2016年8月30日 (火)

楽しかった昨夜の集まり

昨夜、元の会社の仲間10人が集まり、楽しい飲み会があった。 

場所は銀座。銀座なんて今年初めて。 

出る前カミサンが心配して、iPadの地図で行き方を教えてくれた。 

そのおかげで、途中一度訊ねただけで、たどり着けた。 

ボクはまだガラケー。平素不便を感じることはないが、こういう時には「やっぱりスマホか」と思う。

集まったメンバーは10人。

ボクが1980年課長になったとき、一緒に海外を担当した人たち。

年齢幅は、ボクが73歳最年長で、一番若い仲間は57歳。

うち6人はまだ現役。

皆えらくなっていて、うれしかった。

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定年するずっと前に会ったのが最後という仲間も少なくなく、幹事の発声で「ひとり3分で近況を」

とはじまったものの、3分で終わるはずがない。

ゴルフの腕前がシングル、囲碁の腕前が相当な人、中小企業診断士として活躍・・・多士済々。

6時半にはじまった飲み会は、9時まで盛り上がりぱなし。

次回は来年春、次は女性を呼ぼうということで5人くらいの名前が挙がった。

最後に、幹事に感謝して散会。

2016年8月28日 (日)

ベイスターズ VS ジャイアンツ

昨日、ハマスタにDeNA-巨人戦を観に行った。

ベイスターズが調子がいい間にジャイアンツ戦を観に行きたいとずっと思っていた。

横須賀は小雨ぱらぱら、横浜はどうかと思い出かける前にネットでチェックした。

同じような感じなので、雨が激しくなりコールドゲームになることはないだろうと思い、出かけた。

ジャイアンツ相手だから、チケットが早く売り切れるのではないかと思い、スタジアムには

試合開始の1時間半前に行った。

甘かった、時すでに遅し、一塁側内野席チケットを買うために売り場に行ったら、既に売り切れ。

残っているのは立ち見席だけ。

立ち見席なんて初めてだが、仕方ないので立ち見席を買った。

立ち見席は一番上の席の後ろにまさに立ち見用に6~7人が入れる囲いが設けられている。

「えっ、この席が3100円。これで数時間立ってみるの」という感じ。

試合は面白かった、というか、ベイスターズが投打とも調子よく、安心して心地よく観れた。

お客の入りも大変よかった。2万7千人とのこと。ハマスタのキャパシティは3万人弱か。

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我らがDeNAの主砲、キャプテン筒香。初回に早速二塁打を放ち、打点を挙げ、昨夜は2安打。

一塁側は、筒香応援歌に酔いしれた。

横浜高校からDeNAに入り6年目、まさにベイスターズの至宝。

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ラッキーセブン、一塁側の観客席は大盛り上がり。

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それにしても3時間の立ち見は厳しい。

これからは行く日を選んで、事前にプレイガイドに行ってチケットを買わなければと思った。

ただ、立ち見席には隣りにアメリカから来た夫婦がいて、話がはずんだ。

ボクが「雨の中、数時間ずっと立って観るのは楽じゃないね」と話しかけたのがきっかけ。

カンザスシティから観光で来ていて、日本に来る前、香港で4日、日本で4日過ごし、

今日が最後の日とのこと。

初めての日本だったが、京都が良かった、また日本に来たいと言っていた。

明日朝、成田から発つ便が10時とのこと。

日本での滞在がたった4日間、その短い滞在中、野球を観に来ている夫婦、いいなぁと思った。

アメリカで活躍する日本人プレイヤー、イチローや田中などのことも色々話していた。

ゲームは9時に終わった。

結果は、7対4だったが、それ以上の点差と勢いを感じたゲームだった。

ジャイアンツは4回以降、1本もヒットなし。山口が堂々と完投勝利。

望むらくは、筒香の一発、それにリリーフエース山崎の投球を見たかった。

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終了後、本日のヒーローが呼ばれた。

手が込んだ演出。ライトを消して暗い中でのヒーローインタビューに呼ばれたのは

投のヒーロー山口、打のヒーローは4打数3安打、3打点の宮崎。

一塁側のベイスターズファンはほとんど帰らないで、最後のうれしいセレモニーを楽しんだ。

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夫婦で観に来るたびに負けて、気分よく帰れなかったことが、毎年ずっと長い間続いていた

ベイスターズ戦、昨日は気持ち良く、関内駅まで歩いて帰った。

2016年8月21日 (日)

