2019年11月16日 (土)

防衛大学校開校記念祭

午前中、毎年この時期に開催される防衛大学校の開校記念祭を見に行った。

防大は我が家からバイクで10分足らず。

高台のすばらしい場所にある。

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本館の近くには学生綱領が。

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先に進むと、内覧できる第一大隊の宿舎。

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学生が案内して色々教えてくれた。

防大の学生数は4学年で1000人。女子学生は1割以下。

数は少ないがアジア中心に海外からの学生もいる。

学費は国から給付。

勉学と訓練を受け、卒業後は幹部候補生に。

開校記念祭にあわせ、大学を訪ねてくる地方出身者の親も多いそうで、

加えてガールフレンドを招いていた学生も見受けられた。

帰り道、正門近くでよくニュースで見聞きする迎撃ミサイルPAC3が

展示されていて、学生がいろいろ説明してくれた。

射程距離3000キロとのこと、国内4カ所に設置されていて、有事の際は

一番近いPAC3が出動、訓練はアメリカに行って受けるとのこと。

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毎年楽しみに観に行く開校祭の最後を飾るのは勇ましい棒倒し競技。

午後別件があり、残念ながら今年は観ることができなかった。

2019年11月13日 (水)

この時期恒例の催し、楽しんだ

昨日、川崎で開催された絵画展を観に行った。

主催は会社で2年先輩だった斎藤潔さんと奥さまの水彩画二人展。

毎年案内をいただき、今年が8回目。

3年前には会場でびっくりする出会いがあった。

会場入ってすぐのところに、ふたりのお孫さんの絵。

11歳と9歳。

おじいちゃん、おばあちゃんの画才を受け継いでいるなぁと感じさせる絵。

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毎年拝見する奥さまの絵、すばらしい。

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4枚目の作品、茗荷の絵が気に入り、我が家にお嫁入りすることになった。

斎藤さんの絵は微妙な色使い、極めて繊細な表現に毎度のことながら感服する。

特に空の色、水の色には絵とは思えないものを感じる。

ご本人が案内のハガキに書かれていた「光と影を生かした風景画を目指しています」

まさに、それが具現化されていると感じ入った。

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3枚目の作品はニュージーランドのクイーンズタウン。

11年前に夫婦で行ったクイーンズタウン、そのとき歩いた湖ではと思い

書いたブログを検索した。 

ブログを見たら、またニュージーランドに行きたくなった。

今度は北島はやめて南島だけにしよう。

夫婦で大好きになったクイーンズタウンを中心に、南島の南の方を

またBed&Breakfast(民宿)に泊まりながらレンタカーを借りて2週間くらい。

年が明け、2月の初め、ニュージーランドの夏の後半に行こうとカミさんを

誘ってみよう。

話を絵画展に戻して。

5時前に昔の会社のSE(システム エンジニア)仲間2人FさんとSさんが来た。

そのちょっと前に女性がひとりで入ってきて「花房さん」と挨拶された。

大変失礼ながら(最近珍しいことではないが)しっかり思い出せないまま

しばらくおしゃべりした。

4人で話は盛り上がり、かつての仲間の話を中心に近況ほか、話題は尽きず。

Garou

今年も半日、楽しい時間を過ごした。

2019年11月11日 (月)

アメリカにおける貧困

週3回、毎回15分、まとめて土曜日繰り返しで45分聴いている

NHKラジオの実践ビジネス英語講座。

聴きはじめたのは、定年直後だったので、もう15年になる。

その間にたまったテキストが部屋にうず高くつまれているため、カミさんから

何度も「何とかしてよ!」と文句を言われている。

聴いたとき、これは覚えたいと思ったところにアンダーラインを引いており

一時期、記憶するためノートに書き写し廃棄しようと思ったが、途中で中断したため

依然として部屋にはテキストの山が。

前置きが長くなったが、先月の講座のテーマは「アメリカにおける貧困」と

「変容する病院」だった。月2つのテーマが取り上げられる。

以下「アメリカにおける貧困」で話題となったポイントを紹介。

 ・アメリカ人の8人に1人、4000万~4700万人のアメリカ人が

  貧困生活をしている。うち、650万人が高齢者でその数は増えてきている。

 ・最大の理由は、所得格差の拡大と中間層の家計への圧迫。加えて人口の高齢化

 ・連邦政府が定めた貧困レベルは4人家族で年2万5750ドル(約280万円)

