2017年1月21日 (土)

三島ぶらりひとり旅

1年前、静岡県三島市の富士山が望める場所に、日本最長の大吊橋ができたと聞き、

以前から行ってみたいと思っていた。

いくぶん曇り模様ではあったが、一昨日行ってきた。

三島駅から箱根湯本行のバスに乗り25分、三島大吊橋で下車。

大吊橋の通称は三島スカイウオーク。歩行者専用としては日本最長の吊り橋。

正面には富士山。

左遠方に広がる駿河湾は、残念ながら霞んでいた。

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全長400メートルの歩道橋を支えているのは、2つの橋脚。Img_0135
大吊橋を観たあと、バスで三島駅に戻る途中、新年なので、三嶋大社で下車し参拝。

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三嶋大社から駅までぶらぶら歩く。

三島は落ち着いた感じの大好きな街なので、何度も来たことがあり、土地勘はある。

特に、富士山の湧水が流れる疎水路が町中にあり、とても風情がある。

三嶋大社から駅までの疎水路が特に好き。

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小川にはいつもカモが泳いでいる。

スマフォが不慣れのため、右上隅に指が写っているのはご愛嬌。

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途中、瓢箪をつくっているお宅があり、年配の女性が門のところにいて、瓢箪つくりの話を

色々教えてくださった。

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「もしご興味があれば」と言われ、上の小さい千成り瓢箪の種をたくさんいただき、植え方、

受粉の仕方を教えてくださった。

千成り瓢箪の小さいものは1年、ひと回り大きいのは2年、下の大きな瓢箪は20年とのこと。

4月に植えればいいと教わり、ぜひ時期がきたら植えよう。楽しみ。

川沿いには、著名人の書いた文学碑がいくつも建てられている。

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いずれも三島の魅力を書いたもの。

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ついでにと思い、熱海で、今がちょうど時期の熱海桜を観てきた。まさに満開。

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2017年1月18日 (水)

阪神・淡路大震災 (続)

昨日の朝日新聞記事。

優秀ですばらしい、大学の後輩たちに思いをはせながら、何度も読み返し、そのたびに

涙が止まらなかった。

                 特集:阪神大震災22年

 公認会計士になる――。22歳の神戸大生の夢は、阪神・淡路大震災に砕かれた。

ひたむきに生きた22年。両親は、同じだけ齢(よわい)を重ねた今も息子を思い続ける。

友人たちは、咲かせられなかった夢の貴さを改めてかみしめている。

 1995年1月17日、津市の自宅で藤原宏美さん(76)は大きな揺れで目覚めた。

長男で神戸大経営学部4年の信宏さん(当時22)が神戸にいる。電話はつながらない。

翌18日朝に現地へ。行けるところまで列車に乗り、3時間ほど歩いて神戸市東灘区の

木造アパートにたどり着いた。

「なんだ、大丈夫じゃないか」。一見、形を残しているように見えたアパートは、

信宏さんの部屋がある1階が2階に押しつぶされていた。遺体が見つかったのは、

震災の2日後。胸を圧迫されていた。

 約3カ月前、難関の公認会計士試験合格の報告を電話で受けた。

「お父さん、通ったよ。就職も決まった」妻の美佐子さん(72)と喜んだばかりだった。

 優しく、おとなしかった信宏さん。エアコン、風呂なしのアパートにも文句を言わず、

通っていた公認会計士受験の予備校の費用はアルバイトで工面した。

妹の進学のことも考え、「常に家計を心配してくれていた」と美佐子さんは振り返る。

 地震発生の直前の大みそか。信宏さんが1泊だけ津市の自宅に帰省した。

宏美さんが車で駅に送ると、降りたロータリーで車を見送ってくれた。

宏美さんは「社会人になって2、3年は、旅行とか楽しく過ごす時間をあげたかった」

 なぜ難関の公認会計士を目指したのだろう、と考える。

「目標を目指して努力していたこと自体に充実感があった、と信じたい」

 宏美さんと美佐子さんはこの17日も、アパート跡地の駐車場で手をあわせる。

                  ◇   ◇   ◇   

 震災の数日後、崩れたアパートから、信宏さんの遺品を掘り出す若者たちがいた。

公認会計士受験の予備校に通う仲間3人だ。

 田島照久さん(45)は、信宏さんの机から、合格時に自分が送った祝電を見つけた。

「取っていてくれたんだ」。涙がこぼれた。吉形圭右(けいすけ)さん(45)は、がれきの

隙間に潜り、遺品をひっぱり出した。

 西口卓さん(44)は遺品の中に、卒業論文の制作用に信宏さんに貸したワープロが

あるのに気づいた。「卒論が入っている」と思い、その中のフロッピーディスクを宏美さん、

美佐子さん夫妻に届けた。予感は的中。夫妻はディスクから卒論を印刷。

神戸大に提出した。授与された卒業証書は夫妻宅に飾られている。

 4人は「勉強漬けの貧困学生」(吉形さん)のグループだった。

昼食の弁当はコメを持参し、予備校近くの喫茶店から厚意でおかずを分けてもらった。

信宏さんは飲み物代を浮かせようと水筒を持ち歩いた。

 3人はみな、公認会計士になる夢をかなえた。3月には他の仲間と一緒に信宏さんの

墓参りをする。「頑張っているよ」「天国から見ていてくれ」。そう語りかけるつもりだ。

 勉強漬けだったけれど、確かに青春があった、あの日々を思いながら。

2017年1月17日 (火)