講演会 「戦火の苦しみから学ぶ」

金曜日、逗子・葉山九条の会主催の講演会「戦火の苦しみから学ぶ」を聴きに行った。 

講演者は横須賀出身のフォトジャ-ナリストの安田菜津紀さん。 

安田菜津紀さんの名前を見て気がついたのは、毎週日曜日の朝観ているテレビ番組 

サンデーモーニングにコメンテーターとして登場している、あの安田菜津紀さんだ、と。 

40歳前後か、美人で才たけて、弱者に手を Nyasuda

差し伸べられる方であることをあらためて知った。

終戦の8月、逗子・葉山九条の会は、


地元に縁のあるすばらしい人をスピーカに 

選んだ、とうれしく思った。 

安田さんの活動の原点はカンボジャ。 

その後東南アジア、中東、アフリカと活動の 

ウイングを広げ、どの地域でも活動のテーマの 

中心は、貧困、難民、戦火を逃れた人たち、 

災害など、常に眼は弱者に向けられている。 

東日本大震災以降は、陸前高田市でさまざまな 

活動をされている。 

戦争状態にある国では、自分に何ができるかを常に自問しているとのこと。 

「医者ではないので医療には関われない。NGOのメンバーではないので組織だった活動は 

できない。フォトジャーナリストの無力さを感じることもあるが、現地の人たちに寄り添い、

現地で起きていることをひとりでも多くの人たちに伝えていくこと、それが使命である、

との思いで、活動を続けている」とのこと。 

ただ、それぞれがそれぞれの役割を持ち寄り合えば、何かができると確信している、とも。 

10人にひとりがシリアから逃れてきた難民であるヨルダンの難民キャンプで出会った家族に

ついては、多くの写真を写し出しながら話し、現場の様子が会場の参加者にしっかり伝わった。 

大変興味深かったのは、話に出てきた場所、陸前高田、カンボジャ、ヨルダン、どれもボクには 

大変縁があるところ。 

陸前高田は、NGO活動をしている亡き息子の高校の仲間Mくんに頼んで、震災3ヵ月後 

傾聴ボランティアで1週間行ったところ。カンボジャは定年退職直後に会社に頼まれJICAの 

仕事で3ヶ月間行ったところ。ヨルダンはMくんがNGOで既にもう3年以上行っているところ。 

安田さんの講演が終わったあと、会場から多くの質問が出た。 

ある男性が、大変有益な話であったことに礼を述べたあと、「安田さんの感性はどのようにして 

育まれたのでしょうか」と質問した。 

安田さんの答えは、「ちょっと答えにくい質問です。何故なら今日会場に母がきていますから」 

と笑いながら話したあと、「母は私が子供のころ、絵本を月300冊読み聞かせてくれました。 

このような原点があって、今の私があるのではないかと思います」と。

これから、サンデーモーニングで安田さんにお会いできるのが楽しみ。 

講演が終了したあと、1階のロビーでやっていた「広島・長崎原爆展」をじっくり観た。 

これまで見たことのない凄惨極まりない写真と絵がたくさん展示してあり、それぞれに 

日本語と英語の説明が付けられていた。

多くの写真を見て、ただただ暗澹たる気持ちになり、言葉がなかった。 

写真、絵、説明文、だいぶくたびれている感じだった。 

きっと、国内・海外たくさんの場所で展示されてきたのであろう。

2016年8月19日 (金)

映画「陸軍」

以前から観たいと思っていた映画。 

終戦の8月ということで、TSUTAYAでDVDを借りてきて観た。 

予想通りすばらしい映画だった。 

1944(昭和19)年12月に公開された作品。 

太平洋戦争3周年記念映画として、陸軍からの要請で制作された戦意高揚の国策映画。 

木下惠介監督。原作は火野葦平。 

出演は笠智衆、田中絹代ほか、往年の名優たち。 

当り前のことながら、みな若い。笠智衆の声はまさにあの笠智衆の声だった。 

戦意高揚一色でなく、戦時の市井の人々の姿がリアルに描かれていて、今観れば 

反戦映画にも思えた。

日清・日露の両戦争を経て満州事変に至る60年あまりを、ある家族の3代にわたる姿を

通して描いた作品。

田中絹代演じる母親のセリフ「男の子は天子様からの預かりものですから、立派に育てて

お返ししなくてはなりません」

戦場でお国のために戦死しようとも受け入れなければならないとの覚悟、当時戦時の母親の

思いであったのかと思うと、胸が熱くなった。

以下のラストシーンには涙を誘われた。

出征する日の朝、母親は近所の人に「泣くから見送りに行かない」と言う。

母の耳に軍隊ラッパが響いてくる。いてもたってもいられなくなった母は、ラッパのする方向を

めざして走り出し、大行進の中で息子の姿を探し、群衆をかき分け、涙ながらに息子の姿を

追い続ける。

セリフがないこのラストの10分間くらいのシーンを見て、あらためて強く思った。

「金輪際ゼッタイ2度と戦争をすることは許されない」と。

2016年8月15日 (月)