  アメリカ人の12パーセントに相当する4000万人近くがこれ以下で生活。

  そのうち子供の数は1300万人で全体の6人に1人。

 ・貧困のわなに陥る理由のひとつは十分な教育を受けていないこと。

  結果、雇用機会が減り、貧困につながる。

  もうひとつの理由は離婚率の増加。親1人の収入で子育てするという難題に

  直面しているひとり親が増えている。

 ・他の人たちが享受しているさまざまな機会を、とりわけ子供のころから

  享受できないならば、抜け出すのが困難な悪循環に陥ってしまう。

全体を聴いて思ったことは、アメリカだけでなく貧困をとりまく社会環境、

貧困に陥るプロセスはどこの国も変わらない。

 

2019年11月 2日 (土)

大好きな是枝裕和監督作品「真実」

是枝 裕和監督作品は映画館だけでなくTSUTAYAで借りて、これまでもたくさん観た。

上映中の映画「真実」どうしても観たくて、昨日横浜まで観に行った。

初めて海外女優を使った是枝監督の挑戦作。

期待通りの作品で、さすが昨年のカンヌ最高賞と納得。

主演はフランス人女優のカトリーヌ・ドヌーブ。

出演者の生の声を聴きたくて、吹替でなく字幕スーパー作を選んだ。

会話はフランス語なので全く理解できなかったが、アメリカ人の登場する場面は英語、

全編、字幕が出ていた。

さすが、カトリーヌ・ドヌーブ、もちろん往年の若さはないものの、きれいで、

いぜん押しも押されぬ大女優。

母と娘の愛憎が描かれた、女たちの人生模様。

国民的大女優の母と女優になれなかった娘。

母の自伝本「真実」をもとにした愛憎渦巻く家族劇。

さすが、カンヌ最高賞と納得。

それにしても是枝さんはスゴイ。

自らが言っている「日本語しか出来ない人間にとって、決して簡単な仕事では

なかったが、とても新鮮な経験になりました」

カトリーヌ・ドヌーブは「これまで海外の監督と多くの作品を一緒にやってきたが

彼らとは英語でコミュニケーションが取れた。通訳を介さないと言葉が通じない

というのは初めての経験だった。今回やれたから、次は日本に行って撮影したい」

エンドロールでしばらく映し出された映像もすてきだった。

是枝 裕和監督、ますますファンになった。

2019年11月 1日 (金)

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り⑧(最後)

妹と紀伊半島を回った旅の最後が⑦の湯の峰温泉で終わっていることに気がついた。
旅の最後、書こうと思っていた熊野本宮大社を参拝したことを書いてなかった。
熊野本宮大社のお参りも楽しみにしていた。
思っていた通り、厳かな雰囲気の、まさに大社だった。
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参拝したあと裏の大鳥居へ。
大鳥居も壮大ですごかった。
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途中、イギリスから来ていたカップルに出会い、しばらくおしゃべり。
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大鳥居のあと、そばを流れる熊野川の堤を散策。
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大社の本殿に再度お参りし、これで今回熱海からはじまった長い旅は終わった。
妹が「来年は四国に行こうよ」と。
「そうだ2月に岡山で法事があるから、そのあと行こうか」と。
妹について行けば、今回同様、旅程を的確に決めてくれるので、
それに従って動けばいいので楽。
8回にわたり長い旅にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

2019年10月29日 (火)

「奥の細道」講座終了

今朝、近くのコミュニティセンターで開催された芭蕉の「奥の細道」講座の

最終回第5回目が行われた。

毎回楽しみに参加した講座はすべて終了した。

講師は元中学校の国語教師だった方。

知識のみならず、さすが教師、引き込まれるような話し方に参加した30名の

受講者は大いに満足。

今日は2ヵ月半の講義に感謝し、拍手とお礼で幕を閉じた。

まだ暑かった9月3日に始まった講座、第3回目は江東区の芭蕉記念館に遠出した。

最終回の今朝の講義は「奥の細道」の最終章、越後路から大垣までの解説。

毎回「奥の細道」に留まることなく、心地良い脱線が随所であった。

今日の脱線は、四季と色。

青(春)からはじまり、朱(夏)、白(秋)、玄(冬)