阪神・淡路大震災

あれから今日で22年。

22年前の1995年1月17日、朝5時46分、あの大惨事、阪神淡路大震災は起きた。  

あの年、1995年は大変な年だった。

大震災のあと、オウム真理教事件、それに7月には、我が家では息子の事故、一生忘れる

ことのできない年となった。

大震災の起きた神戸は、大学時代を過ごした思い出の地。 

もう50年以上前のこと。  

姫路で教養課程を終え、神戸に移り専門課程、最初に下宿したのは、JR六甲道駅近くだった。  

姫路の寮で一緒だった仲間3人と2部屋の1軒屋を借りて住んだ。

1軒となりが大家のYさん宅だった。  

賄い付きの下宿で、朝晩食事をYさん宅に行って食べていた。  

4人とも不規則な怠惰な生活をしていて、おばさんにはホントにお世話になった。 

おばさんは文句ひとつ言わず、ずっとお世話してくださった。  

そのおばさんも亡くなって、もう6年になる。 

六甲道駅周辺は、震災で最も甚大な被害を受けた地区のひとつだった。  

Yさん宅も完全に崩壊したが、幸いなことに、ご家族は全員無事だった。  

震災から2年後、下宿していた仲間3人とお見舞いに伺った。  

かつての建て込んでいた家並みは跡形がまったくなく、あちこちに更地ができていた。  

Yさん宅の数軒隣のアパートに住んでいた3人の神戸大学の学生たちが震災で亡くなった 

ことを、訪ねたときおばさんから聞いた。  

「つぶれた家の下敷きになり、燃え盛る火の中、周りの人たちは手を出すことができず、 

ただ茫然と、目の前で亡くなっていく人たちを見取っていくことしかできなかった」 

と、おばさんは涙声で話してくださった。 

大変な数の命がこのような最期を遂げたのかと思うと、今でも激しく胸が痛む。 

震災後、読んだ新聞に書かれていた記事をメモしておいた。 

『震災を”6千人が死んだひとつの事件”と考えるのは死者を冒涜していないか。  

ひとりが死んだ事件が6千件あり、6千通りの死があるはずだ。ひとり一人の命を 

見つめるべきではないか』  

今朝テレビのニュースを観て、手を合わせ黙とうし、無念の中、尊い命を落とされた

6434名の皆様のご冥福に、あらためて深く祈りを捧げた。

2017年1月16日 (月)

全豪オープン、錦織勝利!

メルボルンで今日オープンした全豪オープン初戦で、、第5シードの錦織圭、世界ランキング

45位のロシアのクズネツォフを接戦の末、5―7、6―1、6―4、6―7、6―2で破った。

ランクに大きな開きがあり、ノーシードのクズネツォフには、楽勝するではと予想するメディアが

多かったが、以前一度ゲームを観たことがあるクズネツォフは、決して楽に勝たせてもらえる

相手ではないと思っていた。

第1セット、いきなり5-7で先取された。そのあとすぐ2セットを一方的に制し、これはやはり

実力の差が結果に出たかとな思い観ていた第4セット、ブレークに対しブレークバックの応酬、

ヤバイのでは、もしこのセット落とせば、2対2でタイブレークになるのではと、ヤキモキしながら

観ていたら、不安は的中。

6-7で第4セットを落とし、勝負はファイナルゲームの第5セットまでもつれ込んだ。

ファイナルゲームの第5セット タイブレークで、かろうじて仕留めた。

3時間半を超える熱戦であった。

暑い中で行われる全豪オープン、1回戦は先々の対戦のために出来る限り力を温存して

おきたいところであったが、そうはうまくいかなかった。

これで7年連続で全豪オープン初戦突破。

勝ってくれたので、この先も楽しめる。

2回戦の対戦相手は、世界ランク72位のフランスのシャルディー。

大会の会場は、今年もハイセンスアリーナ。

毎年思うが、とっても響きの良い名前の会場。

全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープンと違い、時差なく楽しめる全豪オープン、

是非とも、この先しばらく、錦織の手に汗握る試合を期待したい。

2017年1月 9日 (月)

かなこちゃん ちかこちゃんをしのぶ会

多くの皆さんがきっと覚えておられることだろう。

1999年11月、東名高速自動車道で飲酒運転のトラックが普通乗用車に衝突し起きた

交通事故で、幼い姉妹ふたりが死亡した悲惨で悪質極りない、許せない出来事のことを。

事故はマスコミ等で大きく取り上げられ、それが危険運転致死傷罪の成立に大きく影響した。

亡くなった2人のお嬢さんの名前は、井上かなこちゃん(3歳)、ちかこちゃん(1歳)