終戦記念日

71回目の「8月15日」が巡ってきた。 

今年も全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれ、戦没者のご冥福を祈り、平和への誓いを

新たにした。 

12時、テレビの前で、命を落とされた310万人を超える方々に、心を込めて黙祷を捧げた。 

昭和20年8月15日、きっと今日と同じように青い空で、蝉の鳴き声のうるさい暑い日だった 

ことだろう。 

戦争中のことはおろか、終戦後のことも、幼かったためほとんど覚えていない。 

朝日新聞が月1回くらい読者の声の欄で戦争体験談一色の「語りつぐ戦争」というコラムを

掲載している。 

投稿者の大半は80歳台以上の方々。 

男性の多くは、70年前の戦場での悲惨極まりない体験を克明に記憶されていて、細かく 

綴られている。 

『語りついでいかねばならない。悲惨な戦争は2度と繰り返してはならない』との強い思いで 

皆さん投稿されている。

1年前、以前から行きたかった江東区にある施設「東京大空襲・戦災資料センター」を訪ねた。

その時の印象を綴ったブログはこちら

戦争の悲惨さを後世に伝承していくため、生々しい写真や記録がたくさん展示されていて、

まさに「語りつぐ戦争」が実践されている施設。

戦争が終わり、世代は2代から3代、4代と移ってきた。 

8月は沖縄戦、全国各地の空襲、原爆、終戦と悲惨極まりない追憶がめぐってくる月である。

2016年8月13日 (土)

今日からお盆

郷里の倉敷では、お盆は8月13日から16日までだった。 

そのため、7月のお盆には違和感を感じ、5年前に墓地を求め、墓を建てたお寺さんには、 

以来毎年、8月のお盆に来ていただき、お経をあげてもらっている。 

ただ、大抵のお寺さんがそうであろうが、事前にいつ行くからとの連絡はない。

そのため、お盆のどこかで来てもらえると思い、極力家を空けず、それなりの準備をしている。

ご住職は今日2時ころ来られた。

読経していただいたあとは、毎年のことだが、カミサンも入り3人で雑談。

住職が最初に切り出した話題はポケモンGO。

自分はやらないが、お寺の近くでレアなポケモンが出るらしく、大勢の人たちが集まっている

とのこと。

あとはご家族の話。

数年前は毎年、跡取りになることを想定している息子さんを連れてこられて、勉強させていた。

「中3になり、部活が忙しく、一緒に回るのは無理になりました」と。

「この間、お墓で息子さんの友だちと思われる人が4人で来ていて、墓参りされていましたよ」

と言われた。

「きっと同期入社の仲間たちで、墓参りしたとの連絡はフェイスブックでありました」と返事。

この仲間たちは、以前はこの時期になると、毎年みんなで我が家に来てくれて、毎回真夜中まで

ワイワイ騒いでいたが、アラフォになった今では皆それぞれ職場で中堅となったこともあり、

このイベントは数年前からなくなった。

夕方、墓参りに行った。

お花と缶ビールが供えてあった。

缶ビールのブランドを見てわかった。

また、大学の仲間のKくんが遠方の相模原から来てくれたんだ、と。

2時間以上かけて、これまで何度足を運んでくれたことだろう。

そのたびに「我が家に寄って」とメールするが今回も連絡なく、遠路をひとりで来てくれた。

フェイスブックで「次回来ていただくときは、今度こそ事前に連絡して我が家に寄っていただき、

近況をお聞かせください」とメッセージを送った。

返事が届いた。

ご無沙汰してます。ちょうど今日から夏休みに入り、近くを経由しながら墓前に来させて

頂きました。次回は是非近況かねてお会いしたいと思っております。今の仕事も二年経ち、

いろんなことに挑戦しており、元気です」とうれしい返信があった。

21年経っても、こうして仲間たちが忘れず心を寄せてくれていることに対し、うれしい限りである。

夜は迎え火を焚いた。

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迎え火を焚きながら、夜空を見上げ、「今夜はあの子が来てくれているのでないか」と毎年思う。

2016年8月 9日 (火)

