を認定する制度を作りたいと考え、はじめたのがSITA試験制度。

新聞、雑誌、ネット、足を使ってのPRを通し、SITAは徐々に全国に広がり、多くの

シニアの皆さんにチャレンジしていただくことになった。

チャレンジして資格を取得される方が増えてくると、全国で合格者がそれぞれの

地元で活動をはじめるためグループを作る方向に発展していった。

一時期、グループの数は全国で10を超えた。

ボクも自らがはじめたSITA(サイタ)、何としても受けて資格を取って、どこかの

グループに入れていただこうと思い、定年退職する半年くらい前にチャレンジし、

何とか資格を取得した。

入れていただくグループは町田市を中心に活発に活動していたアクティブSITAと決め、

退職後メンバーに加えていただいた。

前置きが長くなったが、そのNPOアクティブSITAの新年会が一昨日町田であり参加した。

アクティブSITAがスゴイのは10年以上、毎月勉強会をやっていること。

去年中ころまで、ほとんど毎回勉強会に参加していたが、自宅のある横須賀から町田

までは電車で2時間近くかかるため、無理を言い会員を辞めさせていただき、以来

会友にしていただいた。

当日の新年会は13時開始。

今年はNPOアクティブSITAができて15年の記念となる年。

40名近くの顔なじみが集まった。

式次第が画面に映し出され、カンパイでスタート。

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しばらく歓談後、SITAを作った思いやいきさつほか、会友として挨拶をさせていただいた。

そのあと、毎回楽しませてもらう鈴木さんの尺八演奏。

次いで、15周年の思い出を20年近いお付き合いのある菊池さんがすばらしい年表を

使ってお話しして下さった。

さんざん盛り上がったあと中締め、40人近くの参加者全員で記念写真。

最後全員に記念品としてスマフォを装着してバーチャル リアルティ画像が楽しめる

VRゴーグルが配られた。

あらためて思った。

みんな歳は重ねたものの元気で勉強熱心で、とってもすばらしい仲間たちだと。

2019年1月 5日 (土)

海~山歩き

年末年始テニスに行ってないので、好天に誘われ、しっかり歩きたいと、まず海岸遊歩道へ。
そうだ、その前に今年初めての墓参りに、と家から20分の浄林寺へ。
「今年も一年、家族、仲間、みんなを見守って」と息子にお願い。
お寺の裏のトンネルを2つ抜けて海沿いの道へ。
このトンネル、120年以上前に造られたことを、あらためて知ってびっくり。

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トンネルを抜け、海に出たところで海鳥が集まっていた。
岸から50mくらいのこの岩場には、息子が大学生のころ、夏2人で水中眼鏡とモリを持って
一緒に何度かタコを突きに来たことがあった。
タコの食べかすの貝の殻があるところを突けばいい、と教えられたが、結局ふたりとも
一度もタコは突けなかった。
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海鳥が集まっていた場所は、海岸遊歩道の終端。
遊歩道には10mおきに下のような番号がふられている。
ということは、遊歩道の全長は1440m。
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端から端まで往復すれば、ほぼ3キロ。
富士山を遠方に臨みながら、No144からNo001まで走ったり、歩いたりを繰り返した。
お正月休みの最後、遊歩道にはさまざまな人たちがいた。
凧あげやローラーブレードに興ずる人、遊歩道を走る人、仲良しカップル、赤ちゃんと3人
長椅子に座り談笑する夫婦、シニアカップル、釣り人・・・
No001のあと、山へ。
電車の線路を越えて住宅街を通り、最後は急な坂道を登り、20分くらい歩き、展望のいい
場所へ。
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この場所から15分くらい歩けば、子供たちが通っていた小学校。
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小学校の校庭。
運動会の日は、この校庭で敷物を敷いて、持ってきた弁当を食べていたことを思い出した。

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帰ってスマフォの歩数を見たら、9300歩。
今夜は爆睡できそう。

2019年1月 4日 (金)