今年も千葉で「かなこちゃん  ちかこちゃんをしのぶ会」が行われ、昨年に続き参加した。

会を催したのは、かなこちゃん、ちかこちゃんのご両親の井上保孝さん、郁美さん、それに

4人の子供さんたち。

井上さんご家族は昨年からオーストラリアのメルボルンに転勤されていて、一時帰国され

今年も催しが行われた。スイスに留学中の長女も一時帰国、ご家族全員で開催。

会合には50人くらいの人たちが全国から集まった。

メルボルンとスイスでの井上家の近況がパワーポイント画像で紹介されたあと、かなこちゃん

ちかこちゃんの可愛い写真がスクリーンに映し出され、母親の郁美さんがお話しされた。

時は流れ、事故時3歳だった、かなこちゃんは今年は成人式の年。

「成人したかなこ(奏子)ちゃんよりプレゼント」とのプログラムは感動的だった。

以下、今朝の郁美さんのフェイスブックの書き込みから無断で引用させていただいた。

 「13年前に言い渡された民事裁判の判決に基づいて、奏子の逸失利益(18歳から就労

  していたと仮定し得られていたはずのお給料から生活費分を差し引いたもの)の支払いが

  一昨年の命日に始まりました。生きていたのなら、こんなもんじゃない。もっともっと社会に

  貢献していた娘となっていたはず、と臆さず親バカになります。せめて奏子に代わって

  そのお給料を飲酒運転の撲滅のため、被害者遺族のために役立てたい、と私たちは思い   

  ました。その趣旨を理解してくだり、意義のある活動をされているいくつかの団体  

  (アスク、運転代行振興機構、ハートバンド、中野勉強会、など)に今日は、目録をお渡し

  しました」

このあと、井上家と他家族の子供たちによる恒例の劇。今年のお題は「ライオンとねずみ」

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そのあと、指名された参加者が近況ほか話し、なごやかな雰囲気で会は進行、最後に

井上さんご夫妻の挨拶でお開きとなった。

2017年1月 5日 (木)

箱根小旅行

クリスマス前あたりから、関東地方はずっと好天が続いている。

雪に埋もれている人たちがたくさんいる中、この時期天気が良い日にはいつも思う。

恵まれているなぁ、と。

その好天の昨日、富士山を観に、箱根に出かけた。

3が日が終わり、箱根駅伝も終わった翌日だから、もう大丈夫だろうと思って乗ったバス、

甘かった。

十国峠を越え、箱根町が近づくと大渋滞。

我慢できなく、運転手さんの許可を得て、他の乗客とともに降りて、途中から歩いた。

先ず、前々日・前日の箱根大学駅伝の往路ゴール・復路スタート地点に寄りたくて、芦ノ湖畔へ。

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すぐ近くには、箱根駅伝ミュージアム。

さすが青学は最も前、その後ろに東洋、早稲田、順天堂、神奈川の順。

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湖畔からは富士山がバッチリ。

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近くをブラブラ。

まあ、外国から来た人が多いこと。

話しかけただけでも、シンガポール、韓国、インド。

きっと日本のガイドブックで東京から手軽に来ることができ、日本を知ることの出来る箱根は

ベストスポットのトップグループで紹介されているのだろう。

歩いて、カミサンが行ったことがないという箱根関所へ。

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ボクは何度かひとりで来たことがある箱根関所だが見逃したところが多く、今回新たに

多くの発見をした箱根関所だった。

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いろいろ説明してくれた女性の話、それに最後に訪ねた資料館を観て、見逃していた関所に

ついて、あらためて多くを知った。

はるか昔学校で習った関所の役割り「入り鉄砲に出女」、「関所破り」など、徳川幕府がいかに

全国各地の大名の謀反を押さえることに手を尽くしていたのか、取り調べをする役人の

モデル像とともに説明されていた。

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特に江戸から国元に逃げ帰る女性に対し厳しい監視をするとともに、大名には年数度の

参勤交代で江戸に来させ、その両面で関所がいかに江戸幕府を守ってきたかが

あらためてよくわかった。

その仕組みにより、江戸時代250年間を通して、はり付けの刑に処せられる関所破りは

たった6件しかなかったと知り、びっくり。

関所破りを監視するために設けられた芦ノ湖と山岳方面を見張る監視小屋。

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足軽が監視小屋まで登る急坂が右に見える。手すりなどもちろん当時はなかったことだろう。

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まるで現在の北朝鮮のような恐怖政治が敷かれていたのだと思うとともに、いかに今が

良い時代であるかとつくづく思った。

とともに、これは歴女の孫達ふたりに見せたら、きっと間違いなく興味を持つと思い「こちらに

来たとき行くのお勧め」と娘にメールした。

関所のあと、これまたカミサンが行ったことがないと言う、すぐ近くの杉並木に行った。

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徳川時代、夏の強い日差しや冬の寒風から旅人を守るために街道の両脇に植えられた杉は