今年初めて海へ

酷暑が続く。

あまりの暑さに、今年初めて、我が家から車で5分くらいの小さな浜に泳ぎに行った。

この歳になっても一番好きな四季は夏。 

この浜は、人が少なく、きれいな海なので毎年泳ぎに行く。 

今日も来ていたのはカップルひと組だけ。

正面左あたりが羽田、飛行機が頻繁に離着陸するのが見える。

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山際に見える岩場まで100メートルくらい。 

シュノーケルをつけて岩場まで泳いで行き、今日も1時間くらい潜ったり、プカプカしていた。 

気持ちいいこと、この上なし。

この岩場には大きな岩がたくさんあり、海草や昆布のようなものが岩にくっついていて

ここへ行けばいろんな魚がいる。

一番たくさんいるのはカラフルなベラ。

網を持っていけば間違いなく捕れる。

ただ、ベラは白身魚で身が柔らかく、あまり美味しくないので店では売られていない。

ベラ以外はカサゴやときどき見かけるフグ、今日は一匹だけだったが、ボラではないかと

思うくらい大きな魚に出くわした。

シュノーケルで浮いたり潜ったり、とにかく気持ちがいい。

かなりの運動量で帰ってきてシャワーを浴びたら、グッタリ。

プールで2時間泳いだくらい疲れる。

この夏、あと4~5回は行きそう。

お金のかからない快適な夏の遊び。

2016年8月 7日 (日)

孫たちの夏休み ②

ガラス細工の体験が終わったあと、横浜の天王町にある割烹「とかし」へ。

「とかし」はもともと娘のダンナの馴染みのお店で、娘夫婦と孫たち、それに我々夫婦全員

長いお付き合い。

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娘と孫たち4人で行ったら、パパは既に来ていたが、カミサンはまだ。

マスターは我々のために、いろいろ準備してくれていた。

こんなでかいの見たことないというくらい大きなカキ。

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刺身の盛り合わせも、マグロのにぎりも美味しかった。

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ここまで食べても、横須賀から来るはずのカミサンは来ない。

「きっと横浜駅でポケモンGOやってて、レアキャラ見つけたんだ」などワイワイ言いながら、

待つこと30分以上。

孫たちがボクのケータイを持って「探してくる」と言い出かけ、電話がつながり見つけてきた。

カミサン曰く「我が家から駅まで歩いている途中知り合いに会いおしゃべりしてた。天王町駅

からの道を間違えた」などなど、言い訳しきり。

用意してもらっていたデザートはスイカ。

マスターと奥さんとワイワイおしゃべりしながらいただいた。

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毎度のことながら、奥さんから孫たちにプレゼント。

大きくなってきたので、今年は髪をとくブラシをいただいた。

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娘から奥さんへもプレゼント。

娘から我々にも沖縄からの土産。

まんなかの小さなビンは娘の作った商品のパッションフルーツ バター。

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横浜駅まで行き、「今度は沖縄でね」と言い、別れた。

別れ際、いつものように、孫たちが我々にハグしてくれた。

2016年8月 6日 (土)

孫たちの夏休み ①

沖縄から娘と孫たちが夏休みで帰って来た。

今年は家族で西宮や四国に行く予定が決まっていて、残念ながら我が家には泊らない。

そんな中、娘からメールがあり、「川崎にいる昔の会社の仲間がやっているガラス工房に

体験で行くんだけど、興味があれば、どうぞ。それとパパが休みなので夜はトカシで食事しない」

と誘いがあり、どちらも「行く」と返事。

ガラス工房は1時半からだったが、「あまり早く来なくてもいいよ」とメールが届き、3時ころ

見学に行った。

場所は、かつて通っていた富士通の川崎工場の近く。

娘の友だちのIさんと娘はずっとフェイスブックでつながっていて、今回の体験はフェイスブックの

やりとりで決まったようだ。

先生のIさんはマンションの1室を借りて、工房と教室をやっていて、自宅は近くにあるとのこと。

行ったら、孫たちが真剣に作業していた。

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材料は、このガラス棒。

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先生の作品がたくさん飾ってあった。

彼女は先週もガラス工芸のメッカ「小樽のがらす市」に3日間出品し、小樽に行っていたそう。

「楽しみながら大好きなガラス工芸ができ、それが仕事でシアワセ」と言っていたのを聞いて、

うれしかった。

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孫たちの作品「とんぼ玉」が出来上がった。

色の組み合わせ、グラデュエーションもできるようになっていた。

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ふたりとも3時間飽きることなくやって、「最高に面白かった。来年も絶対来たい」