日本三大名泉は?の問が出て、答えは草津、有馬、下呂。

今日の「奥の細道」最終章、越後路から大垣も大変面白かった。

芭蕉の有名な句のひとつ「あら海や佐渡に横たふあまの川」についても

音を轟かせている荒海が隔てている佐渡島にかけて空に美しく横たわる天の川を

資料に書かれている通釈に沿って細かく解説してくださった。

資料の最後には「横須賀市内の芭蕉句碑」が5か所紹介されている。

近くに行った折には寄ってみよう。

講座中に紹介のあった岩波文庫の「芭蕉おくのほそ道」ぜひ読んでみようと

あらためて思った。

帰りにコミュニティセンターの掲示板に「走水歴史秘話 神話から要塞まで」との

ハイキングの案内掲示が出ていたので申込んできた。

2019年10月27日 (日)

ハローウィン

我が家の近くには横須賀米軍基地に勤める米軍家族が多く住んでいるため

毎年ハローウインは盛り上がる。

ハローウインは10月31日の夜だが子供たちが”Trick or Treat"と言いながら

仮装して家々を回ってお菓子をもらうのは31日前の日曜日の夕刻。

今日はその日だった。

夕暮れとともに子供たちが集まりはじめた。

先ず、我が家の前を仮装した親子が。

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ガンバってふるまっているのは斜め前の家のお父さん。

子どもたちはTrick or Treatと言いながら、お菓子をもらっていた。  

それに応えて、Happy Halloween

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階段の上では息子さんが自作の楽器を奏でていた。

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子どもたちの流れは途切れることない。

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暗くなってきて、お祭りは終わり。

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久しぶりに昔の多くの仲間と再会

2ヵ月くらい前メールが届いた。

20年以上前に初めて会った大林 依子さん(半ば公人なので実名で)

大林さんはシニアを中心にパソコン指導する「いちえ会」を主宰している方。

いちえ会」が発足し25周年の記念イベントのご案内だった。

即「喜んで参加させていただきます」と返事し、一昨日、記念の会合が市ヶ谷の

ホテルで開かれ参加した。

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届いたメールには会の冒頭で挨拶をと書いてあり、乾杯の前にひとこと、

大林さんとの出会い、それに「いちえ会」のことをお話させていただいた。

大林さんのご挨拶のあと「いちえ会」の25年間の歩みが画像を使い紹介された。

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ボクといちえ会の関りを少々。

いちえ会ができたのは1994年。

ボクは20年以上富士通で海外に関わり合っていたが、1996年、当時の通産省の

外郭団体「メロウ・ソサエティ フォーラム」という組織に2年間出向した。

今でいうITという言葉がない時代、通産省は国を挙げてITリテラシーを底上げしなければ

との思いで、当時はもちろんパソコンが中心であったが、世の中の人たちのITリテラシー

向上に取り組んでいた。

その政策の一環でできたのがボクが出向した「メロウ・ソサエティ フォーラム」であった。

時同じくして、パソコンをみんなで勉強し広めていくことを目指した団体があちこちに

誕生しはじめた。

そのひとつが「いちえ会」であった。

「いちえ会」は東京 駒場に事務所を設け、25年間で大変な数の方々にパソコンにまつわる技術

のみならずパソコンを使って得られる楽しみを指導されてきた。

会場では「いやー、お久しぶり!」と声をかけあう方が多くいらっしゃった。

その中のおひとり、当時かっちゃんと呼んでいた「メロウ・ソサエティ フォーラム」時代に

大変お世話になったカツヨさんにも久しぶりにお会いした。

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かっちゃんには「メロウ・ソサエティ フォーラム」 時代に大変助けていただいた。

ボクがやりたいと言いはじめた「シニアネットワーカーズ コンファレンス」

彼女の前職だった日本IBMの広報時代のノウハウと経験を活かし、箱根を皮切りにあちこちで

行ったカンファレンスの企画・運営を助けていただいた。

箱根では彼女のコネで浜美枝さんに1泊で来てもらいお話、懇親会に参加していただき

彼女の子育てについて個人的にお話をお聞きしたのも、いい思い出である。

会場では「いちえ会25年のあゆみ」という90ページのすばらしい冊子が配られ、

懐かしく記事に目を通した。

「シニアネットワーカーズ カンファレンス」に加えて「メロウ・ソサエティ フォーラム」

在籍時にはじめた「シニア情報アドバイザー試験制度」も紹介されていた。

あの2年間は通産省に企画を出し、承認を取り、お金を確保し、やりたいことをやった。

そのとき片腕になってもらったのは、三菱総研から出向していた大変優秀な女性のYさんだった。

20年以上富士通で関わってきた海外ビジネスとは全く違う世界で、大変楽しくやり、

違う世界の人たちと新しいつながりができ、新鮮な経験をしたとても有意義な2年間だった。

会がお開きになる前、全員で記念写真撮影。

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散会後、大林さんから声がかかり、数名でホテルの下でお茶をして1時間以上ワイワイ。