樹齢400年。昔は街道はこの道幅だったのだ。

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杉並木を抜けると元箱根。

関所であまりにも時間を使ったため、結局、赤い鳥居の箱根神社にはお参りできなかった。

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それとこれまた行きたかった、元箱根にある成川美術館も閉館が5時のため行けず。

まだまだ見所のある箱根、また来ようと言い、帰りのバスに乗った。

2017年1月 1日 (日)

年のはじめに

新年のお慶びを申し上げます。 

我が家は、今年も夫婦ふたりで新年を迎えました。 

大晦日にカミサンが作ってくれたお節にお雑煮、ワインで乾杯し、無事新しい年を迎えられた 

ことに感謝。 

以前はお重につめていたが、ふたりだけなので、今年は簡略に。 

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かつては、元旦の早朝のしきたりとしてやっていた、初日の出、神社への参拝は、このところ

やらなくなった。 

午後は楽しみにしていたサッカー天皇杯を最初から最後まで4時間近く観た。 

今年は川崎フロンターレVS鹿島アントラーズ。 

川崎フロンターレはかつて勤めていた富士通のJリーグチーム。 

川崎フロンターレは創部20年。未だ優勝経験なし。 

一方、鹿島アンタラーズは、過去19回の優勝経験があり、今年のJリーグも制した強豪。 

当然のことながら、自ずとフロンターレの応援に力が入る。 

前半、鹿島が先制、後半フロンターレが追いつき一進一退のまま、延長戦に突入。 

延長前半、アントラーズが1点先取、これが結局決勝点になり、フロンターレは敗退。残念至極。 

やはりアントラーズは強かった。これで今年はJリーグ、天皇杯ともに頂点を極めた。 

ただ、今年の富士通はアメフトで実業団優勝、サッカー天皇杯準優勝、すばらしい結果を残し 

2017年は、きっと会社にとっていい年になることだろう。

ついでに、以下今年出した年賀状。

年賀状をお送りした方は、読み飛ばしてください。

  新春のお慶びを申し上げます。

  ご家族お揃いで、新しい年を新たな気持ちでお迎えになられたことでしょう。

  我が家は今年、夫婦ともども70歳台の仲間入りをします。

  幸いふたりとも健康に過ごせていることに日々感謝しています。

  定年退職直後の12年前にはじめたブログ「無為に過ごす」

  フェイスブック、40歳からはじめたテニス、3年目となる

  市民オンブズマン活動などを通し、多くの仲間に恵まれ、

  「日々是好日」の毎日を過ごしています。

  娘一家は沖縄に移り住んで8年目を迎え、すっかり沖縄の人となり、

  公私ともども多忙な日々を送っています。

  新しい年が皆様にとりまして、旧年にも増して、健やかな

  実り多い一年になりますことを祈念いたしております。

                             2017年元旦
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2016年12月31日 (土)

紅白観ながら、今年最後のブログ

【娘たちの帰省 ②】

帰省して娘がやりたかったことのひとつは、鰻を食べること。

この希望は叶わなかったが、代わりにネパールレストランで楽しんだ。

初めて行ったお店だったが、当たりで、全員コスパに満足。

食べたのはランチセットメニュー。

メニューがバラエティに富んでいて、オーダーするのに迷ったくらい。

カレー2品にサラダ、サイドメニュー、数種あるナン、デザート、ドリンク。

ナンの大きさにビックリ。お代り自由と書いてあったが、とてもとても。

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姉孫がスマホを教えてくれた。

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食べながら話題になったのは、子供たちが食事のあと観に行く映画のこと。

ふたりが観たい映画は「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」

ふたりと一緒に誰が行くか、結局シニア割引で行けるボクになり、3人で行くことになった。

映画はファンタジックラブストーリー。

京都の風光明媚な景色を背景に20歳の男女の甘く切ない純愛を描いた作品。

観にきている人はほとんが若い女性とカップル。小学生はほとんでいなかった。

ふたりから映画がはじまる前に「寝てもいいよ」と言われたが、最後まで退屈することなく観た。

ふたりは観たあと、「君の名は」より良かった。

帰っらすぐ、自分の家ではやらせてもらえないゲームをiPadでやっていた。

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文句を言われないので、プレストでプヨプヨにもはまっていた。

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終わったあと、毛布にくるまりゴロゴロ。

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この日の夜はふたりの大好きな手巻き寿司。

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翌日は帰るので、少々早かったがお年玉を渡し、この日はふたりには最高の日だった。

10時半過ぎた、紅白は佳境。

それでは、皆さん良いお年をお迎えください。

2016年12月30日 (金)

娘たちの帰省 ①

26日、沖縄から娘が孫たちを連れて帰省。我が家に3泊。

帰ってくる前、娘からメールが届き、「みかん狩りと子供たちが観たいと言ってる映画を

観に行って、鰻食べたい」

予め娘がネットで探していたみかん園へ。

みかん園は最寄駅から歩いて30分近くかかった。

遠くに海が見え、雲ひとつない快晴、みかん狩りには最高の日よりだった。

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大人600円(入場料と食べ放題、それに手土産袋につめたミカン)、小学生300円、安い。