来年は中学生になる姉孫は「部活休んでも来たい」と。

小3の妹孫は、「自由研究に出したい」

「最後に先生にインタビューをしたいんですが、いいですか?」と。

3つ質問をしていた。

①ガラスは何から作られるんですか ②ガラスは何度くらいで溶けるんですか ③ガラスには

どうやって色をつけるんですか。

ひとつひとつ先生が丁寧に答えてくださって、メモしていた。

実は妹孫は2か月近く前、学校の体操の時間に転んで、利き腕の右ひじを骨折して、

ギブスをしているが、左手で器用に字を書いていた。

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予定時間をかなりオーバーしたが、先生は最後までしっかり付き合ってくださって、全員で

お礼を言い、「来年もまた来ます」と、工房を後にした。

そのあと、横浜に行き、パパと合流し会食した。

長くなるので、こちらは次のブログで。

2016年8月 2日 (火)

リオといえば、思い出す

リオ五輪が3日後に迫った。

ブラジルには出張で3度行ったことがある。もう30年くらい前のこと。

そのうち1度はサンパウロからリオへ行った。

当時、航空機に積める燃料のキャパシティの関係で、日本からブラジルへの直行便はなかった。

途中、ニューヨークかペルーのリマで給油して、サンパウロへ。

ニューヨーク経由で行く時は、航空会社が空港の近くのホテルを提供してくれて、数時間休んで、

サンパウロ行きの便に乗り換えた。

ニューヨークまで長時間のフライトで疲れ、また時差で眠かったが、ホテルで寝てしまって飛行機に

乗り遅れては大変と思い、眠れなかった。

リオに行った目的が何であったかは思い出せない。

ただ、当時の駐在員だったW君かH君が撮ってくれた写真が残っている。

写真は、リオと言えばというくらい有名な丘の上の巨大なキリスト像。

写真の裏には、「コルコバードの丘にて」と書いてある。

きっと写真は後日送って下さったのであろう。

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上の写真は、像の近くで撮った写真なのでわからないが、下の写真の像の下に写っている人の

大きさと比べれば、その巨大さがわかる。

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コルコバードの丘をネットで検索してみた。

キリスト像が建てられたのは1931年、85年前。

ブラジルのポルトガルからの独立100周年を記念して建てられたもの。

コルコバードの丘の標高は710メートル。

そんな高所に資材を運び上げ、高さ40メートル、左右30メートル、重さ635トンの巨大な

キリスト像を85年前に建造したとは、とても信じられない。

きっとオリンピック放映でも、リオのシンボルであるキリスト像は紹介されることであろう。

リオと言えば、もうひとつ有名なのは、コパカバーナ海岸。

リオに行ったとき、どうしても行きたかったコパカバーナは、ビーチバレーやスイミングする

女性たちで有名な海岸。

泊るホテルはコパカバーナ海岸沿いと、駐在員にお願いして予約してもらった。

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ついでにもう少々ブラジルの話を。

最近は日本でもあちこちのイベントの出し物として珍しくなくなったが、ブラジルと言えば、

陽気に踊るサンバ。

それに、今回のリオオリンピック開催にあたって取りざたされているのが、治安。

30年前も駐在員からさんざん治安については聞かされた。

それを実感した話では、こんなことを覚えている。

駐在員のW君が休みの日にサンパウロ郊外にドライブに連れて行ってくれたときのこと。

郊外の広い道を走っていた時、交差する道の左右を見て、信号が赤であっても停まらない

毎回そのまま直進した。

不思議に思い聞いてみると、「停まったら横からピストルを持った強盗が出てきて、ホールド

アップさせられ、金品を強奪されることが珍しくないので、車が少ない道は信号で停まったら

危険なため停まらない」と話してくれた。

ドライブの帰り、サンパウロ郊外のスラム街を走ってくれたのも覚えている。

今も治安状況は当時とあまり変ってないのでは。

各国のオリンピック関係者が危険に巻き込まれることのないよう願うばかりである。

2016年7月30日 (土)

お別れ会

富士通の元社長 秋草 直之さんが先月18日、77歳で亡くなられた。 

昨日、帝国ホテルでお別れ会があり、参列した。 

秋草さんには長い間大変お世話になった。 

システムエンジニア(SE)部門の総帥で、「これからはSEも海外に出ていく」との信念のもと、

SE部門で最初に海外に目を向けられた方だった。

そのSE部門でずっと秋草さんの下で長い間、海外に携わらさせていただいた。 

お別れ会は12時から。11時半、予めメールで連絡を取り合っていた人たちとロビーで合流。 

受付けで渡された挨拶状には以下のような功績が書かれていた。(一部紹介) 