新春初会食

昨日12時半、横浜高島屋前で娘と合流し、上階にある「きはち」という店へ。
久しぶりに息子の友だちだった女性の奈名子さん(ナナちゃん)と娘、我々夫婦4人で
新年の会食。
ナナちゃんは20年以上前の息子の同期入社の仲間。
今は品質・作りの良さでたくさんのファンがいる「鎌倉シャツ」の常務の職にあり、いずれは
創業者のお父さんの跡を継ぐようである。
「きはち」はナナちゃんが予約してくれていた店。
彼女は既に店に来ていて、4人そろって「うわー、久しぶり!」からはじまり、延々とおしゃべり
鎌倉シャツの海外展開ほか事業の現況、ご家族のこと、息子のこと、それに彼女と  我々・娘共通の仲間の話などなど、話題と笑いは尽きない。   特に、彼女と我々・娘共通の知り合いの話では、たびたび盛り上がった。   鎌倉シャツは国内は大都市中心に28店舗、海外はニューヨークに2店舗、それに  台湾とタイ。   年々、業容が拡大している。 お父さんがはじめられた事業、お父さんはいずれはリタイアされ後継はナナちゃんになる模様     お正月、国内の全店舗は営業中。 2時間以上経った頃を見計らって「これ以上お引止めするのは申し訳ない」と。   各自が持ってきた「おもたせ」を交換し、お開きに。   お店の方に写真を撮ってもらい「行くとこがある」と言うナナちゃんに「我々は  お茶飲み ながら、家族会議(笑)」と言い、別れた。   Img_0990_3_2 お正月3日目、横浜駅周辺は人がいっぱい。 地下道を歩いていたら、高島屋地下街にも鎌倉シャツのお店があった。 3人でお茶飲みながら、最近の娘宅の話題がいろいろ。 孫たちにお手紙付きのお年玉を渡した。 娘は忙しい、お茶を飲んだあと「昔のバイト先の仲間たちとの新年会へ行く」 と言い、別れた。 今朝、昨日2つとも楽しかったとメールが届いた。 PS 知ってる方もいますが、息子は1995年大学卒業後入社した会社で、就業中、   運転していたバイクに無謀運転の2トン積みのトラックが正面から突っ込んで   きて亡くなりました。   何としてもあの子の生きざまを遺してやりたいとの強い思いで、女房・娘と   ボク3人で息子のたくさんの仲間の協力を得て208ページにわたる追悼文集を   作りました。   文集のタイトル「君に会に会えてよかった」何度も何度も家族3人で議論した   結果決めたいろんな意味がこもったタイトルです。   Photo Photo_2    文集には50人以上の息子の仲間があの子との思い出を書いてくださった。  名子さんは投稿を寄せていただいたおひとり。

   彼女は初めて息子に会った95年4月7日から日記にしたためていた文章を

   まとめ、息子の言動が大変よく表現されている「豪君語録」とともに送ってき

     て下さった。

   事故前日の奈名子さんの日記には、

   『豪君からベルが入りました。7月1日出かけたとき豪君の携帯電話を
      
       私が預かったまま
      
       持って帰ってしまったので、電話をどうしようかとの話をしました。

       結局、私が横須賀駅まで戻り、豪君がそこまで車で来てくれて、携帯電話を

       返却しました。
 
    この日、自宅まで送ってもらいました。

    豪君は私の家の前で車をターンさせるのが、段々慣れて来てうまくなって
      
       きたと喜んでました。

    翌日に事故が起きるなんて・・・』

2019年1月 2日 (水)

元旦の朝

新年のご挨拶を申し上げます。
年寄り夫婦の元旦、ことさら平素と変わることなく朝を迎えた。
枕元のラジオを聴いて、9時ころ起きて、カミサンに「明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします」と挨拶し、1年がはじまった。
昔と違い、シンプルなお節と雑煮、お屠蘇で新年を祝った。

Img_0974_1
 
5~6年前までは初日の出を拝むため、毎年寒い中起きて、高台にある防衛大学の裏まで
行っていたが、もうその気にはならなくなった。
年が明けたからとの気持ちが、かつてと比べいくぶん薄らいできたようだ。
となりのレイラの声がするので、庭に出て隣の夫婦に「Happy New Year」と挨拶。
レイラと妹ケンズリーの写真をパチリ。

Img_0975_2
レイラが庭においでと何度も言うので、行ったら「かくれんぼしよう」 と。
それが終わったら「三輪車」と言い、近くの家のコーナーを曲がりながら2周。
そのあと、「TAKのおうちに行きたい」と。
母親のライラから「出かけるよ」と声がかかり、解放された。
年賀状が届いた。
今年は12月中ころ「年賀状止めます」のハガキを仲間、知り合い100人以上に
出したため、届いた年賀状はわずか。
リストラ結果がばっちり効いて、年賀状は出した家族・親戚と息子の仲間から届いたもの
30余枚。
これで脱年賀状ができたようだ。
親戚と息子の仲間たちには、近況報告兼ねて孫たちと写った写真付き年賀状を出した。
そこには、こう書いて。
「我々夫婦は、それぞれのペースで日々過ごしています。
”華麗に加齢”を目指して、また1年元気に過ごしてゆければと願っています」
こうして、我が家の平成最後の年明けがはじまった。

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