坂を登りながら、脇の樹のミカンを取って、ムシャムシャ食べながら歩く。

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樹によって甘味が違い、実の大きさもバラバラ。

みかん狩り向けなのか、商品にはどうかなぁ、と思う樹が少なくなかった。

子供たちと「ひとり目標20個」と話したが、20個は誰もクリアできなかった。

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もうミカンはいいというくらい、いっぱい食べ満足。

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駅までの帰り道、かわいいインコに出会い、みんなで声をかける。

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年齢40歳、「おはよう」「ありがとう」「こんばんは」「またね」「さようなら」をしゃべってくれて

しばらく、5人で楽しませてもらった。

2016年12月24日 (土)

プレクリスマス ランチ 

明日はクリスマス。

クリスマスにはレストランが混むので、水曜日、カミサンとクリスマス前ランチに行った。 

結婚記念日や年末などに何度かランチを食べに行ったことのある新橋汐留のホテル

コンラッドの日本料理「風花」に今年も行った。 

いただきものの金券があり、今回も使わせていただいた。 

前面にレインボーブリッジやフジテレビが望める席で、鉄板で焼いてもらいながら、ステーキ

ほか堪能した。

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鉄板で焼いていただいた料理人が、カミサンの問いに答えながら、料理をひとつひとつ説明して 

くださった。 

出された料理を順に紹介。 

先ずは、前菜。 

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次に初めて聞いた白菜とベーコンのすりながし(日本料理ポタージュ) 

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イカとタイのお刺身。 

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うすく切り焼いたニンニクと岩手牛ステーキ。 

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焼いてもらっている間、シェフといろいろ話が弾んだ。 

コンラッドは日本には汐留しかないが近いうちに大阪にもできる、コンラッドは

コンラッド・ヒルトンからの由来で、コンラッド・ヒルトンはヒルトンホテルの創始者とのこと。 

欧米からの宿泊客が多く、英語の習得にはかなり厳しい。 

年末年始はまったく休みがとれないため家族には申し訳ない等々。 

鉄板での料理が終わったあとは近くに席を移し、デザートがふるまわれた。 

窓の下には浜離宮。 

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このデザートには思い出がある。 

4年前、「風花」に来たとき、「今日は結婚記念日」と言ったら、こんな粋なもてなしをしてもらった。 

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「風花」を出たあと、汐留の地下街に写真撮影用の舞台が設えてあった。  

カミサンが日テレの「世界のはしまでイッテQ」だと言ったが、ボクはチンプンカンプン。  

ただ、こういうのを見ると写真を撮りたくなる。1枚パシリ。

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そのあと、カミサンが出る前から行きたいところがあると言っていて、銀座までブラブラ。  

先ず、アップルの前で年末ジャンボ宝くじを娘と孫たちに買い、日本橋まで地下鉄に乗り  

島根県物産館で、お礼を贈るため2ヶ所に島根の名産を送った。  

夏に松江に行った名残で、カミサンは島根の物産展を思いついたようだ。  

そのあと三越に寄り、年末に来る孫たちに渡すお年玉用のポチ袋を買った。 

さすが日本橋三越、横須賀にはないようなポチ袋があった。  

そのあとグッタリ疲れて、電車に乗り家路へ。

2016年12月23日 (金)

忘年会 その2

来週土曜日は大みそか。

先週ふたつ忘年会があり、今年の忘年会はこれで終わり。

ひとつめは火曜日、アクティブSITA(サイタ)の忘年会。

大半の人が聞いたことがないSITAはシニアITアドバイザの略。

定年退職する前、辞めたあと何か会社に遺るものをやって辞めたいと思い、作ったのが

SITA試験制度。もう12年以上前のこと。

以来、全国でおそらく5千人を超える方々が試験に挑戦され、合格された方々はそれぞれの

地域で、地元の人たちのIT指導に携わっている。

張本人のボクも、もちろん受けなければと思い、退職直前に受験し、かろうじて合格した。

そのころ全国の合格者が各地元でグループを作り、それぞれの地域で指導者になった。

一時期グループの数は14になった。

ボクは合格したあと、町田のグループ「アクティブSITA」に入れていただいた。

遠方であることを理由に、平素の活動にはほとんど参加していないが、アクティブSITAが

設立されて10数年間、毎月続いている月例会には、できる限り参加するようにしている。

前置きが長くなったが、このような背景からできた「アクティブSITA」の12月月例会に

先週火曜日参加した。この日の参加者は22名。

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これもスゴイ、毎回月例会では、欠かすことなく勉強会を続けている。

この日は、メンバーのひとりが知り合いのドローンに詳しい人を呼んで、ドローンの説明を聴き、

実演していただいた。

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ドローンの簡易セットは1万3千円で買えると聞き、一同びっくり。