  『昭和36年入社当時、まだシステムエンジニアという呼称すらなかった時代からシステム 

  開発の最前線の現場を歩んだ故人は、ソフト・サービス時代の先駆者と呼ぶにふさわしい 

  存在であった。平成10年からは代表取締役社長を務め、傑出した先見性と高邁な信念を 

  もって、社業を牽引するのみならず、今にいたるネットワーク社会の発展に大きく寄与して 

  こられた。 

  その間世界的な市況悪化に直面するも、果断な改革断行により未曾有の危機を乗りきられた。

  こうした中にあっても、グローバルに活躍しえる人材の育成と先端技術へのあくなき挑戦を

  主唱し続けた故人は、弊社の持続的発展にとどまらず、常にテクノロジーをベースとした

  我が国産業全体の発展を見据えておられた』 

会場に入り、献花。 

最高にすばらしい遺影を前に、こうべを垂れて長い間お世話になったことに対し、心から深く

お礼を申し述べた。 

そのあとはとなりの立食会場へ移動。 

現役の人たちに対しては、お別れ会参加は自重するようにとの通知が出ていたようで、ほとんど

見かけなかった。 

そのため大半はリタイアした人たち。 

それでも参加者はおそらく2千人を超えていたであろう。 

ボクは定年退職し12年。参加者のうち、退職した前からも含め長い間会っていなかった

たくさんの人たちに会えた。 

おそらく、200人に近い懐かしい人たちに会い、顔はわかるが名前が出てこない人も多かった。

「昔と変わってないよ」と、多くの人たちから言われ、うれしかった。 

秋草さんの写真がいろいろ掲示してあったとなりに手書きのメモが貼ってあり、びっくり。 

秋草さんがまだ部長の時代に、部の女性がやった管理職人気度リスト。 

まったく覚えていない。日付は81年と書かれていた。38歳のときだ。

今は厳しくてこんなことはできないだろうが、当時は職場にいろいろ遊び心があった。

これも間違いなく秋草さんの影響だった。

リストのトップには当時の秋草部長、光栄なことにボクの名前もあった。 

「list.jpg」をダウンロード

立食パーティでたくさんの人たちと話したあと、お開きに。

会食が終わったあと秋草さんの思い出話をしようと、予め何人かの人とメールでやりとりしていた。

現役の人はダメだったが、女性3人が入り5人で、ワイワイ2時間半以上、お茶を飲みながら

秋草さんの思い出ほか、おしゃべりした。

秋草さんの思い出話ということでは、ボクもいろいろ披露した。

海外に何度も何度もご一緒したときの話、出張中にお聞きしたご家族の話、職場での秋草語録、

何度も何度も食事に連れて行ってもらったこと、秋草さんがメンバーだった田園調布のテニス

クラブに仲間と一緒に招待していただいたこと、シドニー駐在中出張で来られたとき我が家に

お招きしたこと、定年後、別に作るのをサボって孫たちと一緒に写した写真のついた年賀状を送り

1月7日ころご返事をいただいていたこと、などなど、思い出は尽きない。

あらためて、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。

2016年7月25日 (月)