素晴らしい仲間の皆さんと、とても楽しい時間が過ごせた一日だった。

会場で残ったお花をいただいて帰り、仏壇に飾らせていただき、副産物まで頂戴した。

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2019年10月20日 (日)

大学の寮の仲間の集まり

大学に入学したのは1962年4月、もう57年も前。

大学は神戸大学経済学部。

教養課程は姫路にあり、入学と共に姫路の寮に入った。

寮は昔の旧制高校の寮で古く汚く、1部屋6~8人、そこで1年半を過ごした。

寮費は朝夜食べて月3千円、当時お金のなかった我が家はオフクロが

幼稚園より安いと喜んでいたのを覚えている。

そこで1年半過ごし、教養課程を終えたあと、神戸の専門課程に移った。

18~19歳、まさに青春時代真っただ中を一緒に過ごした東京近郊在の

仲間が年に4回集まり、懇親会を行っている。

集まる場所は、東京有楽町帝国劇場ビル地下にある神戸大学 東京六甲クラブ。

ボクは万年幹事。

幹事と言っても、やることは、毎回例会の案内メールを出すことと食事の手配

くらい。

会の名称は、当時の寮歌の一節の「惜春の賦の流れきて・・」から取って「惜春会」

前置きが長くなったが、今年最後の惜春会を一昨日行った。

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出席したのは、1年先輩が5人、同期が4人の9名。

先輩で寮で同室だったTさんは遠路大阪から参加。

会をはじめたころはまだ皆、現役であったが、今はもちろん皆リタイアした身。

12時にはじまった会が終わったのは4時、飲み食い、だべり、今回も大いに

盛り上がった。

集まりでは毎回誰かが自ら決めたタイトルで話をすることにしている。

今回は1年先輩のTさんが「クラシックの聴きどころ」

というテーマで著名な音楽家にまつわる話、それに加えて持参して

いただいたたくさんの名曲をTさんの解説を聴きながら鑑賞した。

鑑賞した曲は、バッハ、モーツアルト、ベートーベン、ブラームス、

チャイコスフキー、プロコフィエフ、マリア・カラスの歌劇と

大変多岐にわたった。

平素、クラシック音楽を聴く機会は皆無のボクにとっては、心の洗われる思いで、

すばらしい時間を過ごさせていただいた。

今回が今年最後の惜春会であったため、来年の開催予定を決め、
部屋を予約し散会。

寮の思い出はまたどこかの機会で紹介したい。

2019年10月15日 (火)

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り ⑦

前回のブログの最後で「紀伊田辺駅でバスに乗り換え、紀州の山道を2時間半かけて

2泊目の宿、湯の峰温泉へ向かう」と書いた。

路線バスであったため、途中地元の人たちの乗車、降車を繰り返しながら

人家が少ない、杉が植林された山道を通り、17時前、湯の峰温泉のバス停に着いた。

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日本最古の温泉、湯の峰温泉のつぼ湯が紹介されていた。

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泊る宿は湯の峯荘。

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バスで2時間半、遠かったが、妹が選んでくれた宿は正解だった。

紀伊勝浦でもそうであったが、ここでも風呂で外国から来ていた人に出会った。

来年は外国からの訪日客、4000万人と予測。

すごい数である。

安全、安心、親切、心地良いもてなし、美味な日本食、日本に魅力を感じる外国の人は

これからますます増えることだろう。

2019年10月13日 (日)

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り ⑥

紀伊勝浦に泊まった朝、ホテルのバスで那智勝浦駅へ送ってもらった。

駅前の出店のおばあさんの店でお昼用にさんま寿司を買い、しばらくおしゃべり。

1時間足らずで串本へ。

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途中、車窓から、さすが太平洋。

我が家の裏の東京湾とは大違い。

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 電車に掲示されていた紀勢線の路線図。

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途中、太地駅に停車。

太地は捕鯨の町で、一時期日本の遠洋捕鯨漁が世界的に悪いイメージで

話題となり、太地が取り上げられ、話題になったことを思い出した。

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10時半、串本着。

駅前からコミュニティバスに乗り、潮岬へ。

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潮岬灯台へ。

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灯台を訪ねると必ず思い出すのは小学生のころ学校から観に行った