終わったあと、場所を移して、恒例の忘年会。

町田から横須賀までは1時間半以上かかる。

そのため、散会になる少々前に失礼した。

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日曜日は毎月1回、第3日曜日の夕方6時からやっている横須賀市民オンブズマン

月例会に参加し、そのあと忘年会。こちらは家から近いので楽。

市民オンブズマンは横須賀市議会議員を6期務め、昨年市議を辞めたIさんが去年6月に設立し

声をかけられメンバーになった。

コアメンバーは弁護士のHさん入れて4名。

一番忙しいHさんに合わせ、月例会は第3日曜日にHさんの事務所で開いている。

発足直後にボクの方で全員を登録したメーリングリストは立ち上げたものの、1年以上

ホームページがなかった。

今年の大きな成果は、そのホームページを立ち上げ、活動状況、意見発信ができるように

なったこと。

来年7月、横須賀では市長選挙がある。

現職の吉田市長が3選を目指して立候補することを表明している。

吉田市長の恣意的かつ不透明、 不公平な行政姿勢は百条委員会にかけられ、1年余にわたり、

委員会で追及され、挙句、市議会が告発書を検察庁に提出、先月末、地方自治法違反の

疑いで、横浜地検横須賀支部は告発書を受理し、今後の進展が待たれるところ。

百条委員会については「傍聴記」、「百条委員会総括」、「当会のコメント」をホームページに書いた

百条委員会での追及含め、来年4月、オンブズマン主催で「市政を考える市民集会」を行うことを

先日の月例会で決めた。

会合が終わったあと、近くの焼鳥屋で忘年会。

オンブズマン活動だけでなく、幅広い話題が飛び交い、4人で大いに盛り上がった。

2016年12月18日 (日)

犯罪被害者支援弁護士フォーラム

当フォーラムを主宰され、懇意にさせていただいている弁護士 高橋正人先生からご案内を

いただき、昨日、シンポジウム「国民が求める刑罰制度について」に参加した。 

フォーラムのサイトには「私たちは、犯罪被害者の権利を守る弁護士の集まりです」 

と書かれている。 

当シンポジウムは3年前に第1回目が開かれ、今回が3回目。 

毎回参加している。 

第1回のテーマは「被害者が参加して刑事裁判はどう変わったか」  

昨年の第2回目のテーマは「裁判員裁判の問題」 

今回3回目のテーマは「国民が求める刑罰制度について」 

今回シンポジウムは冒頭、金田法務大臣が出席し、祝辞を述べた。 

シンポジウムは3部構成。 

基調講演からはじまり、パネルディスカッション第1部、第2部。 

基調講演では、おふたりの被害者ご遺族が自らの凄惨な体験を語られた。 

おひとりは、9年前、当時会社員だった娘さんに手錠をかけ、拉致した犯人に殺害された

お嬢さんのお母さん。 

3人の犯人はお嬢さんを殺害したあと山中に埋め逃走。うち1名の犯人は既に死刑が執行された。 

もうおひとりは、5年前、やはり当時会社員だった娘さんが強姦され、遺体をバラバラに 

された上、ゴミとして捨てられたお嬢さんのお父さん。 

犯人は会社の元・同僚。死刑判決が確定。 

母親、父親の立場で、それぞれお嬢さんが惨殺極まりない事件に遭ったご経験を語られた。 

お話しを聴いていて、何度も涙した。 

おふたりは、のちに行われたパネルディスカッションにも参加され、意見を述べられた。 

パネルディスカッション第1部のテーマは「国民が求める刑罰制度について」 

第1部では、悪質運転のトラックに衝突され、30歳の息子さんを亡くされたお母さん、それに 

通っていたスポーツジムの経営者に襲われ、強姦未遂事件に遭った女性が、姿が見えないよう

ついたてに囲まれたパーティションの中から匿名で参加された。

パネルディスカッション第2部のテーマは「死刑制度について」

2つのパネルディスカッションのコーディネーターはどちらも高橋正人弁護士。

第1部のパネリストで参加した弁護士は2名、第2部は、死刑制度について徹底議論するため、

5人の弁護士が参加した。

第2部の議論のきっかけ作りは、10月7日に福井で行われた日本弁護士連合会(日弁連)

フォーラムで議決された「死刑制度廃止」の是非について。

日弁連が唐突に当議決を発表して以来、この問題はメディアが取り上げ、喧々諤々の日本を

二分するような大きな議論になっている。

80%の国民が死刑制度の存置を望む中、出された日弁連の「死刑制度廃止」議決は唐突の

極みである。

パネリストの中、ひとりは日弁連所属の弁護士が参加していて、パネルの冒頭コーディネーターの

高橋弁護士から「サンドバッグになること覚悟してください」と言われた通り、集中砲火をあびた。

他の4人の弁護士は、第一東京弁護士会など日弁連に所属しない弁護士の皆さん。

日弁連が「死刑制度廃止」の議決を発表したことは、ボクは翌日の朝日新聞で知り、とんでもないと

ひとりで怒った。

昨日のシンポジウムで、日弁連の発表の背景を知り、ますます怒りは増した。

以下のような背景から、日弁連フォーラムでは決議は採択されたとのこと(メモした数字にいくぶん

誤りがあるかも)