窃盗犯、刑事裁判傍聴

我が家から車で10分足らずのところに裁判所がある。 

車で買い物に行った帰り、ときどき裁判所に寄り、興味がありそうな裁判があれば傍聴する。 

先週火曜日、市議会の百条委員会で「吉田市長の不透明な市政運営に関する検査特別 

委員会」を傍聴したあと、帰り裁判所に立ち寄った。

掲示を見て、3時半から窃盗犯の刑事事件裁判が予定されていたので、傍聴することにした。

傍聴者はボクともうひとり男性。

検察官は既に入廷していて、間もなく弁護士らしき人が被告と思われる男性と女性と一緒に

入廷、そのあと裁判官が席につき、裁判開始。

冒頭、検察官が事件のあらましを説明。

被告はボクと同じ歳の73歳の男。弁護士と一緒に入廷した女性は男の奥さんであることが

わかってきた。

男は窃盗常習歴のある人間で、近くのホームセンターで砥石と紙ヤスリ、3千円少々のものを盗み

ホームセンターの警備員に捕まり、刑事裁判にかけられていることを検察官が説明。

弁護士からは、大学を出たあと、転職はしたもののサラリーマンとして勤め、今は退職し、趣味や

ボランティアでお寺の奉仕を行っていること、それに初めて盗みで捕まったのは30年前、

その後も盗みを繰り返し、昨年も捕まり、罰金刑を受けたことなどが説明された。

加えて、何とか被告を改心させたく、横浜にある盗癖を治療する病院を紹介し、通わせている

ことが、弁護士より紹介された。

続いて、被告の奥さんが証言台に立ち、証人として証言を行った。

窃盗を繰り返してきた人間だが、病院に通い検査、治療を受けているので、今度こそ2度と

過ちを起こさせないよう、夫を導いていくと訴えた。

裁判官、検察官、弁護士、異口同音に、「どうして窃盗を繰り返すのか理解できない」と。

「自分のお金を出すのがもったいないので、ついつい手を出してしまう」という被告に、最後

裁判官は「これからは、欲しいものがあっても、たくさん商品がならぶホームセンターのような

場所には行かないこと。どうしても行きたいときはひとりでは行かないこと」と、若い裁判官は

被告にこんこんと諭した。

見ていて、哀れで惨めであったが、「わかりました」と答えた被告がどこまでそれを感じたか。

最後に出された判決は、執行猶予3年が付いた10ヶ月の刑。

判決を聴いて思った。

これだけ罪を重ねてきた被告、捕ったのは窃盗した回数のごくごく一部であろう。

一般の人間には到底考えられない窃盗癖、容易になくなるはずがない。

罪を重ねてきたのだから、半年でも1年でも刑務所に入れて、心底反省させる機会を作る

ことが、真に被告のためではないかと思った。

被告の弁明を聴いていて、このままだと、必ずや再犯するのではないかとの思いが残った

裁判だった。

2016年7月21日 (木)

シンポジウム参加

市内の弁護士 呉東正彦さんのお誘いで、日曜日、シンポジウム「市民参加で考える施設 

再配置と中心市街地活性化」に参加した。 

呉東さんとは、定年退職したころ、呉東さんが立候補した横須賀市長選挙を応援した縁で 

知り合い、呉東さんの考え方、心情に共鳴し、それ以来の仲。 

呉東さんは、これまでに2度東京都知事選挙に立候補した宇都宮健児さんの弟子的存在で 

弱者への目配り、気配りができる方。 

残念なことに、市長選では敗れたが、選挙をきっかけに呉東さんは「ヨコスカをよくする会」を 

立ち上げ、以来会のメンバーになるとともに、ときどき呉東さんが開催するシンポジウムや 

講演会に参加している。 

今回のシンポジウムのテーマである「施設再配置」は、呉東さんがずっと追っかけている

テーマで、たしかこれまでにも4回シンポジウムが開催された。 

この日の参加者は50人超。市議会議員も6人参加。NHKの取材も入った。 

「施設再配置」は総務省がリードしながら全国で進められている自治体が保有する施設の

リストラ。

リストラの実態は、廃止か統合。それを役所は再配置と呼び、進めている。

たしかに古くなった施設、使用頻度の低い施設、時代の流れに伴い必要性に疑問が持たれる施設

などなど色々あるものの、老朽化に伴い維持コストはかかり、どこかで何かしらの決断が

求められるのは、止む得ない。

横須賀市では、市役所や中央図書館など、6割以上の施設が築30年を過ぎている。 

しかし、対象になる施設の地元住民にとっては、いずれも大切な施設であり、当然進める

行政とは、もろに意見が対立する。

住民サイドも、総論では了解するものの、各論になると意見の対立が先鋭化する。

施設再配置問題は全国の自治体が同じポジションにある。

そのような中、行われた呉東さん主催の4回目のシンポジウム。

全体的に今回がベストだった。

理由としては、基調講演者ならびにパネリストの人選が適切であった。

基調講演者は、東洋大学教授で元横須賀市の施設配置適正化計画検討委員会の委員長の

南 学さん。

南さんは、全国を飛び回りながら、横須賀市のみならず自らが携わった全国の自治体の

施設適正化計画推進の経験を基に、周知した行政・住民両方の立場からの話で、大変良かった。

南さんの講演テーマは「公共施設マネジメント ”拡充”から”縮充”への発想転換」

ポイントは、施設の量を縮小しつつも、行政サービスを充実させること。

自らが関わった全国の自治体の例では、いずれも住民と行政のせめぎ合いが取り上げられた。

パネルディスカッションでは、南さんも入り、商店街振興協会の理事長、若い人の代表で

地域活動を行っている大学生、市役所の施設配置適正化計画を進める課長、それに

呉東さんが加わり、各自の立場からさまざまな意見が述べられた。

パネルディスカッションのあとは、参加者から質問と意見。

全体の話を聴いて持った印象は、

 ①単目的の施設を複合化していくことが、ポイントのひとつ。

   例えば、コミュニティセンター、図書館、老人福祉施設、公民館・・・

 ②施設の運営管理は、行政だけで行うのではなく、指定管理者としての運営を地元の

   団体に任せ、そのために必要な費用は行政から運営交付金でまかなう。

 ③南さんの話から知ったことであるが、図書館がキィになる施設となりうる。成功している

   自治体があちこちにあるとのこと。

   図書館は単に本の貸し出しをすることに加え、人が集まってくる仕組み・仕掛けを

   作っていけば、さまざまな展開ができる。交流拠点、情報拠点、異世代交流・・・

2016年7月18日 (月)