灯台守の家族が全国の灯台を守る映画「喜びも悲しみも幾年月」

「おいら岬の灯台守は妻とふたりで沖行く船の無事を祈って

灯をとーもす、灯をともすー」という歌詞が頭に浮かんできた。

台風が来たときよくテレビで放映される潮岬の海、その勇壮さに

しばらく見入った。

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バス停まで歩き、コミュニティバスに乗り、串本駅へ戻った。

串本駅で紀勢線に乗り、朝買ったさんま寿司を電車の中で食べ、

1時間20分、雄大な太平洋の海を楽しみながら、紀伊田辺駅へ。

バスに乗り換え、紀州の山道を2時間半かけて2泊目の宿、湯の峰温泉へ。

2019年10月 9日 (水)

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り ⑤

しばらく中断していた紀伊半島巡りを書こうと思ったら、いくぶん記憶があやふやに。

紀伊半島巡りをしたのは9月22日、23日、24日、もう2週間以上前のこと。

76歳の年寄り、思い出すのが少々厳しいが、同行してくれた妹の残したメモを見て

思い出しながら書いている。

9月22日の朝、この日も好天だった。

2泊した妹のマンションを7時半に出て、近くのバス停でバスに乗り、JR西宮駅へ。

西宮から新大阪。

新大阪9時32分発のくろしお号に乗り、那智勝浦へ。

途中、電車で和歌山駅を通ったとき、思い出したことがあった。

大学3年生のときだから、55年前のこと。

当時下宿していた神戸からひとりでヒッチハイクで紀伊半島を回ったことがあった。

まったく行き当たりばったりのひとり旅だった。

神戸を出て、何台かの車に乗せてもらい、最初の夜、和歌山市駅の駅のベンチに

寝たのを思い出した。

駅に寝たのはこのときだけで、そのあと泊った場所で思い出すのは、お寺、大学の寮、

ユースホステル。

最後までヒッチハイクして回ったのか、途中ギブアップしたのか、覚えていないが

たぶんイヤになって電車に乗って帰ったのだろう。

和歌山市駅は最初の夜だったため、そのときの情景はかなりはっきり覚えている。

話を戻して、那智勝浦へ。

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那智勝浦駅前からバスに乗って、念願の熊野古道歩きスタート地点の停留所で下車。

途中、この看板を見て、感激。

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オヤジはその昔、岡山で小さなゴム工場をやっていた。

毎年、従業員全員を連れて旅行に行っていた。

ある年に紀伊に行き、土産に那智黒の黑あめを買ってきてくれたことがあった。

この立て看板を見てオヤジを思い出し、那智黒をカミさんの土産に買った。

バスを降りたあと、小雨模様の中、熊野古道を歩きはじめた。

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熊野古道の最後、那智大社にお詣りしたあと見た那智の大瀧に感激。

妹が送ってくれた大瀧の写真見つからず、アップできなくて残念。

大瀧を見たあとバスに乗り、那智勝浦駅まで戻り、この夜泊まる宿に電話し

迎えにきてもらい、5時半ころ宿に着き、紀伊半島巡りの初日は終わった。

2019年10月 5日 (土)

コンサートで栃木へ

一晩どまりで栃木市文化会館にコンサートを聴きに行った。

聴いたコンサートは半崎美子さん。

きっかけは大阪に住むフェイスブックの仲間の女性Kさんの書き込みを見て

行きたくなった。

栃木市、もちろん行くのは初めて。

Kさんと何度かやり取りし、彼女がチケットを取ってくれた。

半崎美子さんの名前は知らなかった。

たまたま今週水曜日お昼のNHK1時間番組「ごごナマ」で半崎さんがフルに出演された。

番組のタイトルは「ショッピングモールの歌姫が熱唱」

17年間の下積み生活に耐え、ショッピンモールで歌うも人は集まらずという

番組紹介を聴き、この人の生歌が聴けるんだとの熱い思いで、栃木まで行った。

18時からはじまったコンサート、800人収容の会場は満席。

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先に会場に来て着席していたKさんに「何とかたどり着いた」と挨拶して