福井で行われた日弁連フォーラムに参加した弁護士は786名。

うち546名が、2020年に死刑を廃止する動議に賛成したとのこと。

弁護士の総数3万7千人のたったわずか1.4%の同意のもと、日弁連はその廃止表明を

行ったことになる。

到底許せない日弁連の暴挙である。

このことをもとに、第2部のパネルディスカッションでは死刑制度の廃止の是非が議論され、

第1部で参加された殺人事件ご遺族はもちろんのこと、会場の参加者からもさまざまな

意見が出た。

集約すると、「被害者の人権を守る」を第一義に考えた社会システムであることが最も重要である

ということに尽きる。

12時半から5時まで、大変充実した時間を過ごさせていただいたことに感謝しつつ、会場を

後にした。

2016年12月15日 (木)

沖縄の娘宅へ(Last) ⑦

休み休み、長い時間をかけて書いてきた沖縄の旅、これが最後。

カミサンが「あの子(娘)のとこにずっといるのは気がひける。ホテルに泊まろう」と言い、

最後はホテルに2泊した。

泊ったホテルは中部の町の北谷(チャタン)

北谷は米軍嘉手納基地の近くで海のそば。

チェックインしたあとカミサンがカレーを食べたいと言いだし、ホテルで聞いて近くの店に行った。

きれいな海を見ながら、ベランダで食べたカレーは美味しかった。

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ウチナーチュ フェスティバルで会った86歳のおじいさんが北谷の近くの読谷(ヨミタン)祭で

三線を弾くと聞いていたので、会えるのでないかと思い、読谷まで行った。

残念ながら、おじいさんには会えなかった。

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北谷に戻り、ホテルへ。部屋の前は海。

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部屋にはホテル差し入れのマカロンが置いてあった。

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ブラブラ近くを歩いた。とにかく暑かった。

嘉手納基地が近い北谷の町は英語表示の店が多かった。

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ホテルに泊まったのは、1ヶ月半前の10月30日、31日。

まさにハローウインの時期。町中の飾り付けはハローウイン一色。

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夕方、ホテルから見える落日を楽しみにしていたが、水平線に落ちる直前に雲にかかり、

大変残念だった。

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夜は近くのアメリカンビレッジにハローウイーンを見に行った。

この雰囲気は横須賀ではとても味わえない。

楽しい仮装姿のグループを、多くの人たちが写真に撮っていた。

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こんな車が会場に。キャデラック、シボレー。

持ち主の若い男性と話していたら、カミサンが「ダメよ、女の子たちをドライブに誘うために

来てるんだから」

うん、たしかに。

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北谷のアメリカンビレッジのハローウイーンは最高に楽しかった flair

翌日、娘がレンタカー屋まで送りに来てくれて、お土産に野菜とお花をもらった。

帰ってお花は早速飾った。

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長い間かけて綴った沖縄旅行にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

2016年12月11日 (日)

沖縄の娘宅へ ⑥

書こうと思っていた沖縄のブログを書いていないことに気がついた。

行ってすぐ娘からチラシを見せられ、「ちょうどいる間にやってるから、これ見に行ってきたら」

チラシを見たら、世界のウチナーチュ大会」(大会ダイジェスト動画コンテンツあり)

沖縄では沖縄人のことを「ウチナーチュ」と呼ぶ。本土の人間は「ヤマトンチュ」

大会は5年に1度開催。今年が6回目。

世界大会だから、沖縄から海外に移住した人たちが沖縄に戻ってきて、内外地の人たちが

一緒になってやるお祭り。

それを観ることができるのは、最高にラッキー scissors

10月26日の前夜祭からはじまり、30日にグランドフィナーレ。

27日にカミサンと行くことにした。

娘のアドバイスは「会場のひとつ先のモノレール駅のそばにあるイオンの駐車場に車を停めて、

モノレールで行くのがいいよ」

モノレールの駅を降りたら、いかにも会場に向かう人たちのシニア5人組に会った。

聞いてみると、ブラジルのサンパウロから来た、3世の人たちだった。

「5年に1度なので、どうしても来たかった。いる間に親戚を訪ねる予定」と話していた。

会場に入るとすぐあったのが、このブース。

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国籍さまざま。

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ブラジル、アメリカ、ペルー、アルゼンチン、ボリビア・・・各国の文字で書かれたそれぞれの

国の受付けテントが設けられていた。

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ハワイから来た人たちの行列。聞いてみるとハワイからだけでも1700人来ているとのこと。