夏祭り サプライズ

一昨日と昨日、町内の夏祭りだった。

現役だったころ、夏祭りには会社の仲間や、たまたま日本に出張で来ていたオーストラリアの

仲間を呼んだこともあった。

夏祭りの会場は、我が家から歩いて数分の公園。

家にいても、炭坑節や東京音頭が聞こえてくるが、以前のようにそわそわしなくなった。

初日は行かず、2日目の昨日は夕方、市民オンブズマンの月例会があり、帰り道、祭りの

最後に抽選があることを思い出した。

家に着いたら8時前、抽選は8時10分から。即公園へ。

踊りは終わりに近かった。

Cimg1202

アメリカ米軍基地に勤める家族の数は例年より多かった。

今年からアナウンスはすべて日本語・英語両方で流れる。

初日夕方、公園のそばを通ったら、アメリカ人の7歳くらいの女の子が芝生の上に自分の

店を出して、ポップコーンほか売っていたのが微笑ましかった。

踊りが終わり、抽選会に。

抽選券はお祭りの寄附1500円を払ったとき、各家族に一枚渡される。

抽選会のくじ引きは、一等賞から順に会場で全員が見守る中でスタート。

最初に読み上げられた一等賞3桁の数字は298。手元の抽選券を見たら何と298。

びっくりsign02

賞品はディズニーランドのベアチケット。

全員が見てる中、取りに行ったら「お名前と一言」と言われ、思わず「信じられないheart04」と。

前に座っていた小学5年生くらいの3人組の女の子と仲良くなり、「いいねぇ、いいねぇ」

別れ際、3人揃って、「楽しんできてください」

各戸に配られた抽選券は、1から600近くあったよう。

すごい確率の中で当たったんだぁ~

宝くじ買ってみるかなぁ、と思った。

Cimg1206
娘に「夏休み来たとき行ったら」とメールしたら、「じいじの株、急上昇中」と返事があった。

2016年7月16日 (土)

犯罪被害者支援条例(2)

住んでいる横須賀市で、犯罪被害者支援条例の制定を求めて動いていることは何度か

ブログに書いた。

具体的には、① 昨年12月の市議会の常任委員会に陳情したが、陳情は10人の委員

全員の賛同が得られず審査終了になったこと ②その後、リベンジするため、信頼する

市議のXさんに相談を続けていること ③陳情より重みのある請願を目指していること。

もう10日前のことになるが、X議員とともに、先週水曜日、神奈川県内で唯一と言える犯罪

被害者に寄り添った条例を昨年11月に制定した茅ヶ崎市を訪ね、意見交換をしてきた。

お会いしたのは、茅ケ崎市の市民相談課の方々と地元の被害者支援自助グループの皆さん。

市民相談課では、大変多岐にわたる分野で弁護士ほか外部の人たちの支援も受けながら

まさに市民の困りごと相談に乗っていることがよくわかった。

自助グループの人たちにも市役所内の部屋を提供して、週に数回支援員が来室し、市民の

相談に乗ることが出来る態勢が確立している。

市長がすばらしい方で、全面的に支援していただいている、と支援員の方々が話していたのが

印象的だった。

面談した市民相談課の方々も、自分たちの仕事に情熱と強い意欲を持って取り組んでいる

姿勢が話しぶりからうかがいしれた。

条例制定までの経緯、被害者支援に対する関係者間のフォーメーション、条例が制定された

あとの変化、問い合わせ・相談件数、支援実績、市民へのPR、課題とこれから強化して

いくテーマなどがパワーポイント資料を使って説明された。

話の締めは、いかに市民相談課の活動を市民に知ってもらい、役立ててもらうかが、まだまだ

これからの課題とのこと。

そのあとX議員とボクからさまざまな質問、問かけをし、1時間半の打ち合わせは大いに

盛り上がった。

帰る電車の中でXさんといろいろ話した。

横須賀での進め方は、聞いた話を参考にし、横須賀の実情に合わせて考えて行こうという

ことで合意した。

条例制定の話だけでなく、来年7月の市長選のこと、現市長の行状、市長の言動が俎上に

のぼっている百条委員会のこと、ボクが関わっている市民オンブズマンのことなど、帰りの

道中ずっと話していた。

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