Kさんが取ってくれた席へ。

5列目のびんびん半崎さんの美声が聴ける席で1時間半、すばらしい歌声と語りを堪能。

全国のショッピングモールを回り歌い続け、出会った人々の人生に触れ、涙に触れて、

彼女が自ら作詞、作曲し、生まれてきた曲が歌われ続け、会場は歌のみならず雰囲気に

酔いしれた。

特に、自ら、それにお母さんの出身地の北海道の利尻島への思いを歌った「母へ」は

胸にずしりときた。

思わず、苦労して育ててくれたおふくろのことが心に浮かんできた。

先日のNHK番組でも聴いた「サクラ~卒業できなかった君へ」「明日を拓こう」

どれもどれも心に響く曲ばかり。

アンコールに応えて歌われたのは「明日への序奏」

会場と半崎さんが一体になった時間だった。

1時間半、大変すばらしい時間を過ごさせてもらった。

会場出口で販売されていたCDとVDVを買ったので、パソコンをやるときの

バックグラウンド ミュージックで聴こう。

3時間かけて、途中迷いながら何とか辿りつけたコンサート会場、行ってよかった。

暮れの紅白には是非とも出て欲しい。

ご興味がある方は、https://ja.wikipedia.org/wiki/半崎美子

2019年10月 3日 (木)

熱海~三島~大阪~西宮~紀伊半島巡り ④

大阪地裁で傍聴したあと、西宮へ。

西宮には妹の息子家族の家がある。近くには妹のマンションもある。

阪急線西宮北口に妹が迎えに来てくれて、妹宅へ2泊した。

翌日昼前、妹の息子家族と一緒に息子の長男の幼稚園へ迎えに行った。

幼稚園に行くのは沖縄に住むうちの娘の子どもたちを送り迎えしていた頃以来

だから、7~8年ぶり。

幼稚園はいい、大好き。

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家に帰って、この子はウルトラマンの本、おもちゃを見せてくれ、熱く語ってくれた。

この日の午後、西宮の近くの阪急電車の駅、夙川(しゅくがわ)まで車で送ってもらい

夙川をひとりで散策。

夙川には思い出がある。

高校2年生のときだから、もう60年も前の話。

小・中・高校時代、大変仲が良かったKくんのお兄さんの住んでいたところが夙川にあり

高校2年生のときKくんと一緒に訪ねたことがある。

生まれて初めて大阪に行ったのもこのときだった。

百貨店で初めてエスカレータを見て、乗って驚いたのをはっきり覚えている。

夙川はとても閑静で瀟洒な家が立ち並び、田舎者のボクは大変感動した。

60年経った夙川の家並は当然のことながら変わっていた。

お邪魔し泊めてもらったKくんのお兄さんは当時山一證券に勤めていて、泊めてもらった家は

山一証券の借り上げ社宅だったのだろう。立派な家だった。

夙川駅から歩き、家の場所はおぼろげながら覚えていたが通りや近くは変わり、マンションも

多く建っていた。

駅までの帰り道、図書館があったのでひょっとしたら当時のことをご存知の方がいらっしゃる

のではと思い訪ね、聞いてみたが「60年前とは大きく様変わりしているので」ということで

当然のことながら、手掛かりになる話は聞けなかった。

念願の夙川に行けたことに感動しながら、泊めてもらった妹宅に帰った。

2019年10月 2日 (水)

芭蕉講話会

9月3日から近くのコミュニティセンターでスタートした芭蕉講話会に参加している。

10日に1回くらいのペースで開催されていて、講師は元中学校の国語教師だった方。

参加者は30人くらい。毎回楽しみに参加している。

これまで3回の講義では、俳句についてからはじまり、芭蕉の人となり、当時の

江戸の町の様子、「月日は百代の過客にして、行かう年も又旅人也」からの書き出しで

はじまる「奥の細道」の書かれた背景、交遊、旅立ちからはじまり、奥の細道の道程ほか

大変興味深い話の連続であった。

誰もが知っている句では、

 「古池や蛙飛びこむ水の音」

 「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」

4回目の昨日は遠出して、芭蕉の創作拠点であった深川、江東区の芭蕉記念館を訪ねた。

記念館の前には、ばしょうの樹が植えられていた。

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興味深い展示がたくさんあった。

ボクはダメだ、こういうのには、はまってしまい、カミさんと一緒だったら

「いい加減にしてよ!」と文句を言われる。

奥の細道の道程と足跡

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以下、講義で聴いた話。

 ・奥の細道の全工程はおよそ450里(約1800km)

 ・移動した日の平均行程7里半(約30km)ー横須賀から横浜までの距離

芭蕉は「奥の細道」のほか「野ざらし紀行」「更科紀行」と旅を重ね、51歳で死去。

ゆっくり観終わったあと、深川に来たのだから深川めしを食べようと思い食べ、満足。

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29日が講義最終回。

次回15日は芭蕉記念館見学の話で盛り上がることだろう。

これを機会に講義で紹介のあった岩波文庫の「芭蕉おくのほそ道」読んでみよう。

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