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「どこの国から?」と聞いたら、ボリビア。

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暑くて疲れたので、屋台でかき氷と沖縄ぜんざいを食べた。

同じテーブルに座ったおじいさんと話が弾んだ。

歳を聞いてみると86歳。とても見えない。

悲惨な沖縄戦の話からはじまり、いろんな昔の沖縄の話をしてくださった。

若いころからずっと三線(さんしん)を弾いていていて、翌々日に地元の読谷まつりで三線を

奏でるとのことだった。

「ちょうど2日後に読谷方面に行く予定なので、お祭りに寄ります」と言い別れた。

ウチナーチュ祭りを見終えたあと、沖縄戦の悲惨さを体験者が描いた絵が会場の片隅に

ひっそり掲示してあった。

沖縄戦を記録した写真や文書は多く観たことがあるが、体験者が描いた絵を観たのは初めて。

これまでのどの記録よりも壮絶であった。

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大会終了翌日の新聞、沖縄新報の見出しは、

  「沖縄魂 熱く 継承 絆深め再会誓う」

  「1万5395人が集い閉幕」

  「県人の団結強く 世代超え発展へ」

運良く、5年に1度の世界のウチナーチュ大会を観ることができ、とてもラッキーだった。

2016年12月 5日 (月)

忘年会

土曜日、日曜日と忘年会だった。

どちらもかつての会社の仲間。

定年退職して12年経つのに、声がかかるのはうれしい。

土曜日の集まりは、オーストラリアを中心とした海外事業を一緒にやった仲間。

このグループは幹事のTくんが年数回アレンジしてくれて集まっている。

毎回場所は、新宿西口近くの決まったお店。

Tくん以外全員が定年退職していて、Tくんもあと2年で定年の歳になるそう。

この日は毎回に比べ、参加人数が少なく8人。

女性のIさんが参加してくれて華やいだ。

かつての所属は、ベーシックソフトウエアの開発部門、システムエンジニア部門、それに

海外営業部門とバランスが取れている。

ひとりは脊柱管狭窄症をおして横浜から参加。道中、電車の中で大変だったことだろう。

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毎度のことだが、昔話に花が咲いた。

特に、お互いが知っているかつての仲間の消息で話題は尽きず。

最近名前が出てきにくくなったボクもこの日は、名前だけでなくエピソードがどんどん出てきた。

ボクより先輩の人たちもスゴイ。

「あれは今あそこにいる」、「あれはこうだったよなぁ」、「彼は亡くなった」・・・

いや、みんな歳を重ねているが、記憶力はよく、頭脳明晰。

まだまだこの会続けられる、との印象を持った。

昨日の日曜日の集まり、こちらももう10年近く続いている。

参加したきっかけは、電車でばったりメンバーのひとりに会い、「こんなメンバーで年末

集まっているんだけど参加しない」と誘われて以来だから長い。

集まるのは年に1度、この時期。そのため「七夕会」とも呼んでいる。

平素はメールほかやりとりはまったくない。

メンバーは全員、かつてはSE(システムエンジニア)

今は、6人全員、いまだにガラケー happy01

定年退職した連中ばかりだから、1年経てば誰かがどこか体調をおかしくしているが

うれしいことに6人が欠けることなく毎年集まっている。

こちらも幹事は万年幹事でSさんがやってくれていて、集合場所は毎年同じ、横浜高島屋前。

1時半にはじまり、飲み会のあとは、これも定番のマックでお茶。

各自1年間の近況披露。

いやー、70歳前後が集まれば、それぞれからいろんな話が出てくる。

Uさんは神奈川フィルでテノールを担当していて合唱団活動を長く続けている。

年末のこの時期、あちこちの舞台に立っている。

一方で、趣味でやってたことを止めて道具を処分したとの話がHさんからあった。

何度も話を聞いたことがあった、そば打ち、ゴルフ。

TさんからはWOWOW、税込1ケ月2,484円で映画観放題とのこと。

ボクは映画は、映画館かTSUTAYA。

これからは、行ったり、借りたり、返したりする必要のないWOWOWにしようと思った。

かつては毎回話題になっていた海外旅行は話題にならず、代わりに川越とその近辺がとても

良いとの話が出て、ぜひ行こうと思った。

こちらでも病気の話が当然出た。

脊柱管狭窄症経験者、6人中ふたり。

それにひとりは不正脈が原因で「もうこれで終わりかと思ったことがあった」と話していた。

食事が終わったあとマックへ。

今年もまたひとりが株主優待券を持ってきてくれていて、みんなに振舞ってくれた。

実は、去年同じマックの店で、楽しい出会いがあった。

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去年も日曜日、マックは混んでいた。

やっと見つけた席は6人座れないので、となりに座っていた女性ふたりに席をずらして

もらった。

そのあと、このふたりの女性とワイワイ盛り上がった。

「来年はこの集まりにふたりを招待しよう」と決まり、ふたりからメールアドレスを聞いて

幹事がメールを送ることになった。

今年、「さあ、どうしよう、ふたりを誘うかどうか」と6人でメールをやりとりした結果、誘おうと

いう返事が少数派で、結局この話は流れた、というオチがついた今年の忘年会だった。

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